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第1部   科学技術発展の回顧と新たな課題
第2章  社会開発分野における技術革新への期待
第2節  社会開発分野における技術革新達成の条件
1  産業活動分野における技術革新達成の条件


技術革新 注2) が達成されるには,一般的には,1)技術的に可能であること,2)需要があること,3)技術革新の担い手が存在すること,の三つの基本的要因が必要であり,更に,政策,周辺条件(市場環境,労働事情など)によって,技術革新の達成が大きく影響を受ける。このような観点に立って,技術革新達成の条件を,主としてケース・スタディの結果を基に分析する。


注1)  ケース・スタディの対象 トランジスタ・ラジオ,新幹線,マイクロ波通信,PNC法(光ニトロソ化法)によるナイロンの製造,醗酵法によるグルタミン酸の製造,電子顕微鏡,カメラ,造船,低公害自動車


注2)  ここで言う技術革新とは,科学的・技術的知識が,新製品や新製法あるいは改良された製品や製法として具現化され,これが人間生活に有用であって,しかも経済性をもって普及してゆく過程であると定義する。


(1) 技術的可能性と需要の存在

技術革新は,その担い手が目的とする新製品あるいは新製法について,1)技術的に可能であること,2)需要があること,の二つの要素を認識し,動機付けられることから始まる。「技術的可能性」は,通常,1)その時点での最新技術,2)基礎研究などによる技術的知識の蓄積,更に,3)投入可能な研究投資額,研究者数などの自己の研究開発力を勘案して判断される。「需要」は国内市場であるか海外市場であるか,あるいはそれが顕在化しているか,潜在しているかを問わない。全く新しい製品を開発する場合は,需要は潜在しており,潜在していることを認識することが,技術革新を達成できるか否かの重大な要素となる。この場合には,開発や実用化の段階でマーケティングを必要とすることが多い。また,政策的に関与して需要を形成することにより技術革新を導く場合もある。

この二つの要因は,双方同時に機が熟するものではなく,どちらかが引きがねとなって動機付けられ,技術革新のための努力が払われる。すなわち,まず新技術があって,これを技術革新に結びつける型(技術先導型,この場合,潜在している需要を掘り起こし,新たに開拓することとなる。)と,まず需要があって,これにこたえるために蓄積された技術の利用,関連技術の導入,研究開発努力などによって技術進歩を引き起こす型(需要先導型)の二つのタイプに分けることができる。

第1-2-12表 技術革新をもたらす最初の刺激としての「技術的機会」と「生産・市場ニーズ」の相対的重要性

外国の例では,需要先導型が多いと言われており,需要の認識が顕著な役割りを示している (第1-2-12表参照) 。我が国においても,先進諸国へのキャッチアップを目指して技術革新が進ん だこと,すなわち外国で既に実用化され,モデルが存在していた例が多かったこと,高密度社会のため需要が大きかったことなどのためもあって,需要先導型が多い。以下,いくつかの技術革新例をとりあげ,技術先導型の技術については,その技術的背景を,需要先導型の技術については,その需要動向がどのようなものであったかを述べ,技術革新の動機を与えた背景を探ることとする。

(1)技術先導型技術の例

(ア) トランジスタ・ラジオ

トランジスタは,1948年(昭和23年)アメリカで発明された。1954年(昭和29年)にはラジオに利用され,世界で最初のトランジスタ・ラジオがアメリカにおいて発売されたが,性能の悪さ,コストの高さなどのため,それほど重視されず普及するには至らなかった。我が国においては,昭和24年頃からトランジスタの技術の習得とその基礎研究に着手し,その後,国内各社は相次いでアメリカのRCA,WE,GE社などと技術援助契約を結んだ。この間の技術供与は極めて行き届いたもので,技術情報の取得は比較的容易であった。しかし,当時は電子管の活用可能性が限界に達していたわけではなかったので,多くの企業では,トランジスタに対する関心は薄く,明確な目的意識を持って研究開発が進められる状況にはなかった。

