ここからサイトの主なメニューです

宇宙研究開発

宇宙科学の発展(鶴田 浩一郎氏、松尾 弘毅委員長)

 対談する鶴田氏と松尾委員長

日時

平成21年3月30日(月曜日)14時~16時

場所

文部科学省庁舎 東館18階 宇宙開発委員会 委員長室

参加者

鶴田 浩一郎 (宇宙科学振興会常務理事、元宇宙航空研究開発機構 宇宙科学研究本部長)

松尾 弘毅 (宇宙開発委員会委員長)

メインテーマ

宇宙科学の発展

(敬称略、肩書きは対談時点)

松尾:本日、私の立場がインタビュアーにして宇宙開発委員会委員長ということはよく承知していますが、テーマの性質上、宇宙科学研究所元所長としての所感が混じることはお許し頂きたいと思います。さて手順から行きますと、先生がこの道に入られた動機はいかなるものでしたか。

鶴田:それが結構不純でして、私は大学院で自然の電波の地上観測を使ったリモートセンシングで上を調べるということをやっていました。

松尾:上というのは。

鶴田:磁気圏です。地球の磁力線に沿って伝わる自然電波があるものですから、それを受けて、それの分散から磁気圏の電子密度を求めるというようなことをやっていました。当時は、アメリカのアポロ計画の影響もありエクスプローラー衛星などを使って放射線や磁場、プラズマに関してデータがたくさん出始めた頃でした。
 私は、不埒にも何とか自分の道具でやりたいという大それた、ある意味ではばかげたことに固執していまして、自前で出来る観測をやっていましたがもどかしい限りでした。当時は観測データを公開して皆で解析すると言う考えは一般的ではなく、データ解析と観測とは今より密接に結びついていたと思います。ですから自前でデータを取るということはとても大切なことと思っておりました。宇宙研ではその可能性がありそうに思っておりましたので…

松尾:行かれたのは大林先生のところですか。

鶴田:そうですが、具体的には西田先生のところです。西田先生は既に助教授でした。

松尾:当時、まだ宇宙科学の大先輩たちがいらっしゃったと思いますが。

鶴田:第1次世代がまだお元気でした。

松尾:大林先生、小田先生、平尾先生・・・・・・。

鶴田:高柳先生、そして伊藤先生も大先輩です。

松尾:皆さん、もういらっしゃいませんが。

鶴田:高柳先生はまだまだお元気です。

松尾:私は工学で、鶴田先生は理学ですが、宇宙科学の場合は理工の連携が非常にうまくいっていると、少なくとも称していたわけで、実際そうだったと思います。もともと宇宙科学自体が国際地球観測年(IGY)のときに、前田先生、永田先生といった理学グループの方々と糸川先生をはじめとする工学グループの方々とが当時の文部省の仲介で一緒になってスタートしたということで、そもそもが理工が連携してスタートしたようなところがあります。
 その後もずっとこの伝統は受け継がれていき、出だしがそうでしたから、だんだんにそういうものを受け継ぎながら拡大していったというところがあるのでしょう。新しく来た人もみんなそこで同化されていきながら、理工の連携が綿々とつながっていったということだと思います。
 理の組織と工の組織があって、どこかでガチャンとくっつけると相当の騒ぎが起こったと思いますけれども、「組織対組織」という話になる以前に、連携しながら進んでいくということがありました。あとは、戦略的に急に大きくしなかったということではなく、単に金がなかったという結果だと思いますけれども、徐々に大きくしていったことで、来た人もみんなそういう文化に同化されながら大きくなっていったということであったと思います。
 この辺について、特に何か感じられたことはおありですか。

鶴田:特にということではありませんけれども、ちょうどいい時期でした。要するに目的を共通に持つことができました。つまり、ロケット開発をする、技術開発をするということと、科学の目的が非常にうまく一致していました。
 もう1つは、それぞれに参加した人たちが一国一城の主だったということです。一国一城の主が自分の守備範囲の全力を投入して参加できたことが非常によかったのかと思います。

松尾:工学にとっては、理学と一緒にいることはモチベーションを得るのに非常によかったわけですが、理学から見ればすぐそばに高級な大工がいるわけで、これは大変便利なわけで、両方うまくいっていましたね。

鶴田:多分、高級な大工以上だったのでしょう。

松尾:確かに両方の目的が一致していて、当時、飛び道具のロケットを開発しないと話にならないというところがあったわけですね。その辺がだんだん微妙になってきたのが、話は飛びますが三機関統合の直前ぐらいの状況だったかもしれませんね。工学にとって、理学に必須の飛び道具の研究が研究たり得た、ということがその時代のころだったわけですね。それがだんだんと定常的な手段になったときに、工学側が、それをいつまでもやっているのか、と矛盾を感じてきていたのが統合前の状態ということも言えるかもしれません。

鶴田:一流の大工の部分と、それほど一流ではなくてもいい大工の部分と、両方必要だったのです。

松尾:ところがそのバランスがだんだん、一流ではなくてもいい部分がふえてきてしまった、ということをはらんでいた。

鶴田:工学の中ではある種の不満があったのでしょうね。

松尾:それはともかく、そういう積み重ねがあったから、両方気心が知れていて、お互いに嫌われることも言い合える状態でやってきたのだと思います。両方でインタフェースをきちんと決めてしまってこうやることは大変きれいですが、相当な無駄のようなものが出る可能性があります。お互いがある程度オーバーラップしながら、インタフェースを近くでとっていくことは、非常に効率のいいやり方だと思っています。
 おまえ、こう言ったじゃないか、そのとおりやれ、というだけの話でやっていると、後くされがありませんね。ただし、両方とも用心をして、それに対して非常に余裕をとらなければいけないので、でき上がったものは、無駄とは言わないけれどもというところもあります。ただ余りに柔軟過ぎて難しいところもありましたが。

鶴田:理の方は随分、むちゃくちゃな要求を突きつけるわけです。それに対して工のグループは、とにかく沽券にかけてちゃんと実現しないといけないという責任のようなものがあって、非常に気持ちのいい世界でしたね。時々は理の方の人間にもわかるようなことで、必ずしも納得いかない結論をだされるとムッときたりすることはありましたが、責任を持って考えてくださるという、そこは私は非常によかったと思います。

松尾:そういうつき合いの中で、理が余り無理なことを言うと、いいかげんにしてくださいということも言える間柄だったわけですね。その辺が、理の方も工の腕前がある程度わかっていて、それほどかけ離れたむちゃなことは言わないし、工の方も言いたいことは言えるという、大変いい関係でやってきたのだと思います。
 具体的な話に入る前に、そういう中で意思決定について、俗に言うボトムアップの重要性が最近また取り上げられてきていますが、誤解があるといけませんが、プロジェクトならプロジェクトを決めるのはボトムアップで決めますけれども、計画を実際に実行しているとき、それを進めるときはボトムアップではないわけです。そういうことをやっていては物事は進みませんから、そこは誤解のないように申し上げておきたいと思います。
 意思決定の、代表例が宇宙理学委員会であり、鶴田先生は理学委員会の面倒を見ておられたわけですけれども、その辺での御苦労は何かありましたでしょうか。

