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第1部   21世紀を迎えるに当たって
第2章  20世紀の科学技術の人類社会への貢献と今後の課題
第1節  20世紀の科学技術の展開と社会への浸透
2.  モノの発達


 20世紀の科学技術の発展は,「モノ社会」を実現させ,家電製品や自動車などに代表されるように,利便性や快適性を向上させるなど生活のあらゆる面に大きな影響を与え,物質的な充足感を提供した。その反面,公害をはじめとする問題を生じ,日常生活に悪影響を与える状況も見られるようになってきた。以下,モノの発達の側面から科学技術の成果と,それが社会に与えた影響を振り返っていくこととする。


(1) 移動・輸送技術-より速く,より遠くへ-

(鉄道)

 蒸気機関は,1712年にイギリスのトーマス・ニューコメンによって発明され,その後,同じイギリスのジェームス・ワットによって画期的な改良が加えられた結果,飛躍的に効率が向上した。蒸気機関は蒸気船と鉄道を生み出し,19世紀半ばから末期にかけて移動および輸送手段として欧米諸国で著しく普及し,鉱工業は飛躍的な発展を遂げた。

 我が国での鉄道の歴史は明治5年(1872年)の新橋-横浜間の開通に始まる。その後明治22年(1889年)には新橋-神戸間の東海道本線が全線開通した。この当時東京-大阪間には15時間以上という長い時間を要したが,その後,20世紀に入ってからの鉄道技術の発展,トンネル等土木技術の発展などによるスピードアップは目覚ましく,中でも昭和39年(1964年)10月に登場した東海道新幹線は高速鉄道技術を開花させ,飛躍的な高速化を実現した( 第1-2-2表 )。新幹線によって,現在,東京-大阪間はわずか2時間30分で結ばれており,その利用者は,1年間に延べ2.8億人(1日平均77万人)にも上っている。また,平成元年(1989年)には「25年間,27億人を無事故で運んだ新幹線」に対して,新幹線JRグループが第11回国際交通安全学会賞(業績部門)を受賞するなど,日本の新幹線は高速,安全かつ大量輸送の手段として世界中に鉄道の有用性を再認識させ,TGV(フランス)やICE(ドイツ)をはじめとする高速列車普及の契機にもなった。現在,さらに高速でかつ騒音や振動の少ないリニアモーターカーの研究開発も実用化に向けて進められている。

第1-2-2表 東京-大阪間の鉄道所要時間

(自動車)

 現代文明の象徴とされる自動車は,後に述べるように,今世紀初頭に大量生産技術が導入され,その後多様な移動・輸送手段として大きく発展してきた。自動車が,鉄道による固定的な「線」上の移動だけではなく「面」上での移動を飛躍的に発展させた。

 輸送手段としての自動車は,鉄道や航空機など他の手段と比較して,その量において群を抜くようになっている。我が国では,自動車による貨物輸送は,輸送トンキロで昭和41年(1966年)に鉄道貨物輸送を追い越し,その差は現在13倍となっている。また,旅客輸送においても,輸送人キロで昭和46年(1971年)に鉄道輸送を追い越し,その差は現在2.5倍となっている( 第1-2-3図 )。

第1-2-3図 我が国の自動車・鉄道輸送量の推移

(飛行機)

 高速・長距離輸送手段として20世紀に出現し,大きく発展した飛行機の歴史は,1903年に米国でのライト兄弟による人類初の動力飛行に始まる。この時にはわずか260mを約1分間かけての飛行であり,速度は最高でも時速40kmに過ぎなかった。その後1920年頃までに,主にエンジン技術の発展によって飛行機の速度は時速200km程度にまで向上し,さらに1930年代に登場したジェットエンジンによって超音速の時代を迎えた。

 飛行機の登場は,それまで船舶や鉄道など地球の表面に限られていた移動に新たな選択肢を付け加え,数日間あるいは数週間を要していた地球の他の地域を数時間に近付けた。現在最速の新幹線でも所要時間が4.5時間以上の東京-博多(福岡)間を飛行機は1.5時間で結んでいる。

 航空機は,旅客数,貨物輸送量ともに,鉄道や自動車と比較して少量ではあるが,海外渡航や国際貨物輸送あるいは国内でも特に長距離の移動や輸送などには不可欠なものとなっている( 第1-2-4図 )。

