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第1部   我が国科学技術の国際化に向けて
  序章 我が国の科学技術の概観
  [我が国科学技術の史的展開]
  〈昭和40年代〉


昭和40年代は,昭和30年代の自主技術開発路線を継承しつつ,原子力,宇宙等の巨大科学技術プロジェクトが多数発足した時代であり,反面後半には,急速な経済活動の拡大に伴い顕在化してきた各種公害に代表される自然環境問題に直面して,科学技術の社会への適用に当たってのアセスメントの必要性が指摘され始めた時代でもあった。また,昭和40年代後半には石油危機や食糧需給のひっ迫といった世界環境の大きな変動を体験し,激動する時代に対応した科学技術の重要性が認識され出した。

ここで昭和40年度の我が国の研究費をみると,研究費総額約4,300億円,対国民所得比1.61%であり,欧米先進国と比較して依然低い水準にありながら,研究費総額では10年前の約10.6倍に達しており,欧米先進国に比して極めて高い伸びを示していることがわかる。

このような積極的な研究開発投資は,自主技術開発を指向する民間企業に負うところが大きかったが,政府はより一層の研究開発投資の増加を図るため,国の研究開発費の増額を図るとともに,民間企業の研究開発を振興すべく,まず,税制面の施策として昭和42年に増加試験研究費の税額控除制度の創設,また金融面の助成策として,昭和43年に日本開発銀行の技術振興融資制度の創設を行った。

一方,原子力開発,宇宙開発,海洋開発等のいわゆる巨大科学技術は,この時代に本格展開に向かって動き出し,自主技術開発を目指したナショナルプロジェクトに官民挙げて取り組んでいくこととなった。原子力の分野をみると,昭和41年に原子力委員会において,高速増殖炉と新型転換炉とを自主開発することが決定され,翌42年には,その実施母体として,動力炉・核燃料開発事業団が設立された。また宇宙分野では,昭和43年にそれまでの宇宙開発審議会に代わって宇宙開発委員会が設置されるとともに,翌44年には宇宙開発事業団が設置され,人工衛星とその打上げ用ロケットの開発が本格的に進められることとなった。

他方,昭和40年代の日本の急速な経済発展は,一部で公害問題を発生させ,国民の健康や自然環境問題等の社会問題が顕在化するにつけ,かかる問題の対策としての科学技術が注目されるようになった。このような状況の中で,昭和46年に科学技術会議が行った第5号答申では,テクノロジーアセスメントの必要性が述べられるとともに,ライフサイエンスやソフトサイエンスの振興を新しいモチーフとした政策展開の方向が示された。

ここで産業技術の面からこの時代を見てみると,昭和40年代前半は,日本の自動車技術が急速な進展を見せた時代であり,これを軸に道路整備,建築,橋,鋼材等が大きな需要増を示し,日本経済の驚異的な高度成長につながっていった。

昭和40年代の後半に入ると,自動車やテレビ等の耐久消費財の国内需要がほぼ一巡したことにより,新たな市場を海外に求める動きが急速に拡大するとともに,買い替え需要に対応するため多様な好みに合った製品を市場に送り出すことが必要になり,NC機器の急速な進展等を背景にして,多種少量生産のための新しいオートメーションラインが続々導入されていった。

このような中で,依然として技術貿易全体では大幅な赤字基調にあるものの,新規分だけの技術貿易で見ると,昭和47年からは技術輸出が技術輸入を上回る状況となり,以後今日までこの状態が続いている。


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