第3回全国家庭教育支援研究協議会(分科会1)議事録

議事録

 お待たせいたしました。準備が整いましたので,分科会1,「子供の学びを支える学校を核としたコミュニティづくり」に入らせていただきます。この分科会の進行を務めさせていただきます,仙台市教育委員会生涯学習課主査の門間でございます。どうぞよろしくお願いいたします。震災を機に,学校・家庭・地域の大切さが見直されております。この分科会では,学校を核としたコミュニティづくり,学校・家庭・地域の連携,きずなづくりへの取り組みを通して,改めて地域総ぐるみによる子育て,子供との関わり方,家庭教育の在り方を考えてまいります。次に,分科会の皆様の御紹介をさせていただきます。まず本分科会のコーディネーターは,仙台市立寺岡小学校校長,野澤令照先生です。
 野澤です。よろしくお願いいたします。
 野澤先生は,地域とともに歩む学校,仙台自分づくり教育を掲げ,地域総ぐるみによる学校教育の推進をされております。それでは,事例発表者を紹介させていただきます。まずお一人目は,福島県田村市放課後子ども教室,菅谷めだかの学校コーディネーターの佐藤征昭さんです。震災を受けても熱い思いで子供たちとともに取り組まれているコーディネーターさんです。お二人目は,ふれあい学びネットいずみ委員長の斎藤純子さんです。
 こんにちは。よろしくお願いします。
 斎藤さんは,榴岡児童館の館長も務められており,子供たちのために日々取り組まれていらっしゃいます。三人目は,仙台市立七北田小学校長の内藤恵子先生です。
 よろしくお願いいたします。
 内藤先生は,七北田小学校で地域共生科という新教科創設に取り組まれていらっしゃいます。それでは最後になります。パネリストは青森中央学院大学教授,高橋興先生です。
 よろしくお願いいたします。
 高橋先生は,学校支援地域本部,放課後子ども教室など全国の事例を調査研究されております。今日は,そのお立場からアドバイスやお話を頂きたいと思います。
 それでは,ここからはコーディネーターの野澤先生に進行をお願いしたいと思います。
 それでは,改めまして皆様こんにちは。限られた時間ではありますが,今日御来場いただいた方に,幾つかでもお土産になるような中身になればと思っております。頑張って務めてまいりますのでどうぞよろしくお願いいたします。
 先ほど,開会の御挨拶の中でも教育長からもお話がございました。この分科会のテーマが,子供の学びを支える学校を核としたコミュニティづくりと震災を超えて今できること,あなたにできること,社会全体で子供たちを育むためにということがございます。これから御紹介を頂きました3名のパネラーの皆様方に事例発表を頂くのですが,今日は全国からお集まりの皆様がいらっしゃるということで,それに先立ちまして,仙台市の被災・復興に向けた取り組みを簡単に御紹介させていただきます。それでは,準備の方をよろしくお願いします。まずは,13校の学校が自分の学校を使えずに間借りをするような形で授業をしていたということがありました。残念ながら,命を落とした子供たちも何名かおります。ただ,仙台の掲げたものは,そこから復興に向けて立ち上がることで,その時に子供たちの大きな力が発揮されました。まず写真を御覧いただければと思うのですが,仙台の七夕期間中に市内8万人の小中学生が一人一人折り鶴を折りまして,天に願いを届けるという取り組みが行われました。それから,全国各地からたくさんの支援物資を頂きましたが,それを仕分するために中学生がボランティアとして活動したことや,子供の日に行われたいろいろなイベントに取り組む姿から改めて子供たちの持っている力を感じたことを御報告申し上げておきたいと思います。次の写真はスライドでございますが,仙台でも300か所を超す多くの避難所が開設されました。運営の中で様々なことがありましたが,実は非常に大きな格差が見られたということがございました。避難所運営がスムーズに進んだところとそうではなかったところには日頃の学校と地域の方々との繋がりに鍵があったということが分かったのです。後ほど,御紹介を申し上げます。次の写真をお願いします。実は今回被害に遭い,残念ながら亡くなった子供も数名いるのですけれども。仙台市の場合の多くは無事に避難をできたという状況があります。その陰には,やはりこれまで全国どこでも取り組まれてきたことではありますが,学校教育の中で避難訓練の徹底と。さらには仙台では地域の方々とともに子供を育てる,地域とともに歩む学校づくりが功を奏しまして,円滑な避難所運営,学校における整然とした避難ができたということがございました。次をお願いいたします。
 先ほど申しましたように,地域との連携が日頃から図られていた学校では,ここに掲げたような成果が上がっております。コーディネーターの方々が学校と地域の方を繋ぐパイプ役になってくれました。避難所開設のときには,避難所の支援本部と言ってもいいように,自然な形で支援をし,教員や先生方のサポートを行っていただいたり,ボランティアの方々が自らルールを作る手伝いをしたりと避難所開設直後から役割が明確に分担されたわけです。実は,学校の先生方は,本来は避難所運営のサポート役に回るという状況にあったのですが。今回は,まず避難所開設に当たる職員が現地に到達することができない,交通網が寸断されておりましたから当然ですけれども,その間最初に動いたのは,学校の教職員であったわけです。ただ,学校の教職員は,子供たちの安否確認という第一義的にやらなければならない仕事があったのです。それにもかかわらず,避難所運営も担ったということです。そのような中で学校によっていろいろな差が生まれてきたということが言えます。特に,地域との繋がりが深い学校では,初日こそ先生方が避難所運営に関わりましたが。次の日からは,避難された方々が自治組織を立ち上げて,自ら避難所の運営に当たりました。当然,先生方は,子供たちの安否確認などに専念することができたわけです。次の写真をお願いいたします。社会教育,これも果たした役割が非常に大きかったと思います。これまで地域の活動,地域の人々を繋ぐ社会教育ということで,仙台は長い間力を入れて取り組んでまいりましたけれども,やはり,そこで活動されていた方々が今回大きな力を発揮して下さったと考えております。最後にもう1枚お願いします。実は,これは宮城県内の小中学校の校長先生方にアンケート調査,電話取材をしてまとめた資料でございます。今日パネリストにおいでいただいている高橋興先生は,中教審の生涯学習部会の審議員でもいらっしゃいますが,中教審の場でもこの資料が発表されました。今全国に文科省のホームページの中でも御覧いただけるかと思いますが,先ほど申し上げたように大きな格差が生まれたということでございます。ありがとうございました。
 仙台の被災を受けた直後からこれまでの取り組みということで,特に地域に関わる内容で御説明をさせていただきました。後ほどこの辺りも話題にして話を続けてまいりたいと思いますので,よろしくお願いいたします。
それでは早速限られた時間ではございますが,3人のパネラーの皆様方に事例発表を,お願いいたします。はじめに,福島県の田村市からおいでいただきました,田村市めだかの学校放課後子ども教室の代表でいらっしゃいます佐藤さんからお話を伺います。どうぞよろしくお願いいたします。
 皆様こんにちは。ただ今御紹介を頂きました福島県は中通り地区にあります田村市滝根町の菅谷小学校を主体とするめだかの学校より参りました佐藤征昭と申します。言葉が大変訛っておりまして,皆様方に御理解いただくのが難しい部分もあろうかと思いますが,どうかひとつよろしくお願いしたいと思います。田村市の滝根町は,あぶくま洞がある街でございます。その意味では,皆さんの中にあぶくま洞に行かれた方が多いと思いますが,震災の関係で入洞者も少なくなってきているのが現状でございます。それでは,私ども菅谷のメダカの学校とはどのようなものかを御紹介させていただきます。
