徳島県教育委員会からの御意見

所属・現職等

徳島県教育委員会 教育委員長(真言宗御室派別格本山箸蔵寺住職) 佐藤 盛仁 氏

御意見

 本県では、徳島県教育振興計画において「郷土に誇りを持ち、社会の一員として自立した、たくましい人づくり」を基本目標として掲げているが、本県に限らず教育のめざすべき目標としては、職業教育の先にある、実社会とのマッチングをより意識する必要があると考える。 
 高校、大学がそれぞれの立場において、特色ある教育を行っているにもかかわらず、就職の段階において、企業側のニーズとのミスマッチによる就職難やせっかく就職しても早期離職が起こっているのは、憂慮すべき事態である。

 現在、大学や自治体が企業と連携して研究活動を行い、事業を展開していくという仕組みがあるが、そのような流れに人材を育成し社会に送り出すという立場で高校教育の関係者も積極的に関わり、社会の動きや社会が求めているものを吸収し、高校教育に取り入れていく必要がある。また、教育機関において制度改革などの議論を行う際には、外部の専門的立場の方々との連携を深め、意見を取り入れる仕組みが必要である。

 キャリア教育においては、教員や生徒が社会に対する理解を深め、実社会に即応した教育を実践するため、現在中学校で行っている職業体験や高校で行われているインターンシップの一層の充実が必要である。職場体験やインターンシップ等、発達段階に応じた経験を生かして勤労観、職業観を育み、自立できる能力をつける必要がある。そのための受け入れ企業の開拓においては、教員が企業を訪問するなどして行っており、生徒の職業意識の育成のみならず、学校への理解も深まっているところであるが、インターンシップを進める上では、厳しい経済情勢の中、受け入れ企業に対する助成制度など受け入れをスムーズに行う仕組みが必要と考える。

 また、自分がやりたいことを見つける、というキャリア教育と平行して、好きであろうがきらいであろうが仕事には就くべきであるという考えや、仕事自体が尊いものであるという基本的な価値観、「働くこと自体の価値」を教える必要がある。本県における教員採用選考審査において、キャリア教育に対する考えを質問した場合にも「なぜ働かなければいけないか」という質問に答えられる受審者は少なかった。教員においても、「やりたいことが見つからないのになぜ仕事をしなければいけないのか」という質問に答えられる教員を養成することが大切と感じる。

所属・現職等

徳島県教育委員会 教育委員(財団法人徳島経済研究所技術顧問) 西池 氏裕 氏

御意見

「高校教育のあり方」についての所感

【1】問題が生じている背景は何か

高校無償化を機に教育内容のみなおしが文部科学省の方針となり作業が進められている。
問題点はどのように認識されているのだろうか、問題点の「あり方」をまとめてみた。

(1-1)問題点の「あり方」

  鈴木文部科学省副大臣の記者会見記録を参考にすると「あり方」検討の背景となった実情認識は次のように整理される。
1 高校教育は非常に多様化するとともに抱える問題も複雑化している。
2 大学進学率は50%に達し、高校を最終学歴とする人が減少した。それゆえ高校入学時に普通高校と職業高校に分けている戦後の体制が、現状との齟齬をきたした。
3 社会が多様化しているから高校での学びも多様化している。
4 (大学進学をしない)50%の生徒が高校を終了したら社会の担い手となっていることが、担保されるべき姿である。
5 そのために改革が必要であるがまず問題点を洗い出したい。

(1-2)せんじつめると。

 その他の資料からも総合して結論的にいうと、生徒の「質的ばらつき」と「全体的な学力低下」が深刻なため、一度高校教育の問題点を洗い出してみようということである。

【2】ほんとうの問題はなにか、それが生じた原因は何か

(2-1)高校教育は「多様化」したか

   鈴木副大臣の認識では高校教育は非常に多様化しているという。一見それは正しいように見えるが、観点を考えると、高校(あるいは大学まで含めて)教育システムの根本構造が時代に合わせて変化しなかったため、現状と会わなくなっただけとも考えられる。根本をかえないまま制度を手直しするので、あたかも教育全体のあり方が多様化しているように錯覚しているということである。

