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宇宙開発利用

1969年(昭和44年)

第一章 日本の宇宙開発の政策史 > 2.宇宙開発政策大綱まとめまで(~昭和53年)

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1969年(昭和44年)1月4日
 ~2月13日

科学技術庁、液体ロケットLS-C-1飛翔実験、東京大学、PT-420-1により我が国初のTVC(2次噴射による推力方向制御)の実験に成功(2月13日)

1969年(昭和44年)1月14日

ソ連、ソユーズ4号打上げ(1名搭乗、ソユーズ5号と史上初の有人宇宙船同士のドッキングに成功)   

1969年(昭和44年)1月15日

ソ連、ソユーズ5号打上げ(3名搭乗のうち2名は、宇宙遊泳して4号へ人類初の乗移りに成功)

1969年(昭和44年)2月2日~6日

宇宙空間研究委員会(COSPAR)第6作業委員会において、地球大気研究計画(GARP)に対処して気象衛星配置を検討

1969年(昭和44年)2月14日

「宇宙開発事業団法案」が閣議決定され、同月17日、第61回国会に提出される

1969年(昭和44年)3月16日~20日

GARP計画会議開催(ブラッセル)、世界気象衛星配置計画提示

1969年(昭和44年)4月

工業技術院大阪工業技術試験所、人工衛星軌道解析用スーパー・シュミット・カメラの試作に関する研究開始

1969年(昭和44年)5月9日

衆議院本会議において、「わが国における宇宙の開発及び利用の基本に関する決議」が決議される。

 宇宙開発事業団法案の審議のなかで、本来は宇宙開発基本法を制定して、平和目的等を規定すべきであるが、その制定に当面変わるべきものとして、「わが国における宇宙の開発及び利用の基本に関する決議」が衆議院本会議に決議された。その内容は以下の通り。
 わが国における地球上の大気圏の主要部分を超える宇宙に打ち上げられる物体及びその打ち上げ用ロケットの開発及び利用は、平和の目的に限り、学術の進歩、国民生活の向上及び人類社会の福祉を図り、あわせて産業技術の発展に寄与するとともに、進んで国際協力に資するため、これを行うものとする。

1969年(昭和44年)5月18日

米、アポロ10号打上げ(月面上15kmまで接近)

1969年(昭和44年)6月23日

宇宙開発事業団法公布

 1969年(昭和44年)2月14日の閣議決定を経て、同月17日に第61回国会に提出された宇宙開発事業団法案は、6月18日に成立し、同月23日公布施行された(昭和44年6月23日 法律第50号)。この宇宙開発事業団法では、第1条において、「宇宙開発事業団は、平和の目的に限り、人工衛星および人工衛星打上げ用ロケットの開発、打上げ及び追跡を総合的、計画的かつ効率的に行ない、宇宙の開発及び利用の促進に寄与することを目的として設立されるものとする」と、宇宙開発事業団の目的を定めている。
 なお同法案の成立に際し、参議院において以下の3項目の付帯決議がなされた。

  1. すみやかに、宇宙開発基本法の検討を進め、その立法化を図ること。
  2. 我が国における宇宙の開発および利用にかかわる諸活動は、平和の目的に限り、かつ、自主、民主、公開、国際協力の原則の下にこれを行うこと。
  3. 人工衛星およびその打上げ用ロケットの研究、開発および利用にあたっては、各種研究機関との連携を密にし、学術の進捗、産業技術の発展、国民生活の向上および人類社会の福祉を図ること。
    なお、本事業団の発足にあたっては、優秀な人材を結集しうるようその処遇等についても十分配慮すること。

1969年(昭和44年)7月1日

工業技術院電気試験所を電子技術総合研究所と改称

1969年(昭和44年)7月16日

米、アポロ11号打上げ(7月20日アームストロング、オルドリンの2人が人類初の月面着陸に成功、月面活動後地球に帰還)

1969年(昭和44年)7月31日

「宇宙開発に関する日本国とアメリカ合衆国との間の協力に関する交換公文」の交換

 1967年(昭和42年)11月14、15日に行われた渡米中の佐藤首相とジョンソン米大統領との会談後に発表された共同声明の中に、「宇宙開発に関する両国の協力の可能性につき検討することに合意した」ことが明らかにされ、ここに米国の液体ロケット技術導入の可能性が示された。その後、1968年(昭和43年)1月に、ジョンソン駐日米国大使から日本の宇宙開発のために米国から人工衛星およびロケットに関する技術を提供する用意があるという申し入れがあり、それを契機に、日米技術協力に関する日米交渉が1968年(昭和43年)度から1969年(昭和44年)度まで続けられ、宇宙開発推進本部の解散と宇宙開発事業団の創立を間近に控えた1969年(昭和44年)7月31日、来日中のロジャーズ国務長官と愛知揆一外務大臣との間で「宇宙開発に関する日本国とアメリカ合衆国との間の協力に関する交換公文」が取り交わされた。