一方,A社においては,昭和27年頃よりトランジスタの基礎研究に着手し,翌年にはアメリカのWE社と技術提携を結んだが,当初より,トランジスタの応用面を探して,当時高い需要の見込まれたポータブル・ラジオに着目した。ラジオに使えるしゃ断周波数の高いトランジスタの開発は,WE社でさえ困難視していたが,A社ではあえてそれを取り上げ,目的意識を明確にして研究開発を進め,昭和30年,我が国で最初のトランジスタ・ラジオを発売した。その後,トランジスタ・ラジオ工業は輸出産業としても驚異的な発展を遂げた。トランジスタという技術的機会をうまくポータブル・ラジオの需要に結びつけたことが技術革新成功の大きな要因となった。

(2)需要先導型技術の例

(ア)新幹線

戦後,我が国の人口の太平洋沿岸への集中傾向は著しく,このため大都市だけでなく,これらの都市を結ぶ中間諸地域の都市も目覚ましく発展した。

特に昭和30年代以降は,これらの地域の人口増加,産業・流通面における活動は更に進展したが,これらの地域を結ぶ国鉄東海道線と国道1号線では,増大する輸送量に到底対処しきれない状態に追いこまれており,輸送力の増強を図ることは,我が国の社会経済活動の活発化のために必要不可欠な課題であった。

このような膨大な輸送需要に対処するため,国鉄では,昭和31年に「東海道線増強調査会」を設けて輸送力増強計画の検討を進め,当時,鉄道斜陽論の強よっていた中で,国鉄は,広軌別線案の計画実施に踏み切る方向に進んだ。しかし,具体案の決定については,広く国家的観点から判定すべき問題と判断されたため,翌32年に運輸省に設置された「日本国有鉄道幹線調査会」,33年に設置された「交通関係閣僚協議会」における検討を経て最終決定され,翌年,本格的工事に着手するに至った。

その後,5年余りの工期をもって,39年に東海道新幹線は開業し,今日,騒音,振動などの問題も発生しているが,その高速性,高度な安全性という面で大きな成功を収めた。上述のように,輸送需要が極めて大きく,しかもその需要が鉄道輸送に好都合にベルト状に分布していたことが新幹線という技術革新を成功に導いた大きな要因と言えよう。

(イ)マイクロ波通信

我が国の電話は,第2次大戦によって加入者の約50%,市外回線の約20%にも上る多大な被害を受けたが,これを早急に復旧することは,戦後の社会経済活動の活発化や国民生活の向上を図るため必要不可欠な課題であった。

昭和25年頃から我が国の経済は立ち直りを見せ,これに伴い電話サービスの向上への要望は非常に強く,特に,市外通話は著しい増加を見せ,市外通話の待ち合わせには数時間を要するという状況であった。このため,マイクロ波通信のような多重通信システムの導入が強く要望されていた。

一方,昭和25年,NHKはテレビジョンの実験放送を開始したが,このテレビ放送を全国的に行うには,テレビ信号を全国に伝送する必要があった。

その後,テレビ放送に対する要望が高まれば高まるほど,その中継伝送路となるマイクロ波通信の実用化が強く要請されていた。これにこたえて電電公社では,多くの実験研究を経て,29年,最初の本格的な公衆通信用長距離多重マイクロ波方式を東京〜大阪間に完成させ,その後,第1次,第2次電信電話拡充5か年計画によりマイクロ波網を急速に拡充して行った。

(ウ)  PNC法(光ニトロソ化法)によるナイロンの製造

化学繊維の開発は,古くから,最も美しく高価な絹を化学的に製造することを目標としていた。その絹に対抗できる唯一の繊維がナイロンであった。

昭和25年頃の繊維消費量は,戦前の最高水準の4分の1程度で,国民の目がようやく食生活から衣生活に移った時期であり,更に,日常衣服の洋装化への進行及び合成繊維の多目的使用の可能性から,将来の需要の伸びは十分予測できた。また,PNC法が,従来のフェノール法や当時外国で開発中のシクロヘキサン直接酸化法に比べて,はるかに経済的な方法であり,開発に成功すれば,世界市場においても躍進できることが考えられた。

