第3回全国家庭教育支援研究協議会(分科会2)議事録

議事録

 皆様こんにちは。本日はおいでいただき誠にありがとうございます。ただ今から,分科会2「親子の安心と育ちを応援する家庭教育支援」を開始いたします。この分科会の司会・進行を務めさせていただきます,宮城県教育庁生涯学習課,髙橋純子と申します。よろしくお願いいたします。
 (拍手)
 ありがとうございます。始めに,皆様にお知らせがございます。本日,事例発表をお願いしております,NPO法人多世代交流館「になニーナ」様の発表者の方ですが,副代表の馬場裕子様に代わりまして,代表の佐竹直子様にお話しいただくことになりましたので御承知置きください。
 では,当分科会のコーディネーターを御紹介いたします。宮城教育大学猪平眞理様でございます。それでは猪平先生,どうぞよろしくお願いいたします。
 ただ今御紹介を頂きました,宮城教育大学の猪平でございます。どうぞよろしくお願いいたします。
 それではこれから第2分科会を開始させていただきます。先に趣旨の説明をさせていただくわけですけれども,これは,ここの印刷にありますように,61ページにあります枠の中に書いてある通りですけれども,私どもは本当に大変甚大な震災を受け,そして,皆様方,先ほどの黙祷にもありました,そういう大変な事態を迎えましたのですけれども,ここで,やはり私どもの子育て支援というような機能が,どのように発揮させていただけるかということが大変課題になってまいりました。大きな家庭を取り巻く環境というものが変化をしてしまったわけですけれども,ここで私どもがさせていただけるのは,やはり親子,あるいは家庭や地域の人々の繋がりということがやはり大事なのではないか,ということに気づかせてもらったのですね。それで,こうしたキーワードを,繋がり,あるいは,きずなということで見直そうということをコンセプトにしようということになりました。それで,ここでのシンポジウムは,これまでされてきた家庭教育支援というものを見つめ直すことによって,またこのキーワードを考え,そして,改めてこれまでの活動を振り返って,この震災にどう繋げたか,そしてこのキーワードをどう生かすことができたか,そして,今後の子育て支援を考えようという機会にしようということになったわけなのです。それで,12時35分まで皆様とともに考えさせていただこうという趣旨でございます。どうぞよろしくお願いいたします。
 それでは,早速,事例発表に入らせていただきます。初めの事例発表の方を紹介します。宮城県名取市教育委員会 社会教育指導員 家庭教育支援チーム,ぽっぽはうす担当 中保良子様,ぽっぽはうす代表 松木浜子様,ぽっぽはうすチーム員 大友悦子様,よろしくお願いいたします。
 それではただ今から,名取市の事例を発表させていただきます。今日は,普段の通り,あがらないで発表できるようにと,普段子育てサロンでつけておりますエプロンでまいりましたのでどうぞよろしくお願いします。私どもは,普段から地域で支えあう子育て,そして,人と人との繋がりが希望を生み,子育てをすることが未来へ繋がっていく。そういった思いで活動を続けてまいりました。今回の震災で,そういったことを再度確認するということで,私たち,また同じ思いで繋げていきたいということで活動を続けております。
 今回,震災後,乳幼児を抱えた保護者の方たちが,一体どのような思いで過ごしておられたかということなのですけれども,名取市の被害は大変大きなものだったのですけれども,今回,沿岸部に近いところで仙台空港アクセス鉄道が開通いたしまして,そこに新たに宅地造成がされまして,小さいお子さんを抱えた子育て世代,核家族の方々がたくさん住んでおられました。今回,子育てサロンや公民館などの講座に参加された方々からお話を伺うことができました。まず,人と繋がっていないことが非常に不安を掻き立てる。話し合える友達や地域の人々が必要であるということ。そして,小さい子供がいることが活動の制限になっている。生活や子供の将来に不安を感じる。そういった思いもありますけれども,その反面,子供と一緒にいる喜びを非常に感じていて,一瞬一瞬をこれからも大事にしていきたい,そういうお話が聞かれました。そういう状況の中で私たちにできる支援は一体何でしょうか。ここで1つ,ちょっとキーワードを提案して,そのキーワードを覚えていていただければと思います。そのキーワードは「希望」です。ちょっと頭の隅に入れておいていただければと思います。
 詳しい活動を御説明する前に,私たちがどういった組織で活動しているかをちょっと御紹介いたします。名取市家庭教育支援チーム・ぽっぽはうす,そしてNPO法人の子育て応援団ひよこ,実はこの2つの団体が連携をして行っております。元々この子育て応援団ひよこは,託児を中心とした保育サークルだったのですけれども,この震災の最中,平成23年6月にNPO法人として新たなスタートを始めました。ぽっぽはうすの方は,活動内容としましては名取市の家庭教育推進事業,この実施協力,それから,子育てサロンの運営,そして,公民館親子講座を支援しています。そして,小中学校の家庭教育講座の支援ということで,新入学の児童の保護者の皆様に,紙芝居などで新入学家庭教育講座なども行っております。そして,NPO法人ひよこの方は,名取市の那智が丘児童センターを運営しておりまして,これは名取市の委託によるものです。次世代育成事業等の実施やぽっぽはうすへの指導・支援を行っています。この2つの団体が,がっぷり4つに組みながら幅広い活動をということで頑張っております。では,ぽっぽはうすの中心となります子育てサロン,これについて御説明いたします。
 それでは子育てサロン,ぽっぽはうすの開催についてちょっとお話させていただきます。
 私たちは子供が伸び伸び遊び,親子が安心して遊べる場所を作りたいという思いで子育てサロンを開催してきました。3月の震災後は,いつものように普通に遊べる場所を早く作りたい,心がゆったりできる場所にしてあげたいという思いで,6月より市の中心部にあります増田児童センターで再開しました。9月からは,イオンモール名取のイオンホールで新たに場所を移動して開催しています。地元企業と連携し協力していただくことで,以前より活動拠点があればと願っていましたので,活動拠点の確保ができ,場所が被災地域の近隣で参加しやすい環境にあり,これまでより時間延長ができ,自分のペースで参加できるようになってきました。ショッピングモールなので駐車スペースも十分にあり,近隣市町村からの利用者も増えています。御覧になっていただいている写真なのですが,左上がぽっぽはうすの入り口の様子です。左下がキッズエリアの遊ぶ場所ですね。滑り台とか,カラートンネル,ボールプールなどを用意してあります。右上がベビーエリアとキッズエリアに入り口を分けまして,それぞれ遊びのコーナーに入っていただくようになっています。右下が絵本コーナーになっていて,ここで,親子でゆっくり絵本を読んだりとか,お話ししたりというような様子が見られる場所です。
 子育てサロンぽっぽはうすの取組の状況なのですが,続けてこその家庭教育支援,子供が生まれてから成長の段階に合わせた支援を続ける,子育てに切れ目なし,という思いのもと,この子育てサロンに取り組んでいます。震災後のちょっとしたお母さんとの様子なのですが,震災後すぐに,大変な時に生まれた赤ちゃんが,6月のサロン再開の時にはもう3か月になって遊びに来てくれました。大変だった出産の様子などを聞き,お母さんの強さ,赤ちゃんの生きる力を感じ,これからサロンの中で共に成長を見守っていけることをとてもうれしく思っています。活動しやすい環境が整ったところで,地域との繋がりを深める双方向支援,地元サークルとの交流イベント開催,コーラス,絵本読み聞かせ,わらべ唄,昔話語り,地方住民有用感を引き出し,世代を超えた仲間づくりを推進ということで,地域サークルとの交流イベント開催では,特にコーラスサークルは前年のクリスマスコンサートで既に交流がありましたので,昨年もクリスマスの頃にコンサートをとお願いしたところ,被害の大変大きな地域のお爺ちゃん,お婆ちゃんたちのサークルでしたので,震災後,全く活動できずにいたようです。でも,これを機会に練習を再開し,クリスマスコンサートを開催してくれました。当日は皆さんドレスアップされ,「練習できなかったのよ」とか「声がなかなか出なくて」とおっしゃっていたのですが,とても元気な歌声を披露して下さいました。練習を再開したことで,発表する場も増えてきたようで,皆さんとても張り切っていらっしゃいます,次のサロンでのコンサート開催も今から楽しみにしているところです。これからのサロンの活動・取組についてなのですが,サロンの中での部活動,目的のある活動に取り組む。参加者の自主企画イベントを推進。自らが必要と感じる学びへの気づき。次世代支援者リーダーの育成というところで,お母さんたち個々の得意分野を引き出し,イベント,サロンの運営など,共にこれから考えていきたいと思っています。これが実際に子供たちが入って遊んでいる様子です。左上が,9月に開催した時の初日の様子なのですが,大変混雑しまして,ちょっと赤ちゃんコーナーが汲々だったような様子が見られます。右下がブロックコーナーですね,そこで遊んでいるお子さんです。右上が滑り台で,これ,ちょっと1人だけなのですが,いつも列をなして,皆順番を待って乗っているような状況ですね。右下が,男の子が大好きな車のコーナーで,車とか電車をこの地図の上で走らせて遊んでいる様子です。周りでお母さんたちがそれを見守りながら,ちょっと,お話に花が咲いているような状況だと思います。以上です。