鶴田:宇宙理学委員会は非常にうまく機能してきたと見られていますし、結果的にはそうですが、実際には結構いろいろな深刻な問題がありました。例えば宇宙理学委員会は科学的に成果の上がる、科学的に価値のあるミッションを選ぶのだという、この1点でやることが建前です。
 そのときに私が直接関係した「のぞみ」という火星探査の探査機と、「デュエット」というX線天文の衛星が同時に出てきて、さあ、どうするかという話です。「のぞみ」は初めての本格的な惑星オービタをつくる。しかし、何しろ初めてであることと、衛星も小さくならざるを得ない。他方「デュエット」は、X線グループの第3代目でしょうか、かなり成果が見えていて、しかも、世界をリードしているような分野である。
 これは本当に激論でした。要するに、日本として惑星探査をやらなくていいのか、やるとしたらこれを立ち上げなくてはだめではないか。立ち上げるとしたら、惑星探査機ですから、打上げのウインドがあり、これをやらなければ次にトンと飛んでしまう。今、やるべきであるという意見です。X線の衛星は、これだけ成果が上がっているもので、大体、5年に1回やることが理想的ですから、5年に1回のフェーズでやるべきであるという意見でした。
 結果は、かなり激論の末、大所高所から、惑星探査の立ち上げをやるべきであるということで、正確には覚えていませんが、「デュエット」は次にやるという、何となく付加的な条件をつけたわけです。これは常に出てくる問題で、非常に深刻です。やはり、研究者集団だけの判断では少し難しい、所長の判断が必要になるわけです。大局的に、ある分野を立ち上げようというときには、科学的成果云々だけではいかないものがあるということです。
 もう1つ、私がやっているころに割に大きな問題があったのは、長期計画です。理学委員会、あるいは工学委員会もそうですけれども、要するに新しいものが出てきて、それをみんなで、いい、悪いを判断して決めるわけですから、長期的な計画をつくって、そこに乗って物事が進んでいると、決めようとしたときには決まっている、そういう余地がないわけです。それをどうするか。
 もう一方で、だんだん衛星が難しくなってきて、5年でパッとうまくつくれなくなってきて、難しい部分については長期的に技術開発をやっておかなくてはいけないし、やるためには全体としての計画が了承されていないといけない。
 これもいろいろな形を変えて出てくる難しい問題ですけれども、私は理学委員会で、「長期計画をつくらないと技術開発がうまくできないのではないか」という発言をしたことがあります。大変な反対にあって、少し引っ込めましたが、今はそういうことは割に当たり前の発想として長期計画をつくっていますが、背景にはそういう難しい問題があります。

松尾:両方とも今に続くところがあります。特に新しい分野をどうするか。今、現にやれば固く成果を上げてくれるところと、どちらかを選ばなければいけないというときに大変悩むわけですね。お金があって人もいれば何の問題もないのですが。

鶴田:これは結構、難しい問題です。今、よくいろいろな文章に出てくる「日本が得意とするところ」というのも、そういう意味では注意しなければいけない表現です。現在は不得意ですが、世の中の趨勢としては、あるいは学問の進歩としては、これをこちらでやらなければいけない、今は外国の方が抜きん出ているけれども、日本がこれをやらないでそのままにしておくと、非常におかしなことになるという場合に、「日本が得意とする分野」だけをやるという考え方はだめです。

松尾:計画の柔軟性と長期計画による固定化のような話も、なかなか永遠の問題でございます。そのためにはふだんからある程度の深さで萌芽的研究をたくさんやっていて、ものがたくさんたまっていればいいのですが、とてもそういう状況ではない。
 御存じかもしれませんが、日本の予算制度というのは、プロジェクトが動き出せば来るけれども、そのプロジェクトを実りあるものにするための事前研究に対しては、まあ、ほとんど来なかった。それが随分と苦労するわけです。下手をすると安全策、今までやってきたものの延長という形でやっていかざるを得ないところがありました。この問題について1つの転機となったのは、ASTRO-Eが失敗した後ですね。とにかく事前研究のお金がないということで、これはぜひやってくれと、鶴田先生が矢面でおやりになりました。

鶴田:戦略研究費ですね。

松尾:無理やりとってきた覚えがあります。大した額ではないですけれども、非常に象徴的な意味があって、今でこそみんなフロントローディングと言っていますが、なかなか制度がそれに追いついていかなくて、当時はそれが大変でしたね。正直言うと、やりながら、走りながら考えている状況でした。

鶴田:あれでも随分、考え方が変わりました。あれがもう少し充実すると、この問題も少し解決するかもしれないですね。

松尾:もう少し気が楽にできるところがありますが。

鶴田:もう1つ、理学委員会あるいは工学委員会もそうかもしれませんけれども、思うことは、理学委員会はなぜ力を持っているかというと、要するにプロジェクト化をするかどうかというときに、理学委員会の意見が非常に重要となるのです。ここで反対されるとまずプロジェクト化できないし、予算もつかないので、みんな真剣なわけです。ここで少し危惧するのは、いろいろなお金のソースがあると、理学委員会は力を失っていくのではないかということです。
 例えばこれは後ほど出てくるSELENE (月周回衛星「かぐや」)のときに少し問題になりましたが、「かぐや」はやるということが決まった上で、理学委員会で内容がどうこうという議論をしました。やはり激烈な議論の度合いは、その当時は外資ですね、よそからお金が入ってやれるということになっていると大分違ってきます。そこは委員会が力を持つための枠組みというのですか、そこは考えておかないと、委員会が力を持たなくなってしまう。

松尾:なぜ、委員会が力を持つ必要があるかというと、純粋に目的を追求なさるからであって、そういうことは非常に大事であるというわけですね。
 理工両委員会が並び立つ形でありましたが、若干、理工の違いが出てきてしまうのですね。工の方はある時期まではインフラのようなものですから、大勢一緒にやらざるを得ない。理学は個別のミッションの検討ということになると適当なグルーピングはあるけれども、それぞれ別の目的を背負っていらっしゃるわけで、場合によっては理学委員会ですごい議論をするというのは、お互いに競争相手だからです。そこですごい議論をして抜け出してくるわけですが、工の場合は実はなかなかそういうシーンがなくて、隣の人は競争相手ではなく、お互いに必要、一緒になってやらなければいけないというところが、少し性格が違っていました。
 終わりの方になると工学実験衛星が出てきて、これは工学委員会内部でも理とも競争関係があるというものでした。先ほど少し話に出た「理想的な関係の間柄」というのは、工学委員会で激烈な競争があるような状況ではなかったということでもあったと思います。そこで少し性格が違うところがあります。そういう意味では大学の関与の深さも少し違うのか、やはり理系の方が大変強かったですね。

鶴田:理系は大学と一体ですね。一体というのは変ですが、利害が共通です。大学の人もこちらで違うことが進んでしまうと自分たちの研究ができなくなってしまうので、とにかく何とかいい方に持っていこうと、激烈な議論をするわけです。非常に激烈でしたね。

