検 定 意 見 書
受理番号 12-34 | 学校 中学校 | 教科 社会 | 種目 社会(歴史的分野) | 学年 1・2 |
番号 | 指摘箇所 | 指 摘 事 項 | 指 摘 事 由 | 検定基準 | |
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頁 | 行 | ||||
1 | 口絵![]() |
4 − 5 |
イタリアよりはるかに早い、日本のバロック美術といってよい。 | 歴史的背景の違いを踏まえずに、鎌倉美術とバロック美術の出現の時期を比較できるかのように誤解するおそれのある表現である。 | 3-(2) |
2 | 6 | 27 | 歴史は科学ではない。 | 説明不足であり、また前後の文章との関連も不明確で理解し難い。 | 3-(2) |
3 | 7 | 15 − 16 |
イギリスの歴史教科書では、今でもワシントンの名前は書かれていないか、反逆者として扱われているかのいずれかである。 | イギリスの教科書が一般的にワシントン個人をこのように扱っているかのように誤解するおそれのある表現である。 | 3-(2) |
4 | 24 | 4 − 7 |
大陸の農耕、牧畜に支えられた四大文明はいずれも、「砂漠と大河の文明」と名づけることができる。それに対し、日本列島では、四大文明に先がけて・・・「森林と岩清水の文明」があった。 | 四大文明と縄文文化という性格の異なるものを同列に比較できるかのように誤解するおそれのある表現である。 | 3-(2) |
5 | 29 | 17 − 18 |
・・、外から入ってきた少数の人々の伝えた新しい技術が、・・ | 弥生時代に渡来した人々が少数であって、主に技術のみの変化をもたらしたとする一面的な見解を強調し過ぎている。 | 2-(4) |
6 | 36 | 19 − 25 |
神武天皇の東征(地図も含む) | 「進む国内の統一」に続いて構成及び記述され、20行目以下で「いつの出来事かがはっきりしないし、空想的な話も出てくる」との記述から、おおよそ史実であると誤解するおそれのある表現である。 | 3-(2) |
7 | 37 | 13 − 16 |
大和朝廷は、半島南部の任那(加羅)という地に勢力圏を占めた。のちの日本の歴史書で、ここに置かれたわが国の拠点は、任那日本府とよばれた。 | 当時の朝鮮半島と大和朝廷の関係についての学説状況に照らして、誤解するおそれのある表現である。 | 3-(2) |
8 | 39 | 脚注 | 皇室には今なお姓(せい)がないのはなぜだろう。この当時から大王は姓(かばね)を与える立場だったことと、・・ | 姓(せい)と姓(かばね)とが同じものであるかのように誤解するおそれのある表現である。 | 3-(2) |
9 | 40 | 13 − 21 |
ところが、570年以降になると、東アジア一帯に、それまでの諸国の動きからは考えられない新しい・・・アジアの中心の一つであるという強い自覚をいだくようになったのである。 | 史料的に十分な根拠があるとはいえない一面的な見解を十分な配慮なく取り上げている。 | 2-(4) |
10 | 43 | 22 − 23 |
・・、そのすべてが事実だったとは限らない。 | すべてが事実であったわけではないとしても、この記述ではその多くが事実であったというように誤解するおそれのある表現である。 | 3-(2) |
11 | 45 | 9 − 10 |
聖徳太子はこのことまで見こしていた。太子の外交官としての国際感覚のあらわれだった。 | 聖徳太子の外交について、史料的に十分な根拠があるとはいえない一面的な見解を十分な配慮なく取り上げている。 | 2-(4) |
12 | 46 | 史料 | 「十七条の憲法」説明中、「国家の理想や原理についての考え方が盛り込まれている点では、今日の憲法にも通ずる。」 | 十七条の憲法について、一面的な見解を十分な配慮なく取り上げている。 | 2-(4) |
13 | 48 | 7 − 14 |
科挙は、皇帝が、・・・庶民は試験に合格すれば、少なくとも官吏に登用される可能性があった。 | 宋代以降の科挙の状況まで含めた一般論の形で述べており、隋唐の時代からそうであったかのように誤解するおそれのある表現である。 | 3-(2) |
14 | 53 | 7 | これにより、中央の大豪族は没落し、・・ | 55頁20行目には「日本の天皇が大和朝廷以来続く豪族たちのバランスの上に乗っていた事情を示している」とあり、また24行目には「かつての中央豪族たちは、このころには朝廷の役所で高い地位につき」とあって、相互に矛盾している。 | 3-(1) |
15 | 53 | 9 − 10 |
天皇を中心に国家全体を支える「公」の立場がようやく確立することになった。(191頁26行目も同様) | 「「公」の立場」は、説明不足で理解し難い表現である。 | 3-(2) |
