ここからサイトの主なメニューです
前(節)へ  次(節)へ
第1部   科学技術の地域展開
第2章  地域と共に発展する科学技術
第2節  地域における科学技術の推進主体
1.  地域における科学技術の歴史


(昭和20年まで)

戦前の地域における科学技術については地方行政の考え方自身,現在と大きく違っており比較が困難であるが,概して公設試験研究機関,大学を中心に農林水産業系,工業系の分野で研究が進められていた。

公設試験研究機関では農林水産業系の機関が最も早く整備が進んだ。

農林水産業系の公設試験研究機関は明治20年頃からしだいに設立され,明治33年までにほとんどの府県で設置されている。国としても明治32年に府県農事試験場国庫補助法を制定し,公設試験研究機関の助成を行っている。

一方,工業系の公設試験研究機関は明治34年の「府県郡市工業試験場及ヒ府県郡工業講習所規定」の制定によりその設置の促進が図られ,昭和初期までにほとんどの府県に整備された。商工省資源局が昭和6年に行った調査で当時の工業関係の試験研究機関の状況をみてみる。全国の研究機関数は349機関,研究者数2,729人となっている。公設試験研究機関は機関数で4分の1弱,研究者数で5分の1を占めている( 第1-2-1図 )。

第1-2-1図 工業関係試験研究機関の状況(昭和6年度)

(昭和20年から昭和30年代前半まで)

第2次世界大戦によって我が国の行政組織は大きく変わった。地方行政も新憲法下で制定された地方自治法のもとで行われ,公設試験研究機関は新しい都道府県に引き継がれた。昭和25年当時の研究機関の現状を見ると,試験研究機関の総数は867機関,研究者数は14,558人となっている。機関数,研究者数の組織別比率を見ると,公設試験研究機関は研究機関数,研究者数でそれぞれ48%,26%を占めている( 第1-2-2図 )。その機関数の内訳は農学系が最も多く(67%),工学系はおおむね4分の1となっている( 第1-2-3図 )。機関数で7%を占める医学関係の機関は昭和23年に厚生省が出した通達「地方衛生研究所設置要綱」に基づいて新たに整備されたものが多い。

第1-2-2図 試験研究機関の状況(昭和25年)

第1-2-3図 公設試験研究機関の内訳(昭和25年)

(昭和30年代後半から昭和50年代前半まで)

1960年代に入ると我が国は高度経済成長期を迎える。経済活動の急激な進展に伴い,人口の大都市への集中,環境の悪化,地域間較差の拡大等の問題が生じた。このため我が国で初の全国総合開発計画が昭和37年に策定され,拠点開発構想が進められることとなった。また,昭和36年に首都圏への人口集中の防止と官庁(付属機関及び国立の学校を含む)の集団移転を進める方針が閣議決定され,これを受けて東京都内に設置されている国立試験研究機関等の筑波研究学園都市への移転が開始された。昭和43年に移転機関第1号(国立防災センター)の建設が始まり,昭和55年に筑波研究学園都市は概成した。

一方,昭和30年代後半から公害問題が各地で発生し,国,地方公共団体とも公害対策に対応する必要性が生じた。また新しい化学物質が身近なものと普及するにつれて,飲料水や食品添加物等の安全性等の新たな問題が発生した。このため地方衛生研究所の強化が行われ施設の拡充,検査設備の近代化が進められたほか,公害監視センター,公害研究所等の公設試験研究機関が設置された( 第1-2-4図 )。

その後昭和48年のオイルショックを契機に我が国は安定成長経済へと移行した。このような中で昭和52年11月の第三次全国総合開発計画では,大都市への人口と産業の集中を抑制し,その一方で地域を振興し,全国土の利用の均衡を図る定住構想が打ち出される等,地方重視の気運が高まった。このような地方重視の考えを受けて,昭和52年の科学技術会議第6号答申「長期的展望に立った総合的科学技術政策の基本について」では地方における科学技術活動の推進が具体的施策の一つに上げられていたが,さらに53年12月に科学技術会議は「地方における科学技術活動の推進に関する意見」を内閣総理大臣に具申し,地場産業の育成,環境保全等の地域社会に密着した研究開発の推進を提言している。

第1-2-4図 公設試験研究機関の設立年

(昭和50年代後半以降)

第三次全国総合開発計画の定住構想を押し進める政策が積極的に推進された。まず,高度技術に立脚した工業開発を促進することにより地域経済の発達を図るテクノポリス構想が提唱され,昭和58年に高度技術工業集積地域開発促進法(テクノポリス法)が制定された。テクノポリスは産・学・住が調和したまちづくりを実現するものである。

多くの地方公共団体がテクノポリス建設のための計画策定に取り組み,昭和59年以降テクノポリス開発計画が実施された。

昭和61年には民間事業者の能力の活用による特定施設の整備の促進に関する臨時措置法(民活法)が制定され,研究関係施設も対象に含まれることとなった。これを受けて,昭和60年以降はテクノポリス法や民活法に基づいた研究施設の整備が全国各地で進められるようになった。昭和62年には多極分散型国土形成を目標とする第四次全国総合開発計画が制定され,地域における研究開発機能の更なる強化が提言され,昭和63年の地域産業の高度化に寄与する特定事業の集積の促進に関する法律(頭脳立地法)の制定等の施策が講じられている。なお近畿圏では創造的な文化・学術・研究の拠点作りを目指す関西文化学術研究都市の建設が昭和62年の関西文化学術研究都市建設促進法の制定を経て,本格的に進められている。

近年は学識経験者による科学技術会議等を設け,総合的な科学技術政策を策定する地方公共団体が急増するなど,科学技術の振興体制の整備が進んでいる。具体的には,基礎研究を含む科学技術の高度化を目指した研究体制の強化が進められるとともに,技術移転,技術指導の促進等においても多様な方策が取られている。その中には,先端的研究所を誘致するだけでなく,地方公共団体自ら設置し,地域の科学技術水準の向上を図ろうとするところも一部出てきている。このような地域における研究主体の現状については,項を改めることとする。


前(節)へ  次(節)へ

ページの先頭へ   文部科学省ホームページのトップへ