ここからサイトの主なメニューです

ダウンロード/印刷用(PDF:2,785KB)]

第2章 新たな社会を切り拓く科学技術

第1節■人口構造の変化に対応した科学技術

要旨
 少子高齢社会を迎えている我が国にとっては、子どもを健やかに生み育てるとともに、生涯にわたり健康を維持し、人々の潜在的な能力を最大限に伸張することが重要である。そのためには、生命現象と様々な疾病の機構を解明し、疾病の予防・診断・治療や、諸機能の発達につなげていくことが必要である。また、高齢者の自立と社会参加を助け、介護者の負担を軽減するためにより有効な福祉用具などを開発するとともに、IT(情報技術)を活用したテレワークや生涯学習の一層の活用などにより、育児と仕事の両立、活力のある高齢者の社会への貢献などを引き出し、現在よりもバランスが取れた働き方を実現していくことは、少子高齢社会における負担の分散化の面のみならず、家庭と職場の関係を変えることにより少子化の流れを変える上でも有効な手立てとなりうる。
 また、少子高齢社会における社会インフラは、子育てをしている人や高齢者などの社会参加を促すものであることが求められる一方、経済の成熟期にふさわしく、永く有効に使える、質の高いものであることが必要である。そのため、長寿命で耐久性があり、リサイクルしやすい材料、効率的で丈夫な工法、長期にわたる安全確保のための維持管理手法などを開発しなければならない。
 一方、科学技術の発展に伴う人間活動の拡大は、地球環境への負荷と、安全面の脆(ぜい)弱(じゃく)性を高める側面があった。安全で安心できる社会は国民の希望であり、とりわけ社会的弱者になりやすい子どもや高齢者にとって重要である。また長期的な観点からは、環境と人間活動の調和、エネルギー等の資源の確保も安全で安定的な生活には不可欠である。このため、様々な潜在的なリスクについて未然に知り、適切な予防策や対応策を立て、迅速で効果的な事後策を講じることが必要であり、様々なレベルの観測・予測、探知、被害防止・軽減、緊急対応のための技術開発を行うとともに、持続的な開発を支える代替エネルギー源や省エネルギー技術の開発等を進めねばならない。さらに、製品の生産履歴情報の把握など、信頼できる情報提供とコミュニケーションの成立を支えるシステムの開発に対しても社会的な要請がある。
 以上のような社会の要請に応えるため、このような要請と相互作用しながら基礎から応用までの幅広い研究開発を進め、その成果をイノベーションを通して社会の変革につなげていくことが必要である。

1.生涯にわたる健康のための科学技術

 厚生労働省の調査によると、平成17年(2005年)には100歳以上の人が2万5,000人を超えた。大正9年(1920年)に実施された第1回の国勢調査では、100歳以上の人はわずか113人であり、この85年間で200倍以上に増えたことになる。1921〜1925年には男42.1歳、女43.2歳であった平均寿命は2倍近くに伸び、平成16年現在男78.6歳、女85.6歳と世界トップクラスとなっている。
 この大幅な平均寿命の伸長には、科学技術の発展によりもたらされた医療水準、栄養や衛生状態の向上が大きく貢献している(第1-2-1図)。総じて、現在の子どもは、昔の子どもや青年の命を奪った結核等の感染症その他の病気に煩わされずに成長することができ、また高齢者も同じ年齢で比較すると昔の人より良い健康状態を保っている。
 しかし、少子高齢社会を迎えている我が国が今後個人の生活の質と社会の活力を維持・向上していくために、国民の健康に関して大きく三つの課題がある。第一は子どもを希望する国民に、安全で健康的な出産が可能になるようにすること、第二は子どもが健全に育つのを助けること、第三は、高齢者がその長い生涯の最後まで健康であり続け、活力を維持できるようにすることである。
 これらの課題に対する科学技術の役割について、以下に概観する。