松尾:そうでしたね。工学系から見ていると、こんなことを言ってしまうと後で顔を合わせられるのかと思うほど、それは非常に激烈です。

鶴田:それが休み時間になるとけろっとして談笑しているわけです。

松尾:あれは偉いと思いましたね。我々はそういう訓練ができていませんから、あそこまでやると、きっと後は口もききませんね。

鶴田:あれは、感覚は論文で議論をしているのと同じです。

松尾:いつもそういう世界にいるということでしょうね。先ほど言ったこととも関係ありますが、工学は隣が味方というのか、一緒にしなければいけない相手ですから、なかなかそういう話にはならない。専門の中ではそうなのかもしれませんが、システム全体の中ではある担当部分に対してそこまで激烈に何かを仕掛けるだけの見識はほかの人間は持っていませんから、なかなかそういうシーンは出てこないところがありました。
 今のところでプロジェクト進行の特徴のようなところまで話が入っていきましたけれども、最初はワーキング・グループからでしたか。

鶴田:そうですね。その先はそれもなかったかもしれませんね。我々で言うと、「じきけん」(EXOS-B)あたりはワーキング・グループもなかったかもしれません。

松尾:今の理学委員会、工学委員会が出てきてオーソライズされるまでの手順ですね。

鶴田:ワーキング・グループをつくって、最初は何も利点はありませんでしたが、ワーキング・グループがオーソライズされると、先ほど出た戦略的基礎開発費がもらえるということでした。

松尾:ワーキング・グループ自体が有志の集まりで、こういうミッションを次にやりたいということを理学委員会に提案して、まずそこで理学委員会が提案を認めるのではなく、ワーキング・グループをつくって議論することを認めるということでしたね。

鶴田:理学委員会としては、実際は何も見返りはないですが、すごい権力ですね。認められると2年ぐらいワーキング・グループとしての活動をやり、それから提案書をつくって提案をします。
 その時点で大体代表が決まっていますが、別に代表が決まったからといって辞令が出るわけではなく、ただ単に提案書に名前が書いてあるだけです。提案が認められると、研究所の判断を加えて予算要求をするという話でした。
 この衛星をやっていく集団は、非常におかしな組織で、予算が決まっても辞令が出るような代表はいない。ただ何となくグループで認めている代表が、あたかもオーソライズされているかのごとく最後までいろいろなことをやり、責任を取るときも取らされてしまう組織でした。

松尾:だれでもが代表としてその人を認めているわけですから、別に辞令などは大したものではないような気もしていました。あるとき、そう言われれば何もないねという話をした覚えがあります。規模がある程度以下だったからこそ、可能だった側面もあったとは思います。

鶴田:何もないね、あはは、と笑って、それだけでした。サブ・グループもそうでしたね。そのグループ以外はだれも認めていないというか、グループの中で認められている、そういう者が集まってあることをやっている。
 実際の作業を行うときも、ある問題が発生しますと、関係グループがパッと集まってきます。関係していないグループは集まりませんが、関係グループがパッと集まって何か答えを出し、また散るというか。
 そういうことの「問題があるかないか」ということをピックアップして、そのグループ内に知らせるような役割が代表の役割という格好で、非常にうまく気持ちよく進むというのが衛星プロジェクトでした。

松尾:今のお話でプロジェクト進行の特徴に入りましたが、80年代、日本の宇宙科学は花盛りになりました。もとはと言えばハレー彗星の探査でM-3SⅡ型というロケットができて、これを使って全部で、しくじったものも入れると8機打ち上げたのでしょうか、非常にバラエティーに富んだミッションを実行しました。
 ちょうどそのとき、チャレンジャー事故の後で、アメリカが総崩れになっていて。宇宙研は飛び道具とミッションを同じ組織で持っていて、非常にうまく組み合わせてやれたものですから、機動的にやることができて、一番華やかな時代だったかもしれません。
 その中の4号機ですね、先生は「あけぼの」の実験主任で・・・・・・

鶴田:先ほど言った辞令のない代表です。

松尾:その当時の先生の代表的な仕事ということになります。つい先週の水曜日※ですか、宇宙開発委員会に松岡さんに来ていただいて、「あけぼの」が20周年というので驚きましたが、壊れないですね。

※2009年(平成21年)3月25日(水曜日)に開催された第8回宇宙開発委員会で、「打上げ20周年を迎えた磁気圏観測衛星「あけぼの」の成果と現状」が報告された。

鶴田:壊れないですね。

松尾:その辺の思い出をぜひお願いします。

鶴田:M-3SⅡロケットは、後になって考えるとすごいロケットでしたね。あれだけ成果を上げたロケットはないのではないですか。確かに時期もよかったのだと思います。日本の中ではちょうど第1世代の衛星が終わって第2世代、つまりどこに出しても恥ずかしくないような本格的な科学衛星ができ始めたころです。
 もう1つは、第1世代の先生方がまだ健在で、工学にしろ理学にしろ一族を連れてガンと城を構えておられた時代です。その中で第2世代の科学衛星が開発されました。
 今、考えると、その当時、工学では随分いろいろな新しい技術を開発しています。例えば、よく花魁のかんざしと言われますが、科学衛星からいろいろなアンテナを出しています。1つ前の世代の「じきけん」(EXOS-B)ではそれは外国から買っていましたが、それでうまくいかなかった。それを三浦先生にお願いをして、日本で何とかならないでしょうかということで、「あけぼの」に間に合うように開発していただきました。それがベースになって、その後、ほとんどの衛星がそれを使っています。

松尾:たしかあれは日本飛行機だと思いましたが、その後、伸展マストは日本飛行機のお家芸になっています。

鶴田:伸ばすときはいつも心臓が凍る思いをしますが、あれも大したものですね。うまく全部伸びていますが、途中でとまってしまったりしても、日本でつくっているので、とまったときはどうするかということもいろいろわかっているので、解決はつくわけですね。
 もう1つは、初めて放射線帯の中を長時間飛ぶということです。放射線の中を長時間飛ぶ経験はなかったわけですから、半導体が放射線にどういうふうにやられるかということがわからない。しかし、そこを絶対に飛ばしたいというわけです。日本には宇宙での放射線対策の専門家はいませんでしたから、放射線対策をどうするかというので、みんなでいろいろ勉強しました。
 結局、ICの類はアメリカから買うよりしようがない。日本でつくれないわけではないでしょうけれども、量が出ないので、当時はアメリカの会社から買いました。実際にどれぐらいもつか、ほかのICも全部放射線を当てました。衛星全体としては半年しかもたない、半年もてばしようがないだろうということで、そういう対策をしたわけです。実際には20年もって、まだぴんぴんしています。

松尾:最初の結論はどうだったのですか。

鶴田:当たる率の問題だという結論を出しています。試験をするときにはどうしてもバーッと大量に当てて、どれぐらい壊れるか?とやりますが、自然ではゆっくり当たるので、その間に自分の回復力が若干あります。

松尾:総量ではなく、回復時間との関連でレートが問題であると。

鶴田:レートの問題です。チャージがたまることが壊れる原因ですから、そのチャージを少しずつ拡散してやる機能があります。
 結果的にはうまくいきましたが、実はこれにはエピソードがあります。アメリカからは1万個近いICを買いましたが、それを基盤に乗せて試験をしたら、ポロポロと不具合が出るのです。何が不具合の原因かというと、昔のICですから沢山足がついていまして、その足のメッキがはげてしまい、導通不良を起こしているのです。1万個近いそれをどうするか。
 当時、その分野の責任者といいますか、大元締めの林先生が駆け回って、アメリカの会社に何とか代替を用意してくれと。私たちも行きましたけれども、らちが明かないのです。それでどうしたかというと、日本電気が、今で言う衛星のメインコントラクターですが、「うちでやりましょう」と。あのときのトップはどなただったか覚えていませんが、全部メッキをはがして、再メッキするという作業を社内にブースをつくってやったのです。そういうすごいことができた時代です。

