地球観測(春山 幸男氏、青江 茂委員)
(敬称略、肩書きは対談時点) 青江:地球観測衛星立ち上げの経緯を教えていただけますか。何をきっかけに、どう調整しながら海洋観測衛星「もも1号」(MOS-1)※にもっていったのか、そのへんの経緯を教えてください。ひとつは、当時は気象衛星(GMS)、通信衛星(CS)、放送衛星(BS)のいわゆるGCBが衛星開発の主流でしたよね。宇宙開発事業団(NASDA)の衛星はそちらにシフトして一生懸命やっておられた。そういう中において、地球観測という新しい分野がどのように立ち上がっていったのかというきっかけと、そしてそのきっかけをつかまえてどう熟させていったか、そのあたりの経緯を教えてください。 ※1987年(昭和62年)2月19日、N-Ⅱロケット7号機により打上げ。 春山:私は、1971年(昭和46年)に事業団に入りました。そのころは、ロケットの分野ではちょうどN計画がスタートしたばかりで、おっしゃるように衛星の分野ではGCBがありました。当時事業団はできたばかりで、どちらかといえば実用衛星を上げましょうという、要するに実用衛星を上げるのが事業団の目的ですよという話がありました。一方では、旧電波研で一生懸命衛星の技術を研究開発されていたグループが衛星グループということでできたのですが、彼らは初めは電離層観測衛星から始まって、なんとか自前の衛星を開発したいと思っていらっしゃったと思います。GCBといいますのは、開発といわれますけれども、現実にはアメリカの製作した衛星を買って打ち上げる、ほとんどがアメリカ製の衛星だったということがありました。それで事業団では、自主技術との関係で技術試験衛星(ETS)というのを上げ始めたのですが、その一連の中で、なんとか自分たちで目的のあった衛星を開発したい、というのがひとつありました。それからもうひとつ、地球観測ということについてきっかけができたのは、LANDSAT1号、アーツ1(ERTS:Earth Resources Technology Satellites -1)といっていましたけれども、それが1972年(昭和47年)に上がったことでした。それが非常に反響を呼びまして、科学技術庁に当時、資源調査所というのがありましたよね。その資源調査所の方で、これを対象にしてみようという話がありまして、NASA(米国航空宇宙局)が上げたLANDSATのデータを利用研究するということでPIを国際的に募集しました。日本では丸安先生と土屋先生の二人が資源調査所のお金で研究をやるということの前提でPIになられたのですが、それでLANDSATの研究をされたときに、これは非常にいいねという話になって、これと同じような活動を日本でできないかということがありました。 青江:それはLANDSAT打上げの直後ですか。 春山:LANDSATが1972年(昭和47年)に上がったあとにすぐに利用研究が立ち上がったと思います。そのへんのことがあって、そうこうしているうちに、多分、NASAからも言われたのだと思いますが、日本で直接LANDSATのデータを受信してみませんかという話になりました。先生方はもちろん受信したいねという話になったのですが、じゃあそれをどこにやらせるかというときに、ひとつは資源調査所がありましたが、なかなか予算的に難しいということで、結局、宇宙開発事業団が受けなさいという話になりまして、そのための調査費とか何かが出て、それで始まったのです。 青江:そのへんの経緯を経て、要はLANDSATの直接受信というのを事業団でやることになった、それが地球観測センターのはじまりですか。 春山:そうです。 青江: 1978年(昭和53年)10月に地球観測センターが、場所は鳩山で発足していますね。これでLANDSATの直接受信のための施設が日本でスタートしたのですね。 春山:そのときに、たまたま私が地上の関係をやっていまして、LANDSATの受信のためにはどういうことをすればいいのかということをいろいろやっていました。外国の企業のプロポーザルなども受けまして、当時、TRW社とかいろいろありましたけれども、そういうところのプロポーザルも勉強しまして、それで受信局を作りました。ただそのときに、科学技術庁の議論の中で、要するに宇宙開発事業団というのは、本来、衛星を作って、ロケットを作って、それを上げるために作った組織なのだから、地上のためのデータを受けて勉強しますというのは、これはちょっと事業団としてはおかしいのではないかという話がありました。では何で鳩山の地球観測センターでLANDSATのデータを受けるかというと、将来地球観測衛星を開発するための勉強をするため、要するに先行的な検討をするためにそのデータを受けるのだと。それからもうひとつは、折角、科学技術庁として宇宙開発をやるのだから、科学技術庁、宇宙開発事業団としてもちゃんとしたミッションを持ったものに取り組んだ方がいいのではないかと、ユーザーそのものになるような衛星を上げた方がいいのではないかということになって、それで選ばれたのが地球観測という分野で、それで地上局を作るときの理由として衛星を作りますと言ったものですから、衛星の要求もしたのです。衛星の開発ということについても取りかかりますということで、なおかつ自主技術でということで、いろいろ制約がつきましたけれども、それで海洋観測衛星「もも1号」(MOS-1)の開発に着手しました。LANDSATのデータ受信については、1978年(昭和53年)にセンターができましたけれども、この当時すでにLANDSATの2号と3号が上がっていましたので、それから受け始めました。そんなことが最初のきっかけです。それからもうひとつは、三軸制御という技術の開発がありました。MOS-1の前に技術試験衛星Ⅲ型(ETS-Ⅲ)という衛星を上げた※のですが、地球観測などに多く使われる中高度三軸姿勢制御の技術や展開パドルの問題ですとか、そういう意味での技術的な検討は全部このETS-Ⅲでやりました。ETS-ⅢはまさにMOS-1のための前段階の技術試験衛星という位置づけです。 ※1982年(昭和57年)9月3日、N-Ⅰロケット7号機にて打上げ。 