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第1部   戦後50年の科学技術
第1章  指標で見る戦後50年の科学技術活動
2.  研究人材


研究人材は研究費と並ぶ研究活動の社会からの入力の指標としてみることができる。ここでは,研究人材の観点から,社会における科学技術活動の状況等を概観していくこととする。

(研究者数)

研究関係従事者は,研究者 2 )と研究者を補佐する者(研究補助者,技能者,事務職等)に分けることができる。このうち,研究者は1960年に8万2千人,1970年に17万2千人,1980年に30万3千人,1990年に48万4千人と,一貫して増加を続け,1994年には55万8千人となっている (第1-1-8図)。

研究者を補佐する者のうち研究補助者及び技能者は,1960年に11万2千人,1970年に16万4千人と増加はしているが研究者の増加に比べれば小さい伸びにとどまり,1968年からは研究者数を下回っている。

さらに,1970年代にはわずかながら減少,1980年代には増加傾向ながら低い伸びにとどまり,研究者数と大きく差が開いている。

(研究者数の組織別増加状況)

研究者の増加状況について,1960年の各組織の研究者数を1としたときの相対値の推移をみてみる (第1-1-9図)。 1980年までは会社等と大学がほぼ同じ割合で増加を続けたが,1980年以降は,大学は引き続き増加を続けたが,会社等は更にこれを上回る高い伸びを続けた。

一方,政府研究機関は1965年までは会社等,大学と並ぶ伸びを示し,1965年以降も相対的に伸びは低いものの1975年までは拡大を続けた。

しかしながら,1975年以降は(ほぼ横ばいが続いており,会社等,大学に比べると大きく差が開いている。


注)2.本白書における研究者は,研究本務者のみを指し,兼務者は除いている。

第1-1-8図 研究者数(研究者及び補助者等)の推移

第1-1-9図 組織別の研究者の増加の推移

(人口及び労働力人口ー万人当たりの研究者数)

人口ー万人当たりの研究者数は,1960年には8.7人であったが,1970年に16.4人,1980年に25.8人,1990年には39.2人と順調に増加を続けている (第1-1-10図)。

第1-1-10図 人口及び労働力人口ー万人当たりの研究者数の 推移

また,労働力人口ー万人当たりの研究者数についても,1960年に18.2人,1970年に33.4人,1980年に53.6人,1990年に75.9人と増加を続けている。

これらの指標は,社会における研究に携わる人の割合を示していることから,これらが着実に増加していることは,研究活動の社会活動に占める割合が着実に増加してきているとみることができる。

(研究者数の全従業者数に対する比率)

研究者数の全従業者数に対する比率についてみると,化学工業(医薬品工業を除く),通信・電子・電気計測器工業は着実に増加を続けてきており,全業種の中でも高い比率となっている(化学工業:1960年2.03%,1970年3.30%,1980年5.44%,1994年10.07%,通信・電子・電気計測器工業:1960年3.13%,1970年3.30%,1980年6.56%,1994年12.29%) (第1-1-11図)。

このほか,医薬品工業,電気機械器具工業も着実に増加を続けている(医薬品工業:1960年3.66%,1994年9.47%,電気機械器具工業:1960年1.45%,1994年8.78%)。これらの業種は,新しい技術への依存度が比較的高い業種であり,このような業種では研究人材への依存度が増大してきているといえる。

(研究者一人当たりの研究補助者及び技能者数)

研究者一人当たりの研究補助者及び技能者数をみると,研究者数の増加に対して研究補助者及び技能者数の伸び悩みにより,減少傾向が続いており,1960年には1.36人であったものが,1970年に0.95人,1980年に0.53人,1990年0.43人と減少を続けている (第1-1-12図)。

第1-1-11図 研究者の全従業者数に対する比率

第1-1-12図 研究者一人当たりの研究補助者及び技能者数の 推移

(学校教育における科学技術系人材の育成)

