共感性の進化・神経基盤(長谷川 壽一)

研究領域名

共感性の進化・神経基盤

研究期間

平成25年度~平成29年度

領域代表者

長谷川 壽一(東京大学・大学院総合文化研究科・教授)

研究領域の概要

 共感性は人間社会の秩序や公平性、助けあいなどの基盤となる重要な心的機能であり、発達初期からも認められるヒトの本性的なものである。この共感性は特にヒトで顕著に認められるものの、霊長類を含めた他の動物でもその共感性の起源といえる行動が多数報告されつつある。さらに実験動物では神経細胞レベルや神経回路での機能の解析が可能となった。本領域ではこのような共感性に関わる、分子、細胞、回路、行動、ならびに社会における共感性の機能を統合的に理解することにより、共感性の生物学的基盤および適応的意義の解明を目指す。

領域代表者からの報告

1.研究領域の目的及び意義

 共感性は、人間社会における協力や相互理解を成立させる上で重要で、社会秩序や公平性、相互扶助を支える心的機能である。共感性に関わる行動はヒト乳幼児にも認められ、生得的基盤を想定できる。と同時に、霊長類など他の社会性動物でも情動伝染や共感行動の証拠が蓄積されつつある。本領域では、共感性がヒトをはじめ高度な社会性動物にとって重要な適応的形質であり、ヒト固有の高次な共感性も、進化的により古い共感性と連続性を持つという仮説に基づき、(1)ヒトにおける共感性の成り立ちを調べ、(2)「共感性」の系統発生的ならびに個体発生的な獲得過程を明らかにし、(3)「共感性」を神経回路、ニューロン、分子、遺伝子各レベルで解明することを目的とする。具体的には、動物における原初的共感性(情動伝染)が、どのように高次共感やヒトに固有の同情へと進化するかを比較認知科学的に解明する。また、共感性の神経基盤は帯状回から辺縁系、視床下部脳幹への連絡に存在すると考えられるが、その機序がヒトへの進化過程において、大脳皮質、特に前頭連合野と連合し、複雑化する様式を明らかにする。共感性の成立過程を探求することにより、人間社会の共生の実証的基盤が明確になり、現代社会が抱える集団感情がもたらす諸課題への提言が可能になると期待できる。さらに、文理の諸分野を超えた融合研究の実践を通じて、共感共生科学とでも言うべき新たな総合的学術領域を創成できる。

2.研究の進展状況及び成果の概要

 研究開始時に設定した3つの基本戦略に沿って進展状況を述べる。基本戦略(1)「共感性の共通神経基盤と社会機能の解明」については、哺乳類に共通する共感性の機能と神経機構を明らかにするために痛み情動伝染を用いた系を確立し、神経機構の解明を進めた。また、共感性のヒト特異的機能を比較認知科学的に理解するために、霊長類、乳幼児、fMRI等を用いた研究を行い、ヒトに特異的な同情は他者の視点を介した認知によって随伴的に生じる情動反応である可能性を見出した。基本戦略(2)「共感性の進化と遺伝基盤の解明」については、共感性の数理生物学モデルに基づき、同調性と集合知の関係を明らかにした。また、動物の共感性におけるオキシトシンの進化的役割を明らかにし、遺伝子型との関連解析を進めている。 基本戦略(3)「共感性の分子・回路探索」については、痛み情動伝染モデルを用い、ヒトとマウスにおいて前帯状皮質から扁桃体に至る回路の重要性を見出した。共感性に関与する遺伝子・分子群については、稼働する遺伝子や分子の候補を見出し、その同定を進めている。総論として、情動伝染と共感は同一の進化軸上にあるが、ヒトに特徴的な同情は他者視点を起点とする認知的理解に伴う情動変化であり、異なる脳機能を基盤とすることを見出し、「2源合流モデル」という新たな説の提唱に至った。Science誌への論文掲載をはじめ主要成果については本領域ホームページで紹介している。

審査部会における所見

A(研究領域の設定目的に照らして、期待どおりの進展が認められる)

1.総合所見

 本研究領域は、他者との関係を成立させる上で重要な心的機能である「共感性」に関わる分子、細胞、回路、行動、並びに社会における共感性の機能を統合的に理解することで、共感性の生物学的基盤及び適応的意義の解明を目指すものである。研究領域は全体として着実に進展しており、ヒトとイヌの間の絆の形成においてオキシトシンの果たす役割を解明するという特筆すべき成果も上げており、評価できる。研究領域内共同研究にも積極的であり、研究成果の公表や若手研究者の育成の取組みも充実しており評価できる。
 一方、共感性に関与する遺伝子、分子群の同定や、その多様性と機能の解析については、研究課題として壮大であることもあり、進捗にやや遅れがみられるように感じられる。そのため、研究期間内での目標達成のために総括班や研究領域全体でのサポートを行うなど、関連する研究項目の今後の推進方策に関しての十分な検討が望まれる。

2.評価の着目点ごとの所見

(1)研究の進展状況

 本研究領域の目標は大きなものであるが、達成目標を明確にするために対象の絞り込みを行うなどして、全体として着実に進展している。また、研究領域内共同研究に積極的であることや、人文・社会系の研究が公募研究によって強化されていることも評価できる。
 しかし、進捗の著しい研究項目がある一方、共感性に関与する遺伝子、分子群の同定や、その多様性と機能の解析については進捗がやや遅れている印象がある。この目標の達成は容易ではないが、本研究領域の目標の中でも重要なものであるため、総括班あるいは本研究領域全体でサポートする体制を整えるなど、今後の研究計画についての十分な検討が望まれる。

(2)研究成果

 研究領域全体として、着実に成果を上げている。特に、研究項目C01「共感性の分子・回路基盤の解明」では、ヒトとイヌの間の絆の形成におけるオキシトシンの役割を解明するという特筆すべき成果を上げている。また、研究項目A01「共感性の比較認知研究」では、共感性の進化と発達に関して、ヒトに特異的な「同情」が、これまで考えられてきたものとは異なる脳機能を基盤とするという「2源合流モデル」という新たなパラダイムを提唱するなど順調に成果を上げている。
 一方、研究項目B01「共感性の進化モデル」では、鳥類などの網羅的遺伝子解析、動画解析、数理モデル構築など分野横断的な研究を進め、共感性の進化モデル構築を目指しているが、目標達成に向けた成果はやや限定的な印象がある。

(3)研究組織

 多様な研究者により構成される領域組織を、3つの研究項目間の有機的な連携による課題の共有化と共通課題への多面的アプローチ等により、うまく融合し、成果へとつなげており評価できる。また、公募研究により、人文・社会系の研究が強化されていることも評価できる。さらに、研究成果の公表や若手研究者の育成にも積極的に取り組んでおり評価できる。

(4)研究費の使用

 特に問題点はなかった。

(5)今後の研究領域の推進方策

 今後の研究の推進方策は、概ねよく練られており、順調な進展が期待できる。特に共感性に関わる神経回路に関しては、オキシトシン産生ニューロンを介するシグナル伝達経路の解明など、顕著な成果が期待できる。
 一方、やや進捗の遅れが見られる研究項目に関しては、総括班あるいは研究領域全体でサポートする体制を整えるなどの更なる工夫が望まれる。

(6)各計画研究の継続に係る経費の適切性

 特に問題点はなかった。

お問合せ先

研究振興局学術研究助成課

-- 登録:平成28年02月 --