宮本太郎氏(北海道大学大学院法学研究科教授)意見発表

【宮本氏】  

 宮本でございます。お話をいただいたときに、高校教育に関するヒアリングということで、ちょっとしげしげと文章を見直して、私で本当に役に立つんだろうかと自問自答したんですけれども、今御紹介にあずかりましたように、私自身、専門は社会保障をめぐる政治ということでございまして、いささかこのテーマとは遠いところにおります。ただ、おそらく皆様の方もそれは先刻御承知ということで、今日は少し大きなところから、つまり、今の日本社会の変化の中で高校教育の新しいポジションみたいなものを話せという御趣旨というふうに受けとめて、そのようにお話を進めさせていただきたいと思います。
 日本社会の大きな変化の方向ということでございますけれども、これはまさに税と社会保障の一体改革が目指す方向でもあるということで、その場合、生活保障の在り方が変わってきているんだということが、今日の議論のポイントです。生活保障というのは、私は、本なんかでは、雇用と社会保障を合わせて生活保障と言ってもいるんですけれども、広義には、教育と雇用と社会保障を一体のものとして生活保障というふうに考えたいと思います。だれしも教育を受けて、見返りのある仕事につける。そして、何らかの事情で勤労所得が中断した場合に、それに対して社会保障が対応できるという、その三位一体が生活保障になるわけですね。
 実は、これまでにも増して、生活保障すなわち教育と雇用と社会保障が一体のものとならないと、それぞれが成り立たないという事態に立ち入りつつあるのではないかというのが、私の理解でございます。少し粗々の話になりますけれども、まず、これまでの日本の社会において教育と雇用と社会保障がどういうふうにつながっていたのか、それがどこで機能不全を生じ、そしていかなる方向が展望し得るのかということをお話ししたい。これまでの日本社会の生活保障というのは、いってみれば会社をつぶさない仕組み、この図でいえば真ん中にある、私が三重構造と呼んでいる仕組みが軸になっていた。要するに、行政・官僚制が直接・間接に業界・会社を保護する。業界・会社は男性稼ぎ主の雇用を守り、男性稼ぎ主が妻・子供を養うという、行政・官僚制、業界・会社、そして妻・子供・家計というこの三重構造が、真ん中で成立をしていたわけですね。
 そして、男性稼ぎ主はめったなことで仕事を失わない。その結果、会社が1つのミクロコスモスとして、実は若者たちの教育的な機能も担ってきた。そこに行く前に、少しカメラを引いて生活保障の全体像というのを振り返っておくならば、そうした会社をつぶさない仕組み、三重構造というのは真ん中にあって、私は「22歳まで教育」といっているんですけれども、22歳まで教育とそれから人生後半の社会保障が、両方から三重構造をサンドイッチしていた。これがこれまでの生活保障の仕組みだったわけですね。
 22歳まで教育、特に高等教育に求められていたのは、何であったのか。基本的に会社がつぶれない仕組みですので、会社がミクロコスモスで、そこがまさに能力の形成の場であったわけですね。能力というのは企業特殊的熟練でもあるし、また、先ほど来、古賀先生が「市民性教育」という言葉も使われていましたけれども、電話のとり方から敬語の使い方から、要するに人とのつき合い方一切合財を全部会社で仕込まれるということが前提になっていたわけです。
 じゃあ、公的教育には何が期待されていたかというと、これは実際私がかつて勤務していた私立大学で、慶應の総合政策のような政策系学部をつくれということで、関西の上場企業の人事部を回ったことがあるんですけれども、どういう教育を期待するかというと、はなから人事部の責任者たちは、無理しないでよろしいと。うちがうち流に仕込むから、やっぱり我慢強さといったようなことを身につけさせてほしい、とこうおっしゃるわけです。ここから考えると、高校教育というのは、遊びたい盛りに、いろんな欲望が渦巻く盛りに、こういったら怒られますけれども、なるべく無味乾燥な受験勉強をこなしていく我慢力、素材力、自己コントロール力の実践の場だと。大学はその力に偏差値という判子をつく。ミクロコスモスとしての会社は、そこで偏差値という判子さえついていればそれを信用して、あとは企業特殊的熟練で自分たち流に育て上げていくことが前提になっていたわけですね。
 逆に言うならば、いったんミクロコスモスとしての会社に入り損ねると、若者たちは大人になる機会を失ってしまうという、よく考えるとたいへん問題のある仕組みがあったわけであります。そして、社会保障は、現役世代はめったなことでは生活保障が危殆に瀕することはないということですので、人生後半の支出に集中する、こういう仕組みであったわけですね。