第1-2-4図 我が国の鉄道・自動車・航空機の輸送量内訳

 このように,20世紀における移動・輸送技術の飛躍的な発展は,人々の移動や物資の輸送を飛躍的に拡大し,生活圏や物資の市場を地域から国,さらに世界へと広げ,社会,経済の発展に著しく寄与した。

 しかし,これら交通機関が消費する化石エネルギーは膨大であり,資源の枯渇,排気ガスに含まれる有害ガスや二酸化炭素による環境問題,事故による乗客等の死傷などの問題に対する関心が高まっており,省エネルギー化,新たな動力源としての新エネルギーの開発,環境保護や安全確保のためのさらなる技術開発が望まれている。


(2) 宇宙開発技術-宇宙時代の幕開け-

 1865年にフランスの作家ジュール・ベルヌは月への旅行を空想科学小説の中での夢として描いた。この夢を現実に近付ける宇宙ロケット技術の開発において第一歩を踏み出したのが,コンスタンチン・ツィオルコフスキー(ロシア),ロバート・ゴダード(米国),ヘルマン・オーベルト(ドイツ)である。このうちゴダードは,1926年に液体燃料ロケットの打上げ実験を成功させた。この時の速度は時速97km,飛行時間は2.5秒,飛行距離は56m,到達高度12.5mであった。ウェルナー・フォン・ブラウンはドイツの「V‐2ロケット」開発計画の実質的な責任者として,全長14m,総重量1.2t,飛行速度時速5,600km,飛行距離800kmという大型ロケットを第二次世界大戦中の1942年に完成させた。

 第二次世界大戦後,宇宙ロケット技術の開発は,しばらくソ連によってリードされた。1957年には人類初の人工衛星であるスプートニク1号の打上げに成功し,さらに1961年にはヴォストーク1号で人類初の有人宇宙飛行を成功させた。

 このような宇宙開発技術におけるソ連の先行に危機感を抱いた米国では,1961年にジョン・F・ケネディ大統領が「1960年代中に人類を月に送る」と宣言しアポロ計画が始まった。1969年7月20日,3名の宇宙飛行士を乗せたアポロ11号が月面に着陸し,人類の歴史に偉大なる一歩を刻んだ。

第1-2-5図 世界のロケット

 その後,米国は繰り返し利用できる宇宙往還機「スペースシャトル」を1981年に完成させた。現在までに5機のシャトルが合計約100回のフライトを行い,地球や宇宙に関するデータ収集や実験など数多くの功績を残してきている。

 我が国では,昭和30年(1955年)に初めての宇宙開発ロケット予算が東京大学生産技術研究所に計上され,ペンシルロケット実験を開始し,同研究所は昭和33年(1958年)に日本初の観測装置を搭載したΚ(カッパー)-6型ロケットの打上げに成功した。さらに,昭和45年(1970年)には,東京大学宇宙航空研究所において日本初の人工衛星「おおすみ」の打上げを成功させるとともに,我が国独自の全段固体型のΜ(ミュー)型ロケットの開発が進められた。一方,宇宙開発事業団(NASDA)においては,昭和52年(1977年)に我が国初の静止衛星である「きく2号」の打上げを成功させ,気象衛星・通信衛星等,宇宙の実利用への道を開いた。その後NASDAは,平成6年(1994年)についに2トン級の静止衛星打上げ能力を持つ全段自主技術による純国産ロケットH-IIを完成させ,日本のロケット開発技術は世界レベルにまで成熟した。しかしながら,最近,連続してロケットの打上げ失敗を経験しており,徹底した原因究明とその結果を十分踏まえた対策を講ずることが求められている。また,H-IIの後継機種であるH-IIAの開発に期待がかけられている。

 また,1998年(平成10年)から日本,米国,ヨーロッパ,カナダ,ロシアが協力した国際宇宙ステーション(ISS)の建設が,2004年(平成16年)の完成を目指して始まっている。

 現在,地球の周りで通信衛星,気象衛星,測地衛星など種々の人工衛星が様々な役割を果たしており,宇宙開発は人類の生活に不可欠な要素にまでなっている。宇宙時代の幕開けとともに,世界はますます小さくなり,宇宙開発は人間と地球や人間と宇宙の関係についての人々の考え方を変えた。アポロ計画の宇宙飛行士が地球を「暗黒の宇宙に浮かぶオアシス」と呼び,暗闇の中に浮かんだ青い地球の写真を見た人がその美しさに感動するように,宇宙開発は地球や環境保護の重要さを人類に強く意識させる大きな契機となった。


