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1部  研究活動と研究投資
第6章  諸外国の動向
2  イギリス
(1)  科学技術政策と行政機構の改革


1964年10月の総選挙により保守党から政権を引き継いだ労働党は,行政機構の大改革を行なつた。これに先立ち,1963年10月の党大会において,ウイルソン党首は,「イギリス労働党と科学革命」と題する同党基本政策声明を行なつている。同党科学政策の基本理急は,“社会主義を科学に″“科学を社会主義に″の合言葉にみられるように,科学革命に必要とされる経済・社会体制の変革を,社会主義の路線において実現しようとするところにある。

さらにウイルソンは,「これは英国科学研究を総動員して,技術における新しい突破口を開くことである。過去数年にわたり,英国は数十億ポンドの大金を,国防の分野における方向を誤つた研究開発契約に消費してきた。もしこの方向を今後非軍事産業に使用するとすれば,英国をふたたび世界の先端を行く工業国とよべるような,新しい産業を建設することができる」と述べている。

このようにして国家の研究資金を軍事から非軍事へふりむけながら,研究開発の領域と規模を拡大して行き,政府委託を柱とする国家の研究投資によつてつくり出される新産業は国有企業化とする,という政策がこのために打出されている。新政府は,その組織にあたつて,技術省を新設し,産業研究を強力に措進させることとした。

このほかに低開発もしくは開発途上にある英連邦アジア,アフリカ諸国の貧困にたいする「平和の弾薬」としての研究開発をも促進する政策から,同じく新設の海外開発省にその任をふりあてている。

新内閣による科学技術行政改革は,科学技術法(Science and Technology Act 1965)として,1965年3月23日から発効している。したがつて現在の科学技術行政機構は 第6-2図 のとおりであるが,その概要を前政府時代の機構との関連で述べれば次のとおりである。

第6-2図 イギリス科学技術行政機構 (非軍事部門,1965年4月以降)

技術省(Ministry of Technology)は,上述のように,英国産業界の技術革新を促進し,非軍事分野における私企業との間に政府の研究委託を大きく増大させること,とくにその結果生み出される新発明の企業化は国家管理の路線で行なうこと等,新政府の科学技術政策の樹立・実施の中心機関として新設されたものであつて,旧機構から産業部門のほとんどをここにあつめている。

教育科学省(Ministry of Education and Science)に所属していた科学技術研究庁(Department of Scientific and Industrial Research)は,1961年に枢密院科学技術研究委員会の下に創設されて以来,50年間にわたつて英国の科学技術,とくに産業技術研究の推進主体であつたが,技術省設置とともに廃止されることになり,同庁所管研究所の大多数がここへ移され,また教育科学省所管の原子力公社(Atomic Energy Authority)と商務省所管の研究開発公社(Research and Development Corporation)も技術省に引き継がれる。研究開発公社は前労働党政府が1949年に創設したもので,公共の利益になると考えられる研究成果の開発にたいして,政府資金を供与するものであり,すでに新しい産業技術の創出に大きな実績をあげている。このほか航空省の非軍事エレクトロニクス部門もここへ吸収される。

したがつて教育科学省は基礎科学および教育専門の省となり,各種研究会議-科学研究会議(Science Research Council),医学研究会議(Medical Research Counci1),農業研究会議(AgriculturalResearch Council),自然環境研究会議(Natura1 Environment Research Council)-を所管するほか,大蔵省に所属していた大学補助金委員会(University  Grants Committee)を直轄して,旧科学技術研究庁の大学にたいする研究補助金,奨学金行政とともに大学財政支援を一手に掌握している。また科学大臣の諮門機関である科学政策審議会(Advisory Councilon Scientific Po1icy)は科学政策会議(Science Policy Council)として強化された。

科学技術行政改革の努力は,もちろん,前政府時代にも行なわれていた。 まず,1959年に科学担当大臣を新設し,国防以外の科学技術振興の総合調整へ向つて一歩を踏み出したのである。しかし,1963年(総選挙の1年前)トレンド卿を委員長とする科学技術行政機構調査委員会の勧告が行なわれ,これを受けて抜本的な機構改革が構想された。

これは科学術技研究庁を解体し,産業研究面を産業研究開発公社として組織(ただし商務省の研究開発公社は据え置きとする)し,基礎研究面と大学助成を科学研究会議に所掌せしめるとともに,大学補助金委員会を直轄し,さらに諸研究会議,原子力公社,宇宙科学技術関係を一手に教育科学省に掌握させるという,研究と高等教育の総合的行政体制の構想であつた。新政府の機構改革も,これを大きく受け継いでいるといえるが,とくに産業研究を推進する政策から,これを技術省として独立させ,高等教育機関を中心とする基礎科学と人材養成は教育科学省に明確に分離したところに著しい特色がみられる。


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