松尾:その効果のほどはどうだったのでしょうか。

鶴田:それに関するトラブルはありませんでした。これもやはり、その当時の日本の勢いのようなものが反映しているのだろうと思いました。

松尾:衛星自身の磁気対策もうるさいのではなかったですか。

鶴田:そうでした。これもおもしろいのですが、衛星の中に電流がちょろちょろと流れますと、それが小さな磁場をつくるわけです。普通ですと無視できるぐらいですが、非常に感度の高いというか、磁気センサーや波のセンサーを持っているので、出るノイズを極力抑えなくてはいけない訳です。
 ところがこの種のテストをこういう普通の場所でやろうと思うとノイズだらけですから、どうしようもないわけです。これは実際にはハレー彗星を契機に、そういう問題をきちっとやろうということで、先日、お亡くなりになった平尾先生が、「ではそういう設備をつくればいいではないか」と、かなり無理して予算を獲得されたようです。
 多分、世界でも宇宙研にしかないと思う大きな磁気シールドルームをつくって、その中に衛星を丸ごと入れて外のノイズを遮断し衛星の出すノイズを抑え込むことが出来るようになりました。これは、その後の日本の衛星が非常に静かな衛星になったことに大きく貢献したと思います。そのときも、やはりメーカーの人の力を私は感じました。
 確か清野さんとおっしゃったかと記憶してますが、東北金属の担当者の方が寝食を忘れて、開発に取り組んでくださいました。普通ですと40デシベルぐらいしか抑えられないところをいろいろな工夫をして76デシベル、仕様書では40デシベルですが、実際にはかると76デシベルまで抑え込みました。採算はどうか知りませんが、会社としての契約の話は別にして、ものすごく一生懸命になってくださいまして、それも時代の風潮を感じます。

松尾:結果的には20年生きているわけですけれども、何か特にポイントというと、どういうことになりますか。

鶴田:これは本当にわかりません。回収して持ってきて見てみたい。例えば伸展マストはグラスファイバーを使っていますが、あれを真空中に置いておくと、多分、揮発成分が飛んでいます。そうするともろくなっているはずですから、力がかかるとボロボロと壊れるかもしれない。ケーブルのたぐいも、選んではいますが、バインダーが飛んでしまうはずです。20年、真空に置いて紫外線を当てて、その状態で・・・・・・

松尾:しかも、放射線帯ですね。

鶴田:散々、いじめられて、手でポンとたたいたらパサパサと崩れてしまうのではないかと思うぐらい、ひどい環境の中にいます。それでも、今もちゃんとデータを取っていますからね。

松尾:先ほどのお話として、IC関係は放射線に対して何か特別な処置をなさいましたか。

鶴田:放射線に対しては、遮蔽板を置くなど、部分的にはしているところもありますが、放射線対策の一つはラッチアップ対策と言って、破壊的なショートモードが起きないようにという処置をしています。

松尾:今でもそういう処置をしたものを使えば、その心配をする必要は余りないということになりますか。

鶴田:いえ、かなりみんなそういう処置をしていますが、その当時と今が違うのは、ICのセルの大きさ、それと電圧も違います。昔のものは、今のものと比べると大電力で動くICですが、今は非常にセンシティブな感度、小さいものを使っているので、放射線に対して逆に弱くなっています。それが一番効いているのではないですか。

松尾:松岡さんが来たので、そのころ何をやっていたのと聞くと、「学生でした」と。

鶴田:そうです。彼女は修論か何かでした。

松尾:理学でのプロジェクトを通じての学生教育のあり方、後継者の育成については。

鶴田:学生は、あのプロジェクトの中で実地研修をしながら学問をしていく――と言えばいいですけれども、実際にはかなり過酷な労働もしながら研究をしている状態です。具体的に何をやるかというと、衛星開発の段階にいる学生はもちろん開発に立ち会いますから、試験などは全部立ち会っています。
 いざ上がってしまいますと、命令を送ってデータを取って衛星を運用しなければいけない。そういうことをやるのは、働いているのは大部分が学生ですが、実際は学生さんにとっても決して悪いことではないと思います。あけぼのは20年、それをやっていますが、それで何か困った事態が起きているとは思えません。ただ、やってもらう側としては、結構難しいというか、頼みにくいところもあるかと思います。

松尾:X線天文の衛星ではよく言及されますが、これでどれぐらいドクターが出ましたか。

鶴田: 28人ですか。

松尾:残念ながら、20年の秘訣はこれだ、とはなかないかないと。一生懸命やっているという分には、どの衛星も一生懸命やっているのでしょうから、それが決め手にならないとすれば、何か。

鶴田:実は私が定年になって6、7年ですから、「あけぼの」が上がってちょうど10数年のころ、太陽は11年周期ですから、太陽の1周期をカバーすることができまして、ここでやめるか、という気が、私自身はかなりしていました。それ以上、だらだらとやっても余り成果は出ないかもしれないと。
 ところが11年たってみると、今までは単発的な現象で研究がされていましたが、太陽周期の1周期を前提にして、その間、同じデータがあるということで、長期変動の研究が進んでいます。要するに、「やめようか」と言ったら、皆さん反対で、「やりたい、続ける」ということで、結局、私がやめた後も続いて、20歳になりました。多分、21年、22年、太陽の本当の1周期をやることになるのではないですか。

松尾:追跡してデータを取ること自身、随分、予算のかかる話ですから、アメリカなどはお金がなくなるとすぐにやめますね。「まだこれから」と言っても、やめてしまうわけです。当然と言えば当然なのですが。
 欧州宇宙機関(ESA)がそれで頭に来て、宇宙研も語らって、やめるというときの条件を相談しようではないかということが、たしかありました。宇宙研は衛星が生きている限りやるものですから、条件というのが何のことかわからなかった。
 いつまでもそういうことができるかどうかわかりませんけれども、先ほど言ったような形で、学生を動員してでもとにかく生きているうちはデータを取りますから、そのときは、ESAは何を言ってきたのか、言われたことがよくわかりませんでした。

鶴田:そのころ、「あけぼの」に対する私の反省は、余り軽々に、「これで成果は出ないね、終わり」とやらない方がいいということです。もちろん、どれぐらい労力がかかるかということの兼ね合いではありますが。
 「あけぼの」でおもしろい話は、「あけぼの」は64kbpsでデータを送ってきていますが、当時としては、これは膨大なデータでオンラインで読み出せる形では蓄えられない。地上設備をどうするかが大きな問題でした、結局、大型計算機のメインのディスクを使わせてもらおうということで計算機委員会に掛け合って、「あけぼの」のデータをそこでアーカイブすることになりました。今ですとパソコンで大体入るぐらいのデータですが、20年前はそういう時代でした。
 結果的には、最初にそういう大仰なことを始めたために小回りがきかず、随分、苦労しましたが、それからミニコンに移して、ミニコンの時代が終わってミニコンはなくなり、今はどうしているのか知りませんけれども、20年というスパンでみると計算機の速い技術の流れが実感されます。、