16 | 55 | 10 − 12 |
長安が城壁に囲まれていたのは・・・人民を監視し、軍兵に利用する目的で囲い込むためでもあった。 | 長安城の城壁と城内の坊里制の機能を混同しており、誤りである。 | 3-(1) |
17 | 63 | 24 | ・・のちの世から神武天皇とよばれるようになるのである。 | 神話であることがわかりにくく、神武天皇が実在の人物であることが史実として確定しているかのように誤解するおそれのある表現である。 | 3-(2) |
18 | 69 | 図 | 東北地方への進出 | こうした地図にラインを記すことは、明確な区分があったように誤解するおそれがある。 | 3-(2) |
19 | 69 | 13 | 人間の心情に深く配慮する人物でもあった。 | 史料的に十分裏付けられない事象を十分な配慮なく取り上げている。 | 2-(4) |
20 | 73 | 図 | 強訴する僧兵 | この場面は強訴しているものではなく、不正確である。 | 3-(1) |
21 | 75 | 18 | 源氏物語絵巻 | この時期の作品ではなく、誤りである。 | 3-(1) |
22 | 83 | 10 − 11 |
平氏は後白河上皇との対立を深め、その院政を廃止し・・ | 一般に停止とされるものであり、この時点で最終的に終了してしまったように誤解するおそれのある表現である。 | 3-(2) |
23 | 87 | 7 − 9 |
朝廷が2回目の使者に対して用意した返事の下書きには・・とあった。 | この下書きは実際には出されておらず、このままではこうした内容の返書が出されたように誤解するおそれのある表現である。 | 3-(2) |
24 | 100 | 14 − 17 |
やがて農民が力を伸ばすと、いくつもの惣が目的を同じくして・・徳政令の発布を求め、・・これを土一揆という。 | 土一揆について、徳政令を求めることが一般的であると誤解するおそれのある表現である。 | 3-(2) |
25 | 106 | 16 − 17 |
16世紀の中ごろ、大内氏の滅亡により貿易は停止した。 | 大内氏の滅亡により、勘合貿易だけではなく、日明間の貿易全体が停止してしまったように誤解するおそれのある表現である。 | 3-(2) |
26 | 108 | 13 − 21 |
頼朝は鎌倉に幕府を開いてからも、京都の朝廷をうやまい、・・と裁決したという。 | こののち玉井四郎助重はその後も御家人として扱われており、この事象を以て頼朝の姿勢を記述するのは不適切である。 | 2-(4) |
27 | 113 − 114 |
6 − 19 |
トルデシリャス条約(全体) サラゴサ条約(全体) |
両条約が結ばれる背景についての説明が詳細に過ぎており、基礎的、基本的な内容を習得させる上で適切な事項に厳選されていない。 | 2-(5) |
28 | 115 | 11 − 13 |
秀吉とフェリペ2世は贈り物を交換し、たがいに相手の強大さを認めあっていた。 | 「相手の強大さを認めあっ」たという事実はなく、誤りである。 | 3-(1) |
29 | 157 | 1 − 4 |
当時、オランダは、戦争で・・オランダ船を追跡してきたのである。 | その当時のヨーロッパの国際関係に関する記述が不明瞭であり、理解し難い表現である。 | 3-(2) |
30 | 173 | 4 − 5 |
日本と中国と朝鮮の間では、たがいに干渉しあわないという暗黙の約束が成立し、・・ | 三国間の状況について、明確な根拠のないまま一面的な見解を十分な配慮なく取り上げている。 | 2-(4) |
31 | 176 | 見出し「・・眠り続けた中国・朝鮮」 | 眠り続けたという表現は、実態と一致しておらず、誤解するおそれのある表現である。 | 3-(2) | |
32 | 178 | 7 − 11 |
ペリーは、大統領の国書とは別に、白旗を2本、幕府に渡した。それには・・・そうすれば和睦しよう」と書かれてあった。 | ペリーが渡した白旗については、基礎的、基本的な内容を習得させる上で適切な事項に厳選されていない。 | 2-(5) |
33 | 186 | 6 − 7 |
・・、欧米列強に対する恐怖がある。同時に、卑屈や屈辱、反発の感情があり、・・ | 明治維新期の国民の感情について、否定的な面を特別に強調し過ぎている。 | 2-(4) |
34 | 187 | 2 − 3 |
このような国際情勢の中で、同じ黄色人種の国・中国(清)は、・・ | 日本の近代化が始まる時期に、東アジアの国々において「同じ黄色人種の国」といったような議論があったかのように誤解するおそれのある表現である。 | 3-(2) |
35 | 187 | 10 − 17 |