第1-2-1図我が国の死亡原因に関する疫学的変遷

(1)子どもを生み育てやすい社会づくり

 平成14年の国立社会保障・人口問題研究所の「出生動向基本調査」によれば、夫婦にとって理想的な子どもの数の平均2.56人に対し、実際に持つ予定である子どもの数は平均2.13人となっている。予定している子どもの数が理想的な子どもの数を下回る夫婦について、更にその理由を妻に尋ねたところ、子育てや教育の費用負担を挙げるものが最多であった。また、同調査で対象となった夫婦のうち、子どものいない夫婦は12.7パーセントであったが、うちその約半数が不妊を心配したことがあり、更にその過半数が実際に不妊に関する検査や治療を受けたことがあると回答している。
 平成16年版の少子化社会白書では、出生率の動向などを分析し、未婚化、晩婚化や晩産化が進展し、1990年前後に結婚した夫婦から妻が産む子どもの数の減少傾向が認められるとし、その背景として、仕事と育児の両立を支える環境整備の遅れや高学歴化、結婚・出産に対する価値観の変化、子育てに対する負担感の増大、経済的不安定の増大等を指摘している。このように出産の動向に与える影響は、いつ結婚し、子どもを生むかという判断によるものが大きいと考えられる。この関連で科学技術ができることは限られているが、仕事と育児の両立の環境整備を社会的に進める上で、テレワークや、育児休業期間や再就職前の遠隔学習などにITが一部貢献できるものと考えられる。これらについては、別途後述する。
 不妊治療を受けている人は、厚生労働省の平成14年度の研究によれば約46.7万人と推計されている。特に生殖補助医療のうち体外受精・胚移植技術は、1978年(昭和53年)に英国で、昭和58年(1983年)には我が国で最初の体外受精児が誕生して以来急速に普及し、平成15年には日本産科婦人科学会に登録されている648施設で、約6.8万人が体外受精・胚移植等を受け、約1.7万人の子どもが生まれているという報告がある。生殖補助医療は不妊に悩む夫婦を助けてきたが、その技術は個々の医療機関にゆだねられてきたのが実情であり、着床率の向上などの技術上の改善のほか、体外受精やその応用治療の科学的な根拠と限界を明確にした上での情報提供、新しい不妊治療の医療的側面だけでなく精神的支援も含めた安全な提供、多胎による女性の健康への問題、生命倫理への対応などの解決すべき課題がある。

(2)子どもの健全な育成のために

●子どもが健やかに育つための医療技術の向上
 我が国における、周産期死亡率(注)、新生児死亡率、乳児死亡率は世界でも有数の良い水準にある。また、妊産婦の死亡についても、欧州の一部の国には及ばないものの先進国並みの水準である(第1-2-2表)。
 乳幼児や小児、青年の健康や成長、発達等を扱う小児科学(pediatrics)は、小児の健康問題は成人の健康問題とは異なり、また疾患とストレスに対する小児の反応は年齢によって様々であるという認識が高まったことに応じて、1世紀以上前に医学分野の一つとして誕生した。20世紀初頭明治37年(1904年)の段階で、我が国における新生児死亡率、乳児死亡率はそれぞれ73.9、151.9(出生千対)に上ったが、100年後の平成16年(2004年)にはそれぞれ1.5と2.8(同)と劇的に改善された(第1-2-3図)。この変化は感染症の予防や治療、その他の科学技術の進歩によってもたらされたが、この結果、小児医療は比較的患者の少ない疾患にも広く注意を向けるようになっており、小児がんを含む難病、内分泌疾患を含む代謝異常症、喘息、アトピー性皮膚炎などのアレルギー疾患などの仕組みを解明するための研究と、治療法の開発などが行われている。
 また、少子高齢社会では長い生涯にわたる健康を支援するため、小児がん患者のその後のがんの罹患率の調査等のフォローアップ研究も重要になることから、小児慢性疾患患者のデータベースの構築に向けた研究も開始されている。協力者の同意に基づく情報の利用や適切な情報管理を行う仕組みを構築し、データベースに登録される情報が充実することにより、将来の小児医療の発展に寄与することが期待されている。