 会場の皆様に御紹介をいたしますが,お配りされておりますピンクの資料の中の32ページから,めだかの学校の資料になっております。併せて御覧いただきたいと思います。佐藤さんよろしくお願いいたします。
 ありがとうございます。それでは33ページにめだかの学校のあゆみというものがございますが,平成14年の9月に国の委託事業がスタートいたしまして,ボランティア活動支援センターというものを作りなさいということが出されました。14年1月に滝根町の公民館としてセンターの主催事業として第2第4土曜日を活動するということで,ここに居場所づくりを国の委託事業としてつくったわけでございます。菅谷小学校には平成16年の5月から子供の居場所づくりというものをスタートして,居場所づくりのネーミングをメダカの学校としてスタートさせました。その後17年には,同じ地区の広瀬という小学校もスタートして,平成19年4月には放課後子ども教室として田村市として9校で始まりまして。22年度からは,田村市内の13校,田村市内には17校の小学校がございますが,その中の13校でスタートしたのですが,去年の大震災の関係で2校が余所の学校で行っておりました。田村市というのは,原発地域から20kmから60kmの範囲にあるものですから,放射線の高いところでは自分の学校で放課後子ども教室ができない,あるいは授業ができないということで,余所の学校を借りて授業をしておりまして。2か所の学校については,放課後子ども教室が開催できなかったという状況がございました。現在でも,震災以降,去年の7月から夏休み明けまで活動が制約されました。そう言いますのも,地震だけではなく,私ども福島県には放射能がかなり高い地域がございまして。校庭の土を削って線量を下げるということが急務でございまして,夏休み中に全ての学校で表土を削り,削った土を持っていく場所が無かったものですから,校庭の片隅を深く掘り保管しているのが現状であります。次に,32ページの子供たちの社会ということで主なる点を書いております。少し詳しく説明しますと,本来,子供たちにとって遊びは社会性を身に付けるために大切な営みであります。しかし最近の少子化,共働き家庭の増加,さらにはテレビゲームや携帯電話の普及により遊びが変化しております。自分の考えを相手に伝えることや集団の中での人間関係が上手くつくれない子供たちが増えていると言われております。子供たちが人との付き合いについて学び,社会のルールを身に付け,自分の考えをしっかりと伝える力を育む機会や環境・場所を計画的につくることが求められております。家庭や学校だけではなく,地域の大人たちが地域の子供たちを分け隔てなく気遣い,見守っていくことが大切になってきているかと思います。このようなことから,国は平成16年度から18年度まで研究3か年事業として,地域教育力再生プランによる子供教室を開設し,田村市においても合併前の滝根町,大越町において,小学校の余裕教室等を会場に取り組んでまいりました。教室では1年生から6年生までの異学年の集団を通しながら,文化・スポーツ等の体験活動から,想像性や社会性,思いやりの心などを養成するように努めてきたところであります。また,この当時は,世の中でいろいろと子供の連れ去り事件等,凶悪犯による痛ましい事故等があったかと思われます。しかし,このような放課後子ども教室を行うことにより,集団下校ができる体制ができたということで,保護者やPTAの方々から非常に有り難いという御意見を頂いているのが実態でございます。その他は,この資料の内容を見ていただければと思うのですが,田村市としては先ほども申し上げましたように,23年度は11校でやっております。それから次のページになりますが,安全管理体制はどうなっているのかということです。私ども,田村市内の小学校は100名を超すような小学校はあまりありません。大抵100名から100名未満の学校でもって,このように開催しております。スタッフは男性が20名,女性が80名。100名を超すような学校では,コーディネーターを含めて指導員が常時4名,100名以下の場合には指導員が常時3名という体制を敷いております。受付をしてからまず宿題と次のページにありますが。子供たちがめだかの学校に来ると,学年別の受付がありますので,そこに丸を付けて遊ぶということにしております。メインルームがありまして,そこに出席簿がございます。次のページでは,体育館でのいろいろな遊び,あるいは校庭での遊び等々が載っておりますが,我々としては子供たちと遊ぶということをメインにしております。37ページには,菅谷めだかの学校は,文部科学大臣から感謝状を頂いております。それから21年度には,下大越めだかの学校として,文部科学省生涯学習政策局長賞を頂いてございます。38ページになりますが,学校からの声としては,学校に活気が出てきた,上の学年が下の学年の面倒をみる思いやりの心が芽生えてきているなど,友達や地域の大人との関わりを通じて社会性や我慢する心なども育ってきていると書いてございます。私は,ここで学校側の声として1つの事例を申し上げたいのですけれども。ある時期,不登校になった子供がいたのです。授業にも参加できないということでした。しかしながら,めだかの学校でソフトボールやドッジボールをすることが大好きな子であったわけです。授業には参加しないのですが,めだかの遊びには通ってきていたのです。そうすると,同級生の間で,教室に入り授業を受けてはどうかと勧められたのだろうと思います。私どもは,そのようなことを問題視していなかったのですが,3か月ほど過ぎた後には授業にも参加するようになったという事例もありました。我々もめだかの学校を通じて大変良いことだと思ったことがあったわけです。39ページに,めだかの学校の現状と課題とありますが。大震災によって,校舎が大規模な損害を受けました。自分たちの学校で開講できないものですから,11kmも離れたくぬぎ山小学校というところが廃校になっていたのですが,そこを借りて,現在は授業並びにめだかの学校を開催しているところです。震災後の対応のマニュアルとしては40ページに載っておりますが。右側が従来の事故対応のマニュアルでございましたが,左側に地震・火災の場合のマニュアルも作りまして,いち早く対応をするということでございます。最後になるのですが,めだかの学校の活動として,私どもは月曜日から金曜日まで毎日活動しておりました。しかしながら,この震災の関係で月・木・金という3日間の活動しかできておりません。従来は指導員も8名いたのですが,現在では距離が11kmも離れた場所でやっているものですから。年配の方々あるいは雪道を怖くて走れない方々もおられますので,現在は5名体制でやっております。あまりに人が足りないような場合は,公民館からも応援を頂いて活動しているのが現状であります。
 終わりに,めだかの活動を継続していくためにと42ページにも書いておりますが。このような事業が今後も継続的に続いていくことを我々は望んでおります。国としても予算的な問題があろうかと思いますが,めだかの学校というものは,子供たちと遊ぶということが基本でありますので。学校が終わるまで,上級生が下級生と遊び,集団下校をさせるかということ。そのようなことが最も良いことではないかと。そうすれば,子供たちにとっても,安全で安心な学校生活あるいは遊びの生活が送れるだろうと考えております。私の発表はこの辺りで終わりたいと思いますけれども,何かご質問等があれば,後の場もあるかと思いますので,そちらで御説明をさせていただきたいと思います。どうもありがとうございました。
 佐藤さん,大変ありがとうございました。まさに子供たちの遊びを通しての取り組みでございますが,やはり集団の中で遊ぶことを通して,子供たちが身に付けるものはたくさんあるはずです。現在それが少なくなってきている中で,このような放課後の活動というのは,非常に貴重なものだと伺わせていただきました。震災を乗り越えて今頑張っていらっしゃるということ,是非これからも皆さん頑張っていただければと思っております。
