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中江 有里さん(女優・脚本家・作家)

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『家なき子』
 エクトール・マロ 著
中江 有里さん
(女優・脚本家・作家)

 子どもの頃、私の家にはほとんど本がありませんでした。
 でもそれは我が家では当たり前のことです。変だともなんとも思いません。誰でも子どもの頃は、自分の家しか知らないのですから。
 やがて、小学校に入り、図書室という場所があることを知りました。本を読んだことはないけれど、活字には目がなかった私は、活字の背表紙が並ぶ図書室に入ると、「活字がいっぱい!」と思わず興奮してしまい、それを人に知られるのがちょっと恥ずかしい気がして、「本なんて別に興味ないよ」という素振りをしていました。
 そんな私が子どもの頃、印象に残っている本といえば、エクトール・マロの「家なき子」です。
 小学五年生のころ両親が離婚し、私は慣れ親しんだ学校を転校することになりました。転校先には前の学校ほど大きな図書室はなく、がっかりしました。でも教室の隅っこには古びた本がいくつか並んでいて、その中に「家なき子」があったのです。
 引っ込み思案でなかなか友達の出来ない私は、休み時間になるとこの古びた本を引っ張り出し読んでいました。誰からも見向きされずに置いてある本がなんだか寂しそうに見えたし、「家なき子」というタイトルがまるで自分のことみたいに思えたからです。
 読み進めながら、かわいそうだな、悲しい物語だな、と考えているのだけれど、意識の隅っこでは「私もかわいそうに見えるのかな、みんなからかわいそうって思われるの、嫌だな」と思ったりしました。つまり、本を読んでいる自分を、もう1人の自分が眺めている、という感じがしたのです。
 「家なき子」の主人公はひどい境遇にいるけれど、自分をかわいそうだとは思っていません。私だって、転校してきて友達がいなくて寂しいけれど、でも学校が変わっても私は何も変わらない、だからかわいそうじゃない、そんな風に思えました。そして、分厚い「家なき子」を読み終えた頃、不思議と友達が出来ました。
 本は友達にもなってくれるし、先生みたいにいろんなことを教えてくれることもあります。教室の片隅に長い間見向きもされずにいた本が、そのことを教えてくれました。
 
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-- 登録:平成21年以前 --