第三に、日本は江戸時代を通じて、中国・朝鮮のような文官が支配する官僚中心の国家ではなく、・・・列強の脅威に対し、日本のように積極的な対応を行わなかった。 | 江戸時代の日本の国家、社会については種々の議論があり、また日本と中国・朝鮮との関係についても一面的な見解を十分な配慮なく取り上げている。 | 2-(4) |
36 | 193 | 5 − 6 |
その後、明治初年から始まる一連の変革を明治維新とよんだ。 | 明治維新を規定する際には幕末も含めることが一般的であり、学説状況に照らして不正確である。 | 3-(1) |
37 | 193 | 11 − 12 |
近代的な立憲国家として発展していく方針が明らかにされた。 | 五箇条の御誓文の文言から、直接的には理解し難い表現である。 | 3-(2) |
38 | 202 | 1 − 3 |
・・日本軍艦が朝鮮の江華島付近で・・・日本は再び朝鮮に国交の樹立を強く求めた。左図説明「江華島事件 日本は軍艦雲揚号を朝鮮水域に・・その後、日本と朝鮮は交戦した。」 | 日朝間の交戦の事情が説明不足で理解し難い表現である。 | 3-(2) |
39 | 202 | 4 − 6 |
・・1876年、日朝修好条規が結ばれた。こうして、長らく懸案であった朝鮮との国交問題も解決した。 | 181頁12〜15行目、201頁2〜4行目との関連で、条約の実態について説明不足で誤解のおそれのある表現である。 | 3-(2) |
40 | 213 | 5 − 7 |
・・イギリス領事館は、船長に無罪を宣告した(ノルマントン号事件) | 無罪が最終的な決定であるかのように誤解するおそれのある表現である。 | 3-(2) |
41 | 214 | 11 − 14 |
建白書の提出とともに、板垣は高知県に士族を中心とする・・主張する運動を始めた。これを自由民権運動という。 | 自由民権運動を、板垣が高知県で始めた運動のみと誤解するおそれのある表現である。 | 3-(2) |
42 | 215 | 左上写真 | 板垣退助の自由党の憲法草案 | 写真には「立志社日本憲法見込案」とあり、誤りである。 | 3-(1) |
43 | 215 | 5 − 7 |
これに備えて板垣退助が自由党を、大隈重信が立憲改進党を組織し、憲法草案を発表するなどした。 | 自由党、立憲改進党が憲法草案を発表した事実はなく、誤りである。 | 3-(1) |
44 | 216 | 10 − 11 |
国民は各種の権利を保障され、選挙で衆議院議員を選ぶことになった。 | 権利には法律の制限があったことに触れられておらず、また選挙も制限選挙であった旨の記述がなく、誤解するおそれのある表現である。 | 3-(2) |
45 | 217 | 1 − 5 |
1890年、議会の召集に先立ち、天皇の名によって「教育ニ関スル勅語」(教育勅語)が発布された。・・近代日本人の人格の背骨をなすものとなった。 | 教育勅語が現在も法的に有効で、影響力をもっているかのように誤解するおそれのある表現である。 | 3-(2) |
46 | 218 | 6 − 8 |
この意味で、朝鮮半島は日本に絶えず突きつけられている凶器となりかねない位置関係にあった。 | 先行する記述との関連で、この時期における認識であったことが理解し難い表現である。 | 3-(2) |
47 | 218 | 9 | 当時朝鮮に支配権をもっていたのは清朝だった | 清の朝鮮に対する宗主権は一般にいう「支配権」とは別のものであることが理解し難い表現である。 | 3-(2) |
48 | 218 | 12 − 14 |
日本政府は、ロシアの力が朝鮮におよぶ前に、朝鮮を中立国とする条約を各国に結ばせ、中立の保障のため日本の軍備を増強しなければならないと考えた。 | これが具体的構想であったかのように誤解するおそれのある表現である。 | 3-(2) |
49 | 219 | 18 − 19 |
このとき、上陸した清国兵が乱暴する事件がおきた。 | 基礎的、基本的な内容を習得させる上で適切な事項に厳選されていない。 | 2-(5) |
50 | 220 | 9 | 台湾 | 講和以前に台湾は戦場とはなっておらず、不正確である。 | 3-(1) |
51 | 220 | 10 − 13 |
日本の勝因の一つには、日本人が自国のために・・たちまち戦闘意欲を失ってしまった。 | 日本の勝因については多岐にわたっており、一面的な見解を十分な配慮なく取り上げている。 | 2-(4) |
52 | 221 | 3 − 5 |
東アジアに野心をもつロシアは、黄禍論を主張し、ドイツ、フランスを誘って、 | 黄禍論がロシアで初めて唱えられたように誤解するおそれのある表現である。 | 3-(2) |
53 | 221 | 4 | 黄禍論(黄色人種が世界の禍いとする見方) | 黄禍論を含めた人種論が歴史的なものであることが不明確であり、現在でも一般的であるかのように誤解するおそれのある表現である。 | 3-(2) |
54 | 221 | 11 − 12 |
