中央大学 文学部教授 古賀正義氏インタビュー概要:文部科学省
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中央大学 文学部教授 古賀正義氏インタビュー概要

1.実施日 

平成22年11月19日(金曜日)

2.インタビュー対象者 

中央大学  文学部教授 古賀正義 氏

3.概要

(東京都の教育改革の流れについて)

 都の高校教育改革において、中堅校を底上げするに当たり、高校だけでなく企業、大学の力を借りて生涯学習の流れの中で進めていく高校づくりを行っていこうという動きがある。高校教育改革において、進学指導に力を入れることは悪くはないが、一方で中堅校の性格付けを行うことが急務である。現状では、3分の1の高校は成功しているが、後はうまくいっていない。試みはいいが、持続する力がない。逆に、もくろみとは違うがうまくいく場合もある。その違いを分析する必要がある。

(市民教養獲得の場としての高等学校について)

 高等学校は、最後の市民教育の場である。専門教育を受けて国家の担い手となっていくということももちろん大事だが、元々は義務教育段階と高等教育段階をつなぐブリッジとなっている部分でもある。専門教育だけをやるのではなく、小中学校を経てきた生徒たちにもう一つ高い段階の市民性を養い、中堅的な市民としていろんな場で活躍する人材を作る必要がある。しかし、大学受験に重きが置かれ、保護者のニーズもそこにあるという現状では、ゆったりと市民教養を身に付けるなんていっていられないという声が根強い。
 たとえば税金について学ぶという機会は、社会に出てからはない。低ランク校卒業生のフォローアップ調査(拙稿2008「高卒フリーターの産出過程に関するエスノグラフィー研究-進路多様校卒業生追跡調査の結果から」)をしてみても、基礎的な市民性(市民として絶対的に必要な知識)を学んできていないという結果が出ている。敬語が使えない、漢字が書けないといった教養がない、上司からの指導に耐えられないなどのために退職してしまう。こういったことは、もう少し知識・技能、社会的教養があれば回避できる問題である。
 キャリア教育は大事だが、生きていく上で必要な基礎学力を身に付けることがまずもって求められる。義務教育で身につかなかったことを高校でもう一度獲得し直し、生活できるようにすることが必要である。高校で学んだことを使ってうまくいくということ、もっと勉強しなければならないということに気付くために、学校で学んだことを試してみて振り返り、学習の意味を問うような活動を行い、評価するシステムを作るなど、受験のためだけに学ぶのではない方向性を作ることが求められていると思う。
 総合学習の内容は今日進学指導重視になっているが、それだけでなく学校の外に出てフィードバックを受けること、評価を受けることを通して社会的スキルを身に付けていくことが必要である。このような機会がないと、問題を先送りするばかりで、卒業後にさまざまな困難が生じてしまう。
 私も参加したベネッセの全国調査によると、この5年間くらいの間に、なりたい仕事のある高校生が全体で15%くらい減少している。その原因は、キャリアの教育が浸透したことにより、なりたいと安易にいえなくなってしまっているところにもある。そしてなりたい仕事がない者の大半が大学進学希望者であり、いわば先送り的な「教育モラトリアム」が進んでいるといえる。
 何も考えないのもよくないが、考えすぎるのもいかがなものか。なりたい仕事はあるが、なれない可能性もあるという状況をよく理解し高等教育に進む方がベターである。しかし、現在は悩むところで終わってしまっている。
 学力的に上位の進学校の生徒(学力の柔軟性を備えている生徒)は、いろんなことを自主判断でできる。その一連の活動の中で市民性を身に付けていける。しかし、中堅校以下の生徒はできておらず、特別な支援が必要である。そこで、高校のプログラムとして市民性育成の実践を取り入れていくことが求められる。
 アメリカでは上(社会のシステムを動かしていく者)と下(単純作業労働しかできない者)の層の差が激しいが、日本では中流層の形成によってそこをうまく埋めてきた。しかし、今日、そこがそぎ落とされてきている。学校でしかそのフォローアップはできない。
 ヨーロッパ先進国では青年層の逸脱が激しかった。その点日本の青年は基本的に落ち着いている。日本の高校は丁寧なケアができており、ドロップアウトさせない努力をしている。その部分は日本の教育の優れているところであり、評価できる。それを継続しながら市民教養、市民性をはぐくむ教育プログラムを入れ、評価することが必要である。
 評価が活かせる場面として、AO入試がある。日本の大学入試においてAO選抜は存在するが、青田買いになっている。AOは本来、高校生活において育てられた人格を包括的に評価するはずのものである。アメリカでは大学でそういうものが求められているし、それがないと大学に行ってもダメになる。日本のAOはそうなっていない。多くの場合、学業成績と家庭の努力に重点が置かれてしまっている。社会力をみるAOに変えていきたい。
 市民教養について、教育プログラムにきちんと位置付け、教科学習がその上に乗るようなカリキュラムを特に中堅校でやっていくこと。キャリア教育を教科に位置付けてそこに入れ、きちんと評価をし、それを本人に返し、自覚させることが望まれる。それによって、ストレス耐性やコミュニケーション能力などを育てることが必要である。そのために、大人との接触をプログラムとして用意し、積極的に評価しつつ、自覚させるようなカリキュラム設定も必要となる。
 これは中学校では無理だろう。義務教育で学ぶべき基礎学力(=社会で使える基礎学力)をきちんと身に付けるのが中学校である。能力、カリキュラム両面で、高校の方ができると思う。
 総合的な学習の時間が教科としてのキャリア教育のようなものを目指してきたが、現状ではなりきれていない。総合科目は楽しいが内容が細切れになり、十分でなくなるために、うまくいかない場合が多い。寄せ集めのようなものではなく、タイトルをはっきり付け、もっと明確な性格付けをした方がよい。
 高校の文・理の区分もいかがなものか。知識のパッケージの固定観念が植え付けられすぎている。入試科目が少ないのも(たとえば、私立3教科入試)いかがか。それでは市民教育もままならないのではないか。5教科まんべんなくやるのがやはり理想である。
 さらに、自分が受けた評価が対外的に重要なものとして見えるものとして提示することも大事である。入試の能力もそのような方向につないでいきたい。