  • 理念とは別にシステムの作用が種々の影響を与えることがある。特に社会的なシステムの場合その事に注意しなければならない。教育のシステムもしかりである。戦後一貫して高校教育に対して保護者を含め社会が望んだことは教育行政側が目指した理念とは些かな乖離があった。時間と共にそれは些かではなく非常に大きい乖離となって今眼の前にある。理念とは無関係に戦後教育システムは常に保護者・生徒・社会が望む上昇志向の選抜機能の作用を果たしてきた。保護者を含め社会が教育に求めことは、人間が人間になるための教育という理念でもなく、知識の専門性でもなく、教育を受けたというレッテル作用への期待だったのである。
  • 実際に大学の学部で得る知識を必要としている企業等は極一部である。新社会人は企業の中で再教育される。また専門的知識そのものは、所謂「学力」のように一律に測定することはできない。極論すれば「学力」は人材を選択する側がなるべく優秀な人材を得るための確率を高くする為のレッテルである。現状の教育システムは外れのない人間を選ぶために学校ヒエラルヒーを提供している。大学入学の難易度によって与える評価がそれである。競争により良い評価の学校に入学した者は、社会のより「良い」ステータスに上がる為の「資格」を得る。そしてその競争に「誰でも」が「自由に」参加することができるのが現在の教育システムである。
  • つまり大学へ進学する目標はより良い収入を得るための「資格」を得る事が第1義であり、そのことを社会もまた保護者を含めた学生達も多くは疑問としない。競争に参加できる「自由」は大学を志向する学生・保護者の数を年々増大させ、現在では50%を越えるに至った。
  • だが「学力」という一元的管理の競争では参加者が増大したとき全ての人が髙いランクの「資格」を得ることはできない。髙い「資格」を勝ち得る事が出来なかった学生達(それがほとんどであるが)の「閉塞感」をもたらし、景気動向によっては需給バランスがくずれた時に就職問題をより深刻化する。
  • 高等学校の教育はその「資格」獲得競争の前哨戦であり、少しでも良い「資格」を得るために、良い大学を目指す。良い大学を目指す為には普通高校を目指す。普通高校に入る「学力」を持たぬ者が、職業高校を目指す。高い「資格」を得るための第一次の選抜過程である。
  • 日本の大学進学率は50%というのが一般的にいわれている数字であるが、実は専修学校を入れると高等教育への進学率(除くパートタイム)は我が国では76%に及び、いわゆる先進国の間でもずばぬけている。専修学校への進学は「資格」の為の第二次選抜(大学入学試験)に敗れた結果ともとれる。一般大学への進学をあきらめる、あるいはいち早く文字通りの各種の資格を得るためのシステムとして存在する。
  • 以上のシステムは高度経済成長期の始まった頃までは、競争者が少ないために、かなり合目的的に機能していた。戦後民主主義で誰もが「自由」な競争で「夢」を持てる事になった。多くの場合「夢」は経済的にステータスの髙い生活を送ることに第一目標がおかれた。そして高度成長期ころから国民の多くがその「夢」をめぐる競争に参加できるようになった。しかし、それは一方では大量に、夢に敗れる若者を生み出すことになった。
  • 結論から言うと、「学力」というバロメーターで生徒学生を選別するシステムは戦後一貫して存在する。多様化しているようにみえるのは、「夢」が中途で潰えた、あるいは潰えそうになった人々の不満、閉塞感が種々の手直しを現在のシステムに対し要求し、それに対応しつづけているからである。システムの基本的な作用はいまだに変わっていない。
  • 競争者達は次第に高い「資格」を得ることのできる人数は限定されている当たり前の事実に気がつき始めている。今の「学力」観のもとに「上昇資格を得るための教育」システムがなかば幻想であることに気がつき始めている。そのプロセスが進行している限り若者の閉塞感は無くならないし、平均学力の低下は続く。
  •  「多様化」現象と呼べる事があるとするなら、その多くは現在の「資格」獲得競争システムの悪作用に対する対処療法の結果である。

