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第1部   時代を拓く科学技術
第1章  戦後から現在までの科学技術発展の軌跡
第3節  1970年代
3.  新たな時代へ向けての科学技術


以上に述べた科学技術は社会の要請にこたえて現われてきたものであったが,一方,1970年代においても民間企業では,各方面において活発な研究開発がなされた。これを科学技術庁が,資本金10億円以上の民間企業を対象に1979年(昭和54年)12月に実施した「民間企業の研究活動に関する調査」の結果からみると 第1-1-8表 に示すとおりである。 第1-1-8表 の44種類(2業種に出てくる家庭用VTRは1種類とする。)の技術の内容をみてみると,「乗用車の排出ガス対策」,「イオン交換膜法食塩電解技術」,「無公害パルプ化法」などの環境保全技術,「原油の三次回収」,「石油,LNG等の備蓄施設建設技術」,「低燃費技術」などのエネルギー関連の技術も多いが,エレクトロニクス関連の技術が最も多く,また,多業種にわたっている。

第1-1-8表 1970年代に民間企業で行われた主要な研究開発


エレクトロニクス関連の技術は,IC,LSI等の発展により多くの技術,製品が生まれている。このため,通信・電子・電気計測器工業は「家庭用VTR」,「電子交換機」,「超LSI」など多くの研究開発がなされており,通信・電子・電気計測器工業以外でも「感熱記録紙等情報産業用紙」,「光ファイバケーブル」,「自動車部品の電子化」,「水晶式電子腕時計」のようにパルプ・紙工業,非鉄金属工業,自動車工業,精密機械工業と多くの業種でエレクトロニクス関連の技術が生まれた。また,電子式卓上計算機も電気機械器具工業,通信・電子・電気計測器工業,精密機械工業などに分散して1970年代における主要な研究開発として挙げられている。

以上が「民間企業の研究活動に関する調査(昭和54年度)」の結果であるが1970年代における技術開発では,エレクトロニクス関連の技術開発が目ざましい実績をあげてきており,以下エレクトロニクス分野,特に集積回路(IC)及び電子計算機について概観することにする。


エレクトロニクス

IC及び電子計算機の二つを選んだのは,ICはエレクトロニクス分野の最も基礎的な技術であり,また電子計算機はその最も顕著な応用分野であるからである。

電子回路に使用されて増幅などを行う素子として世界最初のものは,1906年に米国のド・フォレストにより発明された三極管であり,これが改良され各種の真空管が誕生した。我が国では1915年(大正4年)に第1号試作真空管ができ,その後ラジオ,通信機などに広く利用された。しかし,この真空管は電子計算機の開発過程では初期の段階で使用されたに過ぎなかった。これは1948年に米国において発明されたトランジスタ及び1954年(昭和29年)に日本で発明されたパラメトロンが,電子計算機の重要な素子としていち早く取り上げられたからである。

このトランジスタは,1949年(昭和24年)から我が国でも研究が開始され,1954年から市販されるようになり,翌年開発されたトランジスタラジオなどの増産に伴い,その生産を拡大していった。

一方,我が国の電子計算機は,1950年代に研究開発が進み,1956年(昭和31年)に通商産業省電気試験所がトランジスタ式電子計算機(ETL-MA RKIII)を完成させ,続いて翌年には改良型の同IV型を完成させた。これらのトランジスタ式電子計算機の製造について修得された技術が,国内各メーカーに技術指導を通じて移転されていった。このようにして,1958年(昭和33年)から3年位の間に国産トランジスタ式電子計算機が各メーカーによって次々と完成されていった。しかしながら,我が国では過去の電子計算機の実用経験が浅かったため,そのハード部分の製作技術は比較的早く確保されたが,電子計算機を有効に動作させるソフト技術の面では若干遅れをとった。