第1-2-2表周産期死亡率、乳児死亡率、妊産婦死亡率の国際比較

第1-2-3図母子保健関係指標の推移

 周産期死亡とは、厚生労働省「人口動態統計」では、妊娠満22週以後の死産と早期新生児死亡(生後1週未満の死亡)を合計したものをいう。国際的には、妊娠28週以降の死産と早期新生児死亡で比較される。

●脳科学研究からの取組
 資源の乏しい我が国にとって、個々人の能力を最大限に発達させることは最重要課題である。少子高齢社会を迎え、生涯を通じた学習・教育が一層重要になるが、特に乳幼児期は、考え、感じることの基本となる神経回路の基盤が構築される大切な時期である。テレビやインターネットなど科学技術の発展により生み出される様々な人工物が人々の生活環境や行動様式を大きく変える中、このような変化が子どもの成長に与える影響についての関心も高まっている。
 一方、近年の脳科学の進展により、ヒトの学習・教育の仕組みに生物学的手法で迫ることが可能になりつつある。機能的磁気共鳴描画(fMRI)などの脳機能イメージング技術の進展により、人間の脳の働きの実証的な研究が可能となるとともに、ヒトの知的活動に関与する遺伝子の同定が進み、マウスなどのモデル生物を用いて行われている分子生物学等の進展と相まって、知的能力に対する遺伝子と環境の影響を解析する研究が発展しつつある。生物学的観点から見れば、「学習」は脳が環境からの刺激に適応し、自ら情報処理神経回路網を構築、あるいは改編する過程であり、「教育」は神経回路網構築・改編に必要な刺激を制御・補完する過程であるといえる。
 ヒトの脳は、変化する不確実な環境の中で適応しながら進化してきた。脳は意欲や情動(感情)を持ち、これらが記憶や学習とも様々な相互作用を行っている。「ああ、そうか」というひらめきとともに上記の学習が成立する場合もあり、創造力・洞察力を備え、他者の感情や発言の文脈を理解・共感し、思いやりの心を適切な行動で表すことができるなど、人間の社会生活を成立させている重要な脳の働きについて、科学的・実証的根拠を基調とした研究が進めば、心身ともに健康な人間を育む上で重要な知見が得られるであろう(第1-2-4図)。
 以上のような観点から、平成12年、我が国は世界に先駆けて、「脳科学と教育」という学際的・融合的な領域を立ち上げ、研究を進めてきた。自然科学と人文・社会科学の壁を越えて、脳科学・発達心理学・行動学・言語学・教育学など多くの異分野が融合し、高次脳機能計測や各種情報技術を用いた研究が進められており、教員など教育に直接携わっている人々と科学者の共同作業を通じて現場で蓄積されてきた知識・知恵を実証的根拠を基に体系化する試みが始まっている。一例を挙げれば、不登校状態は自律神経・ホルモン分泌・体温調節・睡眠覚醒機能などの生体リズムの変調が大きな要因の一つである。この状態が持続すれば認知機能や判断力などの高次機能までも障害を受けることが脳機能イメージングや生理学・分子生物学的手法により、次第に明らかになりつつある。これらの知見をもとに高照度光治療などの治療法の開発や、不登校状態に至る生活条件の解明等が進められており、実社会に適用が試みられている。さらに、人間の心の成長に視点を置いた脳の発達の原理やメカニズムの解明を目指したより基盤的な研究も開始され、臨界期(経験や学習によって脳の機能変化が起こりやすい時期)のメカニズムを世界で初めて分子レベルで明らかにし、薬理学的に操作することに成功するなどの成果が得られている。将来的には、言語や社会性の獲得などとの関連性が明らかにされると期待されている。また我が国は、OECD(経済協力開発機構)が進めるプロジェクトのうち「脳の発達と生涯にわたる学習」の中核として、世界中の脳科学研究者と教育関係者が参加するネットワーク会議を開催してきた。この取組は、脳科学者と教育関係者が対話をしながら教育現場の問題を特定して脳科学で解決する、あるいは脳科学に別種の展望を与えることを目標としており、今後、脳科学にも教育にも造詣が深い人材の育成を含め、脳科学と教育を橋渡しする仕組みづくりが求められている。
 上記のような研究を進め、実社会への還元を図る上で、脳神経倫理学は極めて重要である。研究に参加する人々の意思をどう確認するか(インフォームド・コンセント)という研究の進め方に加え、得られた知見についても様々な角度から検証して、明らかになったことと、そうでないことを明確にして社会に発信することが重要である。また、将来的には、人の考えていることが外部から読み取れるようになった場合にその技術の取扱いはどうするか、例えば機能を改善できる薬ができればだれがそれを使えるのかなど、新たな課題が生じうる。このような点も踏まえ、幅広く多様な関係者と意見交換をしながら、個人の生活と社会をより豊かなものにできるように進めていく必要がある。

