検 定 意 見 書
受理番号 12-28 | 学校 中学校 | 教科 社会 | 種目 社会(歴史的分野) | 学年 1・2 |
番号 | 指摘箇所 | 指 摘 事 項 | 指 摘 事 由 | 検定基準 | |
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頁 | 行 | ||||
1 | 22 − 197 |
地域の歴史を調べてみよう1〜8 | 学習指導要領に示す「内容」の(1)イの「身近な地域の歴史を調べる活動を通して、地域への関心を高め、地域の具体的な事柄とのかかわりの中で我が国の歴史を理解させるとともに、歴史の学び方を身に付けさせる」に照らして、地域学習の例示と手引きであることが明確にされておらず、扱いが不適切である。 | 2-(1) | |
2 | 49 | 3 − 5 |
その実権をめぐる争いから、保元の乱と平治の乱の二つの戦乱がおきました。 | 保元の乱と平治の乱がともに白河上皇の時代におこったと誤解するおそれがある。 | 3-(2) |
3 | 51 | 側注 | 戦いがおこったときに、生命をかけて軍役の義務をはたすことを奉公といいます | 奉公の実態が戦時の軍役のみであると誤解するおそれがある。 | 3-(2) |
4 | 57 | 地図 | 地図中の高麗 | モンゴル帝国内の「高麗」の範囲及び服属についての表記が不正確である。 | 3-(1) |
5 | 57 | 6 − 8 |
近畿地方を中心に、幕府に従わない新しい武士たちが成長しました。また、荘園領主の使者を追い出し、年貢をうばう悪党とよばれる武士も登場してきました。 | 「幕府に従わない武士」と「悪党」とが全く別であると誤解するおそれがある。 | 3-(2) |
6 | 58 | 図 | 「室町時代の海上交通と倭寇」 | 琉球が海上交通路から孤立しているように描かれているのは不正確である。 | 3-(1) |
7 | 74 | 地図 | 地図中の「明」 | 「16世紀ごろの世界」の地図において、中国東北地方が明の領域に含まれておらず、不正確である。 | 3-(1) |
8 | 79 | 側注 | キムチの材料となっているトウガラシは、このころ、朝鮮から日本に伝わったんだよ | 誤りである。 | 3-(1) |
9 | 110 | 表 | 明・清 | 明から清への王朝の交代は17世紀に入ってからであり、16世紀におこったように書かれているのは誤りである。 | 3-(1) |
10 | 120 | 側注1 | 1862年、薩摩藩は……翌年その報復を受けました(薩英戦争)。 | 薩摩とイギリスとの提携関係を記述した本文との関連が理解し難い表現である。 | 3-(2) |
11 | 125 | 図 | 「おもな農民一揆と士族の反乱」 | 函館と松前に士族反乱はおこっておらず、また神風連の乱の発生年も実際のものと違っており、誤りである。 | 3-(1) |
12 | 141 | グラフ | 「賠償金の使いみち」 | 賠償金の総額を3億6千万円としており、3億1千万円とする140頁の記述と相互に矛盾している。 | 3-(1) |
13 | 153 | 18 − 19 |
シベリア出兵による米の買いしめから米価がはね上がったため | 「シベリア出兵」について説明がなく理解し難い表現である。 | 3-(2) |
14 | 154 | 左上写真 | ベルサイユ講和会議 | 「パリ講和会議」の誤りである。 | 3-(1) |
15 | 156 | 上図 | 五・四運動 二十一か条の要求とベルサイユ条約は、中国において反日と反帝国主義の運動を引きおこしました | ベルサイユ条約の内容が反日・反帝運動の直接原因であったかのように誤解するおそれのある表現である。 | 3-(2) |
16 | 156 | 12 | 国民革命 | 説明がなく、理解し難い。 | 3-(2) |
17 | 177 | 10 − 11 |
その間ソ連も参戦し、満州・朝鮮に進出してきました。 | 173ページで記述されている日ソ中立条約と、ソ連参戦との関係が説明されていないため、理解し難い表現である。 | 3-(2) |
18 | 191 | 6 − 13 |
1970年代のはじめに、日本経済は低いながらも安定した成長の時代に移りました……この石油危機からぬけ出すことに成功しました。 | 安定成長の時代への以降と石油危機との前後関係が逆になっており、誤りである。 | 3-(1) |
検定基準の欄には、義務教育諸学校教科用図書検定基準又は高等学校教科用図書検定基準の第2章及び第3章に掲げる項目のうち、該当するものの番号を示す。