青江:ETS-Ⅲでトライしたものは、いずれも衛星としては非常に重要な技術ですよね。それをMOS-1につなげていこうじゃないかと、こういう構想だったわけですね。そうすると、他のGCBというのは、いわゆる技術導入的なものが非常に多かったわけですが、ETSの開発成果もどんどん入れていったのですか。 春山:一番最初に上げたETS-Ⅰというのは、衛星としてとりあえず上げてみましょうというものでした。それからETS-Ⅱは通信のための実験ができるような技術、ETS-Ⅳは静止の人工衛星の試験ですとか、それぞれみんな技術試験衛星は、次にでてきます実用衛星のための前段階の試験を兼ねていたというのが多かったです。 青江:今のお話を聞きますと、三軸、電池パドル展開などという、衛星の基幹的な部分、それを集約して「もも1号」に持っていたという意味におきましては、言ってみれば日本でのまともな衛星のシステムとして、自主技術でやった第1号の実用目的の衛星が「もも1号」だと思えば良いのですか。 春山:それ以前にも部分部分で国産化をするということはやっていましたが、ほとんどのものを日本のもので作ったというのはETS-Ⅲが初めてで、それを活用した実用衛星といえば「もも1号」ですね。「もも1号」というのはそういう意味では、観測衛星としてもそうですけれども、国産技術の衛星としても一番手になると思います。 青江:今おっしゃられた歴史からみると、LANDSATに触発され、通信、放送、気象だけではなくて、有望な分野があるなと、みんなが希望を抱いたわけですね。RESTEC(財団法人リモート・センシング技術センター)も1975年(昭和50年)にできていますね。それに地球観測センターもできて、ずっと地球観測利用みたいなものも進んでいくわけですね。それからすると、MOS-1の打上げまでに結構時間がかかっているわけですよね。今の経緯からすると、LANDSAT打上げから15年ぐらいですか。 春山:そうですね。実際にMOS-1が上がったのが1987年(昭和62年)ですから。 青江:RESTECから数えて12年、地球観測センター発足から数えると約10年ですよね。 春山:もともと衛星の開発は、ご存知のようにRESTECができたときには、LANDSATのデータを受けて研究しましょう、それをみんなで使いましょうと、まずは研究しましょうということでできたわけですから、まだ衛星まで想定していなかったわけです。 青江:自主技術というものをかなり重視をしたものだから、若干開発に時間がかかったということですか。 春山:当時は、ほとんどのものがまだ手始めだったものですから、衛星についていえば、何かをやろうとすれば、みんな初めからやらなければならないので、随分時間がかかるのが常でした。こういうと、他の分野の人からみると、のんびりしていると言われますけれど、衛星の構想ができて、それを具体的に、いわゆる開発のための設計図が書けるまで、これが大体4~5年かかるのです。それから実際に開発に着手してから打ち上げるまでに、また4~5年かかるのです。ですから、ひとつのプロジェクトが10数年のスパンであるというのが、不思議に思わなかった時代です。 青江:わかりました。ちょっと地球観測衛星ということ自体から離れますが、ETS-ⅢからMOS-1への流れというのは、衛星技術の発展という観点からも結構意味をもつプロセスなのですね。そこで、「もも1号」の時の目標といいますか、こんなものを作り上げるのだという、皆さんの意欲、狙いはどのへんにありましたか。例えば、LANDSAT2に匹敵するものを上げるのだ、など。 春山:「もも1号」は、たまたま政策的なことから海洋観測ということになったのですが、中身は、後々の日本の地球観測センサ技術にとって源流とも言える、光学センサのMESSERとVTIR、それに電波センサのMSRの技術実証を目的としていました。MESSERについてはLANDSATに搭載されたセンサを超えるレベルのものでした。 青江:通常は、衛星を上げるニーズがあって、そのニーズにこう応えるというプロセスで衛星を上げるというのが、今日はそういう感じだと思うのですが。 春山:最近はそういう議論が大きいです。 青江:ということは当時は、当然のことながらまだまだ実利用ということのニーズは顕在化はしていないわけで、衛星開発側が少し先行して、解析とか利用とか、そういったところへ衛星側が踏み出していった時代だったのですね。 春山:ニーズと開発のバランスはよく比較されるのですが、当時の一番典型的な例は、ニーズ指向だったがために、たとえばGCBなどの衛星は、多くを外国の技術に依存せざるをえなかったのです。要するに、その時に使える衛星は、ということで。ところが、開発指向ですと、やはりある程度段階を踏まないといけないので、その当時の最先端の衛星をすぐにはなかなか作れないのです。そこのギャップをどう埋めるかなのですが、一つはニーズ対応ということで、GCBなどの、いわば外国から技術導入して衛星を上げるという方法。もう一つはなんとか自前の技術をそろえたいということで、技術試験衛星とか、ひとつひとつステップを上げて、それでものにしたものを地球観測衛星に転用したりする方法の、その2通りだったと思います。今までも地球観測ではよく言われてきましたが、ユーザーが明確でないと言われるのはまさにそうで、GCBでは気象衛星は気象庁、放送衛星はNHK、通信衛星はNTTと、明確にユーザーがあって、その要求に対応して国として衛星を開発しましょう、上げましょうということがありますので、ユーザーニーズとのせめぎあいがずっとありました。それである時期には、上がっている衛星をそのまま活用しようという議論さえありました。一方、地球観測というのは、我々の中で考えて取り組もうとしたのです。 青江:そういう意味でMOS-1のターゲットというのは、世界で最も優れたと言われているLANDSAT2というのがターゲットになったということですね。 春山:計画していた時はLANDSAT 1でした。 青江:それでその後の利用の進展はどうすすんだのでしょうか。 