「特別推進研究」研究期間終了後の効果・効用、波及効果に関する自己評価書

  •  研究代表者氏名
    福山 寛(東京大学・大学院理学系研究科・助教授)
  •  研究分担者氏名
    樽茶 清悟(東京大学・大学院理学系研究科・教授)
    大野 圭司(東京大学・大学院理学系研究科・助手)
    神原 浩(東京大学・大学院理学系研究科・助手)
  •  研究課題名
    「走査プローブ法を用いた量子多体系の相転移の研究」
  •  課題番号
    10102003
  •  補助金交付額(直接経費のみ)
    平成10年度 136,000千円
    平成11年度 100,000千円
    平成12年度 13,000千円
    平成13年度 11,000千円
    平成14年度 11,000千円

【研究期間終了後の効果・効用、波及効果に関する内容】

1.特別推進研究の研究期間終了後、研究代表者自身の研究がどのように発展したか。

(1)概要

 本特別推進研究での重要な成果の一つに、超低温・高磁場・超高真空の複合極限環境下で原子分解能をもって作動する、世界的にもユニークな超低温走査トンネル顕微鏡の開発に成功したことがある。研究代表者の福山は、本研究終了後、この装置を活用して以下の(ア)に示すような低温電子物性研究を発展させた。また、(イ)に示す2次元ヘリウム3の新しい量子相の研究を継続し、これを強相関2次元フェルミ系のモデル物質と位置づけて、他の電子系強相関物質との研究融合を進展させた。一方、研究分担者の樽茶は、半導体ナノ構造(零次元、1次元電子構造)のミクロな量子状態の検出と制御を継続発展させ、(ウ)に示す量子ドットのスピンを用いた固体量子情報処理の基礎となる物理と技術の開発、(エ)に示す量子結合系を中心とした、固体物理の中で最も重要とされる「電子相関と量子コヒーレンスの物理」の探究を目標に研究を進めてきた。
 さらに、本特別推進研究で構築した福山グループと樽茶グループの協力体制を活かして本研究終了後も共同研究を継続し、半導体表面の2次元電子系の磁場中走査トンネル分光(STS)観測や、ごく最近では、日本で初めてグラフィン(グラファイトの単原子シート)試料の作成とその量子ホール伝導度の測定に成功した。

  • (ア)
    • 1 ランダウ量子化と整数量子ホール効果は、2次元電子系が極低温・高磁場下で示す特異な量子現象として興味深い。我々は、グラファイト表面の擬2次元電子系を対象として、これらの走査トンネル分光(STS)測定とナノメートルスケールでの実空間観測に初めて成功した。一つの点欠陥が作る静電ポテンシャルに束縛された磁場中1電子状態の観測に続いて、アルゴンイオンスパッタで多数の人工欠陥を形成した場合についても整数量子ホール状態の「拡がった電子状態」と「局在電子状態」の存在を初めて直接的に示すことができた。同時に、磁場に依存しないゼロエネルギーのランダウ準位の存在も直接的に確認できた。この準位は、現在、世界的な規模で活発に研究されているグラフィンが示す、特異な半整数ステップをもつ量子ホール効果の起源そのものである。
    • 2 グラフィンの2種類の端(ジグザグ端とアームチェア端)のうちジグザグ端にのみ「グラファイト端状態」と呼ばれる局在電子状態が現れることが、1996年に故藤田光孝らによって理論予測されていた。我々はグラファイト表面の1原子ステップ端をSTS観測することで、この局在状態の存在を初めて実証した。さらに、今年度に入り、我が国で初めてグラフィン試料の作成に成功し、上記のランダウ量子化、整数量子ホール効果、グラファイト端状態の研究をグラフィンに拡張する実験に取り組んでいる。
    • 3 半導体表面の2次元電子系については、ランダウ準位構造をSTS観測し、ヘテロ界面のショットキー障壁由来のトンネル状態密度の振動現象を見出した。すでに速報として論文発表済みであるが、現在、詳報を発表準備中である。この研究は、低温STM/STS測定技術をもつ福山グループと、半導体低次元電子系の研究に実績と経験をもつ樽茶グループが共同研究を継続した成果である。
    • 4 超伝導物質についても種々の研究が派生している。例えば、銅酸化物高温超伝導体Bi2212のZn(亜鉛)不純物周りの電子束縛状態の温度依存性のSTS観測、スピン三重項超伝導体Sr2RuO4の表面電子状態密度と劈開温度との関連性の解明などである。この1月には、FFLO相の有力候補と目されている重い電子系CeCoIn5の超伝導ギャップのトンネル分光に初めて成功し、現在、その渦糸状態の観測に挑戦している。
  • (イ)グラファイト表面に吸着した2次元ヘリウム3の量子相研究では、本研究終了後に熱容量測定の解析が進展し、吸着2層目の整合固相(4/7相)から粒子密度を0~20パーセント下げた密度域で、零点空格子点(絶対零度でも安定して存在し、量子トンネル効果で動き回る空格子点)の存在を強く示唆する余剰熱容量の発現を見出し、論文投稿中である。この新規な量子相の確認のために、パルスNMR(核磁気共鳴)によるスピン-スピン緩和時間の測定が進行しており、特異な温度および密度依存性が観測されている。