(2-2)高校生徒は何を望んでいるか

  • 高校生の多くはこの上昇志向教育システムにのって普通高校に進学する。そこを通過してより高い「資格」を得ることが保護者の期待でもあるから。たぶん大多数の生徒にとって大学をでたところに存在する就職という最終選抜にはあまり実感がないであろう。クラブ活動はその間の青春を楽しむためのものであるし、極一部のものにはクラブ活動を通じて大学への「資格」が得られる夢もある。だが76%の生徒に対して次の選抜の時はやってくる。志望先の選択は、どの大学で何を勉強するのか、それ以上にどの大学なら自分の学力で入れるかが問題である。
  • 鈴木副大臣も特に問題としたのは高校教育を最終学歴とする24%(50%ではない)の生徒である。彼等が望むこと、あるいは望まれることは何であろうか。
  • 先日TV番組で来年卒業する生徒に「どういう教育を受けたかったですか」という質問をアナウンサーが行っていた。回答の殆どが「社会人としてのマナーをもっと教えて欲しかった」ということであった。これが代表的な意見であるとするなら、大きな問題点を露呈していることになる。第一に職業高校の生徒に社会が期待しているのはその職業のスキルではなく「社会人としてのマナー」であることの反映であると考えられる。職業高校の存在理由の喪失であるともいえる。(最も大学卒業の学生達に対して企業が期待することも大同小異かもしれないが)。第二に社会、あるいは家庭の教育力の低下である。社会人としてのマナーの教育は、義務教育の範疇にあるか、または高等学校教育の責務であるかは議論の対象であろう。しかし本来的には社会人としてのマナーは家庭教育、あるいは地域社会の教育の範疇ではなかろうか。

(2-3)教育現場は何を望んでいるか

  • 教育現場にとって最大関心事はやはり生徒がそれぞれ無事に卒業して、しかるべき進路に送り込むことである。それは最も重要な使命でもある。それ故、教師は送り出している生徒を現在の教育システムに如何に合致させるかに必死である。必然的に今のシステムの変革を考える時間が与えられない。それを考えることの出来る最も教育現場に近いのは教育行政に携わる人たちであろう。
  • しかしながらシステムがおかしくなってきたとき、それを最も敏感に捉えることの出来るのは教育現場に携わる人たちである。非行、暴力、引きこもり、不登校等々から全体の「学力低下」などの問題点に敏感に感じて対応する。しかし根本的にシステムの改善・変革を考えるのは基本的に教育行政の責務であろう。

(2-4)保護者は何を望んでいるか

  • 保護者には種々の教育に対する要求があったとしても、基本的には、或いは大多数は、少しでも自分の子弟がより良い「資格」を得ることである。保護者はその意味では生徒より学校教育への期待というものを持続して保有しているのではないか。
  • 時として保護者の願望は教育現場や行政にたずさわる者の教育理念とのせめぎ合いもじさない。そのような負の面が現代では多く指摘されるが、そのこと自体問題である。本質的には教育システムを良くしたいという動機があるのだから。
  • 保護者起因の問題に関しては親のエゴとしてかたづけるより、現代社会の価値観がもたらしている悪作用と考えたほうが、より対応への糸口がみつかると思う。

(2-5)国家という社会システムは何を望んでいるか

  • 国家という社会システムが教育に期待する効果は時に応じた人材の育成である。もともと公教育はそのために始まったのであるから。
  • 近代国家が最初に要求する教育の実質内容は、それを構成する職業人の育成である。その要求で最も大きな発言力を有するのは、発達した産業国家では企業の要請である。公務員は別としても、既に述べてきたように現代の教育システムは企業にとって必要な人材を確保するための選別に便利なシステムになっている。
  • 従って、現在の高校教育の問題点「質的ばらつき」と「学力低下」は将来の日本の総合的な国力の低下に対する不安感の表明であり、当面の現実問題として社会が困っているのではないとも考えられる。

(2-6)ほんとうの問題は何か

   高校教育をめぐる問題の根本は社会の構造が変化したことにある。本当の問題はそれへ如何に対処するかにある。高校教育システムに大きく亀裂を与えた社会情勢の変化は次のように捉えられる。