春山:「利用」という言葉は、若干時代時代で変遷しますけれども、当時のMOS-1にとって、一番の利用といいますのは、LANDSAT1のデータそのものを使うということがあまり一般的には広まっていなかったわけですから、それをなんとか我々自身で使えるようになりましょうということでした。そのためには大学の先生とか研究者の方に、皆さんに使ってもらいましょう、それでいろいろ成果を出してもらいましょうと、論文を書いていただきましょうと、そういう意味合いでの利用というものはあったわけです。その時に今度はフランスのSPOTがポッと、ちょうど1986年(昭和61年)ですね。 青江:SPOTの打上げは1986年(昭和61年)ですね。 春山:ちょうど我々がMOS-1を準備していたときに、SPOTがポッと上がったのです。SPOTはLANDSATのレベルをちょっと超えて、フランス人は器用ですからパッとできたのです。日本では、MOS-1のデータよりもSPOTのデータの方が使い物になるのではないかと、そういうような勢いがあって、それでは外国の衛星のデータをどんどん使えばいいのではないかという勢いの方が強くなった時期があるのです。それに対抗して、どんどん技術開発で本来は取り組むべきだったのでしょうけれども、どちらかというと地球観測の分野は衛星の分野の中でも新参者でしたから、予算などが十分ではない部分がありました。 青江:当時はMOS-1を上げるときにも、やはりシリーズでもっていかなければいけないというのはありましたか。 春山:はい。その当時、科学技術庁の推進委員会というのがありまして、昔はMOS-LOSシリーズというのを考えていたのです。要するに海洋観測と陸域観測をシリーズでやろうというものです。MOSは1号機を上げたので、次はLOSだというようなことで、もっと陸域の観測を中心にしたものを上げたいということで、シリーズ化をしようということがありました。センサなどでも、事業団の研究開発部門でやっていたのですが、なかなか予算がつかなくて、端的に言いますと予算がつかなくてどうしようかと言ったときに、通産省が宇宙に対して取り組みがしたいという話が湧き上がってきました。通産省としては、やはりユーザーオリエンテッドというものをやりたい、すると地球観測はそれにちょうどいいのではないか。それでミッションとして、それまで研究開発していたMESSRなどの次の世代の光学センサ、それから合成開口レーダ(SAR)――これは陸域観測には非常に良いということがずっと言われてきて検討していたのですが、その二つを通産省が受け持つという話になり、ロケットと衛星のバスは事業団が担当するということで予算の調整がありました。ミッションに関しては、当時は資源外交などがいろいろと問題となった時期でしたので、資源を見るための衛星だという政策的な論理があって、それで資源衛星という名前で、センサは通産省が開発します、という割り振りになったのです。 青江:それで、1992年(平成4年)に打ち上げられた地球資源衛星1号「ふよう1号」(JERS-1)※搭載の光学センサOPSとLバンドSARは通産省が持ったということですね。 ※JERS-1は1992年(平成4年)2月の打上げから1998年(平成10年)10月まで、約6年半に渡り運用され、国内及び海外のユーザーにデータを提供し続けた。 春山:はい。その当時は、事業団というのは、他の衛星でもそうですが、ミッションではなくて、宇宙のインフラをちゃんとやるべきだという話がありまして、その流れからいうと、ロケットと衛星のバスというのが事業団の仕事ですよ、というしきりがありました。 青江:その経緯からみれば、OPSの発展であるADEOS(地球観測プラットフォーム技術衛星「みどり」)のAVNIR、ALOS(陸域観測技術衛星「だいち」)のAVNIR-2も通産省が引き受けてくれればよかったのにと思いますね。 春山:予算などの都合もあり、通産省であってもなかなか続けることができませんでした。JERS-1という地球資源衛星は非常に長い期間運用され、非常に良いデータも取りましたし、資源のユーザーという宇宙の世界とは接点がなかったようなユーザーも増えましたので、それはそれで良かったのですが、JERSを続けましょうかといったときに、そこはなかなか難しくて、それで次に出てきたのがADEOSなのです。何でこれが出てきたかと言いますと、この頃はもうひとつ大きな目標として宇宙ステーションがあったのです。宇宙ステーションでどんどんお金をつけてやりましょうという時に、それにのっかろうというのがNASAの方策でして、宇宙ステーションの枠組みの中にステーションそのものだけではなくて、極軌道プラットフォームというネーミングで、極軌道を飛ばすプラットフォームを使って観測などをいろいろやりましょうという構想がでてきました。極軌道プラットフォームというのはパッケージ2といいまして、ゴダードスペースセンターが指導していたのですが、それにESA(欧州宇宙機関)ものっかって、NASAとESAが極軌道プラットフォームの構想をして、それで宇宙ステーションのパートナーであった日本とカナダを呼びかけて取り込んだのです。なおかつ、日本の方は、MOS-1、JERS-1と来ましたが、次のステップとしてはどうしても大型の衛星を、というのがやはり流れでした。それからもうひとつは、枠組みとしても、最初のMOS-1が技術開発とそれから事業団だけの衛星、次のJERS-1は少しユーザーに向けて国内の省庁連合でやったわけです。するとその次は国際だというような流れがあって、そういうふうな考え方の広がりと、それから技術のトレンドをそこにのせようとしたわけです。極軌道プラットフォームの構想で、NASAがEOS(Earth Observing System)計画を打ち出して、それが非常に宣伝されたものですから、国内の関係の研究者の方々も皆さん、NASAがあれだけやるのだったら日本もそれなりのことをやらなければいけないのではないかというプッシュがありまして、プラットフォーム技術の開発へと進んでいきました。 青江:普通でしたらね、MOS-1からJERS-1というふうに来たのだから、継続性をもって発展させていくという道もあったわけですが、そうではなく、大型プラットフォーム型へと進んでいった。