 一方、研究分担者の樽茶は、半導体ナノ構造(零次元、1次元電子構造)のミクロな量子状態の検出と制御を継続発展させ、量子ドットのスピンを用いた固体量子情報処理の基礎となる物理と技術の開発、及び量子結合系を中心として、固体物理の中で最も重要とされる「電子相関と量子コヒーレンスの物理」の探究を目標に研究を進めてきた。具体的な発展は以下の通りである。

  • (ウ)最近、量子ドットの電子スピンを用いた量子ビットが実現されたが、将来性を見定めるには、まだ多くの技術革新が必要である。それはスケーラブルな量子ビットの実現、デコヒーレンスの制御、高速・高信頼の読み出し、量子もつれの制御、量子エラー補正、などに集約される。これらの要請に応えるべく、集積性に優れた新型量子ビットの提案と実現、量子もつれの制御、デコヒーレンス時間の検出と制御、スピン読み出しの高性能化を目指している。これらはいずれも前例のない技術開発であり、研究が軌道に乗るまで理論構築と実験準備に時間を費やしたが、これまでに、多ビット化に適した量子ビットとして、微小磁石を利用するスピン回転法を独自に提案、実証し、また、複数ビット化に適合できる見込みを得た。具体的には、量子もつれに関係して、その形成に理想的な結合ドット状態(Heitler-London状態)の生成と磁気的電気的な交換結合制御を確認、デコヒーレンスの最大の要因とされる核スピン効果の磁気的電気的制御、微小磁石法による新しいスピン読み出しのなどを行った。
  • (エ)量子結合系の物理に関しては、結合量子ドット、結合量子細線、ハイブリッド構造を中心に研究を行ってきた。2重結合量子ドットのトンネル結合と交換結合の直接観測とハバード近似の妥当性の確認、電子スピンと核スピン間のフリップ-フロップ型の相互作用の電気的磁気的制御法の開発と核スピン分極の電気的制御の実現、3重結合量子ドットの実現と電荷配置ダイアグラムの確認、量子ドット-細線結合系の開発とスピンフィルター効果の観測、結合量子細線の開発とクーロンドラッグを利用したウィグナー結晶効果の確認など、数多くの成果をあげた。また、量子コヒーレンスに関しては、近藤効果に絞った研究を進め、縮重度の高い近藤効果の確認、電極を介した結合を考慮した結合ドットの近藤効果とAB振動の理論、InAs量子ドットにおける高磁場中の近藤効果の観測、超伝導と近藤効果の競合など、独自性の高い成果を上げることができた。

