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第1部   戦後50年の科学技術
第2章  科学技術への取り組みの視点の変遷
第4節  1980年代以降:創造的科学技術の重視と新たな課題への対応


1980年代に入ると,我が国の世界経済における地位はますます大きなものとなるとともに,我が国の大きな貿易黒字等をも背景として,世界の先進主要国との貿易,経済面における摩擦が続いた。我が国の科学技術水準の向上等を背景に,海外から成果を導入する時代から,自らが道を切り開いていく時代に移りつつあるとの認識が高まり,基礎的研究の重視が強く政策面であらわれ,創造的科学技術の振興が重視された。このような背景を踏まえ,1986年には,科学技術振興を重点的かつ効率的に推進するための「科学技術政策大綱」が閣議決定された。また,科学技術面においても国際的に応分の役割を果たすべきとの認識が従来以上に強まった。さらに,がん対策,地球環境問題が注目を集め,これへの対処が大きな課題となった。また,これまで一貫して伸びてきた民間企業の研究開発投資が,1992年度,1993年度と減少に転じた。

(世界における経済的地位の拡大)

1980年代に入ると,我が国の世界経済における地位はますます大きなものとなるとともに,我が国の大きな貿易黒字等をも背景として,世界の先進主要国との貿易,経済面における摩擦が続いた (第1-2-12図)。 1950年代に始まった我が国の対米輸出に関する自主規制は,繊維,鉄鋼製品からカラーテレビへと徐々に加工度の高い製品にシフトしてきたが,1980年代には,自動車と工作機械輸出の自主規制がなされることとなった。また,半導体の分野においても,我が国産業界の成長は著しく,日米の半導体を巡る摩擦が激化した。これらは,我が国の技術水準がハイテク部門でも非常に高まった結果と考えられる。

第1-2-12図 我が国の貿易収支

産業技術の面からこの時代をみてみると鉄鋼,自動車,家庭用電気製品等の分野で世界のトップクラスに達したのをはじめ,ハイテク分野を中心に,我が国は高い技術を得るに至った。日米のハイテク製品貿易収支をみると,1980年代以降,米国は一貫して赤字傾向が継続し,我が国は逆に黒字傾向が続いている。同時に,日本の優れた産業技術に基づく輸出の急増は,世界中で様々な経済的な摩擦につながった面もある。

(創造的科学技術振興への努力)

我が国の科学技術水準の向上等を背景に,海外から成果を導入する時代から,自らが道を切り開いていく時代に移りつつあるとの認識が高まり,基礎的研究の重視が強く政策面であらわれるようになった。

このような時代認識を踏まえ,1981年には,創造的科学技術振興の観点から,科学技術政策に関する総合調整機能の強化を図るため科学技術振興調整費が計上された。科学技術振興調整費は,科学技術会議の方針に沿って運用され,基礎的,先導的な研究等を産学官の連携のもとに推進するにあたって重要な役割を果たしている。

同じ時期,基礎的研究を推進するための新たな制度の創設がみられ,創造科学技術推進制度,次世代産業基盤技術研究開発制度が発足している。創造科学技術推進制度は優れた研究者をプロジエクト・リーダーとし,その研究者のもとに産学官の研究者を結集する人中心の研究システムとして,我が国の創造的科学技術の推進に重要な役割を果たしている。また,次世代産業基盤技術研究開発制度は,産学官の連携による,組織的な取り組みにより,次世代産業の鍵となる基盤技術の底上げに貢献した。

また,経済社会の諸問題解決の鍵として,科学技術の重要性に対する認識が一層高まり,これに伴い,1982年の臨時行政調査会基本答申等において科学技術会議の機能強化を求める意見が出されるに至り,このため,1983年には科学技術会議における重要事項の適時,的確な処理を行い,機動的かつ弾力的な科学技術政策の展開を図るため,政策委員会が新たに設けられた。

1984年には,創造性豊かな科学技術の振興,人間及び社会との調和,国際性を重視した科学技術の展開を今後の基本政策とする科学技術会議の第11号答申が出された。この中で21世紀に向けて新しい文化と文明の基礎になる科学技術の総合的な発展を目指した今後10年間における科学技術政策の基本が示された。また,この答申は,1986年に閣議決定された「科学技術政策大綱」の基本となるものであった。