 それでは,2つ目の事例発表ということで,斎藤さんお願いいたします。
 こんにちは。では事例発表をさせていただきます。私は,学びのコミュニティ推進委員会,これは仙台市内に現在30か所あるのですけれども,その中で自分が今関わっているところを例に挙げて,学コミの事業をお伝えしたいと思います。
 この学びのコミュニティ推進事業の目的は,子供の健やかな育ちを支援する,人間関係を地域に育てるという,地域の皆で子育てをしようというネットワークづくりです。そして,遊びや子供たちの交流を通してコミュニケーション能力を育むということを目的としてやってきました。始まりは実は10年前なのです。教育局の生涯学習課の政策の中の委託事業として出発しました。現在は30か所なのですが,対象は小中学校区の子供たちで,参加は自由です。事務局は市民センター,仙台市の場合は市民センターなのですが,自治体によっては公民館というネーミングです。また小学校等々が事務局を担っているのですが,事務局中心ではなく,共有型の合意形成という形に拘ってやってきました。構成メンバーは,地域の諸団体やグループです。後ほど,私たちのところの図解で説明させていただきます。学コミが教えてくれることということで,地域,子供,大人とで分けてみました。御覧のように,地域の教育力,地域力,そして地域の良さを再確認することができる地域にしようと。子供は,やはり子供同士の交流と。校区ですから1つの小学校だけではないかもしれません。2つ3つの小学校あるいは中学校が入るということですから,学校間の子供の交流も含まれております。それを通して,様々な大人との出会いや社会参画と自己肯定感を高めることも教えてくれると思っております。大人にとっては,いろいろな方との出会い,子供への関心や理解が深まると。さらに共感や自己実現ができる場所だと思います。結論から言いますと,学コミの10年の成果の1つとしては,地域のネットワークが随分と広がり,お互いの顔が見える関係になりました。これは個人ではなく団体ですので,複数の人がいます。ですから,クモの巣のように,網の目のように,いろいろな人が人を連れてくる,そのような関係が見えてきました。また,その団体の持ち味を発揮することができました。それから企業のCSRも現実化しておりますし,いろいろな保護者がボランティアスタッフとして参加するようになりました。またPTA間,学校間の交流にもなっております。それからもう1つ素晴らしいことに,ボランティアで参加した保護者たちが地域の諸団体・学校のリーダーになってきております。支援の繋がりだけではなく,想いの繋がりも広がって地域社会を活性化するようになってきております。子供たちの変化ですが。非常に拘った点としては,小学生が参加するだけでなく,中学生のボランティア,少し先輩であるお兄さんやお姉さんの存在を大切にしました。仲間と一緒に行動する喜び,コミュニケーションです。さらに,参加するだけの子供たちが,自らやりたいことを表現するようになりました。交渉力,私たちはこれをしたいといろいろなことを大人たちに話すようになりました。参加者からスタッフで,これは小学生が中学生になった時,高校生になった時など,異年齢の縦の関係が非常に鮮明に出てきました。これには大学生も関わっております。そして学校や市民センターが変わったと。学校が地域に近づきました。市民センターも近づきました。また学校や市民センターのコーディネート力も非常に高まったと思っております。大切にしたかったことは,先ほどの先生のお話ではないですが,共有型というところを皆さんで意識的にやってこられたのではないだろうかと思っております。大人たちは子供のための縁の下の力持ち,自分たちがやりたいことだけをやるのではなく,常にサポーターであるという意識をお持ちになりました。そして協働を目指すというところ。Winwinの関係。私たちは,子供たちの育ちの応援団だということを確信しました。活動の方向性としては,今お話した内容なのですが,学びのコミュニティだけに終わらず,学校支援地域本部事業の人材とリンクしてきました。いろいろと地域の資源が学校の方にも向けられてきました。仙台市の学校支援地域本部は,このようにお手元の資料にもあるのですが,学コミがその中の1つの核ともなってきております。この次に事例報告をされる内藤先生の七北田小学校,私たちは支援本部の中に入らせていただき,一緒に子供の育ちを応援しております。これは,私たちいずみの構成団体なのですが,ここは支援で繋がる団体だけではなく,NPO法人,FMいずみ,コロナワールドさんのような企業も入っております。それからボランティアグループのかかしさん。泉区シニアリーダーというのは,ジュニアリーダーを卒業した大学生や社会人のメンバーです。彼らにも入っていただいております。これは,1コマずつなのですが,イベントは皆が集う場所だと思っております。ここで子供も大人も同じ視線で楽しもうというところで映像を見ていただこうと思っております。要は,ここに至るまでのプロセスが大切なところだと思っております。いかに共有できるか,ここでなければできないことをやろうということ。これは学コミの遊び心とも言えますが,定番のドラム缶風呂です。恥ずかしながら,子供と一緒にはしゃいでいる大人,非常に良いですね。この辺りは,楽しんでいるところを見て下さい。ここで踊っているところがあるのですが,子供たちが自分たちでやりたいと話し出しました。要は,表現して,企画に参加して,自分たちでやっていくと。今年も来週遊びの天国があるのですが,半分以上が子供たちの手によるものです。このように,地域に繋がっている事例ですが,それだけでは止まらずに学コミは泉区の中に7つ出来ました。ここだけではなく皆で繋がっていこうということで,連絡会を組織しました。いろいろな場所にあります。いろいろな催物があるのですが,地区によって特徴があります。ここには,顔が見える関係づくりを泉区内にも広げようという想いがあります。仙台市の生涯学習課の方でも情報交換の場をつくっているのだけれど,それだけでは足りなくて,区内でこのような連絡会をつくりました。私たちの目指すものは,情報の共有と交換です。ヒト・モノの共有であると。しかし,これは事業をするための協働ではなく,ここには人が繋がって子供の育ちを応援していこうという想いが最も強くあり,連絡会になったものだと感じて止みません。まずは,このような形で学コミの活動を紹介させていただきました。
 斎藤さんありがとうございました。まさに顔の見える関係づくりという言葉がありましたけれども,冒頭に申し上げましたように,震災を受けて,その復旧に向かう時に,最も力を発揮した人の繋がり,まさにそれを広げ,さらに発展させていただいている活動であると伺いました。
 それでは,最後に内藤さんにお話を頂きますが,お二方とは少し違う学校の立場からということも含めてお話を頂けると思います。よろしくお願いいたします。
 こんにちは。私からは,前のお2人とは別の角度,学校の立場からの実践をお話したいと思います。ですから,タイトルは,「学びの活動への参加が生み出したもの」というものになります。私の資料は54ページから58ページになるのですが,スライドは載せておりませんので,スクリーンの方を御覧いただきたいと思います。