(2)論文発表、国際会議等への招待講演における発表など

論文発表
  1. K. Ono and S. Tarucha, “Nuclear-spin-induced oscillatory current in spin-blockaded quantum dots”, Phys. Rev. Lett. 92, 256803 (2004).
  2. Y. Niimi, T. Matsui, H. Kambara, K. Tagami, M. Tsukada, and Hiroshi Fukuyama, “Scanning tunneling microscopy and spectroscopy studies of graphite edges”, Appl. Surf. Sci. 241, 43-48 (2005).
  3. Y. Matsumoto, D. Tsuji, S. Murakawa, H. Akisato, H. Kambara and Hiroshi Fukuyama, “Heat capacities of the anomalous fluid phase in two-dimensional 3He”, J. Low Temp. Phys. 138, 271-276 (2005).
  4. T. Matsui, H. Kambara, Y. Niimi, K. Tagami, M. Tsukada and Hiroshi Fukuyama, “STS Observations of Landau Levels at Graphite Surfaces”, Phys. Rev. Lett. 94, 226403-1-4 (2005).
  5. T. Hatano, M. Stopa, and S. Tarucha, “Single Electron Delocalization in Hybrid Vertical-Lateral Double Quantum Dots”, Science 306, 268 (2005).
  6. T. Ota, M. Roantani, S. Tarucha, Y. Nakata, H.Z. Song, T. Miyazawa, T. Usuki, M. Takatsu, and N. Yokoyama, “Few-electron moleculara states and their transitions in a single InAs quatnum dot molecule”, Phys. Rev. Lett. 95, 236801 (2005).
  7. Y. Niimi, T. Matsui, H. Kambara, K. Tagami, M. Tsukada and Hiroshi Fukuyama, “Scanning tunneling microscopy and spectroscopy of the electronic local density of states of graphite surfaces near monoatomic step edges”, Phys. Rev. B 73, 085421-1-8 (2006).
  8. Y. Niimi, T. Matsui, H. Kambara and Hiroshi Fukuyama, “STM/STS Measurements of Two-Dimensional Electrons Trapped around Surface Defects in Magnetic Fields”, Physica E 34, 100-103 (2006).
  9. S. Murakawa, H. Akisato, Y. Matsumoto, D. Tsuji, K. Mukai, H. Kambara and Hiroshi Fukuyama, “NMR Measurements on New Quantum Phases in 2D 3He”, Proceedings of the 24th International Conference on Low Temperature Physics (LT24), AIP Conference Proceedings 850, 311-312 (2006).
  10. Y. Niimi, H. Kambara, T. Matsui, D. Yoshioka and Hiroshi Fukuyama, “Real-space imaging of alternate localization and extension of quasi-two-dimensional electronic states at graphite surfaces in magnetic fields”, Phys. Rev. Lett. 97, 236804 (2006).
  11. Y. Tokura, W.G. van der Wiel, T. Obata, and S. Tarucha, “Coherent single electron spin control in a slanting Zeeman filed”, Phys. Rev. Lett. 96, 047202 (2006).
  12. M. Yamamoto, M. Stopa, M. Tokura, Y. Hirayama, and S. Tarucha, “Negative Coulomb drag in a one-dimensional wire”, Science 313, 204 (2006).
  13. H. Kambara, T. Matsui, Y. Niimi, and Hiroshi Fukuyama, “Construction of a versatile ultralow temperature scanning tunneling microscope”, Rev. Sci, Instrum. 78, 073703-1-5 (2007).
  14. H. Kambara, Y. Niimi, M. Ishikado, S. Uchida, and Hiroshi Fukuyama, “Temperature dependence of the impurity-induced resonant state in Zn-doped Bi2Sr2CaCu2O8plusδ by scanning tunneling spectroscopy”, Phys. Rev. B 76, 052506-1-3 (2007).
  15. C. Buizert, A. Oiwa, K. Shibata, K. Hirakawa, and S. Tarucha, “Kondo universal scaling for a quantum dot coupled to superconducting leads”, Phys. Rev. Lett. 99, 136806 (2007).
  16. J. Baugh, Y. Kitamura, K. Ono, and S. Tarucha, “Large nuclear Overhauser fields detected in vertically coupled double quantum dots”, Phys. Rev. Lett. 99, 096804 (2007).

