科学研究費補助金「特別推進研究」の追跡評価(試行)の概要

1.目的

 科学研究費補助金による研究はその成果が短期間に確認しづらいこともあり、研究終了後、一定期間経た後にその研究成果から生み出された効果・効用や波及効果を検証することが必要である。このため、科学研究費補助金のうち「国際的に高い評価を得ている研究であって、格段に優れた研究成果をもたらす可能性のある研究」を研究種目の目的・内容としている「特別推進研究」で追跡評価の試行を実施するものである。

2.対象

 既に研究期間が終了している特別推進研究の研究課題のうち、平成19年度が研究期間終了後5年目に当たる研究課題を対象とする。
 なお、対象となる研究課題は以下のとおり7課題であった。

分野 研究代表者氏名
(所属・職は当時)
研究課題名 開始年度 終了年度
人社系 社会科学系 猪口孝
(東京大学・東洋文化研究所・教授)
民主主義の機能不全の理論的実証的研究 11 14
理工系 数物科学系 福山寛
(東京大学・大学院理学系研究科・助教授)
走査プローブ法を用いた量子多体系の相転移の研究 10 14
地球・宇宙科学系 山下広順
(名古屋大学・大学院理学研究科・教授)
X線観測による銀河団の構造と進化の研究 7 かっこ(10)
14
松木征史
(京都大学・化学研究所・助教授)
ダークマターアクシオンの探索 9 かっこ(12)
14
物質・材料科学系 宍戸昌彦
(岡山大学・大学院自然科学研究科・教授)
蛋白質生合成系の拡張と非天然アミノ酸の導入による蛋白質の有機化学的機能拡張 11 14
生物系 生物科学系 佐方功幸
(九州大学・大学院理学研究院・教授)
初期発生における細胞周期制御の研究 10 14
竹市雅俊(理化学研究所・高次構造形成研究グループ・グループディレクター) シナプス結合と神経回路の形成機構 10 14
  • 注1)「終了年度」欄の上段の括弧内は、期間延長前の当初予定していた終了年度を示している。
  • 注2)「COE形成基礎研究費」から特別推進研究に移行した研究課題については、研究の実施形態等が異なるため対象から除外している。

3.評価方法(概要)

 科学技術・学術審議会学術分科会科学研究費補助金審査部会において、「科学研究費補助金「特別推進研究」の追跡評価の試行に関する方針(平成19年11月1日科学技術・学術審議会学術分科会科学研究費補助金審査部会決定)」に基づき、次のような方法で追跡評価(試行)を実施。

  • 1対象となる研究課題の研究代表者が「自己評価書」を作成。
    • 「自己評価書」とは、次の点について研究代表者自身が記述したもの
      • 特別推進研究の研究期間終了後、研究代表者自身の研究がどのように発展したか。
      • 特別推進研究の研究成果が他の研究者による活用された状況はどうか。
      • その他、効果・効用等の評価に関する情報
  • 2追跡評価の試行に当たり、より専門的な意見を加味するための「評価意見書」を作成。
    • 「評価意見書」とは、自己評価書等を参考に、次の着目点に従って評価意見書作成者(学術調査官が推薦する対象研究課題に精通する候補者の中から科学研究費補助金審査部会長が選考)が作成
      • 特別推進研究の研究期間終了後、被評価者自身の研究は順調に発展し、また、被評価者によって新たな発見・知見は生み出されているか。
      • 特別推進研究の研究成果は、他の研究者に活用されているか。
      • 研究成果の社会還元等の状況はどうか。
  • 3平成20年4月、科学研究費補助金審査部会において、「自己評価書」や「評価意見書」等を参考に、次の着目点に従って効果・効用を検証。
    • 特別推進研究の研究期間終了後、被評価者自身の研究は順調に発展し、また、被評価者によって新たな発見・知見は生み出されているか。
    • 特別推進研究の研究成果は、他の研究者に活用されているか。
    • 研究成果の社会還元等の状況はどうか。
  • 4評価結果については、科学研究費補助金審査部会において、その所見を決定の上、被評価者に対して通知するとともに、公表を行う。

