第3回全国家庭教育支援研究協議会(分科会4)議事録

議事録

 それでは,お時間となりましたので,午後の分科会を始めて参ります。お待たせいたしました。それでは,分科会4「親子の心のケアと周りのサポート」を開演いたします。この分科会の司会進行を務めさせていただきます,文部科学省生涯学習政策局家庭教育支援室の入江と申します。どうぞよろしくお願い申し上げます。この分科会では,震災により,家庭や地域の環境が変化する中,現在も心の傷を抱える子供たちや,様々の困難の中で子育てを続ける保護者の方々に,心のケアなどの中長期的な支援が求められている。そういったことを踏まえまして,その大切さについて理解を深め,また身近な人々の日常的な関わりによるサポートの在り方について,皆様とともに考えて参りたいと思います。どうぞよろしくお願い申し上げます。
 それでは,まず初めに,当分科会のコーディネーターを御紹介いたします。兵庫教育大学教授 冨永良喜様でございます。
 よろしくお願いします。
 初めに,冨永先生より当分科会の趣旨等について,一言御説明をいただきます。よろしくお願いします。
 大災害によって,子供たちばかりでなく,親御さん,大変な苦難に直面して今日に至っていると思うのです。インド洋大津波の後のスリランカでのデータでも,親が強いストレスを抱えていると,子供もイライラするとか,勉強に集中できないといったストレスを抱えているというデータがございます。そういった現状の中で,地域,親が子供をどういうふうに支えていくかということが今日の分科会の目的でございます。90分弱でございますけれども,御一緒に討議できる時間にさせていただきたいと考えています。どうぞよろしくお願いします。
 それでは,これより,まず初めに事例発表を行って参ります。最初の事例発表は,岩手県山田町山田南小学校副校長 桑原良幸先生でございます。よろしくお願いいたします。
 こんにちは。今,御紹介いただきました,岩手県山田町山田南小学校副校長の桑原と申します。本日は,保護者,地域の皆さんと児童一人一人が,夢や希望を持ち続けて行こうとする育てるために,と題しまして,組織で取り組み,子供の元気を家庭・地域へ発信して,親子の心のケアや周りのサポートを行った取り組みについて,初めに山田町の被災状況を。次に私たちの取り組みを。そして最後に,3・11その後へ向けてということでお話しさせていただきます。若干資料等と違うところがございますので,スライドを中心に御覧いただければありがたいと思います。
 私の住む山田町は,岩手県の東側,本州最東端のトドヶ埼灯台がある,宮古市の南側の人口約2万人の町です。本校は,山田町の中心部,海からなだらかに800mほど上った高台にある,被災当時304名ほどの学校でした。3月11日,東日本大震災が起こったとき,本校の子供たちは6時間目の授業をしていました。6分ほどの激しい揺れで停電になり,想定していたテレビをつけての情報確認や,校内放送での連絡はできませんでした。佐賀敏子校長先生の指示の下,余震が続く中,ハンドマイクで避難指示をし,子供たちを校庭に無事避難させることができました。避難所になっている本校の校庭には,保護者,地域の皆さんが次々と避難され,車でいっぱいになっていきました。実は,山田町はラジオの難聴地域でして,防災無線も私のところには聞こえませんでしたので,小さいラジオに耳を近づけて情報を得ようとするのと,避難してくる皆さんの対応に必死でした。3時20分頃でしょうか,津波が押し寄せた土煙が海側に上がりました。また,夕方にはボーンという爆発音とともに火の手が上がりました。地震,津波,火事の連鎖です。雪が降る寒さの中,迎えに来ることができない保護者を待つ約60名の子供たちを見守りながら,凍えきって救急車で運ばれて来る,津波に巻き込まれた方たちを保健室や教室に何度も運んでいるうちに,朝になったという状況でした。次の朝早く,火事が学校に近づいてきそうで心配になり,町の様子を見に行きました。津波の瓦礫が道路を塞ぎ,消火活動をしたくとも動けない消防の人たちが,必死で瓦礫をよけていました。そのとき,山田町消防7分団のムラキさん,本校のPTA副会長でもあるのですけれども,言われた言葉を今でも忘れられません。「副校長,南小が山田の拠点だ。今は何もできないけれど,南小には燃え移らないようにバリケードを作っているから,心配するな」と。「分かった」と言って手を握って,学校に戻って勇んで報告しました。火事は3日間燃え続け,地震,津波,火事の連鎖で604名ほどの方が山田町で亡くなられ,今も156名の方が行方不明という状況です。被災後の山田町は,壊滅的な状況になりました。本校でも,保護者の迎え後,亡くなった児童1名。全部で10地区ある地区子供会のうち,4地区子供会が壊滅的な状況になりました。そんな中,山田町の拠点校として,近隣の避難所も合わせて最大時1,170名の方たちが避難され,また,病院関係も壊滅的な状況になったため,1階教室が病院になり,被災された方々が次々と運ばれて来て,内科外科はもちろん,総合病院のような状況でした。職員室には山田町消防本部が設置され,校内に自衛隊,他県からいらした消防の方々という状況で,その連絡調整を行うのが私の仕事となりました。言葉にすると「千」という1文字ですが,消防車や救急車,ヘリコプターが次々と行き来し,学校にスリッパが千足あるわけもなく,土足のためほこりが舞い上がり,医療関係の皆さんの切迫した声が響く光景は,見たことも考えたこともないものでした。そんな中,町内山間部の豊間根,荒川地区の皆さんがにぎってくれた,塩おにぎりが届きました。おいしかったです。1個を大事に食べました。その後,岩手県の教育関係者の皆さんや,全国の皆さんの御支援のおかげで,やっと3月23日に卒業式をすることができました。図書室で,普段着で,祝うお客さんも在校生もいませんでしたが,証書を授与されるたびに拍手が起こる,あたたかい式でした。卒業式の後,避難所になっていた体育館に行き,歌を聞いていただきました。避難所の皆さんは,涙を流して喜んでくれました。子供たちも元気な,興奮した,紅潮した顔で帰ってきました。このとき,校長先生と私たちは「これだ」と思いました。子供の力で山田を元気に,という狙いで,今だからこそできること。合い言葉として「山田がんばろう」を設定して,今だからこそ子供や保護者を励まし,被災して元気が無くなっている子供たちに,夢や希望を持ち続けていこうという心を培っていこうと考えました。キーワードとして,「共に」「道徳」「生き方」等を設定して,試行錯誤しながら少しずつ作っていきました。これは10月に実施した,全学級の道徳の授業を保護者や地域の皆様,仮設の皆さんに公開した,道徳授業地区公開講座で,本校の取り組みを説明した資料です。被災後の今だからこそ,安全安心の学校を目指す。命を守る教育や,防災訓練の充実と同時に,心のケア,自尊感情を高める取り組みも行うということで,保護者に説明しました。自己肯定感を肯定すること,そのためによく分かる授業等も設定して,私たちの元気発信の取り組みについても御理解いただきました。例えば,校庭は避難し,車で半分。運動会はできないけれども,パトロールしてくださった大阪府警の皆さんと避難所の方々を招いて行った,1年生を迎える会。徒競走はできないけれど,玉入れ,綱引き,騎馬戦等,できる範囲で行ったスポーツフェスティバル。伝承芸能虎舞発表。これには多くの方たちが集まってくださいました。その他にも,避難所で音読を発表したり,地域を鼓笛パレードしたり,仮設住宅の皆さんを招待してマッサージをしたり,寸劇で「水戸黄門」をして大爆笑をとったり,学習発表会で,群読で元気を発信したり。山田を元気に,という目標を設定して,それに向けて「一緒に」とか「足を運ぶ」をキーワードに発信を続けてきました。また,仮設住宅の行事にもできるだけ参加してきました。