身近な科学技術の成果

 本稿では、私たちの暮らしの中において身近にある科学技術の成果やトピックに着目し、「身近な科学技術の成果」と題して紹介します。紹介する成果やトピックは、国民の身近なもの又は近い将来、身近なものになることが予想(期待)されるものを選定しました。

  1. 人工知能が俳句を楽しむ?~俳句の生成~
  2. 人工知能で仕事を効率化~文章の要約~
  3. 人工知能で誰でも作曲家になれる?~メロディ操作体験~
  4. 人工知能・ロボットに意識の存在を感じたときに私たちはどうするか
  5. ベッドの上にいながら外出を可能とする分身ロボット
  6. 外出が楽しくなる電動車いす
  7. 近視も遠視も解決する網膜直接投影技術
  8. 嫌な記憶が楽しい記憶に?~神経細胞操作で体験細胞を書き換える~
  9. スポーツマンシップを守るドーピング検査の新たな「ものさし」
  10. 私たちの生活を守るインフラ検査のハイパワーレーザーによる自動化
  11. 最強を超えた糸・ミノムシ糸の工業繊維材料化
  12. 年輪が見せる過去と未来~古気候学と歴史・考古学の融合~

人工知能が俳句を楽しむ?~俳句の生成~

協力:北海道大学

 人工知能が俳句を楽しむ?~俳句の生成~

北海道大学調和系工学研究室が開発した人工知能が作った俳句。
左のQRコードから俳人・大塚凱さんによる俳句の選評が閲覧できる。

内容

  • 俳句は日本で生まれた世界一短い定型句であり、江戸時代から現代まで多くの作品が作られています。その楽しみは、単に作品を作るだけではなく、集まって互いに作品を批評し合い、学び合いながら成長していくことにあります。
  • 見たこと、感じたことを創意工夫して短い言葉で表現し、人に伝えることに醍醐味(だいごみ)がある俳句を、北海道大学川村秀憲教授のチームは最新の人工知能の技術を用いて、生成し1、批評する研究に取り組んでいます。
  • 人工知能で俳句を生成し、批評する試みには、「強い人工知能」2を実現するために必要とされる様々な研究や技術開発が含まれています。
  • 俳句は人工知能のみでは成り立たず、人の価値観や人生観があって初めて意味をなします。本当に人の心を理解し、人のように俳句を楽しむ人工知能を実現できるのでしょうか3。これからも人工知能の研究は進んでいきます。

解説

  1. 開発された俳句人工知能:過去の俳人たちの作品7万件を教師データとして学習し、さも有り得そうな言葉の組み合わせを出力することで俳句を生成。具体的には、俳句を単語ごとに分解し、Long Short-Term Memoryと呼ばれるディープラーニングの構造に単語を順番に入力させることで俳句の文章を学習する。次に文章の音が5・7・5の17音になっているか、季語と切れ字を含むか、教師データと類似していないかをチェックし、全て合格したものを俳句候補とする。良い作品を選別するために、人の作品と人工知能の作品を見分ける真贋(しんがん)判定のディープラーニングも利用する。
  2. 「強い人工知能」:狭い領域でのみ人間の能力を代替することができる「弱い人工知能」に対して、映像や音など現実世界の物事を言葉に結び付ける技術、感情などの概念を理解し表現する技術、言葉の裏側に隠された多くの背景を読み取る技術、人がどんな物事に心を動かされるかを知る技術等が完成され、それらの機能が備わった人工知能。
  3. 「強い人工知能」の実現:人と同じように俳句を理解し、その醍醐味(だいごみ)を味わい、楽しむという経験をしていると見えるような人工知能ができたとき、その人工知能が正に人と同じ経験をしているのかどうか、については難しい問題である。(本コラム205ページ「人工知能・ロボットに意識の存在を感じたときに私たちはどうするか」参照)

