検 定 意 見 書
受理番号 12-357 | 学校 高等学校 | 教科 地理歴史 | 種目 世界史B | 学年 |
番号 | 指摘箇所 | 指 摘 事 項 | 指 摘 事 由 | 検定基準 | |
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頁 | 行 | ||||
1 | 5 − 16 |
世界史への扉 | 学習指導要領に示す「内容」の(1)のアからウについて、「内容の取扱い」の(2)のアに照らして、選択して学習することができるよう配慮がなされていない。 | 固有 2-(1) |
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2 | 5 − 16 |
世界史への扉 | 学習指導要領に示す「内容の取扱い」の(2)のア「二つ程度主題を設定して追究する学習を行うこと」に照らして、学習主題が明示されておらず、扱いが不適切である。 | 2-(1) | |
3 | 5 − 8 |
世界史への扉 世界を凝縮した都市−上海 |
学習指導要領に示す「内容」の(1)のア「世界史における時間と空間」について、「人々の時間意識や空間意識が時代や地域により異なることに気付かせる」よう配慮されておらず、不適切である。 | 2-(1) | |
4 | 11 | 6 − 8 |
18世紀に、イギリスの人々の間で綿織物への需要が高まったとき、東インド会社の手によって、インド産の綿布が大量にイギリスに輸入されるようになった。 | 東インド会社が18世紀に綿布輸入を開始したように誤解するおそれのある表現である。 | 3-(2) |
5 | 15 | 10 − 11 |
日露戦争は、日清戦争・義和団弾圧戦争とともに日本の中国に対する侵略戦争であることにかわりない | 三つの「戦争」を同列に扱っており、誤解するおそれのある表現である。 | 3-(2) |
6 | 90 | 10 − 11 |
このころ帯方郡も韓族らに滅ぼされたので | 誤りである。 | 3-(1) |
7 | 91 | 20 − 21 |
このころから、中国の王朝に対して自国を「日本」と称するようになった。 | 学説状況に照らして、遣隋使派遣の頃から中国に対し「日本」という国名を用いるようになったというのは不正確である。 | 3-(1) |
8 | 119 | 脚注 | 科挙によって文・武官僚に採用された。 | 高麗時代の武班に科挙は実施されておらず、不正確な記述である。 | 3-(1) |
9 | 141 | 脚注 | このほか、フランスには12世紀、シトー派(Cistercian)がうまれ、・・・ドミニコ修道会(Dominican Order)も名高い。 | シトー派とフランチェスコ修道会が並記される一方で、ドミニコ修道会が托鉢修道会として別記されているため、各修道会の性格について、誤解するおそれのある表現である。 | 3-(2) |
10 | 143 | 2 − 3 |
カトリック教会に対する、東方のギリシア正教会の独立性も強まった。 | ギリシア正教会がカトリック教会に従属していたように誤解するおそれのある表現である。 | 3-(2) |
11 | 221 − 222 |
25 − 1 |
ついで人間および市民の権利の宣言(人権宣言)を発表した。 | 人権宣言が8月4日に発表されたように誤解するおそれのある表現である。 | 3-(2) |
12 | 239 | 脚注 | 恐怖政治の記憶のなかでマイナスのイメージであった「民主主義=平等化」を、歴史の流れとして積極的に評価・・・政府の専制におちいる危険性をつねにはらんでいることを指摘した。 | トクヴィルの民主主義観が説明不足で、理解し難い。 | 3-(2) |
13 | 243 | 12 − 13 |
労働者の解放をめざす世界最初の社会主義的革命政権であった。 | パリ=コミューンの性格に関して、誤解するおそれのある表現である。 | 3-(2) |
14 | 243 | 脚注 | 普仏戦争後のアルザス人の悲哀を描いた小説に、ドーデの『最後の授業』がある。これは他国語であるが精神的に支持されていたフランス語が禁止された当時の状況を描いたものである。 | 普仏戦争前のフランスがアルザス人にフランス語を強制していた点、ドーデの『最後の授業』が対独報復意識をあおる意図を有していた点に照らして、理解し難い表現である。 | 3-(2) |
15 | 268 | 左上図 | 三角貿易(18世紀後半〜19世紀なかば) | 図のような三角貿易が18世紀後半に完成していたというのは誤りである。 | 3-(1) |
16 | 285 | 23 | 全 準を指導者とする甲午農民戦争(東学党の乱)がおこり | 甲午農民戦争の性格に関して、不正確である。 | 3-(1) |
17 | 288 | 5 | 李太王高宗 (p273脚注も同様) |
朝鮮の君主の呼称として、不正確である。 | 3-(1) |
18 | 310 | 地図 | 地図中の「長征路」 | 長征の終結点を延安とするのは誤りである。 | 3-(1) |
19 | 335 | 脚注 | 封建勢力を打倒する革命を共産党の指導でおこない、社会主義化を準備すること。 | 「新民主主義」の説明として、不正確である。 | 3-(1) |
20 | 349 | 6 − 7 |
日本との国交を回復 (p351表題も同様) |
国交を回復したとする表記は、不正確である。 | 3-(1) |
21 | 351 | 16 − 20 |
田中内閣は高度経済成長政策を推進したが、1971年のドル=ショックによって円を変動相場制に移行させ、・・・日本経済は大打撃を受けた(石油危機)。 | 田中内閣の政策と国際通貨制度の変化、石油危機との関係が不正確である。 | 3-(1) |
22 | 364 − 369 |
第19章 現代の課題 | 学習指導要領に示す「内容の取扱い」の(2)のエの(イ)「例示された課題などを参考に適切な主題を設定し、生徒の主体的な追究を通して認識を深めさせる」に照らして、学習主題と追究方法が明示されておらず、扱いが不適切である。 | 2-(1) |
検定基準の欄には、義務教育諸学校教科用図書検定基準又は高等学校教科用図書検定基準の第2章及び第3章に掲げる項目のうち、該当するものの番号を示す。