今から考えてみると,正しいことや立派なことをやったというよりは,明るいこと,楽しいことをいっぱいやってきたような気がします。他にも手厚く取り組んできたのが,震災で亡くなった6年児童に関わる対応です。現6年児童は,地震,津波,火事というショックと,同級生の死という2つのショックを受けました。目指したことは,亡くなった児童の家庭に寄り添うことと,6年児童の心をケアしきずなを強めていくことでした。担任が変わっていましたので,家族と窓口を一本化し,私が担当しました。また,弟の反応を注意深く観察しながら段階的に進め,少しずつ死を認識し,亡くなった子供の分も生きるということを自己決定し,それを表現する行動を繰り返しました。今振り返って,ポイントだったことを考えてみると,専門家の方の指導を受けながらゆっくり歩んできたこと。組織で取り組むため,情報共有を大切にし,週2回だった朝会を今年は毎日行いました。そのため,朝の打合せ開始を8時5分,児童の始業を8時10分にし,5分で打合せをし,子供たちが教室にいるときにはどの職員も教室にいるような体制を整えました。大切なことは全員で学ぶという体制を整えるため,急性期の研修会に皆で参加したり,夏休みにはコーディネーターの冨永先生にも来ていただき,研修会を開いたり,基本的な勉強も行いました。また,冨永先生の研修の中で,一方的に何かするのだとお話しするのではなく,一緒に作っていく過程を皆で共有できたのではないかと思っています。その中で私たち職員の誰か1人でも不安に思ったら,実行しない,無理はしないという基本的な確認もできていったと思います。3月11日に向けた取り組みも,今検討しています。記念日反応等,子供たちに予測を遥かに超えたことも起こり得るとも考えました。でも,私たちは子供たちを守りたい。そこで,阪神淡路大震災の被災地,神戸に心のケア担当教員を派遣しました。当時復興担当だった先生,震災で親を亡くされた高校生,復興に当たってきた商店主さん,震災直後に感じたこと,5年後に思ったこと,最近考えていること等を線で聞いていきました。ポイントとして学んだことは,安全を大事にすること。どんどん風化していくから,記録を取っていくということ。3・11をメモリアルにしながら大事にしていくということ。子供の元気は家庭の元気に繋がる,等々。3・11のメモリアルは,学校が「どうしようか?」と地域の方たちに投げかけても,意見が2つに分かれてまとまらない。大事なことは,「学校がやりますよ」というふうにリーダーシップをとって,やり方についてPTAの方々,地域の方々と相談していくことが一番大事だということを教わりました。報告を受け,私たちはフリートーキングで話し合い,3回にわたる職員会議を経て,先週の金曜日に「3月9日に希望・きずなの会をしますよ」と,全ての学級の保護者に説明しました。最初は心配気だった保護者が,次第に積極的に話合いに参加してくださり,PTAや老人クラブの方たちと一緒に会をすることができそうです。やはり冨永先生から教えていただいた,共に作っていく過程がここでも大事だったなと再認識されました。今年は3月11日が日曜日であることもあり,1人でテレビを見て過ごす児童もいるかもしれない。そこで,心のサポート授業を専門家の先生についていただいて実施する取り組みも行っています。具体的には,自分のお気に入りの絵をお守りとして描き,その後に震災のことを絵に描き,それを小グループで分かち合います。こういう取り組みをするということを,事前に保護者の皆さんに予告で,お手紙でお知らせし,午前中に臨床心理士の方にもついていただいて授業を実施。もし何らかの反応が出たときにはカウンセリングをしていただく体制を取りましたし,授業終了後,保護者の皆さんに文書で「こういうことを実施しました」ということをお伝えするのを,1年生と6年生の分まで終えたところです。本校は,子どもを見て,それぞれの課題に応じて必要な取り組みを一所懸命やってきたなと思います。ただ,それぞれの学校,地域,児童に応じ,今必要な取り組みはもしかしたら違うのかもしれません。しかしその中で本気で歩む姿が,子供たちに夢や希望を持ち続けていこうとする気持ちを育てていくのではないかな,と私たちは考えています。今日,他地区の実践から学び,また,本校の子供たち,本校の地域のためになることを勉強して帰りたいなと思います。どうもありがとうございました。
 ありがとうございました。
 続きまして,宮城県石巻市教育委員会生涯学習課主管 三浦敏広様より,事例発表をいただきます。よろしくお願いいたします。
 皆さん,こんにちは。石巻市教育委員会生涯学習課の三浦と申します。石巻市家庭教育支援チームの実践について,御報告させていただきます。昨年9月に設立されたばかりのチームですので,どの程度参考となるのか大変不安ではありますが,どうぞよろしくお願いいたします。なお,大変申し訳ございませんが,時間の都合上,お手元の資料にあるスライドを何枚か省略する形で説明することになりますので,御了解よろしくお願いいたします。
 初めに,支援チームの紹介をさせていただきたいと思います。設立は震災後の平成23年9月27日です。メンバーは,子育てサポーターリーダーと子育てサポーターなど,30名全員がボランティアです。活動は,仮設団地の集会所を使って,主に仮設団地に住んでいる親子を対象として,子育てサロンを月1回,要請があれば2回開催しています。本発表では,次の4点について皆さんにお伝えしようと思いますので,御覧になっていただきたいと思います。特に3点目の,仮設住宅に住む親子の思いについて,時間をかけてお話ししたいと考えております。実践例の報告の前に,東日本大震災による石巻市の被害の概要を御覧になってください。ここは,石ノ森漫画館がある中瀬という場所の,震災前と震災後の写真です。御覧になってお分かりかと思いますが,漫画館は残りましたが,ほとんどが津波によって流出してしまいました。平成24年1月15日現在のデータによりますと,石巻市では,死者3,280人,行方不明者595人となっています。家屋の被災もひどく,市全体の住家の約7割が被災してしまいました。次に,支援チームの設立までについて御説明いたします。震災後,まずはメンバーの被災状況の確認から始めました。支援チームのメンバーは程度の差こそあれ,全員が被災しておりました。実際に活動に参加できそうなメンバーは,30名中10名までいなかったと思います。一方で,「仮設住宅での子育ては大丈夫か?」という話題があちこちから聞こえ始めたのも丁度この頃でございます。そこで,家庭教育支援活動を始めるかどうか,それを決めるために6月27日,子育てサポーター等研修会を開催することにいたしました。その研修会の概要です。次の3点について確認いたしました。1点目は,避難所や仮設住宅での生活が長期に亘って続くことで,親のストレスが子供に向くのが心配であることから,避難所や仮設団地集会所での家庭教育支援活動に取り組んでいきましょうということ。2点目は,震災前から子育て支援を頑張っている団体と連携し,家庭教育支援に関わる人の輪を広げていこうということ。3点目,これは私自身のことですが,行政の役割を明確にさせていただきました。広報活動,事務的なこと,仮設住宅の居住者の状況,集会所の間取り,広さ,予約方法,そして被災して活動できないメンバーを繋ぎとめておくことなどです。その後,8月25日の子育てサポーター等連絡会議を経て,9月27日に第1回目の子育てサロンを開催することになりました。以上が,チーム設立までの経緯です。写真は,仮設住宅が立ち並ぶ,仮設団地の風景です。石巻市では,仮設団地数が131,戸数は7,297戸の仮設住宅が建っています。仮設住宅に住む児童生徒数は,約2,000人です。公園やテニスコートにまで仮設住宅が建ち,したがって,特に小さい子供の遊び場が本当に少なくなってしまいました。仮設団地の集会所です。