二 師範教育令の改正

師範教育令中改正

 教育審議会の答申に基づいて、昭和十七年一月六日の閣議で師範学校制度改善要綱が可決され、十七年度中に必要な準備を完了することとなり、十八年三月八日勅令第百九号をもって「師範教育令中改正ノ件」が公布された。この勅令による改革のおもなものは次の諸点であった。第一は師範学校の目的を「皇国ノ道ニ則リテ国民学校教員タルベキ者ノ錬成ヲ為ス」にありとし、師範学校令および師範教育令の第一条但書にあった「順良信愛威重」の気質ないしは徳性が除かれたことである。第二は教育審議会の答申を修正した閣議決定の要綱に基づいて、師範学校を官立とし、修業年限三年の専門学校程度に高め、二年の予科を置くことができるとしたことである。なお、従来男女別に師範学校を設置してきたのに対して、男子部と女子部という形にまとめることとなった。第三に学科の編成、教科、教授訓練、教科用図書、生徒の入退学、学資支給、卒業後の服務はすべて文部大臣がこれを定めるものとし、これに基づいて師範学校規程、師範学校教科教授および修練指導要目などが定められたが、ことに教科用図書は国定とすることとなった。第四に現職教育のために本科の上に修業年限六か月以内の研究科を置くこととした

 高等師範学校および女子高等師範学校は、中学校および高等女学校の教員を養成するところとし、師範学校の教員については師範学校を専門学校に引き上げることによって養成対象から除かれた。高等師範学校および女子高等師範学校も官立で、修業年限はいずれも四年とし、それぞれ研究科を置くことをうるものとした。

学科課程の改革

 国民学校制度の実施に対応して師範教育の体系も大幅に改革された。昭和十八年三月八日制定の師範学校規程によると「教育内容ノ仝体的統一ニ意ヲ用ヒ学校ノ全施設ヲ挙ゲテ人物錬成ノ一途ニ帰セシムベシ」として、従来の二十数科目を国民科、教育科、理数科、実業科、家政科、体錬科、芸能科、外国語科に分属させ、すべての教科において、東亜および世界、国防、職業指導、地方研究などに関する教材を重視することとした。国民科は修身公民、哲学、国語漢文、歴史および地理を含み、教育科は教育、心理および衛生を、理数科は数学、物象および生物を含むなどのように教科の統合を図ったものであった。また教科を基本教科と選修教科に分け、基本教科は必修させ、小学校における「全科担任ノ実力」を養い、選修教科は選択履修によって特定分野の「精深ナル研讃」を積ませようとした。

 師範学校規程の制定と同時に、高等師範学校および女子高等師範学校規程が制定された。学科編成は、文科、理科、体育科、芸能科、家政科のうちいくつかの学科を置くものとし、学科ごとに修身公民、教育などの共通な学科目のほかそれぞれ独自な学科目を置いた。なお学科課程の詳細は学則に定めることとした。

 師範学校、高等師範学校および女子高等師範学校のいずれの場合も、教科のほかに「修錬」を必修とし、「修養研究・心身鍛錬および勤労作業」を課すこととなった。

師範学校教科書

 昭和十年頃から文部省は小学国史教師用書の編集に着手し、これを同時に師範学校の国史教科書として使用することを推奨した。十二年には中等学校における修身・公民科・国史の三科目については文部省で標準教科書を作成することとなり、翌十三年『師範修身書』巻一をはじめとして公民科、国史の師範学校教科書を刊行した。

 十八年新しい師範教育令に基づいて師範学校教科書も国定となり、修身、公民、教育、心理、国文、国文学史、国語要説、書道、漢文、歴史、地理、数学、生物、物象、音楽、器楽、図画、工作、家政、被服、衛生、育児保健、農業、農芸、商業の三学年制用書を逐次刊行し、その数は五七点にのぼった。

戦時下の師範学校

 昭和十八年の師範教育令に基づいて、全国に五六の官立師範学校が設置され、男子部と女子部が配置された。しかし、すでに十三年には国家総動員法、十六年には国民勤労報国協力令が出ており同年学校報国隊が結成され、十九年八月には学徒勤労令、次いで二十年五月には戦時教育令が公布されるに至った。このような戦時体制のもとで、学校教育はその内容・実質において低下せざるを得なかったのである。十六年の大学・専門学校等の修業年限半年短縮の際に師範学校や青年師範学校はこの短縮から除外されたが、十九年度からは入学資格を中学校四年修了程度に下げることとなり、制度改革に伴う実効をあげることは困難であった。教育界に人材を招致するため、十九年には師範学校の生徒給費を従来の年一五〇円から三〇〇円に増額し、また師範学校卒業生の初任給を府県従来の規定により男子は月一五円、女子は月一〇円ずつ増額することとしたのであるが、その効果はふじゅうぶんであったので師範学校の入学志願者は激減した。

 中等学校教員の養成機関としては、東京・広島の高等師範学校、東京・奈良の女子師範学校のほか、文理科大学(東京・広島)、帝国大学(北海道、東北、九州、大阪)、高等工業学校(浜松、名古屋)、第三高等学校、東京女子高等師範学校に付設された臨時教員養成所があった。さらに十九年には金沢に、翌年岡崎に高等師範学校を、広島に女子高等師範学校を新設したが、戦時体制のもとではじゅうぶんな機能を果たすことはできなかった。実業学校の教員養機関としては、十二年に東京帝国大学農学部に付設されていた農業教員養成所が独立して東京農業教育専門学校になった。十八年四月公立・私立実業学校教員資格に関する規程が廃止され、教員免許状をもたない者でも教員に採用することができるように実業学校教員の資格も規定された。

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