ここからサイトの主なメニューです

鈴木寛文部科学副大臣記者会見録(平成23年3月31日)

平成23年3月31日(木曜日)
教育、その他

鈴木寛文部科学副大臣記者会見映像版

平成23年3月31日(木曜日)に行われた、鈴木文部科学副大臣の定例記者会見の映像です。

鈴木寛文部科学副大臣記者会見(平成23年3月31日):文部科学省

鈴木寛文部科学副大臣記者会見テキスト版

副大臣)
 それでは私から冒頭、28日の月曜日に、達増岩手県知事からの要請を踏まえまして、東北地方太平洋沖地震、東北関東大津波大震災の被災地であります岩手県に行って参りました。達増知事、八重樫教育委員会委員長、法貴教育長など、関係者と意見交換をさせていただきました。知事と教育長と御一緒に、津波と火災により極めて大きな被害を受けられました山田町、大槌町を視察をいたし、両町の教育長や副町長などから、被害の状況についてお話を伺いますとともに、今後の復興に向けた必要な支援策について、かなり具体的な意見交換をさせていただきました。また、避難所となりました県立山田高校の視察をいたし、避難所の管理者でもいらっしゃいます校長先生からもお話を伺いました。また、被災地の医療を中心となって支えておられる岩手医科大学を訪問させていただき、小川学長や小林病院長とお会いをいたし、被災地医療の状況や今後の必要な支援策等について、意見交換を行ったところでございます。今回の視察を通じまして、被災地のすさまじい姿を目の当たりにいたしまして、改めて今回の大津波、地震の被害の甚大さというものを痛感をいたしますとともに、被害状況の把握と今後の復興に向けて、関係者が寝食を削って全力で取り組んでおられる姿に、私どもも大変感銘と感謝で胸がいっぱいでございましたし、文部科学省といたしましても、あらゆる面で全力でお支えをしていかなければならないという、強い思いを新たにいたした次第でございます。特に学校の早期再開を、被災地域の希望の光としつつ、それを目標に御尽力をされているということが、よくわかりました。文部科学省としては、被災地域の学校の再開に向けて、さらにどのような支援ができるのか、省内外のリソースをフルに活用して、全力で取り組んで参りたいと考えております。また、笠政務官の視察報告でもお伝えをしたところでございますが、岩手県の小中学校では、地震津波が起きた時間には児童生徒は基本的に学校におり、教員の誘導などにより適切に避難をしたため、学校に残っていた児童生徒で死亡行方不明となった方はいなかったと。保護者が連れて帰った一部の児童生徒が、死亡行方不明となっているということでございます。しかしながら、幼稚園については2時40数分という時間がタイミングの悪い時間でありまして、それから、高校生はもうすでに春休みに入っていたということで、幼稚園、高校についての死亡行方不明者が出ていることは大変残念であります。それから先程の小中学生についても、御両親や御親族がお亡くなりになり、身寄りを失ってしまった子どもたちが数多く生まれた可能性がございます。詳細な状況については、今それぞれの教育委員会、学校で調査中でございますけれども、今回の大津波で遺児になられた児童生徒の支援ということが極めて大事な課題であるということでございます。この点につきましては、達増岩手県知事との間で、一つの構想ということではございますけれども、寄宿舎付きの全寮制の小中一貫校を設けて、そうした被災遺児の、児童生徒の暮らし学びを、教職員はもちろんのこと、学生ボランティアや地域ボランティア、地域の方々と一緒に、多くの大人たちで支えていくと。こういった方法について、具体的な検討に着手するといった意見交換も行わせていただきました。文部科学省としては、そうした地元の要望をよく伺いながら、例えば新しい寄宿舎付き小中一貫校が具体的に建設が始まり、そしてこの竣工するまでの間、国立岩手山青少年交流の家などを提供し、全寮制の学校として活用していただくなど、そうした構想の実現に向けて出来る限りの支援をしていきたいということを考えているところでございます。私からは以上でございます。