 震災に関係した3つのエピソードからスタートしたいと思います。他の多くの学校と同じように,本校も避難所となりました。避難所閉所後,保護者が見つけて届けて下さいました地域情報誌に載った本校職員へのメッセージなのですが。わざわざ投稿して下さったという気持ちに私たちの方が非常に嬉しくなったというエピソードです。2つ目のエピソードは,入浴と書いてありますけれども。避難所の閉所一週間後に卒業式を行ったわけですが,その時にガスがなかなか復旧しない最後まで残った地域だったのですが,お風呂に入れなかった子供たちの門出を祝うということで,地域の大人専用のスポーツクラブが入浴に特別に招待してくれたのです。エピソードの3つ目です。4月11日,多くの学校が入学式と始業式を行ったのですが。校舎の仮復旧も終わり,来週だと思っていた4月7日の深夜,最大の余震がありまして。そこでまた振出しに戻ってしまったと。貼ったはずの壁材がまた損壊してしまったということもあり,どうしようかということになったのですが。偶然に工事関係者が保護者の方であって,何としても壊れた校舎で子供たちを迎えることはできないということで,土日に突貫工事をして,職人さんをかき集めてやっていただきました。このように,地域の方々のいろいろな力を借りて,平成23年度ということで進めているわけです。では何故震災時に地域との良好な関係があったのかと。それは,七北田小学校が日頃から地域とともに歩む学校経営ということを実践していたからであり,その経営の中核は,私たちの学校が独自で進めている地域共生科という学びの姿があったということなのです。そのことについて説明をしていきたいと思います。本校は,文部科学省の研究開発学校の指定を受けて,地域共生科ということを実践しております。地域共生科がどのような教科なのかということは,今ここでゆっくりお話している時間はないのですけれども。御覧のように,まずは地域と深く関わる体験と学習ということであり,子供たちに社会の中でより良く生き,より良い社会をつくる能力の基礎を付けさせることを目標にしていると捉えていただければと思います。この地域共生科によると,子供の地域づくりの体験活動なのですが。小さいながらも地域貢献ということで,子供たちに社会に役だっていることを実感させることができております。この実感は,子供の自己肯定感を高めて,学習の社会的意義,学習というものはこのように社会に結び付いていくのだということを感じさせることであると。さらにこのような子供たちの活動というのは,地域の人々の地域貢献の意欲を喚起して,学校に対して地域の教育力を積極的に提供していただけるというようになっております。私たちはこれを学びの循環と呼んでいるのですが。このような活動の積み重ねが地域社会を活性化させ,より良い地域社会づくりに繋がっているという確信を得るまでになっていると思っております。地域共生科が地域や保護者の教育力との協働による指導を重視していることから,地域共生科創設と同時に学校支援地域本部もスタートしました。通称にこにこ本部と呼ばれている場所なのですが,学生ボランティアから町内会長さんまでが集う異世代間交流の場であり,皆さんに集っていただいております。そしてここで地域のコーディネーターとスーパーバイザーが大きな役割を果たしているということでありまして。この方はスーパーバイザーさんです。
 防犯ボランティアから校外学習まで,校外学習の引率,読み聞かせやミシン指導など,余所の学校でもやっていらっしゃると思いますけれども,たくさんのサポーターさんに学習に関わっていただいております。七北田小学校の地域共生科の特徴として,パートナーという方がいらっしゃいます。このパートナーというのは,子供たちとともに活動を作り上げていくという役割を担っていただいているのですが,保護者の方もおられます。11月に研究の報告会があったのですが,100人を超えるパートナーが私たち教員と一緒になり報告会を盛り上げていただき,子供たちの授業に関わっていただきました。一方で,保護者の方にも親としての学びの場を提供するということもやっております。例えば,講座を開きますが,保護者のための講座として,生活習慣に関する講演会と。今年は,震災後の心のケアに関する講座も行いました。また,親子で参加できるサマー講座というものも行っておりまして,今年はJAXAの講座を開催いたしました。ロケットの飛び出す瞬間が見えますでしょうか。
 このような取り組みというのは,直接に保護者の教育力を高めるためだけではなく,地域の方々や保護者の方々が学校に気軽に足を運んでいただくという目的も持っております。このような活動を通して,子供たちや親が,そして地域や行政が変わっているというエピソードについて,少しお示ししたいと思います。まずマル4,子供が変わるということなのですが。おばあさん大丈夫と書いてあります。地域共生科をスタートした最初の年であったのですが,民生委員の方からこのようなお話を頂きました。90歳位のおばあさんに呼び止められ,このような話をされました。
 「交差点を大きな風呂敷を担ぎ,杖を持って待っていると,おばあさん,大丈夫と優しく声をかけてくれた小学生がいた。その子は,信号を渡るまで見送ってくれて,振り返ると手を振ってくれていた。少し眩暈がして気分が滅入っていたのに,その子のおかげで気持ちが明るくなりました。」
 親が変わったエピソードです。資料にもあるのですが。
 「学校と地域に任せきりにするのではなく,私たち親も地域との関わりを積極的に考えていかなければならないと思っています。」
 そのような言葉を寄せていただいております。そして,地域が変わる,本当は大人がとありますけれども。これは,地域共生科を始めるということで説明をしたところ,連合町内会長さんが学校に息を切らして駆けつけて下さいまして。本当はこれをやりたかったのだと。マンションも乱立してたくさんの人たちがこの泉中央地区に入ってきており,そのような方々を結びつけることに町内会は非常に苦労しているのだけれども,学校がやっていただけるのならば本当に有り難いと。新年の交換会などがあるのですが,そのたびにお話をして下さって,地域の中に伝えて下さっています。
 それから,行政のお話をいたしますと。学区の中に泉区役所があります。その街づくり推進課の課長さんが,本校の取り組みに対して大変興味を持って下さいまして。報告会の時にも1日いて下さいました。区役所の中で報告をする報告書のコピーを頂いたのですけれども。このようなことを書いて下さっています。
 「最も興味深かったのは,パートナーなどとして学習活動に関わった住民自身が大変良かったと高い評価をしていたことで,地域コミュニティの核としての学校の可能性というものを強く感じたところである。地域づくりや街づくりの視点から見ても,地域共生科の取り組みは意義深いものがあると感じたところである。」
 このような御感想を頂いたところでございます。これからは,映像によって少し急ぎ足でいきたいと思いますけれども。コミュニティが活性化している事例という形で見ていただければと思います。この方は保護者の方なのですが,サマー講座の講師を引き受けて下さいました。とても素敵な方で私も大好きな方なのですが,子供会育成会の会長さんです。少し強面なのですが,とても面倒見の良いおじさんという感じです。子供会育成会への参加率も非常に低い地域であったのですが,徐々に増えているという嬉しい結果も出ております。この方はJAの方なのですが,地域の郷土料理の研究家でもあるのです。この方は,炊き出しから料理の講師までして下さる大変有り難い方です。ここで,少し大きめの方が長いものを着ておられますが,ジャンボ海苔巻なのです。PTAの会長さんです。保護者の会が立ち上がりまして,子供たちを支援する,一緒に参加をするような活動に,会長さん自らがこのように参加して下さっている姿です。それから,これは町内会の会報なのです。七北田小学校地域共生科のお知らせを町内会の会報に載せて下さるのです。私たちがお願いしているわけではありません。このような会報が地域に流れているということです。そして,この方は,溌剌クラブという元気なお年寄りの会の方です。学校に対して非常に好感を持って接して下さる方なのですが,今年の初めに年賀状を頂きました。
 「七北田小学校集合の掛け声に,いずみ溌剌クラブのメンバーは,いそいそと足を運び,ほほ笑み笑い,皺を伸ばします。先生方や児童の皆さんと接触する効果は絶大です。七北田小学校は,私たちにとってもオアシスであり,まさに地域共生の礎です。」