 私たちは子育てサロンの他に,地域連携・家庭教育講座を開催しております。9月より,市内公民館において,地元民生委員,主任児童委員,公民館サークルとの連携で行いました。地域との繋がりを深めるためのイベントとして,民生委員,主任児童委員共催の子育てサロン芋煮会を開催しました。地元サークル,コーラス,絵本読み聞かせ,わらべ唄,昔話語りの方々との交流会も行いました。震災後,生活改善のための情報提供,意識改善のための講座を開催しました。その中で,消費行動の改善,地産地消,買いだめをしない,などの,災害時対応の心のケアも行いました。こちらの写真は,地元サークル花綱会の方々と,わらべ唄遊び,ふれあい遊びをしている様子です。
 続きまして,学校連携の家庭教育事業の実施について御報告します。これは10月より,増田小学校,増田中学校で実施しました。これは公民館,学校,地域の共同事業になります。家庭教育支援チームと増田地区の住民の,参加型の親学習プログラムということで実施しました。震災後の心理的,環境的状況を反映ということで,実は増田小学校,中学校ともに震災後は体育館が避難所となりまして,何か月も子供たちはその中で授業を受けてきました。そういった状況を鑑みて下の講座を開きました。増田小学校の方は5年生を対象に環境学習ということで,地産地消による地域復興に関して学びました。6年生は携帯安全教室で,マナーや震災時の情報に関して,どういった対応をするかということも含め学びました。そして,増田中学校なのですけれども,かねてからやりたいと思っておりました,命の授業を実施することができました。3年生を対象に2回行ったのですが,妊婦の疑似体験を含む誕生,そして子育てに関する授業。そして,命の最後を看取るということデータミナルケアに関する授業。生と死を2回に分けて行いました。そして2年生は薬物乱用防止セミナーを実施しました。今回は津波で非常にたくさんの方々が一度に亡くなられてしまって,お1人,お1人の命の大切さというものを,改めて見直す機会が必要ではないかということで,学校の方と詰めてお話合いをして決めました。子供たち,将来の,未来の親となりますので,そういった親となる思い。そして,身近な子育てや,高齢者の看取りということに対して視点をおきました。全国的に命に授業は,病気で早くに亡くなった子供さんとか,貧困や戦争という特殊なケースを挙げることが多いのですけれども,今回は,自然な生と死の営みということで,誕生と看取りに視点をおきました。そして,命のはかなさ,大切さ,生きていることへの感謝を皆で考えました。これは,その時のグループワークの写真なのですけれども,支援チーム員と地域の住民の方々が各部ループに入って,子供たちの誕生のエピソードや,親がどういうふうに大切に育ててくれたか,そして,自分が親となったらどう思うかということを話し合いました。付箋等を使って意見を全て書いていきました。そして,疑似体験のあと,赤ちゃん人形ですね,沐浴人形を抱っこすると,大変皆さん愛しそうに抱いておりまして,誕生する喜びも味わっていただけたのではないかと思います。
 ここで,先ほど言いましたキーワードなのですけれども,私たちはキーワードとして「希望」を考えています。じゃあ,この希望とは一体何でしょうか。いろいろな希望はあると思うのですけれども,将来の幸せを思うことで心の中が明るくなれるもの,これが希望ではないかと思います。そして困難に直面した中で,人と人との繋がりが希望を生むのではないか。私たちはそういう思いのもとに,地域との繋がりを深めるための活動をずっと続けてまいりました。私たち支援チームと,それから読み聞かせボランティアのきらきらの会,そしてわらべ唄,手遊びの花綱会,そして民生委員,主任児童員,地域のサークルという,この方たちとコラボレーションすることで,家庭教育講座を行ってきました。そして,地域への所属感を持つことで心の安定に繋げる。そして,活動内容を紹介するとともに,身近なボランティアへの参加を促しています。私たちは,支援する側,される側という,受け身というものをなくして,全て自発的に,以前に取り組んデータことや,やりたかったことをまず思い出して,自分がこれからしていきたい,そして,してあげたいという活動に繋げていきます。そして,私たちは活動ができるように環境を整えたり,機会を作ったりしていこうと。そしてまず,一緒にやりましょうという思いで普段活動を行っています。そしてその中で,支援する私たちに対する支援,支援者のための支援というものを,今回は非常にいい体験をさせていただきました。長崎県の家庭教育支援チームからの支援についてお話いたします。
 このたび,長崎県家庭教育支援チームからの支援をいただけるとの御連絡がありました。私たち支援チームにとって初めて体験することでした。具体的に何を支援してもらうか,スケジュール調整は?現場の運営方法をどうするかなど,支援されることに慣れていないため,私たちは,最初は戸惑いました。そこで,日々,私たちが開催している子育てサロン,ぽっぽはうすへの参加をお願いしました。その中で,長崎チーム員の方々の自然な言葉掛けや触れ合いに対し,サロンに遊びに来ていた親子が安心して笑顔を見せている姿に,私たちはたくさんの気づきを頂きました。また,私たちチーム員に,気軽に明るく声をかけていただきましたことにホッとした安心感を持ち,こうして知り合えたこと,交流できたことに喜びを感じました。今回御支援を頂き,人と人との触れ合いの大切さ,1人,1人を受け入れられる大きな心,気持ちを共感する優しさなど,たくさんのことを学ぶことができました。最後に,人と人との繋がりが希望を生み,子育てすることが未来に繋がっていく道しるべ,ということを心に刻んで今後も活動を続けていきたいと思います。
 家庭教育支援チーム,ぽっぽはうすの皆様,大変ありがとうございました。
 続きまして,長崎県子ども政策局 子ども未来課 課長補佐 松崎邦彦様,よろしくお願いいたします。
 皆さんこんにちは,私は長崎県長崎市の方からまいりました松崎と申します。どうぞよろしくお願いいたします。
 まず,最初なのですが,私,題目をNP親育ちプログラム事業から,長崎ファミリープログラム事業というような感じで書いておりますが,ちょっと違った話になるかと思うのですが,いわゆる長崎県で取り組んでいる家庭教育の支援事業について説明と,もう1つが,先ほど名取市の方から話が出ておりました,こちらの長崎県の家庭教育支援チームが宮城県の方に来て支援した内容のことについて,話をさせていただければと思っています。よろしくお願いします。まず始めに,家庭教育とか,子育て支援とかいう事業なのですが,通常どこの県においても,ほとんどが教育委員会,教育庁の方の部局にあるのが普通ではないのかなと思います。ここに私の部局,長崎県福祉保健部 子供政策局 子供未来課というのがあるのですが,実は,ちょっと恥ずかしい話でございますけども,長崎県で平成15年と16年に,子供が子供を殺したという,殺人を起こした大きな事件がありました。それを受けて,何とかやはり子供に対する施策を1本化,連携させる1本化の総合的なところを作らなくてはいけないではないのかな,ということで,平成18年に子供政策局というのを作りました。今までと違う子供に関する施策を,医療と福祉と教育,この3部門などを統合しまして子供政策局。その政策局の中に子供家庭課というのと,私がいる子供未来課というのが2つできております。