PNC法の基礎となった光ニトロソ化反応は既に1919年,E.V.Lynnによって発見されており,その後,西ドイツ,アメリカ,ソ連などで,この反応をカプロラクタム(ナイロン6の原料)の合成に利用しようとして研究されたが,工業化には至らなかった。B社は,この文献情報を基にして,昭和25年から基礎研究に入り,工業化に成功した。

(エ)醗酵法によるグルタミン酸の製造

明治41年,我が国において,コンブの旨味の成分がグルタミン酸塩であることが発見された。翌年から,主に小麦,大豆などを原料とし,これらのたん白質の加水分解によるグルタミン酸の生産が始まり,我が国の食生活に適合した調味料として戦前から大きな需要があった。戦後においても,大豆,小麦などの取得難によるコストの上昇にもかかわらず,生産量は昭和28年には戦前の最高水準を超え,以後,毎年15〜20%の伸びを続けており,低コストで供給できれば,更に市場の拡大が可能と考えられた。

C社では,戦後,アメリカの文献から,細菌によりブドウ糖を醗酵させるとグルタミン酸の構造に近いα-ケトグルタル酸が得られるという情報を得,当時のグルタミン酸の製造原料の大部分を輸入に頼るという事情もあったため,30年,細菌により糖類からグルタミン酸を直接生産する醗酵法の基礎研究に着手した。グルタミン酸醗酵を大規模に行うには,種々の技術的問題があったが,グルタミン酸生産菌の醗酵に及ぼす諸因子,無菌対策についての研究を進め,代謝制御醗酵技術を確立し,32年,工業化に成功した。

(3)需要の形成に政策的に関与し,技術革新に成功した例

以上述べてきた需要先導型技術の例は,大きな需要が既に顕在化していることが技術革新の担い手に動機を与えたことを示すものであるが,政府による購入政策や規制政策によって新たに需要を喚起したり,需要の形成を促進することによって,技術革新への道を開く場合がある。ここでは,前者の例として電子顕微鏡を,後者の例として低公害自動車を取り上げる。

(ア)電子顕微鏡

電子顕微鏡の研究は,京都大学,大阪大学,(財)理化学研究所(現特殊法人)電気試験所(現通商産業省電子技術総合研究所),一部のメーカーなどで個々に進められていたが,1938年(昭和13年),ジーメンス社のルスカなどによって大腸菌の電子顕微鏡像が発表されたことが契機となり,翌昭和14年,日本学術振興会に電子顕微鏡小委員会が設立された。その後,同委員会の活発な活動もあって,15年から13年にかけて,各所で第1号機が試作され,18年頃には分解能数10オングストロームクラスの電子顕微鏡が数台稼動するに至った。

戦後,電子顕微鏡に対する学界の関心は急速に高まり,特に,医学,生物学の分野からその利用について強い要請がでてきた。

しかしながら,戦後の経済急迫という情勢下にあって電子顕微鏡の市場は極めて小さく,企業性が低い製品であったため,需要の育成が強く望まれていた。これに対して,文部省は,外国製品を輸入するという政策を取らず,23年より多年にわたって,大学に対して国産電子顕微鏡の購入費を手当てしただけでなく,保守費も特別に出すという他の製品には見られない特別の対策を講じた。これにより,旧帝国大学が続々と電子顕微鏡の設置計画を打ち出したため,電子顕微鏡は,その実用化の段階で確実な市場が与えられることとなった。その上,5社に及ぶ企業の競争もあって,電子顕微鏡の性能向上のための研究開発が強く刺激されたため,国産の電子顕微鏡は急速に進歩することとなった。

