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第1節 社会・国民の参画による科学技術を活かした課題達成

 1999年(平成11年)6月、ハンガリーの首都ブダペストで開かれた「世界科学会議」において、「社会における科学、社会のための科学」という21世紀における新しい科学の在り方が宣言されて10年以上が経過した。その間、我が国及び国際社会を取り巻く状況は激変し、地球温暖化、水・食料不足、資源枯渇、少子高齢化、安全・安心など多くの社会経済問題が深刻化している。我が国が、将来に向けて持続的に発展していくためには、科学技術イノベーションによるこれらの課題達成が不可欠であるが、このような課題達成型イノベーションは、研究者が地方公共団体やNPO法人、地域住民と連携することにより、はじめて社会に役立つ成果へと結び付くものである。
 本節では、このような社会的課題の達成を目指した研究開発を推進している各種プロジェクト、大学が地域住民と協働して防犯、防災、予防医療等の地域における課題の達成等に取り組んでいる先進的事例を紹介する。

1 地域社会の問題解決のための市民向け科学技術相談室

 欧州では、大学等において、市民社会の懸念(関心)に応えて、独立で参加型の研究サポートを提供する取組が行われている。この「サイエンスショップ」と呼ばれる取組は、1970年代にオランダの学生運動から生まれたもので、欧州だけで現在70か所以上で実践されており、近年はアフリカやアジア(中国・韓国)にも拡大している。米国では1960年代から「コミュニティ・ベイスト・リサーチ(CBR)」という同様の活動が行われている。
 我が国では平成17年度以降、幾つかの大学でサイエンスショップ(市民向け科学技術相談室)を開設し、社会・国民が科学技術について考え、問題を解決することを支援する活動等を進めている(第1-3-1図)。

●第1-3-1図/日本の大学におけるサイエンスショップ(市民向け科学技術相談室)の事例

●第1-3-1図/日本の大学におけるサイエンスショップ(市民向け科学技術相談室)の事例

注:熊本大学政策創造研究センターの取組は、「サイエンスショップ」と銘打った地域社会貢献を目指す大学の活動としては、我が国初のものと言えるが、研究課題の設定やプロジェクトに参画する市民メンバーの選定については、地域社会・住民側の視点や意向を踏まえた上で、基本的に大学側が行っている点で、他大学のサイエンスショップとは異なっている。
資料:各大学のウェブサイトを基に文部科学省作成

 このように我が国でも近年、地域住民らの日常生活に密着した疑問に応えるべく、いわば科学版法律相談所として、大学の科学技術に関する専門的知識や調査能力を活(い)かした地域貢献活動の一形態としてのサイエンスショップ(市民向け科学技術相談室)が始まっている。ここで得られた成果は、相談者(ユーザー)のみならず地域社会全体に公開すべきとされる点が産学連携活動とは異なっている。また、地域住民らの疑問の解決を図るためには、今後は行政との連携を模索していく必要もあろう。