私がいるのが子供未来課の中の,地域子育て支援班という班の中に,私は在籍して家庭教育を推進しています。教育庁方も,県の教育庁の中にも家庭教育をやる部局があります。生涯学習課です。そこでは子供会活動とか,PTAの活動とか,又は体験活動などを主にやっていて,我々の方では子育て支援拠点の事業とか,ファミリーサポートセンター事業,厚労省の事業も含めて。そして,放課後児童クラブ,そして児童館関係,児童の健全育成,非行防止,又は,少年センターとか,そういうような部局もあります。そして条例関係ですね,少年保護育成条例関係なども子供未来課の方でやって,本当に統合した課を作ったということです。その事例の発表ということになります。それと,もう1つですが,この政策局ができて何とか子供に関するものを,きちんとした条例を作るということで,長崎県は子供や子育ての支援について基本的な考えを定め,県,市,町,保護者,県民,学校がそれぞれの役割を明らかにするとともに,県の子供の施策の基本となる事項を作りました。これが長崎県の子育て条例というもの。平成20年の10月に作ったものです。県民総ぐるみで,子供が夢と希望を持って健やかに成長できる環境を整備し,安心して子供を生み,育てることができる,子供を生むなら長崎県,子供を育てるなら長崎県という意味でこの条例を作ったものです。事業の図の説明です。子供未来課の方の図なのですが,大きくは3つ書いております。NP親育ちプログラム事業,あとで詳しくNPという言葉についての話をしたいと思います。もう1つが,長崎ファミリープログラム事業,そしてもう1つ,3番目がアウトリーチ型家庭教育支援事業ということで,妊娠期からの,出産から始まる乳幼児,小学校前までの就学前のところでNP親育ちプログラム事業を行う。重ねて長崎ファミリープログラムというのが,小学校に入る前から中学,高校ぐらいまでの親に対しての親学習プログラムを行うと。そして,このプログラムを系統的にずっと行う中で,やはり,このプログラムに載ってこない,いわゆる学習会とかに参加しない親に対してアプローチしていく家庭教育支援事業ということで,大きく3本立てました。その3つの話を今からさせていただきたいと思っております。
 まず1つです。NP親育ちプログラム事業ですが,このNPというNがnobodies,誰もいない,perfectのPです。nobodies perfect,完璧な人はいない。いわゆる完璧な親はいないというプログラムの事業です。このプログラムを進めることができるファシリテーターというのを,県が平成19年から平成22年まで養成講座をして,人材育成をして,各市町でこのプログラム事業が展開できるようにしました。今現在156名認定者がいます。各市町でこのプログラムを,今,実施しているということです。そのプログラムの内容についての説明をします。NP,完璧な親なんていない,このプログラムはカナダ保健省と大西洋4州の保健局によって開発され,1987年,カナダ全土に導入されました。いわゆるカナダというところが,移民がたくさんいて,いろいろ子育てに悩む家庭とか,虐待とかがすごく増えてきたということで,このプログラムをカナダのほうで開発した。そのカナダで開発したものを日本版にちょっとアレンジして持ってきて,現在,長崎の方でも進めているというふうなものになっております。目的は,親が自分の長所に気づいて,健康で幸福な子供を育てるための前向きな方法を見出せるように手助けをすると。頭ごなしに,こういう育て方がいいですよというのではなくて,親が自分で気づいていくというふうなプログラムになっております。講師ではなくてファシリテーター,いわゆる進行役,大学の先生とか,例えば,私みたいなのが,家庭教育はこうしなければいけないですよ,子育てはこうしなさいという講師ではなくて,皆さんたちにグループワークとか,ワークショップをしながら気づいてもらう。その進行役をファシリテーターというような感じに見ております。対象は,先ほども言ったように,小学校に入る前までの子供を持つ親,いわゆる0歳から5歳までの子供を持つ親が対象です。これは生涯1回きりしか受けられないと。長男の時に,例えば,受けたけど,次男の時も受けたいというのはダメだと。講座を開く場合には定員が14名と。14名以内というふうに,これも規定がありまして,まあNPというものが,NPO法人がきちんとした決まりを作っておりまして,その決まり以外でやるといけませんというふうなことになっております。開催する際には親子を必ず分離する。子供は託児をします。親が安心して学べるような場を作るというふうにしております。内容は1回2時間程度,週に1回なのですね。それを毎週,例えば金曜日,今週,来週,その次のまた金曜日ということで,これを8回,8週間続ける。2か月間ぐらいずっと同じ14名くらいの人たちが集まって,ああでもない,こうでもないと,子育てについての話合いをすると。テーマというのも最初から決めてはいません。参加した親が,こういうテーマで話合いをしたいなと。例えばそこに載っていますように,周りの人との付き合い方,パパ,自分の夫ですね,また舅,ママ友,地域のことで話合いをする。また,子供の食生活のことについて話合いをする。躾や褒め方,いらいら解消方と。そういうようなことで8週間ずっと話合いをしていくということになっています。このプログラムの効果なのですが,3年間の実績を各市町の担当者とか,ファシリテーターの声でまとめたものです。ほとんどが母親の影響です。母親が変わるというのがあります。赤いところです。子育てに関して安心感が生まれ,前向きな考え方になっていった。ママ友ができ相談できるようになる。参加者同士の繋がりができた。このプログラムが,ただ単にテーマを皆で話し合うだけではなくて,アイスブレークとかゲームなども用いながら楽しくやるのですね。安心して安全に話せる場を作って,そのテーマの話合いをするという流れを作っていますので,こういう参加者同士の繋がりができます。最終的には,子育てに関する悩みや不安を解消して,又は育児ノイローゼが軽減し,そして,児童虐待の防止などにも繋がると。ここには書いていませんが,このNPプログラムを受けたお母さんが,次の子供をまた生んでみようかなと。少子化対策,そういうところまで進んだというようなデータも出ました。これが実際に受けた親の感想です。「本当に楽しかったです」「いつもは家で子供たちと過ごすだけですが,あっという間に感じるぐらい充実していました」「これで終わりだと思うと寂しいです」「もっと皆と話したいです」「会ったこともない人,年齢もバラバラな人と接すること,悩みを言い合えたこと,すごく楽しい時間が過ごせました」「慣れた頃に終わるので半年ぐらいあるといいな」と,2か月でも長いと思ったのに,いつの間にかもっと続けてほしいという感想などがありました。本当にこの事業をやってみて,これはすごく親に対してはいい成果が出た事業だったのではないのかなと思いました。
 続いて2本目の事業のことです。長崎ファミリープログラムという事業です。これはやはり,家庭教育の講座をやっていく中で,どうしても効果的に親に対してできていなかったという部分があって,いわゆる座学形式で聞いてもらって,親が当番制で集まって来たりとか,仕様がなくて来ているような方,参加者だと,どうしても次に自分の家庭にもって帰るとか,そういう効果的な講座になっていなかった。それを良い講座に変えなければいけないなということで考え出したものです。これは,先ほど話をしましたNPプログラムの手法を用いてやったものです。やはり,講師ではなくてファシリテーター。参加者は親が主体。参加者の親が主体で同じようにアイスブレークとか,ゲームなどを取り入れて,そして,ワークショップをやっていって,発表していくと。こちら右側の方に,例えば上手な褒め方,しかり方というプログラムをやるとしたらアイスブレークをやりながら,そしてワーク作業をして役割演技とか,そういうのをさせながら,参加者がずっと自分たちで体験をしながら話合いをしていって,自分たちで最後はグループ発表をしてまとめると。最後に1つ,ちょっとしたエキスみたいなのを,ファシリテーターが,上手な褒め方はこういうやり方がいいかもしれませんね,というような感じで終わるという流れになっております。このプログラムを18本作成しました。家庭のルールや親子関係,親の願いというのが3プログラム,子供の心と体の成長が3プログラム,躾や基本的な生活習慣,食育等が4プログラム,子供を取り巻く環境,ゲームやテレビの影響などが4プログラム,そして,父親が集まる,父親のためのプログラムを3プログラム作っております。