1969年(昭和44年)8月6日

日欧間インテルサットTV中継正式開通

1969年(昭和44年)8月7日
 ~9月29日

東京大学、M-3D-1の飛翔実験に成功(8月17日)科学技術庁、LS-C-2JCR-1・2等の飛翔実験

1969年(昭和44年)8月25日

第8回宇宙技術と科学のシンポジウム(国際会議)が東京で開催される

1969年(昭和44年)9月

米国航空宇宙局宇宙問題研究グループ、ニクソン大統領にポスト・アポロ計画を報告

1969年(昭和44年)9月

NHK、アジア放送連合(ABU)に衛星システム提案

1969年(昭和44年)10月1日

宇宙開発事業団発足、科学技術庁宇宙開発推進本部解消

 1969年(昭和44年)10月1日、「平和の目的に限り、人工衛星および人工衛星打上げ用ロケットの開発、打上げおよび追跡を総合的、計画的かつ効率的に行い、宇宙の開発および利用の促進に寄与することを目的として」(宇宙開発事業団法第1条)、科学技術庁宇宙開発推進本部と郵政省電波研究所電離層観測衛星開発部門を引き継いだ宇宙開発事業団(NASDA:National Space Development Agency of Japan)が発足した。同事業団の発足当時の資本金は46億6,600万円、役員10人(非常勤2名)、職員151人であった。初代理事長には国鉄技師長として東海道新幹線実現に功績のあった島秀雄博士が、また、副理事長には宇宙開発推進本部長の松浦陽恵氏がおのおの就任した。
 宇宙開発事業団は、それまで科学技術庁宇宙開発推進本部で進められていたQNロケット計画の実施および小型ロケットの開発打上げを民間委託で行うことを、種子島宇宙センターと共に引き継いだ。同時に郵政省電波研究所が進めていた電離層観測衛星計画もその小平分室等とともに宇宙開発事業団が引き継いで、実利用分野の実施機関となった。

1969年(昭和44年)10月1日

我が国初の宇宙開発計画を策定

 我が国の宇宙開発に関する長期的な計画として、宇宙開発計画が定められることになり、宇宙開発委員会は発足以後、この策定作業にかかり、1969年(昭和44年)10月これを決定した。本計画においては、宇宙開発について10年程度を展望しつつ、人工衛星および人工衛星打上げ用ロケットなどに関する5~6年程度の間の基本的な計画を定めると共に、施設整備や開発体制と各機関の役割分担、宇宙開発の促進諸施策などについて定められた。
 各機関について以下のような役割に応じた体制整備が謳われた。

  1. 国の宇宙開発に関する企画、調整面を担当する宇宙開発委員会の機能の強化
  2. 委員会の事務処理と宇宙開発に関する行政事務遂行のための所要の機構を整備強化
  3. 人工衛星打上げ用ロケットの開発については、宇宙開発事業団において行う(信頼性が得られる段階まで、Mロケットの開発は東京大学宇宙航空研究所で引き続き実施)。
  4. 人工衛星の開発および打上げについては、宇宙開発事業団において行う(人工衛星の研究段階については利用・観測機関が研究を進め、開発段階に達したときには宇宙開発事業団において開発を実施)。科学衛星の開発については、原則として東京大学宇宙航空研究所で実施。
  5. 人工衛星の軌道決定および予報のための追跡は、宇宙開発事業団が行う。この場合、軌道決定および予報のための追跡は、打上げ時の追跡および必要に応じて宇宙開発事業団を中心とした各利用機関との密接な連絡通信網を整備する。
  6. 宇宙開発に関係のある国立試験研究機関は、所掌に応じたロケットの研究並びに人工衛星に関するシステム、搭載機器および利用技術の研究および開発を行うほか、宇宙開発に関する先行研究、関連研究を積極的に進めるとともに、宇宙開発事業団の行う開発に積極的に協力する。
  7. 大学においては、宇宙科学の研究に必要な人工衛星、ロケット等に関し、幅広く研究が行われることを期待する。
  8. 民間企業における研究および開発の体制の強化と研究者・技術者の充実を図り、国のプロジェクトに対して積極的に参加、協力することを期待する。

 また、この宇宙開発計画は、国内の研究・開発の進捗状況、国際環境の変化、宇宙利用の長期的見通しなどを踏まえ、その後もほぼ毎年その見直しが行われている。

1969年(昭和44年)10月8日

宇宙開発委員会、従来の「計画総合部会」「ロケット開発計画部会」「人工衛星開発計画部会」を廃し、宇宙開発計画の策定及び実施状況に関する事項の調査審議を行う「計画部会」を設置。また、研究及び開発の成果の評価に関する専門的技術的事項、その他の宇宙開発に関する技術的重要事項の調査審議を行う「技術部会」を設置

 技術部会の設置により、東京大学の科学衛星計画、宇宙開発事業団の実用衛星計画の両方の評価を行うことで、これまで何かと対立が目立っていた両者に協調ムードが芽生えてきた。東京大学は早速、追突事故を起こしたL-4S-4号機の失敗の実態を部会に提出し、評価を受けている。宇宙開発委員会が設置され、科学衛星と実用衛星の両方を統括することで、ここに日本の宇宙開発体制が一元化されることになった。

1969年(昭和44年)11月8日

西ドイツ、米国の協力で初の人エ衛星「アツール1号」を打上げ

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お問合せ先

研究開発局参事官(宇宙航空政策担当)付

(研究開発局参事官(宇宙航空政策担当)付)

-- 登録:平成23年02月 --