検 定 意 見 書
受理番号 12-29 | 学校 中学校 | 教科 社会 | 種目 社会(歴史的分野) | 学年 1・2 |
番号 | 指摘箇所 | 指 摘 事 項 | 指 摘 事 由 | 検定基準 | |
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頁 | 行 | ||||
1 | 表見返 | 図 | 「史跡をたずねよう」 | 古義堂跡・長岡宮跡・高松塚古墳・諏訪神社の位置が不正確である。 | 3-(1) |
2 | 19 | 地図 凡例 | ( )内は現在名 | ( )外の漢字表記にも現在名が含まれており、不正確である。 | 3-(1) |
3 | 21 | 写真 | 金印に彫られた文字のルビ | 「漢委奴国王」のルビは誤りである。 | 3-(1) |
4 | 24 | 地図 | 「隋・唐の発展」中の隋と唐の勢力範囲 | 色分けが逆であり、不正確である。 | 3-(1) |
5 | 37 | 図 | 「源氏略系図」 | 源頼朝・頼家・実朝・公暁について、将軍の代数を示す数字が誤りである。 | 3-(1) |
6 | 38 | 左下写真 | ミロのビーナス | 日本の縄文時代・古墳時代の女性について説明した本文記述と関連付けて扱われていない。 | 2-(11) |
7 | 39 | 6 − 7 |
7歳ころまでは、女房とよばれた養育係の女性に育てられました。 | 「女房」が貴族の子どもの養育のみを行うように誤解するおそれがある。 | 3-(2) |
8 | 46 | 写真 | 「壇ノ浦の戦い」。赤旗が源氏、白旗が平氏。 | 誤りである。 | 3-(1) |
9 | 46 | 図 | 地図「鎌倉幕府の領国と守護の配置」 | 地頭の配置が不正確である。 | 3-(1) |
10 | 47 | 写真 | 「鎌倉幕府のおかれたところ」 | 写真が裏焼きのため、鎌倉幕府の位置が不正確である。 | 3-(1) |
11 | 55 | 図の凡例 | 四職家 | 説明がなく、理解し難い表現である。 | 3-(2) |
12 | 55 | 図 | 地図「守護大名の配置」中の荒川氏 | 四職家ではない荒川氏を青地で表記するのは不正確である。 | 3-(1) |
13 | 56 | 3 − 5 |
義満は……法皇として,寺社にも大きな力をふるった | 足利義満は実際に法皇となったわけではなく、不正確である。 | 3-(1) |
14 | 58 | 囲み | 「ハングルで示したあいうえお表」中の「母音字【音】」 | 「│」と「┤」の部分の発音表記が入れ違っており、誤りである。 | 3-(1) |
15 | 58 | 地図 | 「15〜16世紀のアジア」中の明の最大勢力範囲 | 朝鮮まで範囲に含めており、不正確である。 | 3-(1) |
16 | 60 | 20 − 22 |
下の絵に見られるように,孫をあやす老人のすがたには、大家族の営みがうかがえます。 | 下の絵からだけでは大家族であるかどうか不明であり、本文記述との関連が不適切である。 | 2-(10) |
17 | 68 | 写真 | 「室町時代の田植え」。刀をさした男の人たちに注目しよう。 | 問いかけの意味が理解し難い。 | 3-(2) |
18 | 71 | 写真 | 「現在の十三湊」 | 写真が裏焼きのため、前潟・日本海ともに表示が不正確である。 | 3-(1) |
19 | 77 | 写真 | 一乗谷の写真 | 川の名称、朝倉館と寺院・町屋の位置ともに実際のものと違っており、不正確である。 | 3-(1) |
20 | 85 | 12 − 13 |
大名の領土欲を満たすために明を征服しようとし | 秀吉の朝鮮出兵の動機が大名の領土欲のみであるかのように誤解するおそれのある表現である。 | 3-(2) |
21 | 110 | 5 | 蘭学を中心に洋学が進歩した。 | この時期に西洋の文化を研究する学問を示す用語は専ら「蘭学」であり、誤りである。 | 3-(1) |
22 | 136 | 4 − 7 |
開国は、日本を植民地にするものだとして……攘夷の運動が広がっていった。この運動は、……天皇を中心に日本列島を統一した新国家をめざす尊王の運動となっていく。 | 攘夷が尊王に変化したように記述されており、尊王と攘夷が結びついていった尊王攘夷運動の展開について誤解するおそれのある表現である。 | 3-(2) |
