c 平成16年版 科学技術白書[第1部 第2章 第1節 1]
ここからサイトの主なメニューです
前(節)へ  次(節)へ
第1部   これからの科学技術と社会
第2章 社会のための科学技術のあり方
第1節 知の創造と活用による社会への貢献
1.  科学の人類文明への貢献


(科学の社会的意義)

 技術が有史以前より人間の生活の便利さや豊かさの向上と密接に関連しながら発展してきたのに対して,科学は,もともとは自然哲学として出発し,人々の知的探求心に支えられ,自然の仕組みや運動を解明することを主な目的とし,技術とは別のものとして発展してきた。もちろん,技術の発展の背景には,様々な科学の進歩があったが,これは,新たな技術を開発することを目的として科学の研究が行われることを意味するものではなく,科学的知見を所与のものとして利用していたに過ぎなかった。逆に,科学の研究のために,新たな技術が開発される場合の方が多かった。

 産業革命以降,徐々に科学と技術が接近し,意識的に科学の成果が技術に結び付けられて社会に活用されるという流れが生まれたのは19世紀半ば以降であり,化学の知識を利用した化学工業の発達や電磁気学の知識に基づく電気技術の発達がその始まりであった。

 しかしながら,科学が,人々の知的世界の営みであった時代から,科学の成果は,人間の諸活動の外縁(フロンティア)を空間的にも時間的にも切り拓き,人間の活動の可能性を拡大してきた。また,人々の価値観に大きく影響を与え,社会のあり方を大きく変えてきており,文明的視点から社会の発展の原動力となってきているのである。

月から見た地球(1969年7月20日にアポロ11号から撮影)  写真提供:米国航空宇宙局

(科学の発展による社会のあり方・価値観の変化)

 科学の発展が,人々の価値観に大きく影響を与えたり,社会そのもののあり方を変えてきた事例は数多く,挙げれば限りはないが,以下で,その一端を紹介したい。

 20世紀最大の科学者のひとりであるアインシュタインが,光量子仮説,ブラウン運動の理論,特殊相対性理論という当時の物理学の常識を大きく変える論文を立て続けに発表した「奇跡の年」(1905年)から百年になろうとしている。アインシュタインの相対性理論はその後の物理学の基礎となり,様々な科学分野の発展に大きく貢献すると同時に,それまでの人々の時間や空間の概念を一変させ,哲学や思想にも大きな影響を与えた。

 天文学の発展は,古くは,コペルニクスが唱え,ケプラーやガリレオによって発展した地動説が欧州の中世的価値観を一変させ,欧州を近代に移行させる大きな力となるなど社会の発展や変革に大きな影響を与えてきたが,近年もそのような事例は多い。例えば,1929年のハッブルによる宇宙の膨張の発見は,ガモフらのビッグバン宇宙起源論(1946年)につながった。1965年には,ペンジアスとウィルソンによって宇宙背景放射が観測され,ビッグバン宇宙起源論を支持する有力な証拠とされた。これにより,人々の「宇宙観」は新たなものとなった。また,宇宙開発の発展は,人類の諸活動の可能性を空間的に大きく拡大し,人類のフロンティアに対する人々の夢をかき立てる一方で,宇宙から見た地球の映像は,世界中の人々に,地球の美しさ,かけがえのなさを,同じイメージによって認識させ,人々の「地球観」を新たにした。さらに,1974年にローランドとモリーナがフロンによるオゾン層の破壊の可能性を指摘したことや1985年ごろにオゾンホールが発見されたことは,地球環境保護の取組に多大な影響を与えた。

 また,1915年にウェゲナーが発表した「大陸移動説」は,現在ではプレートテクトニクス理論として,世界の人々に広く受け入れられているが,発表当時は,大陸の移動の原動力が明らかではなく,この説を支持する人々は,ほとんどいなかった。しかしながら,1950年代以降,海底観測の進展に伴って地球物理学は進歩し,1960年代になって,ヴァインとマシューズは海洋底拡大とそれによる大陸移動を定量的に証拠付けた。これによって,人々の「地球観」は一新されたのであった。

 一方,生命科学の発展は,19世紀のダーウィンによる進化論などが,人々の「自然観」,「人間観」,「社会観」を大きく変えたように,科学界のみならず,社会の様々な分野で人々の思想に影響を与える事例が多い。1953年のワトソンとクリックによるDNA分子の二重らせん構造の発見は,分子生物学という全く新しい分野を生み出した。これによって,分子レベルでの生物の構造の解明が進み,1973年のコーエン,ボイヤーらによる遺伝子組換え技術の確立,1996年のクローン羊「ドリー」の誕生,2003年の日米欧中の6か国が参加した国際ヒトゲノムシーケンス決定コンソーシアムによるヒトゲノムの解読完了など生命科学は急速に発展してきている。このような近年の生命科学の発展は,人間や生物に対する理解を大きく進展させ,医療分野を中心に,人間の活動のフロンティアを拡大する一方で,人々の「生命観」や「倫理観」に大きな影響を与えつつある。さらに,脳の研究の進歩は,人間の心に迫る可能性を秘めており,その進展次第では,人々の価値観に大きな影響を与えるものと考えられる。