人工知能で仕事を効率化~文章の要約~

協力:富士フイルム株式会社

スコアの高い文を抽出。

画像提供:富士フイルム株式会社

 図:要約手法のイメージ。類似している文同士を結び付けていく。多くの文と類似関係がある文はスコアが高くなり、スコアの高い文と類似している文もスコアが高くなる。

内容

  • 下欄の文章要約の例に用いられたのは、文章全体から重要な文を見つける手法です。まず文章を文に分割します。それぞれの文に対して重要度を示すスコアを計算し、スコアの高い順に文を抽出します。スコアを計算するために、ここではページランクと呼ばれる評価手法が使われています。ページランクはGoogleの検索エンジンに使われている評価手法で、キーワードで検索を行うとスコアが高いページから順番に表示してくれるものです。
  • 分割された文から似たもの同士を線で結び付けていくとネットワークを作ることができます。文が似ているかどうかは、文に現れる単語がどの程度似ているかで判定します。このネットワークに対し、スコアを計算します。
  • スコアが高い文には次のような特徴があります。
    • 多くの文と類似している
    • スコアが高い文と類似している
  • スコアを計算したら、その値が高い文から順に、必要な数だけ文を抽出すれば要約文章ができます。
  • ただ、重要な文を抽出する手法では文のつながりが不自然になることがあります。そこで、文を抽出する手法ではなく、大量の要約事例を学習して、要約文章を生成する研究も進められています。

人工知能による文章要約の例

 言い換えれば、SDGsの達成と科学技術イノベーションの社会実装は表裏一体であり、研究開発の成果を大学、研究開発機関、民間セクター、非営利組織(NPO)といった様々なステークホルダーの垣根を超えて結びつけ、社会の様々な課題の解決に向けて取り組むことが重要である。
我が国は、持続可能な経済・社会・環境づくりに向けた先駆者、いわば課題解決先進国として、SDGsの実施に向けた模範を国際社会に示すような実績を積み重ねてきた。(中略)
平成28年12月にSDGs推進本部が決定した「SDGs実施指針」には、SDGsの各目標について140の国内外の施策が指標とともに盛り込まれており、SDGsの首脳級フォローアップ会合が開催される2019年までをめどに、最初の取組状況の確認・見直しを実施する予定である。
これらの目標を全て達成することは必ずしも容易なことではないが、科学技術イノベーションは、その高い目標を達成するために必要不可欠な鍵であり、STI for SDGsを効果的に推進することが重要である。

 昨年の『平成30年版科学技術白書 特集』を構成する84文を10文に要約。

人工知能で誰でも作曲家になれる?~メロディ操作体験~

協力:理化学研究所
革新知能統合研究センター

 人工知能で誰でも作曲家になれる?~メロディ操作体験~

画像提供:理化学研究所革新知能統合研究センター 

左図:メロディを操作する体験ができる装置。指でダイヤルを回してメロディを選ぶこともでき、スロットマシンのようにレバーを倒すとすべてのメロディが回転して、新たな組合せのメロディとなる1。
右図:ホログラフィ表示されたマリンバ奏者。メロディを変化させると、マリンバ奏者が正確な動作で演奏する。
上のQRコードから、演奏動画を公開しているURLへアクセスできる。

内容

  • 理化学研究所革新知能統合研究センターの浜中雅俊チームリーダーのチームでは、作曲の逆の過程、すなわち、メロディがどのような手順で作成されたかを分析する技術2を開発してきました。
  • そのような分析はそもそも、音楽大学で作曲方法を学んだ後に、長期にわたり作曲をしてきた人でないとできないものでした。
  • 15年間に渡る研究の結果、ディープラーニングという人工知能技術を使うとコンピュータでもかなりの分析ができることが分かってきました。
  • メロディがどのような手順で作成されたかが分かれば、その手順を再利用することで制作過程を効率化することができます。しかし、うまく再利用するのは誰にでもできることではなく、やはり芸術家の仕事は残っていくでしょう。

解説

  1. メロディスロットマシン:GTTM分析の性能が高まり、完成すると、音楽初心者でも、保存されているメロディの制作手順を再利用することで、メロディ操作がより簡単になることが期待される。そのような体験を先取りする装置がメロディスロットマシンである。
  2. 人工知能による音楽構造分析:1983年に音楽を分析するための理論「GTTM(Generative Theory of Tonal Music)」が提案された。この理論の特徴は、メロディから構造的に主要な部分を取り出すことを考えた点である。コンピュータ上で動作する世界初のGTTM分析器は2005年に日本で作られたが、まだ性能が低く、実用化は難しい状況であった。しかし、2016年からディープラーニングを使ったGTTM分析器の制作が始められ、急速に性能が高まっている。