他方,1980年代初期には,1970年代末に概成した筑波研究学園都市の一層の発展を図るとの観点から,同学園都市において科学技術に関する国際的博覧会を開催しようという機運が盛り上がり,1985年に「人間・居住・環境と科学技術」をテーマとした国際科学技術博覧会(科学万博)として実現した。

1985年には独創性豊かな研究者の養成・確保等を図るため日本学術振興会による特別研究員制度が,1990年には科学技術庁により,我が国における基礎研究の推進と活性化を図るため,創造性豊がな若手研究者を国立試験研究機関等へ派遣する科学技術特別研究員制度が発足,さらに,1991年には独創的個人研究育成制度(さきがけ研究21)が発足している。1993年には,大型工業技術研究開発,次世代産業基盤技術研究開発制度等が発展的に改組され,産業科学技術研究開発制度が創設された。

(科学技術政策大綱の策定)

1986年には,「科学技術政策大綱」が閣議決定された。これは,1985年に臨時行政改革推進審議会(行革審)から,今後の我が国の科学技術振興を重点的かつ効率的に推進する政策の大綱を閣議決定すべきことが指摘され,この指摘を踏まえ,科学技術会議の第11号答申及びその後の科学技術をめぐる状況の変化を踏まえた科学技術会議の答申を得て,閣議決定されたものである。この政策大綱では,「創造性豊かな科学技術の振興」を基本方針として位置付け,「科学技術と人間及び社会との調和ある発展」,「国際性を重視した科学技術の展開」について十分配慮するものとしている。また,行革審は,政策大綱に基づいて科学技術政策を総合的に推進していく体制の整備の必要性があるとの認識のもと,科学技術会議の強化等を指摘した。また,科学技術会議の事務局機能の強化・充実,政策分析・評価機能の充実の必要性等が指摘され,科学技術庁科学技術政策研究所の設置等の機構整備がなされた。

その後,1990年代に入り,時代の変化を踏まえ,1990年6月に科学技術会議に対し新たな総合的諮問(第18号諮問)がなされ,1992年1月にこれに対する答申がまとめられた。この答申においては,科学技術によって国際社会と人類全体のために貢献していくことを基本的な考え方として,「地球と調和した人類の共存」,「知的ストックの拡大」及び「安心して暮らせる潤いのある社会の構築」の3点を目標として,積極的かつ総合的な科学技術政策を展開する必要があること等が提言された。この答申を踏まえて,1992年4月に新たな「科学技術政策大綱」が閣議決定されている(第3部第1章 科学技術政策大綱参照)。

(研究交流の促進等)

―研究交流の促進―

近年の研究開発は,高度化かつ複雑化し,境界領域,複合領域に拡大しており,創造的な科学技術の振興を図るためには,研究組織の枠を越えた人的・物的研究交流及びそれを可能とする組織の実現を積極的に推進し,限られた研究資源の効率的かつ効果的な活用を図ることが重要となってきた。

国が行う研究開発については,公務員制度,財産管理制度等の制約があり,民間や外国等の国以外の者との研究交流の促進を図る上での条件が十分に整っていなかった。このため,法制度上のあい路を改善すべく,1986年に研究交流促進法が制定された。さらに,科学技術面での国際貢献の必要性が高まるとともに,基礎的・創造的研究の推進が内外から強く求められている状況の下,国の研究活動を取り巻く種々の制度的制約を一層緩和するために,1992年に同法が一部改正された。

―民間における研究活動の振興―

種々の税制上の措置に加え,1980年代半ばには,民間における研究活動の振興を図るため,出融資等の助成を行う新たな枠組みが発足した。鉱業,工業,電気通信業,放送業に係る基盤技術に関する試験研究を対象とする基盤技術研究促進センターが1985年に,生物系特定産業技術に関する試験研究を対象とする生物系特定産業技術研究推進機構が1986年に,医薬品技術等に関する試験研究を対象とする医薬品副作用被害救済・研究振興基金(現医薬品副作用被害救済・研究振興調査機構)が1987年に発足した。