23 | 143折込み | 写真 | 「首里城の正殿」。首里城は、アジア・太平洋戦争で破壊された。 | 「アジア・太平洋戦争」という用語は、現在一般的とは言い難い。 | 2-(4) |
24 | 170 | 地図 | 列強の世界分割 | オスマン帝国やリベリアの色分けが凡例と合致せず、不正確である。 | 3-(1) |
25 | 171 | 6 | 1905年2月、日本はロシアに宣戦布告し | 日本のロシアに対する宣戦布告は1904年2月であり、誤りである。 | 3-(1) |
26 | 171 | 20 − 22 |
しかし、日本は、……列強と同じように、満州を支配していく。 | 日本がこの時点で満州を実際に支配していたように誤解するおそれのある表現である。 | 3-(2) |
27 | 172 | 4 − 6 |
そうした中、安重根が、初代統監の伊藤博文を、満州のハルビンで暗殺した。そこで、日本は、1910(明治43)年、韓国を日本の領土に併合し | 伊藤博文暗殺が韓国併合の直接的原因であるように誤解するおそれのある表現である。 | 3-(2) |
28 | 178 | グラフ | 義務教育の普及と就学率 | 横軸中の1873年が明治31年とされているのは誤りである。 | 3-(1) |
29 | 183 | 9 − 11 |
1917年,レーニンは,労働者・農民・兵士を中心にソビエト(代表者会議)を組織し、帝政をたおして政権をにぎった。 | 帝政は二月革命の時点ですでに倒されていて、レーニンは関与しておらず,誤りである。 | 3-(1) |
30 | 184 | 18 | 対ソ干渉戦争ともいう。 | 「対ソ干渉戦争」が何の別称であるのか理解し難い表現である。 | 3-(2) |
31 | 193 | 上グラフ | 1946年の選挙資格「25歳以上の男子 普通選挙」 | 1946年に改正された選挙法の定める選挙資格として誤りである。 | 3-(1) |
32 | 195 | 16 | 不景気はいっそうひ | 文章が途中で切れており、理解し難い。 | 3-(2) |
33 | 198 | 12 − 18 |
1928(昭和3)年6月、日本の関東軍は……張作霖を爆殺した。日本軍は、満州全土を支配し、やがて、長城をこえて中国との戦争を拡大していく。 | 張作霖爆殺事件が満州事変に直結するかのように誤解するおそれのある表現である。 | 3-(2) |
34 | 199 | グラフ | 「世界恐慌前後の各国の鉱工業生産指数」中のアメリカの指数 | 1928年の数値が誤りである。 | 3-(1) |
35 | 202 | 地図 | 「日本の中国侵略」中の共産党の長征路 | 長征軍が延安に到着した形になっており、不正確である。 | 3-(1) |
36 | 202 | 1 − 4 |
日本は、満州につづいて、中国全土の支配を進めたため,中国の抗日運動は、いっそう高まってきた。1937(昭和12)年7月……日本軍は,中国軍と衝突した。 | 日中戦争勃発以前に日本が中国全土の支配を進めた、というのは不正確である。 | 3-(1) |
37 | 207 | 7 − 8 |
アメリカもソ連を援助し、参戦した。 | アメリカの参戦は一般に1941年12月とされており、独ソ戦開始時の対ソ援助をもって「参戦した」とするのは不正確である。 | 3-(1) |
38 | 209 | 12 − 13 |
大東亜戦争とよんだ。 | 「大東亜戦争」のみが戦争の呼称であるかのように誤解するおそれがある。 | 3-(2) |
39 | 222 | 地図 | 朝鮮戦争の動き | 戦争の動きが理解し難い図である。 | 3-(2) |
40 | 231 | 側注 | 同和対策事業地区別措置法が定められ | 法律の名称が誤りである。 | 3-(1) |
41 | 232 | 写真 | 酸性雨によって枯れた森林 | 酸性雨と森林枯死との関係について、酸性雨だけが枯死の原因であると誤解するおそれのある表現である。 | 3-(2) |
検定基準の欄には、義務教育諸学校教科用図書検定基準又は高等学校教科用図書検定基準の第2章及び第3章に掲げる項目のうち、該当するものの番号を示す。