帯状になっていますが,あれが,例えばこんな子供に育ってほしいというのが2番目にあると思うのですが,これが,3歳,5歳児から受けてもらうか,又は,小学校前,小学校低学年ぐらいまで受けてもらうというような感じで,帯で,この辺で受けてもらえばいいのではないかなということで作っております。○が,できる限り受けてほしいという感じのものにしております。☆印も,これは男性の方にも受けてほしい,というふうなものに作っております。こういうプログラムを保育所とか幼稚園の保護者会,学校,又は入学説明会とかPTA研修会,いわゆる親が集まる機会,できるだけ多くの親が集まる機会にやっていただくというように考えています。地域等では家庭教育学級とか,子育てサークルが集まっている時にやっていってもらうというような考えです。そのファシリテーターの養成についても,これは今年度からやっております,25年度までに3か年間で各市町に20名から30名のファシリテーターを養成して行う予定にしております。現在,もう23年度が終わろうとしているのですが,100名近くの養成が終わりました。そのファシリテーターになってもらう人は,いわゆる各市町から推薦を受けた人になるのですが,主に保育士さんとか,幼稚園の先生,保育園の先生,又は小学校の先生,退職者も含めてそういう方々。又は地域で活動されている主任児童員さんとか,そういう方々にも推薦のお願いをしている次第です。これもちょっと結果を出しているのですが,これは,実際に私が長崎県内の小学校の学校保健委員会という集まりがあって,60名ぐらいの保護者が集まった時に,長崎ファミリープログラムということで実施したアンケートです。やはり,その感想の,この21%のところなのですが,ワークショップ形式で楽しく過ごせた,38%,子育ての悩みを共有できた,他の家庭の子育ての情報交換ができ,参考になったとか,勇気付けられたと。又は紫の部分で,学習内容がためになった,子育てのアイデアを頂いた。初めての方と交流できたと。同じ小学校に通う親なのですけど,顔は知っていてもやはりしゃべれないのですね。でも,こういうふうなアイスブレークとか,そういうのをすることで会話ができて,やはり何かで繋がったわけなのですね。こういう,ただ単に学習するだけではなくて,繋げるというのもすごく学習機会には大事でなないかなというのを考えました。
 そして3本目です。アウトリーチ型です。先ほど話をしたように,NPプログラムとか,長崎ファミリープログラムなどの講座を開催しても,それに出てこない親,やはりたくさんいらっしゃいます。本当は受けてもらって繋がってほしいのだけど,そこが無理だと。そういう方に対しては,やはり直接訪問する方法が1番いいのではないかということで,このアウトリーチ型家庭教育支援というのを,今,手法で開発しているところでした。これは,長崎市の橘小学校区という団地があるのです。小学校自体は1,000名ぐらいいる大きな学校で,そこの校区,小学校区に主任児童員さんとか民生委員さんを中心として,10名でチームを組んで,学校からいろんな情報をもらいます。学校だけでは解決できないような問題をもらって,そしてその情報を基にして,そういう家庭に訪問して行って,見守りとか,話し相手になったりとか,ここに書いてありますように,近所付き合い的なピアサポートみたいなのをやっていくというようなことです。内容によっては,市の関係機関への相談,ケース会議を開いていただいたりとか,その地縁チームに助言をしてもらうとかというふうなことの連携も行っています。この訪問だけではなくて,近くにある子育てサークルの訪問とか,民生委員さんなどで乳児全戸訪問をやっています。中学校に行ったりとか,幼稚園にも,保育園にも行きながら,自分たちはこういう活動をしている人ですよというのをアピールしながら,家庭教育支援を地域全体で行っているというようなことです。これを,今,県下のいろんなところにも,このチームができるように,今,働きかけをしている次第です。これが,大きく3つ,長崎県で行っている事業です。
 最後ですが,先ほど言いました,被災地における家庭教育支援について,まとめて話をしたいと思います。長崎県の各地域で,先ほど言いましたNPのファシリテーターとか,子育て支援をしている人たちを集めて,今回,被災地で何かができないかなということで,こちらの方にいろんな,宮城県庁の方にいろいろお世話をしていただきながらやったものです。第1回目に,これは11月の末だったのですが,約9名の長崎県の家庭教育支援チームを連れまして,石巻市とか名取市,亘理町とか,そういうところの子育てサロンを訪問して一緒に遊びました。子供たちと一緒に遊んだりとか,お母さんと話をしたりとかしている,これは写真の様子です。ここに写っている方が長崎県のチームです。こちらの方々が向こうの支援チームの方で,これは,石巻市内の仮設住宅に来られているお母さん親子です。先ほども出てきましたが,名取市のイオンモールの中で,子育てサロンのぽっぽはうすというのをやられている,その中で,これは長崎県のチームがちょっと歌などを披露して,お手玉遊びとかを披露している写真です。ここに載っている4名の人たちが,先ほど話をしました橘小学校区のアウトリーチ型支援をしている方々が,ここにも協力的に参加をしていただきました。研修会も,各地で支援をしていただいている方々ですね。長崎のプログラムの紹介ということで,一緒に合同で,先ほどのNPプログラムの体験版というような感じで実施しました。この場合も同じように,やはりワークショップでやっています。アイスブレークもやりました,誕生日チェーンをしながら話をして。これは最後のまとめで,模造紙に書いて,こんな親いるよね,というふうなことで,そして,多分,でもこんな考えでやっているのではないの,って。普通の標準語ではなくて,東北の訛りを入れながら表現して,すごく盛り上がって笑いが充満した研修会でした。やはり受けた方々も,こんな研修会は初めてだったというふうな感じの感想を受けて,私も,やってみてよかったなというような気になりました。これが亘理町の仮設住宅の集会所に来られたお母さんに対して,長崎県のチームの1人がハンドマッサージをしている写真です。長崎県は離島が多いのですが,その離島の五島の方で,五島の椿油というのを使った,手に塗る油があるのですが,それを塗りながらハンドマッサージをしてやって,子育ての悩みを聞いたりとか,被災した状況の話を聞いて,ちょっと和やかな雰囲気になった。最初は,このお母さんの手が本当にカサカサの状態だったのですよ。ところがマッサージをしていきながら赤みをおびてきて,スベスベな感じの手になって,本当に,帰る時にはすごく笑顔で帰って行かれました。
 最後に,この宮城県の家庭教育支援事業を展開の感想を話して,私の事例発表を終わりたいと思います。被災に遭われたお母さんたちとか,家庭教育支援をされている支援者の方たちは,本当に厳しい状況の中に置かれていると思うのですけど,本当に,笑顔で前向きに明るく行き来されている姿を目のあたりにして,自分が,胸が強く締められた思いがしました。そして「わざわざ長崎から来てくれたのですね,ありがとう」とお礼を言われて笑顔でお別れする時には,もう1回来たいなと。また宮城に来たい。また会って笑顔をもらいたい,笑顔を見に行きたい。そう思うようになりました。何もできないけど,本当にもう1回来たいなと思っています。人と人が繋がり,きずなができるということは,本当に力の源,エネルギーが沸いてくるなと思います。距離的には長崎と宮城って本当に遠いのですが,何か,何回も来ているのですけど,すごく近いように感じています。何か,1つになれたなという思いが,笑顔で1つの思いになったような気がしました。被災地を応援しようと思って,自分がやってきた事業だったのですが,逆に,自分が力をもらったような気がしています。家庭教育子育て支援事業を行っている自分にとって,本当にいい勉強をさせていただいた宮城県の方々に感謝を申し上げて,私の事例発表をこれで終わりたいと思います。ありがとうございました。
 松崎邦彦様,大変ありがとうございました。
 続きまして,新潟県長岡市NPO法人多世代交流館「になニーナ」代表 佐竹直子様,お願いいたします。
 よろしくお願いいたします。新潟県長岡市からまいりました,多世代交流館「になニーナ」の佐竹直子と申します。雪を連れて来たのではないかと思うぐらい,新潟県の方は本当に豪雪で雪害という言葉があるのですけれども,それぐらい,かなり多く雪が降っている状況の中仙台に来たら,また雪,という感じでびっくりいたしましたが。
