平成10年度研究評価小委員会報告書について 2.各論 省際基礎研究 8


8.新規なプロテアーゼによるタンパク質の大量蓄積系の制御機構とその遺伝子発現に関する研究

研究リーダー:農林水産省食品総合研究所 深 澤 親 房
(研究期間:平成7年度~9年度)


(1) 目 標

 高等植物が物質生産能を最大に発揮する登熟期において、その初期にのみ発現される遺伝子の探索を行い、その生理的理由を探ると共に、11S型貯蔵タンパク質の翻訳後のプロセッシングに関わる酵素を同定し、その構造と酵素的特徴を明確にする。更に、なぜ貯蔵タンパク質がこの様なプロセッシングを受ける必要があるのかに対する知見を得ることを目的として研究を開始した。


(2) 成 果

1) 登熟初期に発現する遺伝子の探索


 2種のSODの発現は貯蔵タンパク質の生合成が増加する前に最大に達した。同様の発現パターンはエポキシド水解酵素(EH)でも認めた。EHはダイズ種子から高度に精製し部分アミノ酸配列の決定からオリゴヌクレオチドを合成し、cDNA並びに遺伝子のクローニングに成功した。大腸菌でcDNAを発現させ酵素を精製した。抗体を用いたEHの発現パターンもmRNAのそれと一致して登熟初期に最高に達した。
 ダイズ CCTデルタ-サブユニットのcDNAおよび遺伝子のクローニングに成功した。大腸菌で当該サブユニットを合成したが不溶性であった為、抗体を作成した。本抗体を用いて種子からCCT複合体を精製し、この複合体が動物と同じ二重リングを持ち、ドーナツ型の形状を示すことを明らかにすると共に変性ルシフェラーゼの活性化を行うことを示した。
 更にチアミン合成酵素は種子での発現と茎での発現はmRNAの分子種が異なることが明らかとなった。

2) 内在タンパク質の発現と意義

 内在性タンパク質としてV型キチナーゼとβ-アミラーゼをとりあげた。植物体をカビや昆虫の攻撃から防衛するキチナーゼを種子から精製し部分一次構造を決定し、クローニングに成功した。このキチナーゼはV型であるが、これまで他の植物で知られているV型キチナーゼとはC-末端領域が著しく長いことなど異なる点が多い。そこで、エチレン処理をしたダイズ茎から別のV型キチナーゼをクローニングした。
 β-アミラーゼについては、遺伝子の植物組織における発現の仕方が異なること明らかにした。又、酵素が基質からはずれることなく連続的に作用する、いわゆる繰り返し反応機構を説明する作用機作について新しい仮説を提唱した。

3) in vitroでのプロ型タンパク質プロセッシング系の構築とそれによる分子的機序の解析

 ダイズ11S型貯蔵タンパク質を構成するサブユニット(5種類)の内の1つ、グリシニンA2B1aのcDNAを用いて大腸菌での発現系の確立と発現前駆体タンパク質の精製法の確立に成功した。このグリシニンA2B1a前駆体タンパク質は、分子内にS-S結合を持ち、ダイズ抽出液により、正しくAsn残基のところで切断されて酸性サブユニットおよび塩基性サブユニットのペアとなった。これを基質にレグマチュレインの精製法を確立した。又、グリシニンA2B1acDNAの特異的位置を変換し、種々の変異体を作成して大腸菌で発現させ、これらを基質にした一連の切断実験から、レグマチュレインのAsn残基切断のためのルールを確立した。更に、精製レグマチュレインの部分一次構造の解析からcDNAおよび遺伝子のクローニングに成功した。これらの研究からレグマチュレインは初め不活性型で生合成された後液胞に運搬され、おそらく液胞内に存在するリジン残基特異的なプロテアーゼで活性化された後ダイズグリシニン前駆体の成熟化を行うものと考えた。

4) in vitroでのグリシニン前駆体タンパク質のプロセッシングの生理的意義

 大腸菌で生産したグリシニンの前駆体タンパク質は3量体のほかに6量体をとることを見いだした。この6量体を分離して精製レグマチュレインを作用させると、構成サブユニットはただ一カ所、酸性サブユニットのCー末端で切断された。すなわち、天然で見いだされる成熟型グリシニンと同様にプロセスされた。この成熟化グリシニンは溶解度が著しく低下して希薄塩溶液では容易に沈殿した。3量体も同様な結果であった。これらのことから、グリシニンの成熟化は、6量体になるために必須なプロセスではなく、むしろ液胞というプロセスの場から、プロダクト(成熟化されたタンパク質)を沈殿という現象で系外に出し、プロセス効率を上げるという自然の妙手と考える。

5) 組み換えタンパク質発現のためのダイズ系統の探索

 ダイズの貯蔵タンパク質欠損系統と栽培種を圃場で育成した。登熟中の種子を経時的に採取し、欠損が転写レベルで起こっていることを明らかにした。また、登熟中の種子でのレポーター遺伝子のトランジェント発現から、グリシニン遺伝子の転写に必要なトランス因子に問題はなく、グリシニン遺伝子がクラスターを作っている領域の欠落のためと結論づけた。