日清戦争は、欧米流の近代立憲国家として出発した日本と中華帝国とのさけられない対決だった。 | 当時他の選択肢が全くなかったかのように誤解するおそれのある表現である。 | 3-(2) |
55 | 221 | 16 − 18 |
もし日本が負けていたら、あるいは、中国と同じ運命をたどったかもしれない。 | なぜ日本が負けると「中国と同じ運命」をたどることになるのか、理解し難い表現である。 | 3-(2) |
56 | 224 | 3 − 4 |
・・対馬の対岸に位置する朝鮮南部の土地を租借した。 | 租借がその後継続し、日露開戦の原因の一つとなったかのように誤解するおそれのある表現である。 | 3-(2) |
57 | 234 | 10 | 天心が設立した東京美術学校 | 東京美術学校は官立であり、岡倉天心が設立したとするのは不正確である。 | 3-(1) |
58 | 240 | 8 − 12 |
日本の勝利に勇気づけられた有色人種の国には・・・中国や韓国のような近い国では、目をさまされたナショナリズムが、日本への抵抗という形であらわれる可能性があった。 | アジアのナショナリズムを日本との距離関係から論じており、「中国や韓国のような近い国」でナショナリズムが「目をさまされた」経緯や、なぜそれが日本への抵抗として現れるようになるのかが、説明不足で理解し難い表現である。 | 3-(2) |
59 | 242 | 1 − 6 |
朝鮮半島は戦略的には重要だが、軍事的には不安定だった。イギリス、アメリカ、ロシアの3国はいずれも・・・統治者としての新興国・日本の登場は、3国にとっては好都合であった。 | 朝鮮半島をめぐる各国の動静について、一面的な見解を十分な配慮なく取り上げている。 | 2-(4) |
60 | 242 | 9 − 10 |
これは、東アジアを安定させる政策として欧米列強から支持されたものであった。 | 日本の韓国併合時に欧米列強が併合への支持を表明したかのように誤解するおそれのある表現である。 | 3-(2) |
61 | 242 | 10 − 12 |
韓国併合は、日本の安全と満州の権益を防衛するには必要であったが、経済的にも政治的にも、必ずしも利益をもたらさなかった。 | 韓国併合について、一面的に「必要」性や「利益」が記述されており、併合や統治の実態について誤解するおそれのある表現である。 | 3-(2) |
62 | 242 | 12 − 13 |
それが実行された当時としては、国際関係の原則にのっとり、合法的に行われた。 | 「国際関係の原則にのっとり、合法的に行われた」とのみ記述するのは、併合過程の実態について誤解するおそれのある表現である。 | 3-(2) |
63 | 242 | 13 − 15 |
しかし韓国の国内には、当然、併合に対する賛否両論があり、反対派の一部からはげしい抵抗もおこった。 | 韓国国内の併合反対派の「はげしい抵抗」が一部でしかなかったかのように誤解するおそれのある表現である。 | 3-(2) |
64 | 243 | 5 − 8 |
1911年、中国に辛亥革命がおこって、清朝は幕を閉じた。翌年、南京で中華民国の成立が宣言され、孫文が臨時大総統になった。しかし、まもなく袁世凱に権力の座をうばわれた。 | 辛亥革命の経緯が時系列に沿っておらず、誤りである。 | 3-(1) |
65 | 243 | 8 − 11 |
革命の理想は無視され、中国は統一性を失い、武力を持つ地方政権である大小の軍閥によって・・・国内のこの分裂状態は、その後約40年も続く。 | 267頁には中国の国内統一の進行が記述されており、軍閥による分裂状態が約40年間も続いたかのように誤解するおそれのある表現である。 | 3-(2) |
66 | 243 | 12 − 13 |
日露戦争における日本の勝利によって、中国や朝鮮などアジア諸国は、近代国家を目指すナショナリズムに初めて目ざめた。 | 中国が近代国家を目指し始めた時期を日露戦争後とするのは、177頁13〜16行目との関連で不正確である。 | 3-(1) |
67 | 243 | 15 − 19 |
日本には、大国としての義務と協約の中で進む以外の、いかなる道も残されてはいなかった・・・国際政治での日本の苦しみを、・・・しだいに失い始めていた。 | 「大国としての義務と協約」「日本の苦しみ」「中国人や朝鮮人の苦しみ」が何を指すのか不明確であり、文章全体として理解し難い表現である。 | 3-(2) |
68 | 245 − 246 |
13 − 14 |
「限定戦争と全体戦争」当時、世界を支配していた戦争観は、核兵器を経験した・・・そして、ついに毒ガスまで用いられ、ヨーロッパは悲劇の惨状を呈した。 | 225頁12行目の日露戦争を「国民戦争」とする記述との関連を含め「限定戦争」について説明不足であり、また、これらと「全体戦争」、「総力戦」の関係も不明確で、全体として理解し難い表現である。 | 3-(2) |