 先ほどの文科省の局長の御挨拶にもありました,パートナーから,「あなたなんかに子育て支援を語る資格はないわ」なんていうお話がありましたが,それを聞いたら,私も帰らなければいけないかしらと思うほど,世界平和を目指しているのですが,なぜか世界平和なんかを目指すと,家庭の不和になってしまうという,うちの子供は誰が子育てをしてくれているのでしょうかと,皆さん心配になってくださっているのですが,それが社会全体で,家庭以外のところで補っていただけると思っております。中越の方で,中越地震や中越沖地震がありました。そこで出会って,感じて,行動した,そんなエピソードをこれから少しお話しさせていただきます。
 ちょっと遡って,2004年10月の23日17時56分に,新潟県の中越地方で震度7の地震がありました。この×のところ,ここが震源地の,今は長岡市になっておりますが,川口町です。この川口町,今,震災のメモリアルのきずな館,きずなという言葉は先ほどから多く出ておりますが,きずな館という建物があります。その他にも,備え館があったり,中越地域はやはり地震を多く経験していますので,そんな防災に対してのいろんな取組が多くあるところですので,もし機会があれば是非立ち寄ってみてください。長岡市の方は合併しまして,現在人口約28万人の都市で,子供の出生数は年間約2,000人という小さな地域でございます。私がこの地震の時,子供が3人いたのですが,1番下が8か月,1番上がまだ年長さんで,今現在4人子供がいるのですけども,その当時私持病を持っていまして,と言っても病名が,災害時にじっとしていられない病,という病気でして,もうこの地震が起きた直後に,じっとしていられなくてすぐ動いてしまったのですね。安否確認でメールの携帯を送りまくったりとか,すぐ近くの避難所に子供をおんぶして行ってみたりとか,そんなちょっと病気持ちでございます。地震でこちらの方もいろんな被害があったと思いますが,中越の方もその当時,山古志村が全村避難というニュースもありました。水没したような地域もございましたし,地滑りが起きて,テレビでユウタちゃんの救出の場面を思い出すと今でも涙が出てくるのですが,ユウタちゃんももう7歳になりました。大体避難所って体育館とか公共の施設が多いかと思いますが,長岡の方でもたくさんの学校の施設がこのように避難所になりました。そこで私が目にした光景というのは,子育て中の方たちが,この避難所の中でも一番寒くて,一番すきま風が来るような,そんなところに陣取っている。そんな光景だったのですね。何故か皆さんもうお分かりですよね。子供が泣いたら邪魔になるから,ここでなくて,すぐ外に出られるように。そんな配慮をして,周りの方たちにすごく気を使いながら,この避難所での生活を送っていらっしゃいました。少し様子を見て,周りからあまり快く迎えられていないなと感じてしまうような,言葉では言われないけれども,そういう雰囲気を感じた方たちの中には,ここにはいられないなと思って,車の中での避難生活を送られた方もいました。そんな避難所での子育て中の方たちの様子を見ながら,ああ,まだまだ,もしかしたら子育てというのが本当に孤立している状況なのだな,というのも地震の時に感じました。多世代交流館「になニーナ」,実はこの団体ができたのは中越地震がきっかけなのです。今から約12年前に,お母さんたちのグループで,長岡子育てライン3尺玉ネットという子育てのネットワーク,支援のネットワークを作るという,そんな団体を立ち上げたのです。子育てというキーワードで繋がる人をいっぱいネットワークしようと思っていたのですが,なかなか子育て環境がよくなっていかないな,と感じていたところに地震がありました。そこで,先ほどの避難所の様子もそうなのですけれども,このきっかけになったのが,ちまき作りの事業でした。仮設住宅にお住まいの方たちと一緒に何か事業をするのに,助成金があったのですね。その時に私たちが活動している主要メンバーが,大体外から入って来た転勤族の方とか,他所からお嫁に来られた人たちが,いち早く地元の子育てを知りたい,早く地元のお友達を作りたいということで,活動メンバーになっていました。そんな中で,やはりそこで子育てをするのだったら,地元の何かお料理を子供に食べさせてあげたいなというところから,メンバーのニーズから上がってきた事業が,郷土料理を教えてほしいというものだったのです。で,山古志のお母さんたちに,その当時,仮設住宅で全村避難して生活していらっしゃる方たちに講師をお願いして,どうか教えてくださいと上がりました。そうしましたら,打ち合わせに1回,2回,3回と回を重ねる度に,どんどんお母さんたちが増えてきました。私たちは子連れで,皆,おんぶに抱っこで手が両手ふさがっている状態だったのですけど,お母さんたちが,「ちょっと抱っこさせて」「ちょっと匂いをかいでもいい?」なんて言いながら,たらい回しにしてくださって,その状態で,私たちが少しでも子供が手から離れて肩が楽になる瞬間。これに喜びを覚えました。お母さんたちにしてみたら,目をつぶっていても作れるような郷土料理を人に教えてほしいと言って,教えてあげたら喜ばれた。たったこんなことが人のために役に立つ。今まで地震があって,いっぱい人からしてもらって,ボランティアの人たちが来てくれて,してもらうばかりで,もう私たちこのまま棺桶に入るのかねと思っていた人たちが,人に何かをやって喜んでもらえた。それが新しく習得したものではなく,今まで持っていたものを提供するだけで喜んでいただけた。そんな,今まで支援される側だった人たちが,今度は講師役になった時に,あっ,こんなふうに人ってまだきらきら輝けるのだ。生きがいを見つける,そんな瞬間をこの事業で見つけました。そして,子育てライン3尺玉ネットが発展して,多世代,多文化,多業種,多地域の人たちと交流することから,日常的に交流することで,子育て,いい社会にしていきたいと思って始めたのが「になニーナ」です。この1番最初の拠点は仮設住宅のプレハブからでした,大体仮設住宅というのは2年の任期で入れ替わるというか,そこから新たな行き場所に移るわけですが,ここはデーサービスセンターだったのです。でも,2年の任期だからということで空き家になったところを,でも,3年目の冬を越す人がいるよね,そんな人たちと外の人たちを繋ぐ。仮設にいらっしゃる方って,もうそこだけの街になってしまうので,外部の人との接点が全くなかった,そんなところを私たちが少し運営をしながら橋渡しなんかもいたしました。「になニーナ」は3つのサロン,居場所作り,まずはその人がそこにいてもいいよと,安心できる場所作りから始まりました。それまで3尺玉ネットは拠点を持たずに,出張型でサロンをやっていたのですが,初めて拠点を作って,シフトを組んで,お母さんたちがシフトを組むってすごく大変なことだったのですけれども,それでもやり繰りをしながらこのサロンを運営していきました。そして事業,ここを見ていただくとわかるように,繋げる,広がり,相談コーディネイトから育成までと,多種にわたってやっていますが,まず,居場所作りのサロンのほうは3つのサロンで構成されています。手仕事カフェ,子育てサロン,健康お茶会。これがベースです。子育てサロン以外は,ほとんど年齢とか性別とか,そういうものを取り払って,それこそ多世代,多文化,多業種,多地域の人たちがここで交流できるようなという,そんなテーマを設けました。この手仕事カフェはここから趣味が高じて,にな市という,27日に,毎月市をやっているのですが,そこで出店する方もできてきました。プチ起業ですね。育成の方はお母さんたちが社会からちょっと離れてしまったけれども,こんなふうにボランティアに関わることによって,また更に新たな自分の生きがいやスキルを習得することができる。そして,長岡にはたくさんの専門学校や,特色のある大学もありますので,そういう学生のボランティアさんなんかの受け入れもしています。今は中学生や高校生のボランティアさんも休みになると来てくださっています。スタッフ会議は子連れでかなりにぎやかなのですけれども,にぎやかな中でも,そうやって少しでも社会と関われる,自分が何かの役に立てる。今まで子育て支援というと,私が支援されている人だったけれども,子連れでも,私も支援者側にいつでもなれる。そんな関係作りを大事にしています。