松尾:ちょうど先週、20周年というのも何かの縁ですね。
 先ほども言いましたように、M-3SⅡロケットはもともとハレー彗星の探査を目標にしてつくられたロケットですが、当時まだ文部省と科技庁はロケットについてそれほど仲がよかったわけではない時代で、M-3SⅡというネーミング自身が非常に象徴的です。
 ミュー(M)というロケットは順番にどんどん少しずつ変えてきているわけです。1段目を変えて、次は2段目を変えて、しばらく代がたつと上から下まで全く変わってしまっているという、徐々に変えていくという方針をとっていました。実はこの3Sというロケットと3SⅡというロケットは一番ドラスティックに変わっているにもかかわらず、名前だけを見ると、3Sと3SⅡという亜流のような名前がついています。あまり大それたことはしていませんという、この辺もその象徴的な名前ということになります。
 最初にそのハレーに2機送りまして、その次がX線天文の「ぎんが」ですね。次が今の鶴田先生の「あけぼの」で、5号機は「ひてん」で月に行っています。みんなあまりよく知りませんけれども、とっくにこの時点で月に行っているのです。6番目が太陽観測の「ようこう」です。7番目がまたX線の「あすか」に戻り、残念ながら8番目があのEXPRESSですが、私は少しみそをつけました。
 大体、宇宙科学における国際協力というのは、こちら側がロケットも衛星も持っていて、衛星の搭載の機器の中でいいものがあればどうぞということで一緒にやっていましたから、日本側が非常に強い形の国際協力でした。このEXPRESSはいろいろな経緯があって、衛星は向こう、こちらはロケットを提供しますという、少し変わった形態でした。残念ながらロケットが失敗をしてしまいましたので、全部でこのロケットでの打上げは7機ですね。
 先ほどの鶴田先生のお話にもありましたけれども、M-3SⅡロケットは非常にバラエティーに富んだミッションを成就させて引退したということになります。
 工学から見て特筆すべきはハレーの探査です。ハレー探査自身の価値もさることながら、惑星間空間に飛び出して、そこを自由に運動できる能力を獲得したのが一番大事なことです。航行能力とは何か、突き詰めていくと、超遠距離だということをどうクリアするかという話になります。まずは軌道決定が非常に難しくなります。
 今までは地球周りの話ですから、せいぜい万キロオーダーの話ですが、今度は1億キロぐらい、1万倍ぐらい遠くなりますから、誤差が1万倍に拡大すると思って構わない。そういうソフトを持っていないと、軌道決定がきわめて難しく、膨大なソフトウエアが要るということが1つです。
 それと、そう遠くから来る電波をどうやってキャッチするのか。並のアンテナではどうにもならないわけで、大きなアンテナが要ります。このアンテナについては、長野県の臼田に64メートルのアンテナをつくりました。それまでは海外にお世話になる一方でしたが、こちらは64メートルという得物を持ったわけですから、その後の国際協力においても大変役に立ったと思っています。
 これは当時のアメリカのものとほぼ同程度か、性能としては新しい分だけもう少しよかったかもしれません。米国航空宇宙局(NASA)がディープ・スペース・ネットワークと称して、カリフォルニア、オーストラリア、スペインのマドリッド、世界中に3局用意しています。うまい具合に経度が適当に離れているので、地球の上に乗って局が回って、遠くの方にほとんど静止状態で探査機がいるという状況ですが、いつもどの局かが見ているようになっているわけです。
 日本の場合は1局しかないので、見えはするけれども、7、8時間でしょうか、あとはまた見えなくなってしまう。ただし、超遠距離になってしまうと、非常に進展が遅いですから、それで済んでしまいます。どこかに投入するという忙しいときにちょうど向いているかどうか、それはそう簡単な話ではないので、残念ながらアメリカの協力を得なければいけないという状況でした。
 ハレー彗星の探査では彗星の周辺に6つ探査機が集まりました。日本が2つ送り、ESAが1つ、ロシアが2つ、アメリカが1つと6つ集まったという、まさに異例のことで、Halley’s Armadaと呼ばれました。日本は科学観測は最初ということはありましたが、おもしろい成果が出たようです。工学側としては最初ですから、そう難しいことは言わずに比較的離れたところを通り、そのときはロケットの能力に制約があるので量的にはさらに近くに行くことはできないけれども、今度いける形になりさえすれば、誘導の精度としては質的には行くことができるということだけ確認しました。そういう目的に絞ってやりました。
 このような状況を踏まえて、だんだん宇宙科学の方も、もう少し大きなロケットが要るねという話で出てきたのがM-Ⅴ型というロケットです。これは先日、五代さんのときにも話しましたので、省略いたしますが、惑星探査が、通り過ぎるだけではなく、何かできることになったという時代が始まりました。
 1号機は「はるか」で、スペースVLBIの世界で最初のしかも成功した試みです。順番から言うと、「のぞみ」は2番目になりますね。

鶴田:そうですね。

松尾:「はるか」の次に火星探査の「のぞみ」を打ち上げ、これは鶴田先生がおやりになった。残念ながら途中で調子が悪くなった。

鶴田:これはしかし、宇宙研の持っている技術の集大成のようなことをやりました。

松尾:これがおかしくなってから向こうに着くまでの間、死力を尽くしますが、そこの話は本当におもしろい。探査機はポツン、ポツンとしかものが言えなくなった状態ですが、それを必死で解読して向こうの状況が大体わかったのです。失敗だと言ってしまえばそれまでですが、ある意味では本当にすばらしかったですね。
 結局、ヒーターが入らなかったですね。向こうでブレーキをかけるときの噴射をしなければいけませんが、最終的にヒドラジンが使えなくて最後は諦めました。

鶴田:死んでしまいましたが、死に際がなかなかよかった。非常に残念でした。

松尾:遊びとまで言ってはいけないでしょうけれども、確か中谷さんのグループがおもしろいソフトを積んでいて、こちらからある種の質問を投げかけるんですね。

鶴田:すると向こうが答えてくる。

松尾:こちらは質問を投げかけて、ある量がある範囲の上か下か、イエスまたはノーだけは答えることができるのです。例えば、「○○の温度は△△より上か」という聞き方をすると、向こうからイエスまたノーで返ってくるわけです。

鶴田:それを「のぞみ」の送信波のモジュレーションのオン・オフで変えて地球に送る、実際に何をやって見ているかというと、電波のスペクトルを見ているのです。あるところにスペクトルがピーッと立つか立たないかで、イエスまたノーを判断する。よくそういうことを考えついたと思います。

松尾:先ほどの臼田でやって、結局はそういう1ビットの情報が来るだけです。それをたくさん集めて、どこが悪いかということはわかりましたが、回復できるかどうかは別の話です。ラッチアップしているところを焼き切れば大部分が助かるということで、盛んに通電しましたが、結局、焼き切れなかった、という話です。最近もETS-Ⅷで似たようなことがありましたね。
 「のぞみ」で初めて本格的に惑星探査をやろうとしましたが、残念な結果になりました。ただ、途中の過程としては、あそこの努力は非常におもしろいと思います。「はやぶさ」も似たようなものですね。あれは困難の度合いが、ちょうどぎりぎり何かやっていると何とかなるところだったというところがあって、「のぞみ」の場合はそれがほんの少し向こう側に踏み越えてしまった。