1  社会の構造が中央集中型からネットワーク型社会へ移行しつつあること。
 価値観を含み社会の構造が変化しつつある。象徴的なのは「地域の時代」と呼ばれる所謂パラダイム変化が起きつつあることである。その中で一つの価値観で「学力」を基軸とする教育システムがその変化に追随出来なくなったと考えられる。実は現在教育で一番問題が顕わに生じているのは国家という社会システムではなく地域という社会システムである。
2  少子化、過疎化への対応が必要なこと。
 高校教育をめぐる、最も焦眉の課題は学力問題より少子化、過疎化の問題である。これは全国的問題であると同時に、極めて地域的問題でもある。過疎化、少子化は教育の質の低下をもたらす原因となり、高校の統合化が進む中、地域社会毎の要求から生じやすい矛盾など多くの問題を胎んでいる。
3 流出化への対応が必要なこと。
 社会構造の変化が進行中とはいえ、地域と中央の関係はいまだに旧態依然として地域は中央への人材供給県である実態は変化していない。高校を卒業して、地域を離れて大学へいったあと人材は地域に戻ってこない。流出が続いている。これも教育システム全体が影響を持つ問題とも捉えられる。
4  社会的に必要な人材と教育内容がマッチングしていないこと。
 現代のように社会全体が画一的な選別方法で人材を教育していく場合、一握りの「資格」獲得者以外は、教育内容と社会の要求との間にミスマッチが生じる。工学部出身者が金融工学の分野を切り開いたなどという特別な例を除けば、出身学部と就職先は何らの関連がないというのが通例である。このことは職業高校の場合にもあてはまる。農業高校の卒業生の大多数は農業に従事していない。高等教育で教えるべき内容は何か、また高等学校教育で教えるべき内容は何かを再検討する必要があるとともに教育のシステムそのものの再検討が必要である。非効率な教育資源の使用をしているといえる。

【3】我々の高等学校教育システムはどちらの方向に向かえばいいのか

  上記の問題点を踏まえて今後目指すべき(高等)学校教育システムは次の3点を留意して構築していくべきと考える。この3点は相互に連関しているが、特に「地域に必要な学校システム」という考え方に力点を置くべきである。

(3-1)子供の個性・適正に対応できる真の多様性のあるシステム

 もっと多様な「学力観」が必要と考える。全国同一の学力テストで測定される学力だけが学力ではないはずである。価値観の多様性を基軸とした真の多様性ある「学力観」と教育システムが構築されない限り、問題の根本的解決はない。多様性は次に述べる地域の必要性に根ざしたシステムにおいて実現化される。

(3-2)中央と周縁の関係でなく地域に必要な学校システムのネットワークの構築

 「地域に必要な」という言葉の持つ意味は多様である。第一は地域の学校システムは地域で考えねばならないと言うことである。教育予算も含めて地域の主権が確立する必要がある。第二は大学、高等専門高校、高等学校、研究機関、社会教育機関までを含めた地域のための教育システムとして考えるということである。各々の教育機関は相互に役割分担を行い連携するということである。第三は地域として県単位より広域な領域を含めて教育システムを考えると言うことである。少子化時代に県単位では実効性が上がらない。第四に地域の特徴に合わせた教育を行うと言うことである。地域の産業・文化・風土に関する教育を行うと言うことである。(余談であるが教員採用試験で「徳島県ならではの教育とはどのようなものと考えますか」という設問に対し「阿波踊りを授業に採り入れたり、お遍路さんの事を教えます」と答えた受験者が殆どだった)。第五に広域地域教育システムは他地域との役割分担やグローバルな連関を目指すべきである。

(3-3)職業教育に重点をおいた高等学校教育と人材配分計画

 現在職業高校は「資格」ヒエラルヒーの下位構造とされている現状がある。それを打ち破る為には地域教育ネットワークで早期からの人材配分計画を行い職業高校のステータスを上げていく方法を考え、普通高校偏重の風習を打破する必要がある。  

