佐々木隆生氏(北海道大学公共政策大学院特任教授)意見発表

【佐々木氏】  

 北海道大学の佐々木でございます。文部科学省の大学改革推進の委託事業の「高等学校段階の学力を客観的に把握・活用できる新たな仕組みに関する調査研究」の研究代表をやらせていただき、このほど今年9月30日付けで、お手元にある資料3-2のようなものを提出させていただきました。既に大学振興課からホームページに掲載し、公開されておりますけれども、後ほどこれをお読みいただければと思っております。今、これを読んだ様々な教育界の方々から私のところに意見も寄せられるようになっておりますが、日本型高大接続の転換の機会が初めて生まれているかと存じます。
 シートの2枚目をごらんください。日本の大学進学率は、わずか50%にもかかわらず、高大接続はAO入試や推薦入試などの非学力選抜が多くなるとか、少数科目入試が非常に多くなるとか、大学で学ぶのに必要な基礎科目の履修率低下などで機能不全に陥っております。高等教育は「やせ衰え」、高校教育は「底が抜ける」、このように表現して過言ではないほどの状態が生まれています。
 3枚目、4枚目のシートは現在先進国で生じている傾向を示しています。知識基盤社会の中で最も深刻なのは、実は所得と教育とが非常に強く相関するようになり、同時にそれが社会構造にも影響を与えているということでございます。3枚目の資料は、一般賃金を基準といたしまして、アメリカで高卒の賃金と大卒の賃金のプレミアムがどう変化したかを示したものですが、70年代はアメリカで一時期大卒が非常に増えて、そのために賃金が下がるのでありますけれども、その後、高卒の労働者の賃金に比べて開く一方だということがお判りになるかと存じます。
 次の4枚目のシートは職あるいは雇用の変化を示しています。80年代というのは、高卒の中間層の職が増えていたわけですけれども、90年代に入りましてからは、二極化とよく言われるのですけれども、これまでの工場労働者のような基幹労働力は増えないで、高等学校をドロップアウトしてウォルマートで働くような層と、大学、大学院卒に行く層の雇用が増えています。
 我が国はそこまで行っておりませんけれども、こういった傾向が実はEUでも日本でも次第に進行しているということを考えて、我が国の社会発展との関係で教育制度を考えなければいけないということを最初に申し上げておきたいと思います。
 5枚目以後のシートでございますが、私どもの調査研究である協議・研究は、教育再生会議等あるいは文部科学省から言われ始めて始まったものではありません。平成16年から20年にかけて、国大協や私大連などからボトムアップで、今の高大接続は何とかできないかという問題が提起されました。これが平成17年、18年、大学入試センターの所長懇談会や文部科学省の入試改善協議の場で検討されまして、それを中教審が引き取り、平成20年の「学士課程教育の構築に向けて」という中教審答申での高大接続テストについての協議・研究の提唱となったわけです。
 協議・研究は、平成20年10月から始まりまして、今年の9月まででございます。当初のメンバーは、国大協、私大連、私大協、全高校長、私立中高連、大学入試センター、それから都道府県教育長協議会、全国高校PTA連合会、その他含めまして22名で構成しております。そのメンバー等につきましては、資料3-2の44ページ、45ページにございますので、後ほどごらんいただければと思います。最終的には27名までメンバーは増えました。
 さて、日本の高大接続は非常に特殊だという認識をまず理解しなければなりません。高大接続、つまり高等学校と大学の接続ということを考えますと、2つの側面があると考えられます。1つは教育上の接続で、高等学校教育を終わって、あるいは後期中等教育を終わって高等教育へ移行するというものです。もう一つの側面は、進学先の選択をする、つまり、選抜という形の接続という側面があるわけです。
 教育上の接続については、教育目標に照らした達成度についての学力把握というものが必要になります。つまり、後期中等教育を一定程度きちんと修めたということが明らかにならなければいけないわけですが、アメリカ、ヨーロッパの場合には、すべて基本的にはここに共通テストがございます。
 共通テストといっても2つのパターンがありまして、ヨーロッパの場合には、基本的には高等学校卒業資格と大学入学資格を同時に与える、あるいは大学入学資格を与える試験が行われております。バカロレア、アビトゥーア、イギリスのGCEといったものがこれでございます。アメリカの場合は、高等学校と大学との関係がそう簡単に規定されておりませんので、高校卒業資格試験みたいなものはございませんけれども、かわりに、ご承知のとおりACT、SATという共通テストがあります。