69 | 245 | 16 − 17 |
ときには政治上のゲームでさえあった。 | 「政治上のゲーム」について、説明不足で理解し難い表現である。 | 3-(2) |
70 | 249 | 5 − 10 |
・・1922年まで日本は共産軍と戦い、兵を引かなかったので、アメリカの疑念を招いた。・・日本は、革命勢力に対して警戒心を強めていた。・・干渉戦争を行った(対ソ干渉戦争)。 | アメリカの疑念の意味が説明不足であり、またシベリア出兵の目的を共産主義に対する脅威に対抗することのみと誤解するおそれのある表現である。 | 3-(2) |
71 | 249 | 11 − 12 |
アメリカでは、第二次世界大戦のあとになるまで、共産主義勢力に対する危機感は生まれなかった。 | アメリカには第二次世界大戦以前から共産主義勢力に対する危機感が存在しており、誤りである。 | 3-(1) |
72 | 251 | 3 − 5 |
各国は、それと別個に同盟や軍事協定を結び、アメリカはこれにも加わり、矛盾した行動を示した。 | 具体的にどのような同盟や軍事協定を指しているかが不明確であり、理解し難い表現である。 | 3-(2) |
73 | 251 | 22 − 23 |
一方、朝鮮では、1919年3月1日、日本からの独立を求める運動が始まり、全土に広まった(三・一独立運動)。 | 独立運動全体の状況が記述されておらず、その実態について理解し難い表現である。 | 3-(2) |
74 | 253 | 5 | 日本共産党が結成された。 | 当時非合法であったことが示されておらず、合法政党と誤解するおそれのある表現である。 | 3-(2) |
75 | 257 | 13 | 急速に死に傾いていく父親 | 父親は誤りである。 | 3-(1) |
76 | 258 − 260 |
1 − 8 |
「アメリカの太平洋進出」「排日移民問題」(全文) | この時期の日米関係について基礎的、基本的な内容を習得させる上で適切な事項に厳選されていない。 | 2-(5) |
77 | 262 − 265 |
共産主義とファシズムの台頭(全体) | 共産主義とファシズムの問題について、基礎的、基本的な内容を習得させる上で適切な事項に厳選されていない。 | 2-(5) | |
78 | 262 | 8 − 9 |
しかし一方で、強制収容所で苛酷な強制労働を行い、膨大な数の死者を出した。 | 「膨大な数の死者」が強制労働によってのみ生じたかのように誤解するおそれのある表現である。 | 3-(2) |
79 | 264 | 16 − 17 |
スターリンとヒトラーは、たがいに相手のやり方をよく学習しあっていた。 | 確定的な事実であるかのように誤解するおそれのある表現である。 | 3-(2) |
80 | 265 | 19 − 20 |
ヒトラーは国内が完全に平定された1937年に、強制収容所の規模を異常なまでに拡大した。 | 1937年の時点では強制収容所の数は急増しておらず、何をもって「規模を異常なまでに拡大した」とするのか、理解し難い表現である。 | 3-(2) |
81 | 266 | 8 − 9 |
これによって、アメリカへの輸出に頼る日本経済は大きな打撃を受け、大量の失業者が街にあふれた(昭和恐慌)。 | 日本はそれ以前から不景気であり、世界恐慌によって日本の経済状態が悪化し始めたように誤解するおそれのある表現である。 | 3-(2) |
82 | 267 | 3 − 5 |
このような仕打ちによって、日本も自給自足の・・そこで注目を集めるようになったのが、中国の東北部に位置する満州だった。 | 英仏のブロック経済が、満州事変に先立って始まったように誤解するおそれのある表現である。 | 3-(2) |
83 | 267 | 6 − 18 |
清朝滅亡後の中国では、各地に私兵をかかえた軍閥が群雄割拠していた。・・実際にもコミンテルンの指示を受けていたので過激な破壊活動の性格を帯びるようになった。 | 中国の排日運動に関して、日本側の行動に触れずに記しており、その間の経緯について誤解するおそれのある表現である。 | 3-(2) |
84 | 268 | 9 − 11 |
ところが中国は、かえって排日運動を激化させたので、日本国内では、幣原の外交を軟弱外交として批判する声が強くなった。(269頁囲み末尾も同様) | いつの時点のことか不明確であり、理解し難い表現である。 | 3-(2) |
85 | 268 | 12 − 16 |
一方、蒋介石は、・・・日本は近代的法秩序の確立に努力した上で、あくまで相手国との正規の交渉によって目的を達成していた。蒋介石の態度は、これとは正反対だった。 | 蒋介石政権は一方的に条約を破棄したのではなく、不正確である。 | 3-(1) |
86 | 268 | 17 − 21 |