―地域における科学技術振興―

第四次全国総合開発計画(1987年6月,閣議決定),科学技術政策大綱等において,地域の研究開発機能の強化が地域活性化の戦略的課題として位置付けられたこと等を背景に,近年,研究開発機能の高度化を促進することによって地域振興を図ろうとする地域が増大してきた。このような状況のなかで,地方自治体において,科学技術振興施策を審議する審議会等が設置されるとともに,科学技術政策の大綱や指針の策定,公設試験研究機関の再編整備,科学技術振興財団の設立など,科学技術振興への積極的な取り組みがみられている。また,第四次全国総合開発計画においては,筑波及び京阪奈丘陵を文化・学術・研究等の拠点として整備するとともに,各地域においてその特性を生かした研究学園都市の整備を図ることとされた。さらに,地域の産業振興のために,従来は工場進出(再配置)を中心とした政策がとられてきたが,より効果的な方策として,研究施設や先端産業技術を伴うことの重要性が認識されるようになってきている。

(情報化の進展)

1980年代に入ってのコンピュータ,半導体,通信の技術の進歩と市場の拡大は著しく情報化社会の発展を支える基盤となっている。なかでも半導体技術の進展を基礎とした技術革新により,コンピュータのハードウェアの高性能化と低価格化が著しく進み,コンピュータは社会の多くの分野に普及していった。金融・保険業におけるオンライン化の推進,小売業におけるPOS(販売時点情報管理)システムの普及を含め,幅広い産業において情報化が進展した。研究開発,設計,生産現場等へのCAD/CAM(コンピュータによる設計・製造),FMS(フレキシブル生産システム)の導入が本格化した。また,パソコンの普及の拡大とともにソフトウェアの重要性が増大している。

コンピュータ,情報機器の普及ととともに,これらを統合したネットワークの整備も進んだ。

1993年には,米国において全米情報基盤(NII)構想が提唱された。これは,1) 相互に接続され操作可能な数千の電気通信ネットワーク,2) コンピュータ・システム,テレビ,ファクシミリ等の情報機器,3) ソフトウェア,情報サービス,情報データサービス,4) これらのシステムを構築し,維持・操作する訓練を受けた人々から構成され,国民全てが,必要な情報を,必要な時に,必要な場所で,適正な価格で入手することを可能としようとするものである。この構想発表を契機に,我が国においても情報化に関する関心が一層高まってきた。

近年,コンピュータの普及や情報のマルチメディア化など情報・通信技術の発達はめざましく,我が国の研究開発活動を国際レベルで展開するためには,研究情報基盤の整備が不可欠になってきた。なかでも,研究情報基盤としての我が国の研究情報ネットワークは,その整備と利用が極めて不十分な状況にあり,早急な対策が強く要請された。

その後,全国の大学,国立試験研究機関等にLAN(機関内ネットワーク),コンピュータ等の研究情報基盤の整備に関する大幅な拡充措置がなされるとともに,1994年には科学技術振興調整費に研究情報整備・省際ネットワーク推進制度が創設され,省庁の枠を超え国立試験研究機関や大学を結ぶ研究情報ネットワークが運用を開始した。

(がん対策)

高齢化社会への対応にあたっては,保健・医療における対応が極めて重要である。これまで科学技術は,保健・医療の進歩に大きく貢献してきているが,なかでも,がんに関しては,診断技術の進歩による早期発見,早期治療,医療技術の向上等により患者の生存率は徐々に高くなってきている (第1-2-13図)。 しかしながら,がんは我が国の総死亡数の約4分の1を占めており,がん対策は国を挙げて取り組むべき重要な課題である。これに対し1983年,がん対策関係閣僚会議において「対がん10カ年総合戦略」が決定された。他方,科学技術会議は「がん研究推進の基本方策に関する意見」を取りまとめている。

「対がん10カ年総合戦略」によって,がん遺伝子の発見やウイルスによる発がんのメカニズムの解明,抗がん剤の開発などの成果が得られているが,更に,これまでの研究成果を踏まえて,がんの本態解明とその成果の臨床・予防への応用を促進していく必要があるとの認識の下,「がん克服新10か年戦略」に基づき,がんの転移メカニズムの解明,遺伝子を用いた正確な診断法の確立,重粒子線がん治療装置を用いた治療をはじめとする新しい治療法の確立,コンピュータ・テクノロジー等の進歩を取り入れた先端的な診断機器の開発等を進めることとしている。

(科学技術を巡る国際関係への対応)