第1-2-4図知的学習時の海馬の活動

(3)高齢者の健やかな老いのために

 総務省統計局「推計人口」によれば、平成16年(2004年)10月1日現在の65歳以上の高齢者、75歳以上の後期高齢者は総人口のそれぞれ19.5パーセント、8.7パーセントを占めている。平成14年の国立社会保障・人口問題研究所の推計では、2030年にはこれらの割合がそれぞれ29.6パーセント、17.8パーセントになると予測されている。少子高齢社会において、高齢者が健康で自立できる状態を保つことは、国民の生活の質を向上するとともに、社会の負担を軽減するために重要である(第1-2-5図)。このような観点から、がんその他の生活習慣病や、要介護状態を引き起こす骨折、認知症などの予防・診断・治療につながる研究開発を進める必要がある。以下、主な疾患に関する研究開発の動向について述べる。

第1-2-5図介護が必要となった理由

●がん
 昭和56年以来がんは日本人の死亡原因の第1位である。高齢化の進展とともにその患者数は増加し、近年は年間30万人以上ががんで亡くなり、死因の3割以上を占めている。がんの制圧は人類共通の課題であり、米国をはじめ諸外国も重点的にがん研究に取り組んでいる。我が国の研究者は、1910年代における世界初の発がん実験の成功をはじめ、がん研究において一貫して重要な役割を果たしてきた。政府も重点的な支援を行い、特に昭和59年度以降「対がん10か年総合戦略」、「がん克服新10か年戦略」に基づき研究を推進してきた。
 1980年代初め以降、ヒトのがんの増殖に関わる遺伝子が次々と発見され、これらが生物界に広く存在し、本来は正常細胞の増殖・分化などで重要な役割を担っていることが分かった。さらに、一つのがんができるのに、数種のがん遺伝子、がん抑制遺伝子が次々に変異を重ねること、DNA修復機構の異常があることなどが分かってきている。このような知見は、がんの予防、診断、治療にも応用され、実際大きな成果を上げつつある。例えば、九州地方に多いあるタイプの白血病の原因ウイルスを突き止め、主要感染経路を抑えることで、感染を劇的に減らせることを示した。
 がんの診断・治療に関する研究は、分子レベルでのがん診断や分子標的治療(注)、免疫療法(注1)などの開発研究が急速に進展している。早期診断に有効なヘリカルCT(注2)の開発や難治がん治療が可能な粒子線治療施設などの医療機器の開発も世界に先駆けて行われ、成果を上げてきた。また、がんの疫学研究やがん情報の基盤整備は、食事の欧米化など生活習慣の変化に伴うがん罹患率の変動状況を明らかにし、がん予防における環境要因の重要性を示してきた。
 これまでの研究で多くのことが明らかにされたものの、正常に働いていた細胞がどのようにがん化、増殖し、周囲の細胞を侵し、転移し、免疫をのがれるのかといった、がんを発症する機構の全容は依然解明されていない。また、すい臓がんなどの治療の難しいがんが依然として存在するなど、がんの予防、診断、治療法等の更なる向上が必要である。
 がん対策を一層有効に推進し、国民全体の利益に効率良くつなげていくため、平成16年度からの戦略として「第3次対がん10か年総合戦略」が策定された。同戦略の下、がんによる死亡率の減少、がん患者の生活の質(QOL)を維持することを目的に、超早期診断のための分子イメージング研究などの技術開発とともに、研究室で得られた基礎研究の成果を積極的に予防・診断・治療等に応用するトランスレーショナル・リサーチ(第1-2-6図)を推進し、個々人の体質に応じたオーダーメイド医療を進めるなど、がんの予防と早期診断、治療法の向上を目指した研究が行われている(第1-2-7図)。