他約50件

国際会議招待講演
  1. Hiroshi Fukuyama, “An experimental review on 3D solid 3He magnetism”, International conference on ring-exchange and correlated fermions (Carg`ese, France, April 12 -17, 2004).
  2. Hiroshi Fukuyama, “A Possible New Quantum Phase in 2D 3He”, International Symposium on Quantum Fluids and Solids: QFS2004 (Trento, Italy, Jul. 5-9, 2004).
  3. Hiroshi Fukuyama, “Zero-point vacancies in two dimensional crystalline helium”, Fifth International Conference on Cryocrystals and Quantum Crystals (Wroclaw, Poland, August 29 - September 4, 2004).
  4. Hiroshi Fukuyama: , “Novel Quantum Phases in 2D 3He Near Localization, 24th International Conference on Low Temperature Physics:LT24 (Orlando, USA, August 10-17, 2005).
  5. Hiroshi Fukuyama, “Nuclear Magnetic Orderings and Frustration in BCC 3He in High Magnetic Fields”, The International Conference on Ultra-Low Temperature Physics: ULT2005 (Gainesville, USA, August 18-20, 2005).
  6. S. Tarucha, “Control of spin effects and Kondo effect in quantum dots”, The Int. Conf. on Strongly Controlled Electron Systems: SCES'05 (Vienna, Austria, Jul. 26-30, 2005).
  7. S. Tarucha, “Probing and manipulating single spins in quantum dots within the scheme of quantum computing”, Spin-Dependent Transport through Nanostructures-Spintnonics'05 Symp. on Nanosciences (Potnan, Poland, Sep.25-30, 2005).
  8. S. Tarucha, “Probing spin effects in self-assembled InAs quantum dots”, The 4th Int. Conf. on Semiconductor Quantum Dot: QD2006 (Chamonix, France, May 11-15, 2006).
  9. S. Tarucha, “Control over spin configurations and correlation effects in quantum dots”, 28th Int. Conf. on the Physcs of Semiconductors (Vienna Austria, Jul.24-28, 2006).(基調講演)
  10. S. Tarucha, “Maniupulation of Spin Configurations and Spin Effects in Quantum Dots”, Int. Conf. Nanoscience and Technology: ICNplusT2006 (Basel, Switzerland, Jul.30-Aug.4 2006).
  11. Hiroshi Fukuyama, “Scanning tunneling spectroscopy of thin graphites and their step edges”, Graphene Workshop (Leiden, The Netherlands, February 5-9, 2007).
  12. Hiroshi Fukuyama, “A Possible New Quantum Fluid of Atomic Vacancies”, Condensed Matter and Materials Physics Conference (CMMP2007) (Leicester, UK, April 11-13 , 2007).
  13. S. Tarucha, “Electrical control of electron spin and nuclear spin in quantum dots” The 34th Int. Symp. on Compound Semiconductors, Kyoto, Japan (Oct.15-18, 2007).(基調講演)

他約30件

(3)研究費の取得状況(研究代表者として取得しているもののみ)

福山寛
  • 科学研究費補助金特定領域研究計画研究「2次元ヘリウムの量子物性」 平成17~21年度 配分額143,200千円
樽茶清悟
  • 科学研究費補助金基盤S「量子ドット・細線の量子コヒーレンスの検出と制御」 平成19年4月~24年3月 配分額83,350千円
  • 科学技術振興機構「量子スピン情報プロジェクト」配分額1,000,000千円

(4)特別推進研究の研究成果を背景に生み出された新たな発見・知見

  • (ア)超低温・高磁場中で走査トンネル分光を行うことにより、長年理論的にのみ議論されてきた、グラファイト表面の擬2次元電子系が示す以下の13の量子現象・量子状態を初めて実空間観測することに成功した。1グラファイトのハニカム構造特有の、磁場に依存しないゼロエネルギー(フェルミエネルギー)のランダウ準位、2整数量子ホール状態における「拡がった電子状態」と「局在電子状態」、3グラフィンのジグザグ端に存在する「グラファイト端状態」。
  • (イ)グラファイト上吸着2層目2次元ヘリウム3の整合固相近傍で得た熱容量測定の結果を詳細に解析した結果、零点空格子点相の存在を強く示唆する結論を得た。これは原子空孔が絶対零度でも動き回る新しいタイプの量子流体であり、NMR(核磁気共鳴)測定での検証実験が現在進行中である。特に、ボース粒子系の2次元ヘリウム4でも同様の零点空格子点相が存在すれば、「固体の超流動状態」(結晶の周期性と超流動性を併せ持つ、物質の全く新しい状態)が低温で実現する可能性があり、非常に興味深い。現在、慶応大学のグループと共同研究でその探索実験に取り組んでいる。
  • (ウ)単一電子スピンの検出と操作、安定性に関する研究成果によって、量子ドット中の電子スピンが量子情報の単位(量子ビット)として有能であることが確認できた。これを契機として、量子ドットを用いてスピン量子ビット、そして量子計算を構築しようとする気運が高まり、ここ数年、積極的に研究が進められている。また、パウリ効果の実験によって、2重量子ドットのスピンブロケード現象が、最高感度のスピン情報検出きであることが認識され、これを利用して、量子情報の読み出し、スピン相互作用(核スピン結合やスピン軌道相互作用)の影響を調べる研究が活発に進められている。