4.科学研究費補助金審査部会における評価結果の所見

 対象となる研究課題に対する科学研究費補助金審査部会の所見は以下のとおり。
(研究代表者の所属・職は当時のもの)

研究代表者 猪口 孝(東京大学・東洋文化研究所・教授)
研究課題名 民主主義の機能不全の理論的実証的研究
評価結果の所見  本特別推進研究は、アジア諸国における一般市民の政治意識を世論調査の国際比較から検証するものであり、また調査結果をユーロバロメーター(ヨーロッパでの同様の世論調査)と比較することによって新たな知見を得ており、実証的な成果という意味で大きな功績があると言える。ただし、民主主義の機能不全という本来の研究課題をどこまで解明できたかは明確でない。実証的な成果に対して、理論的な深化があまりみられないということも否めない。英文での出版も含めて、研究成果を積極的に発信していることは評価されるべきであるが、査読誌での論文発表が多いとは言い難く、データの公開も進んでいない。また、この研究と若手研究者の育成がどのように関係しているのかもやや不明である。

研究代表者 福山 寛(東京大学・大学院理学系研究科・助教授)
研究課題名 走査プローブ法を用いた量子多体系の相転移の研究
評価結果の所見  本特別推進研究では、研究代表者らは「極低温・高磁場・超高真空で動作する原子分解能を持った極低温走査トンネル顕微鏡」を世界に先駆けて開発し、低温物理学研究で様々な独創的な研究成果をあげてきた。研究終了後も、極低温走査トンネル顕微鏡を用いて、半導体表面での2次元電子系の磁場中走査トンネル分光観測に成功するとともに、グラフィン試料での量子ホール伝導度の測定に成功し、低温物理学に新しい研究分野を切り拓いてきている。また、本研究期間中およびその後に発表された論文数も多く、また、発表論文の引用回数も多い。若手研究者の育成という観点からも、本研究に携わっていた若手の研究者が多く育っており、高く評価できる。

研究代表者 山下広順(名古屋大学・大学院理学研究科・教授)
研究課題名 X線観測による銀河団の構造と進化の研究
評価結果の所見  本特別推進研究による大きな成果は、多層膜スーパーミラーX線望遠鏡の開発であった。研究期間中及びその後、国内外の研究機関との共同研究による気球実験を通じて、このX線望遠鏡の特性・機能の有効性は実証されてきた。その継続的な研究において、本研究の成果は次世代に受け継がれ、順調に発展し、その中で当該分野を担う若手研究者も育ってきている。現在では、多層膜スーパーミラーX線望遠鏡はX線観測における必須技術となり、日本の次期X線観測衛星にも搭載される。今後のX線観測衛星の最も主要な装置となるであろう。本研究によるこれまでの科学的成果は十分であるとは言い難いが、今後予定されている気球実験と衛星観測により、大きな成果をあげることが期待される。本装置搭載の衛星による硬X線観測により期待される成果は、X線天文学、高エネルギー天文学にブレークスルーをもたらすものであり、また、その貢献度は多大であろう。
 他方、本装置の開発に伴って発展した諸技術は、X線精密計測や医療分野など多方面に応用される基礎技術であり、その価値は大きい。但し、その実用化には時間を要するものと思われ、社会的波及効果については長い目で見るべきである。

研究代表者 松木征史(京都大学・化学研究所・助教授)
研究課題名 ダークマターアクシオンの探索
評価結果の所見  本特別推進研究は、高感度アクシオン探索のためにリードベルグ原子を用いることに着目した極めて独創性の高い研究である。研究期間終了後も、より高感度な探索を行うための最適な原子の特定、低温での熱雑音からくる光の直接検出などの新しい成果も得られており、開発研究を軸に素粒子物理学の基礎研究の可能性を示したという意味で評価される。研究期間中にアクシオン探索が行われなかったのは残念であるが、その後、低温物理研究者の協力も得ており、本特別推進研究終了後に多くの論文が発表されているなど、研究は順調に進展していると考えられ、アクシオン検出を目指してさらなる努力を期待する。
 本研究は、リードベルグ原子を用いた素粒子・原子核分野の新たな領域を開拓したことは評価される。現時点では、このような原子の励起状態を制御した高精度素粒子物理学が、他の研究者に広く活用されているとは言いがたいが、他の関連分野への応用も含めて今後の発展が期待できる。研究の性格上、社会還元をすぐに期待することは困難であるが、本研究のような困難な課題を解決していく過程で、多くの優れた若手研究者が育っており、若手研究者育成という面から評価できる。