 このような年賀状を頂きました。ここに活私開公という言葉がありますが,私たちがこの研究を進める上で合い言葉にしている言葉です。私を活かしながら公に開いていくという意味なのです。この画像は,にこにこ本部に集う方,パートナーの説明会においでいただいている方と。子供たちが地域に出て,挨拶運動をしているところ。それから,地域の中で行われているマルシェに6年生が出店をして大盛況というような画像になっております。
 この方は,朝の本の貸出しボランティアをして下さっている方です。この方は,学校の体力・運動能力テストの時に来ていただいて,このようにお手伝いをして下さっているわけですけれども。我が子の運動能力を客観的に見るという機会にもなっていると聞いております。これは,にこにこ本部に集う方です。非常に楽しそうです。小さい子供たちですが,学校のイベントの中には,このような未就学児が参加できるイベントもあります。そして,これは1年生の子供たちですが,1年生と高齢者の方というのは,大変仲良しです。このようにして,学校で一緒に遊んで下さるという学習形態もあります。
 最後になりました。学校・保護者・PTA・地域との共催で行っている夢フェスティバルというイベントなのですが。綿菓子作りの準備をする,泉区中央市民センターの社会教育主事の先生お二人なのです。先ほど,斎藤さんが紹介して下さったふれあい学びネットいずみの事務局も務めていただいているということでして。私たちの学校支援地域本部を全面的に支援して下さっているお二人なのです。ゆえに,学校プラス保護者プラス地域は夢フェスティバルと。これは,教育復興へ,などという強引な式が書いてありますけれども。地域の豊かな人との繋がりの中での子育ての良さ。それから,震災体験から学んだ人と人との繋がりの大切さ。そのような実感を教育復興の原動力として捉えていきたいと。そのようなことを私の発表のまとめにしたいと思います。子供の学びに関わった保護者やパートナーの生の声というのは,資料の方55ページから58ページまで載せておりますが,これはこの後のお話の時にお伝えしていきたいと思います。大変ありがとうございました。以上です。
 ありがとうございました。今3名のパネラーの皆様から御発表いただきました。放課後支援という立場から田村市の佐藤様,それから地域ネットワークという視点で斎藤様から,そして今は学校の立場ということから内藤様にお話を頂きました。
 冒頭に申し上げましたが,震災を超えて今私たちが皆でできること,あなたにできることというテーマがありますけれども,発表の中にも,震災を受けつつも,そこから元気に動き出している姿を見ていただけたのではないかと思っております。
 さて,ここからは,限られた時間ですが,皆様のお話を頂きながら進めてまいりたいと思います。まずは,本日パネリストでおいでいただいている高橋興先生にお伺いしたいと思います。3名の御発表をお聞きになって,先生の方から何かお感じのことがあればお願いできますでしょうか。
 私が今回の震災で強く感じていることは,先ほどコーディネーターの野澤先生からお話があったことです。私も被災地を随分と歩いておりますが,その中でも学校の総合的な力の大きさというものを,改めて痛感したのです。この学校の様々な取り組みとのかかわりをきちんと考えていかなければ,家庭教育も駄目なのではないかということを1つ申し上げたいと思っております。そのような意味で,本分科会の開設については,いろいろな経緯があったように聞きましたが,このような分科会を持たれたことは,大変良かったと思っております。それから,コミュニティや絆ということが震災以後,マスコミでも盛んに言われております。東京などでも,電車のつり革にぶら下がっている週刊誌のコマーシャルなどを見ても,絆やコミュニティという言葉があふれています。しかし,私たちが今ここで考えなければならないことは,コミュニティとは一体何なのかということだと思うのです。コミュニティと言って,皆分かったような感じでいるのですが。家庭教育に関連した最近の話をしますと,大分の事件があります。いなくなったと母親が騒いだお子さんが,遺体で見つかったという事件です。その原因は様々に議論され,専門家と言われる方によっていろいろなことが言われておりますが,その内容は,家庭教育の問題点として従来から言われ続けてきたものと全く変わりがないのです。要するに,隣近所に母親の相談相手になる人がいなかった,あるいは子育てに苦労しているが,夫は仕事で家にいない日が多い。そして,実の御両親も遠くにいる場合が多いと。そのような中で,サポートしてくれる人が地域にいなかったというようなことが言われております。しかし,それは分かり切ったことであるわけです。何年もそのようなことが言われてきています。問題なのは,そうした状況を変えるために,何か具体的な手を打ってきたかということだと思うのです。前段の基調講演のような考え方や取り組みも大切だとは思いますが,そのような取り組みは,これまで散々やってきたのです。しかし,状況は変わらなかった。今,必要なことは,地域の中で様々な苦労をしている母親たちを,地域の方々がどのように支えていくか,そうした仕組みをきちんとつくることだろうと思うのです。今日出された3つの事例は,まさにそのように具体的な実践の事例であると考えます。それぞれ違った切り口のお話があったのですが,困難な課題を抱えて苦労している親たちを,地域がどのように支えるか,というあたりをポイントに,もう少し詰めていければ良いのではないかと思います。
 大変ありがとうございました。突然振ってしまい大変恐縮でございますが,今,興先生からもお話を頂きましたけれども,学校を核に動いている部分,今日の3つの事例は全てそこに関わるところがあるわけです。それがやはり家庭教育というものの充実に向けて,非常に力を発揮できるのではないかという視点を頂けたと思っております。ただ,全国で子育てサポーターなど,様々な実践も続けられているわけで,そのような方々のお力にも非常に大きなものがあるだろうと思います。しかし,この分科会の中では,そのような従来のものとは違った,何か新しいものができないか,提案できないかという視点で話を進めてまいりたいと思っております。
 それでは,最初に発表を頂きました佐藤様に少しお話を伺いたいと思うのですが。子供たちの遊びを中心にという活動に関わっている皆様方,支援をされている大人の方々の活動を通して変化をしていった姿と言いましょうか,佐藤さんご自身を含めていただいても結構なのですが,何かございましたら教えていただけないでしょうか。
 昨年の3月11日が本来ならば22年度の最終日であったのですが,あのように大きな地震がありまして。子供たちは,放課後子ども教室のメインルームに1年生2年生3年生と来て,いろいろな宿題などをやって,私ども活動家も同じ場所にいたのですが。あの揺れの凄さは何と表現して良いか分からないですね。子供たちは泣きじゃくるばかりで,避難しようとしても,3分何十秒かの揺れの中で,どうすることもできませんでした。一旦揺れが収まった時に,全て校庭の方に避難をしたのですが。学校の先生方もすぐに来て子供たちの点呼をしましたけれども,誰1人怪我人もなく救助できたことが良かったと感じております。その当時のスタッフは,現在8名から5名になったことはありますが,子供たちに対する想いというのは,大変なものを持っていると思います。そのようなことがやはり今後の活動に繋がっていくのだろうと思っておりますけれども。子供たちは,今年の4月からはスタート可能であったのですが,放射能の関係で10月まで居場所の遊びができなかったということでして。子供たちから,めだかを開設して欲しいという強い願いがありました。学校からも子供たちが教室に残っているということで,先生方も毎週の職員会議等が開催できない部分はあったのですけれども。10月以降は,めだかの先生方に安心して子供を任せられるということで,毎週金曜日の3時頃から職員会議をやっております。そのようなところでしょうか。
