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第1部   創造性豊かな科学技術を求めて
第2章  自主技術開発への展開
第3節  先導的・基盤的科学技術分野における自主技術開発の展開
4.  ライフサイエンス


ライフサイエンスは,生物学,医学,農学,さらには化学,物理学,工学等の分野に係る幅広い知見を活用して生命現象を解明し,その成果を人類の福祉の向上に役立てようとする科学技術である。ライフサイエンスの研究対象となる課題は,分子,細胞,組織,器官,個体,集団等多様なレベルでの生命現象の解明及びその応用に広がっている。今後,ライフサイエンスの研究は,生命に関する知見の拡充,医療の進歩,食糧・エネルギー問題の緩和などを通じて人類の福祉の向上に多大な貢献をするものと期待されている。

ここでは,ライフサイエンスの研究課題の中から,生命現象,特に生物のもつ最も基本的な性質の一つである遺伝現象の解明に多大の寄与をし,また一方では今後世界において起こり得る技術革新の一端を担う有望な新技術であるという意味で,現在非常に重要視されている組換えDNA技術について分析することとする。

組換えDNA技術とは, 第1-2-33図 に示すように,酵素などを用いて試験管内で,ある生細胞内で増殖可能なDNAと異種のDNAとの組換え分子を作成し,それを他の生細胞内に移入する技術を言う。DNA(デオキシリボ核酸)は,生物の細胞内に見出される極めて分子量の大きい有機化合物であり,炭素,酸素,水素,窒素及びリンの5種類の元素から成り立つ物質である。その名称は,この物質が細胞の核内に存在すること及び糖の一種であるデオキシリボースを含むことに由来している。

DNAは19世紀に発見されたが,その機能についてはしばらく未知のままだった。その後,今世紀の半ばに至り,米国のエイブリーらによって,このDNAこそ生物の最も基本的な性質の一つである遺伝現象をつかさどる物質,すなわち遺伝子であることが明らかにされた。さらに,1953年,イギリスにおいて米国人のワトソン及びイギリス人のクリックが共同研究により,いわゆる二重ら旋構造のモデルを提示した。これによりDNAを基礎とする分子生物学が急速に進展し,現在に至っている。

この間DNA研究に大きな転換をもたらしたのが,1973年スタンフォード大学のコーエン,カルフォルニア大学のボイヤーらによって初めて実現された組換えDNA技術である。組換えDNA技術は,米国を中心として発展し,1)DNAの塩基配列の解析に欠かせない基本的な実験手法として,基礎的な医学・生物学の発展に多大の貢献をするとともに,応用面においても2)インシュリンやインターフェロンのように有用でしかも現状では極めて高価な物質を微生物によって大量に生産させるといった新しい生産の手段として,3)農作物などに多収性,耐病性,耐冷性などの性質を付与したり,それらの性質を向上させる品種改良の手段として,さらに4)環境の保全等に寄与する有用微生物の育種の手段として等,幅広い分野において,人類の福祉の向上に寄与するものとして大きな期待がもたれている。

第1-2-33図組換えDNA技術の概念(代表例)



(諸外国の組換えDNA研究)

世界の組換えDNA研究は,これまで米国が先導する形で進んできた。 第1-2-34表 に示すように,組換えDNA技術によって各種の蛋白質等を作ることに成功した主な例はほとんど米国において実現されているが,他の国々での研究も徐々に進展し,最近2〜3年の間には我が国においてもいくつかの重要な成果があがっている。ここでは米国を中心とする各国の研究開発の動向を見ることとする。

既に述べてきたように,米国は基礎及び応用の両面において,世界の組換えDNA研究を先導してきた。米国の組換えDNA研究の最大の特徴は,研究開発を主たる業務とするベンチャービジネスの存在である。米国では,1970年代後半に組換えDNA技術のもたらす可能性の大きさが明らかになって以来,大学等の第一線の分子生物学者の参加・協力の下に多数のベンチャービジネスが創設され,ライフサイエンス分野の先端技術の産業化を目指した研究開発に活発に取り組んでいる。これらの企業は,既存の医薬品業界や化学業界の大手企業と技術提携することにより,研究開発の成果を企業化しようとしている。大学や基礎研究機関の最先端の研究室から生まれ,ベンチャービジネスによって育てられた技術が,高付加価値化を目指す巨大産業の資本力と結びついて,急速な展開を見せつつある状況と言えよう。

第1-2-34表 組換えDNA研究の歩み

第1-2-35表 は米国国立衛生研究所(NIH)によって認可された組換え体の大量培養計画であり,米国の組換えDNA技術は,既に産業化の段階に入りつつあると考えられる。1982年10月には,米国食品薬品局(FDA)が組換えDNA技術によって生産されたインシュリンの市販を許可したことが伝えられている。これらの事実は,いずれも組換えDNA技術が実験室段階から企業化の段階に進みつつある状況を示していると考えられる。

一方,欧州諸国の組換えDNA研究の水準は,米国に一歩遅れていると見られる。欧州では,イギリスやフランスにおいては,官民共同によりこの分野のベンチャービジネスが設立され,また,各国の共同出資による欧州分子生物学研究所が西ドイツのハイデルベルクに設立される等,国策として組換えDNA技術の積極的な研究開発が進められている。また,欧州各国は,1970年から82年までの間に,ライフサイエンス分野に関係の深いノーベル医学・生理学賞受賞者を13名出しており(米国は同期間に20名の受賞者を出している。),今後組換えDNA研究で,米国の水準への接近を図っていくための潜在的能力は十分にあると言えよう。