その後,我が国の産業の発展に伴い民間需要も急増し,更に,海外にも躍進することとなった。

(イ)低公害自動車

近年のモータリゼーションの進展により,自動車排出ガスによる大気汚染などの自動車公害は大きな社会問題となっている。このため,自動車に対する排出ガス規制は,昭和41年9月の新型車に対する一酸化炭素規制に始まり,その後,炭化水素,窒素酸化物の規制も加え,逐次強化が図られてきた。47年10月には中央公害対策審議会の中間答申を受けて50年度規制が50年4月から実施され,51年度規制が51年4月より実施された。

自動車は従来その性能として,馬力,燃焼経済性,運転性が追求され,高速性が求められていたが,排出ガス規制により,これらの性能追求とは容易には両立しにくい低公害性を要請されることとなった。各自動車メーカーでは,これらの排出ガス規制に対応して,排出ガス対策のための研究開発を急速に進展させており,そのための投資も莫大なものとなった (第1-2-8図参照)

その結果,48年より50年度規制適合車が発売され始め,その後,適合車の発売は急速に増加し,51年8月末現在,51年度規制適合車は全社98型式に及んでいる(自動車に係わる窒素酸化物低減技術検討会中間報告)。低公害自動車は,このような規制政策に伴う新たな需要の形成により,技術革新への道を開いた一つの例と言えよう。

第1-2-8図 排出ガス低減の研究費及び研究人員


(2) 技術革新の担い手の存在とその役割

技術革新を達成するためには,その担い手が存在することは当然の前提である。この担い手は通常製造業を営む企業であることが多いが,農林水産部門などにおける国公立研究機関,新幹線を開発した国鉄,マイクロ波通信を開発した電電公社のように製造業以外の場合もある。担い手が,1)技術革新へ動機付けられ,意欲を持って取組むこと,2)関連技術の蓄積,情報の入手,研究開発の進め方におけるマネージメント能力など企業そのものに能力があることが,技術革新の成功,不成功に大きく影響する。このような観点に立って,以下技術革新の担い手に焦点を当てて要因を分析する。

(1)技術革新への動機付け

新製品あるいは新製法の開発には常に危険(リスク)がつきまとうが,これを押して技術革新に取り組むのは,成功の際の利潤が大きいためであり,特許制度は新技術の公開を代償として,この点を保証しようとするものである。(1)で取り上げた種々の技術例の多くは,それぞれ大きな需要の存在を背景として技術革新への動機を得,意欲をもって研究開発に取り組まれたものである。

これらの例のように,消費者が不特定多数の場合には,競争によって新製品あるいは新製法の品質,性能と利潤は均衡するが,ここで問題となるのは,需要が独占的買手市場の場合である。すなわち,消費者が特定の場合(例えば国)には,この関係が人為的に,かつ一方的に形成され,技術革新が遅滞する恐れが十分にあり,いかにして技術革新の担い手に意欲を持たせるかは購入者にとって重要な問題である。アメリカにおいては,軍事技術などの開発契約額の算定に種々の工夫が加えられているところである。

(2)技術革新の担い手の能力

(ア)関連技術の蓄積

研究開発を推進していく上で,多くの場合困難な問題が発生するが,それを解決(ブレークスルー)する過程で層の厚い関連技術の蓄積が大きく貢献している例が多い。

醗酵法によるグルタミン酸の製造では,グルタミン酸生産菌の発見が技術革新達成のポイントとなったが,それには抗生物質生産菌の純粋培養技術,微量のグルタミン酸をも検出できる簡易なペーパークロマトグラフィなどの分析技術などの基礎技術の蓄積が大きく貢献した。

また,トランジスタ・ラジオでは,戦前からの固体整流素子の研究,また,螢光材料,磁性材料,真空管陰極材料などの生産を通じて,半導体に必要とされる,構造が敏感で環境に感じやすい材料の取扱い技術についての経験があったことなどの蓄積技術がその解決を容易にした。

