平成10年度研究評価小委員会報告書について 2.各論 省際基礎研究 7


7.超高磁場NMRと分子シミュレーションによる生体超分子の動的構造-機能相関の研究

研究リーダー:農林水産省農業生物資源研究所 山 崎 俊 正
(研究期間:平成7年度~9年度)


(1) 目 標

 ペプチド、タンパク質、核酸、酵素などに代表される生体分子の機能は、分子の立体構造に基づく分子認識や触媒基の効果的配置の結果、より高次の分子集合体(生体超分子)を形成して発現される。よって、生体分子機能を真に解明するには生体超分子の立体構造の知見が不可欠である。さらに、溶液中における分子は単一の構造のみをとるのではなく、数種の安定構造の間で平衡状態にあるので、分子の運動性を解析することも極めて重要である。本研究では、現在利用しうる最高磁場(750MHz)のNMRと計算機科学を駆使して、生体超分子の溶液構造と動的挙動を解析し、生体機能および生体機能発現機構を分子論的に解明するとともに、分子の立体構造と運動性に立脚した次世代のバイオテクノロジーのための基礎的知見を得ることを目的とした。


(2) 成 果

1) HIV-1プロテアーゼ/阻害剤複合体の動的構造-機能相関の研究


 HIV-1プロテアーゼ/DMP323(Ki=270pM)複合体とHIV-1プロテアーゼ/KNI-272(Ki=5pM)複合体について一連の多核種多次元NMR測定を行い、プロテアーゼ/阻害剤複合体の溶液中における立体構造を世界ではじめて決定した。この構造をもとに、プロテアーゼと阻害剤の分子認識機構を原子レベルで解明した。さらに、NMR緩和測定を行い、阻害剤と複合体を形成しているプロテアーゼの局所的な運動性を解析した。この結果と上記の溶液構造、及び、一次構造-機能相関の結果を総合的に解析して、プロテアーゼ機能を分子構造レベルで解明した。この結果から、プロテアーゼ機能の発現に必須のアミノ酸残基の役割(プロテアーゼ/基質反応中間体の立体構造の安定化、"基質の取り込み"と"加水分解物の放出"、酵素触媒基の制御等)を特定することに成功した。
 DMP323とKNI-272阻害剤はともに、本来基質の入るべき活性中心に入り込み、プロテアーゼと安定な複合体を形成することにより、プロテアーゼ機能の発現を抑制するが、分子認識機構を詳細に解析することにより、両者の阻害作用の発現機構には明確な相違があり、殊に触媒基Asp25とAsp25'側鎖の化学状態に相違があることを明らかにした。プロテアーゼ/DMP323複合体においては、プロテアーゼ触媒基Asp25(モノマー1)とAsp25'(モノマー2)カルボキシル基はともにプロトン化されている。一方、プロテアーゼ/KNI-272複合体では、Asp25側鎖はプロトン化されているのに対してAsp25'側鎖はイオン化されている。この結果をもとに、DMP323とKNI-272の阻害活性の発現機構をモデル化した。KNI-272はプロテアーゼの活性種であるAsp25(H)/Asp25'(-)&Asp25(-)/Asp25'(H)と複合体を形成し、直接的にプロテアーゼ活性を阻害する。これに対して、DMP323は不活性種であるAsp25(H)/Asp25'(H)と複合体を形成し、フリープロテアーゼの平衡系からこれを除外し、その結果、活性種の総量を低下させることによりプロテアーゼ活性を阻害することを明らかにした。 以上の得られた結果を統括して、高活性・高選択性を有し、なおかつ、体内動態の良い新規HIVプロテアーゼ阻害剤を開発した。

2) BMP(骨形成因子)I型レセプターのリガンド認識機構の解明

 BMPI型レセプターの細胞外ドメインは119残基のアミノ酸(Cys10残基で5つのジスルフィド結合を含む)で構成され、グリコシレーション部位を1つ有する。リガンド認識における糖鎖の役割を検討するため、有糖鎖型細胞外ドメイン(sBMPr1A-slk)と無糖鎖型細胞外ドメイン(sBMPr1A)を合成した。活性型のsBMPr1A-slkはカイコを用いたバキュウロバイラスシステムで合成し、sBMPr1Aはチオレドキシンとの融合タンパク質として大腸菌内で発現させた後に、エンテロキナーゼで酵素消化して合成した。sBMPr1A-slkとsBMPr1Aのin vivo及びin vitro活性を測定した結果、I型レセプターの細胞外ポリペプチド鎖がリガンドを直接に認識し、糖鎖の寄与は小さいことを明らかにした。また、5つのジスルフィド結合の解裂した還元型のsBMPr1A がリガンドに結合しないことから、ジスルフィド結合がリガンド認識に必要なI型レセプター細胞外ドメインの立体構造の保持に不可欠であることを明らかにした。
 制限酵素消化法と化学合成法を併用してsBMPr1Aのジスルフィド架橋様式を決定した。TGF-βスーパーファミリーのI型レセプターは、いずれも細胞外ドメインに10個の保存されたCys残基を有しており、特にCCXXXCN(Cysボックス)という共通のモチーフを持っている。したがって、本研究で決定したBMPI型レセプター細胞外ドメインのジスルフィド架橋様式はその他のI型レセプターについても保存されていると予想される。
 NMRと分子シミュレーションを駆使してsBMPr1Aの溶液構造を決定した。これは世界ではじめて決定されたI型レセプター細胞外ドメインの立体構造である。この構造を基礎として、リガンド認識部位を推定し、予想されるリガンド認識部位をTGF-βI型レセプターのアミノ酸シーケンスで置換したキメラレセプター(sBMPr1A/TβR-I)をデザインし合成した。sBMPr1A/TβR-Iの溶液構造とin vitro活性を解析して、BMP I型レセプターのリガンド認識部位を特定することに成功した。
 さらに、BMPの細胞内シグナル伝達を制御する物質の同定にも成功した。


(3) 評 価

 本研究は、所期の目標に適した研究であり、その成果は高く評価できる。
 本研究においては、NMRによる構造解析を軸とし、化学的、生化学的な手法を組み合わせて、興味ある系を対象として優れた成果が得られている。研究の期間が3年であることを考慮すると、HIVプロテアーゼに関しては、研究リーダーのアメリカNIH在籍中の成果の延長であることはやむを得ないと判断する。今後、ここで得られた研究成果がより一般性のある方法論に発展し、さらに新しい興味ある系に応用されることを希望する。
 なお、評価の詳細は次のとおりである。

1) HIV-1プロテアーゼ/阻害剤複合体の動的構造-機能相関の研究

 研究成果は充分あがっている。HIVプロテアーゼの新たな阻害剤の開発につながるいくつかの重要な知見が得られたことは、当初予期せざる収穫であろう。研究目標に向かって確実に成果が得られている。今後、この分野の大きな進歩につながるものと期待したい。試行型の研究としては、評価できる部分が多いが、全世界的に多大の関心のもたれているテーマであるHIVプロテアーゼ阻害剤の開発研究などに関しては、今後、とくに外国の研究グループとの連携などの点に関して、さらに改善が望まれる。

2) BMP(骨形成因子)I型レセプターのリガンド認識機構の解明

 新しいテーマをとりあげて、意欲的に挑戦している。骨形成因子の構造生物学については、今後さらに研究を深めなければならないであろうが、3年間の成果としては、評価できる成果である。今後、分子生物学などのグループとの連携をさらに推進し、とくに外国との協力によって、さらに研究が発展することに期待したい。構造生物学における試行型研究の一つの興味ある可能性でもある。


 

-- 登録:平成21年以前 --