第1-2-35表 米国内民間企業における組換え体の大量培養に関する米国国立衛生研究所(NIH)の認可状況(1981年10月現在)


(我が国の組換えDNA研究の現状と水準)

これまで述べたように,欧米各国では基礎から応用にわたる組換えDNA研究が活発に推進されている。我が国では,政府において科学技術会議が,昭和52年5月のいわゆる第6号答申や55年8月の「ライフサイエンスの推進に関する意見」の中で組換えDNA研究の重要性を指摘するとともに,具体的な研究目標及び推進方策を提示し,積極的な取組みの必要性を強調した。

また,特に54年8月の第8号諮問「遺伝子組換え研究の推進方策の基本について」に対する答申では,今後の我が国の組換えDNA研究の推進方策を示し,その中で安全性確保のための実験指針を提示した。この指針は,米国の学者の間から起った組換えDNA研究についての自主的規制の動きに対する各国の対応の一環として制定されたものである。実験指針は,1)組換え体が実験室の外に出ることを防止する設備を用いる物理的封じ込めと,2)実験室外では生きていけないような宿主を用いる生物学的封じ込めとの二つの要素が中心となっている。

一方,上述の科学技術会議の第8号答申に先立って53年11月,文部省の学術審議会が「大学等の研究機関における組換えDNA実験の進め方について」を建議し,これを受けて文部省は,54年3月に大学等の研究機関等における実験指針を制定した。これにより,まず,大学を中心とした研究機関から組換えDNA研究の推進体制の充実が図られてきた。

こうした状況下で,大学や国の試験研究機関において多様な研究開発が進められているほか, 第1-2-36表 に見られるように多くの有力企業が組換えDNA技術の事業化の計画をもっており,積極的な研究開発を進めている。また,同表から,各企業が医薬品分野を中心に,商品の高度化・高付加価値化の手段として組換えDNA技術を位置付けていることがうかがえる。

第1-2-36表 国内の民間企業による組換えDNA技術事業化計画

ここで我が国における組換えDNA技術関連特許の出願動向を見ると, 第1-2-37図 に示すとおり昭和56年5月までに出願された55件のうち,日本人による出願が12件(22%)なのに対し,米国人による出願は27件(49%)にものぼっている。また,フランス,イギリス,西ドイツ等の他の外国人による出願の比率が29%と高いことともあわせ,特許の面で見ても,我が国の組換えDNA技術が諸外国に遅れをとっているとの見方もできる。

第1-2-37図 組換えDNA技術関連特許の我が国への出願件数(累積)

このように,我が国の組換えDNA研究は,米国をはじめとする欧米先進国に数年遅れて開始されたこともあり,現在までのところ,特に米国に対しては遅れをとっている状況にある。しかし,我が国には,みそ・しょう油等の醸造食品に代表される微生物利用技術の基盤があり,また,近年の抗生物質,アミノ酸等の製造における微生物利用技術では世界で最高の水準にある。このような我が国の微生物利用技術及び最近水準を上げつつある大学・公的研究機関での基礎・応用研究は,これからの国際的な組換えDNA研究の開発競争においても,極めて重要な役割を果たしていくものと思われる。

事実,前記の第1-2-34表に示すB型肝炎ウィルス表面抗原蛋白質の酵母を用いた製造技術は,生産量が酵母菌1個当たり約50万分子と,米国カリフォルニア大学の同種の成果に比べ,かなり大きい値を示すなど組換えDNA技術のワクチン製造への応用の道を拓いたものとして注目されており,世界的にも最高の水準にある。これは我が国の組換えDNA研究が徐々に水準を向上させてきていることの一つの表れと考えられる。

政府は昭和56年11月,科学技術会議に対し,「ライフサイエンスにおける先導的・基盤的技術の研究開発基本計画について」諮問を行った。これは,組換えDNA研究を中心とする今後の我が国のライフサイエンス研究開発の方向を示す重要な計画であり,58年前半の答申を目指し,現在審議が進められている。

また,現在我が国で宿主として一般に使用できるものは,大腸菌など4種類に限られており,57年に実験指針は生物学的封じ込めを中心に一部改訂されたものの,諸外国,特に米国に比べ非常に制約が大きい。科学技術会議の第8号答申でも述べられているとおり,我が国としては,この宿主の範囲を拡大することが組換えDNA研究の発展にとって不可欠であると考えられる。しかし,このためには,宿主として使用する微生物等に異種のDNAを組み込んだ場合,その性質がどのように変化するかなどを確認しておく必要がある。同答申では,国はこうした安全性評価研究を行いうる実験区域を備えた総合的な研究施設を設置することが必要であるとしている。

組換えDNA技術は,分子生物学上の重要な実験・研究手段でもあり,その成果の応用範囲が広く,新たな技術革新の担い手としても期待されている。また,組換えDNA技術とともに,細胞融合技術をはじめとする関連研究の進展も著しく,遺伝子工学,生物工学,バイオテクノロジーなどと呼ばれる新たな領域を生み出しつつある。今後,我が国は組換えDNA技術等関連研究をはじめとするライフサイエンス研究を一層積極的に進めていく必要がある。


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