 近年のIT革命の進展は,チューリングによる計算機の考案,ショックリー,バーディーン,ブラッテンによるトランジスタの開発などによるコンピュータ技術の発達やインターネットなどの情報通信技術の発達によってもたらされたものであるが,IT革命は,単に新製品の開発や人々の利便性を高めただけでなく,これによって,世界の人々が,サイバースペースを使って,瞬時に情報・意見交換を行うことが可能となるなど,人々の「行動様式」や「生活様式」を大きく変えつつある。IT革命の影響は,教育,医療・福祉,交通,金融,製造業の分野から労働形態や娯楽などに至るまで多方面で社会のあり方に影響を与えている。

 さらに,今日のナノテクノロジーの発展は,従来では不可能だった原子や分子のレベルでの現象の解明や操作を可能とし,人間の活動の可能性を拡大しつつある。ナノテクノロジーは,1959年にファインマンの「There's Plenty of Room at the Bottom(ナノスケール領域にはまだたくさんの興味深いことがある)」と題された講演をきっかけとして,発展したものであり,その後の進歩は,計測技術の発達とともに,1984年のクロトーらによるフラーレンの発見などの科学的発見に支えられている。

 そのほか,テレビは,現在,最も影響力のあるマスメディアの一つとして,現代社会を構成する主要な要素の一つとなっているが,これも,1895年のマルコーニによる無線電信の発明,1897年のブラウン管の発明,1925年の八木・宇田アンテナの発明,1926年の高柳健次郎によるブラウン管による電子式受像の成功など様々な科学的成果に支えられているのである。

第1-2-2表 20世紀における科学技術の足跡

Column

(現代文明を支える科学)

 科学が現代文明の成立に果たしている貢献のもう一つの側面として,科学の発達に伴い,科学的な思考法が,徐々に,世界に広まってきているという点を挙げることができるであろう。

 今日の近代科学は,もともとは,西欧という限られた地域の一学問分野,文化として発展してきたが,個別の成果に関しては議論があるものの,学問分野,思考法としては,今や世界の多くの国々で受け入れられている。近代科学が世界に広まった歴史的な経緯は,国や地域によって様々であり,多くの葛藤や摩擦も伴った。しかしながら,現在では,自然科学系のノーベル賞について,徐々に欧米諸国以外の国出身の研究者の受賞が増えてきているなど,西欧以外の国々でも,多くの人々が,科学的な思考法を自らの文化に受け入れ,世界の科学の発展に貢献をしてきている( 第1-2-3図 , 第1-2-4表 )。「科学に国境はない」とも言われるが,まさに,そのような状況が進展してきていると言えるだろう。

 他方,近代科学の普及に対して,地域に固有の多様な文化や伝統を維持することも重要であり,両者の調和を図っていくことは今後も課題のひとつであろう。

第1-2-3図 ノーベル賞(自然科学系)受賞者の地域別推移

第1-2-4表 ノーベル賞(自然科学系)を受賞したアジア出身者

(文化的,文明的視点からの基礎研究の振興)

 以上見てきたように,現代社会において,科学技術は,生活を豊かで便利なものとするための手段という技術的な側面だけではなく,科学の側面においても,世界の人々の考え方や社会のあり方の土台となっている。

 このような科学技術の科学的側面の重要性については,「科学技術と社会に関する世論調査(平成16年2月)」において,「科学的研究は,人類に新たな知識をもたらすという意味で不可欠である」という意見に対し,約70%の人々が肯定的な意見を持っていることからも分かるように,我が国においては多くの人々に認識されていると考えられる( 第1-2-5図 )。

第1-2-5図 科学的研究は,人類に新たな知識をもたらすという意味で不可欠である

 我が国としては,文化的,文明的観点から国際社会全体の発展に貢献できるよう,新たな科学的知見を生み出す基礎研究を積極的に振興し,我が国の知的資源を着実に蓄積,継承していくことが重要である。

 他方, 第1章 において述べたように,現代社会において,科学,特に自然科学の発展に伴う様々な負の影響が顕在化してきていることも事実であり,自然科学が万能ではないことは明らかであろう。また,自然科学だけでは,人間や社会のあり方を解明することは不可能であろう。このような自然科学の弱点を克服するためには,人々の思索や行動あるいは社会的な諸現象の分析,考察を行う人文・社会科学との連携が重要であり,このことは,今後の人類文明の発展にとってますます重要な点となっていくものと考えられる。


前(節)へ  次(節)へ

ページの先頭へ   文部科学省ホームページのトップへ