記者)
 幹事から質問いたします。今のお話の全寮制の学校について、具体的な時期と見通しがあればお願いします。

副大臣)
 まずは、国立岩手山青少年交流の家において、そうした遺児を集めて、そこで開始するというのが、最初にきます。そして、それと同時並行で、もちろん被災地の復興状況はまだ、本当に瓦礫の山でありますから、それを撤去するということ。それから、おそらく三陸地域に2、3校になると思いますので、それをどこにするのかという地点を、これは地元で決めていただいて、そして建設地域が決まり、そして、それについての設計、本格着工ということになって参ります。したがいまして、場所を決めて、設計図を引いて、そして本格的に着工すると。予算については私どもできちんと手当を、岩手県と協力しながらしていくということになりますけれども、具体的な作業手順というものが発生して参りますので、それの進捗状況如何ということになります。ただその大前提となりますそもそも子どもの安否については先程申し上げたとおりでございますけれども、そのお子さんの親御さんがどういう状況にあるのかということについて、まだ確認ができておりません。教育委員会では始業式を早く行う、または春休み中の、いわゆる登校日などを利用して、まず子どもたちを集めて、その御家庭の被災の状況について担任等が、あるいは学校長等が聞いて確認をすると。こういう作業が、一番最初のスタートになります。その作業を、なるべく早くやりたいと。4月20日にもとは思っておりますけども、それが、かなり町、市によって若干このバラツキが出てきてしまうのは、やむを得ないかなと。ただ、いずれにしても三陸地域の大体の全貌が決まったところで、これが数十人規模なのか、あるいは数百人規模なのかという全容が明らかになって参ると思いますので、その全容が明らかになったところで、今の構想の全体の規模感というものが、自ずと明らかになってくるかなあというふうに思います。ただ、大変大事なことでありまして、その事に対して非常に御心配をされておられ、これも当然であります。したがいまして、私と知事との間で、まずそういう構想について、いち早く世の中にお示しをして、そしてその被災を受けられた児童生徒が、もちろん、この親に代われる存在というのは、ないわけでありますけれども、しかし、すべての大人、そしてこの学生、若者の力を結集して彼ら彼女らの学びと育ちを支援をしていくと。そして将来は、またこの三陸地区の復興を担う人材に育ってもらうようにと、そうした方向を、早い段階で明らかにすることが、望ましいであろうということで、そうしたことの方向性についての検討を、文部科学省と岩手県から、三陸の教育委員会等々で検討に着手するという大枠について決めさせていただいたということでございます。

記者)
 設立の主体は誰に、具体的にはどこになるのでしょうか。国になるのか、県なのか、市町村なのか。

副大臣)
 実態はもう三者一緒にやっていきます。後はもう実質一番上手く回っていく形で決めていけばいいのではないかというふうに思っております。これも、その規模感にもよると思いますし、何校であるのかということにもよるかと思います。ただ、岩手県については、人的関係がかなり三陸の教育委員会の職員、あるいは教育委員と岩手県教育委員会との交流というんでしょうか、そうしたことも、人的関係もいろいろあるようでありますから、岩手県知事は震災の直後で、いわゆる市町村の持っている教育委員会の機能を、一旦県で代行するということも、覚悟をされたようでありますが、その後、いろいろと現地を見られ、そして現地の方々と相談をされ、何とかその地教行法の枠組みの中で市町村教委の仕事ということは、その権限上は、そのままやると。しかしながら県教育委員会から多数の職員を三陸地区の市町村教委に派遣をするということで、実質の仕事を確保すると。こういう決断をされたという経過について、相当詳しくお話をいただきました。それはそれで、大変厳しい状況下の中では、最もベターに近い対応だったと、私も理解をいたしております。したがいまして、もちろん文部科学省が今、岩手県にも、あの石崎君という方を送り込んでおりまして、私も全部同行いたしましたが、そこはシェアしておりますので、最終的な設置主体は、国ということは、無くていいのではないかと。あとは県がやるのか、市町村教委でやるのかと。まあその場合も三陸地区の市町村教育委員会が、これは、これから地元がお決めになる話でありますが、いわゆる複数教育委員会が、この共同でやっていく体制などもですね、いろいろなやり方の中にはあり得るのかなと、これは、感想でございます。

