二 高等教育の戦時体制化

教科用図書の再審査・認可

 昭和十一年以降、ひろく普通教育から専門教育にわたり、各学校において使用している教科書について、数学刷新の立場から文部省において改善・検討のための再審査を行なった。これは大正十三年度から昭和十一年度に至る一三年間に検定または認可された中等学校・高等学校・大学予科の教科書を対象として行なわれたもので、その調査の結果を十三年三月に文部大臣に答申した。

 再審査の結果は検定面に反映するとともに、これに照らして、十五年十一月に「高等諸学校教科書認可規程」が制定公布され、従来は高等学校・大学予科に限られていた認可制度をひろげて、高等師範学校等の教員養成学校や専門学校においても、理数科関係を除く図書を教科書として使用する際には、この規程に基づいて認可を要することとなった。これにより高等専門学校では、認可図書のリスト以外の図書を採用するときにはあらかじめ認可申請をなし、その使用上の注意等を聞くことにもなった。

大学・高等学校・専門学校の修業年限短縮

 日米開戦を目前にした昭和十六年十月、勅令によって大学・専門学校および実業専門学校等は、十六年度から在学年限または修業年限を、臨時措置として一年短縮することができると定めた。これにより、十六年度は三か月短縮して十二月に卒業させることを決定したが、さらに同年十一月一日の省令「大学学部等ノ在学年限又ハ修業年限ノ昭和十七年度臨時短縮ニ関スル件」により、十七年度からは、前記の学校のほか、高等学校高等科・大学予科・臨時教員養成所を含めて六か月短縮する措置をとることを決定した。

 このため、十七年度からは高等学校高等科および大学予科の生徒は九月に卒業することとなったので、大学学部の入学時期を同年から十月に改めることとして必要な措置を講じた。

 これらの臨時短縮措置と並んで、高等学校高等科および大学予科については、修業年限をそれぞれ一か年短縮する措置がとられた。すなわち十七年八月の閣議決定に基づいて、十八年一月二十日高等学校令および大学令を改正し、高等学校高等科と大学予科の修業年限を二年とし、十八年四月入学の者からこれを適用することと定めたのである。これは高等学校と大学でそれぞれ半年ずつ短縮することを廃し、高等学校で一年短縮することにより大学の入試期日を正常化しようという含みでもあったが、ながい三年制の歴史をもつ高等学校の教育はここに大きな縮小と変貌(ぼう)を余儀なくされることとなった。

 この年限短縮措置とともに高等教育の戦時教育体制を進行させたものは、十八年三月に「戦時学徒体育訓練実施要綱」、十八年六月「学徒戦時動員体制確立要綱」、十八年九月「大学院又ハ研究科ノ特別研究生ニ関スル件」の制定など相次いで三つの緊急措置をみたことである。「戦時学徒体育訓練実施要綱」は学校における正科としての体育訓練、戦技訓練・基礎訓練・特技訓練などを対象とする課外としての体育訓練、報国団としての体育訓練などの強化を図り、精神訓練・体力訓練・科学訓練の一体化をねらったものである。「学徒戦時動員体制確立要綱」は学校報国団を隊組織に編成させ、国土防衛および生産・輸送の各方面に組織的な勤労動員体制を確立しようとしたものである。「大学院又ハ研究科ノ特別研究生ニ関スル件」は、文部大臣の指定する大学において、大学院または研究科にはいるべき特別研究生を選定して、第一期二か年、第二期三か年、特に戦力増強に直接関係ある研究に従事させるものであって、先の閣議決定による学術研究制度の整備・拡充のための実現を図ったものである。

戦時教育体制の強化

 太平洋戦争の逼(ひつ)迫は残された唯一の戦力たるべき学徒の全面的動員を迫ってきた。昭和十八年十月閣議決定の「教育に関する戦時非常措置方策」は、このきびしい要請にこたえたもので、理工科系統および教員養成諸学校学生を除き、一般学生の徴兵猶予を停止し、学校・学科・教員・学生の転換・整理・統合の断行を図ったものである。この緊急措置の結果学徒の全面的な出陣となり、高等教育の戦時体制は急激な強化を見るようになった。この緊急方策によって文科系大学および専門学校はこれを転換・整理・統合し、理工科大学および専門学校は整備・拡充し、高等学校については入学定員を文科にあっては全国を通じて従前の三分の一をこえず、理科にあっては所要の拡充を行なうことにした。特に私立の文科系大学および専門学校については、相当数の大学を専門学校に転換させ、専門学校の入学定員はおおむね従前の二分の一程度になるように整理・統合するなどの措置を講じ、勤労動員についてはこれを教育実践の一環としていっそう強化し、在学期間中一年につきおおむね三分の一相当期間の動員を実施することとした。

 しかし学徒の勤労動員に対する要求はますます強くなり、十九年一月「緊急国民勤労動員方策要綱」の決定とともに、それの一環として「緊急学徒勤労動員方策要綱」の実施をみることとなった。この方策要綱こそは学徒の通年勤労動員を決行したものである。ただしこの場合の通年動員は同一学徒の一年につき四か月の動員期間を通年循環的に動員する方法をとった。しかし、学校・学科の種類によってはさらに長期の動員をなしうることとし、通年動員の効果を高めるための学校工場の方式も、この方策要綱においてはじめてとりあげられた。しかしまもなく十九年二月には「決戦非常措置要綱」の閣議決定となり、中等学校以上の学生・生徒は一年を通じて常時勤労そのほかの非常任務に出動し、やがて予想される有事即応の態勢について万全の備えをなすこととなった。他方においては学校工場化を推進し、さらに必要に応じて軍用非常倉庫用・非常病院用・避難住宅用そのほか緊急の用途に学校を転用するなど、学校教育はすべてをあげて決戦の体制を整えた。遂に二十年三月には「決戦教育措置要綱」の閣議決定によって、国民学校初等科を除き学校における授業は二十年四月一日から二十一年三月三十日に至るまで原則としてこれを停止することとなり、五月二二日勅令「戦時教育令」によって最後の決戦段階に突入することとなった。これはまさに学校の教育的玉砕と見るべきであろう。

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