【4】終わりに

 高等学校教育の問題は独立して解決することは困難である。地域主権の問題も関連して、教育システム全体の問題として考えていく必要がある。

所属・現職等

徳島県教育委員会 教育委員(社団法人徳島県看護協会会長) 水口 艶子 氏

御意見

 進学・就職を問わず大人社会への第1歩を踏み出すための最終的な準備段階が高校教育の役割だと認識している。
 義務教育でその基本は学んできたとはいえ、学んできたものを統合・分析・活用する能力を期待するのは無理であり、高校教育で培うことが求められる。しかし、現在の高校教育では専門学科以外は大学進学のための準備校という色合いが強くなりすぎて、社会・保護者の意識改革ならびに本来の役割を踏まえた教育内容、方法を検討すべきである。
 進学目的科目だけを重視するのではなく、学力向上のための教育とともに総合的な教育の場と各科のコラボレーションが必要である。

   1、人間を知る
     * いろいろな能力や個性をもった人がいて、それぞれに一人の人としてかけがえのない存在
      であり、尊厳は守られなければならない、人間関係の基礎作り。
   2、自己を知る
     * 自分の個性や能力を伸ばす、短所をコントロールすることを気づかせ
        他者と共に生きる意味を理解させ、困難に立ち向かう力を養う。
   3、社会を知る
     *  郷土を理解し、国や世界に関心をもつ。
     *  社会の成り立ちや各科の連携を学ぶことにより主体的に仕事を選択し、自分の将来の目標をみいだせる。
     *  社会の一員になる意味を理解させる。

 普通科教育、職業教育いずれにしても
   ・ 将来の希望や夢が語れる高校
   ・ 胸を張って自分の学校名が言えるような学校
   ・ 地域が自慢できる学校
   ・ 生徒に「自立・自律」精神が養える学校

 抽象的だがいじめなどに力を注ぐ気がしないほど、何かに熱中でき達成感のある学校づくり「生きる力が養える学校」にしたい。

所属・現職等

徳島県教育委員会 教育委員(元中学校長) 佐藤 紘子 氏

御意見

『真の生きる力』 が育っていない

 知・徳・体のバランスのとれた力こそ『真の生きる力』としてきたが、学校における教育においては、「確かな学力」に中心がおかれ、特に教科教育が中心となる高等学校では、「豊かな人間性」や「健やかな身体」を育てるカリキュラムが充実していない現状がある。
  保護者としても、先行き不透明な社会情勢にあって、高等学校ではとにかくしっかり学力を身につけ、さらに、より高度な知識や技能を身につけさせるために大学等へ進学させたいと願っている。知・徳・体のバランスのある教育こそ真の教育と誰もが思っているが、知識・技能の習得こそまず第一となり、日々の教育現場では、教科教育で試験に高い得点のとれる生徒を育てることに必死になっている。その実践にあけくれる教師にとって、「豊かな人間性」や「健やかな身体」を目指す道徳教育の充実や特別教育活動、総合的な学習の時間などは、必要とわかっていてもなかなかその時間をとることが難しい。
  その上、ほとんど義務教育化した高校生の中には、小中学校での学びが身に付かずに入学してくる場合もあり、その補習から始めなくてはならない。個別授業や習熟別授業がなかなか運営上スムーズにいかないこともある。
  また、昔の家庭生活においては、「親の背中を見て育つ」とも言われ、忍耐力や豊かな心が自然に身に付いていった。非常に緊密な地域社会などにおいても、日常の生活の中で規範意識や倫理観、逞しい精神が育っていった。学校教育の場で学べない「生きる力」が培われていった。現在では、様々な考えを持った人たちの中で育つ環境にはなく、日々の生活の中で自然に育っていく学びのバックボーンがない状況がある。
  このような高校現場の過密化や、家庭や地域社会の変化により『真の生きる力』が育っていないと思われる。