ここで私たちは家庭教育支援活動として,子育てサロンを実施しています。カーペット敷きのフロアは約30畳の広さとなっています。次に,仮設団地集会所での活動の様子を御覧ください。記念すべき第1回目の子育てサロンの様子です。場所は,河北町の飯野川というところにある,世帯数約70世帯の団地です。この日の参加は,親子3組とお母さん1人で合計7名でした。子育てサロンで,子供たちには思い切り楽しんでもらい,お母さんたちには子育ての手を休めて,自分の時間を持ってもらったり,会話を楽しんでもらったりしています。2回目の子育てサロンです。参加者は,親子6組15名でした。この団地は,戸数が288,約800名が住んでいて,未就学児も約50名いますが,なかなか人が集まらないという現状です。また,この日参加していた母親から,「仮設の集会所におもちゃや遊具を置いて,遊び場とすることはできないのですか?」と聞かれました。大変切実な願いだと思って聞きましたが,残念ながらこのときは期待通りの回答ができず,大変申し訳ないと思っております。第3回目の子育てサロンの様子です。宮城県を訪れていた,長崎県家庭教育支援チームの皆さんと,合同で行いました。参加者は,親子6組14名。ところが,支援する側の人数が参加者より多い22名となってしまったのですけれども,それはそれで,お母さん方は話す人がたくさんいて楽しそうでした。嬉しいことに,初めてリピーターの親子が参加いたしましたし,震災で活動できなくなった子育てサークルの方も参加してくださって,少しだけ輪が広がっていくのを感じました。前の写真の続きです。左の写真は,長崎県チームの方によるエプロンシアターの様子ですし,右側の写真はベビーマッサージを教えていただいているところです。私たちは,本当にいろいろな方々に御協力いただいておりまして,大変ありがたいことだと思っております。12月の子育てサロンは,子育てサークルからの要請により開催いたしました。これまでで最多の9組22名が参加し,リピーターの親子もいましたし,子育てサークルの親子,そしておばあさんと孫という方も2組いらっしゃいました。子育てサロンでは,子供も親も元気で過ごしておりますが,時にはお母さんの様子が気になることがあります。例えば,あるメンバーは親子で会場に入って来る感じがとてもぎこちなかった。これはお母さんが,相当勇気を出して子供のために頑張って来てくれているのだ,というようなことを話していたのが非常に印象に残っています。また,震災で心理的にダメージを受け,以前の自分をなかなか取り戻せないお母さんも見受けられます。そういう母親に対して,支援チームのメンバーたちは,自分たちのできる範囲で1人の友人,又は知人として,子育てサロン以外にも何らかの関わりを持ち,支えてきています。長崎県家庭教育支援チームと11月,1月に合同で開催した研修会の様子です。一緒に活動することで,家庭教育支援に関していろいろなことに気づくことができ,石巻チームとしては貴重な研修の機会となりました。ここで,支援チームのメンバーからのアンケートを元に,お母さんの様子についてもう少しお話ししたいと思います。まず,子育てサロンに参加したお母さんたちは,どんな感想を持っていたかということですが,「サロンに来て楽しい」「他の人と知り合いになれる」「子供と仮設の中ばかりにいるので,気分転換になる」「遊び場を提供してくれたり,話し相手になってくれたりするサポーターは,心強い味方です」「安心感,充実感が感じられて楽しい」「是非また来てほしい」。これらのことから,子育てサロンに参加したことが,子供だけではなく自分自身にとっても良かったと実感して帰る方がほとんどだ,ということが分かっていただけるかと思います。次に,母親との会話や様子で,特に印象に残っていることを挙げてもらい,それを生活への不安と子育てへの不安と,大きく2つに整理してみました。まず,生活への不安ですが,経済面では,例えば「震災後,夫の仕事が変わり単身赴任となったために,子育ても不安だし経済的にも不安」と訴えたお母さんがいらっしゃいました。将来への不安では,住む家,仕事などへの不安の声を多く聞きます。震災の心理的影響ということでは,これはお母さん自身のことなのですが,「震災後,家族がそばにいないと不安で,少しも離れることができない」「家の中の部屋それぞれに,食べ物,特にお菓子を置いていないと不安になる」というお母さんもいらっしゃいました。次に,子育てへの不安ですが,多く聞かれたのはそこにある4点です。「震災を引きずっていると感じられる行動を子供がとってしまう」「自分自身に余裕が無いままに子供と接してしまっている」「子供を遊ばせる場所が無い」「自分だけの時間がほしい」。最初の,震災を引きずる,というのは,例えば子供が母親から離れなくなった。母親の姿が見えないと大騒ぎをする。赤ちゃん返りをした。また,あるお子さんは震災のときに火災を見てしまったために,未だにカーテンを開けるのを嫌がるそうです。ただ,このような不安や思いは,仮設住宅に住む親子だけではなく,石巻に住む親子全体の思いや不安であると思います。改めてその大変さ,辛さに触れ,少しでもその負担を軽くしてあげたいと思いますし,もっと強く思ったのは,石巻のお母さんたちは大変頑張っているということです。あるメンバーの感想です。これは,私自身が最も気になっていることなので,あえてスライドにいたしました。「まだまだ母親たちは我慢し,遠慮しているのではないか」という意見でした。これについては,もう少し詳しくお話ししたいのですが,時間の関係上御紹介のみに止めさせていただきます。これまでの実践を振り返ってみますと,私たちは,まだ述べ61組の親子に接してきただけですが,小さな組織でも家庭教育を支援し,その輪を広げるという役割は,自分たちなりにできてきたのではないかなと思いますし,その大きな原動力は,何と言っても支援チームのメンバー一人一人の子供とお母さんに笑ってほしい,という強い思いだと思っています。それともう1つ,メンバーの一人一人が,支援チームと外部の人,支援チームと外部の団体を結び付け,活動をコーディネートしてきてくれたこと。これも大きな要因であると思っています。あと1つは,震災だからこそ,私たちのような小さな組織でも立ち上がることができ,活動を広げることができたのかなということです。この2点を強く感じています。最後に,ここから先を見据えて,3つのことをいつも意識していこうと思います。1つ目は,当たり前のことですが,より多くの仮設住宅に住む親子の支援です。今,私たち石巻市家庭教育支援チームができることは,親子の心のケア。その中でも,仮設住宅に住む親子が参加しやすいように,集会所を会場にして,子育てサロンを継続して開催していくことです。ですが,全員がボランティアですので,無理の無い範囲でということも十分考えていかなければならないと思います。2つ目は,家庭教育支援の輪を広げること。同じ志があれば,私どもは相手を問わないつもりです。3つ目は,後継者の発掘と育成です。石巻は,人口から見て子育てサポーターの数が少な過ぎます。もっともっと人数が必要ではないかと思います。微力ではありますが,この3つを実現していくことで,地域全体で子育てを支援する土壌作りに役立つことができるのではないかなと考えております。以上で,石巻市家庭教育支援チームの仮設団地集会所での実践事例発表を終わらせていただきます。最後まで御清聴いただきまして,ありがとうございました。
 ありがとうございました。
 それでは最後となりますが,独立行政法人 国立青少年教育振興機構 指導主幹 北見靖直様より事例発表をいただきます。よろしくお願いいたします。