 こうした教育や社会保障のあり方は、三重構造が崩壊してしまったということになります。これは、先ほど来、古賀先生がおっしゃっていた社会的排除という問題を惹起するわけですけれども、これに対して、今、社会保障が人生後半に集中してしまって、現役世代を支援してくれない。学び直したいという気持ちは強くなるわけです。まさに職場の経験値をもとにもう1回教育とかかわりたいと、これも今お話があったところですけれども、しかしそうは問屋がおろさないわけでありまして、「学び直し」はたいへん困難である。18歳そして22歳で一生の仕事を決めなければいけないという道理は全くないにもかかわらず、新卒一括採用の仕組みはそれを強いてきた。そして、あとには戻れないからこそ保険で、この先どうなるかわからないけれども保険を掛けていこうというのが、先ほどのお話の趣旨だったと思いますけれども、実は、こういう状況だからこそ大学進学率が上がっている、保険を掛けているんだけれども、これは給付のない保険なんですね。保険料を払っても見返りがない可能性が高い。内定率は、10月の段階で、大学で57%でしょうか。つまり、頑張って大学にやってもその見返りがないわけでありまして、かといって、もう1回勉強し直そうにも、高等教育の自己負担率の高さが象徴するように、もうなかなかそこには立ち入ることができないわけですね。
 こういうにっちもさっちもいかない状況の中に若者たちはいるということです。そして、真ん中の三重構造が崩れてしまっているにもかかわらず、22歳まで教育と人生後半の社会保障というのがそのままの形で持続しているところに、今の若者たちの困難がある。
 今、社会保障に関しては改革が始まっているわけですけれども、ここに伺っているから申し上げるわけでは決してないんですが、今お話ししたことから伺えるように、実は社会保障の改革だけでは生活保障のシステム改革は成立をしない。ここに高等学校教育も含めた教育の改革が絡んでこないと、実は社会保障改革そのものが成り立たないということを、今日は強調したいと思います。ちなみに、この写真は、大学の就職部ではやっているモニュメントでありまして、大学の就職部の入り口に正規雇用者の生涯賃金と非正規雇用者の生涯賃金、正規だと2億7,000万とか8,000万とか、非正規だと9,000万とか、その差が1億8,000万になるわけですね。それを札束の量にして見せて、必死に正規として潜り込まないとえらいことになるぞという、そういうメッセージです。これは、若者たちが立ち至っている困難を前提にしたプレッシャーになってしまっているわけでありまして、こうした苦境から脱することを可能にするためにも、教育と社会保障の改革が求められているということになると思います。
 それでは、どういう改革なのかということなんですが、私は「3つのステップ」だと言っているわけです。3つのステップというのは、基本的には、去年の12月10日でしたか、私どもの社会保障改革に関する有識者懇談会が政府に提出した「安心と活力への社会保障ビジョン」で議論していることなんですが、これは社会保障だけではない、先ほど来申し上げているように教育と深くかかわってくるということです。
 1つは、全世代対応化です。これは、教育、社会保障ともに全世代対応化を進めなければいけない。これまで教育、雇用、社会保障が一列縦隊で並んでいたわけですけれども、それぞれを全世代対応化していく。社会保障の面から見ていくならば、人生後半に集中していた社会保障を現役世代支援に広げていくわけですね。その場合、支援のポイントは2つでありまして、家族における子育て、介護を公的にサポートすることで、女性が雇用とつながることができると同時に、子供たちに質の高い就学前教育を提供する。他方、社会的に排除されてしまった若者たち、失業であれ非正規雇用であれ、能力を高めるチャンスを構造的に失ってしまった若者たちを、雇用に結びつけつつ、その能力を高めていく支援を行う。
 これは、人生後半の社会保障を現役世代に、2方向に広げていくことなんですけれども、実は、ともに社会保障と教育の融合でもあるわけですね。二の橋をかける上では、重要なのは就学前教育ですけれども、スウェーデンではこの橋をかけるために幼保の一体化が進みました。また、排除された若者たちを雇用に結びつけるその中身も、公的な職業訓練だけでは、今、若者たちが雇用につながることができない。まさに生涯教育的なそうしたサポートがあって初めてそれが可能になる。ここでも教育と社会保障の融合が進んでいる。繰り返しになりますけれども、社会保障の全世代対応化というのは、教育と社会保障の融合でもあるということです。
 その上で、全世代対応化は実は雇用との双方向化であるということですね。これを先ほどの社会保障ビジョンの中では、「参加保障」という言葉で呼んでいます。教育でいうならば、これまでの一方通行ではなくて、いったん働き始めてまた学び直すあるいは訓練を受け直すことができる条件をどう確保するのか。実は高齢者も含めて、これまで加齢及び体と心の弱まりに伴う困難を社会保障で引き受ける。のみならず、やはりこうした人々の最大のウエルビーイングというのは社会とつながり続けることだということで、どうやってこれをもう1回社会につなげていくのか、雇用に連携していくのかということが問われてくる。つまり、橋をかけて雇用と教育、家族、失業、退職など雇用の外にあるステージを双方向的にむすびつけていく必要がある。
