資料2これまでの主な意見

これまでの主な意見(第1回~第4回)

本資料は、「学校教育の情報化に関する懇談会」における主な意見を事務局で整理したものであり、今後変更があり得る。

21世紀にふさわしい学校や学び、学校教育の情報化が果たす役割等について

  •  人は誰でも多くの能力を持って生まれてくる。子どもたち一人ひとりが、その能力を自ら発見し、磨き、それを通じて国内外の他者・社会に貢献することによって、喜びと糧を得ていくこと。そういう人生は一つの幸福な人生であろう。そうした人生を一人でも多くの子どもたちが歩めるような学びの場を創り、維持向上させることが、21世紀日本の教育の目的でありたい。
  •  情報化は手段であって目的ではない。しかし、21世紀の学びにとって不可欠な手段である。
  •  情報化だけを先鋭的に進めることなく、政策として、身体活動(たとえば手書きで書くこと)、スポーツ、外遊び、対面のコラボレーション活動、コミュニティでの共同の暮らし、その中での責任感や他者の心の痛みを感じる経験の醸成、その他、情報化では得られにくい活動を組み合わせて進めること。とくに、教員の責任範囲外での子どもの活動が子どもの成長に役立つような政策と組み合わせることが重要。
  •  児童生徒一人ひとりが自分で学び自分で成長できること、自分で考え自分で言葉を紡ぎ自分で実行する力をつけられること、自分で学ぶ力を身につけられること、自分の身の回り以外に広い世界があるのを知り、その世界と自分との関係を体験すること、自分の成長を自分で実感できることが重要。また、児童生徒一人ひとりに達成感を持たせ得る学びの場を設定することが重要。さらに、児童生徒同士のコラボレーションを重視すること、お互いに学び合い教え合い責任を持ち合うことのできる学びの環境を整備することが重要。児童生徒の能力は多様であり、その多様性が阻害されない学びの場であるべき。物理的な学校のキャンパスは、責任、軋轢、共感、直接のコミュニケーション、達成感の共有など、身体化・社会化・協働力の成長に役立つべき場であるべき。他方で、鍛える教育、繰り返し教育のミニマムラインを設定し、それより以上の鍛える教育を必ず行うことが重要。
  •  21世紀にふさわしい学校や学びが求められるのは、日本の国際競争力が、90年代半ば以降に著しく落ちているということに起因するのではないか。
     例えばPISA等の調査を見ても、90年代半ばまでは日本の教育水準が非常に高かった。その理由として、例えば数学の教育、それから、知識を詰め込んだり、いろいろなものを早く計算したりする能力が、当時の工業時代の産業構造にぴったりと一致していた。
     これからは、創造性、国際力、コミュニケーション能力になってくると思う。また、説得をするという交渉力も大事になってきている。こうした部分を補ってくるのがICTである。授業が終わっても、インターネット、バーチャルな空間を通じて自分の関心をとことん突き詰められるような学習体験をどのように提供するかも大事である。知識の詰め込みと、先生を頂点としたピラミッド構造、時間で管理するというものを体で覚えさせるとか、あるいは集団で何かをやり遂げるという、まさに工業製品のつくり方そのものが、ある意味で時代にマッチしていない。
     今の情報化時代に見合った形で、国際競争を勝っていける人づくりを行うべき。韓国、フィンランド、シンガポールでも行っているが、日本の議論では、国際競争力という面での危機意識が欠けているのではないか。
  •  韓国では、1999年から2001年のインフラ整備期(第1段階、)2002年から2006年のICT活用の普及期を経て、第3段階の学習の個別化、サービスの高度化に入っている。英国では、2003年頃から、すべての教室に電子黒板が入り、教師が手間無く活用できるICT環境整備、ICT活用の普及のための様々な条件整備を行っている。
  •  一国の教育システムの在り方の議論に関するかぎり、デジタル化ありき、という議論の仕方は厳に慎むべきであり、先ずは、児童生徒の教育の在り方についての、教育学、発達心理学等の観点からの評価が優先されるべき。その際に考慮すべきは、20世紀末より始まったデジタル化、ネットワーク化、ユビキタスネットワーク化の大波が、生活や産業、社会の在り方を根本的に変えてしまったという現実であり、教育もまたその対象から逃れることはできないことだ。「21世紀にふさわしい学校や学び」とは何かをこのような社会の枠組みの変化を前提にして追及し、一貫した能力定義のもとに、どのような能力の育成を、どのように行うべきかを考える時、デジタル化やICT利活用に関わる知識やスキルを必須の能力要件から除くことは考えられない。
  •  学校教育の情報化は、従来の、教師が教育コンテンツという対象を一方向で均一に講義してその習得を指導し、その成果を児童生徒が個人別にテストされる「放送型学習」を、膨大な情報が常時更新されて流通する21世紀に必要と定義される能力にむけて、児童生徒が自分に必要なものを発見するプロセスを対話とコラボレーションの環境作りを通じて支援する「対話型学習」にパラダイム転換する手段を提供するものでなければならない。このため、教科書・教材のデジタル化、情報端末・デジタル機器の導入は、新しい教育方法のパラダイムと連動している必要がある。教科書・教材のデジタル化や情報端末・デジタル機器の導入は、英国のBECTAや、韓国のKERISのような、デジタル時代の教育の戦略的推進を担い、デジタルなカリキュラム教材の研究開発や評価、教師向けの研修・情報提供・ニーズ吸収等を行う専門的な執行機関の設立を伴っている必要がある。
  •  「何のために学校教育における情報化を推進するのか」「どのような青年に育てたいのか」「どの程度導入するのか」等について、国から最前線の教員までイメージを共有できるものを整理し、提示するべきである。
     「世界に遅れるから」では理由にならないが、だから遅れてよいことでもない。教育は人間の幸福のためにあり、自立した人格を形成するためにある。コンピュータ等は所詮ツールであって、使用に当たって価値判断ができる人間形成そのものをスポイルする形(例えば、情報教育のために、その分道徳教育や体験の時間が減るなど)は望ましくない。しっかりと自分の頭で思考し、情報の洪水に翻弄されず、たくましく「ICTを使いこなせる人間」こそが、次の時代に求められているのだろう。教育者も共感できる高次元にバランスされた理念や施策を構築する必要がある。
  •  グローバル化が進む社会において,世界的な動向である「21世紀型スキル」を我が国の児童生徒に身に付けさせることについては賛成。しかし上記の立場は、そのまま我が国がこれまで行ってきた教育を単純に否定することではないと考える。児童生徒がICTを用いて相互啓発して学ぶ機会を保証することと同時に,今後も教員が児童生徒に確実に知識・技能を習得させること(歴史的文化遺産の継承としての学校の機能)も決して軽視してはならない。
  •  情報活用能力については臨教審の時代から言われてきており、学習指導要領にいろいろな形で反映されてきている。問題は、それが実現していないことである。例えば現行の教科「情報」が高校にできた。そこで学んだ学生が大学等に来て情報活用能力を発揮してきちんとできているかということが問題であり、現実的にできていないことをどうするかという議論をしないと、新しい21世紀型学力ということを強調しても変わらないのではないか。
  •  21世紀にふさわしい学びを可能とする観点から、情報基盤が21世紀型のスキルを学習者につけるために大事になってくるのは、学習者がどういうプロセスで学んでいっているのかという記録がきちんととれて、それ自体を研究者、教える人間、学んでいる人間自体が振り返りの材料にしたり、次の話し合いの材料にしたりすることができることにおいてである。これを視野に入れて考えていくと、かなりしっかりしたIT基盤が必要ということになる。
  •  補助線を引くとできる、というだけの学びではなくて、なぜそこへ補助線を引く気になったのかまで学び合うことが、ほんとうの学び方である。学びたい人間がみずから求めていくときに、ほんとうにその学びが生じる。わかった子どもが説明しても、ほんとうの学び合いは生じていない。情報通信技術を使って、上手に教室内のネットワークを使って、活性化できれば、これからの子どもたちとって大事な力をつけていくことができると思う。
  •  大学の卒業生はみな、答えが1つあるという大きな前提を持っており、早く答えにたどり着くことを争ってしまう思考体系が強い。企業はこれを現場で教えなければいけないのだが、もっと早くから日本の教育界においてこれをやってもらえると、企業の力になる。みずから問題意識を持って、みずから課題設定をし、あきらめずに探すような力をぜひつけてほしい。
  •  21世紀に求められる認知的スキルとして、OECD、メルボルン大学、シスコ、インテル、マイクロソフトは、Creativity and innovation,Critical thinking, Problem solving, Communication, Collaboration,Information fluency, Technological literacyを設定した。Goalを決めて遡るのでなく、学習者自身がemergent goalsを作り出しつつ追えるよう、学習のプロセスを詳細に記録して次の学習に繋げる評価を行うべき。
  •  21世紀学びサポートスキル(子どもたち同士のコラボレーションのサポート、参加型学習のサポート、自分で考え自分で実行することのサポート、児童生徒が自分で知識を組み立てていくことのサポート、正しい情報と間違った情報を見分けることのサポート、広義の情報リテラシー獲得のサポート、ICTを使う学び以外の学びとのバランスのサポート、その他)を身につけにくい教員についてどうすればよいかが課題。
  •  平成20年度「全国学力・学習状況調査の結果を活用した調査分析手法に関する調査研究」によれば、ICTは学力に影響する。具体的には、ICT環境は整っていると、授業でのICT活用の頻度が高くなる。また、授業でのICT活用頻度が高い(週に1回以上)と国語、算数の平均正答率が高くなる。
  •  「学校教育の情報化」は、デジタル化時代に通用する能力要件を満たすための学びを提供する総合的な環境整備が目的であり、教科書や教材のデジタル化や情報端末やデジタル機器の導入だけを切り出して目的とすべきでない。
  •  学校教育の中でICTを「バランスよく」「漸進的に」取り入れていく方策について研究するべきである。
     すべての学校教育をICTにより行わなければならないわけではない。例えば、現代の子どもたちは人と人とのコミュニケーション能力が低下しているといわれている。また、「バーチャル」ではなく「リアル」な体験をもっと積み、自然の息遣いを楽しむような感受性ももってほしい。このように、学校教育にICTを導入するに当たっては、「アナログ」な部分を含めた「棲み分け」をし、バランスよく取り入れていかなければならない。そのためには、教科の違いも含め、教職員の意見を尊重しつつ、研究者による研究が不可欠である。
  •  ディスカッション、協調学習によって、何が正しいかをお互いに表現し合って、吟味し合うような授業を、教員がモデレーター、マスターとして見て、この吟味を支援していくスキルとは、大変高いスキルが求められているということではないか。みんな違って、みんないいという話で終わるのではなく、吟味、レフェリーも必要だ。例えば0.9999・・・が1と等しいかどうかという話であれば、教員が実数とは何かがわかっていないと無理である。
  •  学校はトライ・アンド・エラーが実はなかなか許されない。例えば総合的学習で、子供たちにテーマを決めさせる。テーマを大体1時間ぐらいで決めないとやれないが、しばらく調べたらおもしろくなかったので、もう一度このテーマを考えてみようというようなゆとりがない。これからはクリエィティブな考えを持つ子供たちを育てていくべきなのではないかと教員は思いつつ、現実にいろいろな問題、いろいろな教科を抱えているので、もう少し整理をしていかないと、さらに負荷される、というようなイメージを持たれてしまうのではないか。
  •  世田谷区が特区として実施してきた「哲学と表現」では、深く考え自己表現することをねらいとしている。これを踏まえて考えると、教員には、多様な意見を導いて、その豊かさを子どもたちに実感させながら、話し合いを通したり、また再び調べることなどを通して考えを深めさせ、そしてまた自分の言葉で表現させるという役割を担っていただきたい。それを通して、深く考える力、プレゼンテーション能力も含む表現力、友人たちと話し合うコミュニケーション能力、問題解決能力を育てたい。その時々において必要な情報機器等は、もちろん子どもたちも使っていくわけであり、その支えとして、情報利活用能力も必要である。教員が、考え、表現し、多様な意見の中で議論し、再び自己の考え方を深めるという経験をしていることも重要。
  •  所得による教育格差拡大、PISA型学力の低下、就職内定率の低下、少人数学級への期待、先生の多忙化、共働き家庭の増加等の社会情勢、「生きる力」を踏まえ、OECDの21世紀型スキルを踏まえた機能・教材をデジタル教科書に求めるべき。
  •  まずは、学校で児童生徒が世界につながったインターネットを自由に使える環境を整える必要がある。決められた教材を決められた形で利用できるだけでなく、インターネットをツールとして使いこなすことができ、世界から必要な情報を得、世界に発信できる環境を整えるべき。
  •  図書館は、みずから課題を持ったときに行く現場である。学生・生徒が自分で何か課題を持ったときに、自分の足で調べに行って、問題意識を持って調べるときに、すぐ解はないかもしれないが、さまざまな文献を探りながら答えを探していくような習慣、学ぶ姿勢を、できれば初等教育のうちから早く身につけてほしい。そのためには、ICTを使った図書館のあり方について、物もプリントされた本かもしれないが、ICTを使って、もう少し若いうちから能動的に自分で課題を設定し、学んでいくような習慣をつけることも、ぜひ考えていただきたい。
  •  現行の教育の課題として、学力の格差がある。学習に十分に成功していない生徒をどれだけ引き上げるかということも、ICTを使う意義ではないか。ロサンゼルスでは、学校で電子カルテのようなシステムを運用している。具体的には、低学年でどこができなかったということを記録させる。上位学年の先生がこれを見る等の利用をしている。