 皆さん,こんにちは。聞くのが大変長くなってきまして,大変お疲れの様子ですが,皆さん大丈夫でしょうか。15分お付き合いください。国立青少年教育振興機構という組織名称は,なかなかお聞きになったことがないかと思いますが,全国27か所の国立少年自然の家,青年の家の全てを運営させていただいているのが,国立青少年教育振興機構です。今日御紹介するリフレッシュキャンプなのですが,昨年の7月21日から8月31日の夏休みの期間,福島県の磐梯青少年交流の家と那須甲子青少年自然の家で行ったキャンプの様子を,皆さんに事例発表でお伝えしたいと思います。今日の私の話なのですが,3点皆さんにお伝えしたいことがあります。1点目は,このリフレッシュキャンプというものを皆さんに御紹介したいということ。2点目は,このキャンプに福島県の子供たちがどのように参加したのか,キャンプの中でどんな様子だったのかということを,いくつか御紹介したいと思います。3点目,こういった宿泊体験活動,いわゆる福島県又は被災地の子供たちに向けた宿泊体験活動が今後も様々の形で続いていくと思いますが,そのときに「ここは大切にしなければいけないのではないか」というところを,私たちもリフレッシュキャンプの中でたくさん子どもたちに教わりました。そのことをお伝えして,話題提供とさせていただければと思います。まず,このリフレッシュキャンプの募集人員は5,000人でした。そして,ここにあるように,那須甲子と磐梯それぞれ分かれまして,キャンプをしたのですが,参加者は3,823人です。私も社会教育主事は長いのですが,これほどまでの大規模なキャンプは,社会教育史上恐らく無かったのではないかなと思っております。このキャンプの概要ですが,福島県の全域から小学校1年生から中学校3年生が対象ということです。応募,問合せが2万件以上ということです。しかし,ここは私,組織の人間と離れてお話しさせていただきますが,悔しかったのです。というのは,この企画がスタートしたのは6月の中旬だったのです。それから,那須甲子に受付センターを開設しました。6月の4日ということなのです。十分な準備ができなかったのですね。5,000人と聞きますと,皆さん「すごいじゃないか」と思われますが,実は福島県全域のこのキャンプの対象者は,17万人だったのです。ですので,私たちは本当に十分な体制を取れなかったという悔しい思いがします。受付をさせていただきましたが,多くの皆さんをお断りするしかなかったのですよね。子供たちからも電話をいただきました。「参加したいのだ」と。中学生たちからもFAXで送られてくるのですよ。自分たちで,ちょっとふざけた名前のチームを作って参加するぞ,というものですね。これにも応えられなかったというのが,1人の職員として大変悔しい思いをしました。ですから,今後私たちが何をしなければいけないかというと,こういった被災があったら,すぐさま次の休み期間に,宿泊の事業を組んでいくという構えをしていかなければいけないのではないかな,と思っております。基本プログラムはこのような形です。パッと見て,「こんなことなのか」と思われるかもしれませんが,福島県は皆さんも御存じの通り放射線量がありますので,どうしても屋内の活動が中心になってしまいます。皆さん,パッと見て,何が子どもたちに一番の人気だったと思いますか?「トップアスリートと遊ぼう」というのは,柳本監督とか岡本依子さんがいらっしゃったのですけれど,ハイキング,自主活動,うどん打ち,屋内プール,屋内キャンプファイアー,創作活動,何だったと思いますか?恐らく皆さんそうだと思うのですけれど,プールなのですよ。これを本当に子どもたちは楽しみにしていましたね。びっくりしたのですけれど,子どもたちが少年自然の家に着いて降りるのですけれど,降りた瞬間にゴーグルかけている子どもがいるのですよね。ずっとかけているのですよ。そのぐらいなのです。大人になってしまうと,1年間のひと夏に泳げない日があってもいいじゃないかと。日焼けしない時があってもいいじゃないかと思うのですけれど,子どもたちは全然違うのですよね。泳ぎたいのです。日焼けしたいのですよ。去年の夏は寒かったのですよね。それで,私たちもプールの関係者と本当に実施できるかできないかというやり取りをします。そんな寒い中行っても,皆で唇を紫色にしながら泳ぐのです。それくらい,子どもたちにとって夏休みは遊ぶということが大切だったのだな,と教えられました。私たちはいろいろとやってきましたが,子どもたちのことは先ほどプールの例を言いましたが,やはり1年生。特に僕たちの業界では,1年生は宿泊体験に向かないのではないかと見ていますけれど,一生懸命来ました。まず,バスに乗る前にお母さんの前で泣くのですよね。それでバスに乗って少し落ち着いて,青少年自然の家に来るのですけれど,たくさんお兄ちゃん,お姉ちゃんがいますから,そんなに泣かないのですよ。1日目の夜に泣くのです。大泣きですよ。でも,ここでいい場面が出るのですよね。大体470人くらいが3泊4日ですから,ボランティアも足りないのですよ。1人のボランティアが大体20人くらいみているのですよね。足りないですね。でも,こういう場面が生まれるのです。そんな子たちに5,6年生が添い寝するのですよ。そのとき,1年生はボランティア以上にその子たちの言うことをよく聞きます。そんなことを通して,小学校1年生たちがこの3泊4日を乗り越えていくのですよね。もう1人の例を言いますと,これも小学校1年生でしたけれども,私たちが開会式をやりましたら,広いホールをパーッと走り回るのですよね。私たちも事故を起こしたくないものですから「この子は3泊4日もたないよ」と。これは帰すしかないなということで,親御さんにお電話したのです。すると,お父さん,お母さんが来てくれたのですよね。そして,こう言ってくれたのです。「うちの子は,何故そうなったか分かりませんが,いろいろなキャンプに連れて回ってそんなことは無かったのです」と言うのですよ。それはよく分かった,ということで,那須甲子青少年自然の家の所長が学校長の出身で,教育に非常に理解のある方だったので,お父さんお母さんとその子と所長で話をしたのです。「こういうことで,皆に迷惑をかけたらこのキャンプは駄目なのだよ。お前,どうする?」と言ったら,その子はお父さんお母さんの前で「僕,やる」と言って,3泊4日過ごしましたね。何を言いたいかというと,宿泊体験で何が大事なのかというと,子どもたちが何かを乗り越えていくことなのですよ。子どもたちが何かにチャレンジしていくことなのですよね。もっと言うと,私,漫画の「ど根性ガエル」の世代なのですが,「泣いて,笑って,けんかする」ことなのですよ。その場をどう確保するのか,ということが,宿泊体験の大事なところだと思うのですね。いろいろなやり方があっていいと思うのですが,子どもたちに与えすぎてしまう宿泊体験は,逆に子どもたちのエネルギーを低下させるのではないか,という危惧は少し持っています。やはり子どもたちは3泊4日の中でけんかしますよ。でも,その中で仲直りして「ごめんね」と言えば,もう1回そのグループの中に戻れるのだ,もう1回仲間になれるのだということを,葛藤して乗り越えて行ったときに,子どもたちは成長していくのです。その成長がやはり,福島の子どもたちの生きるエネルギーになっていくのです。そこがこのキャンプで見えてきたことです。ボランティアも頑張りましたね。ボランティアに何をしてほしいかと言うと,一緒にお風呂に入って,一緒に御飯を食べて,一緒に寝て,一緒に走り回って,一緒に泣いて,笑って,そして時には叱ってくれ,ということなのですね。最後はこれです。忘れられない一言があります。夜のミーティングであるボランティアが,「こんなことを言われたので皆で共有したい」と言ってくれた言葉ですね。「ぐっちゃんは九州から来たのだよね。福島の子は放射能がついているから,初めは避けられるかと思った。でも,避けられなかった,嬉しかった」ということなのですよね。非常に大切なことだと思います。私の最後の結論はこれです。大切なことは何かというと,今後も福島の子どもたちは福島と一緒に生きていくということなのです。私は福島の人ではないのですけれどね。日本全体が。私はさっきの言葉を聞いたとき,彼らの20年後を思いました。就職や結婚のとき。でも,2度とそういう悲劇を繰り返さないためにも,私たちも一緒になって,出会ったり一緒に乗り越えたりする体験を続けていく,ということが一番大事なことではないかと思います。雑駁な事例発表ですが,以上で終わります。ありがとうございました。