日本は、九か国条約の保証人の立場にあったアメリカに、・・・国際協調の精神で中国に対処するのは難しくなっていった。 | この時期の日米関係については、日本側の政策は一定ではなく、それらを考慮せずに一面的な見解を十分な配慮なく取り上げている。 | 2-(4) |
87 | 270 | 1 − 5 |
日本は、日露戦争の勝利によって・・中国の承認も得た。この日本の権益は、条約に基づくもので、日本の投資により経済が発展した。 | 日本の権益が日中間の対等な条約に基づいているかのように誤解するおそれのある表現である。 | 3-(2) |
88 | 270 | 6 − 16 |
ところが、満州では、1929年ごろから中国人による排日運動が・・・こうした中で、石原莞爾ら関東軍の一部将校は、全満州を軍事占領して問題を解決する計画を練り始めた。 | 日本の満州領有化が、主として中国側の動きによって引き起こされたかのように誤解するおそれのある表現である。 | 3-(2) |
89 | 271 | 11 | 政府の弱腰に不満をつのらせていた国民 | 当時の国民の不満については、経済問題も重要であったのであり不正確である。 | 3-(1) |
90 | 272 | 12 − 15 |
リットン調査団の報告書も日本に同情的な部分があり、・・・しかし、日本の立場は世界から十分に理解されることはなかった。 | リットン調査団の報告書の内容についての記述が不十分であり、同頁6〜8行目との関連で理解し難い表現である。 | 3-(2) |
91 | 272 − 273 |
17 − 3 |
満州国は、中国大陸において初めての・・・中国人などの著しい人口の流入があった。 | 満州国と日本との関係も含め、満州国の実態が説明不足で理解し難い表現である。 | 3-(2) |
92 | 274 | 日中戦争と翻弄される日本(タイトル) | 「翻弄される」という語句は、日本の行動について誤解するおそれのある表現である。 | 3-(2) | |
93 | 274 | 1 − 3 |
関東軍など、現地の日本軍は、満州国を維持するために、隣接する華北地域に親日政権をつくるなどして・・ | 現地の日本軍の華北における行動を、満州国を維持するためだけであるかのように誤解するおそれがあり、親日政権と蒋介石政権との関係も理解し難い表現である。 | 3-(2) |
94 | 274 | 15 | 12月、南京を占領した。 | 301頁に南京事件の記述があり、組織が不適切である。 | 2-(10) |
95 | 274 | 15 − 16 |
ところが、蒋介石は重慶に首都を移し、戦争は長期化していった。 | 蒋介石が首都を移したことが戦争長期化の原因であるかのように誤解するおそれのある表現である。 | 3-(2) |
96 | 275 | 7 − 13 |
国民党と手を結んだ中国共産党は、政権をうばう戦略として、・・日本は平和解決を望み、・・・何回もさまざまなルートで中国側に和平提案を行ったが、実らなかった。 | 戦争長期化の原因について、誤解するおそれのある表現である。 | 3-(2) |
97 | 276 | 6 − 8 |
門戸開放、機会均等を唱えつつ、日本をおさえてきたアメリカは、・・・決して許そうとはしなかった。 | アメリカの政策について、一面的な見解を十分な配慮なく取り上げている。 | 2-(4) |
98 | 276 | 11 | 破棄 | 条約に基づいた措置であり、「破棄」は不正確である。 | 3-(1) |
99 | 278 | 9 − 11 |
日本は、北進してソ連を撃ちドイツを助けるか、それとも南進してソ連を救うかの選択を迫られた。 | 日本の南進は結果的にソ連を救うことになったのであり、北進か南進かを選択する際の理由に挙げるのは誤りである。 | 3-(1) |
100 | 279 | 14 − 18 |
それでも日米間の外交交渉は続いていたが、11月、アメリカのハル国務長官は、・・・日本政府は、対米開戦を決意せざるをえなくなった。 | 交渉に望んだ日本側の態度についての記述がなく、ハル・ノートの提出によって日本が対米開戦に追い込まれたかのように誤解するおそれのある表現である。 | 3-(2) |
101 | 280 | 4 | 山本五十六 | 誤りである。 | 3-(1) |
102 | 281 | 4 − 6 |
この日本の緒戦の勝利は、東南アジアやインドの人々、さらにはアフリカの人人にまで独立への夢と勇気を育んだのである。 | 日本の緒戦の勝利がアフリカの人々の独立運動に影響を与えたことを裏付ける資料的根拠がなく、不正確である。 | 3-(1) |
103 | 281 | 7 | 戦後、アメリカ側はこれを太平洋戦争とよばせた。 | 「太平洋戦争」とよぶように指令したかのように誤解するおそれのある表現である。 | 3-(2) |
104 | 281 | 8 − 9 |