鶴田:残念でしたね。

松尾:そういった形で惑星探査の路線は技術的には確立されたという形で、次に来るのが「かぐや」です。これはもともと当時の事業団が月惑星探査に乗り出したいという話があって、宇宙研と一緒に組めないかということは、大分前からあった話です。私が事業団の非常勤理事になったとき、当時の理事長が最初にお話しになったのが、「何とか一緒に月惑星をできませんか」という話であったことを覚えています。
 それやこれやで、そういう状況がやってまいりまして、これは当時の事業団と宇宙研にとっては非常に本格的な、最初の共同ミッションということになります。それまでもいろいろな交流はあり、衛星の追跡、軌道決定はすべて事業団にお願いしていました。
 固体ロケット、SRB的なものをつけるという話のときに、当時、固体ロケット技術については宇宙研の方が先行していましたから、たしか固体ロケット技術検討会といったような名前で情報を流していました。宇宙研がM-Vを開発するときには、事業団側にも固体の技術があり、設備関係も事業団側の方が立派なものがあるということもあって、その協議会は実は双方向になりました。ただ、ミッションを通じて相互にがっぷり組んでという話は、この「かぐや」が初めてということになります。「かぐや」については、宇宙研側というのか、鶴田先生が全体のまとめのような形になりましたね。

鶴田:「かぐや」は、その当時、事業団と宇宙研はなかなか一緒にうまくできないだろうという風評がかなりあり、難しいのではないか、と聞かされていましたが、私は、どちらも技術者集団ですから、目標がきちっとしていればそれほど変わらないのではないかと思ってはいました。というのは、それまでも個々の技術者とは、例えば先ほど申しました対放射線の問題、天気予報の問題などいろいろな点で接触がありましたから、鬼や蛇ではない、同じような発想をしているのではないかと思っていました。
 ただ、目標が違うのです。宇宙研の場合は科学目標ということですが、事業団の場合は月の利用や月に人を送ることを目標にしてやっていくことが必要だという話を聞いていました。別々の目標でスタートするとうまくいかないので、当時、長島さんや五代さんとも時々話をして、そこをどういうふうにしようか、目標を明確にしようとしました。
 まず、事業団の目標としては月の利用、宇宙研の目標としては月の科学、だけど・・・・・・というわけです。今、月で何かやろうとすれば、まずは科学的な調査ですよねということで、科学的な調査をやると。当時、科学探査と言ったかもしれませんけれども、それを目標にしましょうということで始めました。
 やってみると、これはほとんど、そういう意味では何の苦労もありませんでした。皆さん、本当に一生懸命に、むしろ初めてということもあって、科学目標を達成するために、宇宙研の人よりも余計に一生懸命やってくれた面もあります。
 一番厄介なことは、ああいう大きな衛星ですから、先ほど言った磁場のノイズや電磁波のノイズをどうやって抑えるかということが大変ですが、これも随分、ちゃんとやっていただいたというわけで、余り苦労話はありません。
 ただ、やはり目標を明確にする必要があります。今後、惑星探査などをやるときも、これは人を送るための探査なのか、そのミッションとしてどこに重点を置くか、そこをはっきりとさせることです。科学衛星の場合は、最初からはっきりしていますが、こういうハイブリッドなミッションの場合は、どこに重点があるかということを明確にしておかないと、違うグループの場合はやりにくくなるかと思いました。
 これで言うと、今や有名になりました「地球の出」のハイビジョン映像です。これが入ってきたとき、私は余り積極的に賛成しませんでした。この問題はこれから結構出てくると思いますが、「のぞみ」でもありました。「のぞみ」では皆さんが署名した板を27万枚、ダミーウエイトとして持っていきました。「はやぶさ」は100万人でしたか、そういう一般へのサービスをどういうふうに考えるかという問題が、「かぐや」でも少し出ました。
 余り明確な答えは持っていませんが、科学衛星の場合は、科学的な成果を出すことが、長い目で見れば本当のサービスです。それを阻害するような格好でやってはいけない、阻害しない限りはやるべきであるというのが、私の今の結論です。したがって、「のぞみ」でうまくいった、「はやぶさ」でうまくいった、だから一生懸命やりましょうと、そればかりやっていてはいけないと思います。

松尾:先ほど理学委員会のところで話が出てきましたけれども、「かぐや」は少しリソースの出どころが違うところもあるということがありました。ただ、それでも宇宙科学研究所がやる以上は、サイエンスとしてはどこに出しても恥ずかしくないものでなければいけないということで、「やる」という状況の中でも、そこのところは通していますね。
 ただ、本来、同じ予算の中であれば、月をやるのか、ほかをやるのかという議論が、その手前にあるわけです。

鶴田:もう1つ、「かぐや」がやりやすかったのは、残念ながらできませんでしたが、実はペネトレーターを積む月のミッションがありましたね。あれを議論しているときに、一緒にオービタも議論しているのです。つまり、オービタとペネトレーターというか、内部を見るのと両方必要だと。そのときの同じ人間がいましたので、非常にスムースに、どういうミッションが大きな衛星を使ってより本格的にできるかという議論ができました。そういう点でもやりやすかった。

松尾:観測項目については、新たに何100人かの意見を集約すべくいろいろ議論しましたね。

鶴田:それはそうです。

松尾:先ほど名前が出た長島さんは、そういう縁もあって宇宙科学研究所の技術開発部長をされていたと思いますが。

鶴田:もう定年になられたかもしれません。実を言うと、私が楽だったというのは、長島さんやその跡を継いでいる滝澤さんの人柄にもよります。

松尾:次は最後の話題になりますが、3機関統合です。これも鶴田先生は当時、企画調整主幹、副所長の任にあり、一番前面で事にあたられました。
 これの背景として、この統合前から一元化論を、我々は耳にたこができるぐらい長く聞かされてきたわけです。いろいろな意見があるのでしょうけれども、おしなべて言えるのは世間の一元化論の根底にあったのは、両方同じことをやっているのだろう、両方同じことをやっているのに2つの機関があるのは余計だという、非常に単純な誤解があったと私は思っています。
 例えば先ほど言いました「かぐや」などで、ある種、両方でお互いのことをよく知る機会ができつつありました。今後、恐らくそういう方向がどんどんふえていき、ある種のソフトスタートができたのではないかと、私は思っていますが、そういうことではなく、いきなりドカンと、「くっつけ」という話になってしまったということです。
 一元化論については、いろいろな例えを挙げて話ができますが、どの例を挙げても恐らく誤解を招くのでここではやめておきます。結局、リソースについては自由度がふえるわけですから、間違いなくいいことがあっていいはずです。ただ、それと裏腹に、ふえるのがリソースではなく拘束だということになると、これはお互いに不幸な話だということです。良いことばかりはないのは当たり前で具体的なバランスをどうするかということでしょう。
 ただ、そのころ、我々としては、一緒になるのだったら、そこから最大限の利得を得ましょうという形で進んでいったことは間違いない。鶴田先生はまさにそのとき、立場上、何となく両方合わせたチームのヘッドのような形になりましたね。