 ありがとうございました。
 それぞれ大変厳しい状況の中で行ってきました取り組みについて発表いただきました。今一度,事例発表いただきました皆様に,大きな拍手をお願い申し上げます。
 それでは,これよりパネルディスカッションに移ります。ただいま事例発表いただきました3名の方に加え,2名の方に加わっていただきます。御紹介申し上げます。仙台市立五橋中学校 養護教諭 原田恵子様でございます。福島県喜多方市家庭教育支援チーム「もも」代表 幸田久美子様でございます。それでは,ここからは進行をコーディネーターの冨永先生にお願いしたいと思います。冨永先生,よろしくお願いいたします。
 はい。それでは,パネルディスカッションということで,今,3名の方に御発表いただきました。これから「さん」付けでお呼びしたいと思いますので,どうぞよろしくお願いいたします。山田町の桑原さんからは,学校で取り組む様々なことを発表していただきました。最近の,いわゆる被災に伴う体験の表現の取り組みまで,非常に丁寧に御発表いただいたと思います。それから,石巻の三浦さんからは,5回に亘る子育てサロンの取り組みを通して,今抱えている課題や今後の取り組みの展望についてお話しいただきました。そして今,北見さんから福島での3,000人以上の子供たちへのリフレッシュキャンプでの取り組みの思いを紹介していただきました。ここでまず,原田さん,幸田さんから5分程度,御自分の体験や考えを御披露いただいて,その後フロアを交えてディスカッションをしたいと思います。それでは,まず原田さん,よろしくお願いいたします。
 ただいま御紹介いただきました,五橋中学校の養護教諭の原田と申します。今日は私の方から,学校の保健室から見た子どもたちの様子についてお話しさせていただきたいと思います。資料もスライドも何もございません。ただ,お耳だけお願いしたいなと思います。本校は,仙台市の中心部にあります,生徒数が670名の中学校です。一昨年100周年を迎えまして,歴史と伝統のある学校でございます。3月の震災のときは,学校は避難所となりました。中心部ということでして,地元の方はもちろんなのですが,仙台駅や近隣のホテル,オフィスビルや総合病院,そちらの方からたくさんの帰宅困難の方たちがお見えになりまして,最大で約2,000人もの方々がお出でになりました。もちろん我々職員はその対応に追われたわけでございます。幸い,生徒たちは皆無事でして,周囲の状況が落ち着き次第,学校の方へボランティア活動として何人かの子供たちがやって来てくれまして,一生懸命水を汲んだり,食事の世話や清掃活動をしたり,精力的に働いてくれました。4月の新学期,避難所が移転したということもございまして,ほぼ通常通りのスタートを切ることができました。それと同時に,たくさんの転入生を迎え入れることとなったわけです。元々転入生の多い学校ではあるのですが,今年は更に被災地からの転入生が多かったということで,これまでで13名来ております。宮城県でも沿岸部の学校から来た生徒,福島県から,仙台市内でも自宅が全半壊した生徒,そういった子供たちがほとんどでした。我々,転入生の受け入れに際しましては,どの生徒も事前に保健調査というものを行っておりまして,これまでの様子ですとか,今現在の健康状態について特別心配なことはないかどうか,配慮すべきことはないかどうかということを,予めチェックして受け入れさせていただいております。今回は特に紙面上何も問題は無く,他の転入生と同様に元気に登校し始めたわけです。転入生たちは,他の子供たちと一生懸命活動しておりまして,あっという間に他の子供たちと馴染んで,むしろより精力的に活動している子供たちが多いかな,という気になっております。特に部活動での活躍。一生懸命練習しまして,上位入賞を果たしてみたり,専門委員会,委員会活動で委員長や副委員長を進んで引き受けてみたり,という生徒。各学年の行事に際しましては,実行委員などを進んで引き受ける子供たちもおりまして,こういった子の活躍ぶりを見ながら,最初はとても安心して見ておりました。9月になりまして,文化祭が行われました。本校では五橋祭と呼んでいるものなのですが,この文化祭のときに折り鶴を作ったのですね。折り鶴に短冊をくっつけて廊下に展示するというもので,1人1個作成し,670人分廊下にずらっと並んだのですが,皆一人一人思い思いの願いごとを短冊に書いて展示しております。ふと見ますと,先ほど申し上げました,部活動で一生懸命頑張って上位入賞している子が,このように書いておりました。「1年後は元の学校に戻れますように」。そう書いてあったのですね。あんなに元気そうに見えるのですが,ああやっぱり口に出して言わないけれども,震災前の生活に戻りたいという気持ち,そういう願いは当然持っているのだなあということを,この文章から読み取れた次第です。また,別の生徒ですけれど,これも委員会活動などで一生懸命委員長として中心的役割を担っている,すごく頑張っている生徒だったのですが,その生徒がある日体調不良を起こして保健室にやって来ました。具合が悪いということだったのですけれども,「やっぱり一生懸命頑張り過ぎたのではないの?」と。「そんなにいっぺんに頑張り過ぎなくたって,少しずつ慣れていけばいいんじゃない?」なんて話を私からさせていただいたのですが,その生徒はこのように言いました。「私が頑張っている姿を見せないと,お母さんが心配するから」。そのように呟いたのですね。この生徒のお母さんは,ちょっと体調を崩されて休んでいらしたということが後で分かったのですけれども,このように親にも言えず,1人で悩みながらも頑張っている子供たちもいるのだなあということが,だんだん分かってきたわけです。10月に入って後期になりましたけれども,少しずつこのように被災地からの転入生が体調不良を訴えるとか,健康チェックを毎朝クラスでやっているのですけれど,そのときに体調不良を訴えるということが度々見られるようになってきました。例えば頭痛がするとか,だるいとか,不定愁訴というのでしょうか,そういった訴えが多くなってきたような気がします。私が保健室でこのような生徒たちと関わっていて,一体何ができるのだろうと考えましたときに,やはりそういった子供たちの心の声に耳を傾け,寄り添ってあげることかなあと,今一番感じております。そして,ちょっとした変化を捉えて気にかけてあげること。ちゃんと見ているよ,という安心感を子供たちに与えてやることが,とても大切だなと感じております。更に,いろいろ子供たちから話を聞くのですが,そのときに「ああ,そうだったの?」とか「大変だったわね」というだけではなくて,「よく頑張ったわね」とか「よくやってきたわね」といった,プラスのメッセージを必ず言い添えるように心がけております。このような声掛けというのは,子供たちにとっては「ああ,間違ってなかった」とか「これで良かったんだ」「僕のことを分かってもらえたんだ」という気持ちを実感することができまして,先ほどから出ておりますけれども,自己肯定感を高める意味でも非常に大事だなと考えております。このような励ましや心のケアというのは,困難を乗り越えるための原動力になるとも言われております。エネルギー源ですね。そういう原動力にもなりますので,常日頃から人間関係で育まれてくる励まし,認められ感みたいなものは,とても大事にしていきたいなと日々考えているところです。また,子供たちの健康は,学校も家もそうですけれども,周りの大人たちの状況に左右される場合があるとも思えております。