三 通俗教育の振興

通俗教育調査委員会の設置

 明治の初頭から三十年代に至る間の社会教育に関する施策は、主として図書館、博物館などの社会教育施設の整備を中心に行なってきたが、日露戦争以後、社会教育は本格的な整備の時代を迎えた。その第一が、通俗教育の振興策であり、第二が青年団の育成策であった。

 通俗教育に関しては、十八年十二月の各局宛文部省達によって、学務局第三課は「師範学校小学校幼稚園及通俗教育ニ係ル事」を処理すると規定し、爾来、「通俗教育ニ関スル事務」は普通学務局の所掌事務として文部省官制中に規定してきた。しかし、この間通俗教育については特にとりあげるほどの方策は立てられなかった。四十年代の初頭における社会情勢の新たな変化や流動化に対処して、国家の発展に向かって、いよいよ通俗教育の整備を行なうこととなった。

 文部大臣小松原英太郎のもとで、四十四年五月十七日通俗教育調査委員会官制を制定し、通俗教育に関する事項を調査審議することとなった。また、同官制の制定と同時に文芸委員会官制を定め、文芸委員会を設けて優良な国民文学の奨励につとめたので、この方面からも通俗教育に資することとなった。

 通俗教育調査委員会は文部大臣の監督に属し、通俗教育に関する講演あるいは材料の収集または製作をすることと定め、文部次官を委員長とし、委員はその任期を三年として通俗教育全般に関する文教方策を検討することを任務とした。同年七月調査委員会は部の編成を行ない、三部に分かれて調査を行なって施設に関する事務を担当することとした。すなわち第一部では読物の編集と懸賞募集ならびに通俗図書館・巡回文庫・展覧会事業に関する事項をつかさどり、第二部では幻燈の映画および活動写真のフィルムの選定・調製・説明書の編集等に関する事項をつかさどり、第三部では講演会に関する事項ならびに講演資料の編集およびその他をつかさどることとした。これによって当時通俗教育として教育行政の一部に加えられていたものが、書籍および図書館・文庫・展覧会のような観覧施設に属するもの、幻燈・活動写真のような娯楽施設の指導に関すること、および講演会に関することであって、これらの三つが主要な内容となっていた。この後大正から昭和にかけて通俗教育がしだいに振興される際に、これらの諸内容が主要な分野を構成することとなった。

 この委員会においては、四十四年十月十日、「通俗図書審査規程」および「幻燈映画及活動写真フイルム審査規程」を定めて、通俗教育に関する行政を行なうようになった。大正二年六月十三日通俗教育調査委員会官制が廃止されて、調査審議する機関はなくなったけれども、「通俗図書認定規程」および「幻燈映画及活動写真フィルム認定規程」を設けて、従来のように書籍および娯楽施設に関する改善に指示を与えたのである。なお当時は通俗教育の施設を地方の教育家および各学校と連絡させてその効果をあげようとしていたのであって、明治四十四年八月三日東京・広島両高等師範学校に通牒(ちょう)を発して、通俗教育のために適当な事業を実施し、常にその中心となって尽カするように指示したのである。

通俗教育の拡充

 通俗教育調査委員会官制は大正二年六月十三日に廃止されたが、この廃止と同時に、文部省分課規程を改正し、図書館・博物館・通俗教育・教育会に関する事務は普通学務局第三課において一括して扱うこととした。ここにおいて従来別々になっていた社会教育に関する行政事務を一体化したのであって、明治末年から大正五年にかけての時期において、通俗教育の進展をいっそう促進することとなったのである。

 東京教育博物館は、大正三年六月東京高等師範学校に付設されていたものを、文部省普通学務局所管としたのであって、自然科学およびその応用に関する参考品と、学校・家庭・社会教育の参考品を収集してこれを公開したのである。またそこには付属図書館を設置して普通教育および通俗教育に関する書籍を集めて閲覧に供していた。なお東京教育博物館は館外貸出の方法をも講じ、広く全国の主要都市に陳列品を送付している。また特別の展覧会および講演会を開催して、広く一般に教育的な働きを及ぼしている。図書認定および幻燈映画、活動写真のフィルム認定等は引き続いて行なわれ、読書・娯楽指導の機能を発揮してきた。その他講演会等も開催され、通俗教育の方策を実施する上に大きな力となっていた。なお、これらの講演会における内容はこれを編集出版し、広く国民に対する啓発に供したのである。

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