四 青年団の発足

 青年集団として古くからあった若連中や若者組の組織に代わって、明治十年代ごろから、各地に新しい青年組織としての青年会、夜学会などが生まれてきていた。これらのうち、特に農村における青年会組織は、古い若者組の組織を再編しながら発展し、知識の習得、風紀の改善、農事の改良等に活躍する青年の集団としてしだいに注目を浴びてきていた。特に日露戦争を期として、これら青年会組織は、著しい躍進をみせた。これは、戦役中における青年会の銃後活動に注目した政府の勧奨によるものであった。

青年団訓令

 青年の団体に対して、文部省がこれを教育の一つの領域として考え、その活動に方策を指示する方針をとったのは明治三十八年十二月であって、普通学務局長の名をもって、地方長官に対し地方青年団体の誘掖(えき)指導ならびにその設置奨励についての通牒(ちょう)を発したのが最初である。これを契機に青年団体は著しい発達をみせ、四十三年四月二十六日には名古屋市において全国青年大会が開催され、各府県から約一、九〇〇人の青年が参集し、青年団体拡充の方策を議し、青年団規十二則や実行すべき要目十三条を協議した。この大会の開催は、全国の青年団体を統轄して強力な活動を展開しうる組織とする機運を作ったのである。そこで文部省はこれに対しさらに積極的な方策を示す必要があるとして、大正四年九月十五日内務省・文部省訓令が発せられたのである。それは当時における青年団体がどのようなものであったかをよく示している。

 「青年団体ノ設置ハ今ヤ漸ク全国ニ洽ク其ノ振否ハ国運ノ伸暢地方ノ開発ニ関ズル所殊ニ大ナルモノアリ此ノ際一層青年団体ノ指導ニ努メ以テ完全ナル発達ヲ遂ケシムルハ内外現時ノ情勢ニ照シ最モ喫緊ノ一要務タルヘキヲ信ズ(中略)抑々青年団体ハ青年修養ノ機関タリ其本旨トスル所ハ青年ヲシテ健全ナル国民善良ナル公民タルノ素養ヲ得シムルニ在リ随テ団体員ヲシテ忠孝ノ本義ヲ体シ品性ノ向上ヲ図リ体力ヲ増進シ実際生活ニ適切ナル智能ヲ研キ剛健勤勉克ク国家ノ進運ヲ扶持スルノ精神ト素質トヲ養成セシムルハ刻下最モ緊切ノ事ニ属ス・・・・・・(後略)・・・・・・」

 この訓令とともに次官通牒を発したが、そこには青年団体の設置に関する標準も指示され、それが青年団体組織を整ったものとするための基本方針となった。またこれは組織や区域・指導者・援助者・維持についても述べたのであるが、文部省はこれにかなうような団体の構成を要望した。この訓令以後青年団体の組織が進み、五年十一月三日、青年団中央部が東京に設けられて、ことに中心となる機関の成立をみることとなったのである。

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