経済面における国際的な摩擦は,科学技術面にも影響を及ぼした。

また,経済面で世界において大きな地位を得るに至った我が国が,科学技術面においても応分の役割を果たすべきとの認識が従来以上に強まった時期といえる。

第1-2-13図 がんの5年生存率の推移

1980年に締結された日米の科学技術協力協定の改定が1980年代の半ばに話題となり,改定のための日米間の話し合いが行われた。日米の科学技術面における新しい関係を規定するものとして1988年の7月に調印された新しい協定では,両国間の科学技術関係を取り進める原則として,「両国それぞれの科学技術面における能力及び資源に応じた責任の分担並びに相互のかつ衡平な貢献及び利益」等のこれまでの協定になかった新しい概念が規定されている。また,OECDは,その科学技術政策委員会(CSTP)における議論を踏まえ,同年,科学技術国際協力のための共通原則に関する一般的フレームワークを,理事会の勧告としてとりまとめた。この中では,OECD加盟国がそれぞれ,また,全体として,

1) 基礎研究の促進,最新施設の設置,協カプロジェクトの展開,将来の科学者,技術者等の教育訓練
2) 研究者の交流,基礎研究施設に対する研究者のアクセスの円滑化
3) 研究成果の流通促進

を図ることなどが提言されている。

我が国においても,このような動きに対応して,基礎研究の強化に加え,科学技術面における国際的な対応に関する新しい動きがみられた。

国際研究交流を一層促進する観点から,外国の研究者を我が国の国立試験研究機関等に受け入れるための科学技術庁フェローシップ制度及び大学等に受け入れるための日本学術振興会外国人特別研究員制度が1988年度に創設された。

また,科学技術分野における国際貢献を目指し,生体機能の解明を目指した基礎研究を国際協力により推進するヒューマン・フロンティア・サイエンス・プログラム(HFSP)は,1987年のベネチア・サミットにおける我が国の提唱を経て,1989年にフランスにその推進のための機構を設けて事業を開始している。生産技術を国際協力により開発しようとするIMS(知的生産システム)計画も進められている。

また,東西の緊張緩和,ソ連邦の崩壊に伴う冷戦の終結,東アジア諸国の急速な経済成長等,新たな国際的な環境変化を踏まえた対応が必要となっている。

(地球環境問題等への関心の高まり)

1980年代の後半から90年代にかけて,オゾン層の破壊,地球温暖化,酸性雨,砂漠化の進行等の地球環境問題への関心が,世界的な高まりをみせてきた。この結果,1992年にはブラジルにおいて「環境と開発に関する国連会議(UNCED)」が開催され,世界から約180カ国が参加し,21世紀に向けての国家と個人の行動原則である「環境と開発に関するリオ宣言」,同宣言の諸原則を実行するための行動計画である「アジェンダ21」等の採択,気候変動に関する国際連合枠組条約等への多数国による署名等の成果を得た。また,我が国においては「アジェンダ21」を踏まえ1993年末「『アジェンダ21』行動計画」を決定した。この中では地球環境保全に関する観測・監視と調査研究の国際的連携の確保と実施が挙げられている。

さらに,こうした地球環境問題をはじめとする今日の環境問題の解決のため,環境への負荷の少ない持続的発展が可能な社会の構築を目指して,1993年11月には環境基本法が制定され,1994年12月には同法に基づく環境基本計画が閣議決定された。今後の環境行政の基本を示した同計画の中では,環境に関する調査研究,監視・観測等の充実,適正な技術の振興等について定められている。

(民間企業の研究開発投資の低迷)

これまで順調に拡大してきた我が国の企業の研究開発投資が,長引く景気低迷の影響を受け1992年度,1993年度と2年連続して減少するとともに,1993年度は国全体としても,研究費の統計調査開始以来初めて減少となるなど,従来経験しなかった事態を迎えている。また,このような我が国の研究開発投資の低迷と機をーにして,米国の競争力の自己評価の向上がみられている (第1-2-14図)。

第1-2-14図 日米の重要技術水準の評価

また,我が国からアジア諸国への企業進出・技術移転がさらに進み,他方,国内での高付加価値製品の開発生産への移行が必ずしもスムーズには進まず,我が国における産業の空洞化も懸念されている。


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