そのほか,電子顕微鏡の開発においても,鏡体関係では陰極線オシログラフや,電子回折の経験が,10万分の1程度の安定度を要求される高圧直流電源では従来の真空管回路技術が貢献している。このように,技術革新の要因として関連技術の蓄積は大きな役割を果たしているが,次に述べる新幹線の場合は,特筆すべき例と言える。

新幹線の開発では,出力は問題ないとしても,時速200km/hという高速性に伴い,列車抵抗,振動,ブレーキなどの様々な問題が生じることが予想された。そのため,車両の構造や線路に特段の注意を払う必要があることはもちろんであったが,特に線路と車両,パンタグラフと架線というような接触部分について根本的な問題の解決が必要とされた。また,高速下で輸送効率を高め,更に安全を確保するため,注意力に限界のある運転士だけの判断によらず,ブレーキを自動的に制御する必要も生じていた。新幹線の開発には,このような総合的な技術の結集が要求されていたが,その解決には,長い間の基礎研究などによる関連技術の蓄積が大きく貢献した。例えば,それらは昭和20年頃から開始された「高速台車振動研究会」を中心とする乗り心地のよい車両の研究であり,高速列車運転の基本となった交流電化技術の開発であり,またコンクリート枕木,ロングレール,新しい軌道方式の研究などである。これらの関連技術の蓄積を基盤として,必要とされた総合的な技術を同じレベルまで高め,それらを一つの体系としてうまくまとめ上げたことが新幹線の高速性及び高度の安全性といった面での成功の大きな要因の一つと言える。

(イ)情報の入手

関連技術の蓄積のほか,最新技術に関する情報の入手が研究開発上の問題を解決する上で大きく貢献する。

(a)トランジスタ・ラジオでは,ラジオに使用できるしや断周波数の高いトランジスタの開発が技術開発のネックとなっていた。トランジスタのしや断周波数の向上など性能の向上については,アメリカにおいて種々の研究がなされていて,ある種の不純物を微量混合することにより達成されるということが発見されていたが,それほど目覚ましい成果は上がっていなかった。

A社では,アメリカのベル研究所で成功に至らなかったリンを混入させる方法を更に推し進めて,遂にしや断周波数の高いトランジスタの開発に成功した。

(b)新幹線では,高速性に伴う列車抵抗や車両の振動などの問題があったが,その解決には前述の蓄積技術のほか,最新の航空技術を注入したことが大きく貢献した。すなわち,新幹線の研究開発を中心となって進めていた鉄道技術研究所には多くの旧陸海軍出身の技術者がいたが,特に海軍の航空技術者が多く,これらの技術者が,それまでの鉄道技術者とともに研究を進め,古い鉄道の既存技術に新たに航空技術を巧みに融合させた。例えば,振動学の分野では航空機におけるフラッターが鉄道車両のハンチングに,構造力学の分野では軽量化がそのまま車両設計に,空気力学の分野では風洞実験が車両の前面形状及び所要馬力の設計や,高速時のパンタグラフの安定性問題などに有効に利用された。これは,情報移転が人によってもたらされ,極あて効果的に問題の解決を促進し,た例である。

このように情報の入手は問題の解決に重要な役割りを果たすが,これらの情報の多くは,外国で行われた技術革新についての研究報告に「・・・・・・多くのイノベーションは,・・・・・・たいていの場合,現に存在し,かつ広く知られている科学技術知識から導き出されるものである。(OECD,技術革新成功の諸条件,1971年)」,「イノベーションに(おける問題を解決するために)使われる情報のうち74%という高い比率を占める情報は広く普及したものであり,イノベーションにとっては即座に利用できる情報であった。(NSF,企業内イノベーションの実例研究,1969年)」と述べられているように,それほど特殊なものでなく,一般的な性格を持ち,その入手もそれほど困難なものではないと言えよう。したがって,的確な情報をいかにして入手し,問題の解決にいかにして役立てるかが非常に重要である。