トランジスタの発明によって電子回路の小型化が進み,米国においては,これらの小型部品を規格化された枠の中に立体的に組み込むマイクロモジュール技術が1958年に生み出された。さらに1959年には,一つの結晶基板内にトランジスタ,抵抗,コンデンサなどの素子を一括して組み込み,ブロックとして一つの機能を持たせた機能素子が開発され,これがICの原形となった。また,同年に米国でシリコンプレーナトランジスタ技術が開発され,これによってトランジスタの量産技術が確立され,1961年のシリコンプレーナIC開発の基盤技術となった。この電子回路のIC化は,小型化だけでなく回路の信頼性の向上にも大きく貢献することとなった。

このようにトランジスタやICなどの新しい素子の製造技術が主として米国で開発されたのに対して,我が国においては,1957年(昭和32年)のエサキダイオードの発明などもあったが,主として半導体素子を組み込んだ商品の開発に力が入れられた。例えば,1962年にイギリスで発売された真空管式電卓(電子式卓上計算機)に対して,1964年(昭和39年)我が国のH社が世界初のトランジスタ電卓を発表し,国内各社がこれに続いてトランジスタ電卓の製造を開始した。そして1966年(昭和41年)にはICを使用した電卓が発売されている。

我が国におけるICの開発については,1961年(昭和36年)に電気試験所が試作に成功したのをはじめとして,各半導体部品メーカーが研究を開始したが,シリコンプレーナ技術が未熟であったために,大幅に外国から技術導入が行われ,工業化されたのは1966年(昭和41年)である。

トランジスタ,ICの大きな需要先である電子計算機については,1960年代に入って次々と米国の技術を導入し,研究開発及び製造が推進された。

1962年(昭和37年)には,国内民間会社3社により電子計算機技術研究組合が結成され,外国機をしのぐ性能の国産機の開発を目指し研究を開始している。そして,1966年度(昭和41年度)に通商産業省による大型プロジェクト「超高性能電子計算機」がスタートし,1971年度(昭和46年度)までに100億円をかけて, LSI(大規模IC)や入出力装置など電子計算機の高性能化に関する基礎技術の開発を行った。

このように電子計算機の研究開発等が積極的に行われた結果,1960年代後半から電子計算機の生産高が急激に伸び出した。これを利用面からみると,1960年代に入ってから製造業,金融業などの業種で盛んに取り入れられて企業内の合理化に使用され始めた。1964年(昭和39年)には,国鉄が座席予約システム「みどりの窓口」を通信回線を使用するオンライン方式で設置した。また,1965年(昭和40年)にM銀行がオンライン・サービスを始めたのに続いて各行が同様のサービスを提供し,全国ネットワークへと発展している。これらのオンライン・システムの発達及び中小企業などの電子計算機導入気運の高まりにより,電子計算機が一般国民に身近な存在となっていった。

1970年代に入ると,我が国のトランジスタ及びICの生産は第1-1-36図に示すように,電子計算機,電卓,家電製品などの生産増に伴い着実に増加し,特にICの伸びが著しい。これに対して,真空管特に受信管は減少傾向に転じて,新旧の交替がはっきりとあらわれている。

前にも述べたように電卓の半導体化は日本が最も早く行い,早くから輸出を目指し努力していた。1968年(昭和43年)にICの特許問題が解決し,輸出が解禁されたため,1970年代に入って 第1-1-36図 に示すように,輸出が急増し,これに伴い生産も増加している。

ICの高集積化は1960年代に大幅に進み,1969年(昭和44年)にはLSIが使用された電卓も発表されている。しかし,当初の電卓用LSIは米国においてしか生産されず,国内メーカーがこれを大量に輸入したために,1971年(昭和46年)のIC生産は, 第1-1-36図 に示すように一時減少している。