それがどうしてそうなったのかというと、やはりどうにかお金を取らなければいけないと、主流たるGCBに対抗してどうにかお金を取らなければいけないと、そこで、宇宙ステーションがらみの極軌道プラットフォームというところに、これがひとつ。それからもうひとつは、大規模プラットフォーム化、これはNASAが主導していたのだと思うのですが、これが今後の衛星技術の趨勢であると、みんな信用してしまった。この二つの要因によってADEOSというのが出来上がってしまったと、こんな感じでしょうか。 春山:あの頃は、日本の宇宙開発もそれなりのことをやってきましたから、宇宙ステーションの活動がまさにそうだったのですが、世界の一極を日本も担うのだというのが非常にありましたよね。少なくとも四分の一は日本で支えるのだということがありましたので、その発想でいって、NASAとかESAとかが地球観測でそういった大型の衛星をやるのだから、どうしたって日本もそれと比肩しうる計画を提示しないと、NASAなどと対等にやっていけないという話があったわけです。ほとんど同じぐらいの大きさですよね。資料を見ますと、NASAの衛星は5tとか6t、それからESAはものすごく大きくて8tぐらいの衛星をやったわけですが、ADEOSは3tから4tでした。それで、この時にセンサをどうするかという話がありまして、日本でやっていたセンサをなんとかそこにつなごうとしたわけです。ですから、ADEOSにはAVNIRだとかOCTS、これはNASDAで作ったセンサを載せたわけです。あとは国際的にオープンにしなければいけないという話になったものですから、NASAのセンサとCNES(フランス国立宇宙研究センター)のセンサを載せるのと同時に、通産省の温室効果気体センサ(IMG)、環境庁の改良型大気周縁赤外分光計(ILAS)も搭載するということになり、ADEOS計画はNASAとESAがやっているプラットフォーム計画と比肩するものでした。AVNIRはこの当時では最も精度のいいセンサを狙ったのです。もうひとつのOCTSは、VTIRとか海面温度とか、昔から海洋関係の人が一生懸命やって発展させたものです。AVNIRとOCTSはセンサのヘリテージをちゃんと守っていて、なおかつその当時、NASAに出してもおかしくない精度のもので、要するに国際的にちゃんと評価されるセンサでした。 青江:ここで1996年(平成8年)にADEOSが上がりました。ここから10ヶ月後が問題なのですよね。ここからちょっと苦難の道が始まったのでしょうか。まさにADEOSが10ヶ月でダウンしてしまうというのは予想外のことですよね。言ってみればMOS-1、JERS-1というのは長く動いて、非常に順調に発展してきたのに、ここでもってADEOSが予想外の10ヶ月でダウンしてしまった。これはどうでしたか。 春山:これは本当に予想外で、本当に困ったなぁという想いでした。ただそのときは、今だから言えるというか、当時はADEOSを上げることに対して、国内外の関係者の方々がものすごくサポータブルだったのです。ものすごく勢いがあったのです。なおかつ、その勢いを借りて、ADEOS-Ⅱはその当時すでに開発中でした。ADEOSが急にダウンしたので、ユーザーの方や先生方、皆さんに説明をしたり、いろいろ対策の意見をもらったり、NASAやCNESも関わっていますから、外国の方々とも話をしましたが、そのときに言われたのは、なんとか今やっていることを継続してくれと、自分たちが手がけたことをなんとか継続してくれということでした。NASAもCNESもみんなそうでした。要するに、非常に残念だけれども、10ヶ月といえども非常に良いデータが取れていたわけです。センサの技術も事業団の運営も非常にすばらしいものだったので、ぜひこれを続けてくれということで、まず、早めに同シリーズのものをすぐに打ち上げるようにと、日本は、政府も頑張ってやってくれないと困ると、そう言われました。もうひとつは、ADEOSの代替えとして、当時でいえばインドの衛星とか、SPOTの衛星とかのデータを受信して研究者に提供するとかして、なんとかつなぎをしてくれと、この二つの要求がありました。 青江:そこで少し疑問なのは、陸域を見るという点においては、一番のメインでユーザーも多いAVNIRというセンサについて、その回復は2006年(平成18年)に打ち上げられたALOSまで待たなければならなかったわけですよね。 春山:当時既に開発中だったADEOS-Ⅱに搭載する高性能マイクロ波放射計(AMSR)とグローバル・イメージャ(GLI)は、将来のことを考えて意欲的な、最先端のことを狙ってやっていましたので、なんとかこれを早く上げましょうとしました。一方光学センサのAVNIRについてはSPOTなどで代替えの処置、購入してユーザーに提供する、そうしていきましょうと。 青江:そういう判断をしたわけですね。 春山:はい。このときは、もう一つ言うと、もう分けましょうか、という話があったのです。このADEOSからADEOS-Ⅱを計画するときに、グローバル観測を目的とするものと、地域観測を目的とするものとを二通りに分けて検討した方がいいのではないかという議論があったのです。それで、AVNIRの後継機種というのは、一応ペンディングになっていたのです。そういうこともあって、事業団としては高性能マイクロ波放射計のAMSRを載せたかったというのがあるのです。AMSRというのは、昔、MOS-1でやりましたけれども、MOS-1の頃はあまりうまく成果が出ませんでした。ところがマイクロ波放射計というのは非常に将来有望なセンサだということで、事業団としてはずっと検討・研究していたのです。ですからなんとかしてMSRの発展版のAMSRを上げたいという長年の夢があったのです。 青江:だからAMSRとGLIを優先したわけですね。 春山:はい。なおかつ、他のセンサでいえば、改良型大気周縁赤外分光計(ILAS)という環境省のものはすぐに二番目のができるから載せてくれという話があって、これはもう当然のことながら否応もなく乗せました。通産省の温室効果気体センサ(IMG)は次の計画がなかったものですから載せられませんでした。