(高等学校の特色づくりについて)

 専門・職業学科は、特に地方では、依然としてステイタスは高く、就職率もよい。しかし、中退率及び3年後離職率も高く、ミスマッチが多いのも確かである。高校段階で職業をきちんと選べるのかは疑問。また、高卒者への職業的ステイタスも低下してきている。結局、専門学科は成功する部分もあるが、リスクもあるということである。普通科志向が強くなる理由もわかる。しかし、高校の多くを占める普通科が問題の巣になっていることも事実。普通科に職業科目を入れるという取組もあるが、実際には資格が取れるわけでもない。
 大学まで行かせるための学習のゾーンと、高校で完成させる学習のゾーンとを分けることが緊急に必要である。普通科についても職業教育を入れていくところ、市民教育を進めるところといった個性化・個別化が必要である。授業設計もそれによって変わってくる。
 地方では難しいだろうが、教員の人的資源の制限もあることから、可能であれば学校単位での個性化がよい。また、偏差値ランキングも無視することはできない。それを前提とせざるを得ないとすれば、学校単位で特色、個性を出すのが現実的である。それは、顔のある学校づくりである。総合学科は苦労しているところが多いことからも、単独校における多様なカリキュラム設定には限度があるし、学校の負担も大きくなる。
 今日でも、高校が「地域の誇り」となることが必要。生徒が高校への自負心を持って生きていくことは望ましい。学校の伝統、校風などを重ねていくと、顔のある学校づくりにつながる。

(組織づくりについて)

 HPでスクールアイデンティティを外部に発信することが必要である。外部を意識することは、内部の向上につながる。学校も社会の中でどのポジションにいるのかという観点が必要。その意識がないと毎日がルーティンになる。そのために学校評価を入れたが、依然活性化につながっていない。評価についての議論がなされず、評価のよしあしばかりが問題となっている。目標に対して組織が機能しているかどうかを確認し、継続的に見直すことが大事である。
 また、外からの視点で学校を見てくれる外部人材を置くとよい。第三者として専門性をもった人材を校内に位置付ける。先生方がその目を意識するため、力の入り方が変わる。たとえば生徒について互いに情報交換をする中で、先生方が生徒をよく見るようになるケースも多い。学校評議員は、会議ばかりで実感、実効性に乏しい面がある。実践の具体に入って示唆できる人がいると、高校の資源となる。
 あわせて、メンター制度が活用できるとよい。年代的に近い大学院生などをメンターにすると、生徒が現実的な悩み、生の声を話してくれる。先生方にいえないことを話している。この声をうまくすくいあげたい。
 教科学習については、予備校など受験産業と協働し、企業の客観的なデータはうまく活用すべきである。教科学習(オーディナリー)と受験勉強(アドバンス)を両立し、教科学習の特化した部分で受験産業と連携することは、学校の特色としてあってもよい。特色づくりの一つとして、外部を活用するということである。

(戦略的な特色づくりの取り組みについて)

 どういう目標を立てて、その目標達成のために何をするかということを戦略的に考えることが必要である。国なり自治体なりが示す中核となるイメージ図があれば、校長らが考えてやっていける。継続的にやるもの、エポックメーキングにやるものを両立していける。
 その点、地域の学校として私も参加参画した都立H高校はよくなった実例の一つであった。明確に学校としての特色を明らかにして、成功している。背伸びせず戦略的に全体の中での自校の位置付けを考え、地域特性をふまえて自校の性格、特色をカリキュラムとして設定し、その特色を地域に受け入れられ、うまくいっている。目指すところを明らかにし、それに向けて研修も含めた戦略的な学校づくりをしている。
 日本の制度は持続力と安定性においては世界の中でも優れたものである。しかし、フットワークが鈍い傾向がある。本庁の命令一下やっているようだが、実際にはそうはなっていない。だから個別化が大事になる。個別の高校を具体的によく見ていくと、多様性は担保されているし、大きな制度改革をしなくても特色づくりは可能と感じている。

(教員の質の向上について)

 教員のスクリーニングは必要である。教師の適性をふまえ、FAなど教師を獲得していくシステムの充実が求められる。東京などの大都市圏も教員の質はかなり低下してきており、むしろ保護者の方が優秀というペアレントクラシーの状況になってきている。給与水準、雇用条件を向上させ、人材確保することは急務である。
 近年コミュニケーション能力の低い教員も多い。コミュニケーション能力を生徒に求めているが、その前に教員にそれを求めないといけないのが現実。生徒の市民性育成プログラムをやりながら、教師もともに学んでいくことが必要であると思う。
 市民として求められるもの(例えば、政治参加、裁判員制度など)を教員もきちんと理解できることが大事である。以前は自然に学んでいられたこれらのものを意識的に補うことがいまや求められている。

(以上)

お問合せ先

初等中等教育局初等中等教育企画課教育制度改革室

(初等中等教育局初等中等教育企画課教育制度改革室)

-- 登録:平成23年03月 --