一 社会教化活動の強化

国民精神総動員運動の展開

 戦時下の社会教育の体制については大要二つの傾向を指摘することができる。一つは戦時態勢に即応した社会教化活動の強化であり、今一つは社会教育の体系的整備である。前者は日華事変勃発直後の国民精神総動員運動の展開から、隣組常会指導に連なる線であり、後者は教育審議会の答申を中軸として青年学校制度や映画法等に見られる制度的整備の方向である。

 文部省は、すでに、大正期の十年代以降、国民に対する教化活動を社会教育上重要な施策と認めて、教化団体の育成を図ってきた。特に、昭和四年九月教化総動員運動の開始によって、文部省はいっそう教化活動を推進する方策をとった。三年には、財団法人中央教化団体連合会が設立されていた。

 しかし、日華事変の勃発によって、国民に対する教化活動をさらに拡大強化する必要が生じてきた。そこで政府は十二年八月二十四日の閣議で「国民精神総動員実施要綱」を決定し、挙国一致、尽忠報国、堅忍持久をスローガンとして、日本精神の昂揚を期する国民運動とするとともに、国策遂行の基盤たらしめようとした。すなわち、実践事項としては、日本精神の昂揚、社会風潮の一新、銃後後援の強化・持続、非常時財政・経済政策への協力、資源の愛護等を取り上げて、内閣・文部省・内務省が計画主務庁となり、攻府総がかりでこれが実行に当たるとともに、外郭団体としては国民精神総動員中央連盟を結成して、民間の協力体制を整備した。文部省では事務局を社会教育局に置き、運動の全般を掌握するとともに、特に教化面の積極活動を推進した。

 運動の当初は主として教化運動の展開として考えられていたのであったが、戦局の重大化とともに、各省の協力体制の強化と啓発・宣伝面の強調のために、十四年以後運動の中心は文部省から情報局に移されるに至った。しかし、表面的な運動と一方的な宣伝に終始するきらいのある従来の方法への反省から、社会教育面ではさらに自主的な実践性と相互教化の効果をねらって、従来一部の教化団体が提唱していた常会の方法を採用して、その全国的組織を図ることとなった。

 すなわち、十五年七月文部省主催で長野県菅平に全国社会教育主事を中心とする常会指導者講習会を開催し、隣保組織を基盤とする社会教育的活動の方法を指導した。なお、同年九月内務省から部落会・町内会の整備に関する訓令が出されるに及んで、文部省でもその社会教育的活用に関する通牒(ちょう)を発して、時局に即応する社会教育の実践的強化を図った。

社会教育改革の方針

 社会教育に対する急激な時局的要請の反面、社会教育の体系的整備ということは年来の要望であった。教育審議会は昭和十三年青年学校教育義務制実施に関する答申を行なってからのちは、もっぱら学校教育に関する要綱の審議に当たっていたが、さらに十五年十月から社会教育全般の審議にはいり、十六年六月十六日社会教育に関する件の答申を行なった。すなわち、複雑多岐にわたる社会教育においては、特に一貫した指導方針を樹立し、組織体系を設けて施行する必要のあることを指摘し、社会教育一般、青年学校、青少年団体、成人教育、家庭教育および文化施設に関する六種の事項に分類してその方途を明らかにした。社会教育一般については学校教育と相依(よ)り相助けて国民文化の向上・発展を図り、健全有為な国民の修養体制たらしめねばならぬとして、その指導の統一・一元化を図り、各種団体および学校の協力活動、ならびに市町村常会および社会教育委員の機能の発揮を要望し、さらに社会教育の指導者の養成ならびに研究機関の設置の必要を指摘している。

 青年学校および青少年団に関しては別項に述べるとおり、義務制の実施、大日本青少年団の結成など活発な動きをみせ、また成人教育に関しては、その目的・内容を明確に示すとともに、講座・通信教育・団体活動・勤労者教育ならびに各種施設の整備の要を指摘している。家庭教育では健全な子女の育成を中心課題として、当時ようやく注目されつつあった母の会の普及を要望し、文化施設に関しては、時局下に留意すべき事項を示した上で、図書館の振興、図書推薦、出版指導の強化、博物館の普及・充実、映画・演劇・音楽・放送その他各種文化施設の整備と利用についてその方向を明らかにした。

家庭教育の振興・文化施設

 教育審議会の社会教育に関する答申を受けて、戦時中の家庭教育は、特に学童の母を対象として、母の会の結成ならびに指導に重点を置くようになった。昭和十七年五月七日には「戦時家庭教育指導要綱」が文部省から発表されたが、さちに十八年度からは、女子中等学校・国民学校などに母親学級の開設が奨励され、母親たちが相携えて「学び」かつ「行ずる」機会たらしめようとした。

 文化諸施設の中で最も全国的に普及しているものは公共図書館であるが、戦時下の公共図書館に対しては、その積極的活動が要求され、特にその指導連絡機関であるところの都道府県中央図書館の機能が重視された。したがって、中央図書館ては国民精神総動員文庫、時局文庫の巡回・貸出が相当活発に行なわれた。また、十七年ごろからは青年に対する読書指導の方法として読書会の方法が日本図書館協会を中心として指導・奨励された。

 次に、博物館についてみると、その科学的重要性にかんがみ、その充実が求められ、東京科学博物館は十五年十一月九日官制を改正して、自然科学に関する研究および事業に主力を置く博物館に改組された。しかし、このような博物館施策に対する一般の認識はまだきわめて低く、ことに戦時下における博物館の運営は非常に困難であるとの事情もあって、活発な活動を期待するまでには至らなかった。十八年以来大東亜博物館の遠大な計画が政府の手によって準備されつつあったけれども、これまた終戦とともに一場の夢として消えてしまった。

 また政府は、戦時下国民精神作興の見地から、音楽・演劇・映画など芸能諸部門を動員して社会教化に資するための多くの施策を行なっている。特に、映画には早くから着目し、十四年四月五日「映画法」を公布し、同年九月二十七日映画法施行令・映画法施行規則を制定した。これによって文部大臣は「国民精神ノ涵養又ハ国民智能ノ啓培ニ資スル」と認められる文化映画や時事映画の選奨・上映を命じることができるようになり、戦時下の文化施策として力を発揮した。

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