 ありがとうございます。レポートの話にありましたが,本当に大きな被災を受けた中で,何とか再開を求められた皆さんの気持ち,今お話を頂きましたけれども,子供に対する想いが集約され,形として出てきたものだと思います。やはり,学校の放課後の時間を子供たちには,健やかに過ごしてもらいたいという大人たちの強い想いを今,感じたところでございます。
 内藤先生に先にお話を伺います。今,大人の方々の想いということがございました。その一方で,学校として活動している大人の方たちの想いをもう1度詳しく聞かせていただければと思うのですが。
 放課後ということになると,本校には放課後子ども教室はないものですから。学校支援地域本部に集う地域共生科を中心にした支援して下さる方々の想いですよね。資料の中にも書いてあるのですが,子供たちのためにというところからスタートしたのですが,実はその後自分たちがとても楽しいということを言っていただきまして。初めは,非常に半信半疑だったという面があるのです。どれぐらいの方々が継続的に関わってくれるものなのかと。研究開発は研究費を頂けるので,初年度は謝金を用意したのです。しかし,金の切れ目が縁の切れ目になってしまってはどうすればいいのかと心配したのですが,皆さんは謝金を受け取らないのです。子供と接することがとても楽しいと言って下さいました。震災のことがありましたので,1つのエピソードを少しお話したいと思うのですが。子供たちは学校にほとんどおりましたが,低学年の子供たちが少し下校をし始めた辺りです。その時に,児童センターの先生がすぐにいらっしゃいました。○人無事でいますからと。後から聞いたのですが,民生委員でパートナーになっている方でお寺の僧侶さんがいたのです。偶然下校途中の子供たちが何人かいたと。子供たちが民生委員さんのところにすぐに寄っていって地震の揺れに耐えたという話も聞きまして。学校の中だけではなく,いろいろなところで助けていただいているのだということを実感しました。
 ありがとうございます。今の内藤さんのお話は,学校ということではあるのですが,それをサポートして下さる方ということに特化してお話をしていただきました。
 斎藤さんは,先ほど子供たちのために様々な活動をしている方たちのネットワークが広がっているとお話がありましたが,やはりそこで活動している方々の様子を御覧になられて,どのようなことをお感じなっているか,その辺りのところを教えていただけないでしょうか。
 大人ということでもよろしいでしょうか。
 プロセスは置いておきまして,イベントなど企画の当日は,各団体からスタッフ協力があったりするのです。地域の方のボランティアということもあるのですが。最初は,やはりスタッフ,自分の関わりのところから入っていきます。そうなのですが,子供たちの顔を見ていたり,周囲を見回すと,楽しそうだと。それが自分の視野に飛びこんでくると,少しだけのはずだったが,気付いた時にはハマってしまうという大人たちが非常に多くなっております。本当に楽しそう,このようなこともできるんだと感じた瞬間,私にもできるかもしれないと。その瞬間が,大人の関わり方の変化の瞬間だと私は感じておりまして。その時に,我が子から地域の子への視点というように変化し,少し手伝うだけのつもりでも,やはりボランティアとして関わってみようかと。さらにPTAに関わってみようか,地域のリーダーに関わってみようかと。気付けば,その方が中心になっているということです。先ほどの子供会育成会の会長さんもそうですが,気付けば自らが皆を動かしていると。その動き,視点の変化が凄いと感じます。会話が生まれることから,見える関係になって,共有感,連帯感のようなものも生まれてきて,いろいろなことに発展していると。そして,やはりその広がりというのは,地域のことを信頼してくれているからだと私は感じております。
 ありがとうございます。今3人の方から,活動に関わっている大人の方々の姿ということで少しお話を伺ったのですが。
 興先生,このような活動をされている方は,全国にたくさんいらっしゃると思うのですが,その方々に共通する想いと言うのでしょうか。今いろいろな言葉が出てきましたが,興先生はどのようにお感じか少しお聞かせいただけますか。
 今の3人の方のお話で,例えば斎藤さんのお話の中に,「子供たちの育ての応援団」という言葉がありました。そして,「顔が見える関係づくりから」という話がありました。全国的に見て,子供たちの育ての応援団が必要だ,あるいは自分ができることなら応援団になっても良いという方は,たくさんいると思うのです。しかし,私は先ほど,学校の総合力と学校を核とした何かの仕掛けをという話をしたのですが,それは先生方が中心になってということではないのです。逆です。,学校が活動のスタート点として様々な意味,可能性を持っているということを申し上げたいわけです。ただし,率直に言いまして,私はこれ以上先生方に様々なことを担わせるということには大反対です。文科省で今度は学校を防災の拠点にしようという議論もあると伝えられていますが,この具体化は慎重にならなければ,大変なことになると思っております。少し横道に逸れますが,今,教育経営学会が国の委託を受けて,震災に伴う学校の運営についていろいろと調査研究をしています。先日,その中間報告会に参加しましたら,各学校には,地元出身の先生方を人事異動で張りつけなければ駄目だ,と学会のリーダー的な研究者真面目に言っており,大変驚きました。そのような議論の中で,新潟では若干そのような人事をやっているという話もありました。また岩手県では,逆に今回被災地になったところの出身教員はほとんどおらず,圧倒的に内陸部出身の教員が多く,人事でそのような配慮をすることは不可能だという議論までありました。私は,こうした考え方はあまりに乱暴で,大変危険な兆候だと思っております。。従来のような,何でもかんでも学校,教職員という発想を転換することが,こうして議論している取り組みの前提条件ではないか。一方で,地域住民の多くは,学校の子どもたちを何とかしたいという気持ち持っているように思います。斎藤さんの話ばかりになりますが,「ハマる」という発言もありました。言葉は悪いのですが,ハマる人たちを,どのように増やしていくかと言うことだろうと思うのです。そして,そのきっかけになるものとして,学校の持つ可能性が大きい,と申し上げたいのです。
 ありがとうございます。ハマるという言葉がありましたが,ハマることによって感じる幸せはたくさんあるような気がするのですが。興先生からやはり仕掛けていくということ,学校を核にするというお話がございました。内藤さん,この辺りで先ほども提案というお話がありましたが,それも含めましてもう少し詳しくお話を聞かせていただけないでしょうか。
 今,興先生からもありましたが,教師に求められていることが非常に大きくて,そちらに走ってしまいそうで,それが地域に貢献することだという考えに行きつつある流れがありますけれども,非常に有り難いお話を頂いたと思います。学校というのは,子供を中心にすると,非常にたくさんの方々が来て下さると実感しております。ただ,それを全て先生方が負うのではなく,やはり共有すること,子供たちの育ちの方向性を共有して協働して育てるという言い方がよろしいでしょうか。地域や保護者の方が補って下さるところを,お任せすると。例えば,学校支援地域本部などが上手くその辺のコーディネートができれば良いのではないかと思います。具体的なことは,先ほどたくさんお話しましたので,取り組みとしてはその辺りではあるのですが。1つだけ,パートナーについての説明を追加させていただきたいと思います。先ほどお話したように,パートナーという方々が地域共生科にたくさん参加して下さっていると。児童とともに1つの目標に向かって話し合い,共に作り上げていく大人と規定しているのですが,その道のプロもいれば,保護者や大学生もいるわけです。パートナーとの話し合いの中で,子供たちはいろいろな力を付けていっております。パートナー無くして地域共生科の学びはあり得ないと。しかし,保護者であれば実は誰でもなれるのです。特別な技能は必要ない,誰でも学習に関われると。そのようなパートナーの立場というのは,これまでの授業参観日でなければ学校に入れないということなどを少し打破する力があると思っております。