デジタル教科書・教材について

(1)デジタル教科書

  •  デジタル教科書・教材に早晩移行することを念頭に置いた学習方法の開発が重要。また、デジタルの特徴を活かした教科書、学習材料の作成が重要。(映像、Hypertext、リンク、正しいデータへのアクセス、データの書き換え、その他)。そのためには、高速ネットワーク、校内無線LAN、使い勝手が良くアクセスしやすい軽量端末、使い易いソフトウェア、高度なセキュリティが前提となる。
  •  新しい機器が登場し、デジタル教科書もごく自然に子どもたちに馴染んでくる。デジタル教科書について、もっと国策として導くべき。
  •  三条市では、導入後2~3か月のわずかな期間ではあるが、教員からは、電子黒板等でデジタル教科書を使用した場合、セットに多少の手間はかかるものの、次のように学習を深める上で大きな効果があるとして極めて好評である。
    ・ 子どもが持っている教科書や「英語ノート」と同じものが電子黒板等に映っているので、教師が指導しやすい。
    ・ 音楽や動画などが児童生徒の興味関心を引き付けることに役立つ。
    ・英語指導においては、正確な発音で、楽しく授業を展開できる。
    ・視覚的な理解がしやすく、単語や文字を覚えやすい。
    ・集中力が続かない子どもでも興味を持続しやすい。
     今後、著作権などの課題を整理され、全ての教科においてデジタル教科書が使用できるようになることが望まれる。
     また、児童生徒が使用する個別端末の機能強化との関係でいえば、教員が授業で使用するデジタル教科書のソフトやシステムの開発の方が、学校としてのニーズが高いように感じられ、当面、こちらの方の充実を優先すべきではないか。デジタル教科書は5万円(1学年分。学校内フリー。)と高価であり、本来「教科書」として必須であるとの考え方をすれば、自治体間の格差を生まないためにも、教科書無償給与に準じて、国が購入し各学校に配付するなどの施策を検討すべきではないか。
  •  デジタル教科書で実現する3つの目標としては、
    1) どこに住んでいても世界中の知識に触れる機会を。
    2) 創造力、表現力、コミュニケーション力を育む最高の環境を。
    3) 友人、先生、家族とつながる手段を。
  •  デジタル教科書の機材が備えるべき条件としては、
    1) 小学一年生が持ち運べるほど軽い。
    2) 防水で、落としても壊れない。
    3) タッチパネル。
    4) カラー動画と音楽が楽しめる。
    5) 8ポイントの文字がしっかり読める。
    6) 無線でウェブサイトにアクセスできる。
    7) 学年別に全ての教科書が納まる。
    8) 作文、計算、お絵かき、動画制作、作曲・演奏ができる。
    9) 学校にいる間、電池が切れない。
    10) 2万円以下。
    が考えられる。
  •  学習指導要領に対応して検定され、採択を経たものを「教科書」と呼ぶという立場で、用語を整理すべきではないか。
  •  デジタル教科書・教材の積極的導入の目的は何かを明確にしたい。そもそも教科書の発行は、教科の目標の達成が主たる目的である。現行の学習指導要領には「21世紀型スキル」は記されていないのだから、現行の教科書をデジタル化することで「21世紀型スキル」が育成されると考えるのはいささか短絡的である。むしろ、現行の教科書をデジタル化することは教科の学力をより充実させるためと割り切ってはどうか。これは従来までの施策と方向が一致する。一方で「21世紀型スキル」を育てる教科等を設置することを前提として,その教科等で用いる教科書・教材、端末のあり方、学習活動のイメージを検討してはどうか。
  •  児童生徒に配布する形でのマルチメディアコンテンツを搭載された電子教科書には、以下のような懸念がある。例えば、動画等による問題の解説が豊富になることによって、自力で問題設定をイメージし、問題解く力は弱まるのではないか。抽象概念をとらえて現実問題にあてはめるメタ認知を育てることができるか疑問。現在の情報工学の技術では、論理性を正しく計測できるわけではなく、繰り返しドリルや動画による解説を載せたものにとどまるのではないか。
  •  メタ認知は、自分がやっていることについて見直して、それを伸ばすことができるという意味であるが、メタ認知の対象にしっかりコンテンツについて考えているプロセスがないと、振り返る対象自体がないことになる。
  •  デジタル教科書といった場合に、数学は、何も問題があって答えがでるというものではないと思うし、コンテンツそのものはまだ開発途上であって良いコンテンツが出れば、良い教育につながるのではないか。
  •  初めからデジタル教科書ではなく、委員会活動、クラブ活動のツールなど、日常的にコミュニケーションの経験をさせるために、情報端末を子供たちに与えるところから入っていってはどうか。
  •  デジタル教科書による授業の向上と学力向上のためには、多くの教師がデジタル教科書・教材の活用に慣れ親しむことであり、そのためには学校のICT環境(物・人)を格差なく100%整えることが最優先である。とくに普通教室における固定された電子黒板と電子黒板用専用PC、校内LAN、校内のICT活用全般にわたる人的サポート体制は最も重要であり、さらにそのような環境の中で利用するデジタル教科書・教材を購入するための予算措置が緊要である。
  •  デジタル教科書制作のねらいや方針として、以下の点を考慮すべきではないか。
    ・普通教室での電子黒板や50インチのデジタルテレビの仕様や機能などに対応できていること
    ・新学習指導要領の掲げる目標に対応し,基礎基本の定着とそれを活用した思考力・判断力・表現力(生きる力)の向上を目差した授業をサポートできること
    ・教師を取り巻く環境の変化(若年層教師群の増加,授業時数の増加と多忙化等)に対してや,また問題解決型の授業などを実施していく上での教師へのサポートができること
    ・特別支援を必要とする児童・生徒への指導を配慮していること
    ・表示、しくみ、機能などがデジタル教科書を初めて使う教師でも直感的に理解できるようなわかりやすさであること
  •  デジタル教科書・教材のもたらす効果について、学力、創造力・表現力、問題解決力等に分けて明らかにするとともに、その評価指標を形作るよう努めるべきではないか。
  •  デジタル教科書の機能・内容としては、文章読み上げ、辞書、ドリル・問題集・ワークシート等、教科書内容の説明や問題・課題などについての指示,説明などのチュートリアル、書込み、付箋などの標準ツール、拡大など,弱視や特別支援を必要とする児童生徒への支援ツール、音声入力、学習履歴、学校児童間の連絡やデータ更新のための必要な通信機能等が考えられるのではないか。
  •  デジタル教科書制作の実務上の課題としては、以下のものがあるのではないか。
    ・学校現場での利用範囲や利用ニーズは多岐に亘る。授業以外に,大小にかかわらず、研究会や研修会での発表、研究紀要や発表資料等への画面の掲載などである。また、発行会社にしても、それらを展示会での説明販促目的や教員研修会などでの教材としての利用がある。このような目的の利用においては利用許諾をとらずに制度化できないか。
    ・教科書に収載されている著作物でデジタル教科書への利用については、許諾を得られない場合がありうる。また、インターネットでの配信についても、許諾されない著作物もありうる。学校で用いる教材の中での著作物の利用においては、特例的に利用できる制度等の保証が望まれる。
    ・著作物の利用において著作者から、利用許諾条件として著作権保護技術(DRM)が施されていることが必須になることがある。これはコストの上でも、またときには運用上でも現場のICT環境の中で不具合を生ずることがある。教育目的ということで,この条件なども緩和できないか。
  • 児童・生徒用「デジタル教科書」のコンテンツおよびその端末については、以下のことに留意すべきではないか。
     教科書会社各社が編集した来年度用教科書やこれから作られる指導書や教材は新学習指導要領のねらいを達成する為に各社が長い年月をかけて努力・工夫して編集されたものであり、指導用のデジタル教科書もその教科書の流れにそって授業の中で活用できるようなつくりで開発が進められている。