2.特別推進研究の研究成果が他の研究者による活用された状況はどうか。

(1)学界への貢献の状況

  • (ア)グラファイトは、カーボンナノチューブやフラーレンの母物質として、基礎研究上も応用上も非常に重要な物質であり、2005年にグラフィン(単原子層グラファイトシート)が発見されて以後、その重要性はさらに増している。我々が超低温STMを駆使して、それまで理論的にのみ研究されてきたジグザグ端に局在した電子状態(グラファイト端状態)や、磁場に依存しないゼロエネルギー・ランダウ準位の観測に成功したことは、グラフィンの特異な物性の理解や新たな理論予測を刺激し、特に海外を中心に活発な新しい研究分野が誕生している。さらに、整数量子ホール状態の電子局在・非局在を実空間観測することに成功したことで、グラフィンを舞台にしてより高磁場で実現する分数量子ホール効果の分光測定に道が開ける可能性もでてきた。我々もごく最近、日本で初めてグラフィン試料の作成し、その量子ホール伝導度の測定に成功した。ここでも、本特別推進研究で養われた福山グループ(試料作成とSTM/STS観測)と樽茶グループ(電極の微細加工と伝導度測定)の密接な協力体制が威力を発揮しており、今後、我が国におけるグラフィンの実験研究をこの2グループで牽引してゆく素地が整った。
  • (イ)近年、その卓越した空間およびエネルギー分解能を利用して、STS(走査トンネル分光)法でバルク物質の電子状態を議論することが頻繁に行われるようになった。しかし、これにはSTS法で観測される状態密度が果たしてどれだけバルクの電子状態を反映したものなのか、という疑問が常に存在する。我々は、無限厚みをもつ単結晶グラファイトと、20~40層の有限厚みをもつ人工グラファイト結晶の表面擬2次元電子系が極低温・高磁場下でランダウ量子化したときの状態密度をSTS測定し、これらを第一原理計算で定量的に再現することに成功した。これによって、層間結合の比較的弱い層状物質の場合、STS測定される状態密度は、第2層以下の下層の電子状態を色濃く反映した、しかし表面第1層の状態密度であることを明確に示すことができた。銅酸化物高温超伝導を筆頭に、近年注目を集めている超伝導体のほとんどは層状物質であり、その電子状態を研究する上でSTS測定は非常に重要な役割を果たしている。我々の結果は、広く層状物質をSTS研究する際に重要な指針を与えるものとして注目されている。
  • (ウ)グラファイト上2次元ヘリウム3研究では、我々によるギャップレススピン液体状態の発見(1997年、2004年)とロンドン大学のグループによる量子局在転移(2003年)の指摘などを経て、本研究において多くの熱容量およびNMR(核磁気共鳴)の実験データが収集された。本研究終了後、この物質の特異な物性を深く理解するためには、それを2次元フェルミ粒子系の普遍的な強相関効果として捉え、遷移金属酸化物、2次元有機導体、半導体2次元電子系との本質的な類似点と差異を理解することが、極めて重要であるとの認識に達した。これが基ととなり、従来は異なる研究分野として別々に研究されてきたこれら多様な物質系を「スーパークリーン物質で実現する新しい量子相の物理」として一体的に研究する特定領域研究を平成17年度から発足させ、我が国の基礎物性研究に新風を巻き起こした。
  • (エ)研究期間の研究を継続発展させて、半導体低次元構造における電荷・スピンの相関、量子コヒーレンスの物理と制御をテーマとする研究を行ってきた。前者に関しては、単一量子ドット(人工原子)、結合量子ドット(人工分子)の電子状態とその相関を精度よく検出、制御することにより、量子ドット(人工原子)の少数電子状態の相関効果の検出、分子的結合状態の確認などを経て、「単一量子の制御と検出、それによるスピンの相関の探究」という独自の研究理念を確立した。中でも、スピン相関の問題に積極的に取り組んだ。近藤効果について、スピンSイコール1/2の局在電子の関与が常識とされていたのに対して、軌道やスピンの縮退を制御することにより、Sイコール0,1でより強い近藤効果が出現することを見出したことは、世界に大きなインパクトを与えた。この成果に刺激された実験、理論の報告は多く、一つのブームをもたらしたといっても過言ではない。また、人工原子中の単一電子の緩和時間の測定ではスピン緩和が極めて長いことを始めて確認するとともに、人工分子を用いてパウリ則による単一電子スピン電流制御の実験に成功した。これらは、ドット中の電子スピンが安定で、しかも制御可能であることを意味する。この報告が刺激となってスピン緩和の物理を解き明かそうとする試みが世界的に広がっている。
  • (オ)上記の成果の応用として、電子スピンを介した核スピンのメモリー動作、単一電子スピンの読み出しなどに初めて成功した。これらは、量子ドット中のスピンが固体系量子情報の単位として能力が高いことを裏付けるもので、Loss&DiVincenzoの提案(1998)によるスピン量子計算の研究にブレークスルーをもたらした。