人工知能・ロボットに意識の存在を感じたときに私たちはどうするか

協力:金沢大学、GROOVE X 株式会社

 loveを育む家族型ロボット「lovot[らぼっと]」 肩を落として落ち込んでいるようなペンギン

画像提供(左):GROOVEX株式会社
左図:loveを育む家族型ロボット「lovot[らぼっと]」
右図:肩を落として落ち込んでいるようなペンギン

内容

  • ロボットや人工知能が意識を持つことはあるのでしょうか。そもそも、なぜ、私たちは他人に意識があると思うのでしょうか。
  • 意識には、熱いものを触った時に手を引っ込めるような働きを統御する「機能的意識」と、熱さの経験そのものである「現象的意識」の二面があると言われています1。
  • 他人の機能的意識による反応を見たときに、私たちは他人の意識の存在を感じているはずです。例えば、あなたが口角の上がった人や犬の嬉(うれ)しそうな顔を見ると、相手が「喜び」という意識を持っていると思うでしょう(上記右画像はその逆の「落胆」を感じる例)。
  • では、表情を表す機能などが人間と同じロボットを作ることができた場合、私たちはそのロボットに意識の存在を認めるでしょうか(上記左画像のlovotは、外部の状況に応じた振る舞いをし、愛を育むことを目的としたロボット2)。また、そのようなロボットを、私たち道徳共同体3のメンバーとして受け入れることになるでしょうか。
  • ロボットを道徳共同体のメンバーに受け入れるとした際に、それはどのような位置付けになるのでしょうか。こうしたことを考えなくてはいけない時代が近づいているのかもしれません。

解説

  1. 「機能的意識」と「現象的意識」:意識には、外部の状況に対しての反応を統御する「機能的意識」と、主観的で内面的な経験として他者から観測できない「現象的意識」の二面性があると言われている。「現象的意識」については、他者が同じような経験をしているかどうかさえも形(けい)而(じ)上(じょう)学(がく)的に知り得ないため、客観的証拠による科学的解明は不可能とされている。
  2. lovot:「ちいさなloveが、世界を変える。」をコンセプトにGROOVE X株式会社が開発した家族型ロボット。振る舞いは事前にプログラムされたものではなく、全身の50を超えるセンサーが捉えた刺激を人工知能で処理し、リアルタイムで動きを生み出す。
  3. 道徳共同体:複数のメンバーが属する共同体であり、各メンバーが他のメンバーと同等の権利・義務を持つ。外部の状況に応じて喜んだり落ち込んだりし、意識を持っているように思えるロボットには同等の権利・義務を与えるべきかどうか。これが研究のフロンティアとなっている。

ベッドの上にいながら外出を可能とする分身ロボット

協力:株式会社オリィ研究所

 体の不自由な方や、遠距離でも存在感を感じられるコミュニケーションを取りたい人がタブレットや目線でOriHime(黄色)を遠隔操作できる。 OriHime(青色)を使って遠隔から会話に参加している様子。

画像提供:株式会社オリィ研究所
左図:体の不自由な方や、遠距離でも存在感を感じられるコミュニケーションを取りたい人がタブレットや目線でOriHime(黄色)を遠隔操作できる。
右図:OriHime(青色)を使って遠隔から会話に参加している様子。

内容

  • OriHimeは、株式会社オリィ研究所の創業者である吉藤健太郎氏が、幼少期に体が弱かった経験から、自分が欲しかった「自分の第二の体」として開発した分身ロボット1です。
  • 筋萎縮性側索硬化症(ALS)患者など、体が動かない方が自身の分身としてOriHime(オリヒメ)を目線やワンクリックスイッチで操作することにより、意思表現、SNS、絵かき、遠隔でのイベント参加などを行うことができます2。
  • また、子育て中の保護者など、外出ができない方が、パソコンやタブレットを使ってOriHimeを操作し、勤務先に遠隔出社することができます。入院中の子供たちが、OriHimeを使って学校に登校し、授業を受けたり、友達と一緒に文化祭を楽しんだりすることもできます3。

解説

  1. 分身ロボット:“たとえ寝たきりでも、行きたいところに行け、会いたい人に会い、社会に参加できる”未来を作るため開発されたのが、分身ロボットOriHimeである。
  2. 相互の存在伝達:カメラ、マイク、スピーカー、モーターを内蔵する分身ロボットであり、インターネットを通してパソコン、タブレットから遠隔操作を行う。ロボットの目を通して周囲を見渡し、会話し、ジェスチャーで感情表現をすることが可能である。これらにより、存在感を感じられるコミュニケーションが可能となる。
  3. 活用例:据え置き型のOriHimeを利用した遠隔授業、テレワーク、難病患者の意思疎通手段として活用されている。近年は移動型の「OriHimeD」も開発中であり、公開実証実験として、寝たきりの患者などが目線などで遠隔操作し、カフェ店員としてテレワークをした事例もある。

