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第1部   21世紀の新たな技術の創出を目指して
第5章  欧米主要国の基礎的研究の動向
2.  米国における基礎的研究の動向
(1)  第2次世界大戦の影響と国立科学財団(NSF)の設立


米国が戦時研究開発体制を整備し始めた当時,米国の研究開発の中心は産業界であった。1940年の米国の総研究開発費の負担割合は,産業界68%,政府19%,大学9%,非営利民間研究機関4%であり,政府の負担は5分の1以下であった。各部門は,自らの目的のために資金を確保し,各々別個に発展しており,この様子はあたかも現在の日本の事情に類似している。

1941年,科学研究開発局(OSRD)が大統領により設置され,研究開発が政府により強方に推進され始められるに及んで,米国の研究開発の様相は一変した。1941年以降,政府の研究開発予算は急激に増加し,政府が産業界を抜いて最大の負担源となった( 第1-5-7図 )。大戦中,原子方関係を除いて年平均600百万ドルが研究開発に費されたが,そのうち83%は政府により供給されている。政府資金の大学,産業界への流入も著しく,この結果,1939年には全体の1%に過ぎなかったアメリカ電話電信会社(ATT)ベル研究所の研究費に占める政府資金の比率は,1944年には81.5%に達することとなった。

第2次世界大戦が米国の科学技術に与えた影響は,研究資金面のみではない。戦時の研究体制構築により政府と科学者の親密化が進んだ結果,それまで政府の資金と監督の下での研究をしようとしなかった科学者に,国家への貢献という意識を与えることとなったとともに,これら科学者が政府の助成を受けるようになった。また,大学の科学者及び学生に,製品開発を指向した研究が高度な知的刺激を与え得るものであることを示し,大学の科学者と企業とのコンサルタント契約や企業による学生の採用の増加をもたらしたとされている。

第1-5-7図 米国の研究費(対国民所得比)

一方,この影響は,政府にも及び,大学の科学者が現実の応用的な課題に貢献し得ることを政府に認識させることとなった。

このような新しい経験を踏まえ,戦時の経験を平和時に活かすため,ルーズベルト大統領の求めにより,OSRD局長ブッシュは,1945年,報告書「科学:果てしないフロンティア」を提出した。同報告書では研究,教育に対する政府の明確な助成及び基礎的研究の助成と奨励等を行う機関としての国立研究財団(NRF)の設立等を提言した。しかし,次のトルーマン大統領は公的資金に対する責任と統制を失うものとして,NRFの設立を採用しなかった。一方,議会においても同様の検討が進められた。

さらに,1947年には大統領科学研究委員会の調査報告が発表され,政府の研究開発費の増額,基礎的研究の重視,国立科学財団の設立等を提言した。

こうした基礎研究の重要性と政府の役割に対する認識の高まりを受けて,政府と議会の調整が行われ,1951年,国立科学財団(NSF)が設立された。

NSFは,基礎的研究の振興を主目的とする政府機関であり,ここに初めて政府による基礎的研究の振興が単独の目的として制度化された。

国防省においても,海軍研究局(ONR)が設置されるなど,基礎的研究に対する取組みが強化された。1946年,原子力委員会(AEC)が設立され,広範な基礎的研究を開始した。


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