     教師と児童・生徒が対面し、コミュニケーションをとりながら作り上げていく授業の質そのものが重要であり、その中で、教師と児童が、あるいは児童同士が頭や体をフルに働かせ、コミュニケーション活動を展開していくことが重要かと思われる。
     ただ、時代が要求する学力・能力の変化や,グローバル・ネットワーク社会での日本の子どもたちが将来,備えておくべき力が、コンピュータや専用端末の活用スキルやリテラシーに求められるならば、そのタイミングを計り、小中学校段階での児童・生徒用「デジタル教科書」の導入も予め、準備しなければならないだろう。
  •  児童・生徒用「デジタル教科書」を開発する場合の観点としては、以下のようなものがあるのではないか。 
     どのような目的やねらいで、どのような内容・仕様の「デジタル教科書」をどのように使い、使わせるようにするのか
    ・ 目的としては、学力の向上、情報活用力の向上,日本全体の児童生徒の学力の底上げ、伸ばすところは伸ばす、特別支援を必要とする児童生徒も等しく学習できる
    ・ 使いかたとしては、学校の授業で従来の教科書のように使うのか,家庭での自主学習のみにするか、その両方か
    ・ 内容面では、印刷物である教科書の構成要素のほかにどのようなコンテンツを、ねらいを達成するためにどのように組み込むか
    ・ ねらいと使い方に応じたツールやデータベースの用意
    ・ 本当に学力は向上するか、また使い続けた場合の体、情緒、姿勢、視力などへの影響の検証
  •  デジタル教科書の開発上・運用上の課題としては、以下の事項があるのではないか。
    ・ 機能・コンテンツの拡張性があるデジタル教科書について文部科学省の検定はどうなるか
    ・ 収載著作物の著作権処理や著作権保護管理(DRM)への優遇措置は可能か
    ・ ハード、ソフトのメンテナンスや保証はどうなるか,
    ・ 端末は学校管理か、ユーザー管理か 等
  •  「教科書の発行に関する臨時措置法」は「教科書」を「児童又は生徒用図書」と規定するとともに、教科書の末尾に「印刷者の氏名住所及び印刷の年月日」を記載することを義務付けているが、印刷物以外は教科書にすることができないのかどうか。
  •  デジタル教科書・教材にしろ、情報端末・デジタル機器にしろ、専用端末・機器の開発を想定しているのか。それとも市販の汎用端末・機器の活用を想定しているのかという点といつごろ教育現場に導入することを念頭に置いているのか。どのようなICT環境の下で利用することになるのかというのは、情報端末・機器の要件やスペックにも影響を及ぼすだけに、導入時期は重要な要素の一つであるのではないか。
  •  デジタル教科書については、現場教員、教科書執筆者の声を聞いて詳細の設計をすべき。また、デジタル教科書ビューアとコンテンツを独立させる(標準化)とともに、デジタル教科書(コンテンツ&ビューア)+デジタルノートで構成すべきではないか。
  •  デジタル教科書の活用は、日常的なICT活用を実現し、学力向上に寄与する可能性をもっている。教科書、板書+提示型デジタルコンテンツの活用では、授業スタイルは変わらない。新学習指導要領に対応した提示型のデジタル教科書の活用を普及させることが、授業でのICT活用を定着させることになる。
     他方、子ども用携帯端末+デジタル教科書の活用は、授業スタイルの変容を引きおこし、その効果は未知数ではないか。
  •  教員は、子どもたちにもっと勉強がわかるようになってほしい、子どもたちに自分で情報を見抜き判断し活用するようになってほしい、と考えている。保護者は、先生には子どもたちをよく見てほしい、学校の情報はもっとたくさん知りたいと思っている。
     また、学校の現実として、①ICT活用の効果は理解できるけど、私にはできそうにない(理解はしている)、②教員研修の時間は年間に数日せいぜい10数時間、さまざまな新しい研修内容がある(教員の多忙化)、③我が国の教科書の質は高い一方、学力差は極めて大きい(教科書の質と学力差)という状況がある。
     また、学校の情報化の現実として、①ハードルが高く、難しい機器は使いこなせない、②ICTの操作を研修する時間は十分ではない、③ICTで授業の方法を変える必要があるのなら対応には時間がかかる。
  •  教員の多くは一斉授業に慣れており、授業技術が脈々と受け継がれている。また、我が国の教科書は諸制度によりきわめて高品質である。さらに、英国の研究結果によれば、授業におけるICT活用には段階があり、馴染む段階が必要。日本の研究結果からは、教師に使いやすいICT機器を導入するところからスタートする必要があると考える。このため、1.一斉授業のスタイルを崩さない指導用のデジタル教科書から導入していく、2.授業で使われたデジタル教科書を子どもも持っている/家庭でも使えるようにする、3.デジタル教科書をプラットフォームにし、外部のデジタル教材等をそこにリンクする。その際,教科書の質を保証し続けるための対策を講じる必要があるのではないか。
  •  教育とデジタル化の関係では、世界で最も早く大規模にデジタル化の大波にさらされた米国の教育システムにおいて、最近「Distracted Students(情報機器の常時利用で注意散漫になる学生)」問題や「ディスプレイ中毒」問題が、真剣に議論されはじめている。
  •  「学校教育のデジタル化」に際しては、たとえば小学校期間には、一切、デジタル機器を教育現場に持ち込まず、中学校から一気にデジタル化を進めるとともに、高校以上については可及的速やかにペーパーレス化を含めた全面展開を行う、というようなメリハリの利いたアプローチが行われるべきではないか。
     インターネットがもたらしたのは、いつでも、どこでも学校で教えられるあらゆる情報コンテンツが入手できる世界である。しかし、それは、何をどう学ぶべきかを学び、学ぶべきものがどう変化しつつあるかを理解する能力、つまり持続的な学びのオペレーティングシステム(OS)を与えてくれるものではない。知のOSが出来上がっていない児童生徒に、膨大なコンテンツの入手スキルだけを与えるのは適切ではない。学びのOSの習得には、デジタルであるよりも、全人的な接触がありリアルとの接点を失わないアナログであるほうが、適切であると思われるが、それには、教育学的な評価が不可欠。その上で、デジタル化教育を受ける際には、デジタル化の技法だけを学ぶのは適切でなく、デジタル化の作法を同程度に学ぶ必要があることは言うまでもない。高校を一気にペーパーレスにするのは、デジタル化の経済性やグリーン性を実現するには、紙との並存では困難であるからである。
  •  教科書・教材のデジタル化を効率的に推進するためには(情報技術的な側面からは)、現在、情報技術のフロンティアで急速に開発普及が進行しているクラウド・コンピューティング技術を活用すべき。セキュリティ水準の高いクラウドサービスによるSaaS(Software as a Service)等によるアプリケーションやコンテンツの共同利用は、教育システム全体の費用を削減することに寄与するはず。デジタルな検定教科書や準拠教材は、できるだけ一貫性を持った形で集約され、国民がだれでも知っている基幹的な知識の体系を提供するものとなることが望ましい。教科書・教材コンテンツの多様性への要求は、(フィルタリングされるとは言え)インターネット接続と意見表明や批判を重視する教育手法によりいくらでも満たせるようになっているからである。
  •  国は、著作権等の法令の整備等の周辺環境の整備を含めて、自らが主体的に教科書のデジタル化を推進すべきである。具体的には、
    ・ 国は、教科書業界における教科書のデジタル化をまずもって後押しすべきである。
    ・ 国は、教科書会社が開発したデジタル教科書が、現在の紙の教科書同様、全国で使用されるよう「支給」方式をとれるようにすべきである。
    ・ 国は、掲示型デジタル教科書や児童生徒用のデジタル教科書を使用した授業方法の研究について、当面、紙の教科書を併用する形で、全国導入を前提として行うべきである。加えて、それらの成果が全国の現場の教員に普及していくよう計画的に研修・養成を行うところまで責任を持つべきである。
    ・ 国は、教科書のデジタル化に当たっての多年次的な計画(ロードマップ)を国民に示すべきである。
  •  特に学習技能を育む段階の小学校では、紙というメディアにも一定の高い効果が存在することから、「紙の教科書」と「デジタル教科書」との共存併用が現実的ではないか。