(3) 評 価

 本研究は、所期の目標に鑑み極めて優れた研究であり、その成果は極めて高く評価できる。
 本研究はダイズ種子の登熟初期に発現する遺伝子群の検索と貯蔵蛋白質グリシニンの成熟化に直接関与する酵素の同定とその分子生物学的解析を主要テ-マに進め、登塾期に遂次的に発現する遺伝子群の分子的制御機序を新しい概念で説明したものである。具体的には11S型貯蔵蛋白の成熟期に必須なアスパラギン(Asn)特異的プロテアーゼ(レグマチュレイン)遺伝子のクローニングによる全一次構造の決定と詳細な酵素学的解析を世界に先駆けて行った。又、CCT型シャペロニンの発見、抗酸化酵素群(SOD、エポキシド)の発見等は、いずれも所期の目標を遙かに越えた内容であり、高く評価される。この様な成果が得られた背景には、優れた研究リーダーのもとに3年間で他省庁の研究者や、外国籍の研究者を含めた若手研究者が結集できた事など、本制度をうまく活用した点が挙げられる。今後は本研究の成果を生かし、高蛋白蓄積性のダイズの品種、或いは遺伝子組換えによる有用医用蛋白の大量生産(分子農場)の実現等に向けて本研究を発展深化すべきと考える。
 なお、研究項目ごとの評価は次のとおりである。

1) 登熟初期に発現する遺伝子の探索

 本研究は登熟の初期に発動される遺伝子群の同定とそれら酵素の生理的意義を検討したもので、貯蔵蛋白質の合成に先立ち、SOD、エポキシド水解酵素、チアミン合成酵素および、CCT型シャペロニンが合成され、蛋白質の生合成に伴う過酷な酸化的ストレスから植物体自身が強く守られている事を解明した。
 光合成に伴う酸化的ストレスは動物細胞内での酸化的ストレスよりは遙かに強い事が予想される。近年、酸化的ストレスと疾病との関係が論じられているが、その病理の理解が不十分である。植物体の抗酸化的機序の知見が疾病の予防法につながる可能性がある。この方面の研究の進展を期待したい。又、CCT型シャペロニンは組換え型有用蛋白を植物体で合成する場合には必須の酵素と思われる。植物体での組換え型蛋白発現システムの開発につながる可能性がある。この分野の研究も劣らず重要である。

2) 内在タンパク質の発現と意義

 本研究で同定された三型キチナーゼは登熟過程の植物がカビ、細菌に攻撃されやすい時期に発現し、植物体を防御している。今回得られた三型キチナーゼは構造特異性があり、既報のキチナーゼよりも優れた耐病性遺伝子を重要農作物品種に賦与出来よう。β-アミラーゼはダイズ本体には澱粉の蓄積が少なくその意味は必ずしも明確ではないが、登熟過程においては、光合成、澱粉の蓄積があり、そのエネルギーを利用して蛋白合成系を駆動させていると思われる。光合成、蛋白合成系をつなぐ鍵酵素として植物生理学的には非常に重要な酵素であろう。本研究では、β-アミラーゼの連続的基質分解機構(multiple attack mechanism)を説明する画期的な仮説を提案している。更なる発展を期待する。
 又、本研究は理化学研究所ライフサイエンス筑波研究センタ-にて、温度、湿度、及び照度条件等を正確に制御出来るファイトトロンを利用できたことで大きく進展したと思われる。

3) in vitroでのプロ型タンパク質プロセッシング系の構築とそれによる分子的機序の解析

 本研究は新規に発見したAsn特異的プロテア-ゼ(レグマチュレイン)の基質蛋白切断部位であるAsn残基周辺特異性を合成ペプチド、大腸菌で発現させて精製したプロ型グリシニンおよびその変異蛋白質を用いて調べ、切断活性の性格づけをした。則ち、酵素活性を持たない貯蔵蛋白質がいかにして成熟化のステップを経るのかを解析したもので、この意味は、外来性の有用蛋白質遺伝子をダイズ11S型グリシニン遺伝子に組み込む際の法則を検討した事である。
 Asnを含む有用蛋白はレグマチュレインにより切断されない様に予め遺伝子改変されているか、レグマチュレインの切断部位が蛋白分子の内部に折り畳まれている必要がある。今後は植物体内でのレグマチュレインの発現制御を検討する必要があると思われる。

4) in vitroでのグリシニン前駆体タンパク質のプロセッシングの生理的意義

 本研究は登熟種子の蛋白顆中に蓄積される貯蔵蛋白質の成熟化が反応生成物(蛋白質)を沈殿物として酵素反応系外に出す事により、蛋白の合成効率を損なうことなく長期間にわたり蛋白合成を行う植物体のからくりを突き止めたことにある。この事は登熟過程においては、適度の温度、水分が貯蔵蛋白の蓄積には必須であること、液胞内の塩濃度を一定に保つ分子的機序が働いていることが示唆される。遺伝子工学的に熱に比較的強いレグマチュレインを開発する事により、高温地帯でも生育しうる品種が作出される可能性がある。今後はこの方面の研究も強力に推進すべきと考える。

5) 組み換えタンパク質発現のためのダイズ系統の探索

 本研究はグリシニンのサブファミリ-であるA2B1aの欠損株を用いた有用蛋白の生産を目的としてA2B1a遺伝子発現の分子機序を探ったもので、研究の完成度としては非常に高い。今回使用した欠損株では組換え型遺伝子発現の為の転写因子は完全であることが確認され、今後の研究に利用できる。牛のインターフェロン遺子の発現を試みたところ、インターフェロン分子の発現はあるものの、量的に少なかった。その原因として1)転写効率が低い、2)翻訳効率が低い、3)外来性の蛋白がレグマチュレインにより限定的に分解されている、等の理由が考えられる。
 一般に外来性遺伝子の発現が低い場合、その原因が上述の1)、2)の場合は目的遺伝子の改変が必要となるが、3)の場合、ホストのシャペロン遺伝子の発現を高めることにより、3)の問題を解決できる可能性がある。本研究で同定されたCCT型シャペロニンを利用した外来性蛋白高度発現システムの研究を今後強力に推進すべきと考える。


 

-- 登録:平成21年以前 --