一方、NASAはスキャトロメーターというのを載せたのですが、それの後継機のSeaWindsをすぐに作るからということでしたし、CNESのPOLDERは、もともと作る時からすでにバックアップを作っていたので、それを載せましょうということになりました。 青江:ADEOS-Ⅱの打上げは2002年(平成14年)ですが、これはもともとの構想のタイミングですか、それとも、ADEOSがダウンしたから急いでやったのでしょうか。 春山:本当はもうちょっと前に上げる予定だったのですがH-Ⅱ5号機や8号機の事故等がありましたので若干遅れました。やはり本当に着手してから実際に上がるまでに5年はかかりますので。 青江:経緯はわかりました。いわゆる一番メインのユーザーの多いところは、SPOTなどのデータを買うことでどうにか対応できる。申し訳ないが、お金で対応できないものをどうにか急いでつながないといけないから、これをやらせてもらいますと、こういう判断ですよね。 春山:はい。それともうひとつは、やはり、失敗のリカバリーということでは、優先的に外国のにも取り組むという考えもあるので、予算もそれなりにカバーしてくれたということもあります。 青江:多くのユーザーが待っているところは大切であり、ここは徹底的に継続していくという判断もあったかもしれませんね。 春山:そうですね。それともうひとつは、ADEOS-ⅡはADEOSと同じ一翼式太陽電池パドルを踏襲したわけですよね。ADEOSの大きな失敗は太陽電池パドルだったので、ADEOS-Ⅱでは対策を講じて改良も加えた訳ですが、本当はそのときに、それも含めて衛星そのもののバスをガラッと変えるという、その判断をしてもよかったのかもしれません。技術的にいえば、もう少し時間が必要だったのかもしれません。 青江:そこの原因は、やはりどうしてもユーザーとの関係で急いだということもあるかもしれませんね。 春山:ユーザーだけではなく、やはり事業団としては、失敗したから、なんとかしてそれをリカバリーしたいという思いがあったのだと思います。ADEOS-Ⅱが乾坤一擲の一発だったわけですが、ところがやはりまた10ヶ月でダウンしたものですから、そのときは、これは本当にこたえましたね。 青江:このADEOSとADEOS-Ⅱの2回のダウンは非常にきつかったですよね。地球観測衛星の大きな流れを見てみると、まさにあそこの2回のダウンというのが、非常に大きな傷跡を残したということですよね。 春山:それは本当にそうだと思います。外国のNASAなんかも、1回目のときは、また次にがんばろうと言ってくれたのですが、2回目のときは、さすがに向こうからもほとんどコメントはなかったですね。 青江:そういったことを踏まえて、2006年(平成18年)に打ち上げたALOSで、起死回生といいますか、それまでの失敗をどうにか克服して、ALOSを今日の状態にまで持ってきたということで、だいぶ失った信頼を取り返せましたかね。 春山:なおかつ、技術的にも、少なくとも頑丈なものにしましょうということで、パドルの方式とかもいろいろ変えました。 青江:ロバスト性には随分配慮しましたからね。 春山:陸域のデータは衛星のメインストリームですので、やはり、ユーザーが待っていたかのように使いだしましたので…… 青江:ALOSの打上げから3年経ちますが、経常的に3年ぐらいサービスをきちんとやっていると、言ってみればお客さんがつくといいますか、そういう状態になりましたね。衛星利用というのが着実に増えてきているということですかね。 春山:ALOSはAVNIR-2のほかに、PRISMという光学センサを搭載しています。これは従来の流れの中ではプラスアルファなのですが、これはこの時期にどんどん高精度化をということで、日本のユーザーもメーカーもなんとか高精度化を、白黒でもいいから高精度のものを作ろうということがあって、これが実現したわけです。これは非常に、我々でいうシビリアン・サテライトというのですが、国がやっている、あるいはパブリックでやっている衛星の中では、このPRISMは非常に精度も良くて、非常に好評です。それからもうひとつ、ALOSはPALSARという電波センサを搭載していますが、これはJRES-1のSARの技術を引き継いだものです。 青江:PALSARはなんでLバンドなのでしょうか。 春山:国内でも国際的にも議論していたのですが、要するにCバンドについてはヨーロッパがやっている、だからそれと同じことを日本がやることはない、ということではないかと思います。 青江:Xバンドについては。 春山:Xバンドはちょっと難しいのです。最初に手がけるとすると、衛星として。 青江:そうだとすると、JERS-1の段階でLバンドでやって、ALOSの段階でXバンドに切り替えていくというステップは。 春山: Xバンドはその当時ですと、まだ航空機で実験している段階で、Xバンドを衛星にまでもっていくというところにはなかなかいっていなかったように思います。それでCバンドかLバンドかが議論の対象だったのです。 青江:XバンドはALOSを手がける段階でもまだ技術的に自信がなかったということですか。 春山:はい。本当の技術屋さんは、いややります、と言ったかもしれませんが、若干そこまでのレベルにはきていなかったのだと思います。CバンドかLバンドかの選択についてですが、Lバンドを使っていたのはJERS-1だけでした。カナダのRADARSATもヨーロッパもみんなCバンドでしたから。ところがLバンドは、JERS-1でやっていたときに、森林のモニターや地殻変動の検出ですとか、そういうことに非常に特長があって、国際的にはLバンドというのが非常にもてたのです。そういうことがあったものですから、ALOSのときは、やはりLバンドでいこうとなりました。研究者の一部の人たちやメーカーの人たちはCバンドをやりたいとかXバンドをやりたいとかいろいろあったのですが、どうもそれでは国際的に評価されようとしたときに非常にきびしいかなと、折角JERS-1で6~7年と続けていたのだから、同じスタイル、性質のセンサをやったほうがいいのではないかということで議論して、最終的にはLバンドで落ち着いたのです。