ですから,保護者の方々,我々教職員も心の健康には十分な配慮が必要になってくるかと思います。我々職員は年度初め,避難所の運営ということで,大変疲弊しきった先生方がたくさんいらしたわけでして,その先生方を見まして,「支援活動に携わっている方へ」といったプリントを作成しました。これは臨床心理士会で出されているパンフレットなどを参考にしながら作らせていただいたのですけれども,そのようなプリントを配りまして先生方に見ていただくとか,仙台市で行っておりますメンタルヘルスの相談窓口,定期的に開催されておりますので,そういったものを紹介させていただいております。また,保護者の方々に対しましては,もちろん担任の先生と一緒に相談活動を行ったりとか,学校におりますスクールカウンセラーの先生と相談していただいたり,必要な医療や社会資源の紹介などをする,コーディネーター的な役割をすることも私の大事な役目かなと感じております。ただいま出ましたスクールカウンセラーですけれども,うちには2人おりまして,非常勤で交代勤務してもらっております。そのスクールカウンセラーさんに聞いた話なのですが,スマトラ沖地震のときに「ストレス障害の程度と関連する要因」というものが研究され発表されたものがあったそうなのですけれども,その要因として親しい人との別れ,というよりはむしろ,生活手段を失うことの影響の方が強いということが明らかになった,という話を聞きました。なるほど,我々大人にとっては仕事というものが1日の多くを占める活動だとしますと,逆に子供たちはそれが学校に置き換わるわけであります。つまり,学校生活を以前と変わりなく送ることができる。そういうことが子供たちにとってはとても重要になってくるのだなと感じました。このように転入してきた子供たちが,1日でも早く通常を取り戻して,「居心地の良い学校だなあ」と,そして「ここが自分の学校だ」と感じてもらえるように,日々保健室から支援を続け,寄り添っていきたいなと思っているところです。ありがとうございます。
 原田さん,どうもありがとうございました。学校でのこれまでの取り組みを紹介していただきました。
 それでは,幸田さん,5分程度でお願いしたいと思います。
 喜多方市家庭教育支援チーム「もも」のコウダです。今回の大きなタイトルの中に,「震災を越えて」というタイトルがあるのですが,正直福島県に住んでいますと,「越えて」という気持ちになっていないのが福島県の保護者ではないでしょうか。まだ余震があって,福島県沖に地震があったりすると,「ああ,原発は大丈夫かな」とニュースを見たり,2月に入ってから原子炉2号機の温度が上がったというと,「この先どうなるのだ」という不安。1月に入ってから,放射能の汚染採石,あんな問題があちこちで起きています。そういった状況の中で,やはりあの地震で家が壊れた,流された,家族が亡くなったという本当に悲しい気持ちの他に,福島県の保護者は怒りや不安,恐れ,悲しみなんかが,原発事故が心配の根っこになっていると思います。例えば家族がバラバラになるという事例を1つ挙げますと,1つの家の中におじいちゃん,おばあちゃん,お父さん,お母さん,子供という3世帯の形で生活していますと,お母さんは放射能のことで子供がとても心配で,外から情報を入れて「ここに居て大丈夫なのだろうか」と。お母さん同士のお話合いの中で,「ちょっとここではヤバいんじゃない?」というお話が出ると家に帰って来て,お父さんに「やっぱりここはヤバいんじゃな?」と言うと,「俺はここに仕事があるからなあ」と言い,おじいちゃんおばあちゃんが「何もそんなに神経過敏になることない。大丈夫だから」と言われると,お母さんはそこで孤立してしまうという状況もよく聞いています。会津地方でもそうなのですけれど,おばあちゃんが毎年のように作っていた野菜。今年はとても子供のことが心配で,子供には食べさせたくないということで,その中でのぎくしゃく。そういったことも聞こえてきます。それから,二重生活なのですけれども,お父さんだけが単身生活をしていてお母さんと子供さんたち。また,子供さんだけを実家などに置いて,お父さんお母さんは仕事という二重の生活。子供がいくら帰りたくても,まだ駄目だということで,そういう状況はありますね。地域におきましては,そこにずっと留まっている家庭,一時避難したけれどまた戻ってくる家庭,ずっと外で生活する家庭。保護者の中ではそれもちょっとぎくしゃくした関係になっています。残念ながら「避難格差」という言葉も生まれました。これは,自主避難が起きているので,政府や県が政策,対策として地域の方がまとまって移るのではなく,それぞれの家庭の状況に応じてやっているのですね。まもなく来月で1年になりますけれども,保護者の現状がそういうことですので,やはり子供たちも保護者の不安が伝染して,我慢しているという状況です。まとめますと,この先どうなるのか,漠然とした不安がいつもあると。二重生活なので,いつも経済的に苦しんでいる,子供がどうも今の学校に馴染めない,本当に正しい情報が欲しい,という声です。私たち家庭教育支援チーム「もも」としては,今後も今まで通りにアンテナを高くして,3本柱で掲げている,「相談を受ける」「家庭教育講座の提供」「情報の伝達」ということで,子育てサロンとはまた別の形で連携を取りながら活動して参りたいと思っております。お手元の資料にある通り,今度「チェルノブイリ福島調査団からの報告」というのをやるのですが,これは皆さんから要望のあった「正しい情報が欲しい」ということで,福島原発が起きる前から福島県に住んでいて,今後も福島県に住み,福島県のリーダー的な人で,食に関することをその視点から私たちにお話ししてくれるのではないかと。原発に対しての今後のことで,正しい情報を提供できるのではないかということで予定しております。以上です。
 ありがとうございました。福島は今なお脅威に晒されている。これは福島だけの問題ではなくて,日本全体が抱えていかなければいけない課題だと思います。
 残り25分なのですけれども,午前中の内田先生のお話の中で,「共有型しつけと共生型しつけについて」のお話がありました。共有型しつけが子供の様々な能力を引き伸ばすといったデータを示しながらお話ししていただきました。それと,釜石市の4歳の子供さんの作文を御紹介いただきました。これは「思いの表現」とまとめることができると思います。この分科会でも,共有体験と思いの表現,この2つの柱でディスカッションを進めてみてはと思います。先ほどの3人のそれぞれの御発表の中でも,桑原さんの「子供たちが虎舞をすることで地域の人が元気を受ける」という共有体験が,子供だけではなく地域の人の元気を膨らませるという体験とか,三浦さんの子育てサロン。まさにこの共有体験が,子供たちや親御さんの元気を引き出していったということも言えると思いますし,北見さんのリフレッシュキャンプはまさに共有体験そのものだと言えると思います。もう1つは「思いの表現」ですね。子供たちは親のことを心配して我慢し過ぎているのではないだろうか。ここで,阪神の体験からすれば,子供自身は自分の不安や怖い思いを,なかなか親に打ち明け辛いということがいくつかの事例で分かっています。是非,NHK大阪の「リエゾン被災人」というホームページを御覧ください。そこに,中学生のときに親御さんを亡くされた方の手記等が載っております。ずっと自分の心の中に抱えている辛い体験を,お父さんに話せなかったということが書かれております。この思いの表現を,どう安全に,安心できる場で共有体験とともに進めていくか,ということが今後の中長期の心のサポート,心のケアの重要な視点になろうかと思います。その2点を軸にしながら,フロアから,こういう意見を持ったとか,こういう意見を申し上げたいということがございましたら,手短に御発言していただければと思いますが,いかがでしょうか。いらっしゃいませんか?