(2)デジタル教材

  •  授業の中で効果的に活用できる例題対応のシミュレーション的なソフトが不足している。明日の授業で使いたいと思ったとしても自作は困難。こうしたときに対応してくれる仕組みがあると便利である。教科内容を分かりやすく説明したり、児童・生徒が自ら操作して理解を深めたりすることに役立つ小さな単位のソフトを教員のニーズにあわせて開発し、流通させるべき。
  •  デジタル機器の導入や通信環境の整備のみならず、「教材(コンテンツ)の充実」がもっとも重要な課題となる。コンテンツの作成を現場任せにすると、現場負担がこれまで以上に増える懸念もあるので、標準的なコンテンツの供給や、優れたコンテンツの流通体制の整備が必要。ICT機器を使う教員の全員に対して、専門的な能力を求めるのは無理であり、ICTの専門的な理解なしでも使いこなせる機器の配備や教材の提供が望まれるのではないか。単に文字ベースの教材では、教科書を大きく超える効果は期待しにくいので、画像、特に動画を含めた教材が必要ではないか。具体的には、カリキュラムに沿った標準的なコンテンツの作成は集中して行い、そのコンテンツを現場に提供するとともに、現場で作成、改善されたコンテンツなどを集中管理して、自由に再利用できる環境整備が必要。
  •  わかりやすい本、難しくて初学者にはとても手に負えない本等があるように、コンテンツをきちんと選ばないと望んでいる教育効果が得られないので、どういう機器を選ぶかということ以上に、どういうコンテンツを整備すべきかということのノウハウ、経験をためていくことが非常に大事である。
  •  社会性豊かな青少年の育成や活字文化と民主主義社会の発展などを目的に、日本の新聞界も学校などで新聞を教材として活用する事業を全国的に展開している。OECDの調査でも「読解力向上に新聞は有効」との結果が出ており、デジタル時代においても新聞、新聞記事が教育・学習の場で広く利用されることが望ましい。新聞社が保有するデジタル化された情報資産に記事や写真のデータベースがあり、今年1月現在、新聞協会加盟の54社がデータベース提供事業を行っている。
     例えば、読売新聞社の学校向け新聞記事データベースサービス「スクールヨミダス」は、国語や社会、総合的な学習などの授業のほか、小論文・レポートづくりやディベートに備えた資料収集にも活用されている。明治7(1874)年の創刊から現在までの記事をオンラインで検索・閲覧することができる「ヨミダス歴史館」を使えば、史実がどのように報じられたかを通じて児童・生徒が近現代史の理解を深めることに資するものと考える。
  •  紙プリントの課題としては、採点に時間がかかる、筆順チェックができない、個人の習得度にあわせた学習が困難、多様な熟語学習が困難、といったものがある。他方、手書き電子教材では、自動採点機能、筆順を含めた正誤判定機能、間違えた漢字だけで出題する機能、授業時間内で十分な熟語学習が可能という特長がある。手書き電子教材によって、授業時間内に圧倒的な漢字力をつける実践方法が確立する。
  •  市の予算の都合で導入できるソフトウェアの種類に限りがあり、先進的な事例を参考にしたいが、内容によってはできない場合があるとのことだった。
  •  今までは教材を作り、切り貼りをし、拡大し、児童数の分をプリントし等々、多くの時間を教材の準備に費やしてきた。それが切り貼りや拡大等、多くの時間を節約でき、児童への発問や時間配分など授業の組み立て方に、節約した分の労力をかけることができる。
  •  言語分野が完全に整っていない発達段階で、理科・科学的な自然現象を掴ませる上で、視覚的な教材の効果は大きい。
  •  日常的に活用できるコンテンツが整備されていないのではないか。
  •  アナログとデジタルのそれぞれの良さをハイブリッド化し、トータルでの効用を増大させる視点が重要ではないか。
  •  単なる教材のデジタル化にとどまらず、学習環境全体をデザインする視点が重要ではないか。(Active Learning,電子図書館など)
  •  NICERは教育情報ポータルサイトの運営が中心、実績のあったNIMEは廃止され、中核的な機関がない。また、ICT活用による学力、情報活用能力の向上に関する継続的な調査研究等が必要。さらに、新しいテクノロジー、システム導入に関する実践研究プロジェクトの推進、評価等も行うべき。このような、政府と連動した教育の情報化に関する調査研究機関が必要。