しかし1971年に電卓用LSIの国産化が行われ,1972年にはカラーテレビの部品としてICが使用され始めたため,その生産は急速に増加している。

なお,1975年(昭和50年)の落ち込みは,前年の輸入自由化の影響である。

1972年度(昭和47年度)には,ICの需要全体に占める電卓分の割合は30%にものぼり,電子計算機分の27%を上回って最も多量にICを使用する分野となっている。この間,1971年(昭和46年)には,LSI1個で電卓の表示部分以外のすべての機能を持つワンチップ電卓や電卓の電力消費の泣きどころであった表示部分に省電力素子の液晶を使用した電卓が登場した。1972年(昭和47年)頃から電卓の低価格小型パーソナル製品が続々と発売され,需要層は事務所から一般家庭にまで広がり,激しい市場争いによる値下げ競争が続いた。また,研究開発の成果として,電卓の主要部分のすべてを1枚の強化ガラス基板上に一体化して組み込む技術が生み出され,電卓製造の生産性を従来より15倍も高めるとともに信頼性が格段に向上した。この技術が更に発展してミリ単位の超薄型電卓が実現している。1970年代後半には,このような薄型電卓に加え,低価格関数電卓,学習用電卓,事務用単能電卓,印字式電卓など電卓自体の用途による種別化が急速に進んでいった。

第1-1-36図 デジタル形電子計算機,電卓及び電子デバイス の生産等の推移

第1-1-37図 ICの需要分野別シェア (単位 %)

最近のICの需要分野別シェアを 第1-1-37図 により見ると,電子計算機等が最も大きく30%,ラジオ・テープレコーダ等が21%で,電卓は16%で第3位となっており,全体的にみれば,家庭などで主として使用される民生用機器が60%近くを占めている。また,ICの研究開発費を 第1-1-38図 により見ると,1970年代に入ってほぼ設備投資額に匹敵するくらいの額が研究開発費に使用され,好不況の経済情勢に関係なく,一貫して増加している。

最近のICの研究開発費で特に大きな割合を占めるのは,超LSIの研究開発に関するものである。これは電子計算機用や通信機器用に使用されるもので,1976年(昭和51年)に発足した超エルエスアイ技術研究組合及び日本電信電話公社の電気通信研究所が主な研究主体である。

第1-1-38図 半導体ICの研究開発費と設備投資額の推移

1970年にIBM社は,LSIを使用した電子計算機を発表,2年後にはこれに仮想記憶方式を取り入れて,電子計算機業界は第3.5世代に突入した。

我が国においても,「特定電子工業及び特定機械工業振興臨時措置法(1971年)」や電子計算機等開発促進補助金制度(1972年)に支援された国内各メーカーの大手6社が,2社づつ協力して三つの電子計算機関係技術研究組合を設立,LSIを使用した第3.5世代の機種の開発を開始し,1974年(昭和49年),各グループは次々と新しい電子計算機を発表した。そして更に新しい機種の開発を次々と行い,1970年代後半には一部のメーカーが電子計算機本体の輸出に成功している。

第1-1-39図 経営主体別計算センター分布の推移(センター数)

1970年代におけるこれら電子計算機の利用面をみると,まず計算センターの伸びが著しい。これは1960年代後半から起こったMIS(経営情報システム)ブームに乗って全国にその網を広げていった結果である。 第1-1-39図 は,計算センターの経営主体別の分布を見たものであるが,最初は,自社の電子計算機の需要を引き上げる役割も兼ねたメーカー及び関係販売会社の経営する計算センターの占める割合が多かったが,需要が増加するに従って独立系の受託企業が著しく増加してきたことが明らかである。

また,1960年代に国鉄,銀行など一部で始まっていたオンライン・システムをはじめとする各種のデータ通信システムの利用が広く一般に普及拡大し,データ通信システム数は, 第1-1-40図 に示すように1970年代に入って急増している。

第1-1-40図 国内データ通信システム数の推移

1970年代後半には,事務用の小型電子計算機(オフィス・コンピュータ)や電子機器の部品として使用されるマイクロ・コンピュータなどが次々と生み出され,1977年(昭和52年)以降,電子レンジ,テレビ,エアコンなどの家庭電気器具や複写機,ファクシミリなどの事務機に,また,エレベータ,カメラ,計測器,自動車,テレビ・ゲームなどの多くの分野で使用され始めている。

このマイクロ・コンピュータと米国で一番最初に作られた真空管式電子計算機とを比較してみると, 第1-1-9表 に示すとおり,同程度の性能を持つ計算機が著しく小型化し,信頼性が向上したことが明らかであり,これはまさに集積回路技術の成果である。

第1-1-9表 真空管式電子計算機とマイクロ・コンピュータの比較


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