科学技術に関連する人材は,科学技術の重要な基盤の一つである。

我が国の戦後の科学技術活動の進展を支えてきたのは理工系教育によって育まれた優れた研究者や技術者の存在である。ここでは学校教育における科学技術系人材の育成の状況の推移から,戦後の科学技術を支える基盤の変化を概観する。

-高等学校への進学率-

高等学校進学率(中学校卒業者で高等学校(通信制課程(本科)を除く)へ進学した者の割合)は,1950年の42.5%から年々上昇し,1970年には82.1%,1980年には94.2%となり,その後はほぼ同程度の比率の推移を示している (第1-1-13図)。

第1-1-13図 高等学校等への進学率 (高等学校の通信制課程(本科)への進学者を 除く)

-大学(学部)への進学率-

大学(学部)への進学率は,18歳人口の増減による変動はあるが1970年代半ばまで概ね増加を続け,1955年の7.9%から1976年には27.3%となった。その後,男子の進学率は1976年の40.9%から1986年に34.2%まで低下し,全体の進学率も1986年に23.6%まで減少した (第1-1-14図)。

しかしながら,1980年代後半以降,女子の進学率が,1986年の12.5%から1994年には21.0%と大きく増加したことにより,全体の進学率も増加に転じ,1994年には30.1%となっている。

-大学の理工系学部への入学者数-

科学技術系人材の確保にあたっては,その量的確保とともに,高度の創造力と適応力を有する人材の育成が必要とされており,その中で大学の理工系の学部は科学技術系人材養成の母体として大きな役割を担ってきている。

第1-1-14図 大学(学部)への進学率の推移

1960年10月の科学技術会議の第1号答申「10年後を目標とする科学技術振興の総合的基本方策について」及び国民所得倍増計画においては,1960年から1970年の間に必要な理工系科学技術者(理,工,農,医学部の卒業者)についての推算により,10年間で約17万人が不足すると予想し,具体的な理工系学生増貝計画を早急に策定し実施すべきことが要請された。文部省においては,これらの要請に基づいて,理工系学生増負計画(1961〜1963年)を策定し,その実現にあたった。

大学の理工系学部(理学部,工学部,農学部及び保健系学部)の入学者数をみると,1966年に3万8千人であったが,1961年から1963年まで毎年10%を超える伸びを示し,1963年には5万5千人と大きく増加した (第1-1-15図)。

-理工系学生の割合-

理工系学生の増加を全入学者数に占める理工系の入学者数の割合からみてみる (第1-1-16図)。 1956年の理工系学部の入学者数は全入学者の19.9%であったが,1960年には23.0%,1964年には26.2%と急増している。その後も着実に増加を続け1969年には30.1%となったが,1970年以降は28.3〜31.7%の範囲を推移している。1950年代後半から1960年代前半にかけての理工系入学者数の割合の増加は特徴的な動きといえる。

-博士号取得者数-

博士号取得者数は科学技術系人材の資質を評価する上で重要な指標の一っと考えられている。理学系及び工学系の博士号取得者数の推移をみると,1960年代に大きく増加し,1960年に240人であったものが1970年には1,463人と10年間で6.1倍になっている (第1-1-17図)。 このうち,1960年代の前半は論文博士の伸びが顕著であり,1960年の29人から1965年の520人へ増加している。一方,課程博士は1960年代後半の増加が大きく,1965年の315人が1970年には748人ヘと増加した。

第1-1-15図 大学理工系学部の入学者数の推移

第1-1-16図 大学入学者に占める理工系学部入学者の割合の 推移

第1-1-17図 博士号取得者数の推移(理学系及び工学系)

1970年代は論文博士,課程博士ともに緩やかに増加を続けたが,1980年代に入り論文博士が比較的順調に増加を続けたのに対し,課程博士は減少に転じた。1980年代後半になって,課程博士も急増に転じ,1990年には課程博士取得者1,404人,論文博士取得者1,398人となっている。


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