記者)
 先程2、3校とおっしゃったんですけども、岩手県以外にも、他の福島や宮城などでも作るような構想もあるんでしょうか。

副大臣)
 福島県と宮城県と岩手県とで、かなりこの被害の、いずれも大変甚大であることは間違いありませんけれども、いわゆる子どもは生き残って、親御さんが亡くなるというケースが、宮城県、あるいは福島県でどういう実態になっていくのかということの、内容にもよるというふうに思いますけれども、まずは岩手県の場合は、大変深刻な実態の中でも、特にきちんと対応していかなければいけない最重点課題の一つでありますので、岩手県については、地元もそういうニーズを特に言っておられますし、私どももそれに最大限応えていきたいということであります。宮城県、福島県とも、いろいろ議論をしておりますが、宮城県、福島県から、もちろんいろいろな、大変に大事な御要望等々上がってきておりますが、まだそうしたニーズというものが、明確な形で上がってきてはおりません。もちろん今後の被害実態、あるいはいろいろなニーズ、動向によって、いろんな可能性が出てくると思います。

記者)
 そうすると当面は岩手県と話を進めて、それ以外で福島からも、そういうような要望があれば、それに応えていくと、そういうような理解でいいんでしょうか。

副大臣)
 そういうことですね。

記者)
 青少年の家を暫定的に使うということは、その新学期からすぐに、被災遺児になったであろう子たちをその一箇所に集めてやっていこうということなのか、それとも、とりあえずは今行ける、行っていた小学校、中学校、もしくはその学校がなくなったならば、代替小中学校にとりあえず行ってもらって、何らかの形である一定程度したら、その青少年の家を使うということなんですか。

副大臣)
 それも実態が把握されてからということでありますけれども、もう一つ、県立の青少年の家というのが三陸地区にあります。ですから、国としては岩手山青少年交流の家を提供しましょうという話です。ですから、おそらくは、その県立の青少年の家と、それから、国の青少年交流の家を両方を活用しながら、仮に4月20日なり何なりから始まったとして、本格的には連休明け以降でしょうけど、連日授業ということになるのは、ただ始業式はなるべく急ぎたいということで、それをぜひ応援したいと思っています。しかし子どもたちは帰る家も、それから帰る家庭もないということになります。ただ、その場合にも、さらに帰る親戚がある場合がありますので、ここがちょっといい意味で見極めないといけないと。かなり集落、親戚が大勢、おじいさん、おばあさんや、おじさん、おばさんが一緒にいらっしゃるところもありますから、それはそういったところで、むしろ引き受けて通わせたいと、こういうケースが、非常に望ましい、その両者が望むのであれば望ましいことの一つだと思いますから、その意向は尊重しなければいけないと思っています。ですから、それもできないというケースが最終的に何人になるのかと。そうなると、その子たちの生活をどこで誰がということになっていくわけですので、そういう意味で、国の青少年の家、あるいは県の青少年の家を活用して、そこで受け入れて、生活をしていく。そこが、その生活の場になりますから、授業もできればそこでやった方が、この学住一体と言いますか、近接ということができるだろうと。ただこれは、いずれの施設も、国立青少年の家も県立青少年の家も、今、避難所ないし、自衛隊等々の拠点になっております。これは、こういう構想が決まれば、そうした構想に転用していくということになりますが、三陸の方にある県立の青少年の家は、今、障害児の受け入れをしていたり、それから、地元の復興復旧の、いろいろな拠点にもなっておりますので、同じ復興救援部隊が、他に移って、そしてそれを教育目的に変えていくということになるわけですが、国立岩手山青少年交流の家と県立の分で、どっちが早く、その移行が可能かなあという、これはいろんなファクターが絡みますから、断定的にお話はできる話ではありませんけれども、相対的に言えば岩手山の方が、そういう教育目的への転用が進めやすい環境にはあるなと、こういう状況であります。