2 社会・国民との協働による科学技術を活用した課題達成活動

(1)地域の課題達成に向けた知の統合

 ―PTA等の参加による子ども防犯研究(茨城県つくば市)―

 社会が直面している様々な問題を解決していくためには、自然科学分野のみならず、人文・社会科学分野も含め活用できる知を統合して、社会における新しいシステムを構築する必要があり、このようなシステムを構築していくための技術を「社会技術」と捉えることができる。科学技術振興機構社会技術研究開発センターでは、研究者だけでなく、現場の状況・課題に詳しい様々な立場の「関与者(ステークホルダー)」と連携し、具体的な現場における社会実験を行い、PDCAサイクル(※1)の徹底を通じ課題達成に役立つ新しい成果を社会に還元、実用化することを目指して、地域コミュニティや社会に役立つ課題達成型の研究開発事業に取り組んでいる。同センターのプロジェクトとして、科学技術に関連した課題の達成に向けて、大学や公的研究機関が、地域住民やNPO法人、地方公共団体と協働して研究活動を進めていく事例も生まれている。
 その一つが、茨城県つくば市で実施されている「GPSを活用した子どもの被害防止の研究」である。
 犯罪被害は、1.犯罪を企てる者、2.犯罪の対象(子ども)、3.抑止力のある監視者の不在という3要素が同じ時間・同じ場所でそろうことにより発生すると言われている(ルーティン・アクティビティ理論)。この犯罪3要素のうち2.と3.については、地域住民が把握し、適切に対処することも可能である。しかし、現状では、子どもの犯罪被害の実態や、その前兆であるヒヤリとしたりハッとしたりする危険な出来事(ヒヤリ・ハット経験)への遭遇についての実態は必ずしも正確に把握されておらず、このため、事件が起こると一時的に過剰な防犯体制がとられるが、すぐに息切れを起こしてしまうという防犯対策上の問題があった。
 そこで、科学警察研究所を中心とする研究グループは、社会技術研究開発センターの支援により、研究開発プロジェクト「子どもの被害の測定と防犯活動の実証的基盤の確立」を実施している。本研究開発プロジェクトでは、茨城県つくば市の協力を得て、子どものヒヤリ・ハット経験の場所の調査とGPSを活用した子どもの日常行動調査の結果を組み合わせ、地域で行われる防犯活動を支援するシステムを開発している(第1-3-2図)。当該システムを用いて、小学校にてPTAや地域の防犯団体が、地元の関与者(地元企業等)の協力の下、地域住民の参加によるワークショップを開催し、地域としてどのように子どもを守っていくかの協議を重ね、親子通学体験によるヒヤリ・ハット事案の振り返りや、地域の目が子どもたちに届くような防犯パトロールの実施など具体的な防犯計画の立案・実践を行っている。
 このように、本プロジェクトでは、地域の学校や保護者・PTA、防犯団体、自治会等の地域住民が主体的に参画し、市役所や警察等の地方行政主体とも連携しつつ、情報科学、犯罪心理学、社会学等の多様な知見を融合して進められており、全国への展開方法の検討も進められている。


  1. Plan, Do, Check, Actionの頭文字をそろえたもので、計画(Plan)→実行(Do)→評価(Check)→改善(Action)の流れを次の計画に活(い)かしていくプロセスのことを言う。1950年代に、W・エドワーズ・デミング博士(Dr. William Edwards Deming)が、生産プロセスの中で改良や改善を必要とする部分を特定・変更できるようプロセスを測定・分析し、それを継続的に行うために改善プロセスが連続的なフィードバックループとなるように提案した。このため、欧米ではデミングサイクル(Deming cycle)とも呼ばれている。
●第1-3-2図/GPSを用いた子どもの日常行動の密度分布

 ●第1-3-2図/GPSを用いた子どもの日常行動の密度分布

資料:科学警察研究所犯罪予防研究室提供

(2)地域コミュニティと大学等の研究活動の協働

 ―住民参加による水害に強い地域社会の実現(熊本県熊本市)―

 熊本市の中心部を流れる白川と坪井川は、過去に何度も水害に見舞われて来た経験から、着実に河川整備が進められている。しかし近年、集中豪雨や洪水流量の増大が顕著になっているとともに、高齢化や地域コミュニティの変質などにより、地域自身が主体的に保有していた水害対応力の減退も懸念されている。
 そこで、熊本大学は熊本市と協働して、文部科学省「安全・安心科学技術プロジェクト」の経費も活用し、水害に対して安全・安心な地域社会を実現するために、地域防災情報発信システムとリスクコミュニケーション支援システムを統合化した、地域水害マネジメントシステムの構築と実践に係るプロジェクトを実施している。本研究開発プロジェクトでは、計測・収集した地域の水害情報をインターネット上で公開するなど実際に地域で運用しているほか、研究の進捗に応じて、住民参加によるワークショップや防災訓練を実施するなど、地域コミュニティと一体となってPDCAサイクルを継続的に循環させることで、地域の実情や具体的な住民ニーズを適確に把握し、これをシステム構築及び改善に反映している(第1-3-3図)。

●第1-3-3図/地域コミュニティのニーズを汲み上げる「水害リスクマネジメント手法」の実践

●第1-3-3図/地域コミュニティのニーズを汲み上げる「水害リスクマネジメント手法」の実践

資料:文部科学省作成

 このように、本プロジェクトでは、地域住民は、リスクマネジメントシステムを担う重要な構成員であるとともに、地域の実情に応じて研究実施計画自体の見直しを迫る共同研究者でもある。熊本大学では、将来的には地域自らが災害リスクマネジメントを行えるようなシステムを構築するべく、熊本市はもちろんのこと自治会や町内会等の地域コミュニティと協働してプロジェクトを進めている。

