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第1部   21世紀を迎えるに当たって
第2章  20世紀の科学技術の人類社会への貢献と今後の課題
第1節  20世紀の科学技術の展開と社会への浸透
4.  ライフサイエンスの進歩


  第1章 で見てきたように,人の平均寿命は,20世紀に大きな伸びをみせたが,ライフサイエンスの研究の成果から医療の進歩,食料の増産などがもたらされたことがその背景にある。


(1) 病原菌の発見と治療薬の開発

 1908年,フランスのアルバート・カルメットとカミル・ゲランは,結核の予防薬である「BCG」を発明した。これは,結核菌を弱毒化することにより,発病させることなく体内に結核に対する抗体を作ることができるものである。これによって,それまで不治の病として恐れられていた結核による死亡者数の減少に緒を与えた( 第1-2-18図 )。

第1-2-18図 各国の結核死亡率の年次推移

 性病の一つである梅毒は,20世紀初頭までは治療法はおろか,その病原菌さえ不明であった。梅毒の病原菌である「梅毒スピロヘータ」は,1905年,ドイツのフリッツ・シャウディンとエリック・ホフマンにより発見され,1911年(明治44年)に日本の野口英世が初めて菌の純粋培養に成功した。1910年(明治43年),梅毒の治療薬「サルバルサン」がドイツのパウル・エールリヒと日本の秦佐八郎によって開発され,梅毒治療に画期的な効果をもたらした。

 1921年,カナダのフレデリック・バンティングはチャールズ・ベストとともに,犬の体から糖の代謝を制御する物質である「インシュリン」を抽出することに成功した。さらに,インシュリンを糖尿病の犬に注射して,インシュリンの投与がそれまで有効な治療法が確立していなかった糖尿病の治療に有効であるとの仮説を実証した。そして,インシュリンは,翌年には初めて臨床的に使用され,劇的な効果を示したことから,すぐに欧米で医薬品として製品化され,広く用いられることとなった。

 世界で最初に使用された抗生物質である「ペニシリン」は,1928年,イギリスのアレクサンダー・フレミングにより発見された。フレミングは,ブドウ球菌の培養皿の中で青カビの周囲だけブドウ球菌が溶融していることに気付き,翌年の1929年にこの作用をもたらす物質を「ペニシリン」と命名して発表した。当時,ペニシリンが医薬品として有効であると考えられることはなかったが,その約10年後の1940年にイギリスのハワード・フローリーとドイツのアーネスト・チェインがペニシリンの分離抽出に成功し,翌年には,これが臨床的にも有効であることも明らかとなり,細菌感染に対する特効薬として瞬く間に広く用いられることとなった。その後,様々な抗生物質の発見や開発により感染症による死亡者数は激減した( 第1-2-19図 )。しかし,近年抗生物質に強い耐性菌と呼ばれる菌が出現して医療現場などで問題となっている。

第1-2-19図 死因別に見た我が国の死亡率の推移

 人間の体内にウィルスが入ったとき,ウィルスに対抗して体内で生産される「インターフェロン(ウィルス抑制因子)」は,1954年(昭和29年)に日本の長野泰一と小島保彦により発見された。インターフェロンは,近年の遺伝子組換え技術の進展により量産に成功し,がんや肝炎等の治療薬として用いられている。


(2) 医療装置の発達

 19世紀に医師が医療診断に用いていた医療装置は聴診器や血圧計ぐらいであったが,20世紀に入ると科学技術の発展に伴い様々な装置が医療に導入されるようになった。

 1895年,ドイツのヴィルヘルム・レントゲンによって発見されたX線は,人体の各組織間や異物のX線吸収の差を利用して画像を求める「X線撮影」として,20世紀には広く診断に用いられるようになった。

 1903年,オランダのヴィレム・アイントホーフェンは,心臓で周期的に発生する微弱な電流を磁場の変化として捉えることに成功し,その電流の変化を測定・記録する「心電図計」を発明した。心電図計は現在まで様々な改良が加えられ,診断や治療において重要な役割を果たしている。

 このほか,コンピュータの発達や原子科学技術の進展に伴い,コンピュータ断層撮影(CTスキャン),磁気共鳴映像法(MRI),超音波診断等の画像診断技術やガンマ線等を利用したがん治療技術が次々に開発され,既に実用化されている。これらは,それまで医師の勘と経験に頼った手探りであった医療現場において,装置を飛躍的に高度化することで,医療技術を著しく発展させた。さらに,現在,ホウ素中性子補足療法(BNCT),陽子線等によるがん診断・治療,重粒子線がん治療装置(HIMAC)等の放射線を利用したがん治療の研究等が行われている。


(3) 医療手段,治療法の発達

 1900年,オーストリアのカール・ラントシュタイナーは,人の血清に他人の赤血球を混合すると,凝集する場合としない場合があることを発見した。翌1901年に,これを分類して,血液に型があることを発表した。ABO式血液型の発見は,免疫学や遺伝学などの基礎となったのに加え,安全な輸血を可能にした。

 20世紀に進展した新しい治療法に「臓器移植」がある。臓器移植は人間の免疫機構の解明とともに進展した。1954年には米国で世界初の腎臓移植手術に成功し,その後,1967年に南アフリカ共和国のクリスチャン・バーナードらにより世界初の心臓移植手術が行われた。翌1968年(昭和43年)には日本でも心臓移植手術が行われたが,患者の死後,脳死の定義や医師の倫理といった問題を提起することとなり,我が国では1997年(平成9年)の「臓器の移植に関する法律」の施行まで脳死臓器移植が行われることはなかった。近年,欧米諸国においては年間3,000件以上の脳死心臓移植が実施されるなど,脳死臓器移植は実績を重ねており,日常医療として定着している。