 どうぞ。できれば,御所属とお名前をおっしゃっていただければと思います。
 栗原市教育委員会 派遣社会教育主事の佐藤と申します。お世話様です。3人の先生方のお話を聞いて,いろいろ考えさせられました。北見先生のお話ですごく感じたことが,子供の心を癒すに当たって「癒してあげるよ」というテンションでいくのではなく,何かを一緒にすることによって子供が語り出すということがあるのだなと思いました。行政の中にいると,どうしても「何かをしてあげよう」とか「何かをやってあげなければならないのだ」という感じになるのですけれども,午前の分科会でもやはり「一緒に」という共有体験がとても大切だということ,リフレッシュキャンプの実際の自然の中で体験することによって,子供の力強さ,子供自身で立ち上がっていくのだということが分かりました。先ほど「もっと話したいことがあったのですけれど」ということだったので,もうちょっとお話を聞けたらいいかなと思って・・・
 ありがとうございます,坂井さんどうもありがとうございます。
 それでは,北見さん,今のところを追加発言いただければと思います。
 ありがとうございます。私が話し足りなかったのは何かというと,リフレッシュキャンプに3,800人以上参加したのですが,アンケート調査をしました。2,800人の小学校4年生から中学校3年生のデータを取ったわけですね。何年生にこの体験のキャンプの効果が出たかと言いますと,皆さん小学生かと思われるかもしれませんが,実は中学生なのですよ。私の記憶では,事前と事後をやったのですが,中学生の方がより顕著に変化しています。ということは,私も接していたのですが,中学生の男子が小学生の目の前で別れ際に泣いているのですよ。私も長年やっていますが,こんなことはないですよね。でも,これは何かと言うと,やはり我慢してきたのだろうなと。小学生以上にいろいろなことを感じて,でもいろいろなことを我慢してきたのだろうな,ということなのですよね。ですから,私たちは子どもといるとどうしても小学生を見ますけれども,やはり中高生。この辺の新規の世代をどういうふうにケア,サポートしていくのか。こういった世代にも十分な宿泊体験を提供してあげるということが大事かと思っております。このアンケート調査報告は,国立青少年教育振興機構のホームページでダウンロードできますので,是非御覧になっていただければと思います。
 ありがとうございました。
 それでは他に,フロアから。どうぞ。
 恐れ入ります。私,利府町の議員をしております,遠藤と申します。今日はありがとうございました。お二方にお伺いしたいのですが,初めに北見先生にお伺いしたいのですけれども,このキャンプの参加者の費用的な問題も教えていただきたいと思いますし,もう1点,ボランティアは20名で1人くらいとおっしゃっていましたが,どのようなボランティアの募集や養成をなさっているか,この2点を伺いたいと思います。それから,山田南小学校の桑原先生。避難所になって,もちろん非常に御苦労がいろいろあったようですけれども,子供たちと非難なさった方たちとのあたたかい交流のお話を伺いました。私どもの利府町は,海岸にもちょっと被災はございましたけれども,ただ,各学校の体育館が避難所になりました。その場合もやはり,日頃先生方と地域の住民との交流があったところは割合上手くいったということがございましたので,先生の学校で,日頃地域の方との交流はどのようになすっているのか。この点を伺いたいと思います。
 遠藤様,ありがとうございます。
 それでは,北見さんから。
 はい。まず,参加費については無料でございます。ただ,これはオフレコなのですが,NPOから怒られまして,「無料はないだろう」というお話はいただいたことがございます。それから,ボランティアなのですが,各関係機関に依頼して大学生を中心に集めました。ただ,大学生はやはり7月下旬は試験期間中なのですよね。人集めに大変苦労しました。最終的に,私どもの施設の職員や関係機関から来ていただきました。また,企業の社員のCSRにも御協力いただきまして,大体のボランティア期間が6泊7日なので,社会人の方は厳しかったのですが,その中で来ていただいたという現状です。その研修の件です。ボランティアの皆さんには必ず前日に来ていただきました。そして,私たちが何を目的にこのキャンプをやっているのだ,ということはしっかり理解していただいて,子どもたちとはこういうふうに接するべきだということをお話しさせていただきました。このラインがないと,やはり苦しさを乗り越えていけないのですよね。子どもたちから逃げてしまうということがあります。それから,もう1つ研修で大事なのは,On the Job Trainingなのです。1日終わったその夜にどういう話をして,どういうことを共有して,じゃあここはこういうふうにしていこうと。こういうことですね。それから,何回のクールのボランティアが行きますので,このボランティアで感じたこと,メッセージをいっぱい書いてもらいました。そして,次に来たボランティアは必ずそのメッセージを受け取ってから入るという工夫をさせていただきました。本当に苦労していただきましたが,ボランティアたちも成長し変容していきました。それが子どもたちの成長と変容に繋がっていると思います。
 ありがとうございました。
 それでは,桑原さん,お願いします。
 はい。ありがとうございました。日頃の関わりということで,本校でやっていることは本当に微々たるものなのですけれども,広報等を全校配布したり,運動会や何かの行事に招待したりとか,老人クラブの方たちとの交流をしたりということを日常的にやって参りました。ただ,よく言われるのですが,「震災を経て,学校とのきずなが深まった」と地域のおじいちゃん,おばあちゃんたちが言ってくださいます。「逆に学校のことが見えるようになった,先生方はよくやってくれている」と励ましてくださっているので,本当にありがたいなと思っていました。ありがとうございます。
 ありがとうございます。
 他にいかがでしょうか。
 北見さんにお伺いしたいのですが。私,被災しまして,両親が働きに出て,3名の乳児,幼児,小学生を抱えて,非常に苦戦している祖母です。子育て支援ネットワーカーとして,山元町という被災の大きかった小さな町でやっていましたけれども,実際にそこで被災してしまって,私は2か月ほど避難所におりました。そういう役割というものをすっかり忘れてしまって,ただただ目の前の対応で過ごしてしまったのですけれども。海沿いの学校の屋上でひと晩震えていて,ヘリコプターで助けてもらった5年生,当時4年生でしたが,その孫娘の心って言うのでしょうか?夏休み頃までは非常に落ち着いてしっかりしておりましたけれども,だんだんと心がちょっとしたきっかけで,「漬物石が胸にあがっている」とか「頭が痛い」「お腹が痛い」「私は何にもしたくない」。学校に行っても保健室で寝ている状態。母も父も学校に勤めておりますので,そんなのんびりもしておりませんでしたので,私が一身に乳児と3人の子供を抱えることによって,本当に心の問題は難しいなあと思いました。では体を動かすことが大事なのかなと考えまして,スイミングスクールにもやりましたけれども,非常に免疫力が低下した状態が続いて,本当におりこうさんにしていた子供なのですけれども,病気が次々と発生して,今も心は落ち着きましたけれどもそんな状態です。今,キャンプの話を伺ったのですけれども,そんな楽しい経験が,今後も計画されているのでしょうかと思いまして。ネットワーカーなんていうこと忘れまして,個人的な思いでお伺いするのですけれども,全国的にこういう活動をなさって,今後もこのようなことをなさっておいでなのかなあとお伺いしたくて,マイクを持ちました。失礼いたします。
 山元町からお見えになられて,貴重な体験をお話しいただきましてありがとうございます。
 どうぞ,北見さん,リフレッシュキャンプの今後の予定について。
 言えることと言えないことがありますが。今,リフレッシュキャンプの方は,サマーが終わりましてオータムということで,私たちの施設は岩手山にもありますし,花山,磐梯,那須甲子ということで,それ以外の施設もできることを取り組んでおります。そして,オータムの次はウィンターということで取り組みますし,春休みは陸前高田市と組んで,岩手山の青少年交流の家で,HSBCという外資系の銀行に出資をしていただきまして,かなり今民間企業さんが,アメックスも含めてリフレッシュキャンプに資金提供していただいています。そんなことを活用して,できるだけ多くのキャンプの開催に今努力しているということです。今年の夏についても,ちらほらいろいろな機関,団体に聞きますと,今から夏のキャンプの準備をしているということですので,昨年をほぼ同じかそれ以上のキャンプが全国的に展開されると思いますので,楽しみにしていただければと思います。
 先ほどの方は,宮城の山元町ですよね?ですから,先ほどは福島だけでしたので・・・
 花山とかでも。
 宮城とか岩手でもおやりになるということで。
 そういうことですね。