 最後に、渡りやすい橋をかけなければいけないわけですね。そうしないと、この全世代対応化と双方向化は成り立たない。そのためにもこの橋をだれがかけるのかというと、新しい公共も含めて多様な主体でかけていかなければいけない。まさに多元化であります。ここは4つの橋をどういう主体がかけていくのか。もちろん公共政策が橋をかける主体になるわけですけれども、今、人々が社会や雇用とつながりにくいその事情というのは千差万別でありまして、例えば、先ほど来申し上げているように、失業している、非正規である、だからといって定型的な公的職業訓練を上から提供すればみんなスムーズに雇用につながっていくことができるわけでは決してない。1人1人は、例えば家族の問題、あるいは長い間仕事から排除されていたことによるさまざまなメンタルな問題等、複合的な問題を抱えているわけですね。
 今、内閣府ではパーソナルサポートという支援事業の準備を進めていますけれども、実はまさにパーソナルなサービスが提供されなければいけない。これは先ほどの今村さんのカタリバの話がまさにそれだと思いますけれども、今、いったん働いてみないと何をどう勉強していいかわからないわけですね。ところが、一方通行型の社会でやってきましたから、この橋が双方向的になってないわけです。で、カタリバがおやりになっていることというのは、この現状の中で、まさに新しい公共という回路を通して、高校生たちに、働くことあるいは仕事とのつながりで今学んでいることを考える機会を、まさに語りを通して提供していく。日本では実際に経験することはなかなか難しいのが現状ですから語りを通して提供している、そういう役割を果たしている。カタリバというのはここに入ってくると思うんですね。その他、さまざまな新しい公共がこの橋をかけていくということになります。
 3ステップというのは、もう1回整理をしますと、全世代対応化、双方向化、そして供給主体の多元化、なかんずく新しい公共の役割が重視されていくということになります。このような形をとることで、教育、雇用、社会保障の一列縦隊型、一方通行型のシステムは、交差点型の仕組みに転換する。すなわち雇用、教育と家族、退職そして失業という人生の5つのステージを、個々の若者たちが試行錯誤しながら、そして場合によっては腹をくくりながら、すすんでいくかたちです。
 要するに、これまでの仕組みというのは、これは竹内洋さんの「過熱と冷却」の理論を出すまでもありませんけれども、何かわからないけれども一列縦隊で、加熱され冷却され、加熱され冷却され、前へ前へ進んでいく。実は日本社会というのは、腹をくくって大きな転換を試みる機会が持ち得なかったのではないかと思うんですね。これに対して交差点型の仕組みというのは、このような形で橋を提供して、どこかで若者たちに腹をくくることを求める仕組みでもあると思っています。
 以上の話を少し具体的にイメージしていただくために、北欧の事例なかんずくスウェーデンの経験をちょっとお話をしてみたいと思うわけです。今申し上げたお話を高校教育の中身ということに引きつけて言うと、これは教育の職業的意義という話になると思います。ところが、例えばスウェーデンと日本における高校教育を想定した教育の職業的意義をめぐる議論って、何かずれてるんですね。
 一般に教育学者の皆さんの中では、この問題をめぐっては大きく議論が分かれるわけです。例えば本田由紀さんが教育の職業的意義という話をされると、教育学のなかではこれに批判的な議論も起きてくる。何で教育の職業的な意義が教育学者にとってあまり好ましくなく響くのかというと、これは大陸ヨーロッパ型のライフサイクルを想定して、いわば徒弟制度的に早い段階で若者たちを職業訓練で囲い込んでしまうという、そういうことが念頭に置かれるわけです。ところが、実は、まさに北欧でも、スウェーデンでも、70年代に入ってから、高校教育における職業的な意義が前面に押し出されます。しかし、その位置づけというのは全く大陸ヨーロッパとは異なっています。
 まず60年代の終わりから70年代にかけてスウェーデンで何が行われたのかということを、舞台設定として申し上げておいた方がいいと思うんですが、まさに70年代というのは、石油ショックが起こり、これまでのような重工長大型の産業で経済を牽引していくというのは難しくなりました。知識社会、サービス社会が到来した。これにどう福祉国家として対応していくのか。
 ここで、70年代のスウェーデンにおいて取り組まれたのは、1つは女性参加型経済です。ウーマノミクスという言葉が最近ありますけれども、要するに、外国人労働力よりも女性が活躍できる状況をつくる。そのためにも、子どもに上質な就学前教育を提供していくことが求められている。それは女性の社会参加を支えるだけじゃなくて、まさに子供たちの能力開発にダイレクトにつながっていく。つまり2番目が上質な就学前教育。3番目がリカレント教育の構築が進められた。女性参加型経済と上質な就学前教育とリカレント教育が三位一体になって、知識社会における福祉国家の戦略として追求されたのが、70年代のスウェーデンで起きたことでした。