研究代表者 宍戸昌彦(岡山大学・大学院自然科学研究科・教授)
研究課題名 蛋白質生合成系の拡張と非天然アミノ酸の導入による蛋白質の有機化学的機能拡張
評価結果の所見  本特別推進研究で開発された、非天然型アミノ酸を蛋白質に選択的に導入する画期的な手法に関し、その後も発展的な研究成果が発表されている。本研究から得られた試薬が市販されるなど、蛋白質機能研究への応用の幅が広がり、生物系研究者からの評価も高い。今後も当該研究の斬新な手法が、生命科学分野の新たな研究方法として確立されることを期待したい。また、研究に参画した若手研究者が順調に昇進・独立しており、人材育成にも多大な貢献があったと評価できる。

研究代表者 佐方功幸(九州大学・大学院理学研究院・教授)
研究課題名 初期発生における細胞周期制御の研究
評価結果の所見  カエル卵成熟過程の最終段階である減数第二分裂中期停止に必須な細胞分裂抑制因子(CSF)は、長らく不明であった。c-MosがCSF(細胞分裂抑制因子)であることを発見した研究代表者は、初期発生における細胞周期制御に関する多くの世界的に優れた研究を特別推進研究期間内に行った。本特別推進研究終了後も、c-Mos経路の最終標的を明らかにし分子機構の解明に至るなどの大きな進展が見られ、その成果を質の高い論文として発表している点は大いに評価される。特に細胞周期関連因子(Wee1Cdc25Plk1Chk1等)の構造と機能およびそれらの制御機構について研究を進展させ、新たな重要な知見を生み出している。これらの成果を基盤として、神経分化や老化における細胞周期制御の研究という新たな領域を創成し、引き続きCREST(クレスト)や特定領域研究において格段に研究を発展させている。また、それらの成果は当該分野にブレークスルーをもたらし、多くの研究者の研究の発展にも十分貢献している。本研究は、基礎研究のため直ちに社会還元を求めることは難しいが、医学、農畜産学等の応用科学分野の基礎情報となるばかりでなく、将来的には創薬の開発にも繋がることが十分に期待されるものである。研究に携わった若手研究者の多くは、国公立の大学、研究機関、関連企業で活躍しており、人材育成の点でも社会への還元がなされていると言える。

研究代表者 竹市雅俊(理化学研究所・高次構造形成研究グループ・グループディレクター)
研究課題名 シナプス結合と神経回路の形成機構
評価結果の所見  本特別推進研究は、研究期間内に細胞接着に関与する分子「カドヘリン」を中心にシナプス結合と神経回路の形成機構について多くの研究成果を得ており、その成果は研究期間終了後さらに大きく発展している。具体的には、20種類以上存在するカドヘリン遺伝子のノックアウトマウスを順次作成し、カドヘリン8遺伝子(cad8(カドヘリン8遺伝子))のノックアウトマウスは低温感受性を失うことを示すなど、それぞれのカドヘリンタンパクの生理作用を明らかにした。また、カドヘリン結合因子p120カテニンに関する研究の発展により、細胞間接着はカドヘリン分子が極性をもって流動する状態で生じている「カドヘリンフロー」というこれまでにない概念を生み出した。さらに、本研究期間中に発見したカドヘリンスーパーファミリーに属する新しい分子Flamingoが小脳プルキンエ細胞の樹状突起形成に関わっていることを見出すなど、新規分子に関する研究も進展している。本研究期間内に発表された論文のうち8報が100回以上引用されており、世界の研究者が本研究課題による成果に注目していることが伺われる。カドヘリンをもとにした細胞接着は、最近では幹細胞ニッチの本質として理解されるようになり、本研究成果は神経科学や発生生物学のみならず幹細胞、再生医療に関わる研究者へも大きなインパクトを与えている。今後、さらに広い研究領域にその成果が波及するものと期待される。

-- 登録:平成21年以前 --