最近では TerraSAR Xとかどんどん出てきていますが、他の衛星もそうですが、地球観測衛星の議論するときには必ず、スポット的に小さい領域を精密に見るのか、グローバルである程度の精度で見るのかという議論が必ずでてきます。Lバンドはどちらかというと後者のほうなので、国際的にみると非常に関心の集まっているところだし、話題の集まっているところだし、それになおかつ下手な競争がないものですから生き延びるのではないかな、とは思います。Xバンドはある種の競争の世界になっていますので、民間の競争の場になったようなところにまで国の資金で、JAXAの資金でやるのかというのは、また別の議論になるかもしれませんね。 青江:迷うところですよね。LバンドとXバンド、それぞれに特長があるのだから、両方を手掛けるのもいいやり方なのかもしれませんね。 春山:今のところ、Lバンドで続けて、当面は国際的には評価されて、逆にいえばLバンドでやっているのは日本しかないわけですから、これは国際的には結構いいプレゼンスがあるのではないでしょうか。 青江:そのへんは期待したいところですね。さてそれで、歴史をみてきたときに、利用の方がもう一歩進みませんね。これはなんでなんだろう、ということなのですが。これだけずっと手がけてきたわけですが、歴史的にもそんなに遅れてきたわけではない。確かに、途中で2回のアクシデントという出来事がありましたが、それがかなり大きな影を落としているとはいえ、一定の歴史を持ってやってきて、それで利用がもう一歩というのは、そこはどう見ますか。 春山:利用には衛星そのものがいいデータを観測するということと、もうひとつは利用するためのソフトなり、そちらの方のレベルが上がらないといけないということがあります。例えば、NASAの例をみると、研究者が利用する方に対して結構いろいろなファンドがあって、研究者の方が新しい利用を考えたり、そのためのソフトを開発したり、それから一般的には企業がどんどんソフトの開発をやっていますから。日本で出回っているリモートセンシング関係のソフトなどはほとんどが外国製です。外国では、利用のためのソフトの開発がビジネスとして成り立っているということだと思うのですが、そこが日本はなかなかないですよね。 青江:初期段階から利用のための地球観測センターをつくったりして、衛星機関側が踏み出していったわけですよね。にも拘わらず、解析のソフトがほとんど外国製だとか、遅れている。もう少しそこはJAXAが力を入れておけばよかったかな、という感じですかね。 春山:そうですね。衛星の開発から一歩踏み出したところの話なのですが、その踏み出し方も、これはJAXAなり予算の関係の都合なのですが、常に衛星を前提にして、例えばデータを検証するためにこういうことをやりますといった、一種衛星の開発と関係づけた範囲で実施されてきました、JAXAの場合は。ですから、いろいろ組織をつくったり、それなりの予算を取りたいとしても、やはり衛星の開発とかロケットの開発と比べると、はるかに規模が少ないのです。 青江:どうしても滲みだしという感じでしか…… 春山:そういうところはアメリカやヨーロッパでは組織的な工夫がよくありまして、たとえばアメリカでいえばNASAの研究費も非常に大きいですけれども、たとえば、どんどんユーザーがつくような衛星は、特に気象関係、あるいは海洋関係のものですと、衛星を作るのはNASAにしても、NOAA(米国海洋大気庁)の方にも、実際のデータの利用とか、そういう仕組みができていますよね。最近のヨーロッパの傾向ですと、ESAが宇宙機関として衛星開発とデータ解析とかをやっている一方、地球環境がこれだけ問題になってくると、宇宙機関ではない欧州委員会がお金を出して衛星の利用についてのプロジェクトをどんどん立ち上げて、それでユーザーに対してプロモートするというようなことがあります。 青江:宇宙機関側の手離れが悪かったという感じでもないですよね。 春山:どちらかというと、受け手がなかったという感じです、日本の場合は。 事務局:アメリカなどではどういうところが利用の部分を担っているのですか。日本の場合でいうとどこに相当するところが利用を担って、ソフトウェアなどを開発していったのですか。 春山:各省といいますか、まず、NOAAは気象庁プラスアルファですから、たとえば大気とか海洋の問題はみんなNOAAがやっていて、将来自分たちが使うからといってどんどん研究者にいろいろなことをさせるのです。 青江:そのときに、例えば商務省とか農務省とか、そういうふうなところは一生懸命利用には力を入れていましたか。 春山:LANDSATだけに限っていえば、非常に農務省が力を入れていました。LANDSATの利用の一番の成果は、それこそ農務省の資金で解析したのだと思いますが、当時の米ソの戦いのときに、ソ連の穀物情報を全部調べ上げて、そのデータを全部農務省がとったということのようです。衛星はNASAが打ち上げたとしても、そんなことまではNASAがするわけはないですから。それでLANDSATがオペレーショナルになって、NOAAなどと分担し合おうということになったときには、LANDSATの運営費などについて、当然、農務省も資金分担しているのです。そういうところの、各省庁の連携というか、ああいうのが日本よりもやりやすいのかもしれません。一方、NASAの人たちとこういうことで議論していますと、NASAの人たちは新しいことはやるけれど、継続するような、同じことを繰り返すようことはNASAの仕事ではありませんから、ということでさっぱりしているのです。要するに、NASAというのは宇宙の分野で新しいことをやりましょうということでつくられたものだから、どんどん新しいことで勝負していかないと組織が潰れてしまうのだということで、これはこれで明確なのです。 青江:各省庁の役割分担ということで言うと、利用というものの本格的なプロモーターは、その利用活動を所管する省庁の側で担ってもらわなければならないのではないかと思うのですが。 春山:JAXAの方からみると、JAXAにプロモートしろといわれてもちょっと難しいのです。