外出が楽しくなる電動車いす

協力:WHILL株式会社、新エネルギー・産業技術総合開発機構

 横方向に回る24個の大小のタイヤが特色の低振動型オムニホイール 2017年にWHILL株式会社が製品化した電動車いす「WHILL Model C」前輪に、低振動型オムニホイールが使われている。

画像提供:新エネルギー・産業技術総合開発機構

左図:横方向に回る24個の大小のタイヤが特色の低振動型オムニホイール
右図:2017年にWHILL株式会社が製品化した電動車いす「WHILL Model C」前輪に、低振動型オムニホイールが使われている。

内容

  • 従来の電動車いすは、小さな段差や砂利道のような悪路に弱く、小回りも効きませんでした。また、そうした物理的なハードルだけでなく、車いすの利用自体に心理的な抵抗を感じる電動車いすユーザーがいます。WHILL株式会社は、既存の車いすのイメージを壊す、新しいパーソナルモビリティ「WHILL」を開発しました。
  • 同社が次に開発した「WHILL Model C」1は、前輪に24個の小さなタイヤで構成される低振動型オムニホイール2を採用し、76cmの回転半径で方向転換できます。また、日本電産株式会社と共同開発した高出力モーターによって、最大5cmの段差を乗り越え、斜度10度の坂を登ることができる走破力を実現しています。
  • 従来の電動車いすとは一線を画すデザインで、小型軽量を実現し、1人でも車への積み下ろしを可能としつつ、操作性にも優れ、悪路でも振動の少ない乗り心地を実現した、「乗ってみたくなる」「ワクワクする」パーソナルモビリティとなっています。
  • 現在、「WHILL」は世界で累計数千台が出荷されており、日本発のパーソナルモビリティが世界中で活躍することが期待されています。

解説

  1. WHILL Model C:WHILL株式会社が、新エネルギー・産業技術総合開発機構の「課題解決型福祉用具実用化開発支援事業」(2015~2016年度)に参画し、軽量で走破性に優れた電動車いすの前輪とモーターを開発、その成果を基に製品化。
  2. 低振動型オムニホイール:車軸を動かすことなく、前後左右に自由に動かせる全方位タイヤ。主に電動台車や小型ロボットなどに使われていたが、WHILL株式会社が車いす用に耐久性と振動吸収性がある技術を開発。

近視も遠視も解決する網膜直接投影技術

協力:株式会社QDレーザ、新エネルギー・産業技術総合開発機構

 視も遠視も解決する網膜直接投影技術

画像提供:株式会社QDレーザ
左上図、中央図:メガネのような外観のレーザーアイウェア、右目部分の装置から投影される。
右上図:赤緑青のレーザー光に変換された映像は複数のミラーを経て網膜に直接投影される。

内容

  • 目の疾患等により視機能が極めて弱く、メガネやコンタクトレンズでは視力矯正が困難な“ロービジョン(社会的弱視)”と呼ばれる人たちは、国内だけでも150万人を数えます。
  • ロービジョンの人たちは、ルーペなどで文字は読めたとしても、目の前の人の顔や表情が判別しづらい、一人で外出ができないなど、日常生活において不便を強いられています。
  • 株式会社QDレーザは、半導体レーザー技術や光学設計技術を応用し、この不便を軽減するアイウェアの研究開発に取り組み1、2016年に網膜走査型レーザーアイウェアを実用化しました。
  • レーザーアイウェアのフレーム内側には超小型レーザープロジェクターがあり、そこから照射された微弱なレーザー光が、複数のミラーを経て網膜に直接画像(例えばカメラで捉えた風景)を投影します。この方法ならば前眼部(角膜や水晶体)に異常があっても”見る”ことが可能です2。
  • 将来的には、視覚支援用としてだけではなく検眼装置としての活用も検討されており、ロービジョン医療だけでなく、眼科医療全体へ大きく貢献すると期待されています。