(3) 大量生産技術-大量生産・大量消費へ-

 1913年,米国のヘンリー・フォードが自動車の生産にコンベア・システムを導入し,それまで12時間あまりを要した車体の組立てをわずか1時間30分に短縮させた。このような大量生産方式を各所で取り入れたフォード社では1914年の1年間に308,162台の自動車が生産されたが,これは当時,他の自動車メーカー299社の合計生産台数より多かった。また,大量生産により1台当たりのコストが低下し,1908年に販売が開始された当初は1台850ドルであったT型フォードは,1924年には260ドルという安価で購入することが可能となった。

 このように,大量生産が可能となった自動車は世界の多くの人々に保有されるようになり,その台数は現在も増加している( 第1-2-6図 )。現在,我が国では7,081万台の自動車が存在し,その割合は1.8人に1台である。世界的にみても約10人に1台の割合で自動車が保有されている。

第1-2-6図 世界の自動車生産台数及び保有台数の推移

 さらに,第二次世界大戦後になると,電子計算機の登場とともに自動制御技術が生産現場に取り入れられ,製造機械の自動運転が達成された。コンピュータを中心に各種の機械装置を組み合わせて自動的に作業を行う仕組み(オートメーション)は,現在多くの産業に採用されている。オートメーションによって労働力の節約,安全性や生産性の向上が図られるとともに製品の品質や信頼性も高められていった。

 コンピュータの高度化と制御技術の発展は,製造機械の知能化(インテリジェント化)を達成し,従来のメカニクス(機械)技術とエレクトロニクス(電子)技術を融合させ,メカトロニクスと呼ばれる新たな製造技術を生み出した。その代表が1965年(昭和40年)頃に誕生した産業用ロボットである。産業用ロボットは,現在ほとんどが製造業,特に電気機器製造業と自動車産業で利用されており,生産性を向上させるとともに単純作業,危険作業,劣悪な環境での作業の代替をしている。今後は製造業以外にも建設業や農林業,原子力関連分野,宇宙空間や深海における作業,医療・福祉関連,災害救助や防災,サービス産業など様々な分野へその応用が拡大すると考えられている。

 1970年代に入り,CAD/CAMの採用等,製造現場とコンピュータとの結び付きがますます強化されてきた。また,コンピュータの能力向上は複雑で高度な制御方法の採用を可能にし,製造機械の性能向上やロボットの知能化にも貢献している。

 製造技術の向上の結果,「大量生産・大量消費・大量廃棄型社会」が到来し,我が国でも20世紀中盤から自動車,掃除機,クーラー,電子レンジなどの家電機器が各家庭に急速に普及するようになった。特に昭和30年(1955年)頃には,テレビ,電気洗濯機及び冷蔵庫が「3種の神器」と呼ばれ,ゆとりある家庭生活のため国民の必需品となった( 第1-2-7表 )。

第1-2-7表 今世紀に販売/開発された主な消費財

 しかし,このような大量生産・大量消費・大量廃棄型の社会は生態系や環境に打撃を与え,再生不能の資源を大量に消費することとなる。このため従来の生産プロセス(設計→生産→消費→廃棄)だけでなく,分別・回収→再利用→生産という逆工程(リサイクル)にも着目することがますます重要になってきている。また,リサイクルされずに廃棄された場合でも,環境に対する負荷の少ない材料や製品の開発が重要となっている。さらに,今後は社会全体が「限りない欲求の拡大」(モアイズベター)から「必要の充足による幸福」(イナフイズベスト)へと考え方を移行させることが望まれる。


(4) 合成化学の発展-衣料から医療までの素材革命-

 産業技術が高度になるにつれ,使用される材料には一層厳しい性能が要求されるようになる。このような要求に呼応してきた材料技術の中で,特に合成化学における発展は著しく,19世紀後半にはアニリンなど合成染料の製造を可能にし,後の合成医薬品の時代をもたらした。1908年に初めて合成されたアンモニアは,1920年代には多くの国で工業化されるようになり,化学肥料の大量生産を可能にした。農業における化学肥料や農薬等化学製品の開発と使用は,20世紀中に60億人にも膨れ上がった世界の人口を支える食料の増産に大きく寄与した。

