二 中等学校制度の再編

中等学校令の公布

 昭和十八年一月二十一日「中等学校令」が公布された。中等学校令は中等学校の目的・種類・設筺・修業年限・入学資格・付設課程・教科書・授業料等の一般的事項を規定したものである。

 中等学校の目的を「皇国ノ道ニ則リテ高等普通教育又ハ実業教育ヲ施シ国民ノ錬成ヲ為ス」こととして、中堅皇国民の練成を主眼とし、高等普通教育または実業教育を施すこととした。高等普通教育を施す中学校、高等女学校と実業教育を施す実業学校、これらを一括して中等学校としたのであり、その意味では従来の中等学校の性格を大きく変えるものではなかった。

 中等学校の設置に関して、北海道および府県、市町村(学校組合)、私人の三種類の設置主体をあげたことなどは従来の各中等学校の規程と変わらなかったが、文部大臣は北海道および府県に対し中等学校の増設、拡張および整理に関し必要な命令をすることができるとして、いわゆる計画と統制の権限が明記されたことは注目される。修業年限は四か年を原則とし、土地の状況によっては高等女学校は二か年、実業学校は男子三か年、女子二か年とすることができる。修業年限を短縮したのは「学徒ノ実務二従事スル時期ヲ早カラシメ国力ノ増強ヲ図ラントスル国家的要請ニ応ヘンカ為」と説明された。入学資格は修業年限四年の場合は国民学校初等科修了者、修業年限二年または三年の場合は国民学校高等科修了者とした。

中学校規程・高等女学校規程の制定

 中学校令の公布とともに、昭和十八年三月二日「中学校規程」、「高等女学校規程」、「実業学校規程」を制定し、これを四月一日から実施した。

 これらの規程は共通して第一章「総則」以下「編制」、「設備」、「入学、退学、休学、転学及懲戒」、「授業料其ノ他ノ費用徴収」、「雑則」の各章構成となっており、各中等学校運営の基本的事項についての方針を明示した。これらの規程の中で制度に関するものは左のごとくである。

 中学校の制度に関しては、修業年限を四年としたこと、第一種・第二種課程を廃止したこと、修業年限三年の夜間中学校の設置を認めたこと、従来の補習科および予科を廃止して修業年限一年以内の実務科を設けたこと、中学校間の転校、実業学校への転校、第三学年以下の学年において実業学校生徒の転校を認めたことなどがおもな改革点であった。

 高等女学校の制度に関しては、修業年限を四年とし、ほかに国民学校高等科卒業程度を入学資格とする二年のものを認め、さらに修業年限三年の夜間高等女学校を認めた。補習科を廃止し、高等科および専攻科を存続させたこと、実科高等女学校の名称を廃止したこと、第三学年以下における実業学校との転校を認めたことなどがおもな改革点として注目される。

 以上の中等学校制度は、十八年四月から実施したのであるが、修業年限の規定については同年四月人学の者から適用することとなった。しかし、十七、八年ごろからは時局の緊迫に伴いA学徒勤労作業の強化、実業学校卒業期の繰り上げ、工業学校への転換、学校報国隊活動の強化、学徒動員等によって戦時教育体制はいよいよ強化され、中等教育もまた、その改革よりは、むしろ戦時における国家的要請に即応する体制へと急速に推し進められていった。

学校・高等女学校の増加

 戦時下の中学校・高等女学校数および生徒数は急激に増加している。中学校数および生徒数は昭和十二年五六三校、三六万四、四八六人から十八年の七二七校、六〇万七、一一四人となった。高等女学校数および生徒数は九九六校、四五万四、四二三人から一、二九九校、七五万六、九五五人となっている。わずか数年間で学校数および生徒数は両者とも約一・三倍、一・七倍程度の飛躍的な増加を示したのが注口される。実業学校についでも同様で、学校数、生徒数は十八年において一、九九一校、七九万四、二一七人を数えた。

中等学校入学者選抜制度の改革

 昭和十四年九月二十八日文部省次官通牒(ちょう)が出され、選抜問題の主原因である中等学校収容力の拡張等の条件の改善を指示するとともに、小学校の教科に基づく筆記試験を廃止し、小学校長の報告書、人物考査および身体検査の三者総合判定制度をとることを指示した。報告書に伴う主観性を排除するため、作成に当たる小学校と審査に当たる中学校において委員会を設置させることとした。報告書には学級の一覧表をあわせて提出することを求めた。また人物考査の観点が示され、準備教育を誘発することのないよう注意した。

 十八年十二月九日選抜の公正を確保するために、1)考査の方法 2)学区制および総合考査制による選抜制度の改革が行なわれた。考査の方法において、「報告」に公文書としての責任と権威が求められるなどとした。

 しかし人物考査は従来の「口間口答ヲ以テシ」から「口間口答ニヨルヲ本体トシ」へと後退し再度筆記試験を認めることとなった。学区制および総合考査制においては、学区制を原則として実施し、一学区内に同種の学校を含む場合同種の学校間で総合考査制をとることとした。この場合、考査委員会をつくらせ都道府県で委員を任命した。以上のように筆記試験の廃止の方向に向かいつつも完全な実現をみることができなかった。しかし、学区制および総合考査制を当時の状況のもとで実施しようとしたことは重要である。

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