解説

  1. アイウェアの研究開発:株式会社QDレーザは、新エネルギー・産業技術総合開発機構プロジェクト「クリーンデバイス社会実装推進事業」及び「課題解決型福祉用具実用化開発支援事業」に参画し、実用化・標準化に向けたレーザー方式ヘッドマウントディスプレイの優位性の評価と要求機能の明確化やアイウェアの小型化・高画質化に取り組んだ。
  2. 網膜直接投影技術:網膜に直接画像を映すため、網膜の機能がある人ならば、装着者の視力(ピント調整能力)やピント位置にほぼ関係なく、くっきりと対象を見ることができる(フリーフォーカス)。前眼部疾患以外であっても網膜の一部に正常な部分が残っていれば、そこを最大限に使って画像を投影することもできると期待される。

嫌な記憶が楽しい記憶に?~神経細胞操作で体験細胞を書き換える~

協力:理化学研究所 脳神経科学研究センター、MIT神経回路遺伝子研究センター(当時)

 嫌な記憶が楽しい記憶に?~神経細胞操作で体験細胞を書き換える~

内容

  • 気分が落ち込む、何もする気力が起きないなどの気分[感情]障害(躁うつ病を含む)による日本の総患者数(傷病別推計)は、合わせて約127万人と推計されています(平成29年患者調査(厚生労働省))。
  • 現在、投薬や精神療法等の治療法が試みられていますが、個人差や副作用もあるため、神経細胞の特徴に合わせた治療法や創薬開発が望まれています。
  • そこで、ジョシュア・キム研究員、利根川進・理化学研究所脳科学総合研究センター長(研究成果発表当時)らの研究チームは、うつ症状の一つである「楽しかった出来事が思い出せなくなる、今まで楽しかったことが楽しめなくなる」といった特徴に着目し、記憶の書き換えに関する研究を行いました。
  • 実験の結果、嫌な体験を記憶した記憶痕跡(エングラム)を操作すると、嫌な体験の記憶を楽しい体験の記憶に書き換え可能なことが示されました1。
  • さらに同研究チームは、楽しい記憶を活性化させることで、うつ状態が改善することを確認しました2。
  • また同研究チームは、楽しい体験と嫌な体験が互いに抑制し合うことを発見しました3。
  • これらの研究成果により、より効果的なうつ病治療の手法開発につながることが期待されます。

解説

  1. 嫌な体験から楽しい体験へ…嫌な体験を記憶した海馬の神経細胞群(エングラム)を活性化すると、マウスは嫌な体験を思い出す。しかし、同じ細胞群を活性化しながら楽しい体験をすると、その細胞群は楽しい体験を記憶するようになる。一方、同じく記憶に関わる偏(へん)桃(とう)体と呼ばれる部位に同様の実験をしても、体験に対する情動(好き・嫌い)は変わらないことも判明した。これは、海馬と偏(へん)桃(とう)体とのつながりの強さを柔軟に変化させることができず、うつ症状を発症する可能性を示唆している。
  2. 楽しい体験が思い出される…楽しい体験のときに活動した海馬の神経細胞群(エングラム)を活性化させることで、楽しい記憶を人工的に思い出させることができる。これは、海馬の歯状回から偏桃体の基底外側核を通り、側坐核シェルと呼ばれる報酬や快感などに関連する領域へつながる回路の活動によるものであることが解明された。
  3. 楽しい体験と嫌な体験に対応する細胞群…扁(へん)桃(とう)体の基底外側核では、楽しい体験や嫌な体験に対応した神経細胞が異なる領域に局在し、それぞれ働きを抑制し合い、拮(きっ)抗(こう)的に働くことが明らかになった。楽しい体験又は嫌な体験をしているときに活性化する細胞の働きを抑えることで、それぞれに特有な行動が減少したのである。

スポーツマンシップを守るドーピング検査の新たな「ものさし」

協力:産業技術総合研究所

 スポーツマンシップを守るドーピング検査の新たな「ものさし」

画像提供:産業技術総合研究所

左図:定量核磁気共鳴分光法の実施に用いる核磁気共鳴装置
右図:ドーピング禁止物質の一つであるテストステロンの産業技術総合研究所認証標準物質

 