日本の戦争目的は、自存自衛とアジアを欧米の支配から解放し、そして、「大東亜共栄圏」を建設することであると宣言した。 | 自存自衛とアジアの解放を目的として戦われた戦争の実態について、説明不足で理解し難い表現である。 | 3-(2) |
105 | 282 | 5 − 9 |
アリューシャン列島のアッツ島では、わずか2000名の日本軍守備隊が・・にじり寄るようにして玉砕していった。 | アッツ島の玉砕については、基礎的、基本的な内容を習得させる上で適切な事項に厳選されていない。 | 2-(5) |
106 | 282 − 283 |
14 − 8 |
同年10月、ついに日本軍は全世界を驚愕させる作戦を敢行した。・・・この日本のために犠牲になることをあえていとわなかったのである。 | 「神風特別攻撃隊」について、基礎的、基本的な内容を習得させる上で適切な事項に厳選されていない。 | 2-(5) |
107 | 283 | 20 − 21 |
10万の島民が生命を失い、日本軍の戦死者も11万を数えたといわれている。 | 死者数が不正確である。 | 3-(1) |
108 | 283 | 22 − 25 |
戦争は悲劇である。しかし、戦争に善悪はつけがたい。どちらかが正義でどちらかが不正という話ではない。・・政治では決着がつかず、最終手段として行うのが戦争である。 | 先の戦争に関連して戦争の善悪を一般的に論じるのは、発達段階に適応しておらず、程度が高過ぎる。 | 1-(3) |
109 | 283 | 25 − 26 |
アメリカ軍と戦わずして敗北することを、当時の日本人は選ばなかったのである。 | 「アメリカ軍と戦わずして敗北することを」「選ばなかった」のは、当時の日本政府及び軍部を中心とした方針であったことが理解し難い表現である。 | 3-(2) |
110 | 284 − 285 |
1 | 大東亜会議(全体) (同頁写真キャプションも同様) |
大東亜会議の背景とその内容について、基礎的、基本的な内容を習得させる上で適切な事項に厳選されていない。 | 2-(5) |
111 | 285 − 286 |
2 − 15 |
日本軍は開戦直後から、アジアの解放を戦争目的の一つにかかげていたが、・・ヨーロッパの植民地だった国々の独立の波はとまることがなく、第二次世界大戦後の世界地図は一変した。 | アジア・アフリカ諸国の独立について、各国の独立に至る事情を考慮しておらず、日本軍の南方進出によってのみもたらされたかのように誤解するおそれのある表現である。 | 3-(2) |
112 | 285 | 12 − 16 |
さらに、日本軍は・・・インド独立の支援と戦局打開のためのインパール作戦を敢行したが、・・・悲劇的な失敗となった。 | インパール作戦は一般にインド独立支援よりも日本の戦局との関連で論じられており、「アジア諸国の独立と日本」の内容として扱うのは組織が不適切である。 | 2-(10) |
113 | 286 | 16 − 17 |
1960年、国連総会で植民地独立宣言が決議された。それは、大東亜会議の共同宣言と同じ趣旨のものであった。 | 歴史的な背景を考慮せずに両宣言が全体的に同じ趣旨とするのは誤りである。 | 3-(1) |
114 | 287 − 288 |
1 − 3 |
「国民の動員」(全体) | 台湾や朝鮮の状況についてほとんど触れられておらず、全体として調和がとれていない。 | 2-(3) |
115 | 288 − 289 |
4 − 17 |
「民間の犠牲」戦争中であっても、明らかに兵隊でない者を無差別に殺害することは、・・日本が戦争で進攻し、戦場となったアジア諸地域の人々にも、大きな被害が出た。 | アジア諸地域の人々の被害について、日本人の犠牲の記述と比較して量、具体性ともに不十分な表現であり、全体として調和がとれていない。 | 2-(3) |
116 | 292 − 294 |
戦争犯罪とジェノサイド(全体) | 「戦争犯罪とジェノサイド」については、発達段階に適応しておらず、程度が高過ぎる。 | 1-(3) | |
117 | 295 | 「侵略戦争」とは(全体) | 「侵略戦争とは」の記述は、発達段階に適応しておらず、程度が高過ぎる。 | 1-(3) | |
118 | 296 − 297 |
11 − 4 |
GHQは徹底した言論の検閲を開始した。・・その上で、戦勝国だけに自由や正義や人道があったとする宣伝が行われた。 | 日本の戦時中の言論統制の状況に全く触れずに、戦後の状況だけを記述することは特定の事柄を強調し過ぎている。 | 2-(4) |
119 | 297 | 11 − 12 |
これは言葉によって行われた「戦後の戦争」でもあった。(296ページの小見出しも同様) | 説明不足で理解し難い表現である。 | 3-(2) |
120 | 299 | 6 − 17 |