 合成繊維の分野での画期的な技術は,1935年に米国のウォーレス・カロザースによって開発されたナイロンである。ナイロンは,1938年に「石炭と水と空気からできていて鉄のように強くクモの糸のように細い」というキャッチフレーズでデュポン社から販売が開始され,瞬く間に繊維市場を席巻した。ナイロンは,それまでの「合成品=代用品=粗悪品」という一般的な考えを「合成品=新製品=優良品」に一変させたとされている。ナイロン等の合成繊維のほかにも,合成ゴムやプラスチックが石油化学製品として合成され,20世紀を代表する素材となった。これら合成化学の産物である高分子には様々な機能が付加され,耐燃性,断熱性に優れたものや,電気伝導性の高いもの,生体高分子等に至るまで多種多様で用途は幅広く,一般衣料用の合成繊維のほかに強力接着剤,構造材用の炭素繊維など日常生活に不可欠なものとなっている。

 材料に対する様々な要求に対応して,近年,従来の材料にはない秀れた特性をもった「新素材」と呼ばれる新たな材料が出現してきた。新素材にはアモルファス金属,ファインセラミックス,高分子材料,複合材料などが含まれ,様々な特徴を生かし広範な用途に用いられるようになっている( 第1-2-8表 )。

第1-2-8表 新素材

 合成化学などの化学工業では,種々の化学薬品を使用し,重金属を取り扱う場合もあり,多くの産業廃棄物が発生することから,公害問題を引き起こしやすい。我が国で発生した水俣病や四日市ぜん息のような重大な公害問題にも化学工業が関与することとなった。これに対して昭和42年(1967年)に制定された「公害対策基本法」をはじめとする様々な公害対策の結果,大気汚染,重金属や有害化学物質による水質の汚濁は改善されてきている。しかし,開発途上国では,この種の公害は現在でもなお深刻な問題となっており,それに加えて, 第1章 で示したように,酸性雨,地球温暖化,オゾン層の破壊のような新たな問題が世界的なレベルで発生している。さらに,生体のホルモンに影響を与え,その影響は子孫にまで及ぶとされる内分泌かく乱物質やダイオキシン等が社会的関心を集めており,対策が急がれている。


(5) エネルギー-脱化石エネルギーへの模索-

 現代のエネルギー供給源として不可欠な存在となった原子力の利用に道を開いた物理学上の業績が,アインシュタインが相対性理論で提唱した公式E=mc2 及びハーンとシュトラスマンによるウランの人工核分裂の成功であることは既に述べた。このようにして発見された原子力エネルギーの具体的な利用は,第二次世界大戦下に軍事部門において原子爆弾という形で始まった。核兵器は,戦後の東西の冷戦構造に影響を及ぼしてきた。冷戦構造の崩壊後は,核の新たな拡散の懸念が国際社会に大きな影響を与えており,軍備管理・軍縮及び核不拡散体制の強化が国際社会全体の取り組むべき緊急の課題となっている。現在多くの国が批准に向けて協力を推進している包括的核実験禁止条約(CTBT)に関して,我が国は,関係国に批准を呼びかける書簡を発出するなど「CTBT批准促進イニシアティヴ」を実施し,批准国のさらなる増加と条約の早期発効に向け努力している。

 一方,原子力エネルギーの平和利用は,戦後になって急速に発展した。1951年には米国で高速炉(EBR-1)による世界初の原子力発電が行われた。この時の電気出力はわずか100kWであったが,1956年イギリスのコールダーホールでの世界初の商業用原子力発電所の出力はその350倍の3万5,000kWであった。

 我が国では,昭和29年(1954年)に原子炉築造のための基礎研究費及び調査費として初めて原子力予算が計上され,昭和41年(1966年)に商業的な原子力発電が始まっている。

 現在,世界における原子力による発電量は大きく,原子力発電は不可欠な電力の供給源となっている( 第1-2-9図 )。総発電量中の原子力発電の割合はOECD諸国の平均が24%,日本では30%以上,エネルギー自給率を高めるために積極的に原子力開発を進めたフランスでは80%近くとなっている( 第1-2-10図 )。

第1-2-9図 各国の原子力発電量

第1-2-10図 世界の電力電源

 原子力発電については,安全性の確保,放射性廃棄物の処分等引き続き検討していくべき課題が残っているものの,地球環境保全の観点からも,今後の主要なエネルギー源のひとつとして位置付けられるものである。