内容

  • 国際競技大会に出場する選手などが対象となるドーピング検査は、世界ドーピング防止機構(WADA)が公示するドーピング禁止物質のリストに基づいて、同機構が認定した検体分析機関が行います。尿などの検体中の禁止物質が許容濃度以下(陰性)なのか、許容濃度以上(陽性)なのかは大変重要であり、誤った結果で選手生命を奪うような事態を引き起こさないためには、濃度の分かった禁止物質の「ものさし」となる標準物質が必要です。検査のたびに使用する標準物質は医薬品と同様に使用期限があり、しかも禁止物質は数百種類にも及ぶので、WADAが毎年更新するリストに即応するのは容易ではありません。
  • このように多種類の常備が求められる標準物質を素早く提供する技術として期待されているのが、病院などで使われているMRI(核磁気共鳴画像法)を化学分析用に最適化した定量核磁気共鳴分光法です。産業技術総合研究所はこの技術にいち早く着目し、残留農薬検査のための標準物質をこれまでの10倍以上のスピードで提供してきました1。
  • 2020年の東京オリンピック・パラリンピックなどの国際競技大会でのドーピング検査への貢献を目指して、この技術を活用したドーピング禁止物質の「ものさし」作りに取り組んでいます2。

解説

  1. 平成21年度経済産業省委託事業「一対多型校正技術の研究開発」:産業技術総合研究所を代表機関として、国立医薬品食品衛生研究所、日本電子株式会社、和光純薬工業株式会社(現、富士フイルム和光純薬株式会社)、花王株式会社との連携により、定量核磁気共鳴分光法の実証研究が行われた。この成果を活用した、残留農薬検査に用いる標準物質(約130物質)が富士フイルム和光純薬株式会社から頒布されている。
  2. ドーピング禁止物質の「ものさし」作り:平成30年(2018年)7月に産業技術総合研究所 計量標準総合センターにドーピング検査標準研究ラボを設置し、ドーピング検査における分析値の信頼性向上に資する研究が始まっている。

私たちの生活を守るインフラ検査のハイパワーレーザーによる自動化

協力:量子科学技術研究開発機構、レーザー技術総合研究所、理化学研究所

 私たちの生活を守るインフラ検査のハイパワーレーザーによる自動化

画像提供:量子科学技術研究開発機構
左図:振動励起レーザーで表面を振動させ、別の振動計測レーザーで計測・解析することで、内部の空洞を従来方法に比べて約20倍の速さで検査可能。
右図:レーザー打音検査車両を用いた実証試験の様子。

内容

  • 高度経済成長期に建設された数多くのトンネルや橋(きょう)梁(りょう)などのコンクリートを使用した社会インフラは高経年化が進んでいます。そのため、保守保全作業の自動化の実用化に向け、高速・非接触・遠隔操作が可能な新しい検査技術の開発が精力的に進められています。近年、量子科学技術研究開発機構(量研)は、高強度パルスレーザーの繰り返し化技術を進め、レーザー技術総合研究所(レーザ-総研)と共同で車両搭載型の高速レーザー打音検査装置を開発しました1。
  • 量研とレーザー総研は、奈良市、大阪府、静岡県の道路トンネルでの実証実験を実施し、理化学研究所が開発を進めている画像計測システム等と組み合わせた運用により効率的なトンネル覆工面検査システムとしての完成を目指しています2。

解説

  1. 車両搭載型の高速レーザー打音検査装置:量研とレーザー総研は、屋外トンネル内で運用可能な50Hzの高強度パルスレーザーと高速レーザー計測システムをSIPインフラ維持管理・マネジメント研究において開発し、道路トンネルの覆工コンクリート面の高速検査を初めて実証した。
  2. 奈良市、大阪府、静岡県の道路トンネルでの実証実験:道路トンネル内でのレーザー打音装置の運用試験や高速検査の実証実験を実施し、社会実装を目指した研究開発を進めている。

最強を超えた糸・ミノムシ糸の工業繊維材料化

協力:農業・食品産業技術総合研究機構、興和株式会社

 工業繊維の材料として、クモの糸を超えるミノムシの糸の有用性を発見し 産業化を可能にする採糸技術の開発に成功した

画像提供:農業・食品産業技術総合研究機構

工業繊維の材料として、クモの糸を超えるミノムシの糸の有用性を発見し1、
産業化を可能にする採糸技術の開発に成功した2。

内容

  • 自然界の繊維で最強と言われているクモの糸は、革新的バイオ素材として、脱石油社会に貢献する持続可能な夢の繊維として世界中で研究されています。
  • 農業食品産業技術総合研究機構(農研機構)は、このクモの糸を超える天然繊維が、ミノムシ3が吐く糸から得られることを発見しました。
  • ミノムシの糸は、構造材料としての炭素繊維に比べ破断しにくく、熱にも高い安定性を示すことから、樹脂と複合することで、FRP(繊維強化プラスチック)としての利用が期待されます。
  • 再生医療業界では、再生医療用素材としてシルクの利用に関する研究が進められています。シルクの一種であるミノムシの糸についても、その特性を生かすことで、医療分野へ貢献できるバイオマテリアル素材になることが期待されます。
  • また、ミノムシは通常、ジグザグ状に折れ曲がった形で糸を吐き出しますが、産業利用の向上の観点から、ミノムシの習性を利用して、数百メートルの1本の糸を真っ直ぐな状態で採糸する基本技術を開発し、さらに量産化に向けて改良が進められています4。