(ウ)研究開発の進め方(その1,マネージメント)

技術革新の達成にはあらゆる段階でマネージメント能力がかかわるが,新製品開発のためのプログラムの計画立案や評価,研究所やプロジェクトへの資源配分など研究開発の推進の段階では,マネージメント能力が特に大きく影響する。

トランジスタ・ラジオの開発に着手したA社では,当時既にテープレコーダの部門で活躍していた優秀な研究者,技術者を,トランジスタの開発に注ぎ込み,その後も,研究開発の進捗状況によって適時研究者を投入し,目的指向的なプロジェクト方式により研究開発を推進することによって,技術能力を十分に引き出した。これは,強力な指導者によるマネージメントのうまさが,研究開発のポテンシャルを高め,技術革新を成功に導いた例であるが,このように弾力的に研究開発を推進できたのは,一つには,企業規模がそれほど大きくなかったことにもよるであろう。

(エ)研究開発の進め方(その2,共同研究)

研究開発を共同研究で推進するのは,極めて効率的であると言える。その形態としては,同業種の企業又は関連業種の企業との共同研究,あるいは国公立研究機関や大学などを交えての共同研究がある。

(a)  PNC法によるナイロン製造技術の開発においては,シクロヘキサンからカプロラクタムを合成し,これを重合することによってナイロンを製造する過程で,工業的に使用可能な光源,光反応装置の開発が問題であった。

B社では,実験段階の基礎データを基に開発の重点を光源及び光反応装置の大容量化にしぼったが,これらに関しては専門の技術者もなく,また,当時光エネルギー反応を工業化に利用した例はなかったため,電気メーカーと共同で大容量,高能率ランプの研究開発を進めた。この結果,昭和35年に第1号パイロットプラント用の高圧水銀灯を,更に37年に工業規模の第1号ランプを完成した。

(b)カメラの研究開発では,昭和22年,文部省がカメラの優良化研究のための科学研究費の補助を行い,機械試験所(現通商産業省機械技術研究所),大学,メーカーによる共同研究が行われた。これを契機としてカメラの設計,製造に関する研究発表の場として写真機技術懇談会が発足した。また,昭和31年にはカメラ工業技術研究組合が発足し,37年からは光学工業技術研究組合となり研究テーマに対して政府の補助がなされている。これらを通じて,各光学メーカーの技術者が,大学や国立研究機関の研究者,技術者と緊密な接触を持つようになり,生産の基礎的技術,製品の試験や性能評価の問題など,メーカー間で競争する必要のない分野(例えば,レンズのOTF(光学伝達関数)測定方法,コンピュータによる性能評価方法及び自動設計技術など)については,共同研究を行うシステムを確立し,極めて効率よく研究開発を進めた。

(c)造船技術では,欧米の造船技術のキャッチアップを目指した戦後間もない頃は,溶接技術の消化が第1の目標であった。この技術は,鋼材の問題も含んでいたため,昭和25年,関係産・官・学界は,運輸省の指導により造船用銅材研究会を結成し,造船,製鉄の両業界及び学界,国立研究機関の関係者を動員した大規模な共同研究を展開して,短時日のうち大きな成果を上げた。

また,我が国の造船技術の中で,世界的にも評価されている大型船技術と自動化船技術なども共同研究に負うところが大きい。大型船技術の源は戦後間もない頃の溶接技術についての研究にさかのぼることができるが,当時から既に,造船所間にあってはこれらの技術の公開がむしろ積極的に行われていた。昭和32年頃より,メーカー,関係官庁,船主などより構成される日本造船研究協会において,政府補助金を受けるなどにより集中的に超大型船に関する共同研究を行っており,極めて効率的に研究開発を進めた。昭和37年には,その成果として世界最大(当時)のタンカー,日章丸(13万重量トン)が完成した。