情報端末、デジタル機器、LAN等について

  •  情報端末、デジタル機器、ソフトウエア、ネットワークアーキテクチャは、使いこなさなければ意味がない。児童生徒のプライベートなポートフォリオ作成・保存用ソフトウェア、画像、グラフ、表、映像などのコンテンツとその蓄積・利用方法が重要。
  •  1人1台の情報端末が必須。音声、映像、ペン入力、タッチパネル。目の疲れない/大画面のディスプレイ(一斉授業も大事。)教員側の端末も同様。メモ、ノートテイキング、個々の児童生徒への対応記録、個々の児童生徒のポートフォリオ維持管理、その他多様な仕事に対応できるソフトウェアも重要である。また、電動プロジェクター、超大型高精細ディスプレイが必要。
     ネット接続(有線、無線)。校内だけでなく家庭・地域コミュニティ・その他の地域のどこでもアクセスできる高速無線LANが必須。クラウドコンピューティングアーキテクチャ+シンクライアント端末。すべてのハード、ソフト、インフラに高度なセキュリティが保証されていること。技術革新のスピードの観点から、ハード、ソフト、インフラは消耗品とみなせるようにすること。 技術革新のスピードが速いので、各自治体・学校等の判断で機器の導入・メンテ・入れ替え等ができないといけない。そのためには、各自治体、学校等へのICT対応の権限と責任の移譲が必須。また、業界側でない自治体・学校等の側のICTコンサルタントが必要(こういう人がいないとコスト高になる可能性が高い。)
  •  デジタル教科書が稼働する児童・生徒用情報端末(ハード面)について、大きさはB5サイズ、LAN、ペン、カメラ、耐落下、防水を要件とし、教員を目指す学生世代の声を参考にして設計してはどうか。
  •  児童生徒が使用する端末(デジタル教科書を表示するもの、その他のもの)については、当面、国の中立的な研究機関のもとで、既存のいくつかの端末を試験的に全国のモデル校において研究し、ユーザー側である児童生徒や教職員の声を反映しながら、選択してはどうか。その後、企業とともに改良を重ね、より適した端末を開発することが適当ではないか
     。現在直ちに使用できる完全なる端末はなく、一長一短があると考える。この件は、産業界への影響が大きいことから、慎重かつ速やかに進めてはいかがか。世界のスタンダードとなるような教育用端末の開発が望まれる。
     携帯電話という、先進的な情報ツールを、日本ではほぼ遊びの道具にしか使われていないのではないか。学習ツールにうまく変えてくれるアプリケーションが作れたら非常によいのではないか。
     拡大提示の効果が十分に発揮されていない大型ディスプレイ、電子黒板の大きさになっているのではないか。(教室の大きさ、子どもの人数との関係)
  •  日常的なICT活用のための授業スタイルに即した、普通教室のICT環境整備が不十分ではないか。また、設置や配線の手間がある。
  •  平成21年度の補正予算で全国の多くの小中学校に、地上デジタル放送が受信できる50インチ程度のデジタルテレビや電子黒板等が配備されたが、まだすべての教室に普及したわけではない。また、校内LANの整備も100%に近づいたときいているが、複数の端末で一斉に動画を見るには、必ずしも回線の容量は十分ではない。平成20年度のNHK放送文化研究所の調査でも、「映像を通した学習への期待」は高い(小学校 87.9% )が、そのための環境整備は十分でないとして、「必要な時に、番組や映像ソフト、教材を取り出せるサービス」が今後重要という声が強い(小学校88.9%)。地上デジタル放送が受信できるアンテナ整備や大画面のデジタルテレビ等とあわせて録画機器や回線の整備を進め、教材を必要な時に取り出しやすい環境をつくることが、わかりやすい授業の実現につながる。
  •  情報端末・デジタル機器は、ノートPC、eブック、携帯電話、携帯情報端末、電子ブック等、多様な選択肢が出てきているが、可能なかぎり専用端末でなく汎用端末で、時代の情報技術より極端に遅れても、進んでもいない情報端末・デジタル機器を、標準端末として技術革新にあわせて変えていくことが望ましい。ただし、どのような仕様を採用するにしても、わが国の優れたユビキタスネットワーク環境を活用し、学校でも家庭でも教科書・教材を可搬的に利用できるようにするためにワイヤレス接続は必須である。また、将来的には、多様なセンサーや電子タグを利用可能とし、ネットとリアルの接点を絶えず確認する教育ができるような仕様を採用することも想定されて良い。
     いずれにしても、オンデマンドでクラウドサービスに適合する情報端末、デジタル機器であることが条件であり、このためには、i-Japan戦略の際に否定的な評価を受けた電子黒板も、教員用機器として候補となりうるのではないか。
  •  目的を明確化せずに導入に向けて突っ込んでしまうと途中で、一体何を目的として、費用対効果はどうなっているのかというトラブルが起きやすい。教育現場でICTを最大限利用していくことは、使い方によっては非常に効果を生むと思うが、果たして校務の軽減をして教員の負担を軽くするのか、教育効果を上げるために使うのか、教育効果を上げるとしたら、反復型の練習のために使うのか、あるいはコラボレーションのためのツールとして使うのか、あるいは論理的思考を養う目的で使うのかによって、使われる機器、教材も随分違ってくるかもしれない。
  •  いくら性能の高い自動車を開発しても、それを走らせる道路が未整備では意味がない。デジタル教科書・教材や情報端末・デジタル機器の開発・普及を促進させるには、ICT利用の環境整備が不可欠であるのは論を待たない。
     2001年から始まったe-Japan戦略では、普通教室における校内LANの整備率を2005年までに概ね100%とすることを目標に掲げたものの50%強に終わった。次のIT新改革戦略では目標達成の年限を2011年3月としたが、2009年3月時点で64%にとどまっている。韓国は2005年までに、シンガポールも2009年までに、いずれも100%を達成しており、日本は大きく水を空けられ た格好だ。この遅れを取り戻すだけでなく、全校に無線LANを整備するよう目標水準を引き上げるべきではないかと考える。ICT利用環境整備の具体的な目標設定とその実現に向けた工程表の作成は刻下の急務。同時に、過去の戦略期間中に目標が達成できなかった原因を究明し、予算措置のあり方も含めて今後の対策を明確に打ち出すことが求められる。