繋げる事業では主に食という,全ての人に共通する食の部分で,農体験をしたり,郷土料理,同じ食材でもこんなに地域によって作り方が違うのだというのを発見したり,地域の交流会では,合併した8地域の,ほとんど子供も生まれないような高齢の地域が多いのですけれども,そういう地域のお母さん同士が集まって,またそこで交流することによって,こんな歳になってまた友達ができたと喜んでくださる。そして,スタッフの子供たちや参加者の子供たちが,1年に1回であっても成長を喜んでもらえる,お互いに確認し合えるような,そんな事業,交流にもなっています。更に,多世代交流でいいなと思ったのは,お母さんたち,地域のお婆ちゃん,お爺ちゃんたちが,毎年行っても元気でいらっしゃる。最後に,別れ際に来年もまた会おうねという言葉を言うのですけれども,結構,延命治療的な効果があるのではないかと私は思っております。内田先生のお話の中にも,共有性が交流に繋がって語彙力がアップするというお話がありましたが,私は共有型の交流は生命力もアップすると思っています。健康増進にも,お金をかけずにかなり効果的なのではないかなと思います。参加者も,この料理教室とか,食というのをテーマにすると本当に多世代で,自然に交流ができるのですね。いろんなイベントとか行事を見ていますと,取って付けたような多世代交流があったりするのですけれども,自画自賛ですみません,うちは本当に自然なのですね。参加者が,別にボランティアでここに来てあげているのではないよ,自分が行きたくて来ているという方ばかりなので,本当に世代を超えて喜んでいただけています。2月7日は,勝手にになの日と命名して,にな,というのは郷土料理で,煮る菜と書く郷土料理があるのですが,になの日と名づけました。県の生涯学習のホームページを見ていただいても,になの日が出てくるのですけれども,このになの日,会場の都合ですとか,提供できる煮菜の数で約50名の参加者しかお受けできなかったのですが,お断りしてキャンセル待ちになった方が70名という,それだけでも盛況な会です。
 東日本大震災があった時,長岡の方はやはり災害を経験しています。そして,私は子育てというキーワードで活動しましたが,いろんな方たちがいらっしゃいまして,青年会議所の方だったり,社会福祉協議会の方だったり,あとは障害者支援をしている方,外国人支援をしている方,あとは自治会で防災をやっている方たち,いろんな方たちがそれぞれのお立場で活動をしてきました。でも振り返ってみると,そういう方たちと一緒に,自分たちがやった活動を振り返るということはなかったよね,ということで,2年前に被災時対応検討会という,民間で勝手にそういう検討会を作りました。次に何か災害があった時に,私たちこういうジャンルの違う人たち同士で集まって共有することで,何かできることがあるのではないかというのを1年検討してきたところで東日本大震災がありました。そこで出来上がって動いたのが,もう4日後にこの組織ができて動き始めていました。長岡市長はあとからやって来て,「よろしくお願いします」と一言言って帰られたという,本当に民が主導で動いたものです。「になニーナ」,私は総務調整役ということで,3尺玉ネットワーク時代から子育てのよろずや,というキャッチフレーズでやっていて,いろんなよろず相談を受けていたので,そういう調整役をさせていただきました。そして,長岡も,福島から避難されている方たちがその当時1,300人近くいらっしゃいました。その中でも福祉避難所というのを設けまして,妊産婦さんから80代の方たちまで,そういう福祉が少し,特別な配慮が必要な方たちを集めた福祉避難所の見守り,支援を市の方からお願いされまして,少しお手伝いをさせていただきました。1週間後には支援物資を持って仙台や盛岡の方にも,私は伺っております。ここの組織が動いてということですね。「になニーナ」は,本当に世代や地域や文化や分野や国籍を超えて,皆繋がっているのだよ,誰とでも,いつでも繋がることができる,出会いは身の丈,そしてピンチはチャンス,あれがあったお陰でこんな生活になっちゃった,ではなく,あれがあったお陰でこんな出会いに繋がったね,と言える,そんなふうにいろんな災害,いろんな困難を乗り越えていければな,と思っております。長くなりました,御清聴どうもありがとうございました。
 佐竹直子様,大変ありがとうございました。
 それでは続きましてパネルディスカッションに移ります。パネリストの皆様,どうぞ御登壇ください。
 それではこれからパネルディスカッションに移らせていただきます。ちょっと時間が押していますので,皆さんがお話しになりたいことが少なくなってしまうかもしれませんが御了承いただきますように,それでは佐々木とし子さんの方から,どうぞ御紹介も含めてお願いいたします。
 宮城県地域活動連絡協議会の佐々木とし子と申します。よろしくお願いいたします。時間も押していますのでちょっと早口でしゃべらせていただきます。私の方からは母親クラブと宮城県地域活動連絡協議会の活動・取組などを紹介させていただきたいと思います。「みらい」子育てネット全国地域活動連絡協議会は,北海道から沖縄まで,33都道県地域活動連絡協議会を会員として構成されています。その中には仙台市などの政令指定都市や中核市なども含まれています。宮城県内の母親クラブの活動ですが,「まちの子はみんなわが子」を合い言葉に,子どもたちの健全育成や子育て支援の活動を児童館を事務局として5つの柱に沿って行っています。世代間交流や人形劇,絵本読み聞かせ活動,子育て研修会,料理講習会,遊具点検や交通安全のための活動,機関紙の発行など,そのまちの特色を活かして活動しています。また,市や町の連絡協議会としての活動や,県の連絡協議会としての協働,地域の各種公共団体,子どもに関わる団体との協働,行政主催の事業やキャンペーン等にも積極的に参加・協力しています。宮城県内の母親クラブの会員は,主に児童館に登録している幼児クラブや,児童クラブの保護者,その先輩ママ,そして一般の方々などで構成されています。宮城県では7市,7町,36母親クラブが県の地域活動連絡協議会に加盟しています。県北ブロック,県南ブロック,青と赤の部分ですが,そのちょうど中央に位置する仙台市は政令指定都市となりまして,宮城県から独立して連絡協議会を作り全国に加盟しています。県の地域活動連絡協議会は,略して県地連と,私たちは言っています。県地連の働きとしては,市町村の単位母親クラブへ,国の動きや,今求められているニーズなどの情報を提供したり,それぞれの母親クラブが,地域の中で児童館を中心に行政や他団体と共同しながら,子どもたちへの健全育成活動がスムーズにできるような支援をしたり,資質の向上のための研修会を開催したり,県内の母親クラブのネットワーク作り,情報交換ができるような事業を展開しています。具体的に,事業その丸1として,全国一斉遊具点検,公園の安全点検です。全県の母親クラブで7月に点検を実施するほかに,県内の1か所をモデル地域に指定して,その町へ出向いて行って実施しています。行政担当課や子どもに関わる団体にも声かけして参加していただいています。事業その丸2としては,親子人形劇鑑賞会の実施です。子どもたちに優れた児童文化を生で味わってもらいたいということで,中央からプロの人形劇団を招いて実施しています。丸3は親子ふれあいコンサートです。母親クラブでは,孤立して子育てをしている親子を,母親クラブの楽しい事業や活動などに誘い込んで,仲間作りをすることで皆が子育てを共有でき,虐待防止の活動にも向けています。事業丸4では,母親クラブとしてのスキルアップを図るための各種研修会も実施しています。その丸5として,その他の活動ですが,「早寝,早起き,朝ごはん」の事業にも取り組みました。宮城県独自の早寝,早起き,朝ごはんの歌と踊りができましたので,そのキャラクターの早寝早起きマンの着ぐるみを製作し,踊りの動作がわかるようにビデオテープを作り,各母親クラブに提供しました。着ぐるみは今年も希望する市や町に貸出しをしています。御希望があれば申し出てください。
