三 官公立師範学校の発展

官立師範学校の増設

 明治六年八月十八日に大阪および宮城の官立師範学校、さらに七年二月十九日には愛知、広島、長崎、新潟に官立師範学校が新設された。これによって東京師範学校を中心として全国各大学区に七校の官立師範学校が設置され、各府県に開設されてきた教員養成機関に対して指導的教員を供給することとなった。これらの官立師範学校は修業年限を二年とし、入学生徒定員を各一〇〇人(新潟のみ四〇人)とした。修業年限二年を原則としたが、実際には課程修了の進級試験制度によって短期間で卒業する者も多かった。九年における官立師範学校の概況を見ると、教員数は七人ないし一五人、生徒数は八九人から一四八人、卒業生数は二二人から六五人という規模であった。官立師範学校生徒入学心得によれば、生徒の年鈴は二十歳以上三十五歳以下とし、学資は官給で卒業後「他途ニ出身スルヲ許サス」とし「奉事ノ年限」(服務義務年限)を定めていた。

 官立師範学校卒業生を地方に派遣することによって各府県における教員養成機関を指導する計画は緒についたばかりであったが、まもなく財政事情などによって官立師範学校をしだいに廃止するに至った。十年二月十九日、愛知、広島、新潟の各師範学校、さらに十一年二月六日、大阪、長崎、宮城の各師範学校をそれぞれ廃止することとなり、官立師範学校としては東京師範学校および女子師範学校を残すだけとなった。

府県における教員養成

 各府県においては焦眉の急に応ずるため、種々の方法を講じて小学校教員の速成に努めた。設立当時の府県における教員養成機関は、その名称、修業年限、教育内容をそれぞれ異にし、統一されていなかった。小学校教員伝習所、小学講習所、師範講習所、伝習学校、養成所、養成学校、師範研習学校などの種々の名称で呼ばれていた。修業年限は六か月が一般的であったが二、三か月から一年の範囲でそれぞれ異なっていた。したがって、多くは現職教員に対して小学校の教則および授業法についての再教育を行なうものであった。明治九年ごろからようやく各府県の教員養成機関も整備され、師範学校と改称し、修業年限を延長し、正規の教員養成に着手することとなった。なお、八年には石川県に女子師範学校が創設され、九年には岡山、富山、石川第二、十年には愛媛、石川第三など府県に女子師範学校が設置されるようになった。また、石川県の啓明学校は十年七月中等師範学校と改称したが、これは地方における唯一の中等学校教員養成機関であった。

師範学校教則大綱

 明治十二年の教育令は「各府県ニ於テハ便宜ニ随ヒテ公立師範学校ヲ設置スヘシ」と規定したが、十三年の改正教育令はこれを「各府県ハ小学校教員ヲ養成センカ為ニ師範学校ヲ設置スヘシ」と改定した。これによって師範学校を府県に必置すべきものと定めたのである。十四年八月十九日「師範学校教則大綱」が定められ、各府県の師範学校の教則がこれによって統一されることとなった。「師範学校教則大綱」によれば、師範学校は初等師範学科、中等師範学科、高等師範学科に分かれ、修業年限はそれぞれ一年、ニ年半、四年であり、高等師範学科は小学各等科の教員、中等師範学科は小学中等科および初等科教員、初等師範学科は小学初等科の教員を養成するものと定めている。初等師範学科の学科目は修身・読書・習字・算術・地理・物理・教育学・学校管理法・実地授業および唱歌・体操とし、中等師範学科はその他歴史・図画・生理・博物・化学・幾何・簿記を加え、高等師範学科はさらに代数・経済・本邦法令・心理を加えた。土地の状況によっては某学科の程度を斟酌(しんしゃく)し、農業・工業・商業・英語等を加え、女子のためには本邦法令・経済を除き、もしくは某学科の程度を斟酌し、裁縫・家事経済等を加えることができるものとした。なお学年副学科別の毎週教授時数を示す学科課程表をも掲げた。入学資格は年齢十七歳以上、小学中等科卒業以上の学力ある者と規定し、土地の状況によっては年齢十五歳以上とするもさしつかえないとした。卒業証書の有効期間を七年とし、その後は学力試験と品行等の検定の上、合格者に証書を与え高等または中等師範学科の卒業証書を有する者で七年以上勤務し、学力優等、授業練熟、品行端正な者には試験を行なわずに終身有効の証書を与えることとした。「師範学校教則大綱」に基づく師範学校整備の状況について十五年の文部省第十年報は次のように述べている。

 師範学校教則大綱頒布以来各府県教規更始ノ事次第ニ緒ニ就キ本年ニ至リテハ概ネ之ヲ実施スルニ至リシカ日ヲ閲スル尚ホ浅キヲ以テ未夕著キ効績ヲ呈スルニ至ラスト雖モ蓋其学科ノ完全ナル教授秩序ノ整斉セル亦昔日ノ比ニ非ス今ヨリ数年ヲ経過シ此教則ヲ以テ薫陶セラレタル卒業生徒ヲ出スニ至レハ全国比々善良ナル教員ヲ得ルヤ亦疑ヲ容レサル所ナリ

府県立師範学校通則

 明治十六年七月六日「府県立師範学校通則」を定めた。この通則によれば、府県立師範学校は忠孝彝倫の道を本とし、管内の小学校教員たるべきものを養成する所とし、管内学齢人員に対する入学生徒の割合を一、〇〇〇人ないし一、五〇〇人につき一人とし、教員中に少なくとも三人は中学師範学科または大学の卒業証書を有する者を任用すべきものと定めた。また生徒の学資についても、学校からこれを給与するのを本体とし、府知事・県令の意見によって、あるいはこれを貸し付けるかあるいは一部生徒について自弁させることができるものと定めた。これら「師範学校教則大綱」および「府県立師範学校通則」に基づいて、公立師範学校は著しく整備されることとなった。

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