六 幼椎園の整備

幼稚園の普及

 明治十九年に四〇園に満たなかった幼稚園は、二十年には六七園となり、毎年二〇ないし三〇の増加をみせ、二十年代の終わりには二〇〇園をこえた。この結果、三十年には、小学校の一年生に入学した児童の約一%が幼稚園を修了している。

 それ以後も、幼稚園は発達を続けたが、三十年代の終わりごろから私立幼稚園の発達が著しくなり、国公立幼稚園の発達は遅々とした状態であった。特に四十年三月「小学校令」が改正され、尋常小学校の修業年限が六年となったため、市町村費をそれだけ多くこの方面に支出しなければならなくなり、公立幼稚園の設置が財政上困難となった。さらに義務就学率の上昇が、これに拍車を加えた。

図1 幼稚園数の推移

図1 幼稚園数の推移

 公立幼稚園の増加率がにぶったのに対して前ページの図でも明らかなように私立幼稚園が急速にふえ、四十二年には、私立幼稚園数が国公立幼稚園数をこえるに至った。

 四十四年に幼稚園の幼児数等に関する制限規定が緩和されたため、大正期にはいって私立幼稚園はますます増加し、大正五年には官立二園、公立二四三園に対して、私立は四二〇園を数えるに至った。

幼稚園保育および設備規程

 幼稚園の数が増加すると、これを制度化して明確に位置づけることを望む声が高くなった。たとえば明治三十一年、フレーベル会が文部大臣にあて「幼稚園制度二関スル建議書」を提出している。二十三年の小学校令では、幼稚園に関する規則は、文部大臣が定めることとされていたが、その後これが制定されていなかったので三十二年六月、幼稚園の制度化を要望する気運を反映して、幼稚園の編制、組織、保育項目などについて規定した「幼稚園保育及設備規程」を公布した。

 この規程で、幼稚園は満三歳から小学校に就学するまでの幼児を保育するところであることを明確にした。また1)保育時数は一日五時間以内とすること、2)保母一人の保育する幼児の数は四○人以内とすること、3)一幼稚園の幼児数は一〇〇人以内とし、特別の事情があるときは一五〇人まで増加することができること、4)保育項目を遊戯・唱歌・談話・手技とすること、5)建物は平屋造りとし、保育室、遊戯室、職員室などを備えること、6)保育室の大きさは幼児四人につき一坪より小さくならないこと、7)遊園は幼児一人につき一坪より小さくならないこと、8)恩物、絵画、遊戯道具、楽器、黒板、机、腰掛、時計、寒暖計、暖房器具などを備えること、などを規定した。またその中で保育の要旨も制定した。

 この規程は、二十三年に公布された小学校令に基づき、その施行に必要な規程を定めるという形で制定された。従来は東京女子高等師範学校付属幼稚園園則を範としていたのに対して、幼稚園について初めて詳細な法的規定が設けられた点で重要な意義をもつものであった。

 この規程は、三十三年に、小学校令が改正され、その施行規則が制定されたため、小学校令施行規則のなかに加えることとなったが、その大綱は変わらなかった。さらに四十四年の一部改正、大正十五年の幼稚園令公布などに際しても、その大綱は変わらず、昭和二十二年の学校教育法の制定まで、わが国の幼稚園のあり方を法制上規定していたのである。

小学校令の改正と幼稚園

 明治三十三年八月、小学校令が改正された。その結果、幼稚園を小学校に附設することができるようになった。同時に制定した小学校令施行規則には、前年の「幼稚園保育及設備規程」が、ほとんどそのまま盛りこまれたが、その施行規則によって、幼稚園に園長を置くことを定めた。従来は、保母のほかには幼稚園設置者しか認められていなかったものである。

「小学校令」ならびに「小学校令施行規則」の改正

 明治四十四年七月、小学校令ならびに小学校令施行規則が改正された。その結果、幼稚園の保育事項は削除された。このほか、1)一日の保育時数が従来五時間以内であったのを「保育ノ時数ハ管理者又ハ設立者二於テ之ヲ定メ府県知事ノ認可ヲ受クヘシ」と改めた。また、2)幼稚園の幼児数「一〇〇人以下」を「約一二〇人以下」に、特別の場合の「一五〇人」を「約二〇〇人」に改めた。3)保母一人の保育する幼児数「四〇人以下」を「約四○人以下」に改めた。「小学校令並二小学校令施行規則中改正ノ要旨」によれば、以上のことについて、「幼椎園二於ケル保育事項等ヲ小学校二於ケル教則其ノ他ノ如ク画一ニ規定スルハ却テ保育ノ進歩発達ヲ促ス所以ニアラサルノミナラス往々ニシテ保育ノ本旨ヲ誤ルノ虞ナキヲ保セス又従来ノ如ク保育時数ヲ制限スルハ実際上不便ナルヲ以テ適宜之ヲ伸縮スルヲ得シムルノ要アリ尚従来ノ実験上幼児ノ定員ヲ増加シテ実際ノ施設ニ便ナラシムルノ必要ヲ認メタリ是レ幼椎園ニ関スル規定ヲ改正シタル所以ナリ」と述べている。この改正によって、幼稚園を設置することが容易となったばかりではなく、保育内容においても保母の創意が発揮されるようになった。

お問合せ先

学制百年史編集委員会

-- 登録:平成21年以前 --