 さて,3月11日に起きました東日本大震災です。沿岸部は津波により壊滅的状況となり,母親クラブが所属する児童館もその被害を受けました。何かしなければと思いながら,何もできないことに焦りを感じていましたが,全国の地協や母親クラブからたくさんの励ましの言葉や支援物資,応援メッセージカード,義捐金など,心強い後押しを頂き,支援活動を開始しました。初めに6月,9月と気仙沼市へ支援物資を持参しながら,気仙沼市の5つのクラブがありましたが,その状況を確認し,また,県内の全ての単位クラブの被害状況も紙面により調査いたしました。そして,多くの子どもたちが震災の恐怖を体験し,様々な症状を抱えていることから,子どもたちに,夢や希望の持てる環境作り,安心・安全を届けられるように,今年度の事業は,「がんばろう宮城・子育て応援事業」と位置づけて,被害の大きかった地域,母親クラブでの実施といたしました。まず初めに研修会を開催いたしました。4月に予定していた,柴田愛子先生の研修会は9月に延期して,母親クラブだけでなく,子育て支援活動や子どもに関わる活動をしている団体にも声掛けをして実施しました。子ども達の笑顔に向けて,と(削除→題しまして),「子どもの心に寄り添うことはどういうことなのか」というお話を聞き,今後の活動の参考にすることができました。また,各種ワークショップなどを開催し,それぞれの会場に全国からの応援メッセージカードを展示しました。子育て応援事業として,人形劇鑑賞会を岩沼市で開催し,母親クラブの他に,(削除→こちらでも)子育てボランティア団体に協力も頂きました。子どもたちから,お返しの「ひょっこりひょうたん島」の歌と演奏があり,私たちは感動と,また頑張る力を(削除→子供たちに)逆に頂きました。下の部分が子育て応援コンサートです。大和町と涌谷町で実施いたしました。涌谷町は先週の2月4日に実施しましたので,ここには映像がありませんが,子育て親子から,幼稚園,保育園児,小,中,高校生,ジュニアリーダー,大学生のボランティア,入居しているお年寄りたち,障害を持った方々,母親クラブ,一般のお父さん,お母さん,教育長さんまでお出でいただきまして,多世代交流ができました。多くの方に笑顔を頂き,また,笑顔を届けることもできました。これは遊具点検ですが,全県で点検の他に,県地連のモデル地区として今年は塩竈市で実施いたしました。塩竈では津波の被害もありましたし,事務局の児童館は地震で傾き,使用できない状況でした。保育園の1室を間借りして児童館の運営をしていましたので,今回は保育園の遊具点検と園庭整備,ベンチのペンキ塗りなどをすることになり,塩竈市梅の宮母親クラブの他に,保育園児,児童クラブの子どもたち,保護者,保育園や児童館の先生方,関係担当課の職員,市長さんと,皆で活動することができました。
 最後に,全国の多くの皆様から,心温まる言葉や応援メッセージカード,支援物資,義捐金など,いろいろな形で御支援いただき,全国との繋がり,ネットワークを改めて感じました。また,そのことを支えにしながらも,なかなか思うような活動を今年度はできませんでしたが,これから長期を見据えて,地域の子ども達や,子育て親子などの支援活動,健全育成活動を続けていきたいと思っております。早口でしたが終わります。ありがとうございました。
 佐々木とし子様,ありがとうございました。震災活動を,支援活動も含めて活動紹介でした。
 それではどうぞ,松島PTA連合会の安土様,どうぞよろしくお願いいたします。松島町のPTA連絡協議会で御活躍いただいています。よろしくお願いします。
 皆さんこんにちは,松島町の親の1人としてまいりました。自分自身は松島第一小学校のPTA会長をさせてもらっています。また,仕事の方では松島町役場に勤め,財務課・財政班というところに所属しております。なかなか,松島町も,宮城県内の同じ沿岸市町と比べて被害は少ない方と言われておりますが,松島町としては大きな被害を被ったと,すごく強く感じています。その中で,自分自身が震災の対応に当たっていたということもあり,なかなか学校活動に目を向けることが少なかったのではありますけれども,少ない中でも,ちょっと関わって感じたことを,この場で述べさせてもらえればと思っています。
 松島町も,東日本大震災が起きた時は,強い地震の揺れの約1時間後に津波が押し寄せて来ました。第一小学校の校庭にも津波が押し寄せ,校庭はあっという間に湖のようになったのを自分も覚えております,子供たちはと申しますと,先生方の迅速な対応によりまして,小学校よりは高い位置にあります,幼稚園に避難をさせてもらっていました。そこで親御さんたちが迎えに来るまで,先生方が子供たちをずっと守っておりました。しかし,地震と同時にその場は停電になり,寒い,暗いといった状況が,夕方ということもあり,差し迫っておりましたけれども,たまたま第一小学校は新しい体育館をその当時建設しておりました。その建設をしていた作業員の皆さんたちが,幼稚園の方に発電機を運び,明るくしてくれ,そして,断熱材を運び,幼稚園の床が冷たくないようにしてくれ,そして,建築資材に火を灯し,暖を取れるようにしてくれました。本当に,先生方と一緒に守ってくれたその建設の作業員さんたちがいなければ,子供たちも親も心細く,そして,本当にどうしたらいいのかといった気持ちで,震災初日を乗り越えなければならなかったのかなと思っています。松島町は,停電の方は約5日間程度で復旧したと思いますが,断水の方は長く時間を要しまして,3月の20日過ぎだったと思います。約2週間断水が続きました。その中で,もちろん子供たちは学校へ行けません。大人たちと一緒に給水に並んだり,また,スーパーに,本当に多くの方が並んでいるのと同じように,お手伝いをしていたようです。そんな大変な中でも,学校の先生方は,自分自身が大変なことも省みず,給水所に足を向け,子供たちがどんな様子かというのを,ずっと見守っていた姿も自分自身,見ております。本当に,この震災を通しまして,人間というのは大変な時でも,お互いが協力し合って支えあうと。困難な状況を乗り越えていくように,向かっていくのだなと感じました。学校活動,PTA活動においては,特別な実施はしておりません。でも,自分たち大人が,この災害で改めて経験したチームワーク,支えあうことの大切さを子供たちに伝えていかなければならないのだなと,強く思っています。最後に,去年の11月でありますが,体育館の落成記念式典を,親主催で,学校の先生方の協力をもらいまして実施できました。子供たちには,皆を守ってくれた作業員さんたちが作ってくれた体育館なのだと。そして,これは大切に使って,ここでまた新しい思い出をたくさん作っていこうという話をさせてもらっています。その中で,また,震災から日が経った11月だったものですから,子供たちというのは,支えあうことの大切さを改めて認識したのではないかと思っています。また,最後ですが,一小の,生徒の中から親子で話そう家族のきずな,我が家のルール3行詩,に申込みをしました,4年生の西村サヤさんという子供さんがいらっしゃいます。その西村サヤさんが文部科学大臣賞を頂きました。その詩の内容は,申し上げます,「大津波,父さんの店を飲み込んだ,父さん負けるな,私が店を継ぐその日まで」といった内容です。1,000年に1回といわれますこの震災の経験を,改めて親と子の繋がりを強くしたのではないかなと,私は感じました。以上,短いですが終わります。ありがとうございました。
 どうもありがとうございました。御自身が松島町の行政に携わられながらPTA会長もなさっていてということで,生々しい震災後のお話も伺ったところでした。
 それでは短い時間ですけれどもディスカッションに移らせていただきます。安土さんからでよろしいですかね,何かご質問を上げていただきまして,お3人の事例発表の方々にお答えいただければと思っておりますが,いかがでございましょうか。
 すみません,長崎県の松崎さんの方に,ちょっと感想も込めて御質問申し上げます。長崎県の方では子供の成長とともに,親としての成長ということで,家庭教育支援の発表を聞かせていただきました。その中で,親学習プログラム,親が集まる機会を増やしていこうという,すごくいい取組だなと感じています。松島町の方でも,特にPTA役員を決める際には,お願いしても引き受けてくれる方がなかなかおりません。それはやはり,いろいろな会議に参加するのが難しい。昼間はもちろんですが,夕方の会議も7時までには帰って来られないというのが実情であります。こういった,長崎県で取り組んでいるような取組があれば,そういった,役員等の,引き受ける,引き受けないといった,こうした事例は起きにくいのかなと,私は感じました。親学習プログラムを通じて,横の繋がりがとても強くなるのではないかと。自分ができなくても,できる方が手伝っていけるような環境を作っていけるのではないかと改めて思いました。感想になりました,すみません。
 結構でございます。ありがとうございました。御自身が,やはり,役員をお引受けになって,ひしと感じておられる課題だと思いますけれども,松崎さん,いかがですか。