鶴田:そうでもないのではないですか。

松尾:先ほども言ったように、辞令がないのを得意としていたので、みんな何となくそうかなと思っているところで話が進んでいくわけですが。

鶴田:私たちも統合してはどうかと、いろいろなことを検討していましたが、基本的に宇宙開発事業団が担っていた目標・役割と、宇宙科学研究所が担っていた目標・役割は違う、これを一緒にすることは統合ではない、統合しても違う。
 違った目標を持ったものを1つに合わせることはできないですから、その目標になるべく適した組織にしていった方がいい。別々にしている方がいい面ももちろんたくさんありますが、一緒にできる部分は一緒にした方がいいという考えがありました。
 私たちが考えていたのは、ある意味で緩い統合です。我々も時々機構という名前を出していましたが、その機構というのは、目標から何から1つにしてやるのではなく、それぞれが特徴を発揮できるような、相対的に独立した組織の集合体であるということを前提としていたものですから、実際の統合の中では、いろいろ、これはまずいのではないの?ということはたくさんありましたけれども、結果的には今、かなりうまくいっているのではないかと思いますけれども、どうですか。

松尾:宇宙基本法の下での体制問題の評価に関連して、宇宙研のある種疲弊に言及があったとも聞いています。

鶴田:そういうことが起きる可能性は多少あります。つまり、今まで独立した組織で、その中でみんなで工夫してある方向を求めていきましたが、別の大きな組織と一緒になってしまうと、本来組織が持っていた目標が、大きな組織の目標に影響されて多少ぶれてしまうのではないかという心配は感じます。
 相対的に独立した組織をうまくつくることができなかったものか、その辺が少し残念です。

松尾:宇宙研の中でもこの統合問題、一元化は随分長い話ですし、一般的な状況として宇宙研としてもいろいろな制約を感じていたので、一緒になれないものかという議論は随分長い間していました。そういう動機は宇宙研側にも内在はしていました。
 最後まで問題だと思っていたことは、先ほどおっしゃったように、組織としてボトムアップ的な、大学的な自由度があった方がいいと思っているのですが、そういうものをどういう形で残せるのか、当時、我々のような素人で考えると、どう考えても無理そうに思えて、そこでみんな引っかかっていたところがあります。土壇場になってみると、人事の問題、プロジェクトの決定の経過等について、従来のある種のやり方が保存されるというところまでいきましたので、そういう形なら何とかなると思ったということです。

鶴田:外から見ていると結構、うまくいっていると見えますが、今からが正念場ではないかと思います。統合後に計画され作り上げられたものがどういうふうに花開いていくかが、統合の成果を判断する基準になるのかと思います。

松尾: 統合して6年経ったからと言って、それまで何10年引きずってきた話が、おいそれと何もかもうまくはいかない。恐らく辛抱のしどころです。NACA※からNASAができたのは50年ぐらい前ですが、NASAの人が、「うちだってまだ一緒になった経緯を引きずっているのだ」と言っていました。それを見習う必要は全然ないと思いますが。結構、細かい話でもあるのです。具体的でないとお互いにわからないのではないか、何をごちゃごちゃ言っているのだか、という性格のものだと思います。お互いのことも大体わかってきたし、ある種、いい機会です。少しでもいい方向に動くといいと思っています。

※米国国家航空諮問委員会。1915年に設立された、NASAの前身にあたる組織。

鶴田:目標が違う組織を、目標達成の道筋のようなものをどう担保するか、そこはお互いに大事だと思います。

松尾:画一化した方が効率が上がるところもあれば、画一化してはいけないところもあるし、その分かれ目がなかなか難しいところがあるのでしょう。

松尾:お伺いしたかったことはこれぐらいですが、事務局の方から何かございますか。

外山:本日の対談のトピックの中に「宇宙理工学委員会のあり方」というものがありましたので、理工学委員会という1つの組織があるかと思っていましたが、宇宙研の中に理学委員会と工学委員会というものが別々にあるということですか。

松尾:そうです。

外山:主に科学衛星のプロジェクトの意思決定というか、リスクの議論をしていたのは理学委員会ですか。

松尾:もっと厳密に言うと、衛星計画として何をやりましょうかというのがあって、結果的には量としては理学委員会の方が多いですが、工学側も、工学実験衛星というカテゴリーがあります。それが工学側でもし出てくれば、理と工の間でどうしますかということを、総合的な判断で決めるという話になっていました。
 ふだんは圧倒的に理学委員会で、次の衛星、何をやりましょうかと決めることが多かったわけです。

外山:最初にワーキング・グループのようなものがあって、検討を重ねて提案書をつくるというお話がありましたが、そのワーキング・グループは工学系の方も参加されていたのでしょうか。

松尾:もちろん入ります。

外山:では最初の段階から理工連携が当たり前のような形で行われていたのですね。

鶴田:「はやぶさ」は工学委員会ですね。あれは理由が非常に難しくて、成功の確率が把握できないからという・・・・・・。

松尾:工学実験と言っておかないと、というか、実際そうです。理学の目的にしてしまうと、それが達成できたかどうかで、ゼロイチの世界に入ってしまいますね。すると工学的には非常に保守的なものになってしまう。あれはもともと難しいですから。

鶴田:ただ、あれは理学委員会に出ても、多分、最終的には通ります。つまり、その程度に科学的な価値を高く認められているミッションでした。

松尾:あとは、最近で言うと「ひてん」がそうでしたか。最初に月に行った工学ミッションです。そういう形で工学委員会も提案案件は持っていたという話になります。

鶴田:技術がだんだんと難しくなってくると、そういう実験衛星を持ちたくなりますが、それも高くなりますね。

松尾:それも高くなる。みんな最後は金の話になってしまうところがあって、余りあると堕落しますが、ものには限度があるので、余りないのも大変で、先ほど言った事前の検討がなかなかできないなど、弊害が出てきます。

外山:お話を伺っていて、ボトムアップで衛星の計画が提案されても、実際の宇宙研の中ではかなり激しい議論があって、そこで切磋琢磨してそれぞれの計画をより良いものにしていったと…

松尾:それぞれが宇宙研の中でというよりは、大学全体のコミュニティーです。例えばX線のコミュニティー、太陽物理学のコミュニティー、プラズマのコミュニティーといったようなところがそれぞれそれをバックグラウンドにして、という形でしたね。

鶴田:これは結構難しい問題です。先ほど少し触れましたが、例えばX線のコミュニティーが惑星の内部構造に対してどれぐらい専門的な知識を持っているかというと、それは持たないわけです。逆にダークマターに関してこちらは持たないわけです。そういうグループが競い、激論を戦わせます。
 実際はどこが戦わせているのか、微妙な問題がありますが、激論を戦わすことでお互いの分野の中の学問的位置づけというか、どれぐらい位置づけが高いミッションであるかということを相手に説得することができる、ということでやっているわけです。お互いに攻撃しながら、相手のミッションがコミュニティーの中でどのぐらい重要な位置にあるかということを見きわめようとしているのかと私は思います。

松尾:今のは非常にわかりやすい言い方ですね。そうかもしれない。そうでないと、今、言ったように本当のことを言うと、専門がそれだけぎりぎりになってしまうと、相手のことをよくわからないわけですからね。

鶴田:それが組織の問題についてもあると、私は思います。科学ミッションが成功するかしないかというのは、科学ミッションがどれだけその分野で先端を行っているかということですが、そういうことは先端を研究している人しかわからないわけです。それを外から、「こういうものがおもしろそうだから、ここをやったら」と言うときは、大体それは遅い。先端の本当の専門的な部分は、なかなか素人にはわからない。そういうものをねらっている集団を持っていることが、科学的な成果を出す組織なのです。
 そこがJAXAになって全体を一緒にして議論をすると、わからないものは放っておけという話になるか、適当にやらせておけという話になるかわかりませんが、少し心配です。