小・中・高の一貫したキャリア教育を                                      

  現在、生徒の勤労観、職業観の希薄化や、社会人、職業人としての資質をめぐる課題が多く取りざたされる。フリーター志向やニートと呼ばれる若者など、学校を卒業しても就労しない若者層が増えており、教育と就労の連携がうまくいっていないなどの様々な社会問題がある。小・中・高のそれぞれの校種で職場見学や体験学習が行われているが、めまぐるしく変わる社会の変動の中で、それぞれが直面するであろう様々な課題を乗り切っていく力は身についていないと思われる。はっきりとした目的意識や将来に向けての確かな夢、さらには、学ぶ意欲すら持たずに高校へ入学する生徒も増えてきている。専門高校の充実や活性化を目指すとともに、自立した社会人、職業人として、柔軟に逞しく生きていくことができるような教育の仕組みを充実させなくてはならないと考える。
 これは、高等学校教育に限らず、日本社会全体の課題ともいえる。            

所属・現職等

徳島県教育委員会 教育委員(筒井製絲株式会社取締役社長) 筒井 直典 氏

御意見

 今後の高校教育の在り方について

 私の会社では毎年若干名の大卒者と高卒者を新卒定時採用している。そこで受け入れ企業としての立場から、最近の高卒者の印象等を切り口として、キャリア教育等について所感を述べさせていただく事とする。但しその傾向は高卒者も大卒者も殆ど違いのないことを付け加えておく。
 社会の変化への対応のため人は一生学び続けねばならないと思う。その中での学校教育、更にその中での高校教育の在り方としてその役割を考えてみた。
 高校では何を教え、何を学ぶべきなのであろうか。義務教育化した高校の現実からすれば、進学であれ就職であれ、次の段階への接続が課題となる。
 高校教育に於いて全ての接続のために重要なことは「志をたてる」事の大切さではないかと思う。
 別に立志伝中の人を目指すような「志」を求めるものではない。将来自分が社会と主体的にどう関わっていくべきか、こういった事を課題として考える時間を重視し充実すべきだと思う。大学へ進学する者であれば、自分の将来を見据えてどんな学問をするかであり、就職を目指す者であればどこへ就職するかではなく、どんな仕事をするかを考える事に繋がると思う。

 次に教えるべきは競争社会の現実である。
 競争に慣れていないため敗れた時のひ弱さを感じる。しかしそれ以上に問題なのは、競争の回避を求める者がいることである。厳しい状況になると挑戦や打開を考えるのではなく、「退社」の道を選ぶ者がいることである。全体から観れば多くはないのかもしれないが、そういう人間が増えることは社会にとって大きな問題となる。

 最後に「夢(光)」を見せてやることである。これは教えると言うより、感じさせてやる事である。
 志を持て、競争に耐える気持ちを身につけろ、等といくら教えても簡単にはいかないであろう。よく言われるたとえ話ではあるが、馬を水辺に連れて行っても、馬は喉が渇かなければ水を飲まないのである。自分の将来に光を見て、夢を見つけられれば、目を輝かせる生徒も現れるのではないだろうか。企業活動に於いて諸問題の改善に当たり、成功事例の報告を行う事を解決手法の一つにしている事業所は多い。身近な同僚の成功事例に勇気づけられ発憤する例は多いのである。同様に、教育現場にも積極的に社会人(企業からではない)の成功事例の発表機会を設けては如何かと思う。勿論先輩卒業生も講師たり得るのである。それは教えるのではなく、主体的に社会に関わっている姿を見せてやることなのである。
 今から20数年前、私は某工業高校の高校開放講座に通ったことがある。コンピューターの仕組みやプログラミングの初歩を学ぶためであった。直接指導を受けた先生と親しくなった事は勿論であるが、その手伝いをする高校生とも言葉を交わすようになった。私が質問した時、その高校生の生き生きとして、ちょっと得意げなその表情は今でも記憶に残っている。
 キャリア教育の一つとして、社会人から話を聞く機会は増えているようであるが、社会人と(決して企業人ではない)高校生との交流を授業に取り入れられないのであろうか。教える側と教わる側の一方交通的な教育環境ではなく、相互に影響を与え合う事ができるような内容や仕組みを教育現場で創り出せないものかと考えるものである。正解を教えるのではなく、正解がいくつもある問題、或いは答えのない課題を一緒に考える、そんな授業(進路指導)を高校教育に取り入れては如何か。
 第三次産業のウェイトが高まる中で、これまで以上に個性的かつ主体的な行動がとれる人材を社会が求めている。このような社会的なニーズにより高校教育に於いても個性的な人材の育成に努めている。そのためには個性的な指導者(先生)、つまり個性的な経験を経た先生が必要なのではないだろうか。もっと分かりやすく言えば、民間企業で一定期間働いたことのある教員を積極的に採用できないかと言うことである。自らの体験を通したキャリア教育を期待できるのではないだろうか。
 以上心に浮かぶまま記述させていただいた次第である。