 ありがとうございます。おっしゃる通り,長崎の方も,やはり役員になりたがらないというところの学校も,やはりあります。積極的になる方もいらっしゃるのですが。ただ,このプログラム,NPのプログラムもそうですが,長崎ファミリープログラムにしても,このプログラムを広げていくことが,親同士の繋がりができるので,では,あなたがなるのであれば私もなろうかなとか,そういうふうな関係作りができてくるのかなと思います。だから,今後も,尚一層,このプログラムを各小学校とか中学校,もしくは,幼稚園とか保育園の時から繋がってもらえれば,保護者もどんどんどんどん上がっていくのかなという気がします。その辺は頑張りたいと思っています。
 ありがとうございました。時間がないので松崎さんだけにお願いいたしました。本当に,子育て支援が学校教育との連携もお話があったところでしたけれども,何より,地域で育てるといったときの役員を,皆さんが気持ちよくお引き受けいただいたり,その活動がうまく進みますようにということで,そこへの支援,そこを育てるということも必要ですね,また,お知恵をいろいろ頂きたいと思っております。
 それでは佐々木トシコさん,如何でしょうか。
 時間もないのでたくさん聞きたいことがあるのですが,簡単に。行政と団体が,本当に,長崎も名取も新潟の方もうまくいっているので,その秘訣を教えていただきたいと思います。よろしくお願いします。
 すみません,それでは,お1方ずつよろしいですか。では,今,長崎のお話がありましたが,中尾さんから。そして,松崎さん,佐竹さんと,お知恵を少しずつ御披露いただければと思います。よろしくお願いします。
 今,行政との繋がりということでしたけれども,やはり,私たちはあくまでも市民の方々,活動してくれる支援者の方々が,是非,自分たちのビジョンを持って活動できるような土壌作りをするのが行政側の役目かなと思っております。私たちがしていただきたいこと,そして,市民の方たちが支援者として活動したいことが,やはり,ぶれる時があるのですけれども,そういった時は,とにかく話し合って,何が一番保護者の方たちにとっていいことなのかというのを見失わずにやっていこうということで,とにかく話合いを密にすることをやっております。それと,予算とか,実際に活動予算を確保するということはどこでも行政は難しいところなのですけれども,そういったところの確保にも努力してまいっております。
 ありがとうございます。松崎さん,もう少し時間がありますから,ゆっくり話していただいてもいいかなと思いますので,よろしくどうぞ。
 すみません。子育て支援をしているボランティアの方にしても,例えば,我々行政にしても,やはり,目的というか,狙いは同じ方向を向いているのだと思います。PTA活動にしても。やはり,親の笑顔であり,子供の笑顔だと思います。その笑顔を見ることによってまた頑張ろうかなと。ボランティア意識で。例えば,予算がなくても別に,私は頑張れるよ,役員をやれるよという方々が出てきていると思うのです。今の,とにかく3・11の日本のこの状況を見ながら,やはり,自分が,お金があるからやろうとかではなくて,やはり繋がることによって頑張っていこうというのが出ているので,長崎のファミリープログラムにしても,アウトリーチ型の家庭教育支援にしても,将来的に予算がなくても何とか継続してやっていけるようになれればいいかなということは考えております。以上です。
 ありがとうございました。
 それでは佐竹さん,よろしくどうぞ。
 はい。永遠のテーマだと思います。実は10年以上前に,3尺玉ネット時代なのですが,助成金を頂いて行政との協働というのをテーマにさせていただきました。その時に結論として出したのが,行政と雖も,いろんなルール,縛りがあったにせよ,結局は人だ,というところで落ち着きました。普段からのコミュニケーションを大事にする。例えば民間の側だったら,用がなくてもそこに行ったらちょっと顔を出して挨拶していくとか,普段からのそういう,何気ないコミュニケーションをとったり,強みと弱みがそれぞれあると思いますので,そういうところをきちんと話し合って,どこまではできるよとか,うちはこういうのは得意だよというのを,お互いに話し合える関係性。そこで敵対関係になるのではなく,補い合えるような,そんな関係作りというのを心がけています。
 ありがとうございました。本当に,私どもはここで人との繋がりをつける,そのすばらしさとか,その意義はお話をさせていただきましたが,その支援をするためには,まず,行政と支援者とが繋がらなければならない,繋がりってあちこち大事なことだな,これもまたキーワードですね。永遠のテーマと言われるほどの大きな課題だと思います。
 それで,ここで私どもはまとめをしなければならないのですが,午後にまた分科会の報告がありますので,私のまとめはそちらに譲らせていただきますが,それでも,とてもすばらしい事例発表をお3人から頂きましたし,パネリストの皆さんからも貴重なお話を伺いました。それで,私も考えますと,やはり,子育て支援,家庭教育支援というのが,キーワード「希望」で始まりましたね。そして皆さんとの繋がりというような,行政の,長崎のNPの施策などというのも,その地域の実情に合わせた活かし方というのでお話もいただいたり,あるいは,佐竹さんのところでは,私どもより先に災害を受けられた,先輩格の活動をなさったというところのお話で,私どもがまた知恵をいただいたということがあったと思います。でもそこにはきっと,子供が真ん中にいるのですよね。たまたまこの間,卒業生が結婚の式に出てくれというので,私に招待状を持って来ましたが,仙台市の沿岸部の小学校で,ちょうど震災の日に子供たちを帰せなかった。小学校の教員だったのですけれども,だから担当する子供たちと,地域の人たちも非難されて来たのでそこでひと晩過ごした。400名の人と3つの教室,あるいは,プラスアルファの2つぐらいの教室で過ごして,食べるものも何もなく,皆もう水に沈んでいたのだけれども,救援が来られないのだそうです。たっぷり1階が水に浸かっているから。そこでひと晩過ごした時の感想を言って,今は仮の校舎で,まだ教員として活躍してくれていますけれども,「先生,皆,子供が明るいのです。だから私たちも救われました。そして地域の人たちも,そういう子供がいるから転居をしたくない,ここに住みたいと言っているのです。やはり子供の明るさは私たちが救われます」と言っていました。私どもは,支援者としてやはり子供が真ん中にいて,繋がって,そして,子供がやはり希望をもたらしてくれる。そして,多世代の人たちと繋がりをつけて,そしてこうした支援をすることによって,私ども支援者が力をもらえる,元気をもらえる,そして皆が幸せになれるといった事業なのですね。そんなことを確認させていただいた第2分科会でした。本当に,まだまだ拙いまとめですけれども,午後に少し実のあるものにさせていただけたらと思います。ちょうど35分,ちょっと過ぎましたので,この辺でこの分科会を閉じさせていただきます。皆様御協力ありがとうございました。
 本当に短い時間で,もう少しという思いがございましたが,猪平先生,コーディネーターを始め,事例発表の皆様,そしてパネリストの皆様,本当にありがとうございました。それでは,どうぞ降壇ください。
 では,以上をもちまして分科会2を終了させていただきます。このあと,昼食休憩を挟みまして,午後の開始は1時半,分科会4「親子の心のケアと周りのサポート」をこの会場で開催いたします。お時間になりましたら,再度こちらの会場にお集まりください。分科会3に参加される皆様は大ホールにお集まりください。尚,こちらの会場は飲食可能です。更に特別イベントといたしまして,「萩」においては早寝,早起き,朝ごはん実行委員会IN宮城による飛び出す紙芝居,アーリー博士とレイト怪人。そしてこちら「橘」においては,クラウンロック氏による,クラウンパパロックのマジックショーが行われます。皆様,昼食をお楽しみいただきながら是非御覧ください。予め食券を御購入された方は,食券をお持ちになり,「萩」入り口前のお弁当配布カウンターにてお弁当とお引き換えください。
 大変早口で申し訳ありませんでした。本日は御参加いただきましてありがとうございました。午後もよろしくお願いいたします。

お問合せ先

生涯学習政策局男女共同参画学習課家庭教育支援室

(生涯学習政策局男女共同参画学習課家庭教育支援室)

-- 登録:平成24年08月 --