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第1部   これからの科学技術と社会
第2章 社会のための科学技術のあり方
第3節 新たな技術の社会への適用
2.  科学技術の倫理的・法的・社会的課題への対応


 生命倫理問題等に見られるように,新たな技術の社会への適用に関し,その社会的な側面を検討するに当たっては,自然環境や人の健康に対する影響だけでなく,倫理観や法秩序への影響など様々な社会的影響も考慮する必要がある。

 科学技術の発展に伴い,社会との接点で生ずる倫理的・法的・社会的課題を総称して,ELSI(Ethical, Legal and Social Implications)と呼ぶこととする。なお,近年,諸外国においては,科学技術の推進とともに,それに伴う社会的影響及びその対応を明らかにするため,ELSIに関する取組が進められている。

 ELSIについては,国ごとの社会制度,文化的背景やその国民の価値観とも強く関連するため,諸外国における個々の事例がそのまま我が国に適用できるわけではない。このため,我が国におけるELSIに着実に取り組む必要があろう。

(国際的な動向)

 米国においては,ヒトゲノム計画(HGP: Human Genome Project)の実施に当たり,ヒトゲノムの解析が人類の健康増進のために大いに貢献することが期待される一方,個人の遺伝子情報データの取扱い等,計画の構想段階から社会的課題の発生が懸念されていた。このため,ヒトゲノム研究に関するELSIのあり方が検討され,1990年の最初の報告書において,ELSIの内容として以下の取組が必要とされた。

1)ヒトゲノム解析が個人や社会に与える課題の予測・対処
2)ヒトゲノム解析の倫理的・法的・社会的課題の調査
3)ヒトゲノム解析に関する公の議論の喚起
4)ヒトゲノム解析による情報が個人や社会にとって有益に利用されるような政策的選択肢の開発

 この報告を受け,1990年に国立衛生研究所(NIH)の下にある国立ヒトゲノム研究所(NHGRI)やエネルギー省(DOE)においてELSIに関する具体的な取組が始まり,NIHとDOEがヒトゲノム計画に係る予算の3〜5%をELSIの取組に投入している。

 また,米国においては,ナノテクノロジー分野においても社会との接点で生ずる問題について取組を進めている。 第1章 でも述べたように,2003年12月の「21世紀ナノテクノロジー研究開発法」においては,ナノテクノロジーによる倫理面・法的側面・環境面等に関する社会的な影響について配慮するための研究プログラムの創設など,ELSIについて具体的に検討することが規定に盛り込まれている。

 一方,欧州においては,EUの第6次フレームワークプログラム(2002〜06年)において,科学コミュニティ(共同体)と欧州市民との対話を促進するという観点から「科学と社会」プログラムを設けており,そこでも科学技術の倫理的側面の研究の推進が掲げられている。

 このように,欧米においては,科学技術が今後の社会を支える基盤であるという認識のもと,科学技術と社会が乖離しないよう,倫理的・法的・社会的課題に関する研究の実施を公的なプログラムと位置付けて資金を投入するなど,具体的な取組が進められている。

(科学技術の社会的課題の検討と対応―生命倫理問題を中心にして―)

 ライフサイエンス分野における科学技術の進展はめざましく,医療の飛躍的な発展や食料・環境問題の解決に寄与するほか新産業の育成などが期待されている。一方で,人間を対象にしていること,自然には存在しない機能や特性を人工的に創出することを可能にすること等から,生命倫理,安全の確保への配慮が必要であり,我が国においても,生命倫理,安全の問題として専門家や国民を交じえて議論が積み重ねられてきた。

 具体的に配慮すべき問題や課題は,研究の内容や実施態様によって異なるが,人の尊厳との問題,人間を研究対象とすることによる自己決定権やプライバシーの侵害の問題,人の健康や生命への危険性といった点にとどまらず環境への影響の懸念が指摘されている。また,近年の社会的な関心の高まり等を背景に,社会や集団の理解を促進することが求められている。

 こうした状況を踏まえ,バイオテクノロジー(BT)戦略会議において平成14年に取りまとめられたBT戦略大綱では,「BTに関する倫理的・法的・社会的課題について検討を進める」とされている。

 以下においては,いくつかの研究の意義と社会的課題,その対応例を挙げる( 第1-2-33表 )。

{1}クローン技術

 1996年7月,英国で誕生した羊の「ドリー」は,従来困難とされてきたほ乳類の体細胞を使ったクローン技術の成功例として,世界中の注目を集めた。クローン技術は,畜産等の食料の安定供給や医薬品の製造,希少動物の保護・再生や実験動物の大量確保などに貢献すると期待されている。一方で,人のクローン個体の産生の蓋然性が高まることは,人間の尊厳を侵害する可能性がある等といった観点での倫理的,社会的問題を有するとともに,動物実験において遺伝子異常が見られるなどの安全性の課題もある。