所属・現職等

徳島県教育委員会 教育長 福家 清司 氏

御意見

1 今日の高校教育が抱える問題点=ほぼ全入に近い現在の進学状況の中で必然的に発生する「生徒の多様化」に対して、現行の「高校教育システム」では有効に対応できないこと。

   義務教育段階の最終学年である中学校3年生の学習到達度は、個人差が極めて大きいのが実態。本県では、高校進学率は約98%で、かつ私立高校進学率が4.1%と極めて低率(私立高校数が極めて少ないため)であることから、学力面で個人差の大きい中学生の大半が公立高校に進学する。
  中学校の進路指導は、生徒・保護者の希望に基づいて行われるものの、学習成績の程度によって、進学先が規定される傾向が強く、成績上位層は、難関大学・国公立大学への進学実績を有する特定の普通科高校、中位層は地方国公立大学や私立大学への進学が多い普通科高校や就職にも実績のある中心的専門高校、下位層は郡部の専門高校や定時制高校へ進学するという傾向が見られる。従って、等しく普通科高校、専門高校といっても、生徒の学力面での実態は、高校間で大きな相異が認められるのが実態である。
  一方、同じ県内ではあっても、人口が比較的多い地域と急激な人口減少、少子化が進む地域とでは、中学生が進路先として選択できる高校数には大きな差がある。少子化が進む地域では高校が限られていることから、成績上位層から下位層まで同一の高校に進学することになり、同一の高校内での学力面での多様化がより一層顕著となり、当該校の教育の展開に様々な問題を投げかけている。
 このように、本県の場合、ほぼすべての中学生が進学する公立高校において、高校間および同一の高校内での生徒の多様化がかってないほど顕著になっているという状況にある。こうした生徒の多様化自体は、近年、突然に発生した現象というわけではなく、これまでにも見られた現象であり、すでに国においても総合学科等の設置などの高校教育改革を通して、こうした現象に対応してきたところである。しかし、そうした取組が十分な効果を上げることができていないところに、今日の高校教育全体が抱える大きな問題点が横たわっていると考える。
 生徒の多様化によって、惹起されている高校教育上の課題は多岐にわたるものの、深刻な問題としては多数の中途退学者の発生や中学校に引き続く不登校生の増加傾向、高校教育の質の保証問題とも関連の深い学習上の課題、さらにはその延長としての進学や就職など、高等教育機関や社会との接続上の問題などが上げられる。
 以上のような理由から、このたびの「高校教育の在り方の見直し」に際しては、高校生の学力面を中心とする多様化の実態を踏まえた分析と議論が必要になると考える。

2  その解決策

  一言で「高校生の多様化」といっても、その内実は複雑で、日本全体で見ても都市部と地方では、公私の比率の問題も含めて大きく状況が異なる場合が多いし、同じ県内であっても、本県のように市部と郡部でも状況は大きく異なる。従って、この問題を検討する前提として、地域・学校・生徒の細かな実態に焦点をあてた精緻な調査と慎重な分析に基づいた議論が展開される必要があると考えるが、差し当たっての論点として浮かび上がるものとしては、

  •  現在の高校教育システムの基本的な枠組みとなっている高等学校学習指導要領、教科書、教員配置や学級編制基準などが実状に照らして適合性があるかどうか、
  •  高校教育の質の保証をどのように確保すべきか、

などが指摘できる。
 いずれの論点も大きな検討課題となるが、その解決の方向性としては、多様な実態に応じた柔軟な学校現場での対応が可能となるような制度改正などが求められると考える。

お問合せ先

初等中等教育局初等中等教育企画課教育制度改革室

(初等中等教育局初等中等教育企画課教育制度改革室)

-- 登録:平成23年05月 --