記者)
 岩手山の方は、今、避難所にはなってはいないんですか。

副大臣)
 岩手山の方は避難所にはなってなくて、今、自衛隊等々の復旧復元部隊の拠点になっております。

記者)
 学校を新たに作るということなんですか。それとも寄宿舎だけ作って、その地元の小中学校に通えばいいというやり方もあるんだと思うんですがいかがでしょうか。

副大臣)
 おそらくは学校でそういう子どもたちが通う学校を決めて、その通学徒歩圏内に、場所を求めて寄宿舎を作っていくと。しかしその寄宿舎が、その学校に付属すると言いますか、敷設する寄宿舎であるという位置づけになろうかと思います。これはもう先々の話ですけれども、その寄宿舎の運営を、どうするのかということは、制度的には詰めていく課題になろうかと思います。もうすでに皆さん、お感じになって、おわかりになってると思いますけど、国立青少年の家は、独立行政法人青少年教育振興機構のものでありますから、そういう意味では文部科学省的に言うと、スポーツ青少年局と初中局のコラボレーションで、まずは第一弾を進めるという話になっておりますので、それを今後は、どちらの学校教育の方に全部集約するのか、それとも、そうした青少年の生活支援という方に集約するのか。これはもう法技術的というか、法制度的なテクニカルな話ですので、要するに実態が大事でありますから、それはそんな難しい話じゃないと思います。

記者)
 先程、小中一貫校とおっしゃってたんですけども、特にその一貫校、小中一貫校を新たに作るということじゃなくても、既存の学校に作ることも考えられるのでしょうか。

副大臣)
 既存のファシリティはなるべく活用をしながら、その組織をうまく改変する中で、それからこれも今詰めているところですから、私が予断を持って申し上げるのは適切ではないと思いますが、一般論として言えば、こういう課題が出てくるだろうなということでお聞きいただきたいんですけど、結局今のところは、その町、その市で、完結しているわけです。当然ですけど、その市の住民票を持った人で、いずれは、その住民票を移せばいいという話なんでしょうけども、それを全部の小中学校に寄宿舎を付ける、作るというわけにいきませんから、ある程度、さっき2、3校と申し上げたのは、そこにもう集約をしていくという格好になります。そうすると、当然その隣接市町村からの、現時点で言えば隣接市町村に住民票を持っている児童生徒を、そこに集めていくということになりますから、その時に、引き続き単独市町村教委で運営するのか、そもそも、複数の教育委員会が事務組合的なものを作ってやっていくのかと。これは寄宿舎の運営だけに限らないのかもしれません。これも、要望を受けまして、まだこれも議論中でありますけども、ブレーンストーミングの段階ということで申し上げると、スクールバスの運行なども、当然これはしていかなければいけないと。それも単独教育委員会でやるのが適切なのか、複数の教育委員会がまとまってやるのが適切なのかという、おそらく教育上の課題がいくつか上がってきております。そこで、それは、いずれも地元の負担を極力軽減し、効率的かつ効果的にやっていくというのが当然なもんですから、まずどういう形が一番子どもにとって、あるいは当該地元にとって望ましいかということを決めてくださいと。それに県と国は合わせますということだけ、今明言して、後は今、その地元の実態把握と、より細かな実態把握と、それから、意向把握は、なかなか難しいと思いますけど、しかし、いろいろなオプションをお示ししないと、意向把握もできませんので、そういう中で一つの考え方を。そこで、ポイントは、結局このような大変な災害で遺児になってしまった、子どもたちの絆だけでも、やはり残していこうと。これは、通常こういう事態はそもそも想定していませんから、我が国の児童福祉政策というのは。そうしますと、結局子どもたちはバラバラに、里親に引き取られていくとか、バラバラに、いわゆる既存のそうした施設の空き枠の定員に、何と言うか、配置されていくと、こういうことになってしまうわけでありまして、しかしそれはもう最後に残った子どもたち同士の絆すら、断ち切ってしまうということになりますから、子どもたちには望ましくないんだろうと。ついては、子どもたち同士の、あるいは先生とのこれまで培ってきた絆というものを一番大切にして、何とかその子どもたちの学びと育ちを支えていこうと、こういうコンセプトでやっていくことが望ましいだろうというのが知事と私との共通認識になっているということでございます。