 ありがとうございます。今,保護者の方という言葉がございました。家庭教育の長年にわたる課題や問題点というのが,やはり従来であれば子供たちは集団の中で学び様々な体験を通して,規範意識や集団との関わり方などを身につける環境があったわけです。ところが,社会が大きく変わる中で,それが失われてきたということがいろいろなところで指摘されています。そして,その子供を育てる担い手として,家庭に求められるものが非常に大きくなってきました。そうすると,真剣に考える親御さんたちは,自分がやらなければならないと必死に頑張るという姿がありつつ,なかなか上手く広がらなかった部分もあるのではないかと,そのように思っているのですが,その意味からすると,先ほどの内藤さんの子育ては学校とともに,仲間とともに,地域の中でという提言について,興味深く伺いました。加えてではありますが,この辺のお話をもう少しお聞かせいただけませんか。
 これも実感の中でお話をしていきたいと思うのですが,避難所の話をしますと。学校は確かに頑張ったのです。しかし,頑張った時に,消防分団や町内会長さんなど,いろいろな方々が話合いをするという段階以前に,自分たちがやれるところを実際的にして下さったという地域との自然な関係性があると。避難所の中で,保護者が地域の方を知らないわけですよね。そこで子供たちが保護者に地域の方を紹介していたわけです。この人は消防分団の方だよと。そのように,子供たちとパートナーが繋がっていることが,保護者にも繋がっていくという実践もあります。子供と地域の方が挨拶するのだが保護者は知らないという時には,やはりパートナーさんであったと。そのようなことをおっしゃって下さる方もいらっしゃいます。ですから,自然な関係を子供たちの学びの中からつくり出していけるということで,提案させて頂いたのですが。もう1つ,印象深いことがあったのですが。保護者の方の話の中で,授業参観以外で学校に行ける場を開いてくれることが非常に楽しかったと。そして,その中で,自分のお子さん以外の子供たちと関わっていて,報告会として授業を行った時に手を取り合って喜びあったと。そのような話もたくさん聞こえてくるのです。そうすることによって,我が子の子育てについても,非常に緩やかに多面的に認められるようになったなど,いろいろな話を聞かせていただいて良い活動をしていると自負しております。
 ありがとうございます。保護者の方々も学校にはなかなか行き辛いと感じていらっしゃる。しかし,それが授業参観などではなく,自然に行ける場所になる,機会を提供しているというお話ですね。それから,やはり,子供たちが地域の方と保護者を繋ぐと言いますか,子供たちの方が今は地域の方を良く知っている。それは全国の学校で見られることでしょうが,そこにどのようにして保護者の方々が繋がっていけるのかを求めていけば良いのだろうと思うのですが。
 斎藤さんは,長く若いお母様方の子育て支援ですとか,御経験をお持ちですが,それを通して,今感じておられることなどを少しお話いただけませんか。
 学校が保護者にとって近くなれば,やはり保護者の捉え方というのは,自分の子だけ見る狭いところから,少し広がって,子供を多面的に見られるようになるゆとりが生まれてくるのではないかと思います。いつも齷齪して自分で全てを抱えてしまうお母さんたちが結構多いですので。学校が心的に近くなれば,ふらっと行ってみようか,行けるかも,やっぱり行こうとなるでしょうし。そうなった時に,ゆっくりと話せる場,集う場というもの,雰囲気がゆったりとしているような場所が学校の中にあれば,そこにいろいろな方々,先輩のお母さんなど地域の方も入ってくれば,今実際に子育てをしているお母さんたちは非常にほっとすると思います。何故それが必要かと言うと,子供が安心して安定するためには,やはり保護者の皆さん方が安定しなければ,子供にだけ輝けと言っても無理だからです。従って,これは地域にも言えることで,地域の大人の顔が見えて,その大人の顔が活き活きとしていて,楽しそうであれば,子供たちも安心します。その意味で,子育て支援というのは,乳幼児を持つお母さんやお父さんだけではなく,これからは18歳までの子供たちの保護者を対象にした集う場所に,児童館や地域以外にも学校が一緒になって場を提供していくことが望ましいと思います。
 ありがとうございます。先ほどの御発表の中で,高齢者の方の学校はオアシスだという言葉がありましたけれども,まさに今のお話を伺うと,子育てをされているお母様方にとっても,オアシスになるような場が学校の中に実現できれば良いのだろうと思います。
 佐藤さん,皆さんのお話を伺っていただきながら,佐藤さんが関わっておられる学校そのものに向けて,何か感じていらっしゃること,思っていらっしゃることがあればお聞かせ下さい。
 私どもは,子供たちと放課後に遊ぶのが基本的な考え方なのです。ですから,今内藤先生や斎藤先生がおっしゃっているようなことは,私たちには凄いなと思うだけで・・・私としては,遊びには特段プログラムも設けておりませんし,子供たちが遊ぶ中にはルールというものがありまして。やはり使ったものはきちんと片づけるとか,社会的な部分を身に付けてもらうことを基本として考えて行動しているわけでございます。やはり集団での異学年による遊びがありますから,いろいろな面で小さい子供は大きな子供から面倒を見てもらいながら遊びを覚えていくことで,父兄の方々からもやはり無くてはならない活動だということで,大変喜んでいただいているのが現状です。
 ありがとうございます。文部科学省からの表彰もその活動の蓄積が認められて,ということだと思うのですが。やはり,子供たちから,その保護者からも早く再開して欲しいという声が上がったことも,これまでの積み重ねや充実からこそだと思いました。実は,本分科会の中でのテーマは,学校を核に,子供の学びを支えるコミュニティづくりということで,話を進めているところなのですけれども,何度か出てきておりますが,やはり遊びを通して子供に伝える,子供が遊びを通して得る学び,そこのところをしっかりとサポートできる環境づくりというものが,我々にとってこれから必要だろうと思います。それがお三人に発表いただいた事例の中にしっかりと見えてきているのだろうと感じていました。家庭教育支援ということで,興先生からも大きなテーマを頂きまして,今までにないこれからの新しい姿をどうするかという話をしましょうという御意見を頂いたのですが,今,皆様から出てきたように,何か方向としては,少しおぼろげながら見えてきたところがあるような気がします。やはり,保護者の方々がしっかりと学校を通して繋がっていくというものが,これから展開できれば良いのではないかと思います。
 内藤さん,保護者の方のアンケートをいろいろと資料の中に出していただきましたが。その中からもう1つ2つ御紹介いただければと思います。内藤さんが特にこれはと思うものが何かあればお知らせいただけないでしょうか。
 もう言いつくしたような気もするのですが。私が非常に嬉しかったのは,まず「地域とともに歩む学校像が根付いてきているような気がしました」というように,学校の取り組みについて理解して下さっている方。それから,「同居の母が3年生の教室に参加し,本当に楽しかったと嬉しそうに話しておりました。」というものも嬉しかったです。他には,「自分の生まれ育った地域を知ることは大切なことなのですが,両親とも仙台出身ではありません。そのような方が,家庭だけで教えられないことを,子供たちや地域の方々との出会いを通して教えられ,子供たちなりに感じるものがあるようです。学校と地域に任せきりにすることなく,私たち親も地域との関わりを積極的に考えていかなければならないと思います。」これも大変嬉しいお話でした。
