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第2章
教育の普及と社会.経済の発展
2 わが国の教育普及の史的考察
(4) 教師の計画的養成


これまで,初等教育・中等教育が明治の初期から中期にかけて発展段階にはいったことをみてきたが,この普及には教員の養成と確保が必要であったことを忘れてはならない。

初等教員の養成のため,官立の東京師範学校が設置されたのは「学制」発布直前の明治5年(1872)であった。中等教員の養成はこれに少し遅れて明治8年(1875)東京師範学校の中に中学師範学科が設けられたのに始まる。

その後,初等教員の養成は公立の師範学校で行なわれるようになり,明治16年(1883)からは,府県立師範学校で養成される生徒の数については,管内学齢児童の数に応じて決めることとされた。この児童数に応ずる師範学校入学定員は国が定めたり,あるいは小学校の学級数を考慮するなど変遷はあるが,終始計画的に定められていた。

中学校・高等女学校など中等学校の教員養成は,明治19年(1886)以来高等師範学校で行なわれることになったが,その数はあまり多くなく,中等教育の普及に応じて,臨時教員養成所などが設置されている。多くの教員は大学卒業者や検定合格者から採用された。実業学校の教員は中等教員の免許状をもったもののほか,それぞれの専門の実業教員養成所で養成が行なわれた。

師範学校卒業者が教員の新規需要とどのように対応していつたかを知るために,初等・中等学校の在学者数・教員数と師範学校卒業者数の関係の推移を比較してみる。

小学校の児童数と教員数を対比してみると,在学者数は明治の中期と第2次世界大戦後に減少しているほかは,増加している。教員数もほぼこれに対応している。しかし,教員数の伸び率がやや大きい。これに対して,師範学校がまだじゅうぶんでなかった明治の初年は師範学校卒業者数は教員数の伸びを下回り,大正の中ごろから昭和9初めにかけて,大きく増加し,これに応じて教員中の有資格教員の率も増大し,明治28年(1895)の55%から,昭和10年(1935)の89%へと進展した。

しかし,その後は準戦時から戦時体制にはいり,師範学校卒業者も減少し,有資格教員の率も低下したが,戦後は,初等教員の養成も大学で行なわれるようになり,昭和35年(1960)には,有資格者は96%に達した。

中学校および高等女学校の在学者数の増加は著しく,教員数も,在学者数の増加に応じて急速に伸びている。特に伸びの傾向の著しいのは明治28年(1895)以降である。そしてこのころまで生徒数・教員数の伸びを上回って伸びてきた高等師範学校卒業者数は,この後停滞しまたは下回ることになる。すなわち中学校高等女学校の増大する教員需要に対して,高等師範学校以外に大学卒業者および検定合格者にその供給を依存するようになったことを示す 。

図10 教員養成機関卒業者数と教育段階別在学者数・教員数との関係

実業学校の在学者数・教員数と実業学校教員養成所の卒業者数の推移を比較すると,在学者数の伸びはきわめて急激であり,教員の増加も著しいが,実業学校教員養成所の卒業者数は大きな発展を示さない。この養成機関が教員の補充について補助的な役割しかしていなかったことを示している。


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