記者)
 そうすると、孤児院と言いますか、その児童養護施設に近いようなものというふうに理解しておけばいいんでしょうか。

副大臣)
 ですから、普通に行けば児童養護施設の空き枠に、その子どもたちがバラバラにされて、児童養護施設の受け入れを、斡旋をすると。あるいはコーディネートをするということになります。しかし、そのフレームワークに、否定するわけではありませんけども、そのフレームワークだけに任せていたのでは、今申し上げましたように、絆が切れてしまうだろうと。仲の良いお友達との関係も崩れてしまう。そして本当に、孤立の上にも孤立というものになってしまうので、それは望ましくないだろうと。したがって、これはもちろん、福祉部局、教育部局あげて取り組むべき課題ではありますけれども、これまで、いわゆる児童福祉はもう、厚生行政あるいは市町村においてもそうした部局がやるということで、やってきたわけでありますけども、そこは知事のトップリーダーシップという中で、子どもたち優先で考えていこうという、強い強い、達増知事の御希望があり、私たちもそれに最大限応えるべく、もちろん今の、おっしゃったのもオプションの一つです。それを否定するわけではありません。しかし、我々は今まで通常のことでは想定されてなかった、その自分の御縁のある地域の学校の隣接する寄宿舎に入るというオプションを、新たに選択肢、有力な選択肢として一つ加えるということです。ですから、そうなれば、親戚の方々との交流というのは、同じ様な地域にもいるわけでありますし、何よりも友達と寝食を共にできるということであります。しかしながら、それだけでは大変ですから、もちろんそこに、いわゆる寄宿舎に住み込みの、住み込んでいただく家族というのも、これからもちろん探して募集をしていくということになりますし、それから、斜めの関係ということも大事になってきますから、岩手県内、あるいは東北地域、あるいは場合によれば関東地域、さらには全国から、若者が交代交代で、その子どもたちのコミュニティを斜めの関係で支えて行くと、そういう様々な絆を新しく構築することで、子どもたちを取り囲む、取り巻く、そういう人の輪を作っていきたいということでございます。

記者)
 その実態把握なんですけど、現在文部科学省で毎日朝昼晩、子どもの安否情報については、集約されてますが、なかなかその保護者さんの安否情報についてはあまりない状態と聞いております。今のお話だと、これはもう地元の市町村から上げてもらうという感じになるのか、それとも、震災孤児の実態把握についてはもうスタートしているんでしょうか。