解説

  1. ミノムシの糸の有用性:ミノムシの吐く糸が、弾性率、破断強度及びタフネスの全てにおいてクモの糸を上回っていた。この糸の力学特性と構造との因果関係については、放射光施設SPring-8の高輝度X線を利用することで解明された。
  2. 採糸技術:ミノムシは歩行するとき常にジグザグの糸を吐いて足場にする。そこで農研機構は、ミノムシを特定の経路上を歩行させたところ、ジグザグではなく、真っ直ぐなミノムシの糸を採取できることを発見した。この方法によって、ミノムシの移動距離に相当した数百メートルに及ぶ長い直線糸が得られる。
  3. ミノムシ:ミノガ科の蛾の幼虫。極地や砂漠を除いて広く生息しており、日本では約50種が生息している。カイコやクモと同様、シルクタンパク質から成る糸を吐く。
  4. 量産化に向けた改良:興和株式会社と農研機構はミノムシの糸の製品化に向けた共同研究に取り組んでいる。これにより、ミノムシの糸を利用した新たな産業の創出が期待される。

年輪が見せる過去と未来~古気候学と歴史・考古学の融合~

協力:総合地球環境学研究所

 左図:年輪研究に用いられる屋久杉の円盤。右図:近世日本の気候変動に対する人々の対応が記された古文書。

画像提供:左  総合地球環境学研究所
右  大津市歴史博物館

左図:年輪研究に用いられる屋久杉の円盤。
右図:近世日本の気候変動に対する人々の対応が記された古文書。

内容

  • 樹木の年輪幅1は、過去の気候の復元に世界で最もよく使われています。ただし、樹木の成長に適した温暖湿潤な地域では年輪幅は気候変動の影響を受けにくいため、日本では年輪による古気候の復元は難しいと言われていました。
  • しかし2000年頃に、年輪のセルロースに含まれる酸素同位体比が測定できるようになり、日本ではそれが夏の降水量と相関2、3していることが分かりました。
  • 人間文化研究機構の総合地球環境学研究所気候適応史プロジェクト(プロジェクトリーダー:中塚武教授)では、既に過去数千年にわたる日本各地の年輪セルロースの酸素同位体比を分析し、降水量を復元しています。
  • これにより、降水量の変動が日本の歴史に与えた影響の解析や、年輪酸素同位体比のパターンマッチングによる遺跡出土材の年単位での年代決定が可能になり、歴史学や考古学に新たな研究の発展をもたらすと同時に、そのデータは、未来の降水量分布を予測する気候モデルの検証にも利用され始めています。

解説

  1. 年輪:生きている木の幹は、外側に肥大成長していく。春から夏にかけては成長が速く、密度の低い、色が薄い層ができ、夏から秋にかけては成長が遅くなり、密度の高い、色が濃い層ができる。これが年輪の縞(しま)模様になる。
  2. 年輪に刻まれる記録:色の濃い層と薄い層の1セットで1年をカウントできるため、その一年の年層を構成するセルロースに含まれる酸素同位体比から、その層ができた年の空気中の水分(つまり、湿度)や、降水量がどうだったかが分かる。
  3. 酸素同位体比から降水量が分かる原理:セルロースに含まれる酸素は、光合成が行われる葉っぱの中の水に由来している。葉っぱの水は外気に蒸散する際に、軽い酸素を含んだ水から優先的に蒸散していくので、蒸散が起きやすい晴れて湿度が低い日ほど、葉っぱの水の酸素同位体比(重い酸素の軽い酸素に対する割合)は高くなり、その結果、セルロースの酸素同位体比も高くなる。このようにして、年輪が当時の水環境を教えてくれる。

お問合せ先

科学技術・学術政策局企画評価課

(科学技術・学術政策局企画評価課)

-- 登録:令和元年07月 --