日本政府が提出した憲法改正試案にGHQは満足せず、・・・このような制定過程にかかわらず、日本人の多くが、当時、この憲法を受け入れた。 | 日本国憲法の内容に触れられておらず、組織が不適切である。 | 2-(10) |
121 | 300 | 写真 | 極東国際軍事裁判 | 極東国際軍事裁判はA級戦犯に限定したものであり、不正確である。 | 3-(1) |
122 | 300 − 301 |
1 − 4 |
裁判の是非(全体) | 極東国際軍事裁判については、さまざまな議論が存在しており、一面的な見解を十分な配慮なく取り上げている。 | 2-(4) |
123 | 301 | 5 − 12 |
南京事件 | 南京事件の実否や犠牲者数についての研究状況などに照らして、誤解するおそれのある表現である。 | 3-(2) |
124 | 301 | 13 − 14 |
ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム | 一般的に広く認識されているとは言えない語句を用いており、基礎的、基本的な内容を習得させる上で適切な事項に厳選されていない。 | 2-(5) |
125 | 302 | 7 − 12 |
アメリカの外交官マクマリーは・・そして10年後、予言は的中したのである。 | 第二次世界大戦後の国際関係について、基礎的、基本的な内容を習得させる上で適切な事項に厳選されていない。 | 2-(5) |
126 | 303 | 8 − 9 |
その翌年にはチベットに侵攻し、現在までに128万人のチベット人を虐殺した。 | 中国とチベットの関係について、一面的な見解を十分な配慮なく取り上げている。 | 2-(4) |
127 | 304 | 11 − 13 |
朝鮮戦争をきっかけに、アメリカは・・日本を独立させようと考えた。 | アメリカの講和への動きは、朝鮮戦争開始以前から始まっており、不正確である。 | 3-(1) |
128 | 305 | 10 | ・・、日本人の精神性が二分されることになった。 | 抽象的で理解し難い表現である。 | 3-(2) |
129 | 305 | 13 | 戦争の惨禍に対する賠償 | 「惨禍」とすると「賠償」は生ぜず、誤解するおそれのある表現である。 | 3-(2) |
130 | 306 | 5 − 6 |
日本の漁船第五福竜丸が太平洋のビキニ環礁でアメリカの水爆実験の・・ | 第五福竜丸がビキニ環礁で被害を受けたかのように誤解するおそれのある表現である。 | 3-(2) |
131 | 313 | 24 − 27 |
昭和天皇は、激動する昭和という時代の中で、まさしく日本国と日本国民統合の象徴として、その生涯を貫かれたのであった。 | 昭和天皇が生涯を通じて日本国憲法に規定された「象徴」であったかのように誤解するおそれのある表現である。 | 3-(2) |
132 | 315 | 12 − 15 |
高度経済成長の結果、国政の分野では、革新勢力の主張はしだいに説得性をもたなくなった。・・一時期、東京などの都市圏を中心に革新勢力から首長が選出された。 | 国政レベルにおけるすべての分野で説得性を失ったかのように誤解するおそれがあり、また後段との関係も理解し難い表現である。 | 3-(2) |
133 | 316 | 2 − 3 |
・・有償・無償計5億ドルの援助を約束して、韓国に協力金を支払った。 | 5億ドルと協力金の関係が、理解し難い表現である。 | 3-(2) |
134 | 317 | 1 − 3 |
これによって台湾の中華民国との国交は断絶したまま、今日にいたっている。(巻末年表8頁も同様) | 日本政府が「今日にいた」るまで台湾を「国」として扱っているかのように誤解するおそれのある表現である。 | 3-(2) |
135 | 321 | 26 − 27 |
さらに2000年からは、国会に憲法調査会が設置され、日本国憲法の見直しが始まった。 | 憲法調査会について、憲法の見直しを前提としたものと誤解するおそれのある表現である。 | 3-(2) |
136 | 322 − 325 |
14 − 13 |
20世紀はまた、二つの世界大戦と二つの全体主義によって政治的な動乱をくり返した、・・・日本の第二次世界大戦は、ドイツやイタリアとはまったく違った戦争であった。 | 「植民地主義」「全体主義」「歴史の転換点」については、発達段階に適応しておらず、程度が高過ぎる。 | 1-(3) |
137 | 327 | 14 − 19 |
戦後、占領軍に国の歩むべき方向を限定づけられてから、ずっと今日まで、この影響下に置かれてきた。・・・そのため、日本人は独立心を失いかけている。 | 第二次世界大戦後の日本及び日本人について、一面的な見解を十分な配慮なく取り上げている。 | 2-(4) |
検定基準の欄には、義務教育諸学校教科用図書検定基準又は高等学校教科用図書検定基準の第2章及び第3章に掲げる項目のうち、該当するものの番号を示す。