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不登校に関する私の考え方(町村文部科学大臣)

2001/02/05
不登校に関する私の考え方

2001年2月5日

 2月3日の各新聞に「町村大臣発言―はき違えた自由が不登校を生む―公式見解と隔たり」という見出しの記事が掲載され、これに対し、賛否双方のメールやFAXを頂きました。これらの記事は2月2日の私と記者団との懇談会における私の発言をもとにしたものでありますが、その中には発言の一部のみを取り上げたバランスの欠いたものも見られますので、改めて、以下、私の発言の骨子をお示し致します。
 不登校に関する私の発言(骨子)
 『不登校の原因は、様々な要素がからんでいると思います。たとえば、
  (1)  いじめが原因で不登校になるケースもあるでしょう。これには、学校全体でいじめの根絶に努めることはもちろん、場合によっては、問題を起こす児童生徒に対し出席停止の措置を含めた厳しい対応策をとることなども必要でしょう。
  (2)  また、対友人関係、対教師関係等の心の悩みで不登校になる場合には、スクールカウンセラーの充実、心の教室相談員の活用等で対応していく。
  (3)  さらに、授業が分からずに不登校になる場合もあるでしょう。これには、先生による個別指導、少人数指導の導入、先々にはIT教育の活用によるオーダーメイドの学習も可能になると思います。
  (4)  この他に、不登校児童生徒の中には、家庭や学校の教育の中で、自己統制力(セルフ・コントロール)を児童生徒に身につけさせることが不十分であったことが原因となっている場合もあるのではないか。戦後の日本の社会や教育の中では、個人の自由 や権利を強調してきました。これは、本来的に正しいことですが、問題は、自己統制 力無き自由や権利の主張は、好きなことだけをさせ、気に入らないことはやらなくて もよいという結果をもたらせてしまう。大人になれば、自分の好きなことだけをやっているわけにはいかないのです。
  いずれにせよ、不登校対策は様々な原因に対応して、様々な方策を講じて行く必要があります。』
 なお、記者懇談会では話していなかったことですが、若干のコメントを追加してみたいと思います。
 自己統制力(セルフ・コントロール)というと、いかにも堅苦しい言葉として受け止める方もあろうかと思います。
 日本の教育界のリーダーの一人である辰野千壽氏(日本教育会会長、元筑波大学副学長、上越教育大学長)によれば、自己統制力とは「自分の感情や欲求を自分で制御し、自分の行動を正しい方向に向かわせることである。これには、(1)抑制的な働き(欲求の充足を延期したり、誘惑に抵抗したりすることができるという我慢する働き)と(2)促進的な働き(積極的に努力を持続する、やりかけた仕事を最後までやり遂げる働き)の2つの面がある」と分析しておられます。
 私は教育の様々な局面の中で、こうした自己統制力を身につけることが子どもから大人へ成長する一つの大きな要素であると考えています。本年1月の成人式の各地での大混乱(主催者の話を静かに聞けない、大声で話をする、酒を飲んで暴れる、女性の晴れ着を汚す等)は、実は10年以上も前から見られた共通現象です。
 要するに、自分のやりたいことは他人の迷惑をかえりみずやるけれど、自分の気に入らないことはやらないという、まさに自己統制力無き、成人の資格無き若者の行為そのものだと思いますが、皆さんはどうお考えでしょうか。

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