第1-2-6図トランスレーショナル・リサーチ

 分子標的治療:従来の抗がん剤は、がん細胞と正常細胞を区別する力が乏しく、多くの薬物有害反応が生じていた。分子標的治療は、がん研究の成果を活かし、がん細胞だけが持つ分子レベルの特徴を標的とした薬を用いる新しい治療法で、白血病、乳がん、肺がんなどにおいて、有効な治療手段となりつつある。
注1  免疫療法:がんに特徴的な様々な「腫瘍抗原」を目標として、免疫系が腫瘍細胞を攻撃し、また腫瘍細胞が免疫からの攻撃をのがれようとする働きを抑えるよう、免疫に関与する様々な細胞や分子を用いて免疫機能を目的の方向に導くことで、がんの治療を行う方法。
注2  ヘリカルCT:X線で物体(身体など)を走査してコンピュータ処理し、内部構造を輪切りにした画像を構成する装置がCTである。ヘリカルCTは寝台を動かしながららせん型にX線を当てて撮影を行うCTであり、通常のCTより短時間に高精度の画像を得ることができ、見つけにくい肺がんなどの早期診断等に効果がある。

●循環器系疾患
 循環器疾患である心臓病や脳卒中は、がんとともに三大生活習慣病とされている。
 平成16年度の厚生労働省の人口動態統計によれば、心臓病と脳卒中は日本人の死因のそれぞれ約16パーセント、約13パーセントを占めている。心臓病の代表的なものである心筋梗(こう)塞(そく)は、心臓の筋肉に血液を送り込む血管が詰まることにより、心筋細胞の一部が死に至って、心臓の機能が損なわれる病気である。また、脳卒中は脳の血管が詰まったり、破れたりして起こる病気であるが、命をとりとめても、障害が残り、生活に不自由を来すことが多い。
 これらの循環器の病気には動脈硬化が関係することが多い。動脈硬化は、以前は血管表面に脂肪分の多い塊が次第に蓄積して起こると考えられていたが、最近の研究の結果、脂肪分の多い塊は血管壁の内部に蓄積していき、それが破裂することが血液の塊(血栓)を作り、心筋梗塞等の発作を起こすが、その過程で炎症が重要な役割を果たしていることが分かってきた。この知見は既に実際の手術器具にも活用されており、今後も研究の進展により、新たな診断や治療法の開発につながるものと考えられる。
 また、心筋梗塞の遺伝的要因を網羅的に探す研究が行われており、関連遺伝子が分かれば、その機能を制御する薬の開発や、各個人の遺伝子を調べることにより、発症・再発を予防するための投薬や生活習慣へのアドバイスに役立てることが期待される。