松尾:私でさえ時々、プラズマにはそう言いたくなることがある。青江さんが松岡さんに何か質問したけれども、ますますわからなくなったのではないかと言ったら、「ますますわからなくなった」ということでした。本当にそうです。難しいです。

鶴田:私などももちろんわかりませんが、わからないのだと思います。最近の若い人が言っていることは、同じプラズマの中でもわかりません。

瀬下:松尾先生からいただいた本日のトピック(案)の最後の方に、「宇宙科学の発展を阻むものは何か」という項目があります。宇宙科学の発展はどちらかというと暗い方向なのか、明るい方向なのかということと、暗い方向に向かうとすればそれはなぜか、ということがここで問われていると思いますけれども、どうお考えになりますか。

鶴田:宇宙科学を進める上ではロケットをはじめとする大きなインフラと多くの人材が必要です。このインフラと人材は宇宙活動全般と共有している部分が多いので後者が元気が良いときは宇宙科学もやり易くなるし逆も真なりと言うことだと思っています。先に出てきたM-3SⅡロケットの時代はまさに宇宙が勢いを持っていた時代だったのだろうと思っています。今は少し元気がなくなっているように見えますが、長い目で見れば、これまでかすかな光だけを頼りに存在だけを知ることが出来ていた太陽系の諸天体という未知の領域にやっと人類の手が届き始めたところです。これから先、まだまだ沢山やることが出てくると思います。例えば、「太陽系惑星への人類活動の展開」といった事が社会の宇宙活動の重要な柱になる時期が来ると良いと思っています。

松尾:ほかにございますか。

笹川:先ほど3機関統合の話がありましたけれども、その2年前に省庁統合がありました。省庁統合、旧文部省と旧科技庁が一緒になりましたが、それは宇宙科学に関して何か、影響というとおおげさかもしれませんけれども、何かその辺でエピソードがありましたら教えていただきたいのですが。

鶴田:これは何かありましたか。

松尾:1つは、当時、次期輸送系という話が相当の焦点でした。これは再使用型の開発ですが、そういう種類のものに対して、「3機関が一緒になってやれ」というような、そういう向きの風は強く感じていました。
 統合の前に、事前に何か、連絡協議会か何か忘れましたが、その手のものがありましたね。

鶴田:そうですね、余り明確に意識していませんでしたが。

松尾:その象徴的なものとして挙げられていたのが将来輸送系です。当時は再使用のもっとも先進的なものを考えていたわけで、それは一緒に協力してやらないととても出来るようなものではないということで、一緒になれば最初にやるような勢いでした。失敗などしているうちに、再使用どころの騒ぎではない、使い捨てでさえこのざまだという話になってしまい、少し進みかねていますが、それぐらいですね。

鶴田:実際、我々のところにはそれほど影響はなかった。

松尾:余り影響はなかったような気がします。ただ、何か言うとすぐ、「一緒に協力して」と言われていたように思います。一緒にした方がいいものは昔からやっているわけで、そんなことはいいのだということは、あったような気がします。

外山:先ほど人材の面で第1世代、第2世代という話があったと思いますけれども、今現在、宇宙科学の人材はどういうものなのでしょうか。

松尾:どういう意味ですか、あとがちゃんと来ているかという話ですか。

外山:後継ということで。

松尾:人気はあるようですが、拡大するのはなかなか難しいのでしょうね。

外山:宇宙開発委員会40周年ということで、いろいろな方にインタビューさせていただいておりますが、以前活躍された方はどんどん定年というわけではないですけれども、退職されて、また次の世代、次の世代へと受け継がれていっていると思います。当時、理工連携ということで一緒にやっていたことが今、どのような形で引き継がれているのでしょうか。

松尾:今もそこの「理工の連携」という形は別に外れていない。それは基本線としてはやっていると思います。ただ、阿蘇君がおもしろいことを言っていましたね。会って聞いてみると、かなり年をとった大先生、次にいきなり若いのが出てきて間がほとんどいないと言っていました。阿蘇君は今、小型衛星の計画でしょう?大学の方にも広げようと思って、いろいろな先生方を集めて知恵を借りようと思うと、割に真ん中の方がいなくて、あっという間に若い人が出てくると。その辺はどうでしょうかと。
 私もそれはよくわかりませんけれども、もともと層が非常に薄く、世代に沿って連続的ではなく、離散的に人材がいるのではないか。たまたま切った断面に人がいないことは十分にある得るぐらい層が薄いのではないかと、私は思っているのです。

鶴田:M-3SⅡロケットの80年代後半から90年代は、そういう面でも最良の時代だったのかと思います。

松尾:私は恐らく偶発的だろうと思っていますが、その理由はよくわかりません。確かに言われてみると、何かのときに御意見を聞こうかという人が、大学にそれほどいるわけではないわけです。特殊、専門な話になればいいけれども、なかなかそういう問題は逆にない、ぴったりそういう話というのは。
 一般的に意見を聞く……一般的という言い方はよくないのか、ある程度のシステムとしてというか、そのレベルで聞こうと思うと、経験と見識とを、兼ね備えた人はなかなかいないわけです。条件として難しいのは経験ではないですか。大学にいたのでは積めませんからね。

瀬下:大学に残るというよりも、宇宙研の中で人が育ってきていたのではないかと思いますが。

松尾:そういう意味で、あるレベルで切るとそれなりに人がいるという稠密な分布をある程度持っていたのは宇宙研以外にはなかったと思います。
 そういう意味では宇宙研が抜群に層が厚かったわけです。理学は、理学部の中にはもう少しいるでしょうね。

鶴田:それほど多くはないですね。京都、東北、5つ、6つですか。ただ、実際は宇宙研の中の人間はプロジェクトの推進にかなり追われてしまうので、成果を見ていると、外の人が挙げています。これがある意味、健全なのかもしれない。

松尾:論文で見るとそういうことはあるにしても、従来はちゃんと尊敬されているだけの実力は持っていたわけです。そこのところは論文の数で勝負しなくても。
 先ほど言った宇宙活動全体の広がりの話ですから、人材の問題は結構難しいですね。相変わらず人気はあるし、来たい人はたくさんいますが。

外山:先ほどの話にも出ましたが、Cube Satなどで東大などが自分たちで衛星を開発していて、衛星のピギーバックなどで…

松尾:その後、ああいうものがどのぐらいの広がりを持つことができるかという話です。トレーニングはあれでいいのかもしれませんが、その先、実際のアクティビティーにどう組み入れられるかというと、そちらは依然として非常に狭き門ですね。学生についてはこのような状況ですが、限定的ではあるが経験を積んだ教官層が現れつつあるということでしょう。
 ただ、もう少し広げて、広く理工学教育の一環であると割り切ってしまえば、題材としては非常に適当なところもあるわけですし、理工学教育ももう少し気が楽になる部分はあります。パイを大きくするということは常に言われますが、それでギャップを埋めるには無理がある。上に述べたような視点が必要だと思います。
 どうもありがとうございました。

(了)

お問合せ先

研究開発局参事官(宇宙航空政策担当)付

 

(研究開発局参事官(宇宙航空政策担当)付)