 68年に、スウェーデン語を略してコンブクスと呼ばれますけれど、自治体成人教育が導入されます。この夏にストックホルム市のコンブクスに行っていろいろインタビューしてきたんですけれども、何をもって卒業というかということが、制度の違いから単純ではありませんが、大体、スウェーデンの若者たちは、そもそも高校もちゃんと卒業しない。ともかく高校を卒業する年ごろになるといったん働いてみるわけですね。働いてみて、職業的な経験値、先ほどのお話ですけれども、それをもう1回勉強と結びつけたいという気持ちが強まってくるときに活用され、またすべての自治体の主要な仕事の1つが、この自治体成人教育。人口900万ちょっとのスウェーデンで30万人ぐらいが今コンブクスで学んでいますけれども、高校水準教育の比率が一番高いんですね。要するに、いったん社会に出て、高卒の資格を取るために、自治体が提供する成人教育に入り直すということです。コンブクスで学んでいる30万人前後の若者たちの平均年齢は30歳であります。
 同時に、71年には総合制高校がスタートする。ここでは一般教育と職業教育の総合化が図られるわけですね。まさに教育の職業的意義が強調されるんですけれども、ここが先ほど申し上げたように日本における議論とちょっとずれているところでありまして、若者たちを職業的に囲い込むことを目指して職業教育が導入されたわけじゃない。ともかくいったん社会に出てみるステップとして何かの職業的な入り口を設けるということです。大学教育は無償化になり、そして、奨学金は生活費を支払うために提供されるわけですけれども、いつでも大学に行ける。大学は無償だから、みんなが大学に殺到したら、財政的にはもたないわけですね。だから、大学には、大学で学ぶ意義を職業経験を通して強く感じた者だけに来てほしいということもあって、これはいわば本音の部分になるわけですが、リカレント教育のシステムを構築していくにあたって、まずいったん社会に出てみる入り口として職業教育を部分的に導入するわけですね。
 75年には幼保一体化が進められるわけですけれども、これも将来的にさまざまな職業についていく基本的な認知能力の形成というところにポイントを置いて、同時に女性の社会参画を支えるインフラとして導入をされていくわけです。77年には――すみません、これ、高校教育法と書いてありますが、間違っていました。高等教育法であります――大学そのものについてもリカレント教育のシステムを前提に、いったん社会に出た若者たちを迎えることを目指して、これも御存じのとおり25.4ルール、25歳以上で4年以上の勤労経験を経た若者たちは優先的に迎え入れる。これは今、いろんな事情で、制度的な枠組みとしては縮小していますけれども、この制度が始まったのが77年ということになります。
 このような形で、先ほど私が交差点型の社会というふうにモデル化した仕組みが、70年代にでき上がっていくわけですね。したがって、スウェーデンの若者のライフサイクルを見ていると、これ、下線部に年齢、縦にその世代の若者たちが何をしているのかというパーセンテージですが、一番色の薄い部分が教育を受けている、2番目が就労している、一番色の濃い部分が無業者ですけれども、交差点型の仕組み、リカレント教育と就学前教育、女性の社会参画の三位一体化がすすめられた北欧社会のパターンと、その他の社会のパターンは明らかに違いがある。それは何かというと、この谷の部分ですね。ともかく17、18、19ぐらいになるといったん若者たちは勉強をやめて働いてみる。そして、そこで自分に向いた職業についての見通しを得てから、そのために必要な学問ツールを学ぶ。ある若者たちにとっては、それはコンブクスです。ある若者たちにとっては、それは公的な職業訓練です。ある若者たちは、大学に進学する必要を感じるというわけですね。
 こうして適材適所、若者たちにとっても自分の能力を発揮できるし、また、人的資本しか頼るものがないスウェーデンも日本も事情は一緒ですけれども、そうした社会にとっては何よりも強い競争力につながっていくということです。
 もう時間が来ていますので、その仕組みと経済競争力の関係については、この世界経済フォーラムが発表した2010年度の競争力ランキング。これは、スコアは人的資本、教育システム等の評価でありますけれども、スウェーデンはアメリカを抜いて経済競争力では第2位と評価されています。ここには、社会的支出のGDP比も出していますが、社会的支出の大きさと国際競争力はほとんど関係ない。それをどう使うか。その使い道として、今申し上げたような交差点型の社会、教育と雇用と社会保障の新しい連携を構築するならば、それは見返りのある「社会的投資」ということになってくると思います。
 若干超過しましたが、以上でございます。

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