第1-2-7図近未来の病院像

●糖尿病
 我が国で糖尿病の状態にある人は約700万人、その予備軍を含めると倍程度に上ると推定されている。糖尿病には子ども時代に始まるものなどいくつかの種類があるが、全体の95パーセント以上が中高年に多く見られる2型糖尿病である。この糖尿病にかかることで、手足のしびれや壊疽(えそ)、糖尿病腎症、失明などの合併症を起こしたり、動脈硬化や自律神経の失調になりやすくなる。糖尿病により直接死に至る場合に限らず、様々な合併症を起こすことや闘病期間にかかる医療費の面でも社会への影響は大きい。
 糖尿病は、体中の細胞のエネルギー源であるブドウ糖が細胞に取り込まれず、血中濃度が高いままの状態であり、これが全身の血管の状態を悪化させることで、上記の様々な症状を引き起こす。血中のブドウ糖濃度はすい臓で分泌されるインスリンによって調節されており、糖尿病はインスリンの分泌が減少するか、効きが悪くなることにより起きると考えられている。肥満は糖尿病の危険度を増す要因であり、糖尿病には食事療法や運動療法が必要であるが、併せてインスリンの分泌促進、効き目の向上をもたらす薬も開発され、使用されている。インスリンの分泌を十分高めることのできない患者には、遺伝子組換え技術により製造されたインスリンの投与が行われている。これは、牛や豚から抽出していたものと比べ、副作用が少なく、安価なものとなっている。

●骨・関節疾患
 骨・関節疾患に悩まされる患者は多い。我が国の通院比率が高い疾患、上位10疾患のうち、三つが骨・関節疾患であり(平成13年厚生労働省国民生活基礎調査)、今後の高齢化の進行により一層の増加が懸念されている。骨・関節疾患による運動器の障害は、特に生活の質に大きな影響を与えるが、米国における対策経費の推計が約26兆円(1995年)に達するなど、社会に対する負担も大きい。これは全世界的問題であり、WHO(世界保健機関)も2000年からの10年を「運動器の10年」と位置付けて、その対策に取り組んでいる。
 骨・関節は生涯を通じて、外界からの刺激に反応して、破壊と形成を繰り返している。骨・関節疾患は遺伝的要因(複数の感受性遺伝子)と環境要因(運動、食事、体重の負担など)の影響により、この代謝過程に異常が生じることにより発症する多因子遺伝病であることが近年の研究で分かってきた。我が国で患者が1,000万人を超える骨粗しょう症に関しては、この代謝過程に働きかける抗骨粗しょう症薬などがあるが、まだ多くの患者を満足させるものではない。動物実験では骨を破壊する細胞をねらい討つ物質が我が国で発見されており、今後副作用の少ない薬の実用化に向けた取組が期待されている。
 また、他の骨・関節疾患については、ほとんど有効な治療法がないのが現状である。この状況を打開するために、我が国で約700万人の患者がいる変形性関節症や、腰痛、座骨神経痛の最大の原因である椎間板ヘルニアなどについて原因遺伝子の解明が進められている。今後突き止められた遺伝子の機能解析が行われ、効果的な治療への応用がなされることが期待されている。

●アルツハイマー病
 認知症を引き起こす代表的な病気であるアルツハイマー病は、脳の神経細胞が長い時間をかけて死んでいく病気である。85歳以上では5人に1人が発症するといわれるなど、高齢化の進展に伴う患者の増加が懸念されている。以前はこの病気が発症する仕組みはよく分かっておらず、神経細胞の死を防ぐのではなく、これらの神経細胞間での情報伝達を促進する薬による対症療法が行われてきた。近年、神経細胞の損傷に関与すると考えられているベータアミロイドとタウタンパクという物質の生成・分解などの機構についての研究が急速に進んでおり(第1-2-8図)、研究成果を基にそれらの物質を制御する薬やワクチンの開発が試みられている。