(2)論文引用状況

調査日 2008年2月14日

研究期間中に発表された論文
  1. W.G. van der Wiel, S. De Franceschi, J.M. Elzerman, T. Fujisawa, S. Tarucha, and L.P. Kouwenhoven: Electron transport through double quantum dots, Rev. of Mod. Phys, 75, 1 (2003). 「結合2重ドットの電子状態の実験と理論をまとめた論文」 306件
  2. L.P. Kouwenhoven, D.G. Austing, and S. Tarucha: Few-electron quantum dots, Rep. of Prog. In Phys. 64, 701 (2001). 「単一ドットの原子敵電子状態の実験と理論をまとめた論文」 265件
  3. S. Sasaki, S. De Franceschi, J. M. Elzerman, W. G. van der Wiel,M. Eto, S. Tarucha, & L. P. Kouwenhoven: Kondo effect in an integer-spinquantum dot, Nature 405, 764 (2000). 「スピン縮重による近藤効果の増強を初めて観測した論文」 203件
  4. T. Fujisawa, D.G. Austing, Y. Tokura, Y. Hirayama, and S. Tarucha: Allowed and forbidden transitions in articial hydrogen and helium atoms, Nature 419, 278 (2002). 「電子スピンの緩和時間が極めて長いことを実験的に実証した論文」 155件
  5. S. Tarucha, D.G. Austing, Y. Tokura, W.G. van der Wiel, and L. P. Kouwenhoven: Direct Coulomb and Exchange Interaction in Artificial Atoms, Phys. Rev. Lett. 84, 2485 (2000). 「単一ドットにおけるフント則の一般性を実験的に検証した論文」 118件
  6. K. Ono, D.G. Austing, Y. Tokura, and S. Tarucha: Current Rectification by Pauli Exclusion in a Weakly Coupled Double Dot System, Science 297, 1313 (2002). 「2重ドットを利用してパウリ効果を検証した論文」 93件
  7. T. Matsui, H. Kambara and Hiroshi Fukuyama, “Development of a new ULT Scanning Tunneling Microscope at University of Tokyo”, J. Low Temp. Phys. 121, 803-808 (2000). 「超低温STMの詳細な設計に関する技術論文」 12件
  8. M. Morishita, K. Ishida, K. Yawata and Hiroshi Fukuyama, “Low Temperature Heat Capacities of Liquid 3He Thin Films”, J. Low Temp. Phys. 110, 351-356 (1998). 「2次元液体ヘリウム3の熱容量測定から準粒子有効質量とその面密度依存性を調べた論文」 11件
  9. T. Matsui, H. Kambara and Hiroshi Fukuyama, “STM Observations of 2D Kr and Xe adsorbed on Graphite”, J. Low Temp. Phys. 126, 373-378 (2002). 「低温STMでグラファイト上2次元希ガス原子(Kr(クリプトン),Xe(キセノン))の吸着構造を実空間観測し、吸着原子の表面-STM探針間の量子トンネル現象を観測した論文」 8件
  10. T. Matsui, H. Kambara, I. Ueda, T. Shishido, Y. Miyatake and Hiroshi Fukuyama, “Construction of an ultra-low temperature STM with a bottom loading mechanism”, Physica B 329-333, 1653-1655 (2003). 「超低温STMの開発と予備的な性能評価に関する技術論文」 8件
研究終了後の発表論文
  1. K. Ono and S. Tarucha, “Nuclear-spin-induced oscillatory current in spin-blockaded quantum dots”, Phys. Rev. Lett. 92 , 256803 (2004). 「量子ドットにおける電子スピン-核スピン結合の影響を初めて観測した論文」 58件
  2. T. Hatano, M. Stopa, and S. Tarucha, “Single-electron delocalization in hybrid vertical-lateral double quantum dots”, Science 309, 26 (2005). 「2重量子ドットにおけるHeitler-London状態(理想的量子もつれ状態)の制御が可能であることを示した論文」 40件
  3. Y. Niimi, T. Matsui, H. Kambara, K. Tagami, M. Tsukada and Hiroshi Fukuyama, “Scanning tunneling microscopy and spectroscopy of the electronic local density of states of graphite surfaces near monoatomic step edges”, Phys. Rev. B 73, 085421-1-8 (2006). 「グラファイト端状態の存在を初めて実験的に確認し、それを第一原理計算と比較した論文」 32件
  4. Y. Niimi, T. Matsui, H. Kambara, K. Tagami, M. Tsukada, and Hiroshi Fukuyama, “Scanning tunneling microscopy and spectroscopy studies of graphite edges”, Appl. Surf. Sci. 241, 43-48 (2005). 「グラファイト端状態の存在を初めて実験的に確認した走査トンネル分光実験の第一報論文」 27件
  5. M. Rontani, M. Manghi, E. Molinari, S. Amaha, K. Muraki, S. Tarucha, and D.G. Austing, “Molecular phases in coupled quantum dots”, Phys. Rev. B 69, 085327 (2004). 「結合量子ドットにおける分子的電子状態の実験と理論を対応させることに成功した論文」 27件
  6. T. Matsui, H. Kambara, Y. Niimi, K. Tagami, M. Tsukada and Hiroshi Fukuyama, “STS Observations of Landau Levels at Graphite Surfaces”, Phys. Rev. Lett. 94, 226403-1-4 (2005). 「超低温・高磁場下の走査トンネル分光測定から、グラファイト表面の擬2次元電子系のランダウ準位構造を初めて観測した論文」 26件
  7. S. Sasaki, S. Amaha, N. Asakawa, M. Eto, and S. Tarucha, “Enhanced Kondo effect via orbital degeneracy in a spin 1/2 artificial atom”, Phys. Rev. Lett. 93, 01720 (2004). 「量子ドットにおいてSU(4)型の近藤効果を初めて確認した論文」 20件
  8. Y. Tokura, W.G. van der Wiel, T. Obata, and Tarucha, “Coherent single electron spin control in a slanting Zeeman field”, Phys. Rev. Lett. 96, 047202 (2006). 「傾斜磁場を使って優れたスピン量子ビットができることを提案した論文」 15件
  9. T. Ota, M. Roantani, S. Tarucha, Y. Nakata, H.Z. Song, T. Miyazawa, T. Usuki, M. Takatsu, and N. Yokoyama, “Few-electron moleculara states and their transitions in a single InAs quatnum dot molecule”, Phys. Rev. Lett. 95, 236801 (2005). 「結合量子ドットにおける小数電子系で、分子的電子状態を実現することに成功した論文」 11件
  10. Y. Niimi, H. Kambara, T. Matsui, D. Yoshioka and Hiroshi Fukuyama, “Real-space imaging of alternate localization and extension of quasi-two-dimensional electronic states at graphite surfaces in magnetic fields”, Phys. Rev. Lett. 97, 236804 (2006). 「グラファイト表面の擬2次元電子系が磁場中で不純物ポテンシャルに束縛される1電子状態を実空間観測し、整数量子ホール状態の局在・非局在遷移に対応する電子状態密度の空間分布を初めて観測した論文」 8件