(3)市民が支える基礎科学研究

 ―市民の寄附行動に支えられた「なんてんプロジェクト」(名古屋大学)―

 科学技術コミュニケーション活動を通じて、国民一人ひとりが特定の基礎科学研究に対する関心と共感を育み、直接的に資金提供やボランティア活動を通じた支援活動を行い、基礎科学研究の直接の支援者になった事例もある。
 名古屋大学大学院理学研究科素粒子宇宙物理学専攻天体物理学研究室(福井康雄教授)では、平成7~8年にかけて電波望遠鏡(※1)「なんてん」をチリ共和国へ移設したが、その移設・運営費用2.1億円を、国の資金だけでなく、市民の募金活動への協力及び市民や企業からの寄附(市民:1千万円、企業:1億円)でまかなった。
 名古屋大学大学院情報科学研究科の戸田山和久教授らは、平成17~20年度に科学技術振興機構社会技術研究開発センターの支援により、本プロジェクトの成功要因、すなわち、市民による基礎科学研究への資金援助を実現するための諸条件の解明に取り組んだ(研究課題名:基礎科学に対する市民的パトロネージの形成)。戸田山教授らは、本プロジェクトの成功要因について、

  1. コミュニケーションを重ねていくことにより、市民側が「研究者と知的好奇心を共有して、科学研究の成果ではなくて科学研究という営みそのものを理解し、主体的に研究に援助を行うかどうかを自分で判断できる程度まで」の科学技術リテラシーを身に付けてきたこと
  2. 一方、研究者側も、「双方向的コミュニケーションの場を作り、市民と知的好奇心を共有し、自分の研究への援助を獲得できる程度まで」のコミュニケーション能力を獲得していき、両者双方が科学技術コミュニケーションの質を高めていったこと

にあると分析している。これら科学技術コミュニケーション活動を通じて、本プロジェクトに携わっている若手研究者や大学院生、大学生を中心に、研究の推進において市民の理解と支援が重要との実感を持つようになり、研究者側は、このような意味での市民とのコミュニケーションの重要性や、自らのコミュニケーション力向上の必要性を強く認識するようになってきたというのである。
 このように市民側及び研究者側が相互に変容しつつコミュニケーションの質を高めてきたことが、「なんてん」のチリ移設及びその後の支援活動の継続を支えていると言えよう。現在でも、市民からの寄附金は、「なんてん」からその役目を引き継いだ電波望遠鏡「NANTEN2」の施設運営経費の一部に充てられている。
 本事例は、正に社会・国民と研究者・技術者等の双方向コミュニケーションの進展が、地域社会の経済的利益や産業振興に直結しない基礎科学研究の推進に大きく貢献できることを示唆している。
 平成21年10月、学術・芸術分野のトップリーダーが学術や芸術が果たす役割、そのすばらしさを様々な形で広く伝えていくこと、同時にそういう活動を通じて日本社会に合った寄附の文化、社会的投資文化の形を提案することで学術や芸術を社会全体が支える風土を作っていくことを目的に、社団法人ジャパン・トレジャー・サミットが設立された(代表理事・小宮山宏)。科学技術コミュニケーションの深化により、基礎科学や学術、芸術といった分野についても、社会全体で支える環境を醸成することが期待されている。


  1. 宇宙から発せられる電波をアンテナで受信する天体望遠鏡の一つ。可視光では見えない、星誕生の現場などが捉えられる。「なんてん」・「NANTEN2」は、波長0.3-3ミリメートルのミリ波サブミリ波帯で観測している。

(4)地域住民の主体的参加によるゲノム疫学研究

   ―「ながはま0次予防コホート事業」(滋賀県長浜市)―

 滋賀県長浜市と京都大学大学院医学研究科では、市民の健康増進と医学研究発展への貢献を目的としてゲノム疫学研究(ながはま0次予防(※1)コホート(※2)事業)を進めている。具体的には、市民1万人の参加協力の下、詳細な健康診断を実施し研究用の生体試料の採取を行い、そこで得られた血液や尿、健康情報等を蓄積して長浜版バイオバンクを形成し、ゲノム解析を含む疫学研究を行うというものである(第1-3-4図)。


  1. 生活習慣等の改善により病気の予防を推進する「一次予防」という考え方を一歩進め、生活習慣等の改善を個人の体質に合わせて行い病気の予防を推進するという考え方を示す造語
  2. 特定の集団や地域における一人ひとりの生活状況や、疾病の発生状況等を長期にわたって追跡調査するもので、疾病や健康状態の原因と結果との関係(因果関係)を明らかにする研究のこと
●第1-3-4図/ながはま0次予防コホート事業(長浜プロジェクト)の概要