(d)電子顕微鏡の研究は,その初期の段階においては,電子顕微鏡委員会を中心として進められた。同委員会は産・官・学から構成され,当初から電子顕微鏡理論,電子顕微鏡製作,電子顕微鏡利用の研究を総合的に推進し,研究成果はすべて委員会で公開討論するという運営を行ったため,大きな成果を上げることができた。

電子顕微鏡の実用化の段階では,同委員会の指導により,各メーカーは,静電型と磁界型というそれぞれ異なるアプローチで開発を進めた。

すなわち,D社,E社では静電型を(E社は後に磁界型に変更した。),F社,G社では磁界型の開発を進めた。最終的には,静電型はその後の発展について行けず,製造は中止された。実用化の段階では,共通の目的を持って共同開発を進めたのではなく,当初実用化の見通しが立たなかったこともあって,異なるアプローチによって開発を進めたものであり,結果的には,各企業間の激しい競争を生み,またベターな方法をとったメーカーが生き残ることとなり,全体としては開発が効率的に行われることとなったと言える。

(e)電電公社によるマイクロ波通信の開発は電気通信研究所を中心として進められたが,同研究所では,研究所内の研究成果だけでなく,大学などの研究成果を広く活用することとし,特に試作などを依頼したメーカーの技術者とは密接なコミュニケーションを図り,その結果は努めて設計に反映させるという方針で進めたため,研究開発の効率は一層高められた。この場合は,電電公社が中心となって,メーカーとの共同研究のような形態をとった例で,国鉄による新幹線の開発においても同様であった。


(3) そのほかの要因

技術革新は,これまで述べたような種々の要因と企業努力などによって達成されているが,そのほか,市場環境,労働環境などの周辺条件によって技術革新の達成が一層促進されたり,場合によっては,成功の大きな要因となることもある。また,たまたま有利な環境条件にあったため,海外市場の間隙をぬって輸出産業として躍進した技術も少なくない。

トランジスタ・ラジオの国外での最大市場はアメリカであったが,それは,当時のアメリカのメーカーが東西冷戦,ミサイル開発競争に伴う軍需に顔を向けていたため,その間隙をぬって,アメリカでの市場を急速に拡大することができたと言えよう。

電子顕微鏡は企業性の低い反面,高度の技術を必要とする製品のため,研究開発コストと労働賃金の高い欧米では我が国の製品に圧迫され,更に,電子顕微鏡以外にもテレビなどの企業性の高い製品があったので,電子顕微鏡から撤退したり,力を抜くようになった。このような情勢の中で,我が国は欧米のメーカーの間隙をぬう形で輸出を伸ばした。

我が国の造船業は輸出産業として大きく飛躍したが,これは,世界の代表的造船国であったイギリスの船価が,昭和30年頃から材料価格の上昇に加えて労働賃金の上昇によりかなりの騰勢を示していたのに対し,我が国の造船業が船舶の需要構造の変化に敏速に対応して設備の近代化,合理化などを積極的に推進し,コストの低減を図ってきたことや,納期が短かく,かつ確実であったことなどにより優位に立ち,海外の需要を大いに伸ばしたためである。

カメラは,我が国においては,一般用カメラの高級化を指向したのに対して,有力な競争相手であった西ドイツのメーカーが一般用光学機械から航空写真などの特殊な技術分野へと重点を移していったため,輸出額を伸ばし,昭和39年には西ドイツを抜いて世界第1位となった。

これらの成功事例の要因としては,技術面での努力に加えて,いずれも時代的背景が幸運であったことを指摘できるが,このほか,我が国の当時の労働環境の有利さを見逃してはならない。すなわち,トランジスタ・ラジオの初期の実用化の段階では,トランジスタの製造歩留り(量産性)の向上がその鍵を握っていたが,高度な精密作業に対応できる極めて良質な労働力が,豊富でしかも低廉で提供されていたことが大きく貢献している。カメラや多分に労働集約的である造船についても同様のことが言えよう。


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