副大臣)
 これは、ケースバイケースです。例えば、私が参りました県立山田高校の校長先生は、春休み、これはちょっと小中ではないので、さっきの話とは、別の話ですけど、春休みの登校日というのを作って、一回生徒を集めて、高校生の場合は、高校生本人の安否確認ができてない事案もございますので、さっき申し上げましたように。小学校、中学校は、まだ学校がやっていて、しかも学校にいる時間だったもんですから、児童生徒の被災というのはなかったわけですが、高校生の場合はもう春休みに入っているところもあって、高校生が、クラブ活動の高校生は学校にいたようでありますけども、そうでないケースはあります。だから本人の安否確認、それからもちろん御家庭の安否確認ということで、できれば、その春休み招集日というものを設けてやりたいということをおっしゃっていました。こういう形式をやられる小学校、中学校もあり得ると思います。それから、それがケース1。それから二つ目は、とにかく始業式をなるべく早くやると。それはもちろん、当該学校で行えるのが一番望ましいので、それが可能な学校は当該学校でやると。それが難しい場合も、その他の公民館だとか、いろいろな代替施設でもって始業式をやると。そこでこの安否確認といいますか、その家族の安否状況についての把握を、担任などが、それぞれの子どもに聞くと。ただこれも、まさにそのことで、子どもは大変心を痛めているわけでありますので、その聞き方というのも、それでなくても心のケアを最も必要とする子どもたちでありますので、そこのところは、そうした観点からも慎重に、かつ丁寧にやらなければいけないわけであります。そういう意味でも、これまで1年間以上、生活を共にしてきた担任等々、学校の関係者から、そうしたことの状況について、子どもたちに丁寧に聞いていくのが、最も望ましいというふうに地元の方はおっしゃっておられました。おそらく私もそうだと思います。そうしたことに十分配慮しながらも、その実態把握に急ぐということを、今お考えであります。それが、なるべくうまく行くことを我々としても、見守りたいし、できることがあれば応援したいということです。

記者)
 ということは、被災地で大体4月の20日頃からというふうに聞いておりますが、今おっしゃったようなその時期にあわせて、新しい寄宿舎を始めるということにはならないですね。今のだと。

副大臣)
 ですから、実態把握されますよね。これも連日いろいろ、状況把握を一生懸命やっていただいております。ここの調整は、もう少し別のルートでと言いますか、別の形で把握されるのかもしれません。ただいずれにしても、国立岩手山青少年交流の家は準備をとにかく進めて、いつでもその子どもが受け入れられるように、そして受け入れると同時に、授業が行えるようにということの準備は進めておくと。ただ、具体的に子どもがどの段階でというのは、少しまだはっきりしておりません。

記者)
 なるべく早い時期にという意味ですか。

副大臣)
 もちろんそうです。

記者)
 ということは、4月のいつからではなくてということですか。

副大臣)
 はい、そうですね。

記者)
 先程の一応、小中学校はというのが、メインと思うんですけれども、これから成長していくと、当然高校だという話にも、あと、たぶん幼稚園という話にもなってくると思うんですけれども、その辺りはもう、当然視野に入れているのでしょうか。

副大臣)
 まず冒頭申し上げましたように、今回の時間帯というのは、幼稚園児あるいは、あるいはこの期日、この日付と言いますか、高校生にとって、ある意味で最悪の時間帯であり、日程であり、日にちでありました。したがって、その問題もこの枠組みとは別に、きちんと取り組んでいかなければいけない枠組みだというふうに考えております。ただ幼稚園生について、ここの寄宿舎に入れるというのは、少し性格が違うのかなと。高校生については、いろんな自由度を持たせながら、仮に学年がさらに進んでいった時に、ここにもとどまれるという枠組み。それから、ただ、岩手県の場合は、元々、例えば盛岡市内の高校に三陸地域から下宿という形で進学されるケースも、ある程度あったというふうに伺っておりますので、そうしたことも念頭に置きながら、やっていくということになるだろうと思っています。

記者)
 似たようなお話を、笠政務官も、視察から戻られた時におっしゃっていたのですが、その寄宿舎付きの学校という話は、岩手県側から提案したのか、それとも文科省側から提案したのか。

副大臣)
 笠政務官からそういうお話もあり、それから、改めて岩手県知事が、その件について、私とかなりじっくり話をしたいというご要請があって、27日の夜に入りました。27日の夜にかなり私と二人で相当時間議論をして、それは岩手県知事の御要請で呼ばれて行って、そして岩手県知事と、いろいろな周辺状況、実態等々を踏まえて議論をしたということであります。基本的には岩手県知事の御発案であり、御提案であるということです。