校務支援システムについて

  •  まず、21世紀の学びの場における教員の役割、教員の持つべき知識・スキル・経験のあり方を明確にしていくことが重要。教員の忙しさはどこから来るのか、個々の教員によって忙しさの内容にどのような違いがあるのか、校務書類の種類やフォーマットの問題、その他ICTを校務支援に本格導入して使えるようにするには、total system solution のための分析が重要。校務は非定型業務が多いため、教職員が本格的に使ってくれる校務支援システムのソフトウェア設計には工夫が要る。これを実施するには協力校が必要。本格的に協力してくれる学校があれば、校務支援へのICT導入の有効性は十分実証可能。
  •  校務にいわゆる「校務支援システム」を導入することは、教職員の負担軽減や、効率的でスピーディーな事務処理につながると考えられる。「校務支援システム」は、「グループウェア」の一種であり、教職員間の情報共有、児童生徒の成績管理・集計、通知表の自動打ち出しなど、時間の節約や効率の向上が可能である。さらに、不審者情報などPTAへのメール一斉配信や、養護教諭の日課となっている児童生徒健康観察・出欠確認の集計も、スピーディーにできる。国には、国民サービスの一環という観点からも、導入に際しての財政的な支援を望むとともに、システムの平準化や全体の費用の面からも、地域情報プラットフォームの教育版をつくるなどの、先導的な役割も期待する。
  •  ICTで支援する対象は教職員で、一人1台のPCとネットワーク接続環境が望ましい。多くの学校は、教職員の数から考えて、企業でいえば零細企業または小規模な企業に相当するが、企業でのICT利活用を考えると、かなりの大企業でないとICTの専門家を設置できずに、その利活用が遅れる傾向にある。学校も同様で、校内のメンバーだけでICTの利用を進めようとしても、教職員の負担が多いのに対して、効果は上がりにくいと考える。したがって、地区毎に専門メンバーを配置するなどにより、複数の学校のICT化を一括して進めるなどの方策が有効と考える。同様にクラウド・コンピューティングなどの利用も考えられる。
     そうした、共同利用において重要なのは業務の標準化である。これまで手作業で行っていた校務は、各学校で異なるやり方を採っていてもまったく問題がなかったが、コンピュータ処理で異なるやり方を残すと、複数のやり方に対応するソフトウェアの開発が必要となるため、開発に長期間を要するだけでなく、経費も高額となりやすい。したがって、可能な限り業務の標準化を図った上でコンピュータ処理に移行する必要があるが、そのためには現場の理解と了解を取り付ける必要があるので、その点の配慮が重要となる。
  •  校務用コンピュータ整備率による格差がある。グループウェア等、校務の効率化、教育の質の向上まで視野にいれた整備となると、さらに大きな差がある模様。
  •  校務の情報化の目的が十分に理解されていない。自治体への「教育の情報化に関する手引」の内容周知が必要。質の高い学校経営(教師力向上も含む)をする上で、校務の情報化は欠かせないことが理解されていない。
  •  情報化の進展に合わせた国レベルでの校務システム開発への手つかずにあるのではないか。
  •  韓国では、KERISが全国共通の校務情報システム、NEIS(National Educational)を開発、地方教育委員会が管理、運用している。他方、英国では、SIMS(School Information Service)から、学習支援と校務全般を統合したLearning platformへ、地域、学校単位で運用している。我が国においても、国が定める指導要録等の公簿や、全国共通で管理すべき学校データを効率的に処理できるシステムを国レベルで開発し、教育委員会が管理運用してはどうか。
  •  教育委員会に任せると格差が出るので、ICTの基盤部分をクラウド化、SaaS化してコストを10分の1,50分の1に下げるべき。
  •  校務に伴う事務的な作業や雑務の煩雑さが、本来の教育に割くべき時間を奪っており、繁忙感を訴える教員が大多数。学校教育の情報化は、本来の教育のデジタル化に割く時間を捻出するためにも、校務の情報化を車の両輪として推進すべき。校務の情報化を、できるだけ費用を切り詰めて推進するためには、教育のデジタル化同様、クラウド・コンピューティングとSaaS等によるアプリケーションやコンテンツの共同利用による推進が不可欠。
     校務の情報化の推進においていまひとつ重要なのは、個人認証基盤の確立である。校務の情報化は、学校における教員の事務や雑務の情報化にとどまるものでなく、教員と児童生徒間、教員と学校間、学校と教育委員会間、教職員間を越えて、教員と保護者間、学校と地域社会間等の多様なコミュニケーションのシステム化が不可欠。その際に常に問題になるのは、安全・安心な個人認証基盤の確立である。現在、政府では、新たな国民ID基盤の確立に向けての動きが生まれつつあるが、校務の情報化を経済的に進めていくためには、この動きと歩調を合わせることが有効。また、現在、電波の新たな利活用のビジョンが検討されつつあるが、そこで検討課題になっているホワイトスペースの活用が、教育のデジタル化や校務の情報化をより経済的で、豊かな表現力を持ったものにするのに寄与する可能性がある。
  •  校務支援システムについて、クラウド・コンピューティング等のシステム、体制の在り方を検討するためには、特に管理・運用等に長けた人材を有しない小規模の教育委員会を対象とした試行が必要。また、試行等の事業を実施する場合には、これまでは応募できなかったような小規模な教育委員会を対象とすべきではないか。

児童生徒・教員等へのICT教育、教員へのサポートについて

(児童生徒へのICT教育)

  •  ICTを基盤とした情報化社会そのものに対応する教育が、従来に増して必要となりつつある。対象は児童、生徒で、教育の目的は情報を利活用する能力の向上。単にPCを使いこなすという操作能力向上や、セキュリティに対する注意にとどまらずに、情報の取得、蓄積方法、分析技術、発表方法など、コンピュータ利用の有無にかかわらず必要となる、一連のコミュニケーション方法、情報活用方法を中心に教える必要がある。
  •  英国では、2000年にICTという教科を作った経緯もある。従来の授業のスキルに加えて、ICTを入れて活用して高次の学力を育成することは相当の負荷であるので、学習指導要領の中に情報教育の内容を体系的に配置し、カリキュラムとして明示すべきではないか。
  •  「21世紀型スキル」の育成は全教科・領域等で行うという方針では、責任が分散してしまい、現状の教育とあまり変わらないという結果となってしまうと予想する。本懇談会が描くICTをツールとして用いる「21世紀型スキル」の育成を主として担当する教科等の設置を提案する。
     具体的には、高等学校では現段階でも必履修となっている教科「情報」の拡充が最も近道であると考える。中学校段階では現在、技術・家庭科の技術領域において情報教育の内容を学習しているが、技術・家庭科には当然教科としての目標があるため、その範囲から抜け出すことは難しい。「21世紀型スキル」の育成を中心とした教科等の設置が必要である。小学校段階では現在,情報教育を主として扱う教科等は設置されていない。中学校同様、「21世紀型スキル」の育成を中心とした教科等の設置が必要である。特に小学校では、ICTの基本的な操作だけでなく、各教科でも長期的に役立つ思考技術の獲得に重点を置くべきである。課題となるのは、この教科を担当する教員の養成である。教員養成制度の見直しと連動させて検討する必要がある。教職大学院等において集中的に育成し免許を付与する方法も考えられる。
  •  情報の取得、蓄積、分析、自分で意見を発表していくようなコミュニケーションの方法まで含めた広い意味での情報教育を早い段階から行うことによって、他の教科の思考力を養うことの助けにもなるのではないか。
  •  スキルを身につけた上でそれを活用してどんどんそれを応用していくというところのベースを小学校段階からしっかり教えるべき。総合的な学習の時間、もしそれが難しいということであれば、そこを特化した学習を教科として設置すべき。
  •  ICTの影の部分に対する「臆病なくらいの警戒」を怠らないことが必要である。インターネットに接続せずに情報化を進めることはできない。しかし、現在のインターネットは、子どもにとってあまりにも危険な無法地帯である。また、ICTがもたらす悪影響についての研究も十分ではない。そこで、学校教育への導入に際しては、教育方法、フィルタリング、情報リテラシーなどついて、十分、十二分な研究が必要である。

(教員へのICT教育)