やはりJAXAは、例えば地球観測や或いは他のこともあって、その全体のトータルの中で宇宙開発をしないといけないという優先付けがありますから、そうすると地球観測の衛星を作って上げてデータを提供する、それはJAXAでしょう。ところが、それを受けて、使って、いろいろな各分野でどうのこうのという、そこまでを全部JAXAの予算でやるというのは、ちょっとやりすぎではないですか、という話が必ず出てきますよね。 青江:お金の問題というよりは、どちらかというと任務の問題として、やはり衛星データの一次解析とでもいいますか、衛星開発側というのはそこらへんまでかな、という感じなのですが。予算の余裕云々ということではなく、そこから先の利用をきちんとプロモートしようとすると、その分野の専門的な知見がいりますよね。そういったそれぞれの分野の専門家をJAXAが抱えるということは無理だと思うのです。 春山:その分野の専門家でないと、やはり意味がないですよね。最近でも、森林の問題などが出ていますが、衛星のデータを森林の専門家のところに持って行くと、森林に関する専門的知見をもとに、色々な角度からそのデータを見る、そして色々な見方を引き出してくる、これは森林に関する専門家しかできないことです。最近、森林総研や林野庁の方とも随分とグローバルなことを議論するようになりました。昔は森林の木を1本1本調べて研究をするといった感じで、衛星のデータを使って、グローバルな大きなプロジェクトをやりませんかといっても、なかなか話は進みませんでした。農業の分野でもそうです。昔から一生懸命やっているのですが、やはり日本の農業の規模と関係するのか、衛星のデータを使ってやる仕事はなかなか伸展しませんでした。しかしながら近頃、ALOSの衛星のデータを使って随分と進んできました。日本は、国際的にお米とかもみんな輸入しているわけですから、米国の農務省のように、ちゃんと国際的な農作物の監視をALOSのデータを使ってやってもいいじゃないかと思います。 青江:利用の方のアクティビティを引っ張るプロモーターは誰か、ということなのですが、基本的には今の森林の例でいえば森林を専門的に扱っている側ではないか、そして宇宙機関側と森林機関側の間をRESTECが繋ぐといった形ではないか、と思うのですが。 春山:今、農水省さんは一生懸命、畑の全部の面積を出すということに衛星のデータを使おうとしているわけですが、畑の面積を出すという仕事は農水省さんの仕事です。ところが、農水省さんの方は衛星のデータの使い方そのものについては必ずしも十分ではない、そこで我々RESTECの方で、橋渡しだとか研修とか、要するに技術をトランスファーすることの役割を果たしていかなければいけないですよね。 青江:そのあたりがいい役割分担ではないかという気がするのですが、今までの衛星画像利用がうまくはかばかしく進歩しなかった責めを、衛星開発側にばかり向けられても困るな、という気もするのです。ところで、ALOSのデータの利用は着実に伸展しつつあるということのようですね。 春山: ALOSデータのRESTECを通じての売上高の推移を見てみますと、3年目に入った平成20年度は年度当初から高いレベルで推移しています。ALOSでいいますとミッション期間は一応3年ということで、あたかも打ち上げてから運用が3年で終わるというような印象になっていますが、しかし実際に利用する側に立ってみると、3年ぐらい経ってやっと本当に使おうかということになるのです。これは役所とか、公的機関の場合はそこまでシビアではないのですが、民間の人はもっとシビアなのです。要するに、いったんデータの提供とか、データを使って次の製品を作ろうとするとなると、やはり彼らは彼らで体制を作ったり投資をしたりするわけです。それが1年とか2年で投資をし、実際にリターンが来るのは、その後なわけです。従って、本当に使ってもいいかどうかはしばらく様子をみるわけです。やっと1年ぐらい経ってくると、なんとなくこの衛星のデータは使えそうだなということで使い始めるのです。ALOSは今年がちょうど3年目なのですが、RESTECでみるとやっと本格的にデータが出始めたというのが今なのです。一方、JAXAは3年の事業ミッションが終わった、宇宙開発委員会にはもうこれで後期段階――後期段階というのはなんとなく余分ですよと言っているような感じがするのですが、実際は、我々の世界でいうと、今からが本格的なのです。我々は若干自前で投資しているものもありますから、その回収はまだなのであって、これからやっとデータの販売ができて回収ができる、これには4年、5年必要です。ALOS-2でも、光学センサと電波センサのどちらを先に上げるべきかという議論があって、もちろん宇宙インフラとしてちゃんとするという、それから国際的なこともあって、それはそれで合成開口レーダというのは非常にやるべきものです。ところが一方、一般的に使われるデータというのは光学のデータであって、そのデータもやっと今、PRISMだとかあのへんがこれだけいいものですよと、やっと浸透してきたり、外国からも注文がきたりというような状況になっているので、これを続けていきたいのです。そうすると、逆にそのときに、これはいつまで続きますか、という問いかけが必ずきます。そのときに、いや今はミッションで、利用者に対してあと2年程度は運用が続くようですと、そう言えるのがやっとなのです。その次は、と言われたときに、今は答えようがないのです。実際の現場としては、これが非常に厳しいですね。外国は結構お金のないESAでも、1つの衛星を上げると必ずバックアップを取っておいて何かあればすぐに上げますよね。アメリカは贅沢だから常に軌道上予備機を用意しています。民間の人とやっていて一番きついのは、本当にどれくらい続くのかということです。リモートセンシング業界はみな企業規模が小さいですから。 青江:ALOSの後継機で、まずSAR衛星から手掛けるということに関しては。 春山:もともとALOSは、SARと光学と一緒になって進められるという前提で、早くALOS-2を上げてください、ということがあったのですが…… 青江:SARが先行すると、あれっと。 春山:一方で、やはりSARというのはいろいろな絡みだとか、開発の問題もあって、これは大事なセンサですね、ということは誰も否定はできないと思います。