記者)
 現時点では、震災孤児はどれぐらいになりそうだという話は岩手県知事からお話はございましたでしょうか。

副大臣)
 これは、岩手県知事のお話では、さっき申し上げたように、数十人なのか、数百人なのかというのが、まだ断定できないということです。知事と教育長とで、視察も一緒に行きました。そういうお話も教育委員会、教育関係者の中で、出ておりましたが、そのやり取りの中で、教育委員会の方も、いやそれも実態把握をしなければいけないという問題意識を持っているということで、ただ、なかなか、さっき申し上げたような意味で難しいけれども、最大限頑張っていきたいと。丁寧に、しかしなるべく正確な実態を把握しないと、今後の対策が立てられないわけですから、そこを、改めて県と、それから市町村の両者で、それを急ぎましょうというか、頑張りましょうという確認をしておられました。私も、そこに立ち会ったわけでありますけれども、そういう状況です。

記者)
 その正確な実態が把握できない中で、いわゆる孤児になったであろうと思われる子は、ある意味、一部地域に集中している感じなのか、それとも県内の三陸の地域にパラパラとありそうなのかによって、多分、だいぶその寄宿舎の性格が変わってくると思うんですね。

副大臣)
 そう思います。例えば、大槌は、そもそもそういう人が多いかどうかというのは、それは断定的に申し上げませんが、その町民の中で、そもそも、この現役働く世代の層と子どもとの相関というのは一対一は付けられませんけれども、しかし、その現役世代が、総じて親であるわけですから、そういう前提をいくつか置いて申し上げると、大槌はかなり深刻だと思います。それから陸前高田なども深刻だと思います。したがって、そういう所はかなりニーズが強いのではないかと。山田も同じです。山田も焼け野原ですから。大槌も焼け野原です。山田、大槌はそういうところです。それから陸前高田もそうだと思います。それから、釜石などはもちろんその当該地域の被害は甚大でありますが、これも予断を持って言えませんけども、町を上がっていくと、これはどこでもそうですけど、ある段階から、まったく原型をとどめているわけです。だからそれは、津波というのはこういうことなんだなあということを、改めてわかったわけですが。そうしますと、これはもう、これからの予想の話なんで、全然違うことになるかもしれませんけども、これで要するに、海側の所で被災に遭われたけれども、御親戚とかが、この釜石の少し山側で残っておられるというケースは、あり得るのかなというような気もいたしました。ただそれ以上のことはよくわかりません。

記者)
 寄宿舎のイメージなんですけれども、要するに、今まで通っていた学校に、なるべくそのまま通えるようにというのが、まず目的意識としてあって、なおかつ、なかなかその被害の実態がわからないので、それがうまくいかない時にも対応できるようにしようという、そういう構えなんですか。

副大臣)
 ですから、今まで通っていた学校に通い続けるのは、少し難しいかもしれません。ただ、今まで住んでいた地域で住み続けて、あるいは、その隣町ぐらいで住み続けて、そして学校に通うということだと思います。一方で、これはいろんな関係者がおっしゃってたんですけども、要するに、次の三陸地域を背負って立ってくれる、支えてくれる若者たちが、このままだと、もう完全にいなくなってしまうということです。もちろん短期間、あるいは期限を決めて一時期岩手に来るとか、岩手山のある盛岡周辺に来るとか、そういうある種のビジョンを持った、そういうのはもちろん、当然あって然るべきというか、それは子どもたちの学びと暮らしが、第一ですから、ずっと家のない子に、いわゆる体育館での避難を続けるというのは、これはまず、一刻も早くなんとかしてあげなければいけない。しかし、その子たちがきちんと帰ってくるということを、その選択肢を、有力な選択肢としてお示しするということが、一番最初に申し上げましたけども、もう地域の人々たちは子どもの笑顔が、もう唯一の希望であります。そこで子どもたちが笑顔を取り戻し、そしてもちろん大変な中にも一歩一歩、元気を取り戻し、そして、元気に生きてくれていると。それで、それを支えるんだということで、この町作りのある種、求心力というものを確保したいと。あるいはそれを、復興のエネルギーに変えていきたいと。これはもう、どの方もおっしゃいますので、そういった地元の声、そしてもちろん子どもたちも、親御さんはいなくなってしまった。そして今までまったく縁もゆかりもない地域に行ってしまうということは、子どもの心のケア上、一番厳しいわけですから、もちろん親に代わるものは何もないわけですが、少しでも友達との縁、地域との縁、そうした縁を、絆を、子どもたちがまだ残している縁というものを大事にしながら、それを一つずつ、太くしていく。あるいは、そこにもちろん、さらにいい縁、いい絆というものを作っていくということが、子どもたちのためにも、最もプラスだろうということでございます。