3.その他、効果・効用等の評価に関する情報。

(1)研究成果の社会への還元の状況

  • (ア)グラフィンあるいはグラフィン数層の超薄膜グラファイトは、高い電気伝導率、大きな電界効果、表面の化学的安定性などのために、用途によっては半導体シリコンに代わる次世代のエレクトロニクス素材として大きな注目を集めている。本特別推進研究の成果は、超低温STMを使ったグラフィンおよび超薄膜グラファイトの詳細な物性研究に道を拓くものであり、今後この新物質が、電界効果トランジスタだけでなく、室温で示す量子ホール効果やグラファイト端状態に起因する強磁性を利用した新しい機能性素子などに応用される上での、重要な基礎研究となるものである。
  • (イ)本研究の成果のうち、2次元ヘリウム3に関する部分は、平成17年度から発足した特定領域研究「スーパークリーン物質で実現する新しい量子相の物理」として、超流動、超伝導、フラストレーション磁性、強相関フェルミ系、といった既成の学問分野を横断した融合型研究へと発展している。この学術活動は新たな物理概念創出を通じて、基礎研究という我が国の知的基盤強化に資するものである。
  • (ウ)近藤効果をはじめとするスピン相関は、固体物理の継続的な研究テーマであるが、特別推進期間中の研究では、スピン1個の単位でよく定義された状態を準備して、その状態に関わる相関を厳密に制御するこという点で、従来と全く異なる性格を持っている(Nature誌(2000年))、Science誌(2000年))。また、人工原子や人工分子の電子状態を電子1個、或いは2個の単位で制御し、電子相関効果を発現させることに成功した(Phys.Rev.Lett.誌(2000年)、Rev.Mod.Phys.誌(2003年))。これらは、いわば「単一量子物性工学」と呼ぶべき新しい研究領域であり、既に世界的に認知されつつあるが、制御技術の進展に合わせて、今後ますます発展すると予測される。
  • (エ)量子情報技術は将来の技術革新をもたらし得ることから、様ざまな量子系を使って活発な研究がなされている。その中で、量子計算については、集積化、スピード、操作性などの点で固体系が最有力とされ、超伝導体、量子ドットの電荷、スピン、核スピンなどを単位(量子ビット)とする研究が進んでいる。具体的には、特別推進研究期間中の成果である電子スピン相関の制御の実現(Phys.Rev.Lett.誌(2000年))と電子スピン安定性の確認(Nature誌(2002年))は、量子ドット中の電子スピンが量子ビットとして高い能力をもつことを初めて示したもので、これ以後量子計算の研究が進展し、スピン量子ビット、量子演算の基本動作(SWAP)の実現などの実現に大きく貢献した。また、人工分子のパウリ効果の発見(Science誌(2002年))は、その後、同効果を用いて最高感度のスピン検出ができることが確認され、いまでは、スピン量子情報の読み出し技術に広く活用されている。