(4) バイオテクノロジーの展開

 1953年,米国のジェームズ・ワトソンとイギリスのフランシス・クリックによるDNAの二重らせん構造の発見については既に述べた。この発見により,生命現象はDNAを中心としたものであることが認識され,その後の研究により生命現象の解明は,飛躍的な進展を遂げてきている。

 1970年代には,遺伝子組換え技術をはじめとする遺伝子工学が誕生するに至っている。1972年に人為的に組み換えたDNAが初めて作られ,翌1973年には米国のスタンリー・コーエンとハーブ・ボイヤーが,大腸菌の特定の遺伝子を取り出して,改めて大腸菌で増やすという遺伝子組換え実験に成功した。現在,遺伝子組換え技術による新薬や治療法の開発等医療分野への応用,病気に強い農作物の開発等農業分野への応用など,様々な分野に広がりを見せている。例えば,1982年には大腸菌の遺伝子組換えによりヒトインシュリンが量産化され医薬品として販売が開始された。同様の方法で,成長ホルモンやインターフェロンなどの医薬品が大腸菌を利用して大量生産されるようになっており,効果を発揮している。さらに,羊や豚等のほ乳類にヒト遺伝子を組み込んで有用な物質を大量生産するなどの技術が研究されている。また,遺伝子組換え農作物については,従来から行われてきた品種改良を飛躍的に進展させるだけでなく,新たな性質を付与することが可能となることから注目されている。これらの遺伝子組換え農作物には,不良環境や病虫害に強いものや特定の除草剤の影響を受けないもののように生産性向上に資するもの,日保ちを良くして消費者ニーズに沿うようにしたものなどが開発されており,一部のものについては数ヶ国において生産が行われるようになっている。一方,遺伝子組換え作物の環境に対する安全性や遺伝子組換え食品の食品としての安全性の確認を求める声が高まっていることから,国際的に適切な規制の枠組みの整備・検討が進みつつある。


(5) 21世紀を切り拓くライフサイエンス

 20世紀に大きな進展を遂げたライフサイエンスは,21世紀にさらに発達し,人類に多大な恩恵をもたらすことが期待されている。

 現在,世界的な協力により進められているヒトゲノム計画により,ヒトの設計図にあたるDNAの全塩基配列が解明され,遺伝子の機能解明が進むことが期待されている。これにより,がんやアルツハイマー病など特定の病気にかかわる遺伝子が明らかになれば,その治療薬の開発等,診断・治療法が飛躍的に進展することが期待される。また,ある人が特定の病気にかかりやすい遺伝的形質を有することがあらかじめ分かっていれば,生活様式に配慮することで予防を心がけたり,病気になった場合に個人ごとの薬を用いて治療を行うことができる。このような個人の体質に合わせた医療は「オーダーメイド医療」と呼ばれ,新たな医療技術として注目されている。

 1997年,イギリスのロスリン研究所のグループが,クローン羊「ドリー」誕生によって,世界で初めて体細胞を用いたクローン動物を産生したと発表した。これを契機に,世界的にクローン技術に対する関心が高まってきている。

 遺伝子組換え技術やクローン技術の進展により,病気に強く収穫量の多い農作物による食料の増産や優良形質を持った家畜の大量生産など,農業分野における技術の進展により,食料の増産が期待されているほか,ヒトの成長ホルモン等の生産や臓器移植用の動物の生産も可能とされており,21世紀にはこれらの分野で社会における計り知れない利用が開拓されていくものと考えられる。


(6) 生命倫理等の問題

 臓器移植,クローン技術,遺伝子組換え技術等生命に直接関与できるこれらの技術は,深刻な倫理問題の発生の可能性を内包している。

 臓器移植については,特に我が国においては脳死を死と認めるか否かに関し長らく議論が行われてきた。平成9年「臓器の移植に関する法律」の成立を受け,平成11年には同法に基づく初の臓器移植が実施された。現在は,このような臓器移植の経験等を踏まえ,公正・的確な脳死判定の実施に対する徹底した情報公開と,臓器提供者及び被提供者双方の個人情報保護等の問題が議論されている。

 ほ乳類のクローン個体産生手法の進展は,その手法が人へ応用されれば,既に存在する人と同一の遺伝子を持つヒト個体の創造が可能となり,人間の尊厳の確保という観点から,世界的に大きな関心を呼び起こすことが予測される。また,ヒト胚を利用した研究については,人の生命の萌芽たるヒト胚を用いることからその是非に関する議論がある。このため,これらに対して厳格な規制の枠組みの構築を含め,各国で検討が進められている。

 遺伝子は,大量の個人情報を収めている。今後,遺伝子の機能が解明されてくると,個人の遺伝的形質による新たな差別の発生が懸念される。米国のクリントン大統領は2000年の一般教書演説において遺伝子による差別の防止を強調した。また,我が国においても,健康診断などで採取した血液を本人の同意を得ず遺伝子解析を行った研究が問題となってきている。遺伝子に関する個人情報の保護と遺伝的形質の相違による社会における様々な差別発生の防止について,しっかりとした検討が必要である。

 このように,20世紀においてライフサイエンスは,人類の健康の維持増進,長寿命化に著しく貢献し,さらに,来世紀において,その発展は大いに期待される。同時に,深刻な倫理問題等の発生の可能性が目前に迫ってきている。技術が先走りし,このような問題を顕在化させることは,技術を社会に定着させていく上で阻害要因になることは必至であり,前広にその防止に向け,社会的ルール作りに取り組むことが必要である。


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