記者)
 副大臣、毎日、東北地方の地震の被害状況について、文教施設分を出していますけれども、この中で避難先となっている小学校、福島県は80校の中にですね、浪江町立津島小学校というのが入っていると思うんです。ここは原子力安全委員会が、運営しているSPEEDI(緊急時迅速放射能影響予測ネットワークシステム)で、非常に基準濃度を超える放射線量が計測された北西30キロメートル地点に非常に近い所なんです。ここが20キロメートルから30キロメートルの間ですから、基本的には屋内待避でしたけれども、先日の枝野長官の御発言によって、自主避難を奨める地域になったと思います。ただ原子力安全委員会が、ここはすでに人がいなくなっている、その測定ポイントはいなくなっているということで、あまり気にしていませんけれど、この津島小学校は、非常に放射線が高かった時に避難区域であったのか、屋内から自主避難する時に、子どもたちが多いですから、安定ヨウ素剤を飲んだのかどうかという情報を聞きたいんですけれども、文教施設の方では、これは数字を県からもらってくるだけで、その学校が対象になっているかは全然わからないというお答えなんですよ。もし、そうした福島県内での、そうした小学校の待避行動が、もしお分かりになるような機会があったら、ぜひ教えていただきたいというお願いが一つ。もう一つ、これはプロ野球の件ですけれども、この間、副大臣が御要請されたように、セ・パの同時開幕と、それと東京ドームなどの電力を使う球場での開催が、見送りになりましたけれど、基本的にはこれは節電のお願いだったわけで、セ・パ同時開幕というのは特に節電とは関係ないように思います。これが大臣や蓮舫大臣の要請といいますか、お願いが実現したということは、プロスポーツ競技の開催について、明確に介入することができたということにもなりますから、これをそのまま使うことになると同じプロスポーツの相撲協会の開催についても、文科省は、こうアドバイスされる、助言というか、こう意見を言うことができる道を開いたんじゃないかと思うんですけれども、それはいかがでしょうか。

副大臣)
 はい。一点目のことは、よく御案内のとおり、地元市町村、自治体が避難等々についての一時的な責任、そしてもちろん、原子力災害対策法に基づいて国、官邸、あるいは原子力安全・保安院等々と、あるいは原子力安全委員会と相談をしていることでありますので、そこに施設として供出しているということはおわかりの上でおっしゃっていると思いますが、それは、お話があったことは承っておきたいと思います。それから、2点目の件はですね、私どもはあくまで節電のお願いをしました。同時開催をしてくださいというお願いは、基本的にしていないわけであります。しかしながら、その、パ・リーグの案とセ・リーグの案では、明らかにパ・リーグの方が節電効果が高いことは明らかでありますので、後は、そこを自主的にセ・リーグも御判断をされて、結果として、セ・パ同時開催になったわけでありまして、我々はセ・パ同時開催を求めて、これまでも求めたことはございませんし、これからも、その具体的な開催等々について申し上げる権限もないし、それはあくまで一貫して自主的にお決めになる話であると。ただ、電力需要のことについては、これは、そもそも内閣総理大臣が国民の皆さんにお願いをしている話でもありますし、併せて、私どもとして関係所管団体に対して、お願いをしたということでございます。以上です。

(了)

お問合せ先

大臣官房総務課広報室

-- 登録:平成23年04月 --