 ありがとうございます。実は,今御紹介を頂いたのは,皆様のお手元にあります資料の55ページから58ページにたくさんございますので,後でゆっくりと御覧ください。私も読ませていただきました。1つ「入学して2年。子供も私たちも家族も変わりました。」という言葉がありましたが,まさに学校と関わる,子供も保護者の方も一緒に関わることで,大きな変化や成長を実感されているところ,非常に興味深く感じ読ませていただきました。
 このようにお話を進めてきたわけですが,ここで興先生の方から少しお話を頂ければと思います。いかがでしょうか。
 時間がないようですので,手短にお話します。今やはり1番問題なのは,既に言い古されたことですが,家庭教育支援のポイントについては,最初の発言で申しました。それと同時に,子供側から見ると,親や教員以外とどのように接触する機会を増やすかということが今の教育の課題だと思うのです。今お話の3つの事例からすると,このような取り組みを一層広げて,幅広く機会を増やしていくということが最重要課題なのではないかと。そのようなきっかけというのは,勿論ある時点になれば自然発生的にと考える方がおられると思いますが。私も長い間このような取り組みに関わってきて,自然発生的ということはあまり無いと思うのです。いろいろな仕掛けやきっかけづくりが必要だと思うのです。そのような意味で,先ほども御紹介いただいた中教審のように,私は良く文科省批判をしておりますが。この放課後子ども教室と学校支援地域本部は,少なくとも私が思うには,かなり良い政策であったのではないかと。第1に評価すべき点は,やはりいろいろと言われても,高いと言われる学校の敷居をかなり下げたと思っております。それは先ほどの斎藤さんのお話にもありましたけれども,いろいろな形で,保護者でない,子供が学校に行っていない親も学校に出入りする機会をつくるきっかけになったという意味で私は大変評価しておりますし。是非,これは潰すことなく推進していきたいものであると思っております。
 それから,仙台市の方が多いと思われるので,仙台のことだけを少し申し上げたいと思うのですが。あちこち歩いて見ておりますけれども,仙台の今の状況は,おべんちゃらではなく,全国的に見ても大変良い取り組み状況だと思うのです。その最大の理由は,御意見はいろいろとあるかもしれませんが,素晴らしい人に恵まれているということもあるけれども,学校ときちんとした市民センターがあり,そのセンターに学校の先生の経験を持った人が配置されていて,また学校に戻るという仕組みなのです。私は大変重要だと思っております。先生方は学校と家庭地域の関係について,年1度は必ず皆研修をしておられます。しかし,年1回程度の研修では,先生方は全く変わりません。しかし,仙台のように,全ての学校ではないけれども,社会教育,市民センターなどで直接市民と接する様々な形で仕事をした方々が学校に帰っていくと。そのような方々が学校に何人かいるというだけでも,私の経験では学校はかなり大きく変わるのです。このような仕組みがつくられている仙台の価値,仕組みというものは大切なのだということを,市民の皆さんは是非理解されて大切にして欲しいものだと申し上げたいと思います。
 大変ありがとうございます。
 それでは,残された時間も限りあるものでございますから,皆様それぞれが今回のテーマ,全体のテーマ,さらには本分科会のテーマを受けた形で,何かキーワード,気になる言葉,文章などを伝えていただければと思っているところでございます。お書きいただく時間がありませんので,私の方から少しまとめの部分をお話させていただく間に書いていただければと思います。
 パネリストの高橋興先生,そして佐藤さん,斎藤さん,内藤さんと皆様で一緒に会を進めてまいりました。ただ,皆様いかがお感じになられたでしょうか。興先生からもありましたが,やはり家庭教育支援,今全国でなされている支援に対して,さらにこれから新しい展開ができるものが何かあるのではないかということで話を進めてまいりました。私がくどくどとお話するよりは,パネラーの皆様方からお話いただいたことの方が心の中に残っていると思いますので,それを受け止めていただければと思います。これが,これまで子育て支援のサポーターとして全国で活躍されている方々,さらに文部科学省を中心として,各自治体で取り組んでいる家庭教育の支援,それに加えて新しいものが見えてくるような気がしております。それも冒頭に申し上げましたが,震災を受けて,そこから真の復興へ向けて立ちあがろうという我々の想いが仙台,そして東北,全国の皆様に届けることができれば,大変嬉しく思います。
 それでは,残された時間になりますが,皆様御準備ができた方からで結構ですので,話し足りなかったところも含めてお話を頂ければと思います。佐藤様,よろしいでしょうか。お願いいたします。
 私は,放課後子ども教室でめだかの学校の中での話を申し上げましたが,遊びのことばかりをお話しました。最初は遊ぶことだろうと思ったのですが,文科省の方では平成14年に子供たちの居場所づくりを基本とした放課後子ども教室をやろうということがあったわけでして。その原点に帰って,我々としては,しっかりと居場所をつくった上での遊び,社会性を身に付けることなどが基本だろうと思いましたので。原点に立ち返り「居場所」という題にしました。
 どうもありがとうございます。
 私は,「寄り添う」という言葉を書きました。これは自分の課題でもあるのですが,震災も含めてハートで寄りそっていきたいと思っております。
 ありがとうございます。では,内藤さん,よろしくお願いいたします。
 学校はオアシスと書きたかったのですが,それはたくさん言っていただきましたので。先ほどもお話した活私開公の「公」を「学校」と書いてみました。「学校に行こう」ということで学校に来て下さい。
 ありがとうございます。最後になりますが,興先生,お願いいたします。
 私は「息長く継続」と書きました。近年,こうした取り組みは盛り上がるのですが,成果が見えつつあるところで終わってしまう,線香花火のようになるものもたくさんあります。私はこれまで,そのようなものを数限りなく見てきましたが,是非,息長く継続して欲しいと思います。継続しなければ,決して成果は上がらないと考えます。
 ありがとうございました。今4人の方からキーワードを頂きました。「居場所」,「寄り添う」,活私開公の「公」,「息長く継続」というお言葉を頂きました。会場の皆様,お一人お一人に様々な想いがおありかと思いますけれども,私たちもこれから,真の復興に向けて,子供たちを健やかに育むために,皆で力を合わせて取り組んでいくこと,そのことに邁進していきたいと思っております。進行不手際で十分なお話を聞き出せなかったところもあるかと思いますが,お許し願いたいと思います。それでは,これでパネルディスカッションを終わらせていただきます。本日御指導を頂きましたパネリストの高橋興先生,パネラーの内藤さん,斎藤さん,佐藤さんに今一度大きな拍手をお願いしたいと思います。どうぞよろしくお願いします。
 皆様,最後まで分科会に御参加頂き,ありがとうございました。大人が想いを共有して繋がっていく,是非この震災の地仙台から私たちも取り組んでいきたいと思います。御参会の皆様も是非それぞれの地域に戻られて,子供たちを育む取り組みを続けていただければと思います。それでは,以上を持ちまして分科会1を終了させていただきます。

 (終了)

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-- 登録:平成24年08月 --