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第1部   時代を拓く科学技術
第1章  戦後から現在までの科学技術発展の軌跡
第3節  1970年代


1970年代は,国際経済の枠組みが大きく揺らいだ時期であり,日本もその影響を大きく受けた。まず第1は,国際通貨面での基軸通貨であるドルの国際的信認が低下し,戦後自由世界の経済体制を支えてきたブレトン・ウッズ体制が1971年(昭和46年)8月のニクソン大統領声明以降機能を停止したことである。第2は,1973年(昭和48年)に始まる石油危機である。1950年代,60年代の我が国の高度経済成長を支えた大きな基盤であった為替の固定レート制度と石油の安価・安定供給の二つが崩れた訳である。国内的には,1971年(昭和46年)の停滞のあと1972年から1973年にかけて経済は過熱状況になり,1973年に入るころから供給力の制約が顕著になり始め,成長率はスローダウンし始める一方,物価は輸入物価の上昇もあり,スタグフレーション(インフレと景気停滞の併存)の色を濃くしていった。1973年(昭和48年)秋の石油危機はスタグフレーションの状況を押し進め,1974年の実質成長率はほぼゼロとなり,インフレ,不況,国際収支赤字が同時に発生するといういわゆるトリレンマの状態になった。しかしながら,1976年(昭和51年)以降在庫調整が進み,公共事業による需要の喚起,世界経済の安定化によりトリレンマからは脱出した。しかし,1979年(昭和54年)には再び石油危機が起った。また,南北問題が顕在化し,資源をもつ開発途上国との対応,その他の開発途上国への援助などが問題視されてきた。

このように,1970年代の我が国の経済は,内外の変動に見舞われ,その対応に追われたが,この10年間に国民総生産は約1.8倍に増大している。

また,1970年代の我が国の社会情勢の大きな特徴として,人口の地方定住の胎動がうかがわれるようになったということがある。1960年代までは大都市への流入人口は増大し,大都市の人口は増加していったが,1970年(昭和45年)を境に流入人口は減少に向った。さらに,1970年代後半に入ると,流出人口と流入人口はほぼ均衡ないし逆に流出人口が流入人口を上回る現象さえ生じている。これには,公害等環境の悪化,物価,住宅事情など大都市における問題も大きく作用したが,地方都市の整備などが行われ,地方における就職の機会が増えたことも大きな原因となった。1970年代後半は「第三次全国総合開発計画」の定住構想や田園都市構想にもみられるように,地方重視の政策が打ち出されるようになっている。

1970年代の科学技術は,経済情勢の影響を受け研究開発への投資も伸び悩み,画期的な新技術の開発も1950年代,60年代に比べて少なかったが,上記の経済状況や1960年代の高度成長の副作用として現われてきた公害等の社会状況に対応した科学技術が多く開発された。一方,エレクトロニクスなど将来,各分野に応用されて新しい技術を生み出す可能性をもった科学技術の進展もあった。以下に,これらの代表的なものをみていくことにする。


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