(2)研究計画に関与した若手研究者の成長の状況

  • 神原浩(助手:平成11年2月~平成19年3月、助教:平成19年4月~平成19年10月)平成19年11月より産業技術総合研究所研究員。現在は、異方的超伝導体の近接効果の研究に従事。
  • 松井朋裕(大学院生:平成11年4月~平成16年3月)ハンブルク大学応用物理学科ポストドク(平成16年10月~平成18年9月)、東京大学物性研究所ポストドク(平成18年10月~平成19年3月)、東京大学大学院理学系研究科ポストドク(平成19年4月~平成19年10月)を経て、平成19年11月より東京大学大学院理学系研究科物理学専攻助教。現在は、超低温STMを用いたグラフィンおよび新奇超伝導体の研究に従事。
  • 松本洋介(大学院生:平成11年4月~平成16年3月)東京大学大学院理学系研究科ポストドク(学振特別研究員:平成16年4月~平成17年3月)、東京大学物性研究所特任研究員(平成17年4月~平成19年2月)を経て、平成19年3月より東京大学大学物性研究所助教。現在は、遷移金属酸化物のスピン液体相の研究に従事。
  • 村川智(大学院生:平成12年4月~平成18年3月)平成18年4月より東京工業大学大学院理工学研究科ポストドク。現在は、超流動ヘリウム3の界面アンドレーエフ束縛状態の研究に従事。
  • 新見康洋(大学院生:平成14年4月~平成19年3月)平成19年4月より仏国CNRSネール研究所ポストドク。現在は、半導体1次元導体の近藤効果と位相コヒーレンスの研究に従事。
  • Christopher Bäuerle(学振-CNRS二国間交流事業来日研究者:平成13年9月~平成14年8月)仏国CNRSネール研究所研究員。現在は、低次元の金属・超伝導体・半導体導体における近藤効果と位相コヒーレンスの研究に従事。
  • 大野圭司(助手:平成10年4月~平成17年2月)理化学研究所研究員。現在は、半導体ナノ構造の電気伝導、光子-電子量子情報変換の研究に従事。CREST-JST(単一光子から単一スピンへの量子メディア変換)の研究分担者(平成16年4月~平成21年3月)
  • 山本倫久(大学院生:平成11年4月~平成16年3月)東京大学大学院工学系研究科物理工学専攻助教。現在は、量子結合細線の電子相関、固体量子計算の物理の研究に従事。SORST-JST(キャリア相関エレクトロニクス)の研究分担者(平成16年4月~平成20年3月)。
  • 天羽真一(大学院生:平成11年4月~平成16年3月)科学技術振興機構国際共同研究事業博士研究員。現在は、多重量子ドット構造の電子状態と電気伝導の研究に従事。
  • 西善史(大学院生:平成13年4月~平成18年3月)平成18年4月より東芝研究員。現在は、次世代LSIの研究開発に従事。
  • 小寺哲夫(大学院生:平成14年4月~平成19年3月)平成19年4月より東京大学大学生産技術研究所特任助手。現在は、量子ドットの光学応答の研究に従事
  • 五十嵐悠一(大学院生:平成15年4月~平成20年3月)平成20年4月より日本電気基礎研究所研究員として半導体デバイスの基礎研究に従事(予定)。
  • W. van der Wiel(ポスドク:2001年10月~2004年3月)オランダTwente大研究員(tenure-track)分子エレクトロニクス研究に従事。

-- 登録:平成21年以前 --