 このため,我が国においても,平成9年9月に科学技術会議(当時)の下に生命倫理委員会が設置され,パブリックコメント(意見提出手続)による国民からの意見も聴取しつつ検討が行われた結果,「ヒトに関するクローン技術等の規制に関する法律」が平成12年12月に制定,公布された。同法においては,研究目的であっても人クローン個体の産生につながる人クローン胚等を人又は動物の胎内に移植することを禁止しており,違反者に対して厳しい罰則を規定している。また,人クローン胚を作成の是非は,総合科学技術会議の今後のヒト受精胚の取扱いに関する議論を待って判断するべきとされ,同法に基づく指針によって当面の間禁止されている。

 一方,「ドリー」の誕生後,一部の科学者等による人クローン個体の産生の動きに対し,2001年に,ドイツ及びフランスが国際連合において,クローン人間産生を禁止する国際条約策定の交渉を開始するよう提案し,国際条約の策定に向けた議論が行われてきた。現在,人クローン個体の産生を禁止することについては同意が形成されているものの,研究目的の人クローン胚の作成・利用についても条約で禁止すべきと主張する国と人クローン胚自体の扱いについては国内の実情に応じて各国で規制し,条約の対象外とすべきと主張する国との間で意見が分かれており,2003年11月の国連総会において,条約策定に関する議論を1年延期することが決議された。

{2}ヒトES細胞

 ヒトES細胞(ヒト胚性幹細胞)は,人の体のあらゆる細胞に分化する可能性を有するため,「万能細胞」とも言われ,例えば,病気や事故によって失われ,自然に再生しない細胞を,ヒトES細胞から作り出し,体内に移植することで,これまで治癒が困難とされてきた様々な疾病等の治療に役立つ可能性がある。しかし,ヒトES細胞はヒト胚を壊して作成(樹立)されるため,人の胎内に移植すれば胎児となりうるヒト胚を,生命の誕生以外の目的で利用することになり,倫理的課題がある。

 このため,我が国においては,平成11年,科学技術会議(平成13年1月から総合科学技術会議)生命倫理委員会ヒト胚研究小委員会が設置され,ヒト胚の研究目的の利用について検討が行われた後,平成13年9月に,文部科学省が「ヒトES細胞の樹立及び使用に関する指針」を策定した。本指針では,ヒト胚の取扱いに関して慎重な倫理的・社会的配慮を必要としている。

 他方,諸外国においても,ヒトES細胞についての倫理的課題が認識され,倫理的課題に対応する枠組みの整備が進められており,その取扱いについて法令等により厳しい規制を課している国もある。

{3}ヒトゲノム・遺伝子解析研究

 ヒトゲノムは,人の生命の設計図であり,ヒトゲノム・遺伝子解析研究は,疾患遺伝子の解明による新たな治療法の開発や人の遺伝的性質に基づく病気のかかりやすさを明らかにすること等により,個人に適した医療(いわゆるテーラーメード医療)の提供等,ライフサイエンス及び保健医療科学の進歩に大きく貢献することが期待されている。その一方で,ヒトゲノム・遺伝子解析研究の過程で得られる情報は,試料の提供者やその血縁者の遺伝的素因を明らかにし得ることから,その取扱いによっては様々な倫理的,法的,社会的問題を招く可能性がある。また,遺伝子の構造や機能の解析に当たって取り扱われる情報は,検査や診断といった医療において取り扱われるが,その利用は,男女の産み分け,雇用上の差別,保険契約への影響など社会的課題としてとらえる必要がある。

 このため,遺伝子解析研究を巡って,我が国では,平成12年6月,科学技術会議生命倫理委員会において,ヒトゲノム研究に関する基本原則が定められ,これをもとに平成13年3月,文部科学省,厚生労働省,経済産業省の3省共同により「ヒトゲノム・遺伝子解析研究に関する倫理指針」が策定された。同指針では,人の尊厳の尊重,本人の同意(インフォームドコンセント)の確保,個人情報の保護,研究成果の適切な社会への還元,研究機関内の倫理審査の手続等を定めている。

{4}遺伝子組換え実験

 既に技術的に社会に利用されている遺伝子組換え技術は,生物の仕組みの解明,医薬品等の効率的な製造,農作物等の改良等,その技術的応用に対する期待が高い一方で,生物多様性とその持続的利用に悪影響を及ぼす可能性があるといった懸念が社会的課題として指摘されている。

 また,遺伝子組換え技術を用いた生物の扱いに関しては,国際的な課題ともなっており,2000年には,「生物の多様性に関する条約」の下に,生物の多様性の保全とその持続可能な利用に悪影響を及ぼす可能性のある遺伝子組換え生物の安全な移送,取扱い及び利用について,国境を越える移動に特に焦点を合わせ,これを適切に管理するための措置を講じることを目的として「生物の多様性に関する条約のバイオセーフティーに関するカルタヘナ議定書」が採択された。我が国では,平成15年6月に,この議定書の実施に必要な国内措置を定めた「遺伝子組換え生物等の使用等の規制による生物の多様性の確保に関する法律」が成立した。

第1-2-33表 我が国におけるライフサイエンスとその倫理問題等と対応例


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