ただALOSの利用で言うと、日本ではPALSARは圧倒的に少ないです※。やはりPRISM、AVNIRの需要が圧倒的に高い。 ※JAXA注:海外ノード機関の提供を含めるとPRISM、AVNIR-2のデータ提供数とPALSARのデータ提供数はあまり差がありません。 青江:半分以上がPRISMですものね。 春山:ですから結局、利用については、ビジネスをやっている民間業者の人の使っているソフトが整備されていないと使えないわけです。そういうことが整備されているのは、従来から使っている光学のセンサのソフトです。SARというのは新しいデータですし、従来からどちらかというと、特定の研究者とか機関が使うというのが前提ですから、SARについて一般の人が使うソフトはあまり開発されていないわけです。そうすると、なかなか使えないということがある。ただし、これは現状であるわけですから、次のステップで見てどういう戦略でいくかというのは、よく考えてみる必要があります。国際的にみればSARがものすごく競争が激しいわけです。昔はやっていなかったドイツも、イタリアまでもSARを打ち上げました。世界中でSARを上げ始めているわけですから、そこは日本も遅れては駄目だなとは思うのです。他方、PRISMとかは今ものすごく評判がいいのです。宣伝のようで申し訳ないのですが、PRISMの分解能は2.5mですが、一方精度の高いIKONOSとかはみんな小さいスポットで観測します。ところがPRISMは35kmですが、最大70kmという広帯域で観測して2.5mの精度が出るのです。これは唯一世界中でこれだけなのです。要するに広い範囲でだーっと見るということは、ものすごく重要な特長です。広い範囲の地図をパッと作るとか、そういうことにはものすごく役に立つのです。ですからこれは非常に今、売れ口のセンサなのです。それでなおかつ、それだけ広い範囲をとっても、値段もそこそこ安い。 青江:そうすると、衛星データ利用のもっとも原型的な部分というか、もっとも利用者の多い部分のセンサの継続をまず優先して考えるべきではないかという議論が出てきますね。 春山:その議論に関しては、それこそADEOS-Ⅱのときと同じ考え方なのですが、最もユーザーの多いAVNIRとPRISMの後継のところについて、NASAやESAは、そこのところは民間に渡しています。その民間の衛星のデータを入手することによって、どうにかつなぐことができる。他方PALSARの方については、先に触れたとおり、国際的な動きも急で、折角の日本のヘリテージを活かしていくことも考えなくてはならない。このあたりを総合的に勘案して、ということになるのではないかと思います。 青江:米国や欧州では、その一番の原型的部分については、もう民間にバトンタッチしましたという状態になっているわけですね。 春山:米国ではオーブイメージ社やデジタルグローブ社が、欧州ではスポット・イマージュ社が、それぞれ民間事業としてその部分の衛星運用、画像提供を行っています。ただ、みんな苦労しているようですが。 青江:米国や欧州ではそのような民間事業が成立して、一方日本ではそのような形になっていない。それはどうしてでしょうか。 春山:衛星を作って打ち上げて、画像を取って処理する。これには当然大きなお金が必要です。そのお金をコンスタントに支払う人がいれば民間事業として成立する、ということになります。欧米には安全保障関係を中心にアンカーテナンシーという形でそれだけのものを払う人がいて、日本ではまだそれだけの大きさのものを支払う人がいない、ということだと思います。NASAにしてもデータバイという制度があって、結構NASAの衛星でない衛星のデータもどんどん買っているのです。それでちゃんと衛星のミッションを支えているのです。 青江:ところで、地球観測の方の、マイクロ波放射計AMSRは非常に評価の高いセンサのようですね。またGLIの後継となるSGLI、これも世界に誇るセンサなのですか。 春山:はい、そうです。GLIは非常にもてました。先程のADEOS、ADEOS-Ⅱの失敗の後でどういう反響があったかということの1つなのですが、そのGLIやAMSRを使った研究論文がものすごく多いのです。研究者の世界かもしれませんが、こういうリモートセンシングの世界ですと、いわゆる新しい事物をこれで見ることができたとか、新しい現象がこれでわかったとか、精度がこれだけ上がったとか、そういうことをみんなしたがるわけです。そういう面では、期間は短かったのですが、非常にいいデータを供給したのです。そういう意味では、次の地球環境変動観測ミッション(GCOM)でSGLIをやりますとか、AMSRの後継をやりますというのは、今非常に期待されていることです。 青江:日本のセンサの技術力というのはいかがですか。 春山:センサ作りということでは日本は大変進んでいると考えていいでしょう。いいセンサを作るから一緒に研究をしたいという海外の研究者は多いです。先ほどAMSRやSGLIの話が出ましたが、温室効果ガス観測技術衛星「いぶき」(GOSAT)のセンサも、昔のADEOSのIMGを発展させたものですが、世界の最先端のものです。ただそのような優れたセンサを使って研究を行う層が薄いのが少し残念なことです。 青江:GOSATセンサ、GCOM-C、GCOM-Wのセンサ、このあたりを見ると、MOS-1から始まってJERS-1、ADEOSなどに引き継がれ、そしてALOSを経て、着実に伸びてきている。それで非常にいいものを出しつつあると。 春山:なおかつ、センサを少しずつ世代アップしながら続けていくことによって、そのデータを使う研究もいろいろな機関もちゃんと継続して増えてきています。日本のセンサだと、やはり日本の研究者にある種のアドバンテージがあるのです。こういったアドバンテージを使って日本の研究者が地球観測の分野で世界を引っ張っていってもらいたいと思っています。 (了) お問合せ先研究開発局参事官(宇宙航空政策担当)付 |
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