●第1-3-4図/ながはま0次予防コホート事業(長浜プロジェクト)の概要

資料:滋賀県長浜市提供

 通常、大学等がゲノム疫学研究を実施する場合、研究実施者である大学等が、協力者への試料提供を働きかけるのが一般的であるのに対して、本プロジェクトでは、「当該プロジェクトを活用して地域の健康づくりを進められないか」と考えた市民たちが、NPO法人健康づくり0次クラブを結成。「健康づくりのつどい」や「健康フェスティバル」等を開催し、当該研究への協力を市民に呼びかけている。
 また、長浜市では、生命倫理の専門家や法律の専門家、研究者、医療従事者に加えて、公募による市民代表を加えた「ながはまルール策定委員会」を設置し、個人情報保護等において、長浜市民が安心する形でゲノム疫学研究を進めていけるよう、新たな条例制定を含む独自の「ながはまルール」を策定した。ながはまルールの最大の特徴は、研究を進めるに当たって、大学内部の倫理委員会だけでなく、長浜市としても、市民代表が参加する「ながはま0次予防コホート事業審査委員会」を設けていることにある。これにより、市民の声を研究にも反映できるなど、長浜市民は単なる受身的な研究試料提供者ではない形となった。
 このように本プロジェクトは、京都大学、長浜市及び市民が、それぞれの立場を尊重しつつ、役割分担・協働することにより、最先端のゲノム疫学研究の推進が図られており、いわば科学技術ガバナンスが適切に機能して進んでいる事例と言えよう。

【コラム12】 「ながはま0次予防コホート事業(長浜プロジェクト)」実現の鍵を握った長浜市民の積極的な関与

 京都大学が長浜市に疫学調査を打診してから5年強が経過し、平成22年11月末にはついに、本プロジェクトへの市民1万人の参画という当初の目標が達成された。
 長浜市は、琵琶湖の北に位置する人口約12万人の地方都市であり住民移動も少なく、大規模な集団を対象とした長期間の追跡調査(コホート研究)に適した都市であった。市民による1,000人献血運動の実績や健康推進員というボランティアが市内各地で活躍するなど、市民が音頭を取って物事を進めていく土壌のあるまちでもあった。基幹病院(市立長浜病院、長浜赤十字病院)の存在や京都からほど近いという立地上の利点もあり、ここに白羽の矢が立ったという。
 とはいえ、ここまでの道のりは必ずしも平坦なものではなかった。1万人の参加者を募るに当たっても、健康づくり0次クラブ理事長の辻井信昭氏らは、各地域の自治会や町内会等を回り、直接、市民らに働きかけるという手間のかかる方法を採った。研究実施者である京都大学による講演会やサイエンスカフェの開催に加えて、市民代表らが市民に対して自分達の言葉でゲノム疫学研究について語ることで、当該研究への市民の認知度を高めるという手法を採ったのである。辻井氏は、「このプロジェクトは、10年間で終わらせるのではなく、30年、50年と続けてこそ意味があるもの。継続のためには市民の理解と協力が不可欠。上(お役所や企業役員等)から言われてやるのでは一過性で終わってしまいかねない。少々の手間がかかっても、地道に市民に働きかける方法を採ろうではないか」と呼びかけたと述懐しているが、このような草の根的な市民運動が功を奏したと言えよう。途中、「ながはまルール策定委員会」での議論が紛糾した時期もあったが、市民側にも強い支持があったので乗り越えることができた。これらの議論を通じて、我が国で初めて、採取した試料を有効に活用できるスキームを市民が安心できる形で実施していくための、独自の条例制定を成し遂げ、市民の健康づくりを前進させた意義は大きい。

 これまで見てきた地域での取組は、まだ緒に就いたばかりであるが、いずれも地域住民が課題達成を目指して科学技術に関する諸活動に主体的に関わり、大学、公的研究機関等の研究者らと同じ地平で活動している。今後は、類似の事例が各地で進展していくこと、さらには全国規模、地球規模の課題達成をも目指して、研究者・技術者と社会・国民が協働して、科学技術に関する活動に取り組んでいくことが期待される。

お問合せ先

科学技術・学術政策局科学技術・学術戦略官付(調査・評価担当)

(科学技術・学術政策局科学技術・学術戦略官付(調査・評価担当))

-- 登録:平成23年10月 --