 1日のうちでの電力消費量の時刻による格差は最大2〜3倍にもなる。また,それは季節によっても大きく変化する。したがって,電力需要の低いときには発電設備の半分が使われていないという無駄が発生している。これに対し,最近,ほぼ実用レベルの小型で充放電効率が高い電池技術が完成し,現在各所で実証試験が行われている。実用化できれば電気も通常の物資と同じように貯蔵や輸送が可能になると同時に,災害などに備えた備蓄が可能になる。

 昭和48年(1973年)の石油危機や原子力事故に対する不安などのため,自然エネルギー(太陽光,地熱,波力,風力,バイオマスなど)をはじめとした新たなエネルギーに対する関心が近年特に高まってきている。自然エネルギーの長所としては,永久に利用可能,量が膨大,クリーンであることなどがあげられる。一方,量は多いが希薄である,供給が不安定であるなどの短所もある( 第1-2-11表 )。このような短所を十分踏まえた上で,引き続き技術開発を進めていくことが必要である。

第1-2-11表 自然エネルギー等の長所と短所

 しかしながら,このような自然エネルギーだけでは量や安定性の観点から将来の電力需要を担うことは不可能である。将来の主たる電力源として有力視され,現在研究が進められている代表的な方法は高速増殖炉と核融合である。いずれも実用化までには長期間を要するが,核融合の燃料となる重水素は海水中に無尽蔵に含まれており,今後数万年から数億年にわたりエネルギー供給が可能となる等の意義から,着実な研究開発を行っていくことが必要である。


(6) 半導体の登場-現代技術の礎石-

 コンピュータや無線通信技術などに向けて踏み出された第一歩は,1904年のイギリスのジョン・フレミングによる2極真空管の発明であった。1906年には,3極真空管が米国のリー・ド・フォレストにより発明された。2極真空管によって交流電流を直流に変える整流が可能となり,3極真空管ではそれに加えて増幅,発振,変調作用が可能となった。3極真空管は,後の無線通信の発展に大きな役割を果たした。

 真空管の発明以上にエレクトロニクス分野に大きな衝撃を与えたのは,1948年の米国・ベル研究所のウィリアム・ショックレー,ジョン・バーディーン,ウォルター・ブラッテンによるトランジスタの発明である。真空管からトランジスタへの転換により,小型化・軽量化・長寿命化など,様々な利点が生まれ,エレクトロニクスが一躍多くの産業分野に浸透していった。

 1959年には米国のジャック・キルビーによって集積回路(IC)が発明され,その後,超高度集積回路(LSI),超LSIとほぼ3年間に4倍のペースで半導体の集積度は飛躍的に上がり,現在では集積度が数百万ゲートにも上る超々LSIの時代に入っている。

 現代技術の象徴であるコンピュータは,半導体の諸技術に大きく依存している。次項で述べるように,近年,インターネットの普及などによって画像など取り扱うべきデータが複雑になり,処理すべき情報量が飛躍的に増大している。このため,情報処理速度や伝送速度,機器インフラの整備,経費などの問題が生ずるが,半導体技術の飛躍的な進歩がこれらの問題を一気に解決している。

 このように,半導体は,現代文明の象徴であるとも言える電子機器やコンピュータ技術を支える礎石である。半導体は,「電子社会」に暮らす現代人の家庭生活や職場など様々な場面に大きく関係し,それを支え,さらに発展させるため不可欠な役割を果たしている今世紀最大の発明のひとつである。

 また,1954年の米国のチャールズ・タウンズによるアンモニアメーザーと1960年の米国のセオドア・メイマンによるルビーレーザーの発明に始まるレーザー技術は,半導体を発光源とすることによって小型化が可能になり,幅広く用いられるようになった。

 レーザー(LASER:Light Amplification by Stimulated Emission of Radiation)は光学とエレクトロニクスを融合させた「量子エレクトロニクス」あるいは「オプトエレクロトニクス」分野の根幹をなすものである。レーザー光は,単色性がよく干渉性があり,このため,非常に強力で指向性の強い光が得られ,小さい面積に光を収束することができる。レーザー光線の持つこのような特性のために,光通信,センシング,情報処理,分光分析,医療,レーザー加工,レーザー再生装置(CD, MD, LD, MO, DVD)などあらゆる分野で幅広く利用されており,さらに将来のエネルギー源と位置付けられる核融合においても極めて重要な技術になるとされている。


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