  •  現場を預かる教員にICT導入の本意を理解してもらうことが重要。
  •  機器の使用法だけでなく、従来の教育法と並行して、デジタル世代の児童生徒の学びのサポートを重視する教育法を導入できるかどうかがカギ。
  •  児童生徒のICT教育、情報の扱いに対する責任など広義の情報リテラシー教育は、OJTで基本的には可能。
  •  教員のスキル養成(デジタル・スキル、21世紀学びサポートスキル)が必須。教員のICT教育が課題。21世紀の学びの場に適応できにくい教員のスキル養成が課題。
  •  ICTの利用は、コミュニケーションの効率を飛躍的に向上させるが、これらの情報利用のための基本教育を行うにあたっては、デジタル機器の導入が必須というわけではない。むしろ体系的にこれらの教育を実施する教材の整備や、それらを使って教育を出来る教員の育成に重点を置く必要がある。
  •  教員養成の段階では、ICTに慣れる・親しむ、活用してみるくらいの基本的な事項を体験してから教員になってほしい。そうした制度も検討すべきではないか。
  •  現職教員のICT活用指導力を向上させても、4月になるとICT活用指導力が不十分な新任者が就職してくる。また、コンピュータを日常的に活用していても、教育における利用に否定的な考え方をもっている新任者が多い。このため、教員養成段階におけるICT活用指導力向上の対策を教員養成系大学は実施すべき。特に、教育実習でICTを活用した指導を経験させる。
     また、コンピュータ等の活用に対して否定的な考え方を有している学生の意識改革を図るべき。教員養成学部(附属学校を含む)の教室に大学としてのICT機器・ソフトを整備するとともに、小中学校と同様の機器・ソフトを体験できるよう整備するべき。
  •  これから教員になる人材へのICT活用指導力の養成(教員養成)が課題。現職教員へは、研修よりもむしろサポート体制の整備が鍵ではないか。
  •  ICTに関するスキルは、予想以上に身についている教師もいるが、個人の努力によって実現されており、学校としての組織の中で育まれたものではないのではないか。 23
  •  教員の研修は、とりあえず「情報」を担当する教員だけでよいのではないか。
  •  学校、教室のICT環境整備や教員研修においては、教育CIO補佐官の役割が重要であるが、人材が不足している。また、学校を支援する専門職としてのICT支援員の配置が必要。学校の情報化(ICT活用、情報教育、校務情報化)の推進のために、学校の管理職(学校CIO)の意識を変える必要がある。

(教員へのサポート)

  •  座学でのICT教育もある程度必要だが、常時開いているICT相談窓口が各校にあることが重要。そのための人材はたとえば技術系リタイア世代等に依頼(市立○○中学校ICTアドバイザー等)も考えられる。
  •  21世紀学びサポートスキル獲得の支援、日常的な技術相談等のための物理的相談窓口、ネット相談窓口の整備が重要。
  •  サポート体制に関する文部科学省のモデル事業の成果が一般には全く知られていないため、教育委員会、校長等を対象とするシンポジウムを全国8箇所で開催して、各モデル事業がどのように取組み、どのような成果をあげたのか公表したり、分科会によりテーマ別に、参加者からの質問に対応し、情報交換したりしてはどうか。
  •  児童生徒、教員、教育委員会、保護者等、学校教育の情報化に関わるステークホルダーに対する適切なICTリテラシー教育が重要である。これは、教員が片手間でできるものではないため、何らかの形で、学校教育の情報化の技術的な側面と、関連するステークホルダーのICTリテラシーの向上を専門的に支援する教育ICTコーディネーターにあたる職種を、わが国の教育制度の中に確立する制度的・予算的枠組みを導入することが、真に21世紀にふさわしい学校や学びの実現には必要。
  •  環境整備とあわせて、学校ICT支援員の配置など教員へのサポート体制を整えることがまず必要であると考える。安心してICTを活用できる環境を実現した上で、授業でICTを活用できる教員を養成する仕組みが必要である。 現在、教員免許取得には「教育課程及び指導法に関する科目」で「教育の方法及び技術」が位置づけられているが、教員免許資格を取得できる大学でこうした講座を充実すること、法定研修である「初任者研修」や「10年目経験者研修」の中で、ICT活用指導力向上のためのプログラムを充実させることが必要。
  •  「ICT推進支援員」は、日常的には、パソコン教室のPCの動作確認、教職員への操作指導、ソフトウェアのセットアップ、機器やネットワークのトラブル復旧、ホームページの更新、授業の事前準備・補助などを行っており、今後の情報化の推進には欠かせないと考える。今後継続して雇用し、より専門性に相応しい処遇を行うためにも、国に、財政的な支援を望む。
  •  九州工業大学で情報教育支援士を養成し、称号を与えているが、「情報教育支援」を新たな雇用創出として確立できていない。このためには、教育CIOの指導力が必要。ICT支援員養成のカリキュラムが確立されていないのではないか。
  •  ICT支援員の正規雇用のための制度化はできないか。

その他

(特別支援教育)

  •   特別な支援が必要な児童生徒のためのICT機器の活用は、教育的な意義はもとより、「福祉政策的な観点」をも併せもつものであり、彼らが将来自立した社会生活を営むために必要不可欠なものである。
     また、特別な支援が必要な児童生徒のためのICT機器の発展や教育技術の進歩は、障がいのない児童生徒にも大いに有効であることは、現場の教員から指摘されている。(教育のユニバーサルデザイン化)
     さらに広げて、授業のみならず、入学試験等でも一定の合意のもとでICT機器を使用できるようになれば、社会全体のノーマライゼーションの進展に大いに貢献する。
     国においても、児童生徒が使用する端末を含め、特別支援学校や特別支援学級等におけるICT機器やソフトの充実にかかる施策を、優先的に行っていただきたい。このことは、通常学級の情報化の推進のさきがけとしての意義もある。
  •  国は、特別なニーズのある子どもたちに関する情報化については、提言1で述べた国家プロジェクトの中の主要な一部門とし、国立研究所などを中心として企業なども参加する「シンクタンク」を設けることにより、汎用的なものから特殊なものまでをカバーする、総合的な開発・供給体制を整備するべきである。
     機器等の開発を学校現場の教職員を中心とした地方の教育関係者だけで行うことには限界がある。また、企業などの製品もコストの面からより汎用的なものが中心にならざるを得ない。特別なニーズのある子どもたちの教育における情報化にあたっては、国によるプロジェクトにおいて、責任をもって研究・開発し、提供できることが最良の方法と考える。
  •  特に特別支援教育については、個別指導計画にオーダーメイドで対応できるコンテンツを提供できる仕組みが必要ではないか。

(支援方法等)