 我が国には、これがございません。高校卒業をもって大学入学資格が与えられているわけですが、高校卒業資格は高等学校長の権限で出されていて、共通の学力把握を欠いているのです。
 他方、進学先の選択上の接続でございますが、アメリカ、欧州の場合には、共通テストがあるものですから、実は個別学力試験がございません。文部科学省がこれまで言っておりました総合判定主義に基づくような選抜が、アメリカやイギリスで行われています。ドイツのアビトゥーアの場合には、基本的にはアビトゥーアの試験の成績順序で選抜するということが行われていますし、フランスの場合には、原則バカロレアを通れば、その地区の大学には無条件で入れるということになっております。
 こういった共通テストのほかに、別個の、共通あるいは個別の試験がありますのは、イギリスのオックスフォード、ケンブリッジ、ロンドン大学の一部、フランスのグランゼコールといった、ごく特殊なところだけだということにご注意いただきたいと思います。
 我が国の場合には共通テストがない。ない代わりに、実は選抜の制度の中で学力を見るということになっていまして、個別学力入試とAO推薦入試が行われております。
 日本型高大接続というのは結局のところ、選抜のための大学の個別学力試験というものが高等学校と大学との教育上の接続を担う形になっていたということになります。
 なぜこういう制度が維持されてきたのかということについては、協議・研究の報告書に詳しく書いてございますけれども、一番重要なのは、実は少なかった進学者と、勉学意欲が高かったということだと、簡単に言えようかと思います。大学入試の選抜機能があったから、教育上の学力把握機能を大学入試に依存したとも言えます。特に、平成5年までは進学率が30%以下に抑えられました。これは昭和50年代の高等教育計画で大学を抑制したということなど種々の理由によりますが、簡単に言いますと、我が国の場合には、実はエリートが少ないという構造が慢性的にあったということになります。
 ところが、8枚目の資料をごらんいただきたいのですが、1980年代の後半から大きな問題が出てまいります。高校進学率が上昇いたしまして、それに対応しなければならないということが生じてくるわけです。ご承知のとおり臨教審から平成3年の中教審答申に至る過程がそうでございまして、その後の高校の制度改革と入試制度改革がこれに対応しています。
 そこで、示された考え方は、基本的には次のように展開されてまいりました。高校進学率が98%以上、つまり、高等学校が国民的教育機関になった。それに対して、大学の収容力が低下したという問題が出てきた。そこで、新しい政策が出されるわけですが、全員が大学に行くわけではないので、画一的教育をする必要はないということが強調されます。そこから3つの基本的な方針が出されます。高校に関しては2つ。1つは、高校の多様化でございます。2つは、高校の教育課程の弾力化。つまり、必修の削減と選択の幅の拡大でございました。そして3つ目が、大学入試の多様化と評価尺度の多元化でございました。特に第3番目は、実は隠れた重要な点を持っておりまして、文部省は戦後、学力選抜をやる場合には、なるべく普通教育を反映して、普遍的に教科・科目を課すようにと言っていたわけですけれども、1教科でもいい、あるいは特定の重点を置いた科目でもいい、さらに共通の達成度テストなしのAO入試でもいい、というふうに変わるわけでございます。
 ここで、私どもが見ることができるのは、普通教育の完成、つまり小学校から始まりました普通教育が完成して高等教育へ移行するといった接続装置が解除されてしまったということです。その結果といたしまして、教育上の高大接続に必要な学力把握は一層入試の選抜機能に依存するようになったのです。しかし、そのような依存は、大学の収容力の慢性的な不足によって支えられています。それが、やがて少子化による18歳人口の減少がきます。臨教審以来の改革は、結果的に日本型高大接続に修正をもたらしながら、機能不全を準備したということになります。
 しかしそれだけではない、もう一つの問題がございます。臨教審以来、個性重視の教育が強調されてきたのですが、普通教育は要らないのかというと、個性重視あるいは個性の花は普通教育の上に開くものだということがあります。