第1-2-8図アルツハイマー病マウスの生体イメージング

(4)生体システムの基盤的研究やナノテクノロジー等の健康面への貢献

●免疫学の医療への適用
 免疫系は生体の監視・防御機構である。免疫系は体内に侵入してくる細菌・ウイルスなどの病原体のみならず、生体内に生じたがんなども異物として認識し、様々な細胞や分子によりそれらを破壊・排除して、体の状態を一定に保っている。免疫系が適切に働くためには、その攻撃の対象を正確に選び、適度な調節を行う必要があり、ヒトの免疫系では多種多様な細胞と分子群からなる複雑で巧妙な仕組みが発達している。
 しかし、青年期以降加齢とともに免疫機能は低下し、様々な免疫疾患や感染症にかかりやすくなる。高齢化の進展とともに、関節リウマチなど自己免疫疾患(注)の増加も懸念されている。北里柴三郎に始まる我が国の免疫学は、世界をリードし、免疫系情報伝達システムの解明などで大きな成果を上げてきたが、免疫系は非常に複雑なネットワークであり、いまだに不明なことも多い。
 自己免疫疾患の治療薬も開発されているが、免疫系は複雑な仕組みであり、広範に免疫を抑えれば逆にがんや感染症にかかりやすくなるなどの別の問題が起きる。免疫系の仕組みをより詳細に解明することで、よりねらいを定めた、副作用の少ない治療法の開発につながることが期待されている。

 自己免疫疾患:本来細菌・ウイルスや腫瘍などの自己と異なる異物を認識し排除するための役割を持つ免疫系が、自分自身の正常な細胞や組織に対してまで過剰に反応し攻撃を加えてしまうことで症状を来す疾患の総称。

●再生医療等の先端技術
 発生生物学とは、多細胞生物が受精卵から細胞分裂、分化を繰り返して個体になる過程(発生)を中心に、失われた組織を復旧する再生や老化の過程をも対象とする学問である。この発生生物学の進展の結果、脊髄損傷、心筋梗塞等の現在の医療では治療の難しい難病・生活習慣病に対しても、細胞移植や組織移植による再生医療の可能性が開けてきた。
 また、ナノテクノロジーを活用して、強く、生体になじみやすく、組織再生を促す物質などを徐々に放出するなどの特性を持った人工骨や人工靭帯、細胞とナノ生体材料を複合化した人工すい臓や人工肝臓などの人工臓器、治療の難しい病気や遺伝子治療などのため、薬剤や遺伝子などを体内のねらった場所に導入するためのナノ・ドラッグ・デリバリー・システムなどの開発が進められている。

●基盤的研究
 2004年10月、日本を含む6か国の研究センター等が構成する国際ヒトゲノムシークエンシングコンソーシアムは、ヒトゲノムの高精度配列の検証と解析を行った結果、ヒトの体を作り上げているタンパク質の構造を規定する遺伝子の数を約2万2,000個と発表した。この予想をはるかに下回った数は、DNAを雛形にして読み取られてできるRNAが、さらにタンパク質を作る際の雛形となるという以前から知られていた役割以外に、多彩な機能を持っているという極めて興味深い新たな発見を導いている。
 ゲノムについて、ヒトとチンパンジーの違い、長寿の人と普通の人の違いなどを比較することによりそれらの機能の違いの背景を探る研究、生物が受精卵から体を作り、老化をしていく様々な段階でどのようなRNAを作り、それらがどのような働きをしているかを調べる研究、体を作り上げるとともに、生体内で様々な機能を果たしているタンパク質の立体構造を調べる研究、そしてコンピュータなどを活用し、これらの様々な要素の振る舞いを全体的な生命のシステムとして理解する研究などが、分析技術など必要な基盤技術の開発とともに進められている。
 これらの研究は、大学等で進められている分子生物学、細胞生物学、発生生物学、免疫学など様々な研究の基盤となる知見を提供しつつ、ともに生命現象の理解を進めるものであり、様々な病気の原因解明や治療薬の開発等を支える役割を果たしていくことが期待される。


前のページへ 次のページへ


ページの先頭へ   文部科学省ホームページのトップへ