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第2章
教育の普及と社会.経済の発展
2 わが国の教育普及の史的考察
(5) 高等教育の拡大



a 在学者数の伸びとその背景

高等教育機関の在学者数は,明治初期から中期までは横ばい状態で,あまり増加していない。当時は中等教育もまだ広く普及しておらず,高等教育機関はその数も限られていたが,国家の指導者養成という意味でかなり重視された教育機関であった。

明治30年代になると,初めて高等教育の在学者の増加傾向がみられるが,これは日清・日露戦争と相前後して起こるわが国の工業の発達が,専門的な教育を受けた人材の育成を要請し,それにこたえて明治36年(1903)以降,専門学校が整備されたことによるものである。

第1次世界大戦後の工業生産力の拡大により,高等教育卒業者の需要が増加し,国民一般の所得も増加したことなど,高等教育への進学の経済的基礎ができたことなどが要因となって,大正末期になると,学校の増設とともに在学者数は飛躍的に増加している。

昭和の初期の不況時代には,経済の停滞にともなって,在学者数も伸びなやんでいるが,昭和10年(1935)以降は,戦時下の生産力拡充の要請にこたえて,在学者数は急増している。

戦後は,第2次,第3次産業が飛躍的に増大し,大学卒業者への需要が強まるとともに,大学が制度上広く開放され,国民の生活水準の向上に伴って進学希望者がさらにふえ,在学者の数は急激に増加してゆく傾向にある。この傾向は,高等教育機関への進学率にも現われており,昭和36年(1961)4月高等教育機関入学者の該当年齢人口に占める比率は12%となり,戦前・戦後を通じて最高に達している。

図11  高等教育機関在学者数の推移

高等教育の量的発展と経済の発展を,該当年齢人口中に占める高等教育在学者数の率の伸びと,鉱工業生産指数および国民所得の伸びとの対比によってみると次表のごとくである。第2次世界大戦末期の昭和20年(1945)を例外として,ほぼ対応して発展してきている。

表10 高等教育機関在学者数の該当年齢人口に占める比率(経済指標と対比して)


b 専攻分野別の在学者数

高等教育機関の在学者数を専攻分野別にみると,いずれの分野においても,実数は伸びてきている。すなわち,昭和10年(1935)を基準とした昭和35年(1960)の倍率であらわすと,家政8.4倍,工学6.9倍,法文経3.9倍,農学3.7倍,理学1.9倍,医歯薬1.1倍となっており,家政.工学の伸びの大きいことが目だっている。専攻分野の分類を,理工系,法文系,教育・家政・その他に大別し,各年度における構成比をみると,明治の初期,幕末の蘭学の伝統で理工系が50%以上を占めていた時期を除いて,いつの時代においても,法文系は,常に50%を越える高い比率を占めていることがわかる。教育・家政・その他が,戦後特に大きくなったのは,昭和10年(1935)当時中等教育程度であった師範学校が同18年(1943)専門学校程度となり,戦後は新制大学に包含されたこと,また戦後増加した女子進学者が,家政に集中していることなどによるものである。

理工系は,最近その拡充が要求されており,工学専攻をはじめとして実数では伸びているにもかかわらず,全体としての比率が減少していることは注目しなければならない。

図12  専攻分野別の高等教育機関在学者数の推移

図13 高等教育機関の専攻系統別在学者数の構成


C 学校数の増大とその配置

高等教育機関数は,逐年増加の一途をたどっている。大正7年(1918)以後大学・専門学校が急増し,また戦後,学制改革と相まって大学が激増したことなどが,全体を通じての特徴的な傾向であろう。

国立の高等教育機関の設置については,明治の初期から計画性をもって進められ,東京をはじめとしてブロック別に徐々に設置されてきた。大正7年(1918)以後は専門学校の増設によりその数は増加していくが,これが各県に配置されるようになり,今日までこの原則はくずされなかつた。戦後新制大学を設立するときも,各都道府県1大学は必ず設立された。

表11  高等教育機関数

公立の高等教育機関は大正7年以後大きく増加したが,その後は漸増している。

私立は大正7年まで専門学校しか許されていなかつたが,その後大学も認められて増加し,昭和35年(1960)には国・公・私立全体の約2/3を占めるようになった。私立の高等教育機関では短期大学がその60%を占めている。私立の高等教育機関は主に都市に設置されて来たが戦後はとくに大都市に集中する傾向が強い。
d 学生の出身層の拡大

これら高等教育機関の学生は,どのような社会階層から出ているかを,次に検討してみたい。すでに,明治時代に指導者養成機関において,学生の出身層の幅が広くなりつつあることをみた。戦後の新制大学における学生の出身層はどうであろうか。

この問題を明らかにするため,ここでは,就業人口の社会階層別の構成と,大学生の父兄の社会階層別構成とのずれを,諸外国と比較してみることとした。

図14  各国における就業人口と大学生の父兄との社会階層別構成比

上図をみると,・各国ともA階層のいわゆる知識階層の子弟が占める比率ば,B階層の農業.工業などの労働階層の子弟のそれに比べて,ソ連以外は高くなつている。しかし,これをさらによく観察すると,これらの国々は,ソ連・アメリカ合衆国およびイギリスのようなB階層出身の学生が占める比率が比較的高い国々と,フランス・イタリア・オランダおよびスイスのように,その比率が10%あるいはそれ以下の国々と,その中間の国々に分けることができる 。

わが国についてのこの種の統計は正確なものがないが,推計によるとB階層の占める割合は,全学生の約27%である。わが国における大学への門戸は,古い伝統が根づよく残されていたり,また,学歴がなくともかなりの高所得を得られるようなヨーロッパの国々に比べると,かなり広く開放されている。しかし,学生の出身家庭の経済的理由とこれを補う育英制度の発達がじゅうぶんでないこと,さらに,農業人口の比率が高いことなどから生ずる進学環境のふじゅうぶんさなどが作用して,まだソ連やアメリカ合衆国などと比べるとB階層の子弟の占める比率がかなり低いことがうかがわれる。人間能力の開発が要請され,すべての階層からの進学が拡大されなければならない今日において,育英制度拡充がますます必要とされる。


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