 現在、極端な少数科目入試などが展開されておりますけれども、普通・一般教育を欠いた専門家というのは、実は創造的な広い視野を持つ知識人にならない、非常に偏った専門家だけが生まれます。他方、現在、知識基盤社会では、融合領域、学際領域、異分野手法の活用というものが出てまいりまして、縦割りからは二流の専門家しか出ないという問題が出てきております。真に個性的な思考や思想は、基礎的教科・科目の修得を基礎とするものであって、普通教育の重視と個性重視は矛盾しないものに他ありません。今、わが国の高大接続には、普通教育の再建、基礎的教科・科目の学習の必要性というものが生まれたと言えるのです。そうなりますと、ユニバーサル段階での日本型の接続は機能不全になり、同時に普通教育再構築が必要だということになります。
 では、日本型高大接続の機能不全を克服し、普通教育の再構築をどうやってやるのか。私どもは、高校での基礎的教科・科目の履修と達成を促し、同時に個別入試の限界克服を目的とする一つのインフラとして、高大接続テストを導入したらいいのではないかという結論に至りました。
 それではどういったテストをやるのかということでございますが、一般的にテストには2つのパターンがございます。1つは集団準拠型テストと呼ばれるもので、普通の入試等に使われているものでございます。もう一つは、目標準拠型達成度テストでございまして、通常欧米の教育上の接続に係るテストでありますとか、TOEFLなどの試験はこれに当たるわけでございます。
 我が国で今必要なのは、集団準拠型の偏差値を重視するテストではなくて、高大接続に目標準拠型の達成度テストを入れるということではないでしょうか。
 12枚目をごらんいただきたいと思います。ではどういった中身が必要なのか。そこに4点書いてあります。基礎的教科・科目のカリキュラム・ベースでのテストであること。それから、高校生が複数回受験して目標を達成することを奨励するようなものであること。教科書から規準化された問題を繰り返し出題して基礎学力を育成するというものであること、同時に多様な高校と機能分化していく多様な大学が利用できるようなものということでございます。
 従来の集団準拠型テストでは、公平性の担保などから作題の工夫や一斉実施が必要となり、これらを満たすことが非常に難しくなります。そこで、アメリカの達成度テストなどに利用されている手法などを導入して、テストの標準化あるいは等化というものを実現する必要が在ります。
 テストが導入されたらどうなるかということでございますが、私は、高校と大学の両方の面で大きなメリットが生まれるというふうに考えております。まず、高等学校でございますけれども、高大接続の学習目標に照らして基礎的教科・科目の普遍的な学習が督励されます。そうしますと、多様な入試に振り回される教育・進路指導から脱却することができる。現在、昭和30年代、40年代とは比べものにならないほど入試の形態が多様化していて、高等学校の現場もこれに振り回されていますが、受験に振り回されないで大学に接続する普通教育の実現というものが可能になると存じます。
 もう一つ、大学のほうでは、年来文部省が念願としていた総合判定主義を生かすような、本当の接続方式、選抜が可能になるでしょう。確かに一部大学で入試が残るかもしれませんけれども、その場合には論述式の少数科目入試を導入することができます。もう一点、現在、大学はリメディアル教育で非常に苦闘しているわけでございますけれども、初年次教育の指針を与えることができるのではないかと考えております。つまり、接続に必要な教育資料を構築できるということです。
 なお、現在高大接続が抱えている諸問題は、無論のことテストの構築・導入だけで解決できるものではありません。そこで、報告書では、今後必要な教育改革と入試改革の検討事項を示しておきましたので、ご覧いただきたいと存じます。
 最後に、協議・研究の今後でございますけれども、現在、高大接続テストに対する関心が高まるとともに、理解も深まっています。高校関係団体と大学関係団体が協議・研究を媒介に協力できる状況も生まれております。この機会を逃さずに、高大接続テストの構築・導入に進むことが肝要かと存じます。その際にですが、最も大切なのは、国として、協議・研究を受けての高大関係者による高大接続テストの構築導入のための協力組織形成を促すことであり、その下で適切なテストの研究開発を実施することかと存じます。どうか、文部科学省が初中教育と高等教育にまたがる大きな問題に取り組んでくださるよう心からお願い申し上げます。以上でございます。

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-- 登録:平成23年01月 --