 はい。ありがとうございます。
 それから先ほどの,お孫さんを抱えながら本当によく関わっていらしたのではないかなと思います。お嬢さんですかね,当初は落ち着いていたけれど,体を訴えられるようになったのは・・・
 山元町の南の方ですから福島県境で,避難した場所は放射能も心配されました。私は避難所におりましたが,乳児を抱えて避難所というわけにもいかなかったので,知り合いの家に避難しておりました。そこは放射能も心配されましたので,ほとんど室内で過ごしておりました。室内で絵を描くなどして非常に落ち着いておりましたけれども,家も私の主人も流されて行き所が無くて,名取にたまたまお世話になることになって,学校の都合もあり,被災と関係の無い学校に行きまして,その学校には閖上というところの子供たちが来ているので,ボランティアの先生かどなたかが,「閖上小学校の子供たちと仲良くするように」と言って,被災のビデオを見せてくださったそうです。それをきっかけに,子供はパニックになったのでしょうか,保健室に駆け込む子供になってしまったのです。私は「なんてことを」と思って,ぐずぐずして何もしたくないという子供に向かって,「○○ちゃんのお母さんは流されて亡くなったのに,あなたは母も父もいるのに,何なんですかそのぐずぐずした態度」と。それも非常に悪くて,それからおりこうさんが全く大変なことになったのですけれど。ただ,現在はその被災のビデオを見たことも乗り越え,体は免疫力低下で病院通いをしておりますが,心は非常に落ち着いて参りました。やはり,□□先生とおっしゃいましたでしょうか,その方のビデオだったらしいのですけれども,そういうことを乗り越えてというお話だったものですから,そのビデオを通して落ち着いて,それは乗り越えなければいけない過程だったのだろうなと思って今はほっとしております。しかし,体の方は非常に免疫力の低下ということで,お医者さんも「見たことないな」と言われております。徐々に回復していくことを期待して。水泳なんかは非常に体を冷やすので,良くなかったのかなと思っておりますけれど。やはり個人的な体の動かし方ではどうにもならないようなところがあるような気がしますので,友達との関わりの中で体を動かすということをもっと考えていきたいなと思いました。
 ありがとうございました。貴重な体験を御発表いただきました。
 残り5分となりましたので,パネリストの方に30秒ずつくらい,言い残したこと,皆さんに伝えたいことをお話しいただいて終わりたいと思いますけれども,いかがでしょうか。北見さんから。北見さんはもう十分話されましたか?では,三浦さん。
 石巻の家庭教育支援チームについては,もういいのです。
 (一同笑)
 前に応援団の方が来られているということを,先ほど私がちょっと小耳に挟みましたので。
 すみません,本当に。思い当たる節があったのは,北見さんから「共有体験」という話が出ましたけれど,私は生涯学習課にいるものですから,例えばジュニアリーダーとか成人式の実行委員などを担当していたのですけれど,やはり言われてみれば,今年は震災という共有体験を持っているので,そういう体験を持っている人間たちがまた集まって別のことをやって,頑張れたといったときに,今思い返してみれば,ジュニアリーダーも成人式の実行委員会も非常に結びつきが強かったなと思ったのですね。やはり,キャンプでなくてもいいと思うのですが,同じ思いを共有した者が同じことをして頑張ったという思いを皆が持つ。ただ,大事なのは,そこに誰かがいてきちんとコーディネートしないと,と思っています。これは,どの年代でもきっと共通する方法の1つになっていくのではないかなと思いました。以上です。
 ありがとうございました。
 では,小山さん,お願いします。
 はい。他の視点,他の場所からいろいろなことを勉強する機会をいただいて,本当にありがたかったなと思っておりました。うちの学校はオチソコにしかいませんので,本当に一緒でやっているところの取り組みでした。その中で,もし何かあるとすれば,阪神淡路の方たちから神戸の話を聞いたりとか,専門家の冨永先生から教えていただいたりしたことが一番の財産で,それが拠り所になって子供たちや保護者の方たちに関わることができているなと思うので,もし3・11に向けて私たちが共に共有して学んでいかなければいけないことが何かあるのだとすれば,冨永先生から是非最後に教えていただきたいなと思いました。以上です。
 ありがとうございました。
 それでは,幸田さん。
 私は,震災があって,60代の男性の方に「私たちにできることは何かな?」と聞いたら,やはり会津に住んでいるものですから,浜通り,太平洋側に原発事故があったところに住んでいる人,中通りの東北線上に住んでいる人,新潟県に住んでいる人,被災に遭った度合い的には,会津はすごく低いのですね。そのときに何ができるかと言うと,その60代の人が「俺たちがいくら頑張ったって,その人にしか分からない苦しみに,軽々しく分かる振りして駄目だよね」と。「俺たちはそれに対して何て言ったらいいか分からないけれども,その人がコトンと逝かないように,いつも言葉掛けすることだね。孤立しないように,気配りすることでないか?」と私に言ってくださったのですね。私はその通りだと思います。ですから,私も家庭教育支援チーム「もも」として,「みんな大事な存在だよ」と,子供にも大人にも,これからずっと言い続けていきたいなと思っています。
 ありがとうございました。
 それでは,原田さん,お願いします。
 先ほど,山元町のお婆様がおっしゃってくださったお孫さんの心配ですね,学校の中でも似たようなことが起きているのだな,と思いながらお聞きしておりました。先ほど「思いの表現」とありましたけれども,子供たちはいろいろな形で表現してきます。体調不良であったり,眠れなかったり,塞ぎ込んでしまったり,赤ちゃん返りと言うのでしょうか,中学生にはあまり無いのですが退行現象を起こす小さな子供さんもいますし,そういういろいろな表現の仕方があるかと思うのですね。御家庭でももちろん心配でしょうし,ついつい叱ってしまうという気持ちもよく分かるのですが,学校の中ではスクールカウンセラーや生徒指導主事,担任も含めて養護教諭もそうですが,いろいろな職種の者がおります。もちろん集団の生活の場ですので,駄目なものは駄目と言わざるを得ない場面もありますし,一方では無条件に受け入れるという場面もございます。1つの学校の中で,皆さんがいろいろ役割分担をしながら,子供たちの情報を共有して見ているということが行われておりますので,難しいかもしれませんが,お家の中でもお父さん,お母さんの役目,おばあちゃまの役目,いろいろ分担されて子供さんに対応されるとよろしいのかなと思いながらお聞きしておりました。なかなか難しいのですけれども,何が一番良い方法なのかいろいろ手探り状態で考えながら,というところですが,試していただきたいなと思っております。以上です。
 ありがとうございました。
 時間になってしまいましたけれども,阪神淡路大震災のデータを見ると,5年間個別に支援を要する子供の数は変わらなかったのですね。何故かというと,地震のときの恐怖による児童生徒数は徐々に減っていったのですけれども,家族の不仲や親のアルコール依存,経済的な復興がなかなか立ち行かずに,家庭でのストレスの要因で個別のケアを要する児童生徒数がずっと上がっていったのですね。ですから,結果として変わらなかった。この東日本大震災では,これを全力を挙げて止めたいのですね。この分科会では,それをいかにすれば止める力ができるのかといったことのヒントになる試みが,数多く発表されたと思います。もう1つは,辛い体験を心の奥にずっと仕舞い込んで生きていくことは,非常に大きなストレスのリスクになるということなのですね。楽しい体験,充実した体験とともに,あるときはその辛かったことに向き合い,そこに込められている悲しみや怒り,悔しさを表現して分かち合うことこそ,前に進んでいける大きな力になるというふうに考えられて,心のケアが展開されていると思います。時間が越えてしまいましたけれども,この分科会で御発表いただいた方,フロアから多くの御意見をいただきましてありがとうございます。これで,パネルディスカッションを閉じさせていただきたいと思います。
 ありがとうございました。
 まだまだお話をお伺いしたいことがたくさんあろうかと思いますが,大変恐縮でございます,お時間となってしまいましたので,これを持ちまして,分科会4「親子の心のケアと周りのサポート」を終了させていただきます。今一度,大きな拍手をお願い申し上げます。
 それではこの後,15時10分より,大ホールに戻りまして,分科会の報告がございます。当分科会からはコーディネーターの冨永先生に,この分科会のまとめと致しまして,10分間御報告をいただくこととなっております。皆様,大ホールへお戻りになりましてお待ちくださいませ。ありがとうございました。

(終了)

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