  •  我が国では、例えば、プロジェクトを3年たったら終わりなどと、戦略性がなかった。国でしっかり予算をつけて、長期戦略でやっていくパッケージをぜひ持つべき。
  •  我が国全体の学校教育の情報化を、整備の目標を設定しつつ総合的に推進するためには、地方自治体が着実に整備を進められるよう、国が有効な財政支援策を行う必要があると考える。その手法の一つとして交付税措置が考えられるが、これまでの類似の政府目標(例えばe-Japan戦略)が未達成に終わっている例からみても、最良の方法とは言い難いのではないか。そこで、自治体間の差を生まないためにも、「学校教育情報化のための条件整備」に目的を特定した国庫負担金ないし交付金を創設する方法を検討してはいかがだろうか。あるいは、教材整備や図書整備なども含め、市町村における学校教育条件整備を包括的に目的とする「教育一括交付金」を創設する方法も考えられる。
  •  市町村長は経常経費に対していつも頭をめぐらせているので、初期費用に対する措置よりも、例えば、ソフトであれば一括のパッケージ化による支援を目指していくことも考えられる。
  •  国は、学習指導要領の中で情報教育を体系化、全国共通の校務システムの開発、人材育成(教育CIO、CIO補佐官、管理職)を行い、地方レベルでは、教育一括交付金等で、学校・教室のICT環境の醸成(導入するテクノロジーの選択)、地域・学校カリキュラムを担当すべき。
  •  国家としてすべての学校や子どもに必要なものは、国において予算を確保し、責任をもって研究・開発し支給するべきである。
     具体的には、現在あるものでは教員、紙の教科書などが該当するが、今回の情報化に当たっては、教師用のデジタル教科書の開発援助・条件整備・学校への支給、児童生徒用デジタル教科書の端末の研究開発・支給などが想定される。その際、デジタル教科書の現場への投入方法については、現在のようにCD等によりソフトを各学校で入手して使用する方式では、その後の更新やメンテナンスなどに個別に経費がかかり、国全体として予算がかかりすぎる。
     したがって、クラウド・コンピューティングにより、各学校からダウンロードし、更新できる方法を開発すれば、国全体での相対的な費用の効率化と、学校現場の負担軽減につながる。また、国も学校に渡しっぱなしではなくその後のメンテナンスも含めて責任を持つことが前提となる。
     また、いわゆる「校務支援システム」についても、国で統一化又は標準化を行った上で、クラウド・コンピューティングにより自治体・各学校に提供するようにすればよい。基本的には、各自治体が自分たちの工夫により開発すべきものと思うが、その開発の費用、手間、ランニングコスト、職員の対応のスムーズさなどを国家全体で考えるとき、いかにも無駄が多い。もし、自治体が独自の工夫をしたいときは、交付金の「提案事業」に余地を残すことも可能ではないか。
     さらに、「ICT推進員」等も学校等のスタッフとして検討されてよい。
     加えて、特別支援教育にかかるシンクタンクの創設も必須と考える。
     国として全国どこでも安定して使用できるようにすべきものは、国において実施し、思い切った統一化又は標準化を図ることが、結果として地方独自の工夫を伸ばし、国家財政の効率的な運用につながると考える。
  •  インフラや周辺のハードやソフト(デジタル教科書を除く)のようなものは、国において「教育版一括交付金」を創設して地方自治体にまかせ、自治体の多年度にわたる計画的な整備を後押しするべきである。
     具体的には、従来の地方交付税の手法により、地方自治体まかせにしていては、結果として国が期待するようには進まず、自治体間格差が広がるばかりである。
     特に、教育と福祉の充実施策は、一度始めたら後戻りがしにくいため、後年度の財政負担を増大させる懸念が生じ、思い切って行うには勇気がいる。一方、多くの地方自治体(県・市等)では、近年の耐震化による補強工事、建て替え、統廃合計画の真最中でもあり、国の補助を頼りに、借金をして学校施設の充実を図っているのである。そのような中で、インフラの整備やハード・ソフトをさらに整備することは、極めて自治体ごとの事情が異なるので、国は、一定の水準を示しつつそれに達するよう、財政的な支援を計画的に行うべきである。地方自治体で整備すべきものについては、複数年度にわたって整備しやすいような形での教育版一括交付金(「まちづくり交付金」の教育版)を創設するべきである。そうすれば、各自治体がインフラやハード等の整備などを計画的に行うことができ、自治体ごとに整備する年度が違っても、結果として全国的に均(なら)される形になるだろう。
     高等学校や大学等における情報化を優先的に急ぐべきである。特に、特別なニーズのある生徒・学生への対応を含め、就職までを見越した総合的な推進を図るべきである。そのためにも、国立大学法人、都道府県、学校法人などへの助成を別枠で行うべきである。
     長期的な観点から、義務教育段階の子どもの学校教育に情報化を推進することは意義があるが、まもなく社会で活躍するであろう大学生や高校生等に対するICT教育は、今度数年から10年間の我が国にとって、「必要不可欠な投資」である。また、我が国の特別支援教育では、選抜の現実や「自己責任」との考え方がより深いからか、高等学校や大学等における支援が十分とは言えないようである。諸外国と比較しても、授業や試験における要支援学生のICT機器の持込や使用などへの配慮が足らないとの指摘もあり、結果として我が国の特別な才能をもつ若者などの活躍を狭めているともいわれている。国は、予算上の裏づけをした上で、以前より強制力を持って指導すべきである。
  •  まずモデル校を選定してICT導入を進める方法がある。
  •  2009年度の補正予算によって、学校現場には電子黒板をはじめとしてICTが導入されたが、残念ながらその整備は十分な計画に基づいたものではないことが多いため、教員にとって使いやすい状況を確立する必要がある。また各自治体の教育委員会ではさまざまな教育課題を抱えており,教育の情報化に関する明確なビジョンを持つことが難しい状況がある。
     このような状況の中で教育の情報化を確実に成功させるためには,国が直轄の予算付けを行うことと同時に、整備指針の提示や整備のコンサルテーション、活用イメージの提示、Best Practiceの収集と開示等を担当する全国組織として「教育情報化推進機構(仮称)」の設置が必要である。これは、英国におけるBECTA、韓国におけるKERIS等の組織に相当する。

(その他)

  •  教育の情報化はいったい何のためにやるのか、戦略・戦術を明確にすべき。国としてどのような人材を作るかを明確にした上で、何を使ってどのようにするかという具体的方策を導くべき。
  •  本懇談会では、中長期的に行うべきことと同時に、初期段階に何をするのかを考えていくべき。
  •  本懇談会では、まずは、次のことについて結論を出してはいかがか。
    1.情報化の意義、具体的イメージをまとめること。
    2.国を挙げて本格的に取り組む姿勢を示し、具体的な組織を提案すること。
    3.克服すべき主な課題を共有すること。
    4.平成23年度予算編成に向けて当面早急かつ実効性のある財政施策の方向性を出すこと。
    5.教科書のデジタル化に必要な施策を開始すること
  •  国は、多年度にわたる国家プロジェクトを立ち上げるべきである。そして、専任のセクションに官民から人材を集め、研究プラン、整備プラン、ロードマップ等を国民に示し、関係者がイメージを共有して有機的に協力できるようにプロデュースするべきである。これだけの大プロジェクトを、比較的短期間に、多様な関係者が、効率よく検討・実施し、着実な成果を挙げるためには、国がこれまでにない強力なリーダーシップを発揮しつつ、関係者が一堂に会して長期的な組織づくりを行う必要がある。
  •  コンセンサスを得て、政策の具体的な目標を定めるべきではないか。
     (例)20XX年までに世界一のデジタル教育環境を整える。
     20XX年までに全小中学生にデジタル教科書・教材を行き渡らせる。
     20XX年までに小中学校のカリキュラムの○%でデジタル教科書・教材が使われる。
     また、学校教育の情報化を進めるための政策マスタープランを形成すべきではないか。そのパッケージには、予算措置、民間支援措置、法制度手当て、推進機関、実験・トレーニングプログラム等を含むとともに、ロードマップを描くべきではないか。
  •  本施策は、学校のみならず、家庭、地域等との連携のもとに進めるべきではないか。このため、社会全体の理解を得るための普及啓発活動に力を入れるべきではないか。本施策は、教育分野のみならず、医療情報化、行政情報化等の施策と連動させつつ進めるべきではないか。このため、IT政策、知財政策、科学技術政策等との連携を強化すべきではないか。
  •  学習支援としてICTを児童生徒が享受できるようにするには、地域の学校を統括する立場にある、県や市の教育委員会が情報教育の方向性を明確に示す必要があるのではないか。
  •  指導主事が配置されていない小規模な市町村教育委員会の多くが、教育の情報化のビジョンを持つことができず、機器等の導入のみで終わっている。結果として、その地域の校長会、学校も教育の情報化から疎遠になっている。これらの地域は、機器導入業者の提案だけを頼りにしていることが多い。複数の小規模教育委員会、校長会、その地域の大学等から校正される情報化推進コンソーシアムを構成し、教育の情報化の具体的な方策をたて、実行するべき。このコンソーシアムには、文部科学省から専門家をアドバイザーとして複数回派遣する。また、学生がICT支援員の一部の仕事をボランティアとして担うべきではないか。
  •  ICTを進める上では、ハードウエア、ソフトウェア等について民間企業に頼る部分が大きい。メーカーと学校現場がWin-Winの関係で流れていくガイドラインが作れないものか。
  •  不登校児童、生徒には、e-learningによる家庭学習のために必要な要件の整理が必要ではないか。

(以上)

お問合せ先

初等中等教育局情報教育・外国語教育課

(初等中等教育局情報教育・外国語教育課)

-- 登録:平成22年08月 --